2023-09-05 23:48

《旅》父と娘のヨーロッパ旅行記⑳リューデスハイム🇩🇪~フランクフルト🇩🇪

⚠️スタエフ運営さんの方針により……今回から、広告が入ってくる模様です🙏💦

今回は20回目の配信となります🙇‍♀️🙇‍♀️😆😆

こちらの旅は、両親の結婚25周年記念㊗️🎉

家族5人でイギリス🇬🇧➡️スペイン🇪🇸➡️フランス🇫🇷を
旅した記録を父が日記に✍️(1~10回)

私と弟2人で
ベルギー🇧🇪➡️スイス🇨🇭➡️ドイツ🇩🇪を
旅した記録を私が日記に✍️(11回~)

纏めたものを読み上げています🍀*゜

私の書く《娘編》今回は……


【ライン川古城クルーズ】も
最終章になりました🚢

様々な古城が、絵巻物のようにゆっくりと
ライン川とともに眼下に流れてゆく風景が
少しでも伝わると良いなと思います😊

#なおちゃん先生の旅バナ
#父と娘のヨーロッパ旅行記

で、過去回お聴きいただけます💛

前回配信はこちら⬇️

《父と娘のヨーロッパ旅行記⑲》
マインツ🇩🇪~リューデスハイム🇩🇪

https://stand.fm/episodes/64db42616c6ad9459392bada

《父と娘のヨーロッパ旅行記⑱》
ルツェン🇨🇭~マインツ🇩🇪

https://stand.fm/episodes/64d35ff61b399d8d736f764a

《父と娘のヨーロッパ旅行記⑰》
インターラーケン🇨🇭~ルツェン🇨🇭

https://stand.fm/episodes/64c712d72fb6f68109710f84


《父と娘のヨーロッパ旅行記⑯》
ミュンヘン🇩🇪~インターラーケン🇨🇭

https://stand.fm/episodes/64bcf410ce425f740aaf76c7


《父と娘のヨーロッパ旅行記⑮》
フュッセン🇩🇪~ミュンヘン🇩🇪

https://stand.fm/episodes/64af97157145ce8f0490806f

《父と娘のヨーロッパ旅行記⑭》
ローデンブルク🇩🇪~フュッセン🇩🇪

https://stand.fm/episodes/64a7662af345d1e512de23c4

《父と娘のヨーロッパ旅行記⑬》
ヴュルツブルク🇩🇪~ローデンブルク🇩🇪

https://stand.fm/episodes/649cd50a45ca954a414be9d7

《父と娘のヨーロッパ旅行記⑫》
ブリュッセル🇧🇪⇒ヴュルツブルク🇩🇪

https://stand.fm/episodes/648eb6b24b9429ea673303ff

《父と娘のヨーロッパ旅行記⑪》
パリ🇫🇷⇒ブリュッセル🇧🇪
https://stand.fm/episodes/648c118407d882ba0093e98b

《父と娘のヨーロッパ旅行記⑩》

https://stand.fm/episodes/647d8b60d369e47ca932ee96


《父と娘のヨーロッパ旅行記⑨》

https://stand.fm/episodes/645122ec65947b1837bbd2de



BGMは…… 💛💛💛
《ドイツ》🇩🇪

ハッピーピアノヒーリング🎹✨あきよさん

https://stand.fm/channels/60b60ea1b82bc5e1f34fd948

オリジナル楽曲です🥰

※モンブランパーク師匠🌰が、昨年配信した旅行記のKindle本《104日間世界一周の船旅🚢🌏》
を朗読スタートしてくださいました⬇️

https://stand.fm/episodes/64ce14a62571f4183e4b4ebb


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犬のトレーニングの実践🐕話、犬業界の裏話、アニマルコミュニケーション等は、《メンバーシップ限定》でお話しています❣️

