2025-08-23 39:27

《子育て犬育て》犬も子供も鹿も🦌「怒りすぎ」ると個性は死ぬ!

《タイムスタンプはこちら ⌚》
 夏期講習の塾長面談で思ったこと

 「本当にのびのび育ってる」誰にでもそういわれる子供たち➡つまり我がままでマイペースw

 一番目立つ兄妹。「どうやって育てたら、こんなに個性が違って育つのですか?」By塾長

 「子どもなんだから」は言わない。
 「個性と特性を観察」する面白さ
 「犬なんだから絶対服従」も言わない。
 言葉・身体の暴力が「個性」を死なせる
 鹿たちが怖がるものは・・・・
 暴力では、心はつながらないよね
 相手を屈服させることで満たされるのは支配欲
 自己肯定感が高すぎる娘の弊害w
 鹿とコミュニケーションを深める方法
 動物行動学から見る「犬・鹿・こども」
 「せんべいをもらったらお辞儀」する鹿の本音
 「奈良公園の全ての鹿がお辞儀する」理由
 動物も人も。威圧ではなくコミュニケーション
 鹿がペットボトルを捨てる日が来る❓❕
 【奈良公園の鹿】が特殊な理由
 「大人になったら困るよ」という無意味さ
 「我がままなお客様」への対処法は・・・
 「迎合ばっかしてたら、疲れない?」
 「壁にぶちあってからが人生」
 「絶対叱らない」という事はない。
 「ねばならない」が強すぎると、しんどくない?
 「超マイペースな子供たち」の観察は面白い

子どもも、犬も、鹿も。
みんな違って、みんないい。

それぞれ、個性があって
それぞれ、特徴がある

それはすべてただの「違い」であって
優劣があるものじゃないと
私は思っています

頭ごなしに叱ったり、怒ったり
ことばや暴力、精神的な苦痛を与えたり
締め付けたりすることで

相手は「いう事を聞いている」ように見えるけれど
それは「心でつながっている」とは思えない

いずれ、個性は死んでしまう

【支配】や【服従】させて満足しているだけに
ならないように。

相手の【個性】や【特徴】の良さを見つけられるように。

私は人でも子供でも
犬でも鹿でも猫でも牛でも

そうやって関係を作りたいと思っています。
・・・・変態ですねw

そんな変態なおちゃん先生の
「みんな違って、みんないい」スピーチ
聞きに来てね💛
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日時:2025年9月21日(日)
場所:東京(倉庫)

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#子育て
#なおちゃん先生の雑談
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犬のトレーニングの実践🐕話、犬業界の裏話、アニマルコミュニケーション等は、《メンバーシップ限定》でお話しています❣️

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サマリー

子どもや犬、鹿に見られる個性の重要性と、過度の叱責がその成長に及ぼす危険性について考えています。自己主張やマイペースな性格の育成には自由な環境が不可欠であることを説明し、暴力や過度な叱責が成長を妨げる様子を語ります。このエピソードでは、鹿とのコミュニケーションを通じて動物行動学や教育に関する深い洞察が得られます。鹿がせんべいをもらうための行動を学習する様子から、個性の重要性や教育のあり方について考察します。また、怒りの感情をコントロールし、子どもや動物に個性を尊重した接し方をすることの重要性についても触れています。叱ることと怒ることの違いについて深く掘り下げ、親子関係における心の疲れについての考察も行われています。

