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こんにちは。横浜で15年以上、犬の保育園の先生を行っている、なおちゃん先生と申します。
本日は、私の名物企画、「教えて❣️スタエフ・プロの人💛VOL.35」をお送りいたします。
VOL.35回目のゲストさんなんですが、前回VOL.34回目もご出演いただきました。
あの方にご登場いただきます。
一回だけでは、なかなか語りきれなかった、あの方の魅力、違った側面から、今日はお伺いしていきたいと思います。
それでは、よろしくお願いします。
VOL.35回目のゲストさんは、音声心理士マリアさんです。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。なおちゃん先生、今日もおよ…およ…およ…
🇧🇹いただきありがとうございます。最初から噛み噛みしちゃったごめんね。
全然大丈夫ですよ、もうね。
熱いですからね、舌も回らないですよ、これはもう。
もう本当、頭ぼーっとしてますからね。
よろしくお願いします。
前回ね、音声心理士マリアさんということで、音声心理士というお仕事や、音声心理士さんが行う講演診断について、
あのね、マリアさんのお仕事、第一のお仕事ということで、いろいろプロの道についてお伺いしていったんですけれども、
実はマリアさんはね、違った大きなご活動の側面もお持ちなので、今回はね、マリアさん特集全編後編2回に分けて、豪華特番です。
ありがとうございます。
はい、今回はね、もう一つの活動の方についてもお話をしていきたいと思います、伺いたいと思います。
それではですね、まず前回ね、もしかしたらまだ聞いてないよという方は概要欄にリンク貼っておきますので、前回も併せてお聞きいただきたいんですが、
さらりとですね、マリアさんにご自身のご紹介と、あとね、今回のご活動についての、ちょっとね、さらっとご紹介をしていただければと思います。よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
音声心理士をやっているマリアと申します。音声心理士とは何ぞやというのは、前回ゆっくりお話ししておりますので、過去の配信を聞いていただければと思います。
はい。
心ほっこりあげあげチャンネル、心ほっこり?
うん。
気分、機嫌あげあげチャンネルです。
ちょっと待って。
今日は本当にね、ごめんね、これ本当に言い訳じゃないんだけど、今日は本当にね、最高気温が39度の予報なんですよ。
へー、39度ですか。
それでね、なんか、エアコンつけててもすごい暑いので、はい、気分あげ、お機嫌あげあげ。
気分ほっこり。
心ほっこり、ご機嫌あげあげチャンネルというチャンネルをやっています。
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こんな感度の初めてよ、私。
心ほっこり、ご機嫌あげあげチャンネルですね。
そうです。それから、自己紹介なんですけれども、この前しなかった、でも今その側面が出たのでお話しするんですけど、
はい。
私、別名佐々井さんってバレていて、すっごいそそっかしいっていうか、天然っていうか、自分の番組名を忘れちゃったりとか、
本当に平気で違う人に電話して、本人だと思って喋り続けちゃったりとか、
本当ですか?
本当土地なんです。天然で土地なところがあるっていうのは、自己紹介かな。
あとは、生まれて育ったのは東京で、それで今は17年前から京都に住んでいますっていう感じかな。そんな感じです。
こちら横浜はですね、そこまでね、39度とかまではならないんですけど、さすがにね、やっぱり36度の予報が出てますね。
36度って、でもこっちからするとすごいホッとするの、36度くらいになると。
ずっと37、38、37、38。
もう外歩けないですね。
歩けないですね。でもね、外国の方やらいっぱい旅行の方もいらっしゃるので、健康に気をつけていただきたいと思います。
では今日はですね、もう一つの側面についてお話をしていきたいんですけれども、
実はですね、マリアさんはブータンという国にとてもご縁がある方なんですよね。
そのブータンとのご縁について、なぜブータンに興味を持ったのか、そして今のご活動を始められたのか、というところをまずお伺いしていきたいなと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
結構ね、これ個人的なことを話すことになってしまうんですけれども、
大丈夫な範囲で大丈夫です。
このでもね、ブータンの話をするときには夫が漏れなくついてくるんですけれども、
夫がね、京都の大学の教師をしていて、そこで、実は京都の大学とブータンはとても、
ブータンの公室、王室はとても親しかったんです。
その大学の土産部が、まだまだ鎖国に近いような状態のときに、
ブータンに行って、山頂までは登れないんだけれども、
調査のために山に入りたいって言ったときに、許可をしてくださったっていうところから始まって、
そこから大学もですし、日本の公室とあちらの王室も親しくさせていただいてるっていう歴史があるんですね。
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王室と。
すごく、なので、そうなんです。
よくね、今の王様がご結婚なさったときは新婚旅行も兼ねてって言って、
京都御苑に1ヶ月、県の陛下がご招待してくださったんですよ。
そうだったんですね。ちょっとお伺いしたいんですけれども、
ブータンっていう国がですね、そもそもどこら辺にあるかわからないって方も多いと思うんですよ。
すごい難しい質問なんですけど、ちっちゃすぎてわかんないのね。
後で見ていただきたいんですけれども、ブータンはちょうど九州と同じぐらいの大きさなんです。
そうなんですね。
ブータンっていうのは九州と同じぐらいの大きさなんですね。
それで、ネパールという国がわかるでしょうか。
ネパール、インドの右上ぐらいですよね。
右上、北の南の方、西の方にある。東ですね、東。
東の上の方にあるんですね。
東の上の方にあります。その西の下の方にあるのがブータンなんです。
おー、なるほど。
小っちゃいポツンとした国がありますね。
インドの近くにあるっていう感じですね。
あと中国とも共生しています。
なるほど。
バングラディッシュとも共生していますね。
今私パソコンの方で地図を開いているんですけれども、本当に確かに。
ありがとうございます。
そうですね。インドとかバングラディッシュ、ネパール、中国と共生しているという感じですね。
本当に小さな国です。
これ見るとかなり山合いの国になるんですか。
ヒマラヤの国ですね。
ヒマラヤ山脈にふもとの国という感じですね。
そうですね。
なるほど。先ほど王室というお話が出たんですけれども、
こちらのブータンは王様がいる国ということなんですね。
そうなんです。王様がいらっしゃいます。
ごめんなさいね、私の方が資料を手元にちゃんと置いておけばよかったんですけれども、
