2023-08-10 16:47

《旅》父と娘のヨーロッパ旅行記⑱ルツェルン🇨🇭~マインツ🇩🇪


今回18回目の配信となります🙇‍♀️🙇‍♀️😆😆

こちらの旅は、両親の結婚25周年記念㊗️🎉

家族5人でイギリス🇬🇧➡️スペイン🇪🇸➡️フランス🇫🇷を
旅した記録を父が日記に✍️(1~10回)

私と弟2人で
ベルギー🇧🇪➡️スイス🇨🇭➡️ドイツ🇩🇪を
旅した記録を私が日記に✍️(11回~)

纏めたものを読み上げています🍀*゜

私の書く《娘編》今回は……

「雨のスイス、やる事なし」
の言葉を何とか払拭できた、
ルツェルンのピラトゥス山登り🗻

3姉弟の旅路はここで終了👋

これから最終回のパリまで、
ひとり旅の記録となります✍️

次回はスイスから再びドイツ🇩🇪
《ライン川古城巡り》へ‼️


#なおちゃん先生の旅バナ
#父と娘のヨーロッパ旅行記

で、過去回お聴きいただけます💛

前回配信はこちら⬇️

《父と娘のヨーロッパ旅行記⑰》
インターラーケン🇨🇭~マインツ🇩🇪

https://stand.fm/episodes/64c712d72fb6f68109710f84


《父と娘のヨーロッパ旅行記⑯》
ミュンヘン🇩🇪~インターラーケン🇨🇭

https://stand.fm/episodes/64bcf410ce425f740aaf76c7


《父と娘のヨーロッパ旅行記⑮》
フュッセン🇩🇪~ミュンヘン🇩🇪

https://stand.fm/episodes/64af97157145ce8f0490806f

《父と娘のヨーロッパ旅行記⑭》
ローデンブルク🇩🇪~フュッセン🇩🇪

https://stand.fm/episodes/64a7662af345d1e512de23c4

《父と娘のヨーロッパ旅行記⑬》
ヴュルツブルク🇩🇪~ローデンブルク🇩🇪

https://stand.fm/episodes/649cd50a45ca954a414be9d7

《父と娘のヨーロッパ旅行記⑫》
ブリュッセル🇧🇪⇒ヴュルツブルク🇩🇪

https://stand.fm/episodes/648eb6b24b9429ea673303ff

《父と娘のヨーロッパ旅行記⑪》
パリ🇫🇷⇒ブリュッセル🇧🇪
https://stand.fm/episodes/648c118407d882ba0093e98b

《父と娘のヨーロッパ旅行記⑩》

https://stand.fm/episodes/647d8b60d369e47ca932ee96


《父と娘のヨーロッパ旅行記⑨》

https://stand.fm/episodes/645122ec65947b1837bbd2de



BGMは…… 💛💛💛
《ドイツ》🇩🇪

ハッピーピアノヒーリング🎹✨あきよさん

https://stand.fm/channels/60b60ea1b82bc5e1f34fd948

オリジナル楽曲です🥰

※モンブランパーク師匠🌰が、昨年配信した旅行記のKindle本《104日間世界一周の船旅🚢🌏》
を朗読スタートしてくださいました⬇️

https://stand.fm/episodes/64ce14a62571f4183e4b4ebb


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#兄弟
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犬のトレーニングの実践🐕話、犬業界の裏話、アニマルコミュニケーション等は、《メンバーシップ限定》でお話しています❣️