子供たちの育成における個性
はい、こんにちは。
床まで15年以上、犬の保育園の先生を行っているなおちゃん先生と申します。
本日は、8月23日土曜日。
えーと、時刻は12時10分、お昼になっちゃいましたね。
はい、えーと、私はですね、今、子供たちのね、柿講習の
えーと、最後にね、親と面談というものがありまして、
ね、その面談を受けて帰り道でございます。
暑いのでね、今、反対の手にアイスコーヒーと日傘を持って歩いております。
家に着くまでのほんの短いライブになるかなぁと思いますけれども、
ちょっとね、いろいろと思うことがあったので、ライブでお話をしていこうと思います。
サムネはね、先日私が、明日が配信になるかな。
明日配信する大阪奈良ワンホーペ旅行ですね。
最終日、奈良県は、飛鳥村をね、このサムネの右側に映っているアリさん。
しびとすぐ占いのね、アリさんと一緒に回ったときの写真です。
えーと、撮影しているのは娘、そして息子と私が写ってるって感じですね。
あとセントくんね。
あー、犬アイちゃん。掃除しながら。
お疲れ様でした。
はい、ありがとうございました、本当に。
明日の配信では、4日目のアリさんとね、1日回ったお話をしようと思うんですけど、
育成方法の重要性
本当にね、どこに行ってもね、うちの子供たちってね、言われることが一緒。
そして今日はね、先ほど、予備校じゃない、塾か。
高等室の松屋さんと息子と娘を、小市の娘をね、一緒に5日間だけ申し込んで、
そのね、えーと、5日間が終わるときに面談をね、親が聞きに行かなきゃいけないんです。
めんどくさいことに。
ズームでいいじゃん、とか電話でいいじゃんと思うんだけど、
なぜか面談をしたがる。
これが一つめんどくさいんだけど、今行ってきて、その帰り道なんですよ。
こちらこそ、この間ありがとうございました。
ちょっとね、最終日にね、非常に喉が痛くなってしまって、
あの、なんていうの?扁桃腺が、扁桃腺というのかな?
喉の奥が真っ赤に腫れてしまって、ちょっと若干ね、声が出にくいんですけど、
はい、ご了承ください。
片手にね、アイスコーヒーを持っているので、カランカラン言っていると思います。
そうなの?たぶんね、冷房とかね、やられたんだと思うんですけどね、寝てたときにね。
まあ他に症状はないんだけど、喉のね、左奥っていうの?
ああ、痛くて。
はい、なんですけど、大丈夫です。
私も理解力がもされているね。
そしてアリさんには、えーと、4日目の夜、4日目の日中、
1日目の夜にね、ハロプロです。
そして、本当にね、みなさんに言われることが一緒。
そして、なんなら書き講師のね、はい、あとに塾の塾長さんと面談。
すっごい若いね、すごいイケメンの塾長さんなんですけど、はい、このね、この2人で面談をするんですが、
本当に言われることは全部一緒。
それは何かというと、本当に個性的で、本当に伸び伸びと育ってますねという感じのこと。
そして自己主張がね、これいい意味で、いい感じで言うと、
良い言葉で言うとね、みなさんね、分かってますよ、私だって。
大人に対してね、しっかりと自己主張ができてすごい。
自分の意見をしっかりと言えてすごい。
はい、そういうことです。
ということはどういうことかというと、超絶ワガママであるということなんですね。
でもね、私がこれは褒め言葉としてね、こういう性格なんでね、
言葉の裏をね、ようもこたしないんですよ。学面通りに受け取るということね。
素直に行って生きております。
はい、でね、これはね、今日の塾長との話もお話ししましたけど、
この塾でね、100人ぐらい子どもさんがいて、兄弟で通ってるっていう子もたくさんいますよ。
でも僕は一番、このうちの息子と息子さんと娘さんの将来が楽しみですと。
一番個性的ですって言われてるんですよね。
どうやって育てたらこんなに境外で違う個性になるんですか?お母さんって言われたんですよ。
主張できるのもすごいけど、考える力がすごいと思って。
今自分で考えてなかなかできないかな、ありがとう。
でね、それもそうなんだけどさ、後はね、個性の話でいいか。
両方二人ともですね、人の言うこと聞かないんですよ。
自分の話はするけど、人の言うこと聞かない。
これもね、一つの特徴ですね、個性だと思うんだけど。
