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こんにちは。横浜で15年以上、犬の保育園の先生を行っている、なおちゃん先生と申します。
先日は、サラ先生とのコラボライブにお越しいただいた皆様、ありがとうございました。
今日は、108日間世界一周の船旅🚢🌎✈
待望の続編ですね、ベトナム🇮🇳ダナン編をお届けしようと思います。
少しですね、昨日から喉を痛めてしまいまして、控えめな声になっております。
さて、5月2日木曜日に、春見浮島を出航し、5月6日6時に上海に入港、翌7日の8時21時にですね、最初の起航地、上海を出航しました。
そして、丸3日間の航海を経て、船は東シナ海から一路、南シナ海へと向かいます。
1日ごとに、海の色は明るく、空気は湿り気を帯び、太陽の力が増していき、気温は高くなっていく。
この1日ごとに少しずつ朝起きると、気温や海の色、空の色、太陽の力と、星の見え方、風の匂いが変わっていくという感覚は、船旅ならではのものだと思います。
5月11日土曜日の朝、南北に細長いベトナムのちょうど中部に位置する町、ダナンに入港。
2番目の起航地に着いた日の朝、この日も私は喉が痛くてちょっと嫌な感じ、と日記に記載がありました。
通常、クルーズでは翌12日に出港予定なのですが、私はここで離脱のオプショナルツアーに乗ることに決定していました。
ベトナムはダナンで下船をし、そのまま隣国カンボジアの有名な世界遺産、アンコールワッドと遺跡群を巡るオプショナルツアーに申し込んでいたのです。
船はそのまま先へ進み、アンコールツアーメンバーは15日にシンガポールで船に合流するという予定でした。
離脱組は下船前にホールに集まって、ツアー主催のガイドからツアーの概要や説明を受けてから下船します。
下船とともにすごい湿度と暑い空気がまとわりつきました。
うわっ、南国だな。気温も高いし、日本の夏の方がもっともとよっぽどマシと思ってしまうほど。
でもこれが東南アジアというもの、アンコールワッドはもっとジムジムしていて、とにかく暑いらしい。
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気合い入れなきゃバテちゃうな、と下船直後の感想を日記に書いていました。
アンコールの離脱組は全部で41人、もちろん若者もいるけれど少なくて7人ほどでした。
私より若い子は男の子が一人と書いてあって、うまくやっていけるかなと不安がよぎっていたみたいです。
今となっては、もし逆の立場だったら全く気にしないんですけどね、と思った私はズーズーしいおばちゃんになったもんです。
ツアー客はまずダナンのホテルにチェックインし、そこのレストランでランチをして市内観光。
その日はダナンに宿泊し、翌朝アンコールに向かうという日程でした。
久しぶりに揺れない広い窓のあるベッドに感激。
ダナンのホテルでいただく初の本場のベトナム料理に感激。
そして何よりバスタブにお湯をたっぷりはれるという喜びを感じていた私です。
そう、離脱のツアーは比較的裕福な中高年層向けをターゲットに企画しているので、
ツアーもゆったり、食事もホテルもかなり優雅なものが多くて、その分お値段も張るものが多いんです。
それでも私は3つの離脱オプショナルツアーに申し込んでいました。
それはもう二度とこういう機会は訪れないかもしれないからという理由でした。
そこまで自力で別の機会に時間とお金を割いていくことを考えたら、
多少高くてもオプショナルツアーに乗ってしまった方がいいんじゃないかなと考えていたんですね。
離脱ツアーに漏れなくついてくるプレゼントはノンラー。
皆さんご存知でしょうか。
一昔前ではベトナムといえばアオザイにノンラーという出立ちが浮かんだほど有名なあのとんがり帽子です。
ベトナム版の麦わら帽子といえるノンラーは野生のアブラヤシの葉を固めの紐で縫い合わせ、竹で縁を作ります。
すべて手作業で行われ、耐久性があってむれにくいのが特徴です。
日差しが強く厚く湿気の多いベトナムならではの帽子です。
雨にも強いので農作業にもぴったりなんだそうですよ。
当時はバイクに乗る人たちにもアオザイにノンラーという風景を見かけましたが、
2年前に行った時にはヘルメットにTシャツ短パンという方が多かったです。
時代の流れですね。
ランチ後の市内観光ではこのノンラーをかぶってチャム博物館、大理石の彫刻工場見学、
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ダナンビーチ、そしてダナン最大の市場、半円市場へ行きました。
当時の日記には同じ船に乗っていた自由行動の日本人に何度か街中で遭遇し、
あらベトナムの娘さんノンラーが似合ってて可愛いわねと囁かれていたと記載がありました。
