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こんにちは。横浜で15年以上、犬の保育園N1クラブを運営している、なおちゃん先生と申します。
今回は、壮大なる私の自己回想記録、
動物好き少女がドッグトレーナーになるまで🐶秘密基地誕生秘話、第17回目をお届けいたします。
こちらは、私がドッグトレーナーになるまでを第一部、
そして、N1クラブという自分のお店を構えるまでを第二部、
構えてから現在までを第三部ということで、
壮大な自己紹介をしていく回想記録となっています。
前回までのお話は概要欄に載せていますので、興味のある方は聞いていってくださいね。
さて、前回は大波がやってきたということでね、
そこまでなりを潜めていたね、
私の父、ボスとかゴッドファーザーとか言われてますけれども、
彼がね、突然持ってきたこの場所で、
自分だったらどんな授業ができるか考えて書き出してみろ。
企画書をね、書いてこいというふうに言われて書いてみたものの、
当初ね、ここの場所でと言われた場所は、
実はペットが通ることができない場所を通って行かなくてはならないため、
私が思い描いていた授業がね、その場所でできないということがわかったんですね。
ただ、この企画書、面白そうだなということになり、
じゃあこの場所は使えなかったけれども、
私のやりたいこと、やってみたいこと、どんなことができるかということを、
できる場所を探そうということで探し始めたという話をしました。
ただね、私はそういった物件を探すなんてね、
一人暮らしをしたこともその時はなかったので、
本当に何も考えずに、ただただ犬のことをやる、
ワンちゃんのための施設を作るために良さそうな場所を見に行っては、
家賃が高いなとか、ここは何とかだなって言いながらね、
なかなか思うような場所が見当たらなかったんですよね。
私がやろうと思っていたことは、犬の保育園、
そしてワンちゃんのホテル、ペットホテルですね。
それからできればドッグカフェなんかもやりたいなとか、
グッズ販売もやりたいな、なんていうふうに本当に軽々しく思っていました。
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そのためだけの敷地を探す、そして貸してくれる店舗を探す、
本当に家賃で月50万円以上出したとしてもなかなか厳しいという現状でした。
なかなか見当たらないな、自分の住んでいる地域だけじゃなくて、
ちょっと離れたところ、違う区とか隣の市というのも考えなくちゃいけないかなというふうには思っていました。
なんといってもですね、私の今の店舗がある場所というのが横浜市中区といいまして、
山下公園があったり中華街があったりということで、
割と人が集まっている場所なんですよね。
だからこそ人が集まっている場所で人通りがある場所というと、
どうしても1ヶ月の家賃が非常に高い場所になってしまうんです。
ただちょっと離れたところの中華街にはやはり犬を飼っている方、ワンちゃんを飼っている方が非常に多いわけなんですよね。
だからこそ私自身もお仕事を細々とながら続けることができたんですけれども、
それでね、結局どうしようか。
諦めてもっと遠くの家賃の安いところを探すのか、
それともこの事業計画を一旦福祉に戻すのかということで悩んでいたその時です。
はい、これね前回質問にさせていただきました。
母がある一言を言ったわけです。
今日のタイトルにしているのでもうバレてしまっているとは思うんですけれども、
その時に母が言った一言がこちら。
貸してくれなければ立ててしまえばいいじゃない。
ということなんですね。
いやーその発想はなかった。
マリー・アントワネット並みのね、パンがなければお菓子を食べればいいじゃないというね、
逸話が残っていることではありますけれども、
そんな感じで軽いノリで母が言い始めたんですよ。
びっくり、強点でしたね。
父も私も。
そして父が言った言葉。
そうか、その通りだなということになって、
あっという間に私は自分で施設を作ることになったわけです。
これもね、あっという間でした。
というのも、私の父が行っている事業がありまして、
その事業所の一部というのは資材置き場になっていたんですね。
資材置き場として、要するに物置き場所になっていたわけです。
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その物置き場所をちょっとだけずらしていただいて、
その場所を貸していただいて、
その場所で営業できるように形を整えようということになったわけです。
これは本当に発想がなかったんですけれども、
母のね、どっさの起点で、
あれよあれよという間にまた現実は進んでいったわけです。
いろいろな物事が大きく動く時って、
私は準備が整ってからとか、覚悟ができてからとか、
自分のペースでとかっていうのは意外とないと思っています。
それはね、この体験があったからなんですけれども、
特に多くの人を巻き込んで行うことというのは、
自分の心構えがどうとか、
現実的な準備がどうとかとかいうよりも、
早く現実って動いていくんですよね。
そしてこれに乗らなければ、
一生その波はもう二度とやってこないということになる。
私はそのように感じていました。
なので全くね、
テンポを背負うなんていう覚悟も何もないまま、
あれよあれよという間に計画は進んでいきました。
実際的に私がこのテンポを作るにあたって行ったことというのは、
まずこのテンポ、
どういう形のものにするのかということを
簡単にまた紙ですね、裏紙ですね、裏紙登場。
裏紙に書いてこんな形のものを作りたいという風に
プレゼンをしました。