でね、いろんなことを考えた時に、
どうやったらこんなに自由でマイペースで伸び伸びしてて、
自分の主張をするような、そして個性的な子供が育つんですか?というふうに
塾の先生に聞かれた時に、私が真っ先に思ったのがですね、
私はあんまり基本的には、子供だから何とかしなさい、言うこと聞きなさいとか。
子供なんだから親の言うこと聞きなさいとか。
子供なんだからあんたは黙ってなさいとか。
大人の話に首突っ込むのやめなさいとか。
そういうことを言って育てたことはないんですよ。
叱りすぎの弊害
母ちゃんが自由だからそうなの。まさにその通り。
そうなんですよ。
というのも自分自身がね、子供なんだから何とか何とかしなさいって
大人に頭もなしに言われるのが、とても嫌いだった子供なんですよね。
ひねくれてますから。
子供だから何でこうしちゃいけないんだっていう理屈もなしに、説明もなしに
子供なんだから大人の言うこと聞け、親の言うことだけ聞いておけ。
親が言う通りにしろ。
うちの親はそういう風に言わなかったですけど、
そういう風なことを、親戚とはね、特におじいちゃんおばあちゃんとかね、
当時は隣に住んでたので、言われるのが本当に嫌でした。
それが嫌だっていうことを、母親は私の性格をよく知ってるので、母親は一切私に言わなかったんですよね。
だからこういう性格が生まれるんですけど。
そう、そういう感じだ?うん、ありがとう。
これね、どうしてそういう風になるのかって考えた時に、
私、子供をね、その子それぞれの個性や特徴を見るっていうことを大切にしてるんだなって感じたし、
それを塾の先生に言われて自覚したんですよ。
お母さんが、お父さんはね、知らないから塾の先生はね、
お母さんがお子さんの個性をすごく尊重されてることが伝わりますよっていう風に伝わったんですね。
それはきっと私が独トレーナーという仕事を子育ての前から10年以上ね、
うちの上の子が今年10になるので、ざっと10年前からですね、行ってきてるということもあって、
犬も一緒なんですよ。犬も一緒で、犬なんだから人の言うことを聞いてなさいと。
犬なんだから、こうしてなさい。飼い主に絶対服従しなさいっていうのは、私はあんまり好きじゃないんですよ。
ちょっと変な話かもしれないけど、当たり前っちゃ当たり前なんだけど、
でもね、犬も子どももその点では似てるなって思ってて、犬には犬の言い分があるんですよ。
子どもには子どもの言い分がある。
それを頭骨に叱るとか暴力とか、言葉による暴力もありますよね。
大罰だったり、言葉による暴力だったり、そういうことで抑えつけることで、
私はその子どもだったり、その犬だったり、奈良の鹿もそうですけど、
鹿の生き物を本来の持ってる良さっていうものがどんどん死んでいくような気がしているんですよ。
めっちゃわかる。あ、そう?どれだろう?
4日目に朝に、猫ちゃんと会ったのは3日目の夜だけど、
4日目の朝に朝一、また鹿に餌あげに行ったんですよ。
餌っていうか、鹿せんべいね。三次に行ったんですよ。
本当に。それでね、その時に息子が牧刀を見つけて、牧刀ね、長い。すごい長い。
80センチくらいありそうな牧刀を見つけて、それをお土産に自分で買ったんですよね。
そしたらなんとね、鹿が寄ってこなくなったの。わかる?
鹿が牧刀を持ったらね、鹿せんべい買ってるのに寄ってこないんですよ。むしろ避けるの。
これ何でかっていうと、おそらく鹿たち、奈良の公園の鹿たちは長いもので叩かれた記憶があるんですよ。
それを見た時にね、すごく私は切ない気持ちになりました。
確かにお土産物屋さんにね、鹿せんべい置いてあると、鹿がほら、観光客がそれ買う、多分わかると鹿も寄ってくるじゃないですか。
お店に入ってくるとして、おばさんとかおじさんとかお土産物屋さんがしっしって払う時に、確かに杖みたいなのとか、孫の手みたいなの振り回してるんですよ。
で、実際に体に当たって叩かれたことはないかもしれないけれど、もしかしたらそういうことで当たっちゃった子もいるかもしれないし、
それが嫌だから、長いものを持っている人間を警戒して避けるんですよね。
それを見た時に、その棒があるだけで、今まで案内に来てくれていた鹿が、手に持っているものが鹿せんべいだったら寄ってくるし、長い棒だったら避けるわけですよね。