まだ10年経つか経たないかだと思うんですけど、ずっと立憲君主制だったんです。
王様が政治を取りを行っているという国だったんですね。
だけど王様の方から、やっぱり政治はみんなの意見を反映して、
民主的にやったほうがいいという意見が出てきまして、
それで王様が言うんだったらそうしようということになって、
今は議会が作られていて、王様は直接政治には関わらない。
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でもここだけの話、ものすごく王様は皆さんに尊敬されているので、
王様の意見はやっぱり政治にも影響を及ぼしますね。いい意味で。
それは直接王様が政治を取るということがずっと長く続いていて、
そうではなくなって議会制とかになってから、まだ10年ちょっとしか経たないということですか。
そうですね。
すごいですね。
そうですね。今はもう、やっぱり王様っていうのは直接な。
王様っていうのは、ものすごい皆さんにとっての心のよりどころみたいな。
そんな感じですね。
結構、日本の天皇陛下がご招待されたっていうお話されてましたけど、
ここはないんですね。
ここはないんですよね。
それもなんか不思議ですよね。
そこがまた政治的なところと、そういうお付き合いの部分が違うんだなと思います。
あと、今の天皇陛下もですけれども、貴公様も真子様も、皆さんブータンにはいらしてますね。
そうなんですね。
ちなみにマリアさんもご関係で何度かブータンに行かれてますよね。
はい。
そしてなんと、今年の夏もこれから行かれるということで。
ブータンの魅力っていっぱいあると思うんですけど、
一つ、これが私はブータンに惹かれた魅力ですっていうのがあれば教えていただけますか。
ブータンの魅力はですね、
自然の、本当に何もしていないヒマラヤの大自然と、人の心の美しさですね。
人の心の美しさ、なるほどね。
こんな世界があるのか、みたいな感じでしたよ、私は行ったとき。
うんうんうん。
こんなに、えーっていう感じでした。
何がこんなにってびっくりしたかというと、
私今回で、なんでブータンに行くようになったかっていうと、
ちょっとそれちゃってすいませんなんですけども、
夫が大学に勤めていて、たまたまそのときに一つのプロジェクトが始まったんですね。
インターネットが解禁になったのがまだ2000年なんですよ。
12:03
えーそうなんですね。
ようやくインターネットが入ったり、スマホを使い始めたっていうところで、
最近って私は思う、もう24年、まだ24年っていう感じなんですけれども、
入ってきて、若い人たちは今まで古い文化とか古い考えの中で生きてきたんですけれど、
西洋の文化やなんかに触れて、どういうふうに意識が変わっているのだろうか、
変わっていないのだろうかっていうのを一冊の本にまとめるために、
何人かの先生、5人ぐらいですかね、の先生と一緒にブータンに何回か行って、
本を作るっていう、そういうプロジェクトに参加することになったんです。
なるほど。
でもうちの夫は、今だから言えるんですけど、ブータンに全然興味はなくて、
ただ大きな本を書いて、すごく人を乱落したところだったんですね。
大きなお仕事を机に向かってずっとやってたので、
外国に行ってみるのもいいなということで、
もともとフィリピンに学生さん連れて行ったりとか東京にいる時は、
そういう結構アウトドア派でもあるんです。
そうですよね。若い頃からヨーロッパに行かれたりとかされてましたもんね。
自転車で一緒に旅行とかね。
なんで、冒険野郎的なところがあって、
ひまわり屋の秘境ブータンっていうのに、
もうこれいいんじゃないっていう感じで、一回行ってみたんですね。
で、もうね、一回で恋に落ちてしまいました、ブータンに。
そうなんだ。
それから3回ぐらいは先生たちと一緒に行ってたんですけど、
それが終わってからもう一人で行くようになっちゃったんですよね。
そうですか、なるほどね。
それは一番最初に行かれたのは何年ぐらい前の話なんですか?
今からね、約15年です。
今回15回目なんですね、オートはブータンに行くのが。
で、私は10回目なんです。
で、たぶん2回行った年もあるので、14年ぐらいですかね。
なるほど。
それで、もうすごいブータンの写真とか話とかいっぱい聞くわけじゃないですか。
そうですね。
そうするとすごいなと思って、いいなって思ったんですけれども、
やっぱり行ったら全然平気だったんですけれど、
ブータンは地図で見てね、お客さんが山ですよねって思わず言っちゃったっていうぐらいの、
空港が3200メートル、富士山の8号目ぐらいです。
おお。
15:00
うん、だから酸素ボンペ置いてあります。
苦手な人は酸素薄くてフフってなっちゃうので。
それがデフォルトって感じですか?
デフォルトよ。
えー、大変。
デフォルトで首都が2800メートルで下がるんですけれども、
それでもやっぱり低いところから来た人たちには急に高いところに来てるので、
高知トレーニングと同じですよね。
そうですよね。
だからホテルにも酸素ボンペは必ず置いてあります。
降山病になってしまう方も、とっても繊細な方はなってしまう方もいらっしゃるので、
私たちは大丈夫だったんですけど、やっぱり階段とかね。
切れますよね。
3倍ぐらい、3倍ぐらいの力がいるみたいな感じ。
そんな感じでしたね。
なるほど。
で、私は彼が5回目に行くときかな、
私も一生で1回でいいからブータンに行こうと思ったんですよね。
だって写真見たらすごい綺麗だし、
あとあちらですごくたくさんの素敵な方たちと出会ったっていうお話を聞かせていただいて、
その方たちがどんな話をしたかっていう話も聞かせてもらうわけじゃないですか。
そうですよね。
するともうその方たちに会ってみたいと。
そうですね。
で、奥さんは何をしているんだと。忙しいのかとみんなに言われて。
確かに全然また文化とかも違うから、奥さんは奥さんでこういう仕事をしてるよっていうのは、
なかなか不思議な感じでしょうしね。
どうして一緒に来ないんだみたいなね。
そうそうそう、だってみんな自分の国に誇りがすごくあるので、
こんないい国だったら奥さんもちょっと夏休みで連れてくればいいじゃないみたいな。
本当ですよね。
そんな感じで言われ続けていて、
で、私思い切ってね、本当に清水の舞台から飛び降りるってこういうこと言うと思うんですけど、
本当そんなつもりで行ったんですよね。
そうだったんですね。
で、その時はもう気分が悪くなったら、
その当時はいいホテルをとって、ホテルで寝てるだけでも見晴らしがいいし、
ちょっと気分が良かったら便利なところにあるので、
お店を見に行ったり、山を見に行ったり、
なんか首都だけに滞在するのもいいじゃないかって言って、
10日ぐらい、1週間ちょっとですね、9日間ぐらいブータンに行ったっていうのが初めてだったんですね。
そうだったんですね。
私今このブータンの地図を見てて、首都はティンプですよね。
はい、そうです。
割と地図上で言えば左の方にあるんですけど、
そうです。
インド寄りにあるんですが、私実は近くまで行ってました。
18:03
え、ほんと?
