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こんにちは、横浜で15年以上、犬の保育園の先生をしている、なおちゃん先生です。
はい、お待たせいたしました。
108日間世界一周の船旅、カンボジア後編ですね。
送りたいと思います。
前回ですね、アンコール・ワットのおひざ元の町、シェムリ・アップに宿泊をして、アンコール・ワットを見学。
その後、アンコール・トムという隣町ですね。
アンコール・ワットの次に先頭された町なんですけれども、そちらの遺跡の観光に行くところからスタートしたいと思います。
アンコール・トムは大きな町という意味で、その名の通り、総面積は9キロ平方メートル。
周囲を堀に囲まれていて、中心にあるバイオン寺院のほか、いくつもの宮殿や門を備えている城塞都市でした。
バスはまず西大門から入り、ここで一度下車します。
ん?なんでここ?と思ったら、この橋と門も見どころの一つなのだそうです。
門はとても高く、四方が仏様の顔になっているけれど、古ぼけていて、ところどころ崩れかかっている。
橋は7つの頭を持つナーガ、蛇の神様ですね。
それを悪鬼のアスラと神様たちが共同で引っ張り、山に巻いて、父の海を掻き回し、不老不死の薬を作った、という、ヒンドゥ教の創生神話、入会各般が描かれていました。
ところどころ彫刻が彫られていたり、削られていたり、新しくなっていたり、と歴史を感じさせます。
崩れ落ちそうな門をくぐって中心のバイオン寺院へ、こちらは12世紀後半、当初から仏教寺院として建てられた寺院です。
アンコールワットよりも新しいものですが、修復作業の遅れのためか、崩れかけた柱や段が多く、地面もデコボコしている。
石には白や黒のカビと苔が張り付き、古い遺跡特有の神秘的な雰囲気が怪しく漂う。
細かい壁のレリーフは、聖典よりも当時の王の行軍の様子や、当時の人々の様子が生き生きと描かれている。
ここで描かれているのは、クメル人の文化・生活で、彼らの特徴はオールバックの髪型と垂れた長い耳。
レリーフには多くの動物たちも彫られていて、当時の人々と動物たちの関係性や様子がよくわかって面白い。
トラから逃げている人々、ワニやシカも描かれている。
そんなたくさんの生き物たちがこの地にいたなんて、なんとなく不思議だ。
幾重にも重なっているように見える窓が、遺跡の奥へと続き、私たちを誘っている。
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バイオンの中央本殿は少し高くなっていて、四面に微笑んだ仏の顔をかたどったたくさんの塔からできている。
塔の下には小さい窓がついたものなどもあって、そこを通してまた反対側の仏像の微笑みが見える。
すべての顔が穏やかで美しい笑みだ。
上空を見上げたら空に虹がかかっていた。
思わず近くにいる方に、「わあ虹だ!きれいですね!」と話しかけながら振り向いたら、
ツアーの同行者ではなく、しかも日本人ですらなかった。
そう、私は完全に全く知らない外国人観光客の方に話しかけていたのでした。
レインボーと英語で返してくれたその方は、白人のお友達2人と一緒に遺跡を個人旅行をしている、どうやらアジア系の方でした。
よく見たら彼はとってもハンサムさんで、私は間違えて話しかけてしまった気恥かしさで、
日本人特有の意味不明な笑みのまま、「Yes, rainbow is so beautiful!」とかなんとか誤魔化してその場を去ったんですが、
このハンサム君とはまた後に再会することになるんです。
バイオンの後はタケオ寺院を車内見学。
象のテラスと呼ばれる象のレリーフが可愛らしい。
壁の前を通り、バンテアイクリエ。
こことその次に行ったバンテアスレイは、アンコールワットやバイオンとは趣が全て異なっていて、
干しレンガ作りのために遺跡の色は赤褐色、そして彫刻は大きくはないけれどもすごく細かく、小さくて緻密、そして美しい。
ウメールの美少と呼ばれる静かな笑みをたたえた天女たちがたくさん彫られていたのが印象的でした。
最初にお話ししますが、この後かなりショッキングな表現が出てきます。
苦手な方はどうぞご遠慮なさらず、2、3分ほど飛ばしてお聞きください。
この遺跡にてこの旅で一番と言っていいほどショッキングな出会いがありました。
それは、ある一人の物恋の少女との出会いでした。
物恋には各地各国でいろいろと出会ってきたけれども、
彼女との出会いは私の中での何かを確実に変え、一生心に焼き付くだろうと思ったほどの衝撃でした。
私よりもはるかに若いであろう彼女には顔がありませんでした。
顔があるべき場所には何か、顔ではない、何かの塊と穴のようなものしか見えませんでした。
当時の私の日記ではすぐそこにクメールの微笑みの天女の掘り物を見てきたばかりなのに、
この子の顔はまるで特殊メイクのようだと陳腐な表記がありましたが、
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うめきながら私に手を出すその姿に、私は言葉を失って目を、体を背けてしまったのでした。
当時のカンボジアにはまだまだ地雷が多く埋まっていて、
それらの地雷は人の命を奪うほどの殺傷力はなく、