それを見た時に、持っている人間は息子という同じ人間なんだけど、手に持っているものが何かということで、動物は避けたり寄ってきたりするわけですよね。
仲良くなれる可能性も、コミュニケーションを深められる可能性も、両方とも持っているのに、手に持っているものが木刀であるということだけで、鹿たちと息子は仲良くなれるチャンスを失うわけですよね。
私はそれってとてももったいないなって感じちゃうんですよ。私が変態だからなんですけど。
兄貴さん、こんにちは。あまるさん、こんにちは。
愛してもったいないのにどうかしたのか、そんなことないよ。
長いものを持って、武器を持って、一瞬脅威を遠ざけたり、この場合は鹿ですけど、服従させたり、犬の場合もそうですよね。
犬だって昔は棒や鞭やそんなもので撃たれたりとかしてましたから、子供だってそうですよね。
拳を振り上げるっていう行為で、脅えたような、頭をびくっとすくめるような犬たちって、大罰を受けてた子はいるんですけれども、
それって大罰をする側は、一瞬言うことをこいつは聞いたと思う。子供でも犬でも多分鹿でも一緒だと思います。
一瞬いい気分になれるけれども、本当の意味では彼らとじっくり彼らの行動や特性をすることで、
信頼関係による関係を構築できるのに、暴力や大罰といったことで、相手を支配した犬になっているだけで、
本当は何も得られていない。ただ、優越感やただ満足感やただ支配欲が満たされただけ。
私は叱りすぎるっていう、叱らないってことはないですよ。子供たちにめっちゃ怒るしね。
だけど、叱りすぎることの弊害っていうのは、やっぱり個性を殺す。その目の前の相手に対して理解をしよう。
そして相手から理解や尊敬を得よう。尊敬されなくてもいいんですよ。
絆を、コミュニケーションを取ろう。意思疎通を図ろう。同じ土俵で、対等な目線で心を通わせようっていう、そういうチャンスをね。
特にその暴力による叱りつけっていうものは、どんな相手が生き物であれ、その個性を殺していくだろうなっていうふうに、なんか非常に感じたんですよね。
鹿さんお辞儀するよ?するよ。
歩道渡るときもするみたいね。
ナオチャ先生視点が素晴らしい。ナオチンでもいいよ。ミッキー、ミコ。
マンションに着いたんだけど、ちょっと大事なところなので、日陰でちょっと話してます。
そうなの。で、それをね、塾の先生に、どうしてこれだけ100人以上の子供たちがいる中で、
一番この兄弟、うちの兄弟がね、個性的で、一番兄弟、それぞれ全然性格が違って、
一番見ててね、将来が楽しみなんだけど、どうやったらこんなにね、個性的な子供に育つのかって聞いたときに、
やっぱり私がそういった、なんだろう、この子たちの本質や特質っていうものがどこにあるのかっていうのを見てみたいっていう気持ちがあるんだろうなと思ったんですよね。
親だから親の言うこと聞きなさい。子供なんだから親の言うことややることや話に口を突っ込むなっていうのは簡単。
そう言われて育った子供っていうのは、いい子に見えるかもしれないけれど、
貯めてきたものっていうのはどこかで爆発するんだと思うんですよね。
それが反抗期だったり、自己需要できない気持ちや自己肯定感が低かったり。
うちの子供たちはめちゃくちゃ自己肯定感高いんですよ。塾の先生にも言われました。
自己肯定感が高すぎて、うちの小一の娘が引き算が8から6引いたら答えは2っていう。
みんなわかるでしょ。8から6引いたら答えは2でしょ。
彼女は5って書いてあるんですよ。5って書いて、いやこれ違うよねって言ったら、私はこれでいいって言うんですよ。
いや良くないから。
なんで8から6引いて答えは5じゃダメなんだと。私は5がいいんだと。
これは答えに詰まりましたね。なんで5じゃダメなんだと。
子供ってこういうところ面白いなって、大人がない視点を持ってくるなって、いつも面白いなって思うんですけど、
これはね、私が動物を見る目と子供を見る目が一緒なんですよね。
あ、この犬はこんな時にこういう風に考えるんだ面白いなーとか。
しかもそうですよね。しかもね、たくさん鹿見てきたんだけど、
鹿とのコミュニケーション
人の意図を組もう、意図を知ろう、それを理解すればせんべいがもらえるっていう条件をまず鹿に与えるんですけど、