これ見たら、ブータンには入国してないんですけど、
私ダージリンに行ったことがあるんですよ。
近いですね。
地図を見てて、あれ?ダージリンの近いんじゃない?と思って見てたら、
近い近い近いです。
200キロもないですね、これね。
すごく近いです。
100キロちょっとぐらいだと思うので、
うちから南房総の端ぐらいの感じかなと思ってたら、結構近いですよね。
明らかにマリアさんのいらっしゃる京都エルは近いですね。
ほんとにダージリンは近いですね。
そうですね、だからブータンに行く方とか、ネパールに入られる方が結構ダージリンって多かったんですよ。
あ、やっぱりね。
やっぱり玄関口っていうところもあるから、
だからなんとなく、ああいう光景でもっと、
もっともっと山が切り立ってるんだなっていう想像は今つきましたね。
それは嬉しいですね。
なるほど、それでブータンに行かれるようになって魅力に取り憑かれて、
そして今は、あれですよね、ブータンのためにご活動されているということで。
ブータンに行って、私首都岳にいるつもりだったのが、
実は私ものすごく高いところでも大丈夫なんですよね。
今聞いてたらそうですよね。
それで結局、最初の時も車で移動して、
今は道がきれいになってるんですけど、
その時はまた砂利道で、すごい砂利道の中を何時間も運転して、
他の町に行ってみたりとか、有名な寺院とか僧院を巡ったりして、
なんかもうすっごい楽しんじゃったんですよ、ブータンの旅を。
いいですね。
そしてそこでまた、インタビューも続けてやっていたので、
仲の良くなった方たちとお話をしたら、
またこれが本当に瞳がキラキラと綺麗で、
おっしゃることが本当に素晴らしいことだったので、
私もブータンに恋してしまった。
なるほど。
夫に言わせると、私の方が熱量が高いって言ってた。
私の方が目がハートって言ってた。
そうだったんですね。面白い。
例えば、ももちゃん先生絡みのお話で、
ブータンの魅力っていうのを話していくと、
犬がね、野犬がとっても多いんです。ブータンって。
犬を飼うとかっていう習慣がほとんどないんですね。
っていうのは、ブータンは生まれ変わりを信じる国で、
犬という動物は、次に人間に生まれ変わる魂が宿るって
21:00
信じられてるんです。
なるほど。
だから、とっても他の動物とちょっと違うんですね。
そうなんだ。
なので、野犬が多いんですけれども、
全部に狂犬病の注射なんかを、
政府がお金を使ってするわけですね。
注射をした犬には、ちょっと耳に印を付けないと。
カットするとかね。
それでカットして、
たくさんいるから怖いとかっていうこともなくて、
夜はすっごい動き回ってるんですよね。
そうですね。
なんか狼かいみたいな感じで、
ダダダダダって道路を走ったりしてますけど、
日中は寝てばっかりで、
もうあれ忘れもしません。
最初に行った時に、お店の入り口に犬が寝ていたんです。
ワンちゃんが。
そしたら、本当に入り口なんですよ。
結構大きなワンちゃんだから、
跨いで入るしかないっていう状況なんですね。
だけど、お店の人もワンちゃんを起こさないし、
連れて行った友達も全然ワンちゃんを起こさない。
追い払ったりしないってことですよね。
しないしない。
なんて言ったかって言ったら、
エクスキューズミーって言ったんですよ、ワンちゃんに。
ごめんなさいねって。
ちょっとごめんなさい失礼しますって言いながら、
ワンちゃんを跨いで行ったんですよ。
でも長いスカート履いてて、
跨ぐってちょっとやりにくい動作ですけども、
それをやって、エクスキューズミーって言って、跨いで行った。
これが本当に一つ象徴することなんですけども、
ブータンの人たちは、
命は皆平等っていう考えなので、
犬も猫も鳥も何でも、草も木も、
全部命は人間も同じ。
人間の命だけが尊いというわけではないっていう、
そういうチベット仏教の教えに基って、
そうですね。
で、そこからずっと話してると、
ブータンの話ばっかりになってしまって、
私のお仕事の話に行かないので、
ちょっと進めていきますと、
なおちゃん先生がすごくいいこと言ってくださったんですけど、
ブータンの西の方に都市があるんですね、
都市とかあるんですねっておっしゃってくださって、
ブータンは、
本当にヒマラヤの5000m、6000m級の山で区切られていて、
首都のある西ブータン、
中央ブータン、
そして東ブータンという風に分かれています。
そうなんだ。
九州ぐらいのちっちゃな場所なんだけれども、
24:02
ものすごい山に阻まれていて、
言葉も全く違います。
言葉も違うんですね。
言葉は全く違う言葉なんです。
特に西と東は全く違うんで、
そうなんだ。
国語は英語とゾンカ語って言って、
首都の周辺で使われている、
王様が使っているブータンの言葉、ゾンカっていう言葉が、
公用語になって、2つ公用語があるので、
田舎の子どもたち、西ブータン、中央ブータンの子どもたちは、
自分たちの言語と、
それからゾンカ語と英語を学ぶということになります。
それぐらい文化も違うんですよね。
そうなんですね。
夫はその頃、調査のために東ブータンまで行っていたんですけれども、
東ブータンは本当に貧しくて、
ブータン山の教室っていう映画を私が今、
私も、はい。
マリアさんの配信を見たがって、
ありがとうございます。
体験しました。
ああいう感じなんです。
今でもああいう感じなんですね。
今でもああいう感じです。
だからスマホもあるところまで行かないと使えないとか、
そういう感じなんですね。
ものすごく貧しい。
首都は来てみるととっても清潔だし、
ホテルもあるし、観光客もいっぱいあるしっていうところで、
東ブータンと、それから中央ブータン、西ブータンっていうのは、
かなり違います感じが。
なるほど。
私、でも自分が遠くに行くっていう、
行く自信がなかったんですけれども、
1998年に初めて、
今私、実は最初に種明かしをしちゃうと、
ブータンで初めてできたNGOの日本支部をやっているんですけれども、
そのNGOを立ち上げた、
その先生の故郷が中央ブータンのはずで、
もう東ブータンに近いところにあるんですね。
そこでお祭りがあるから、
めったにないチャンス、お祭りって言ってもすごいんですね。
本当に3日間かけて村人が全員で出て、
劇をするっていうお祭りなんですけど。
何て言うんですか、
地方のというか、田舎のほうのお祭りってすごいですよね。
直ちゃん先生もいろんな国に行ってらっしゃるからね。
そこらへんが分かると思うんですけど、
観光のお祭りとか日本のお祭りとか、
屋台がちょこちょこ並んでるとかそういうものじゃないですよね。
日本でもすごいお祭りってありますけれども、
27:01
これも祭事ですよね。やっぱり神事というか祭事というか。
そう、本当に神事っていうことを私言いたかったんですけども、
これは祭りというよりも、
死んだら人間の魂はどうなるかっていうのを3日間かけて劇をやるという。
へー面白い。
本当に。
そして、そこに行かないかっていう話があって、
私にとっても大大大冒険だったんですけど、
でもやっぱり行きたいっていう魅力のほうが強くて、
来ました。
でも途中やっぱり、
上がったり下がったりするんですよね。
ウータンって橋が、
結局4,000メートルぐらいまで上がってまた下がって、
1,000メートルとか2,000メートルのところにしか橋は架けられないわけですね。
山と山の間って。
へーそういうもんなんですね。
だって3,000メートルのところに橋立てられへんよねっていう。
だからすごい地獄のようなドライブなわけですよ。
だってブータン山の教室でも、
首都から東ブータンの、
本当に世界で最も貧しい敵地って言ってるところに先生が行くじゃないですか。
8日間かかるってね。
途中から、
徒歩、川を渡りみたいな感じで。
そうそうそう。
ほんとそういう感じなんですね。
私の場合は、それに比べればまだ車で行けるので、
車で1時間ぐらいですかね。
車って言っても途中で崖崩れがあったり、
舗装していない道路だったり。
あと面白いのは、
放牧している薬とかが通ると、そっちが優先なんですよね。
そうですよね。
誰もプープーとかしないで、薬が通り過ぎるまでね。
ずーっと1時間ぐらい。
そうするとみんな外から出てきて、
お前どこから来たんだとか言ってね。
おしゃべり始まるみたいな。
そんな感じで行きました。
そのお祭りは、4月の終わりからゴールデンウィークにかけてあったんですけれども、
やっぱりそこがね、約4,000mの高さなんですけれども、
寒いんですよね。
寒いですよね。
寒いの覚悟して行ったんですけど、真冬の覚悟して行ったんですけど、
やっぱり、
民泊したんですね。ホテルとかないから。
民泊したらお湯、もちろんない。
4,000mなのにお湯が出ないんですか?