https://stand.fm/channels/5fd49189dd3aea937b455b50
00:05
こんにちは、横浜で15年以上犬の保育園の先生を行っている、なおちゃん先生と申します。
はい、本日は父と娘のヨーロッパ旅行記第18回目になります。
こちらの旅行記は、私の両親の結婚25周年を記念して、家族でヨーロッパを旅行した時のファミリーヒストリーになります。
前半1回目から10回目を父が日記を残したもの、11回目からは私が日記を残したものになっています。
これら2人分の日記を帰国してから、一冊の本にまとめ上げたものを、18回にわたって朗読をしております。
今回はね、18回目ということで、8月27日金曜日の旅行記をお届けしたいと思います。
前回は、スイスのルセンというところにわたりたちが行ってお話をしました。
もともとはインターラーケというところで、アルプスに近いほど近いですね、風光明媚なハイキングやトレッキングのメッカのところ、町なので、
そこでちょっとしたね、ハイキングをしようかなという話をしていたんですが、
雨のため何もすることがなくなってしまって、早めに大きな町ルセンに移動したのでした。
そしてですね、ルセン2日目となります。
それでは始めていきたいと思います。
私の旅行記としては第8日目になりますね。
この父と娘のヨーロッパ旅行記は第18回目となります。
前の配信、以前の配信を聞きたいよという方は、
ハッシュタグ父と娘のヨーロッパ旅行記ですべて聞いていただきますので、
もしご興味がある方はぜひ聞いてみてください。
またですね、モンブランパークさんが、私が昨年にわたって配信をしてまいりました。
104日間世界一周の船旅、配信をKindle本にしたものを一冊ずつ朗読をしてくださっています。
そちらもよかったら聞いてみてくださいね。
それではスタートしていきましょう。
8月27日、金曜日。
雲の山、ピラトスへ。
朝6時40分。
弟のセットした目覚ましゅん、気たたましくなって飛び起きる。
早くも胸がドキドキしている。
おそろおそるカーテンを開けて窓の外をうかがう。
あたりは未だ薄暗く、雨は降っていないようだったが、
晴天とはほど遠い空模様である。
テレビで各地の天気予報を見ていると、
昨日は雨のために断念せざるを得なかったシェルトホルンホーとニューグラム予報が
03:02
さんさんと朝日を浴びて、光合しく輝いている中継が飛び込んできた。
「くぅ、一日遅い。」と一度はぎしり、
半ばあきらめがちやけっぱちになりながらも朝食を済ませてホテルを出る。
すると空には太陽。
虚無が多いものの青空も顔を覗かせ始めたではないか。
「おお、これはいけるかも。」と嫌顔にも期待に胸は膨らむ。
大急ぎで荷物を駅のロッカーに入れ、
湖を横切る遊覧船乗り場へ。
この船に乗ってピラトス山のふもと、登山電車の乗り場まで行くんだ。
乗り込むとまもなく船は静かな朝の湖へと滑り出した。
依然として雲は多いものの青空と太陽が湖水をきらめかせている。
山あいに低く残った雲がまるで何かの生き物かのようにぽっかりと湖面の上に浮かんでいる様はとても不思議だ。
ピラトスはどれだろうと湖を取り囲む高い山々を見回していると、
二三度波止場に泊まった後に船はアルピナハシュタットの船着場に到着した。
ここから登山電車に乗るのだ。
数あるスイスの登山電車の中でもここのものは第二番目に古い歴史を持ち、傾斜角度は第一位を誇る代物。
私たちは真っ赤な階段状の登山電車に乗り込んだ。
箱根のケーブルカーなんて比較にならない。
なんていったって一番下の乗客の姿が全く見えないのだ。
私たちは上から三番目の席についていた。
40分で高さ約2100メートルまで登る登山電車はどんなものだろうと私はワクワクしていた。
その期待を全く裏切ることなく、電車は信じられないほど急な傾斜をゆっくりと登っていくのだ。
進行方向に向かって座っていた私の席からは、船頭の運転手越しにほとんど垂直ではないかと思うような線路が見えてきて、
それだけでもひやひやびっくり。
傾斜角度48度の表示が見えてきて、この線路を知ったとき人々はどれほど苦労をしたのだろうかと考えてしまった。
急斜面をゆっくり登って森林の中を過ぎるといきなり視界が開けた。
おそらく森林限界を越えたのであろう高い木々は姿を消し、
低木や苔、鉱山植物と大きなごつごつした岩と崖の世界へ電車は進んでいく。