そうすると行動が変わるんですね、鹿の。見や見えたらに鹿せんべいだけ狙ってこないんですよ。
どうやったらこの鹿せんべいをゲットできるかっていうのを考えるわけですよね。
それの方法の一つがお辞儀なんですけど、お辞儀はみんな101匹目の猿じゃないですけど、みんなできるんですよ、余裕があればね。
その中でお辞儀をしたやつにですね、その辺に転がっているペットボトルを、ゴミを拾うっていうのも目的も兼ねて、ペットボトルを鹿の前に出したんですよ。
でその偶然でも恋でもいいんですけど、ペットボトルに鹿の顔がピチって当たった時に、私は今あげてって言って娘に鹿せんべいをあげさせたんですね。
そうすると次から、ペットボトルに対して何かアクションを起こせば鹿せんべいが出てくるんだなっていうことを鹿は学習できるんですね。
そうすると、この人間はお辞儀じゃなくて、このペットボトルに何かしてほしいんだな、それができたら鹿せんべいを俺だけがもらえるんだなっていうことの理解が早いやつと薄いやつがいるんですよ。
これは動物行動学の理論で言うと経験の差なんですけど。
はい、これね犬でも全く同じ考えさせ方を私は犬たちにしています。
あなたがこれを、あなたが望みのものを得られるためにはどういうふうに行動したらいいのか、あなた自身で考えなさいと。
これ子供にもやってきたんですよね。
だからあの、なんていうのかな、エドワイちゃんがね、うちの子供たちに会った時に考える力、考えたものを発言する力があるっていうふうに言ってくださったとしたら、おそらくこういうことの積み重ねなんだろうなっていうふうに思ったんです。
で、物応じしないっていうことも、初対面の大人に対して物応じしないっていうのは、私が子供たちをそういうふうに扱っているから。
もちろんね、命の危険があったり、あまりに周囲に迷惑がかかるような行動っていうのは起こったり制限したりとなったりします。
まあ、どうなったらせいもあって、きっと喉も痛いんでしょうけどね。
そっち行くなーとかね。戻ってこーいとかね。
はい。
あくもさん、こんにちは。ありがとうございます。
えっと、にっこさんがせんべい買った後にお辞儀できる子はなんでなんだろう。
あ、せんべい、え、これ鹿の話ですか?人の話ですか?
あのー、せんべいもらった?
せんべいもらった後にもう一回お辞儀する鹿っていうのは、くれてありがとうじゃなくてもう一個もらえると思ってるんですよ。
結局反復運動ということで、動物、これは人間も含む全ての動物がそうなんですけど、
全ての動物が、自分のとった行動の後に何が起きたかで学習、経験をしていくんですね。
人間はそこに予測だったり、過去の経験を生かすことをもうちょっと広い視野で組み立てることができますけど、
動物っていうのは、自分がしてきた行動の結果がどうだったかっていうことで覚えるんですよ。
だから、これをしたらこうなるから危ないよとかダメだよっていうふうに教え込むことはできないんですね。
起きた物事を相当後から叱るっていうことも何の効果もないんですよ。
お礼じゃないんです。お礼のように見えるのは、人間側から見た視界です。
でもだいたいもらった後にお辞儀したら、ありがとうって言ってるこの鹿かわいいじゃん、もう一枚あげようってなるでしょ、人間の心理として。
何もしない鹿よりもお辞儀をしてくる鹿、それも鹿せんべいあげた後にもう一回お辞儀してくる鹿に人間の心理としてあげたくなるじゃないですか。
だから結果として、鹿は鹿せんべいをもらったらお辞儀するっていう行動が、自分のその行動を取ったらもう一口前もらえたっていう経験から学習しているんですよ。
分かります?
だから、奈良高校の全ての鹿はお辞儀をするようになったんですよ。
あいつお辞儀してるからもらえるんだなって、これ観察学習を鹿もするので。
だけど、もしかしたら数年後に奈良高校に行ったらペットボトルをのきのみ倒している鹿がいるかもしれない。
そのね、お辞儀っていうのをちょっと応用してあげて、お辞儀して頭が下がるところにペットボトルを置く。
ペットボトルに頭が触れたり、ペットボトルにタッチをしたら鹿にあげるっていうのを繰り返すと今度は、