https://stand.fm/channels/5fd49189dd3aea937b455b50
00:06
こんにちは。横浜で15年以上、犬の保育園の先生を行っている、なおちゃん先生と申します。
本日は、父と娘のヨーロッパ旅行記、20回目をお送りいたします。
こちらの旅行記は、私の両親が、金婚式・結婚25周年の記念に、家族でヨーロッパを旅行した時の記録になります。
前半の日記を父が、後半の日記を私が書いて、帰国してから一冊の本にまとめたファミリーヒストリーになります。
こちらの配信では、1回から10回目を父の日記、そして10回目、11回目から今までを私の日記を、私が1日ずつ読んでいます。
今回は20回目ということになります。早いもので、もうあと残りが2回になってきました。
全22回になるかなと予想をしております。
今回は、ライン川下り、リューデースハイムからフランクフルト、私の一人旅日記としては、第10日目、12日目ですね。
8月29日の様子をお伝えいたします。
それでは、早速読んでいきたいと思います。
リューデースハイムからフランクフルト、ライン川下り、絵本をめぐる船旅、とうとう私の旅の最終ハイライト、ドイツ最後の日、楽しみにしていたライン川クルーズの後半である。
午前6時頃まで一度も目覚めずにぐっすりと眠った。
寝寝をしてから起きるともう8時近かった。
雲は多いものの、窓の外にはうっすらと青空が覗いていた。
今日のライン川クルーズは期待できそうだなと思いながら、朝食をとりに買い換え。
ここのオーナーさんはドイツ語しか話せないということで、残念ながら会話らしい顔をすることはできなかったが、意思疎通のできないこんな私に親切にたっぷりと朝食を振る舞ってくれた。
ドイツには珍しい甘めのふわふわのパンやレーズンの入ったテーブルロールが、一人分には大きすぎるカゴに山盛りにされ、その味は日本のパンを思い出させた。
鶏の形に合われたエッグカバーの下からはちょうど良い茹で加減の卵が顔を覗かせ、ハム、サラミ、チーズなどを次々出してくれる。
何しろこの時点ですでに持ち金3.2ユーロ以下。
03:02
日曜日だし訪れるのは小さい街ばかりで、両替機はもちろんATMさえも見つかるかどうか不安ということで、足された朝食はできる限り詰め込んだ。
お腹と同じぐらいに膨らんだバックパックを担いで、さあ出発。
昨日洗ったベージュの血のパンが乾いていなかったため、みっともないなと思いつつ、バックパックの上にくくりつけて出かける。
こんなことしている人はまずいないだろうなと思いながら。
もう一度ニーダーワルトの丘からの景色を目に収めておこうと思ったけれど、このバックパックを背負ってブドウ畑の間の坂道を登るというのは予想以上につらく、
10時15分のライン川クルーズに間に合わないと思った。私は大きく半円を描くような散歩コースに変更した。
終点は船着き場のそばだったのでちょうよかった。
リューデスハイムからはたくさんの観光客が乗船し、日本人団体の観光客の姿も見られた。
船に乗る直前になって丘の向こうから灰色の雲が沸き出した。
やや不安になったものの依然として青空も広がっている。
とにかく雨だけは降らないでほしいと神様に祈る気持ちで空を見上げる。
すぐ隣のビンゲンで降りる予定だったが、予定を変更してドイツ最古のワインの祭りのある小さな町、バッハラッハで船を降りた。
特にワインが好きだからというわけでもないんだが、時間の流れから取り残されてしまったかのような小さくおとぎ話に出てきそうな町並みと山の上にそびえる古城が私をこの町に導いたのだ。
船の上からでも小さい町なんだろうなと思っていたのだが、降りてみるとバッハラッハは本当に小さな町だった。
傾きかけているのかと思うような木組みの古い家々が路地の合間にひっそりとたたずんでいる。
中には1532年と書かれた家もあって驚きと称賛の念を隠せない。
それらの多くはホテルやレストラン、中には両方を兼ねているところもあって、カフェになっていたり同じくらいの歴史を刻んでいるのであろう、
趣向を残らされた可愛らしい看板が軒下げに下がっていた。
何十年何百年と変わらないこの町の歴史を刻みつけてきた家々の窓辺や庭には遥か昔から季節とともに何度も繰り返し飾られてきたのであろう、
花々によって彩られていた。
変わらないものと移り変わるもの、そのコントラストが遠い異国からやってきた私を時間の迷路の中に誘い込む。
私は無優描写のように古い家々とあふれる花々、石畳の路地を歩いていた。
06:05
日曜日の午前中、この小さな町の人々は一体どこに行ってしまったんだろうと思うほど出会わなかったが、