その上でじゃあこれをやれる業者を探そうという形になったわけなんですね。
建物というものはやはり建てるとかなりお金がかかるわけです。
ですから当時のテンポというのはプレハブでした。
それもですね、今はおしゃれなプレハブっていっぱいあるんですよ。
おしゃれなプレハブ、ちゃんとしたプレハブ、
一見するとこれはもう本当に建物の住居なのかなというような感じのものがたくさんあるんですけど、
本当に飾り気のないプレハブでした。
そのプレハブを2段重ねにして2階建てにしたんですね。
そのプレハブを家屋としてテンポとして使って、
このプレハブ自体よりも周りのですね、ドックラン。
このドックランとそこに至るアプローチ、ここにお金をかけました。
ドックランに至る場所というまではアプローチになっているんですけれども、
ここはレンガを敷いたり、それからウッドデッキ、
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天然の木材のウッドデッキを作っていただいて、
そして入口から2階に上がる階段のところまで、
すべて丈夫な木目調のアルミ材でできているフェンスで囲っていただいて、
地面のところを掘ったりできないようにフェンスを組み立てる。
フェンスを置く場所はちょっとコンクリートで高く上げて、
そしてフェンスをぐるり一周してもらいました。
そして下には人工芝、テニスコートなどで使われる砂をあしらった滑りづらい人工芝を張ってもらいました。
そしてこれだけではなくて、
例えば中に何を置くのかとか、プレハブの床にはどういった床材を張るのかとか、
あとは空調ですよね。空調設備はエアコンなどはどういうものを置くのか。
業務用のものを1階を2台、2階を2台ということで、この業務用のエアコンだけで100万円くらいかかっていましたね。
1台が確か当時の価格で25万円くらいだったので。
そんな感じでお金というものはあれをあれとあっという間に消えていくんだなというのが、
その時にわかりました。
というのも、この株式会社をやるぞとなった時には、
当時まだ1000万の資金がないと株式会社を作ることができなかったんですね。
今は0円からでも株式会社ってできるんですけれども、
なので当時は1000万の資本金がないとできなかったので、
私は初めてお前いくらね、金融口座にお金があるんだって言われたんですね、その時。
私はその時恥ずかしいことに100万ちょっとぐらいしかなかったので、
150万ぐらいだったかな、忘れちゃったんですけど、そのぐらいしかなかったので、
そのぐらいですって言ったら100万持ってこいって言われたわけですね。
これは今でも笑い話のようにお話ししてますけれども、
親族じゃなかったら逆オレオレ詐欺ですよねっていう話をしています。
年老いた両親が子供からオレだよオレって電話がかかってくるんじゃなくて、
反対の感じですよね、100万持ってこいって言われて、
100万と銀行の実員と銀行通貯持ってこいって言われました。
えーって思ったんですけど、もう何も言えないじゃないですか。
なので震える手で100万を下ろして、100万のキャッシュを持ってですね、
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父と法人登記の場所に行ったことを覚えています。
法人登記をして法人の口座を開いて、
社員というのが実員ですけれども、社員と銀行員を作りに行ったりとかね、
その辺をやりながら店舗をどんどんと形作っていったという形になります。
本当にあの時は目まぐるしく日々が、日々がというかいろんなことがね、
自分の全く知らないことがどんどん形になっていくという、
そのことがですね、面白いと感じている余裕もなかったんですよね。
ただ言われる構いに、あっち行くぞ、きょうはあれやるぞ、きょうはあれやるぞという感じで、
もうね本当にベルトコンベア式に会社ってできていくものなんだなっていうことを当時感じていました。
もうちょっと勉強しろよっていう感じなんですけども、本当にその通りですよね。
でね、皆さんもこうなんて言うんですかね、大きなことを計画していて、
その初期段階っていうのはなんとなく目標、ゴールが遠くにあるので、
なんとなく自分のことなんだけれども、自分のことじゃないようなね、
ちょっと現実味がないような、そんな気持ちで気楽に考えることってないですか?
私だけですかね、また目が気楽なことをここで暴露していますけれども。
なのでね、裏紙にね、こんな施設を作りたいなとか、こんなことをやりたいなとかね、
売上は月このぐらいあればこのぐらいになるなとかね、
そういったことをですね、ぼんやり考えていたのが、
それがですね、どんどんどんどん一個ずつ現実になってきて、
私はですね、打ちふれてきたわけなんですね。
紙に書いているうちは楽しくてよかったんですよ。
それがね、形になってきて、さあ形が整ったぞ。
あとは回していくのはお前だ、お前だという感じでね、
いやー大変なことになっちゃったぞこれという感じで、
オープンは2009年の11月1日というふうになったわけなんですけれども、
これがね、本当にこの日が来るのがプレッシャーでした。
はっきりとは覚えていないんですけれども、
渋谷のね、派遣会社を辞めたのが、
同じ2009年のおそらく6月とかぐらいだったと思います。
そして会社をやるぞと決めて、9月に9月1日に法人として登記をして、
そして11月1日には店舗をオープンするということになったわけなんですね。
なので、会社をやろうかなというところから、
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店舗のオープンまでなんと半年。
こんなスピード感ってありますか?
