1. なんでもディレクション
  2. #1 Webディレクターになったき..
2025-01-24 35:10

#1 Webディレクターになったきっかけは?

なんディレ第1回目!

毎週?金曜夜更新予定

ディレクターにまつわる話を、とくさと&モ力あさんでまったりトークしています。


みなさんのWebディレクターになったきっかけ何ですか?


https://x.com/toksato

https://x.com/mocaaaasan

モ力あさんの個人ポッドキャストもよろしくおねがいします

『ママディレクターズライフ』https://open.spotify.com/show/2O7gyxMBsn1pJKxd83LtLr?si=a38fd628e7a54e9d


▼なんでもディレクション公式サイト

https://sites.google.com/view/nandire


▼ご意見ご感想はこちら

https://forms.gle/hgcpSnkiw9DGCLgy5

サマリー

このエピソードでは、ウェブディレクターとしてのキャリアのきっかけや過去の経験について語られています。特に、コンピューターやデザインの専門学校での学びを経て、印刷業界からウェブ業界に転職した経緯が紹介されています。彼の初期の職歴や興味が、ウェブディレクターになるきっかけとして述べられています。デザインや舞台美術のバックグラウンドを持ちながらウェブ業界への転職を決意した理由が詳細に語られています。キャリアの始まりやインターネットと時計という新しいメディアが人々の生活に与える影響についても触れられています。また、チームワークの重要性や専門性が結集することでより良い成果が生まれることについて考察されています。ウェブディレクターとしてのやりがいは、チームメンバーが自分のスキルを最大限に活かせる環境を作ることにあります。困っている人を助けることに喜びを感じ、仕事を通じて自分のキャリアを広げている様子が語られています。