まあ昔から私は東南アジアガオと言われていたんですけど、同じ船に乗ってたんですけどね。
千人近く乗客がいたら最後まで顔を合わせなかった人がいても無理はないんですけど。
そしてダナンは上海に比べるととても小さな海辺の漁師町と日記に書かれていることに自分自身で驚きました。
なぜなら今やダナンはベトナム第三の大都市で、2年前に家族4人で行った時には、
ダナンからこれまた有名な観光地、世界遺産のホイアンに向かう海岸線には、
約30キロにも渡り美しいビーチが広がっているんですが、
欧米資本の大型リゾートホテルが建設らしだったんです。
ダナンの町自体も大きな商業、工業都市として発展していて、
リゾート地、商業地としてベトナム経済の中心地として発展していたからなんです。
ダナンの開発が急激に進んだのは2013年頃と言いますから、
20年前の印象と全く違った街並みに私が戸惑ったのも無理はないですね。
とはいえ、約20年前はダナンは決して大きくもない、
少なくとも上海の次の気候地としてはそう思えたわけでしたわ。
のんびりとした海辺の漁師町でした。
長く広がる白砂のビーチには、ビーチパラソルや水着姿の欧米人の姿はなく、
ノンラーをかぶった地元のおじさんが魚を捕るための網を海に向かって投げていたり、
海辺の商店の軒先にはイカや小魚が干されていて、
ベトナムの人たちも、「ひものを食べるのかしら?」と疑問に思ったことを覚えています。
今でもダナン観光の目玉の一つである阪市場での自由行動の思い出を、
当時の日記から抜粋してご紹介いたします。
ダナン最大の市場、阪市場はすごい活気、熱気。
上海の下町市場とはまた違った雰囲気で、こちらは女性がとにかく強い印象。
色とりどりの野菜、果物、花、衣類、生活雑貨から全くわからない調味料、
良品の数々、そしてすし詰めの人々。
私はこういう地元の人たちに混ざって、その人たちの生活圏を覗くのが大好き。
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混沌、ざわめき、臭気、怪しい雰囲気、大歓迎。
自由行動が短くて、もっとたくさん見たいし、買いたかったけど、
ベトナムコーヒーとコーヒーフィルター、ミルとサンダルを買えたから、リミットいっぱい。
うーん、短い。お菓子も見たかったな。
でも憧れのベトナムコーヒーを買えたので満足。
ベトナムコーヒーの甘く香ばしい、とても良い香りに包まれて幸せ。
ツアーガイドさんに、市場ではねぎることと言われたけれど、ねぎるのは苦手なんだな。
相場がわからないし、それにしてもサンダル売り場は凄まじかった。
とにかく小さな椅子にいきなり座らされて、靴を脱がされたと思ったら、
次から次へと、とにかくサンダルを履かされるので、
買わないという選択肢が思いつかなかったほど。
あそこに座ったら、何か一つ買わなくては生きて帰れないという雰囲気だった。
それでも可愛い赤いサンダルが買えたので、青鞘と合わせるのが楽しみだ。
ベトナムダナンは、実はピースボートでは必ずと言っても良いほど立ち寄る気候地です。
その理由は、ピースボートが現地の青年団体と交流関係にあり、
気候の夜にはその青年団との交流を深めるフェスティバルが開催されるんです。
この夜もその催しがあり、参加は任意でしたが、多くの乗船客が会場に集まっていました。
現地の青年団によるもてなしパーティーの他、ベトナム民謡や音楽、ダンスの披露、
現地の業者による出展があり、その中でも人気があったのはセミオーダーの青鞘作りでした。
簡単な型と生地のサンプルがあり、好きな生地を選んで仕立ててもらいます。
値段は生地によって異なって、次の気候地、シンガポールで受け取ることができるというものです。
私はかなり濃いピンクに金色のお花の描かれた生地と白地のパンツを選び、
首回りから手首まで16箇所を採取してオーダーをしました。
その手際の良さたるや、「え、これでちゃんとできるのかな?」と疑うぐらいあっという間に終わりましたよ。
その青鞘は後日シンガポールで受け取って、戦場パーティーで何度か来たり、
大学の謝恩会、友達の結婚式と何回か登場しました。
私はそんなに当時と体重も体型も変わっていないのですが、
さすがに脇の下と腰回りのボタンが締まりづらくなって、
まあ着るチャンスもなくなったので、数年前にこの思い出の品とはさようならをしました。
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それでも思い出の詰まった唯一の品物、愛着がありましたよ。
交流パーティーの後はホテルに戻り、10日ぶりにたっぷりのお湯にお風呂を入って、揺れないベッドで眠りにつきました。
さて次回からは離脱ツアー。アンコールワッドと遺跡群の模様をお伝えします。