あ、このペットボトルに対して何かアクションすれば、お辞儀じゃなくてペットボトルにアクションすればもらえるんだなってことを鹿は学習するんですよね。
だから、人の服を噛んだり、人のポケットをまさぐったり、人に撃沈して鹿せんべいを奪おうとするっていう行動を鹿るよりも、
こうやったら鹿せんべいがもらえるよっていうことを教えてあげた方がいいんですよ。
その方が鹿と人間の距離は保たれるわけですよね。
もし本当に鹿せんべい飼っても襲われたくなかったら、手に木刀を持つのが一番、木刀振り回しながら歩けば鹿たちは怖がって絶対近づいてこないんですけど、
それはね、やっぱり暴力になりますし威圧ですよね。
私はそういうのはあまり好きじゃないので、だから相手に威圧感を感じさせることなく、相手とコミュニケーションをする。
相手に自分の意図を伝える方法だったり、それができた時にはこうなるよっていう成果を与えてあげる。
それを示すことで、やっぱり動物たちのコミュニケーションって円滑にいくし、
たぶん子供もそんなに、特に小さいうちは動物そんなに変わらないと思ってるんで私はね。
こんなこと言うと怒られちゃうけど。
ゴミに入れたらせんべいあげるようにしたらいいの?
あーそうね。それもいいよね。ただ、鹿って草食動物なので、
基本的には草をすりつぶすような、横、口を人間みたいに縦にあけるってことはあまりしづらいんですよね。
縦にあけて何かを挟むよりも、こう、なんて言うんですか。
草を口に入れてすりつぶす方の動きに、草食動物って進化してるので、
ペットボトルをただくわえてゴミ箱に持ってって話すっていう行為は結構難しいと思います。
体の構造上ね。もしかしたらできるかもしれないけれど。
でもね、世界中の動物を見ていて、動物の話になっちゃったな。
ま、いっか。子供の話から動物。似たようなもんだからいいんだけど。
世界中の動物を見ていて、鹿の家畜化って難しいんですよ。
だから、人間が家畜として人間の生活のために利用している動物って、馬科だったり牛科だったり犬科だったりするんですけど、
しか、鹿の種類ってあまりないんですよね。それは鹿たちが非常に警戒心が強くて、
あの、なんだろう、なれづらいからなんです。
人間が進化の過程で家畜化できた動物って数種類しかいないんですけれども、世界中を見渡してもね。
その中でも鹿っていうのは、なかなか人間の家畜としてはなれづらい生き物なんですよね。
だからインパラ家畜にしてますとかってあまり聞かないじゃないですか。
だからね、この奈良公園の鹿っていうのはね、どういう感じでここまで人になれたのかな。
これやっぱり遺伝的要素。動物、人間も含めて動物の性格というのは先天的要素と後天的学習で成り立つものなので、
社会への壁
先天的要素の中で人間は怖くないということ。
あと奈良公園の鹿は遺伝子的なレベルですり込まれてるのかもしれないですね。面白いなと思います。
こんなふうにね、奈良公園の鹿見てる人間あんまりいないと思うんですけど、楽しかったですね。
ニッコさんわかるかもしれないけど、まだいるかな。
インドのベリーとかムンバイとかの街中歩いてる牛を思い出しましたね。野良牛たち。
あれはもともと家畜化されたものが飼い切れなくなって放牧されてるっていう、野良牛になっちゃったっていうパターンですけど。
なのちゃんすごい人全然すごくないよ。何がすごいんだろう。全然すごくはないんだけど、偏りが半端ないですね。
だから個性が爆発してる。偏りが爆発してるんですよ。
私はね、子供たちを育てる時にも、壁というのはね、いつかぶつかるんですよ。
親が壁を与えなくても、社会に出たら必ず壁はぶつかるじゃないですか。
皆さん小さい時に、親に言われたことで、今やっとかないと大人になってから困るよとか、社会に出てから苦労するよとか、言われたことありません?
私これはね、祖父母によく言われたんですけど、本当に嫌だったですね。
だって子供のうちってわかんないじゃないですか、そんなこと。想像もつかないし。
やったことのないことは、見たことのないこと、経験したことのないことは、子供は想像できないんですよ。犬と一緒です。
だから、それを言うことの無意味さ。
それを言って子供を黙らせることは、ただの祖父母の満足なんですね。
わがままなお客様はどうしたらいい?