いや、出ませんよ、お湯は。
お湯はもう本当に1回1台だけある薪ストーブで沸かしている貴重品なので、
30:04
顔を洗ったりするのに、まして手を洗うのにお湯を使うなんぞというのはという感じで、
手が切れそうなやばいですね。
だし、お部屋に電気ストーブのすごく小さいのってわかります?
なんなら、洗面所に使うような。
四角いやつじゃないですか。
四角いやつ。
お茶屋先生って話がずっと言ってくださるので助かります。
その四角い、昔使ってた2本くらい赤くなって、そこから温かくなる。
ジーってなんか言うやつね。
それが10畳くらいの部屋に1つあって、
寒い。
しかも、ブータン山の教室でもあったんですけど、
基本窓ガラスっていうのがないので、
窓ガラスがない。
でも私のところはさすがに窓ガラスがないと大泳いじるから、
木で、たぶん夏になったら外すと思うんですけど、
木で蓋っていうか、閉まってましたよ。
でも、すごい隙間風が吹くの。
いやー、だって私もブータン山の教室で見ましたけど、
紙?障子?っていうか空いてる?みたいな感じでしたね、窓。
本当にね、あれは本当にすごい寒さで、
でも、その寒さの中に、
一緒にその時に西洋の方が2人いたんですけど、
1人の方はやっぱりものすごい鍛えられてるから水シャワーしたって言ってました。
もう修行ですね。
修行。私はもう髪の毛何日でもいいから洗えてる。
だって停電するかもしれないから、髪の毛もうっかり乾かせないわけですよ。
乾かせないですよね。
怖くて。
それで嫌いになって帰りました。
じゃあもう話が終わっちゃうんですけども、
そこで見た風景がすごいショッキングだったんですよね。
やっぱり、今まで東ブータンで見てきた観光客の行く街っていうのはきれいだし、
みんな親切だし、それなりに停電は起きるけれども、それなりにお湯も出るし、
それは一人分しか出ないとかはありますよ、もちろんね。
でも一応お湯も出るし、本当に世界で一番幸せな国っていうのにぴったりだなって。
すごくその時は、こういう言葉を使って言われるんだけど、
その時の自分を私が今見ると、のんきにそう思ってたっていうふうに見えます。
のんきにすごい国だよ、幸せな国だよ、やっぱって言って。
33:04
で、なんで幸せな国って言われたかっていうことの一つに、
ちょっと話が脱線するんですけど、これすごく大事なことだと思うんですけれども、
マザーテレサは、世界中を回って貧しい人たちを助けるために修道院を建てましたよね。
で、唯一修道院を建てなかった国がブータンなんです。
そうなんですか。あんなに近いのに。
そうなんです。
で、なぜかというと、ブータンでは一人の人が困ったら、
50人その人を助ける人がいるって言われてるんです。
なるほど。
すごくないですか、尚ちゃん先生、これ。
だって今、チラッとね、先ほど地図の横にいろいろ情報出るじゃないですか。
グーグルで、グーグルの地図見ると。人口87万人って書いてありましたよ。
一人に対して50人助けに行ったらね、
10人困ってる人がいたら何百人もいなくなって、87万人しかいないのにね。
本当に、ホームレスもいないし、
おっしゃってましたね、それはね。
他は、老人の一人暮らしでも村全体で面倒を見るとか、
そういうところが徹底しているんですね。
なので、マザーが視察したときに、貧しいです。貧しいけれども、
そういうところでは豊かなんです。
助け合いがあるからね。
助け合いがあるから。
豊かだっていうことですよね。
そう。だから、ここはそういう意味で、マザーが見て助けるべき人が見つからなかったんですね。
なるほど。
私はここには修道院は必要ないと思って、立ち去ったっていう、そういう逸話があるんですけれども、
だからそれが本当に幸せな国。
そして、GNAってよく経済の指針がありますよね。
GNPですかね。
ごめんなさい、GNPですね。
そのGNPに対して、王様が、前の王様、今の王様のお父様なんですけれども、
GNHっていうことを考えて、ご存知の方も多いと思うんですけど、
国民幸福度っていうのを、それを作ったんですね、その言葉を。
だから、私たちの国は貧しいけれど、
でも、その中で助け合って生きていく幸せっていうのをみんなが感じている。
その度数は高いんだっていうことを言い出したっていうことがあって、
それぐらい本当に幸せな国だったっていう過去形に今なってしまうんですけれども、
だったんですね。
コロナまでは。
36:02
で、そのコロナ前に私は東ブータンに行って、
そのお祭りを、中央ブータンに行って、そのお祭りを見たんですけれども、
やっぱり、私なんか恥ずかしいぐらい、
下にダウンの薄めのジャケットを着て、その上にウールのオーバーを着ていないと、
外でずっと見るので。
3日間、なるほど。
なので、もう無理って感じなんですよね。
ほかほか回路も張ってるし。
ほかほか回路も張るしみたいな。
多分、マイナス2、3度ぐらいだと思いますよね。
あの時、冷たい雨が、雪まじりの雨が降ってたので。
だけど子どもたちはだいたい、
ビーチサンダル履いてるんですよ。
マイナス2、3度でビーチサンダル。
足はもう本当に霜焼けだらけになっていて、
もうみんなは、今は何かな、
お茶屋先生でも知ってるかなっていう感じだけど、
青花を垂らすってわかります?