狭い岩のトンネルを抜けて、列車はようやくピラツス山の山頂に着いたのであった。
06:04
降りてみるとさすがに空気が冷たい。ここは標高2137メートルの高地。
幸いにも少し雲はあるものの美しい青空と素晴らしい光景が眼下に広がっていた。
私たちは山頂の散策コースや展望台へと登って、やっとスイスへ来たという実感を味わったのであった。
伝説によるとこの山はキリストを処刑したポンテオ・ピラツスの亡霊が出るという理由で
近年まで乳酸が禁止されたというそんな驚々しい伝説を間に受けることができないほど
山頂付近に広がる大パノラマは素晴らしかった。
ここからはスイスの山と湖に彩られた複雑で美しい地形の様子がよくわかる。
ぽっかりと浮かんだ雲のおかげで私たちが滞在した町、ルゼンはとても見えなかったが
雲が眼下に見える光景というものはめったにお目にかかれるものではない。
とても奇妙な気分だった。
私は今日中にドイツライン川古城巡りのハイライトの町リューデスハイムまで行くつもりだった。
十一時十五分のゴンドラに乗って束の間の天上会に別れを告げる。
ゴンドラの乗客は我ら三兄弟だけで一気に山頂から途中の路上乗り場まで降りる。
まるでジェットコースターだ。思わず足がすくむ。
ゴンドラは湧き出た霧の中へ突入。視界は真っ白になった。
霧を抜けるとそこはもうロープウェイ乗り場だった。
乗り継ぎをする前に外の山小屋風のカフェでホットドリンクをオーダーし
持ってきたチーズケーキで早めの昼食をとる。
山頂とはまた違った風景が楽しめた。
そのうちピラトゥス山の頂上が灰色の雲に覆われはじめ
いいタイミングだったねとほっとした。あそこはもう雨の中だ。
ロープウェイとバスを乗り継いで留前に戻り
コインロッカーから荷物を取り出して私は駅のホームへ向かう。
弟二人との三兄弟の旅もここでおしまい。
それでは次は日本で再会だねと
互いの無事帰国を祈って手を振り別れた。
私にとっても彼らにとっても兄弟だけの旅というのは初めてだったが
実に楽しいものであった。
両親はいなかったがその分成長した弟たちに
肉体的精神的にも支えられ
我が弟たちながらたくましく頼りになる存在になってきたなと実感。
私が一番年下に見られてもまあ仕方ないか。
さてここからは一人旅。
気を引き締めていかなくてはと思った矢先に
途中の駅で電車が大幅に遅れてしまった。
どうやら事故のようだ。
09:00
少し予定が狂いリューデスハイムに行くのを諦めて
今夜はライン川下りの観光船が出るマインツに宿泊。
明日はリューデスハイム。
そしてあさって29日の夜行列車でパリへ向かい
30日パリに宿泊という計画に落ち着いた。
マインツで降りて29日のフランクフルトから
パリ行きの夜行列車を予約し
町へ出る頃にはもう19時近かった。
なんだかとてつもなく疲れてしまった私は
重い荷物を背負って
一人で宿を探し回るのが面倒になってしまった。
55ユーロもする駅前のホテルに宿泊することになった。
頭がよく回らずもうここでいいやと挫折。
明日はリューデスハイムで安くていい宿を探そう。
なぜかやっていたドイツ語版もののけ姫を見ながら
眠りについた。
はい、ということで今回は
父と娘のヨーロッパ旅行記第18回目
列園からマインツへをお届けいたしました。
ここでね、我ら三兄弟はようやくスイスで
スイスらしい観光ができたという感じになっております。
このピラトゥス山というのは
私もね、よく覚えているんですけど
とにかく山頂がめちゃくちゃ寒かった。
それを非常によく覚えています。
もう少しね、時間的に余裕を持って
滞在したかったなというところではあったんですけども
まあまあ急遽ね、登った山だったので
何もね、した準備ほとんどなく行ったのでね
今だったらね、いろいろインターネットで
地点情報とかね、フォートラベルとかでね
どんなものが周りにあるかとかね
見どころとかわかると思うんですけども
まあなんせ地球の歩き方しかね、手元になかったので
その情報を頼りに行きました。
この時ね、本当に市内のバスとかに乗ったんですけど
とにかくこのピラトゥス山から
ルチェンの町に帰る間のバスですね
路線バスが非常に混んでたことを
なぜかそれをすごく鮮明に覚えています。
はっきり言ってこの時に湖を
ボートで船でね、渡ったとかね
一切記憶にないので
これを読みながら
あれ、この時に船に乗ったんだっていうことね
思い出したというかね、知りましたね
はい、それとですね