町の中心ともいえるちょっとした広場に出るとようやく人々が遅い朝食をカフェで取る姿を見つけた。
私は一軒の木材工芸品のお店で、おじいさんに名前とベージュ祝いのハンガー、両親の銀行式記念用にワイン盾を買った。
いいお土産ができた。
12時15分の船に乗り込み、バッハラハに別れを告げ、ザンクとゴアスハウゼンまで1時間15分のクルーズを楽しむ。
リューデスハイムからバッハラハまでの間にも、ネズミの塔やブドウ畑の中腹にそびえるエーレンフェルス城跡、
大岸のゾーネック城、今は郵送ステルとして使用されているというバッハラハのシュターレック城といくつもの古い城がライン川のゆったりとした流れとともに現れては消えていった。
昨日までの大雨のせいで、ライン川はとても清流とは言えない色であったが、ゆるやかなカーブを描いて山から谷へ、町から町へと流れるこの大河が、
こうした美しい風景、古城建造の歴史とそこにまつわる伝説を作り上げてきたのだ。
雲の流れもこの大河の水と同じようにゆるやかに流れ、移り変わり、一刻としてとどまっているものはない。
光と影、水の流れが織りなす壮大な風景がはいつまで流れていても、飽きることなくこのままずっとデッキに座っていたいと思わせるのに十分なものだった。
バッハラッハからのクルーズは、この魅力的なライン川クルーズの中でも最も人気のある名所コースである。
リューデスハイムからザンクトゴアスハウゼンまで、この間だけを行く団体客も多いらしい。
まだ時間がたっぷりとあるので、ザンクトでも一度船を降りてみることにした。
ザンクトゴアスハウゼンで降りる前に、いくつかの古城を眺め、
このライン川クルーズでも最も有名な名所の一つであるローレライの岩を通り過ぎた。
ローレライ伝説はドイツの詩人ハイネによって有名になったものだそうだが、
もともとこの場所は岩床が多く、急なカーブから来る見通しの悪さも手伝って、船が多くナンパしたのでそこから生まれたものだそうだ。
なるほど、ローレライの岩は今までブドウ畑の広がるなだらかなお丘陵地帯ではなく、切り立った岸壁になっているのだ。
09:01
対岸の壁面と幅もぐっと狭まり、急カーブを描いている。
船のことなどまるでわからないお察しでも危険そうだなと感じ取れる場所である。
伝説ではこの岩の上に現れる美女、
妖精ローレライが奏でる音楽と歌声に惑わされた船乗りたちは、舵を取り損ねてナンパするという筋書きだ。
この恐ろしげな危険地帯からよくもそんなロマンチックな伝説が浮かび上がったものだと思う。
ローレライ伝説に思いを馳せていると本物のローレライがお出まし、
と言っても観光客用の観光船、船族のローレライちゃんだが、
残念ながら彼女と相棒の楽器奏者は到底乗客たちをうっとりさせることはできなかったようだ。
しかもローレライは歌を歌わず紙を櫛で解く仕草をしながらただ歩くだけ。
一体何だったんだろう。
ローレライの岩を過ぎてすぐ、ザンクトゴアスハウゼン
と聞こえたようなアナウンスがしたので降りてみたら一つ前のザンクトゴアルであった。
目的地であった対岸の町ザンクトゴアスハウゼンとは姉妹都市であるが、
こちらの方が小さく訪れる人も少ない。
とは言ってもゴアスハウゼンにあるローレライの岩、
その隣の崖の中腹ほどに立つ猫城、下ったところにあるネズミ城までもよく見渡せて怪我の光明というべきか。
あれだけ食べたのにもかかわらずお腹の空いた私はとにかく残りの3.5ユーロで何か食べられるもの、そしてATMを探してうろうろ。
小さな町のたった一本の石畳のメイン通りには土産物屋とレストラン、カフェが並ぶ。
日曜日ということもあって半分くらいの店は閉まっていた。
日本なら日曜こそ空いているものだがここは違う。
日曜日の午後の日差しは暖かくこの小さな町に降り注ぎ観光客たちがオープンテラスのレストランでカフェやランチ、ティータイムを楽しんでいた。
私は一人。生乾きの血のパンをぶら下げた巨大なバックパックを背負い、あっちへうろうろ、こっちへうろうろ。
ローカル線の駅のそば、メイン通りから少し入ったところに一軒のカフェを発見した。
ドイツ語がからっきしだめな私でも旅をするうちにコーヒーとケーキはわかるようになっていたので、
ケーキコーヒー2ユーロの文句に惹かれそのカフェに入っていった。
あとわかるようになったのは駅、ホテル、トイレ、そしてたくさん見てきた城。
ただし発音はわからない。
お客さんなのかお友達なのかよくわからないおじさんと店主夫婦らしい2人3人の人が店の中でトランポをしていた。
12:00
あとはやたらに吠えまくる洋服者アテリアだ。