わがままなお客様ね、はい。これはですね、小牧さん今度語りたいですね。
わがままなお客様はどうしましょうね。
いくつか対処法があると思うんですけれども、これはいつかお話したいですね。
さすがに暑くなってきたので、そろそろ私も室内に入ろうかなと思うんだけど。
いくつかパターンはあると思います。わがままなお客様はね。
そのわがままなお客様が何を求めるっていうのかによると思うんですけれども、
私はわがままなお客様たくさん、やっぱり16年自営業やってるので、
当たってきましたけれども、一つは自分の態度を変えないということは非常に大切かなと思います。
私の態度というのは、来る者は拒まないけど去る者も追わないっていう態度なんですよね。
時が必要。笑笑笑
木刀持ちますか笑顔で。笑顔で木刀持ってきますか。オブジェですって言って。
私から見たらお客様ではないんです。
木刀、別に来てもいいけど特別扱いはしないよ。
私のスタンスはこうだから、あなたとスタンスとは違いますよっていうことを、
言葉で別に言わなくてもいいと思います。
やってくれない人はいると思うんですけどね。
でもね、長年やってるとやっぱりいつか離れていきますよね。
自分の態度を人によって変えない。
態度っていうか真の部分ですね。真の部分を人によって変えないっていうことは、
私は割と徹底してるかなと思います。
だから嫌いな人はそんなにいないんですよ、私別に。
そうするといい人ぶってって思われるかもしれないけど、
別にいい人ぶってって何が悪いんですかっていう感じなんでいいんですけど。
ただ苦手な人はやっぱりいますね。苦手だなって思う人はいます。
苦手だなって思う人は、なんでこの人苦手なんだろうって思うと、苦手な理由っていうのが出てくるんですね。
そうなると、私はこういう人がちょっと苦手なんだっていうプロファイルができるわけです、自分の中に。
それはそれでデータとして取っておく。
そしてその苦手な人と会った時、私こういう人結構苦手なんだけど、やっぱりそこで観察ですね、動物を観察するように。
観察をします、その相手の。
私はこの人苦手だけど、この人はどういうところに苦手なんだろう。
この苦手だなと思ってる人の中に、私が苦手じゃない部分はどこにあるんだろうっていうのを話しそっちのけで探してます。
配信でも決してゲーゴーはしないもんね、ナウチ。
あ、そう?
うん。
ゲーゴー、ゲーゴーそうですね。してないかもしれない。
でもなんかゲーゴーばっかりしてると疲れません?
ほんとさ、日本人っぽくない。
でもしょうがないですよ、ニッコー。
私はね、小学生の歩みから、社交性あり協調性なしって書かれてたんですよ。
小学生の歩みに、社交性あり協調性なしって書きます?普通。
だからね、うちの子供たち見てても、それ、でしょ?えのやちゃんわかるでしょ?
社交性はあるけど協調性はないんですよ。みんなマイペースなの。
自分のこと、喋りたいことだけ喋ったら、あとは動画見たり。
人の話は聞かないの。
困るね。
ありがとう。だから好きなんだよ。ありがとう。
めちゃくちゃ来るからさ、私も徹底しちゃうんだけどね。観察ね。そうなんですよ。
そこが面白いんだよ。そうでしょ?
社会の壁はいつかぶち当たるんですよ。
当たった時に本人たちが困って、本人たちが悩んで、本人たちが工夫して、本人たちが乗り越えるのは、
本人たちの人生だと試練なんですね。
それを親が先に取り除いてやるってことは、私は根本的にはできないと思ってるんですよ。
で、先に困る、こんなことしたら困るよって言ったってどうせわかんないんだから、その時にならないと。
言うだけ無駄なんですよ。労力の無駄。
でも、何だろう、うちの旦那さんとかね、多くの親御さんそういうところもあると思うんですけど、
でもね、こんな風にしてたら、親の顔が見たい、どんな親が育ててるの、親の教育どうなってるんだって言われたら恥ずかしいとか嫌だとか世間体があって、
個性の尊重
私一切そういうことないんですよ。だって私は私で、子供は子供だから。
もちろん親としてね、社会的責任になることはしますし、危ない行動、命に関わる行動や、
他人様に本当に迷惑のかかるような行動というのは制限しますよ。
でもね、他はね、親元にいる時ぐらい自由にしたらいいと思うんですよ。