わかりますよ。
青花をみんな垂らしてて。
ピカピカでね、袖がね。
そうそう。
100年前の日本みたいな感じだった。
なるほど。
で、そこで私はもうすごいショックを受けて、
で、プータンっていうのは、
教育費も医療費もタダなんです。
それだけ聞くと、じゃあ素晴らしいし、
素晴らしいんです。
だけど、それには裏があって、
田舎の人たちは、
ちゃんとした病院って人にしかないんですよね。
診療所みたいなものは、
ちょっと待ってくださいね。
祭りに行ったら、ビーチサンダーが履いてたりとか、
本当に薄い民族衣装だけなんですよね。
だからそういうところで、
ヒマラリで生き抜くDNAが残ったから、
そういう強い人たちが生きてるんだなっては思ったんですけれども、
だけど、みんな目がキラキラしてて、
お祭りに子どもたちも登場するんですよね、やっぱり。
神の使いの役とかで、みんなで捧げ物をうやうやしく持ちながら、
閻魔大王様の後ろについて突き進むとかね、
楽しむんでしょうね。
そこの村はとても、私のNGOを立ち上げた先生の村なので、
そこを一つのお祭りを観光としてやっているので、
39:00
欧米からそれこそ100人以上来てましたね。
そうなんですね。
たぶんただ泊まりはできないので、
何時間かかけてその村に来て、お祭りを1日見て、
先生がお昼ご飯の時にお寺の中に入れてくださって、
私たちにお昼を食べさせてくださって、
もともと学者さんなので、カルマ先生っておっしゃるんですけど、
カルマ先生がブータンの国とはとか、このお祭りの意味はとか、
そういうことをレクチャーしてくださるっていう、
そういう場だったんですね。
私たちだけは民泊なので、
おっしゃってましたね。
なので、朝いきなり起こされて、
朝ご飯食べに行くぞって言うんですよね。
え?って感じになって、ここで食べないんですか?みたいな。
確かに確かに。どこ行くのって感じですね。
お祭りの時は、それぞれの地区の名家というか、
町内会長さんみたいなところのお宅に行って、
朝ご飯を振る舞われるというのが、
なんていうか、ならばしなんですね。
なるほど。
それで、そこに行ったら、いきなりものすごい強い、
手作りのお酒が振る舞われるんですよね。
映画でも出てましたね。
あれね、すんごい強いの。
怖い。すぐ死んでしまいそう、私とか。
私は一滴も飲めない性質なので、
それはそれを話せば、分かってもらえたので、
私は何もないっていうか、
何もない。だってジュースなんてあるわけないから。
そうですよね。
氷水みたいな冷たい山水か、お酒かみたいな。
お酒で、それで、手でご飯をいただくわけですよね。
私は辛いものが食べられないので、
本当に申し訳なかったんですけど、
私たち夫婦だけと、
欧米人の人たち4人だけは、
白いご飯に卵でオムレツを作ってくださって、
それがご飯で、皆さんは唐辛子のペーストを入れて、
真っ赤っかなやつで食べるんですけれども、
やっぱり寒いから?
そうそう、世界で一番辛いものを食べる国って言われていて、
メキシコか、それともブータンかって争ってるみたいですよ。
ハバネロのメキシコか、どっちかみたいな。
で、その時に手で食べるっていうのも初めて体験をして、
そうやって初めて、何て言うんだろう、
観光じゃない素顔のブータンに触れることができたんですね。
42:04
もちろん言葉も通じません。
人にいると大体の人は小学校から英語をやっているので、
英語が喋れます。ある程度の年齢の方は。
だけどこちらの方は本当に喋ることができなくて、
子供さんたちは片言の英語が通じるので、
逆に子供さんに通訳してもらうみたいな感じだったんですけど、
でも身振り手振りで大いに盛り上がり仲良くなりみたいな感じで、
そしてお祭りが終わって、じゃあ帰りましょうっていう時に、
ものすごい土砂降りになっちゃったんですね。
それで道がぬかるんでしまって、
四輪駆動のジープみたいな車で行くんですね、私たち行く時は。
そういう車じゃないと無理なんですよ。
でもあのジープのような車がはまってしまうというタイヤに。
なるほどね。
それぐらいひどいことになっちゃったんですね。
そこで崖崩れが起きて、3時間ぐらい足止めくらったのかな、あの時。
その時に私たちはNGOの方の、まだ日本支部は作ってなかったんですけれども、
カルマ先生とは親しくしていたので、
NGOの人とあとドライバーはお金を出して雇って、
そして行っていたんですけれども、NGOの人がガイドの代わり、
スタッフがガイド代わりになっていろいろ話していて、
彼はブムタンチホウっていう、日本で言うと京都にあたるんですね。
ちょっとことみたいな感じですかね。
そう、昔は都だったんです。
それでお坊さんが天皇陛下のような役目を果たしていた頃の主人だったんですね。
なるほど。
なので素晴らしい辞印がたくさんあったりとか物跡があったりとかするんですけど、
今はね、もう本当に観光客もそこまで行く人はほとんどいないので、
もうすごい、そこで3時間ぐらいずっとなっていて、
いろんな話をしていて、どう思ったっていう話をされて、
私はやっぱりすごくショックだったって。
ショックだったとともに、すごいところも見せてもらったんですね。
すごいところっていうのは、私たちが泊まっていたときに、
明らかにね、精神的な重い病の青年がフラッと入ってくるんですよ、平気で。
普通、ここ一緒なんですけど、外国から来ている近所の親戚じゃないわけじゃないですか、私たちって。
45:05
だからやっぱりごめんねって言うと思うんですよ。
今日は外国からお客様が来てるから、もしくは別の部屋に連れて行ってご飯を食べさせるとかすると思うんですけれども、
全然そんなことなくて、ぶつぶつ変なこと言いながら入ってきて、
そしたらね、お母さんがスッと行って、その人の背中に手をあげてトントントンってやってあげるんですよ。
トントントンってやってあげたらその人も落ち着いて、だから知らない毛の色をした人がいるわけですから、
私たちは黒だけど、金髪とか見たわけですから。
ちょっと興奮しちゃったんだけど、トントントンってやって、
静かにお母さんが一番隅っこの方に、でも同じお部屋ですよ。
同じお部屋の隅っこに連れて行って、それでご飯を食べ始めるんですよ、一緒に。
だから、多分その方は結構お年立ちだったので、ご両親がもう亡くなってしまって、
精神障がいの息子さんというか、男性が一人残されたという状況だったと思うんですけれども、