私がおそろおそる店のドアを開けて中に入ると、3人は一気に動きを止め、こちらを振り返った。
私は一瞬、混ざったかなーと思った。
ケーキはショーケースに2種類しかなく、それもまた混ざったーと思った理由の一つであった。
しかし私が選んだ焼きリンゴのケーキは絶品で、コーヒーはぬるかったがケーキは本当においしく、
まだほんのりと温かかったからきっと焼きたてだったに違いない。
最初はけげんそうな顔をしていた女主人も会計の時にATMの場所を聞くと、実に親切に教えてくれた。
使えるかなーと思いながら教えてもらったATMにカードを入れてみるとちゃんとお金を引き出せた。
これで残り0.5ユーロの危機的状況を打開できた。
調子に乗っておいしそうなパンやケーキ、焼き菓子の並ぶパン屋でプラムのタルトを買ってしまった。
ライン川沿いに走る遊歩道のベンチに座って日差しを浴びながらゆっくりといただく。
こちらはあまりおいしくなかったが、ライン川の流れを眺めながらゆったりとした時間を過ごすことはとても贅沢なひとときであった。
サンクト5Rの山の上にも古城ホテルとしてガイドボンにも乗っているラインフェルス城がある。
下から見上げるとかなり高い位置にあることがわかり、ずっと上り階段のようだ。
上ってみようかとも思ったが、なんといってもこのバックパックを背負ってでは文字通り荷重すぎるので断念した。
弟の名言通りバックパックを下ろすと見える世界が違うというのは本物だ。
15時55分のコブレンツ行きの船が来るまで、私は対岸の猫城とネズミ城、両方が見渡せる川沿いのベンチで爽やかな谷間の風と流れる水音、
行き交う人々と船、移り変わる空の色を楽しんでいた。
再び船に乗ってライン川クルーズの終点地コブレンツへ。
クルーズもハイライトを過ぎ、乗り降りする人の数も少なくなってきていた。
サンクト5Rからコブレンツの間にもたくさんの古城が現れては消えていく。
一人の女性を巡って争い合った二人の王子の伝説が残る、
シュテレンベルクとディーヴェンシュタインの二つの古城が高い山の頂に並んで建てられている姿は、競い合う二人の姿を想像させた。
1200年代に建てられてから一度も破壊や災害に向き込まれたことがなく、その当時の姿を完全に留めている貴重な
マルクスブルク城はブラウワンハの古びた家々と相まって、
ライン川の向こう側で時間の流れから切り離されてしまったかのような印象を受けた。
コブレンツにほど近いライン川クルーズの最後の古城は、黄色みがかった凹凸の塔の壁面が美しい。
15:03
シュトルツフェルンス城。
この城もライン川を見下ろしながらいくつもの時代を越えてきた古ツアモノであった。
まるで本の世界を、ページをゆっくりとめくるが如く、次々と小さな町や古城を眺め、
それぞれに思いを馳せながらライン川クルーズの夢のようなひと時は過ぎていき、
船は18時ちょうどにコブレンツの船着き場に到着した。
コブレンツは約2000年もの歴史を持つ。
父なるラインと母なるモーゼの二つの大河がぶつかる重要な場所。
古くから栄えてきた大きな町だ。
その面影は今日にも伝えられ、今まで私がめぐってきたライン川の小さな町とは比べ物にならないほど大きな都市である。
二つの河の交差点は巨大なエルヘルム2世の像が立っていて、
その広場は観光客のみならず地元民の憩いの場であるようだった。
対岸の丘の上にはエールバッハ城斎がその堅固な姿を見せていた。
私は観光もそこそこに駅に向かうことに。
ガイドブック通り船着き場から駅までは相当離れていた。
20時48分の電車でフランクルートへ、そして22時55分の夜行列車でパリに向かうつもりでいたので、
駅前のマクドナルドで時間をつぶしがてら夕飯をとる。
ドイツ最後の夜だというのに、それらしいものといえば屋台で買ったプレッツェルだけだった。
はい、ということで今回が旅行記20回目、そしてひとりきりドイツの最終日となりました。
ユーデスハイムからライン川古城巡り、そしてフランクルートまでの道のりをお話しいたしました。
何度もお話をしているようにこの旅行記をきちんと読み返すのは本当にこの旅行記を書いたとき以来じゃないかなというぐらい久しぶりなんですね。
なので私の記憶からは全く抜け落ちていることがたくさんありました。
特に私が読んでいてびっくりしたのは、バックパックに生乾きのシノパンをくくりつけて干しながら歩いていたという20代そこそこの女子が。
なかなかシュールな絵ですよね。
これインドとか東南アジアだったらまだわかるんですけれど、