どうせぶつかるんだから、壁には。
だからこっちも楽。あ、そうですか。
そうだからね、別にへそ曲げたっていいんですよ、子供がへそ曲げたってね。
子供が嫌だっていうのは、それはそれでいいと思ってるし。
そうね。まあ、面白いですよ、子供思いでも。
ただね、それを叱るとか、言葉の暴力や、精神的な締め付けや、それこそ肉体的な暴力や、脅し、威圧、
それで子供や鹿や犬を一瞬支配できたような気になったとしても、それは支配者側のエゴ。
これはフロイト、ユングだったかな。フロイトだったかな。
フロイトとアインシュタインの書簡か、人はなぜ戦争するのか、そこにも書かれていましたけれども。
あとね、夜時ですね、書籍にも書かれていましたけれども。
暴力や支配、暴力による相手を服従させる行為というのは、相手の心を服従させたわけではないので、
得られるものというのは、支配者側の満足感、支配力が満たされるだけなんですよね。
あ、ゴーちゃんこんにちは、ありがとうございます。みんな構いすぎだと思う。そうなんですよ。
私はしたいようにするし、子供のことはとりあえず言ってみて、やってみて、
ダメだったらそこから考えればいいんじゃない?って。
すごい放置なんですけどね。
はい、ということでね、叱りすぎることって個性って死んでいくよねって。
これは犬も人も動物もみんな一緒じゃないかなって。
叱っちゃいけないとは思わないです。
本当に危険行為、現地に関わる行為、他者に危害が及ぶ行為っていうのは、やはりいけないよって伝えるってこと。
犬でもやってます。私はそれをされたくない。
あなたは自分の行動をもうちょっと考えなさいってことは犬たちに伝えています。
だから絶対に叱らないってこともないです。
ただ、叱る行為が自己満足にならないように、これは子供でも犬でも、
その後にどうしたらいいのか、正解がわかるような叱り方をするということは心がけるようにしています。
20年ぐらい子供たちに怒ってない。さすがですね、小牧さんね。
本当に子育て、そしてビジネスの尊敬する大先輩ですから。
小牧さん、またその辺のこと教えてくださいね。
怒ると叱るは違うって聞きます。
そうですね。これね、タイトル間違ってね。怒るだね。怒るは感情をぶつけてるだけなので。
アンガーマネジメントが必要かなと思います。
うちの旦那はね、かわいそうなことに怒っても怒ってもノリに腕押しなファミリーなので、
ただただ血圧が。
よくもあんなに怒るのってエネルギーいるじゃないですか。
怒ったって誰も聞いてないのに、よくあんなに怒れるなと思うんだけど、
俺は俺のために怒ってるみたいなこと言ってるんだ。
ようやくわかってきたなと思うんだけどね。
それよりも伝わる伝え方すればいいのにって思うとき多々あるんですけど、
感情のコントロールがちょっと下手くそなんでしょうね。
なおちゃんに叱るとか。いやいや、ねばえちゃんに叱るとか何もないですから。
だからね、なんだろう。
なんていうのかな。
こうあらねばならないっていう気持ちが強すぎるのって、
ちょっと生きづらくなるんじゃないかなって思うんですよね。
親だから。子供だから。
女だから。妻だから。嫁だから。
それを自分が本当に心から喜んで選択肢を取っているんだったらいいんですけど、
誰かにこう思われたら嫌だからっていうことでその行動を選択し続けていると、
自分の気持ち、自分の心が疲弊してしまう。
何のために生まれてきたかわからないじゃないですか。
そう思いません?
だから私もせめて親元にいるうちはね、
その個性が発揮できるような対応をしたいなと思っています。
もちろん本当に危ないときは叱りますけど、怒りますけどね。
まああとはね、少なくともちょっとは社会の還元しなきゃいけないので、
うちの子供たちもね、どうやったらこんなふうに育つんですかって、
たくさんの子供たちを見ている塾の先生にね、そういうふうに言われたとしても、
それはね、褒め言葉としてね、取って、これからもね、
超個性的で、超マイペースで、超自由奔放な子供たちがどんなふうに育っていくのかというね、
ちょっとは観察していきたいと思っています。
はい、ということでそろそろ。
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