でもお腹が空いたら誰かのところに行ったらご飯をくれるわけですよね、そうやって。
なるほど。
お客さん来ててこれですよっていう感じがしたのと、
あと、例えば老人、子どもさんがいなくて、大体は親戚がいるのでその方たちが面倒を見るんだけれども、
でもそれでも天外孤独になってしまった病気の人とか、体が不自由な人とか、
そういう人はどうしてるんですかって言ったら、
やっぱり近くに住む人たちが順々に普通にご飯を届けてると。
それでお湯が出ないので、暖かい日に、暖かい日って言っても私にとっては寒いですよ。
でも彼らにとって暖かい日にお湯を沸かして、
そして一応お風呂っていうのはお湯を沸かすところがあるので、
ドラム缶くり抜いてのところですけど、
そこでお湯を沸かして、近所の若い奥さんたちがみんなで体を拭いてあげるわけですよ。
だからやっぱりこれでマザーテレサが私たちの出る膜ありませんって言ったんだなってすごく思いました。
そういうのを見て、心の豊かさと物質的な豊かさの、
なんて言うんでしょうね。
それはお金があって物にあふれてるからそういうことができるかっていうと、
そういうわけじゃないじゃないですか。
そうなの。
48:00
その人の心のあり方。
そうです。
それこそ親族でもないし、何の自分に対して、言ってみれば変な話ですけど利益はないわけですよね。
そうです。全くないです。
だけどそういった方を、近所の方というか社会ですよね。
地域でみんなでお世話をするっていうことが当たり前のように文化としてそこにある。
それこそ豊かな人がそれを行うってわけではなくて、
そうなの。
みんな平等に。
ゴム通りの人ですよ。
みんな自分たちもそんなに貧しくない、豊かではない生活の中で食べるものやお湯を分けるっていう社会がそこにあるわけですね。
本当にもう涙が出そうになって、本当の豊かさとかって何なんだろうって。
その今直ちゃん先生がおっしゃってくださった、その裏にはね、やっぱり生まれ変わりの思想があるんですね。
チベット仏教は必ず死んだら魂は生まれ変わる。
この世で徳を積んだ魂、良いことをたくさんした魂は人間に生まれ変わることができるけれども、
悪いことをしたり人を傷つけたり不幸にした魂は残念ながら他の動物に生まれ変わってしまうっていう、
それは本当に皆さん100%信じてます。
なので、だからそのために良いことをするっていうのは全然ないんですよ。
だけど私がすごく印象的だったのは、なんで血もつながっていないこういうお年寄りのお世話をあなたがする。
何もそれも見返りもない。
なのになんであなたがするんですかって言ったら、こう言われたんですよね私。
今は私は若く、あちらはお年寄りです。
でももしかしたら過去世で私が彼女に面倒を見てもらってたかもしれないんですよって言われた。
もうその時涙出そうになっちゃってまた。
いやーってこういう思考なのですね皆さんっていう感じ。
だからそうですよね。
精神的に重い病にかかっている人が突然大事なお客さんがご飯食べて楽しく話してるところにドコドコって入ってきちゃった時も、
普通だったら私たちの方に視点が行くと思うんですよ。
お客さんにスウェイがあっちゃいけない。
そうじゃない。向こうの人たちは偶然ってないって信じてるので、
51:00
この時にここに来たっていうことは私たちとも縁がある人なんだっていうふうに考えるんですね。
だからもしかしたら過去世で私かもしれないんですそれが。
ドコドコ入ってきちゃうのが。
っていうふうにみんなそう思ってる。
だからなんていうか。
そういう意味でもこの言い方が合ってるか分からないんですけど、
平等なんですよね。
平等です。
だから私が過去世でお世話になってたかもしれないから、
今回は私が若いんだから私がお世話をするのが当たり前。
今回は私は病気じゃない人間に生まれてるけれども、
体も不自由ではないけれども、
前世で体が不自由だった時にたくさんの人に助けられて生きてきた。
だから今回今お世話をさせていただいてる人はその時の魂かもしれない。
みんなそういうふうに考える。
視点が自分にないですよね。
ない。
そしてこの一生にはない。
たった一回の人生ではなく、
前世も何回もあり、
そしてこれからも何度も生まれ変わるという壮大な、
輪っかのような人生を生きるわけですよね。
輪廻って繰り返しながら。
その中でこんなふうに親しく生くのは絶対縁があるからね。
縁があるからね。
縁師っていう考え方はやっぱりそこから来ますよね。
そうです。
縁師があるから助けてもらったかもしれないっていう。
基本ブータンでは悪いことをした人は人間にはなれませんから、
オレオレ詐欺で何億円数えたとしてもね、
今世であと何十年かは楽できたとしても、
次は何に生まれ変わるかって話なわけですよ。
なるほどね。
人間同士で生まれ変わっているってことは、
やっぱりお世話になった人っていう。
いるっていうことですよね。
そうなんです。
それですごく言われたのは、
一度ブータンに生まれた魂は、
ブータンは幸せの国で忘れられないから、
どんなに遠くに生まれても必ずブータンに戻ってくるんだって言われたんですね。
だからお母さんがブータンにいたんだねってどこに行っても私言われて、
私どこに行っても今まで一度もなかったんですけれども、
ブータン人に間違われたんですね。
そうなんですね。
初めてなんです。外国に行ってがその国に間違われるって。
友達に言わせると、
私のNGOに入ってくださっている会員の方たちが、
一緒に私たちと行って、期間は短いんですけど、
54:01
5日ぐらい滞在してっていうことが3回ほどあったんですけれども、
友達がみんな言うんですよね。
私はブータンに着くとスイッチが入るらしいんですよ。
顔つきが変わるっていうの。
ブータン人のスイッチが入るんですね。
ブータン人モードになって、えらい元気になって、
日本で見るマリアさんじゃなくて、
なんか違う顔になってるとかって言われて、
とことこ山道も登って行くし、
元気になっちゃうな。
元気になっちゃう。
本当にご縁があったんでしょうね。
そう思います。
本当にご縁があって、
だからっていうのもある。
そこがまた今からの話につながっていくんですけれども、
その3時間ぐらいぬかるみの中で、
話をバックにね、あの時忘れもしません。
ビートルズが彼好きで、ライドの。
ビートルズを聞きながら、