体の一部を気の不全にし繊維を失わせ足手間取りの人間を増やすということが目的とされて作られたものも多かったのです。
ですから全く罪もない人々が、もちろん野原で遊んでいる子供たちさえも被害に遭うということがまだ少なくはなかったのです。
ツアーのガイドさんには、物恋は相手にしないようにと言われていたからという形だけの理由づけならば何とでも言えます。
ですが私は怖くて逃げ出したのです。
今になって単純に考えれば、彼女が私に何かできたとは思いません。
私は美しいものだけを見て、醜く酷い現実から逃げてしまったのです。
怖い気持ちよりもすぐに、自分への嫌悪感と無力感、情けなさに涙がこみ上げてきた。
私には何ができるんだろう。何もできなかった。逃げ出してしまった。
あの子にお金や時計をあげればよかったのか、手を握ってあげればよかったのか、
この国の美しい過去の遺産と自然だけを見て満足して帰ればいいのか。
そんなことをぐるぐると考えながら、ホテルに戻ってランチタイムになった。
私はショックで珍しくほとんど口をつけることができなかった、と当時の日記に記載がありました。
それこそ本当はとんでもないことですけれどね。
そのまま午後の一番暑い時間はホテルの部屋で2時間ほど休むことになりました。
あの彼女は一生入ることではないであろう豪華なホテルのクーラーの効いた部屋のベッドに横になりながら、
私はぐるぐるといろいろな思いを巡らしていました。
一つの結論が私の中に生まれて、それは深まりながら今に至っています。
私にできることは、私の人生をとにかく一生懸命生きることだ。
私は家族の人生を変わることはできない。私は私の人生をやめることもできない。
私ができることは、自分が与えられている時間、愛、自由、幸福、環境、それらに心から感謝して、
最大限に楽しみ、一生懸命に真剣に生きること、他人のために時間とお金を使うこと、そう思ったんですね。
これは後にインド・コルカタのスラム街のゴミの山で見た悲惨な光景を見て、かっこたる思いとなり、人生の指針となるわけなんですが、
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今思い返せばここがスタートだった気がします。
私は日本の中流階級の家に生まれて、何一つ不自由することなく、理解ある良心の下で望むことを望むようにさせてもらえる環境で育ってきました。
健康で自分で自分のために使える時間とお金があり、将来何しよう、今日何を食べようと選択をする自由がある。
この世界中でこんなに恵まれている人間であることを恥ずかしながら、この彼女やスラム街で出会った人々に出会うまで自覚してこなかったんだ。
こんなに恵まれた人間が、その私が自分なんてダメだ、何とかなんて到底できっこない、無理だって思うことは、もっと過酷な状況で、
それでも一生懸命に今この瞬間、その命を生きている人々に比べたら、なんてことはない。
私にできること、それは私に与えられた人生をしっかり責任を持って精一杯楽しんで生きること。
これは私の経験と意見ですから、そう思わない方もたくさんいると思うことはもちろんだと思います。
けれど私はこの時からそう強く思っていて、彼女たちにものすごい勇気をいただいて、今に至っています。
さて、自分自身とある程度の決着をつけてきた私は、16時にロビーに集合し、今度はプリアパリライという夕日の美しい丘へ出発しました。
ここはすごく高い塔で、急な山道を登った先に天上宮殿と呼ばれる展望所があり、そこの上からは壮大なパノラマが楽しめる観光名所です。
丘の上には象のタクシーが出ていて、ある程度の道幅の狭い階段になったところからは徒歩で登るというものです。
私は両方とも歩いて登りました。ちなみに今現在は象のタクシーは廃止されているそうです。
頂上は思ったよりもずっと素晴らしい眺めで、先ほどの胸のもやもやの使いとすっきりと強化されるような光景がそこにはありました。
何があっても、日は昇り沈むものだ。人間の小ささなど関係なく、嘲笑うように自然は何も変わることがない。
多くの人たちが太陽の方角を向いて、後からも続々観光客は登ってくる。
多くの遠くの森の中にはアンコールワッドの姿もうっすら見える。
山井からは水蒸気が立ち上り、雲海のように広がって、ひたすら美しく幻想的な風景がそこに広がっていました。
本当はこのまま続けようと思ったのですが、今回は長くなってしまったので、ここで一度切らせていただきますね。
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この回は少し暗いお話になってしまいました。
ですが、目を背けてはいけない、そんな現実が旅先にもあるのです。
それを知っていただきたくて、あえてこの回を一回とさせていただきます。
今はきっと、このカンボジアの同じ場所でも、こういった出会いはなくなっているかもしれません。
そう考えると、私の人生において、あの出会いはおそらく用意されたものであったに違いないと、今の私は20年後、そう思っているのです。
さて、次回はもう一つの心弾むような、ちょっと甘酸っぱいような、そんな旅の出会い。
そして、カンボジア・シェムリアップを離れて、船のメンバーと合流するまでの一日を描きたいと思います。
今回も最後までお聞きいただき、ありがとうございました。