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おはようございます。パートタイムはママでキャリコン受験生、そしてなんちゃって社会保険労務士のかなやなおこです。
本日も読書会ではなくて、昨日なんか面白かったなーって思ったことがありましたので、共有していきたいなと思います。
昨日ですね、ツイッターで見たんかな?なんかね、Yahoo!の知恵袋のスクショ?あるスクショを見かけたんですよね。
そのスクショを見たんですけど、内容はですね、まず質問からいきますね。
なんか散歩デートに誘われたんですけども、脈ありますか?っていう質問があったんですよ。
その回答に対して、脈がなかったら死んでます。
私はこの脈がなかったら死んでますっていうのはどういう意味なんかなーって思ったんですけども、
でも、脈がなかったら、そもそも確かに人って死んでるわなっていうのに気づいて、
なんかね、じわじわじわじわと、ちょっとね、職場のお昼休憩中だったんですけども、笑ってしまったんですよね。
それでね、なんか脈があるってそもそもどういう意味なんかなーっていうふうに調べたんですよ。
そうしましたら、脈拍が絶えず命があるっていう意味と、見込みがあるとか希望が持てるとか、
そういう意味をこの脈拍があるという言葉にはあるそうです。
で、この脈拍があるという由来、語源ですよね。
これも調べてみたんですよね。
そうしますと、由来はね、脈は脈拍のところから来ているそうです。
本来の意味としては脈拍が絶えないでまだ生きているという意味だそうでして、
そこから転じてまだ希望が持てるとか見込みがあるというふうに使われるようになったそうです。
なので、この由来から考えていくと、最初はお医者様が使っていたのかなーと思いました。
例えば、ちょっと見た感じね、とてもじゃないけど、ご存命な感じには見えない様子の方がいらっしゃるとしますよね。
で、脈を拍った時に、「お!脈があるぞ!」みたいな感じで、そういう状況で使われだして、
別に医療業界だけでなくて、私たち一般市民も使うようになったのかなーというふうに推察はしたんですけれども。
だから、絶望的に見えるような状況の中で一筋の光が差すような、そんな希望を持ったような言葉なのかなというふうに思いました。
だから、例えばね、よく婚活とかしていると脈あり脈なしとかっていう言葉ってすごく簡単に使うと思うんですけど、
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なんかね、私も使ってたこともあるし、脈あり脈なしみたいな感じに使われる方って結構いらっしゃると思うんです。
だからね、例えば、今の語源から聞いていくと、例えばですよ。
週1回、まだ付き合ってない方でレストランでデートをしています。
これって脈ありですかね?っていうふうに聞くのは、たぶんこれは適切な表現ではないんかなって思うんですよ。
週1回レストランに行ってます。
これって客観的に見て全然絶望的な状況じゃないじゃないですか。
そういう状態で脈ありですかっていうところって、もう希望がいっぱいあるのに、
あとあなたはどんだけ希望が欲しいんですか?ふざけんなよっていうような感じですよね。
だから、たぶん適切な使い方としては、例えば1ヶ月間LINEのやり取りで既読つくだけで返事きませんとか、
それか、なんかこっちは一生懸命文書で送ってるけれども、全部LINEスタンプで返ってくるとか、
これって脈あるんかな?っていうぐらい絶望的な時に使うのが適切な表現なのかしら?というふうにちょっと思いました。
だからなんかね、すごく人間関係が絶望的に見えるとか、
例えば常に絶望的ではないけれども、こっちは異性として意識をしているけれども、
あっちは完全に異性として見てないよな、そこに異性として見てくれるような希望はあるのだろうかとか、
そういう時に使う言葉なんかなーっていうふうに感じました。
あとは仕事の関係だと、例えばこちらがどんだけ営業したりとか、どんだけいい接客しても、
すごいぶっちょをずらしているお客様がいたとして、このお客様は果たして商品を買ってくれるのだろうかとか、
あとは私の数字につながるのだろうかとかね、いろいろそういう状況で役があるのかなーっていう使い方がすごく適切なのかしらとも思ったりしました。
例えばあとは私は情報発信を続けていても、これって役があるんかしらっていうのも、もしかしたら適切な表現かもしれないですね。
ということで本日は読書会ではないんですけれども、ちょっとこの脈があるという言葉が面白かったので調べたことを共有させていただきました。
これからのご自身の表現活動の少し肩になれば嬉しいなと思います。
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はい、ということで本日はここまでにしたいと思います。
最後までお聞きくださりありがとうございます。本日もご機嫌な一日となりますように。
金谷菜子でした。いってらっしゃい。