なんでブータンでブータン語るんだろうって思いながら、
ビートルズは私も大好きですから、
心地よくビートルズ聞きながら、
やっぱり本当に来てよかったって私言いました。
やっぱり今までブータン、
その時にでも6回目ぐらいかな7回目ぐらいかなと
言ってたんですけれども、
なんかちょっとブータンのことわかった気になってた。
けどまた全然違うブータンをここで見せてもらって、
私は貧しさも知ったし、
現実の貧しさ、
それからさっきも言いかけたんですけど、
病院や学校がない。
6時間とか車を走らせるわけですよね。
そのためのお金がないわけですよ。
みんな自給自足みたいに助け合って、
畑で採れた蕎麦を、
ジャガイモとトッカイをしたりとか、
そういうことをやって生活しているので、
ほとんど現金がいらないっていう生活をしているので、
それと同時に教育も学校ぐらいまでは通えますけど、
中学ぐらいになると寄宿舎に入らなきゃいけない。
そうなると寄宿舎に入るには、
やっぱり教育費はただなんですけど、
寄宿舎は安いですけれど現金がいります。
寄宿舎に入るためには服も必要。
靴も必要。傘も必要。
でもそういうものさえないんですね。
傘もないんですね。
人たちもいるわけですよ。
ああいう村に行くと。
ルナナのブタン山の教室を見てくださった方たちは、
あの人たちが傘さしたり長靴履いたりするのを見なかったと思うんですけど、
裸足でしたもんね。
裸足でした。
途中で止めてもらったおじさんのところはね。
57:00
本当に多いですよ。裸足の方が楽だからとか言って。
裸足の方もいる。
で、そういうところを見て、
私なんか本当に、
いや私なんか本当、
これを見てしまったっていうことは、
私は何かをしたいってすごく思ったんですね。
でもその時に話したのは、
ブータンが貧しい国だから、
お金を出してみんなで支援して、
ブータンの人たちの役に立ててもらおうよっていう、
そういう一方通行的な、
NGOの日本支部っていうのは作りたくなかったんですね。
そうじゃなくて、今回の出来事もそうだし、
今こうやって機会を与えてお話しさせていただいているわけですけれども、
精神を病んだ方とか、
孤独な誰も世話をしてくれる人がいない人たちが、
それでも生きていけるっていう、
そういう豊かさがあるんですよ。
ものすごい豊か。
だから子供一人、
だから育児のいろうじとかもないわけですよね。
みんなが見てくれるから。
みんなが支えてくれるからね。
お母さんがしんどくなったら、
もう私のとこおいでよって言って預けて、
お母さんちょっと休んどきなみたいな感じでやってくれるし、
なのでそういう精神的な豊かさっていうのを、
私はブータンの豊かさをみんなに伝えたいなって思って、
だとしたら、このカルマ先生がやっている、
ローデンファウンデーションという、
ブータンで初めてできたNGOなんですね。
その働きは今年で25年になります。
その働きが認められて、
王様から勲章もいただいているんですけれども、
ローデンっていうのは、
あちらの言葉で、
エイチっていう、
仏様のエイチなんですけどね。
エイチっていう、
ただの人間の知恵というより、天の知恵という意味があります。
それを基金なんですね。
そこで子どもたち、貧しい子どもたちが、
奨学金制度を設けて、
今年も13人だったんですけれども、
その方たちと毎年会って話すんですけど、
本当に貧しいところから、
ルナナみたいなところから来た青年はね、
僕は靴も長靴も、もちろんこの制服もですけれど、
全部買っていただきましたって言ってました。
すごい感謝してます。
だからノートとか鉛筆がないっていうよりも、
靴がないっていうレベルからの、
全部買ってあげるっていう、
そうして勉強して、
でも本当にね、
彼は去年大学を卒業して、
1:00:03
上級公務員の試験に向かって、
今本当にね、
こちらで言うと閣僚っていうんでしょうかね。
そういうことになって、
国のために働いていて、
その貧しい貧しい彼の東ブータンの村の英雄になったんですね。
彼はローデンファンデーションから、
教育の試験を受けて、
そうなんですね。
それは子どもたちに、
英雄っていうのは何て言うんだろう、
お金が儲けていいなとかそういうんじゃなくて、
僕たちみたいな厄介の子どもでも、
勉強をすれば、
そうやってお金をいただいて、
勉強するチャンスがあるんだと。
そしてしっかり勉強したら、
上級公務員ってそんななれるものではないんですよ。
本当によく勉強して、
その試験を突破して、
今は社会人になっているんですけれども、
その彼を見て、
希望の星になったんですよね、
その村の貧しい村。
だからそういう意味で、
一人の生徒さんたちを援助することによって、
その村全体に光が灯るというか、
そこで環境のことを勉強したり、
農業のことを勉強して、
村に帰る人たちもたくさんいます。
そうすると村のリーダーになって、
もっと豊かな。
精神的にはもう十分に豊かなあれでしょうけど、
さらに学んだことを、
村の方々に還元することができるようになるわけですね。
知恵をね、大学で学んだ知恵を使って、
もっと水の融合的な利用法とか、
もっとここでこういう野菜を育てたら、
輸出できるんじゃないかとか、
輸出が始まったところもありましたね。
確かに寒冷地の方を育てますもんね、アスパラね。
だからそういうところでアスパラガスを育てて、
外国に輸出して、
そうするとブータンで売るよりも、
何倍ものお金が入るわけです。
高く売れますよね。
っていうようなそんなことがありので、
本当にそういうとやったり、
あとは滅びゆく文化、
今本当に英語の方が通じるので、
そうなんですね。
だから民謡とか、
山にある村々の独自の言葉っていうのは、
本当に失われてきているので、
それを25年前からライブラリーとして、
チームがあって、
いろんなところに飛び回って、
ルナナのような平基地に飛んで、
そこで老人の民謡を聞いたり、
言葉を録音したりっていう、
デジタルのね。
1:03:00
そこで活用がされているんですね。
活用されているっていうのがあって、
もう一つは、
あまり長くなるとあれなんですけれども、
もう一つは、
お金を稼ぐということが今までなかったわけですね、
地方に。
企業が産地を育てて、
そこでお金を育てる、
お金を循環させていくっていう仕組みを作ろうということで、
例えば家具を生産する工場、
工場?