あるんですよ。
本当にね、今考えても毎日がお祭り騒ぎという感じでしたね。
まだ私は独り身でしたし、
子供とかね、あとはパートナーとかがいなかったので、
本当にね、他にやることもそんなに大してなかったので、
このスピード感で進んだと思うんですけれども、
もう本当にびっくり業点のスピードですよ。
なので、会社を登記してから店舗をオープンするまでは2ヶ月。
その間に店舗自身はプレハブを運んできてくださったりですとか、
電気を通したりですとか、水道を引っ張ったりですとか、
ドックラウンド、フェンスを作ったりですとか、
人工芝を張ったりですとか、ウッドデッキを組み立てたりですとか、
というのは全てプロの業者さんがやってくれるわけです。
なので、私がやることは現場を監督すること、
プラス内装を整える、ある程度ね、ことであったり、
そこで使う備品の調達であったり、あとはシステム作りですよね。
そして一番大切なことはこの告知をする。
告知、そして集客をするということなんです。
ただしですよ、ただし、半年前に突然、半年より前ですよね。
多分11月1日なので、おそらく半年以内ですよね。
半年以内に突然会社をやろう、こういうことをやろうと言って決めたわけですから、
なんて言うんですか、告知をしとくとか匂わせておくとかそんな期間は一つもないわけですよね。
そしてこれが17年前の話なので、まだ今よりこんなにSNS社会ではなかったですし、
そもそも私はSNSをやっていませんでしたので、
Facebookを個人でつながるのに少しやってたぐらいで、
まだ自分の活動だったりっていうものをSNSで告知するとか集客するとかっていう頭が一つもない時代だったんですよね。
なのでこれは大変なことになったと。
こんなに大きなものを構えて誰もお客さん来ませんでした。
では済ませられないぞというふうに思ったわけです。
しかもこんなに大きなものを作り、1000万の資本金100万以外つまり900万円は全て私以外の方のお金ということですよね。
ですからこの方々に顔向けできない、いきなり第一期で潰れましたみたいなことは絶対にあってはならないわけですよね。
そこからですよ、はいやばいこれは本格的に頑張らないとまずいことになるぞというプレッシャーが11月1日が迫るにつれてですね、
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刻一刻と来るねこのオープンに向けて私の肩に胃にズンズンと重くのしかかってきたわけです。
ただしもうね着々と私の思いと裏腹にですね、ものは出来上がっていくわけなんですよね。
本当にねこの時はうわぁとんでもないことになってしまったというね、
ふうな気持ちが多少なりともあったと思います。
なんであの時やるって言っちゃったんだろうと。
やるって言ったらね、こういうふうなことになることは父の性格上わかっていたことなのに、
わかっていたことなのに私はイエスと言ってしまったんだとね。
イエスと言った以上はもうね、こんなところで逃げ出すという選択肢はないわけですよ。
やるしかない。もうね、やれることをやるしかないと思ったわけです。
でもね本当に不安でした。
だけどこの不安を共有してくれる人というのは周りにいなかったんですよね。
なぜなら私は同僚なんかもいなかったですし、
周りの人から見るとこんなにお膳立てをしてもらってやりたいことができる人、こんなに幸せな人なんていないんだから、
むしろ羨ましい恵まれてていいな、そういうふうに思われる。
で、党のね、父、ゴッドファーザーはですね、よし、側は整えたぞ、あとは思う存分やれという感じですよね。
唯一本当に大丈夫かしらと思っていたのは私の母ですね。
母も取締役ということで、この会社に入ることになっていたので。
なので私はこの不安な気持ち、やるとは言ったけれども本当にできるんだろうか、
1年持つんだろうか、誰か来てくれるんだろうか、初期投資回収できるんだろうか、
本当にね、とても不安でした。私にやっていけるんだろうか。
この気持ちを吐き出せる唯一の相手が、当時彼氏さんだった私の旦那さんだったんですね。
11月1日の1週間前、この店舗の床材を貼りながら、一緒に貼りながらね、
私が不安にどうしてもなってしまって涙を流していた時に、
その気持ちを旦那さんに話したことをよく今でも覚えています。
今でも同じ彼はスタンスだと思うんですけれども、
泣くならここで泣けと、後ろは守っておいてやるから前だけ見てやってこい、
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という風に言ってくれたんですよね。
その時に、ああ、結婚するんだったらこういう人がいいなって思ったのは覚えています。
はい、ということで今回はここまで。
次回はいよいよ運命の日、2009年の11月1日オープンの日がやってくる。
その時に私がね、11月1日ではなかったんですけれども、
その前にプレオープンのオープン記念パーティーを行ったんですけれども、
その時のことなどをお話ししていきたいと思います。
それでは今週はここまで。また次回続きは来週末にお届けいたします。
最後まで聞いていただきありがとうございました。