ヨーロッパのハネムーンとかフルムーンとかに人気のあるライン川古城巡りで、シノパンを乾かしながら歩いている20代前半の女子一人旅。
こんなにシュールな画像はなかなかないんじゃないかなと思いながら自分で読んでいてもらってしまいました。
18:05
本当にこういうところがなんというかなという感じですね。
このライン川のクルーズ最後の日なんですけれども、この風景というのは非常によく覚えています。
現れる次々と現れては風景の中に溶け込んでいく崩れかかったような古城の数々。古城というのは古い城と書いて古城と読むんですけれども。
ライン川古城巡り、本当に美しい優雅な平和な時間が流れていました。
それぞれのお城にもいろんな伝説があってね、特に猫城、猫はキャットの猫ですね。
猫城とネズミ城というのは川下と川上に並んで立っているんですよね。
猫城の方が大きくて川下にネズミ城が確かあったと思うんですけれども。
猫がネズミを睨んでいるというような構図になっていたりして、面白いなと思っていました。
そしてローレライの伝説の残りは、私はこのローレライ伝説の岩、ローレライ岩、非常に楽しみにしていたんですけれども。
本当にそんなに他のお城とかよりもただの岩ですから、そこまで見ごたえがあるものではなかったんですけれども。
これが有名なローレライ伝説を生んだ岩なんだということに非常に感銘を受けたことを記憶しています。
この日も最初はお天気が非常に不安定だったんですけれども、見る見る間に雲が多めでありながらも青空が見えて、
ライン川のゆったりとした流れとともに雲が景色の中に流れていって、とても贅沢な時間だなぁと思いながら過ごしていました。
この旅のお話を読んでいて思うんですけど、本当に若かったなぁと思いますね。
この日も結局ライン川クルーズそんなに歩かなかったんじゃないかなと思うんですけれども、
こちらのコブレンツに降りて、そこからフランクフルトまで移動しておりますからね。
この移動のこともあるんですけれども、やっぱりドイツは女の子、20代前半なので女の子ということで許していただきたいんですけれども、
言葉の不自由な20代女性一人旅が夜行列車に乗るために訪れてもそんなに不安を感じることがないような、
治安のいい都市ではあったのかなというふうに思います。
もちろん治安が悪い場所もあったと思うんですけれども、
それでも何一つそういった危険を感じることなく旅をして無事に旅が終われたことは、
21:04
さすがヨーロッパっていうこともあるのかなと思いました。ドイツということもね。
この旅行記の中でですね、本当にたくさんお城の名前とか地名が出てくるんですけど、非常につまずきましたね。
特に最後のね、シュトルツンフェルス城、難しかったですね。
テイク3ぐらい読んだんですけど、やっぱりつまずいてしまいました。ドイツ語難しいですね。
この後フランクフルトに行ってそこから夜行列車でパリに行く。若いですね。
さすが20代前半と思いました。
おそらくこの頃には干していたチノパンは乾いていたに違いないと思います。
さすがの私もね、大都市ではチノパンをバクバクにしまったんじゃないかなというふうに思っていますけれども、そこは書いていなかったですね。
まさかね、この旅はグルメでしょうといって名物を食べ歩くことに命を燃やしている私が、フランクフルトのドイツ最後の夜にマクドナルドで妥協したというのはね、ちょっと私としてもかなりびっくりでしたね。
きっとかなり疲れていたんでしょう。
まあね、とはいってもですね、実は各都市でね、マックには立ち寄っています。
というのもやっぱりね、全世界にあるお店、チェーン店だからこそ、それぞれの国で少しずつね、レギュラーメニューが違ったりして、ご当地限定みたいな感じでね、またそれはそれで立ち寄ってみるのも意外に楽しかったりするんですよね。
実はこの後の旅行記でお話しする予定であるインドでもね、マックには立ち寄っています。
ということで、今回はドイツラインガークレーズの最後、そしてドイツの旅の最後の日をお伝えいたしました。
次回は21回目のヨーロッパ旅行記になります。
夜行列車でフランクフルトからパリに着いて、パリで私は一泊するのかなと思います。
一泊してロンドンに行って戻るんですけれども、次回は11日目、私の旅行記では11日目、パリですね。
気分は勝手にパリジェンヌというタイトルがついておりますけれども、そちらをご紹介、読んでいきたいと思います。
それでは今回も長々と最後までお聞きいただいた皆様ありがとうございました。
23:48

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