工場っていうのは何人かが作っているってことなんですけれども、
だったり、
お坊さまが、
寺院のところ、鉱山なので、
ものすごい鉱山植物があって、
そういうのが使うとね、
お坊がとってもいいお坊ができるんですね。
それを村人たちに、
そういう訓練を援助するんですね、
みんなに。
こうやってお坊を作るんだよ、
プロの人を現地に派遣して、
そしてそこでできるように仕組みを作るっていうような、
現金化の。
あとはパーマ屋さんだったり、ケーキ屋さんだったり、
レストランだったり、
そういういろんな、
あと大好きな私のチョコレート屋さんだったり、
そういうお店を作るっていう、
3つの柱で援助しているんですね。
で、話はまだまだぐるるーんと戻って、
そのぬかるみの車に戻って、
だから、そういう今話したような3つの援助も、
日本でやっぱり声をかけて、
寄付を募ろうよって、
それで、それと交換にって言ったら変なんですけど、
私は交換よりもそれ以上すごいと思うんですけれども、
フータンの国の豊かさとか、こんな考え方があるんだよとか、
こんな風に、
信じられないぐらい、
心が豊かな人たちがいるんだよっていう、
そういう話をすると、
皆さん本当に目から鱗っていうか、
生き方が変わっていくよねっていう話になって、
で、そこでやっぱり、
フータンの老田基金日本支部を作ろうって、
私が言っちゃったんですよね。
それからスタートされたことなんですね。
そうなんです。1998年ですね。
98年。
そのドロドロの道で。
そこが契機で、
老田基金の日本支部の代表に。
代表は夫ですね。
私は事務局長で、
夫はほとんど何もしないっていう、
忙しいのでね、いないんですけど、
私が事務局長ということで、
日本の会員の方に活動内容をやったり、
1:06:02
SNSでいろいろあげたりとか、
っていう風になっていて、
老田ファウンデーションって結構大きな組織で、
理事会、カルマ・プント先生っていうのは、
もともとはオックスフォード大学の教授で、
アジア研究所にいた方が、
1999年に来年、
インターネットが解禁になるっていう時に、
戻ってくるんですね。
それで、その自分がイギリスで貯めたお金を、
それからイギリスで親友になった方たちの寒波で、
ある貧しい女の子を学校に行かせるっていうところから始まったんですね。
その女の子は今学校の先生になっていて、
3人のお母さんで、
今も中学校の歴史の先生をやっているんですけれども、
そこから始まって、
今は理事会表議員というのが6名います。
それから、有料でスタッフを雇っていて、
いろんな国とのやり取りとか、
行事をいろいろやったりとか、段取りをしたりするので、
スタッフが12人います。
それから、その他に私たちのように、
国際協力者っていうような名前になっているんですけれども、
ボランティアで、100%ボランティアでローデンを支えるっていう支部にも近いのが、
日本、フランス、イギリス、ハンガリー、シンガポール、ルクセンブルクにあります。
そうなんですね。100%ボランティアで。なるほど。
そうですね。なので、私たちがやるときに決めたことは、
いただいたご寄付は、一銭も私たちは使わない。
だから事務費も、ホームページを作るのも、
もちろんブータンに行く料費も、全部私たちのボランティアにする。
そうなんですね。
でも皆さんもそうなさっていると思いますよ。他の国の方たちも。
だからそれぐらい、やっぱりブータンに恋しちゃった人たちなので。
すごいですね。
貴重な寄付は、100%役に立ててほしいと思って、
皆さん、本当に捧げてくださっているので、
今ね、寄付は100%で国交がないので、お金届け、振り込みできないので、
毎年ね、今年も腹巻きに巻いて持っていくんですけれども、
あまり大きい声で言えないから、ちっちゃい声なんですけど。
配信しちゃってるけど。
配信しちゃいますけど。
行くわけですね。それで向こうでは、
ただありがとうございますって受け取るわけじゃなくて、
仏教に、チベット仏教に則ったお礼の儀式っていうのがあって、
2,3時間あって、みんなでお経を唱えたりもいろいろして、
1:09:01
それをやって、本当にね、日本の皆さんの、
この募金を、寄付をしてくださった方々に、
ご加護がありますようにって言うと、
お祈り、熱烈にお祈りしてくださって、
熱烈にお祈り。
本当に、本当に熱烈にお祈りしてくださって、
皆さんが幸せでありますようにっていうことを、
お祈りしてくださるっていうような、そんな感じなんです。
なるほどね。
今年も、
いただいた、集めたご寄付を持って、
マリアさんは旅立たれるわけですね。
そうですね。本当に皆さんにね、
寄付をしてくださった方に心から感謝しております。
お疲れ様です。
本当に崇高な、
ご活動だなと思うんですけれども、
でもきっとね、私ブータンでいろんな方に、
助けていただいたんでしょうね。来てた時にって思いました。
そうですね。
その分、私は豊かな国に生まれて、今回は、
今回私はその方たちに恩返しをするんだなっていう風にね、
今思っています。
なるほど。日本からブータンに恩返しをするっていう、
今世の使命なのかもしれないですね。
本当にそれが今世の使命だと思っています。
なるほど。素敵なお話ありがとうございました。
いいえ。なんか私の方から事件のこといろいろ言っていながら、
もう話すとね、これでもまた話したい話があるぐらいなんですけれども。
なんならこのブータンの景色をバックに見たがかなく流しながら、
お話したいぐらいの話ですけれども。
だからちょっと今考えているのは、
漏電基金を知っていただくために一度無料で、
Zoomのお茶会みたいなのをして、
Zoomだからそんな大きくはないですけど、
パソコンで、
共有とかでできますからね。
写真見ていただいて、
ぜひぜひやっていただいた方が。
そういうことをした方がいいかなっていうのを今ちょっと思っています。
そうですね。もしこの配信を聞いてくださった方で、
マリアさんもそういうこれから行かれますので、
こういった会に興味あるよって方はぜひコメントなどで書いていただいて、
レターでも結構ですね。
そうしたら個別にその後ご案内なんかもできるかもしれないですし、
そうですね。
皆さんがどんなことに興味を持たれているのかっていうのもね、
教えていただけるとまたいいですよね。
それいいですね。
それいただきました。
それを何が聞きたいか配信します。
ぜひぜひ。
いく前に。
私のコメントでもいいですし。
最後になんですけれども、
ローディンキッキンの私もそういった活動に参加してみたいとかね、
私も何か役に立てますかっていうようなお気持ちがある方がいらっしゃったら、
どのようにされたらいいですかね。
1:12:01
そうですね。
まずはホームページを見ていただくことと、
私にやっぱり連絡をしていただいてのが一番いいかなと思います。
なるほど。
私この概要欄にですね、
ローディンキッキンのホームページのロゴとともに貼っておきますので、
概要欄の方に。
もし興味のある方はそちらからも入れるようにしておきますので、
よかったら皆さん一回ご覧いただければと思います。
はい。でも今日はちょっと菜のちゃん先生から質問を皆さんから募るとか、
Zoomのこといいって言っていただけたので、
新しい展開はそれにいたします。
本当ね、やっぱり100場は一見しかずっていうのもあるし、
私自身もマリアさんにご紹介していただいたブータン山の教室、
あの映画を見て本当になんていうのかな。
ですよね。あれ見たから伝わる。
伝わる空気感ってありますよね。
そちらも概要欄貼っておきますけど、
ぜひご覧いただいて。
ありがとうございます。
皆さん多くの方に届けばいいなと思うし、
これは遠い国のどこかの出来事ではなくて、
きっと我々も、私自身は生まれ変わりっていうのをすごく信じているので、
きっと私たち自身もこうやってスタイフを通じてですけれども、
ご縁をいただいたということは、
もしかしたらどこかの遠い昔、過去生かどこかで
繋がっていたかもしれないですね。
本当ですね。
何かご縁を大切に、
これからも何か私で支援できることがあれば、
また活動のお手伝いさせていただきたいと思いますので。
本当にありがとうございました。
ぜひ気をつけて楽しんでいてくださいませ。
またお土産話を楽しみにさせてください。
今日は本当にありがとうございました。
それでは今回の教えて!スタイフプロの人、
35回目のゲスト、音声心理師マリアさんで、
ブータンでのご活動についてお話を伺っていきました。
マリアさん長いお時間本当にありがとうございました。
こちらこそありがとうございました。
それでは聞いてくださった皆さんもありがとうございました。
コメントお待ちしております。
それではこちらで失礼いたします。
ありがとうございました。