まあ旅の記憶っていうのは
数十年経つとね
覚えていることというのが断片的になるんですよね
またですね、もちろん楽しかったこととか
ハプニングとかね、嬉しかったこととか
感動したこととか
そういったことも思い出すものだと思うんですけれども
突然ね、本当に何気ないことも
よく覚えたり思い出したりするんですよね
その路線バスが非常に混んでいて
乗れるんだろうかと思いながら
12:00
ドキドキしながらね
前から乗ったらいいのか後ろから乗ったらいいのか
迷ったっていう記憶も
もちろんさながらなんですけれども
もう一つこの時に
非常にこの章でですね
思い出されるのが
このもののけ姫
もののけ姫がね
もうよく覚えてるんですよ
もうこのリューデスハイムにたどり着けなくてね
マインツという町で一泊したんですけれども
マインツのホテルに着いて
シャワーを浴びてね
やっと寝れると思って
ただね、なんとなく
まあ疲れがピークに達していたのか
寝つけなくて
テレビ、部屋にね
ついてるテレビパッとつけたら
なんか日本でいう金曜ロードショーみたいなやつだったのか
わかんないんですけど
もののけ姫の映像が飛び込んできて
まさかね、そんな
ドイツの一地方都市で
もののけ姫を見ると思わなかったので
もののけ姫は
ドイツ語で何て言うんだろう
それだけ見たいなと思いながら
ベッドに横をたわりながらね
画面を見ていて
プリンセス・オブ・モノノケ
って言ってたのだけを非常に鮮明に覚えてますね
あっ
ここは英語なんだ
プリンセス・オブ・モノノケって言うんだな
そのまんまやんけと思いながら
眠りについたことを非常によく覚えてます
なんで
なんでここの記憶なんでしょうね
記憶の構造って謎ですね
はい、この辺
ミネソタでね
脳の研究をしていらっしゃる
コーチさんあたりに
いつか聞いてみたいと思いますね
どうして
なんか刺激的なこと
印象的だったことではなくて
こんなわけのわからないことを急に思い出したり
ずっと覚えていたりするんでしょうね
脳の構造ってすごく不思議です
はい、ということで
本日は
父と娘のヨーロッパ旅行記第18回目を
お届けいたしました
次回はですね
ライン川下り
ライン川古城巡りですね
ロマンチック街道一人旅ではなくて
今度はライン川下り
ライン川クルーズ古城巡り一人旅になります
残すところですね
おそらくあと3回ぐらいの予定です
弟と3人の旅は
これが最初で最後かもしれない
というようなことを書いてあったんですけれども
実は実はこの数年後に
弟2人と
あとですね
もう1人私の友人と4人で
謎ですよね
これも謎だと思いますけど
4人でですね
再び旅行することがありました
弟と私の友達
4人どこへ行ったかというと
インドです
これもまた謎ですよね
はい、その時ね
私はインド2回目
弟たち2人はインド初体験
初体験でしたね
15:00
友達もインド初体験でした
その当時はですね
一番下の弟がタイの留学を終えて
帰ってくる時だったか
ちょっと定かではないんですけれども
タイに留学をしていたんですね
うちの弟は1年間
その時に
タイの南部のトランという
非常に小さな町なんですけれども
そこに留学をしておりまして
私の友達
私の友達というか正確に言うと
一番最初に友達になったのは母なんですよね
それも謎ですよね
私と同い年ですからね彼女は
その辺は難しいことを省いてですね
当時彼女がタイで
駐在の旦那さんにくっついて
タイに駐在していたんですね
駐在員妻をしていたわけです
バンコクでね
そしてタイ旅行を
その時も家族でタイを旅行して
バンコクに最後戻って
バンコクから両親はまた
またまたこのパターンですね
両親はバンコクから
日本に帰国
そしてそのままですね
私とそのバンコクで打ち合った彼女
そして弟たち2人は
そのままインドへ行くという
まあこれもね
あのむちゃくちゃな計画の旅ですね
これも大変でしたね
はい
それは1週間ぐらいだったかな
と思うんですけれども
1週間か10日間か忘れましたけど
そんなインドの旅もありました
はい
ということでね
インドの話は置いておいて
今回はドイツ
スイスからドイツに入ったよ
というところで
旅の様子を置いていきたいと思います
それでは今回も最後まで聞いていただき
ありがとうございました
16:47

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