ひいおばあちゃんの思い出
おはようございます。社会保険労務士で、キャリアコンサルタントの、かなや なおこです。
社労士なおこの働き方・多様性研究ラジオでは、働き方、ジェンダー、コツ当てをテーマにこうするしかないなという考え方を、こういう考え方もありかもしれへんなと思えるような小さなきっかけをお届けする番組です。
これってなんでこんなんないやろうとか、えーこれおかしない?という違和感を出発点に、歴史や制度、統計や海外の事例もたどりながら考えていきたいと思います。
タイトルは、ひいおばあちゃんの祥月命日に、知らないからこそ知りたい、というノート記事を読み上げていきたいと思います。
12月26日は、私のひいおばあちゃんの祥月命日です。
私が5歳の時、ひいおばあちゃんが亡くなりました。ただ、血のつながりはありません。
祖父が子供の頃に、本当の母は亡くなり、5歳としてやってきたのがひいおばあちゃんだったと聞いています。
私が覚えているのは、お見舞いへ行った時に見たひいおばあちゃんの姿です。
ベッドの上で座っていたひいおばあちゃん。
大正ごとが得意だったこと、活発な人だったと母からは聞いています。
でもそれ以上のことは何もわかりません。
ひいおばあちゃんは明治生まれ、大正、昭和、そして平成の始まりまで生き抜きました。
どんな人生を歩んできたのだろうか。
彼女はどんな働き方をしていたのだろうか。
そもそも働いていたのだろうか。
今では当たり前にある労働基準法や育児介護休業法、ひいおばあちゃんの時代には制度そのものがありませんでした。
大正や昭和の時代に女性が働くということ、どんな感覚だったのかなと思うんですよね。
でも今はもう聞くこともできません。
祖母は生きているんですが、祖母ももう認知症が進んでいる状態です。
母によると今はずいぶん前に亡くなったひいおじいちゃんとひいおばあちゃんが生きているように話をすることもあるそうです。
祖母の記憶の中にいる今は亡き人たちはどんな生活を送っているのでしょうか。
祖母と会話をすることも難しい。会話がなかなか成立しないんですよね。
知りたいなぁと思っていても、言葉にするのは難しいかもしれません。
私は今ある制度についてもっとこうなったらいいのになぁとよく言葉にしています。
過去と未来の関係
でも最近感じることは言葉にするだけでは伝わらない。
伝えられるようにするにはどうしたらいいか。
違和感を出発点に現状に至った経緯や歴史を知ろうとしています。
資料を読むことは学びにはなるんですけれども、やっぱり行間だけではその時代の空気を感じ取ることがすごく難しいなというふうにも感じています。
5歳だった私がひいおばあちゃんに直接聞けなくても、祖父や祖母の話にもっと耳を傾けていたら、
孫としてではなくひいおばあちゃんの人生を知りたいという視点でもっと聞くことができたら。
ひいおばあちゃんの正月目にしである今日、ふと思ったんですよね。
知らないからこそ知りたい。聞けないからこそ想像したい。そしてその想像を言葉にしていきたい。
過去を知ることは自分の住む社会の物差しを知ること。そこには未来を良くしていくヒントがあるようにも思うんですよね。
年末年始、いつもは子どもの相手をしてくれている母にひいおばあちゃんのこと、そして祖父母のことや母の話を聞く期間にしようと思います。
本日12月26日、金曜日ですね。仕事納めの方も多いかと思います。1年お疲れ様でございました。
この話を聞いてくださった方は、どんな年末年始を過ごしたなというふうに今思われていますか。またこっそり教えていただけると嬉しいです。
それでは最後までお聞きください。ありがとうございます。本日もご機嫌な一日となりますように、金谷菜子でした。いってらっしゃーい。