番組の紹介と自己紹介
なんでもディレクション!
この番組は、東京の大きめな事業会社で20名の部下を持つディレクター、とくさとと、
名古屋の片隅で1人ディレクターをしているモカあさんの2人が、
Webの概念にとらわれず、ディレクションも長年なりわいとしてきた中で、
あれやこれや何でも話すポッドキャスト番組です。
こんばんは、とくさとです。
こんばんは、モカあさんです。
いよいよ始まりました。
この番組の趣旨をお話ししたいんですが、先ほどご紹介させていただいた通り、
Webの概念にとらわれずというか、自由にディレクターをしてきた2人が
いろいろ話すという楽しい番組にしていきたいなと思っております。
ということで、まず初回ですので、お互いの自己紹介をしていきたいなと思うので、
とくさとさん、お願いします。
ご存知の方もいると思いますが、
笑顔を作りたいWebディレクターの日常というブログをやっているとくさと申します。
職業としてはWebディレクター。
某名村さんの某ポッドキャストでもお話ししましたが、
今はとある大きな全国に店舗があるような事業会社のPC部門で
WebディレクターとWeb製作チームのマネージャーをしているという感じですかね。
もともとは10年以上Web製作会社にいました。
続きまして、モカあさんです。
なんでモカあさんというかというと、
あだ名がモカさんと呼ばれていて、
プラスお母さんを足してこの名前が爆誕しました。
私は愛知県に住んでまして、
愛知県のお客様をメインとしたフリーランスのディレクターをしています。
一人で初めて20年やっております。
その前は製作会社にいました。
細々と事業会社さんとの付き合いがとても多くて、
しかも長いお付き合いの会社さんが多いというのが
私の仕事の特徴かなという感じです。
徳里さんとはXでお見かけして、
私が勝手にフォローをし、追っかけてきたという感じでございます。
そのドライブ、僕も見てましたよ。
そうですね、ディレクターさんとしては注目しておりましたというところで
切り合ったわけですけれども、
徳里さんはやっぱり大きい会社でお仕事されているというところと、
私は本当に固い中で一人でフリーランスをしているというところで
全く違う環境の2人が
番組をさせていただくとなったんですけれども、
なんでまずこの番組を始めたのかというと、
ウェブディレクターへの転職
話したいなと思うんですけれども、
私がずっとポッドキャストを一人でやってきたんですけれども、
誰かと話したいという欲がですね、
去年あたりからずっとありまして、
じゃあ誰と何を話すのかって思った時に、
もともと私が持っているディレクターズライフっていう
ディレクターのことと子育てのことみたいなのを交えながら
フリートークも多めなんですけど、
その番組をしていくうちにいろんな方に知り合って、
その中で徳里さん、先ほどもおっしゃられていましたけど、
名村さんのウィブディレクションをやってますラジオに
ゲストに出られたりとか、いろんなところでお話し
スペースでさせていただいたりとかしているうちに、
徳里さんと話してみたいなという人がまた出てきましてですね、
私からお誘いさせていただいたというのがきっかけで、
徳里さん、ポッドキャストはどうですか?
番組は初めてですか?
番組は初めてですね。
ゲストで名村さんに出たぐらいで、
こうやって番組としてやるのは初めてですね。
音声配信、興味はあったりしましたか?
ブログもそうなんですけど、
ポッドキャストになると余計に定期的にやらなきゃっていう
恐怖観念もあって、全部名村さんのせいですけど、
あと、顔出ししてるくせになんなんですけど、
会社以外の人には誰にも見せられないので、
誰にもバレてもいいんですけど、
会社の人にバレるのはめんどくせえなと思っているので、
声は絶対にバレるじゃないですか、さすがに。
声、ちょっと特徴ありますしね。
話し方もやっぱり、同僚さんたちにはバレてしまう。
そう、一発でバレると思いますね。
そうですよね。
顔出しするのはちょっとっていうのが、
ポッドキャスト始めた時だけだったりもしたんで、
私の場合は、聞いてくださったリスナーさんが、
私が近づいていった時に、
あって、私の声で気づいてくれたっていう方が増やしたので、
だめだ、喉がおかしい。
そうに限って、そんなことに?
そうですよね。
確かに音声配信って、声で覚えてくださっている方は、
リアルで会うと、気づいてくださる方結構いらっしゃるので、
多分特撮側もそれがまた楽しみになるんじゃないかなって、
思ってますけれども。
先制攻撃をしておきますが、
もし、僕の会社の人が聞いているので、
絶対に僕に言わないでって思いますね。
バレていることを知っているのに、
こいつ何か喋っているなって思うのは、
非常に恥ずかしいんですよ。
制作会社時代は、ブログをやっていることも
社内に任せたんですけど、
まあ限らなかったんですね。
なので、大事なのは、実はバレることじゃなくて、
バレていることを、僕が知っていることを、
相手も知っているということになる状態が、
恥ずかしくて死にそうになるんですよ。
そんなことを特撮さん言いましたらですね、
私、時々お客様にポッドキャストやってるんですっていうのを、
話の中でネタとして出すんですね。
で、ある時、打ち合わせに行った会議に、
打ち合わせ終わってお疲れ様でした。
ありがとうございますって、
エレベーターでお見送りしていただいて、
扉が閉まる瞬間に、
ポッドキャスト聞きましたよって言われたんですよ。
すごい恥ずかしくなっちゃって。
やっぱり自分の素の状態で、
一人でこう話してたのを聞かれちゃって、
結構キャっていう感じなんですよね。
そうですよね。
でも、僕も実は社内の人で、
仕事で取引ある人は知っている人もいるので、
そこはそんなに、
ちょっと恥ずかしいけど、
毎日働いている人に何か見られているというのは、
家族にブログを見られるような雰囲気に近づけるからね。
あんたは見なくてもいいんだよっていうような、
そういう感じですね。
そういう感じですね。
あんたは見なくてもいいんだよっていうような。
なるほどね。
あいつ、あんなこと言ってるぜって思われる感じがする。
書きづらくなるですよね。
あと、そうしたって、
社内のことをそのままは書かないですけど、
あれやこれや表に出していいレベルに調理して出しますが、
特撮さんがこの前言ってたこの話だなみたいなのも、
たぶんバレるでしょうし、
書きづらくなるっていうのが一番、
音声配信と喋りづらくなるというのが一番、
だから音声配信を控えていた。
そのアジェンドって、
藤井雄二さんのインタビューにも出ましたが、
写真出してるくせに、
はじめ本名で書かれてて、藤井さんの原稿が。
ダメって言ったじゃんって言って、え?みたいな。
本名が隠してて、顔出してるのに。
顔は出してるのに特名記号みたいな。
それも同じ理由ですね。
意味わかんないけど。
ネットの人っていうつもりで生きてるわけじゃないんですけど、
自分の別の姿じゃないですけど、
本名じゃないところで、
私もいろんな方に、
ポッドキャストとかエクスとか、
ネットを界隈で知り合った方、
たくさんいらっしゃるので、
リアルな知り合いの方、
お仕事つながりの方も多いので、
最近はですね、
ポッドキャストのアカウントが書いてある名刺を、
お客様にも渡すようにしてます。
売り勝ちとして生きる方には絶対に、
あった方がいいと思いますよね。
幸せで話しきれない、
仕事への思いみたいな、
こういうのを知ってもらえたら、
いいかなと思って、
なかなかね、
どれ聞いたらいいんだ、
っていう感じになっちゃうと思うんですけど、
こういうの持ってますっていうのは、
恥ずかしいですけど、
いいと思います。
渡してますので、
受け取ってくださった方、
聞いてくださっているんでしょうか。
ありがとうございます。
ということで、
第一回のテーマ、
ちゃんと決めたテーマがありますので、
こちらについて話していきたいなって思います。
ウェブディレクターになったきっかけは?
ウェブディレクターになったきっかけの中で、
ウェブに興味があってなったのか、
特に別になかったけど、
流れ流れてここに来たのか、
最初ウェブ業界に入るきっかけって
何だったんですか。
きっかけは後者の方ですね。
全然ウェブに興味はなかった。
へー。
仮に僕のことをウェブディレクターとして
尊敬してくれる人がいたら、
全員が多分失望すると思うんですけど、
全く、全くウェブに興味があって
応募したわけじゃないです。
もともと僕は、
コンピューター、デザイン、
デザインの専門学校出ているので、
ウェブ制作の授業もあったので、
もともと遠くはないんですけどね。
新卒で入った会社が、
印刷の会社で
取扱説明書を専門で作ってる、
おそらく日本で一番大きな
デジデンでも知ってる人は知ってるんですけど、
DTPという、
デスクトップパブリッシングの略ですね。
パソコンを使って本を作る、
つまりマニュアルを作る仕事なんですけど、
それのオペレーター、
今だと、
インデザインとか、
フォークとか。
懐かしい。
懐かしいですよね。
その辺を使っていた仕事なので、
全然無縁ではないんですけど、
3年ぐらいやって、
完璧しか求められない、
1000人みたいな仕事なので、
基本的には修正原稿通りにきっちり、
何百ページあるものを直すという仕事なので、
頭を使う仕事がしたいなと思って、
転職を意識し始めて、
ウェブ制作会社の求人が
未経験OKというのが出てて、
そういえば、
この仕事になるんだというふうに、
未経験OKって言ってるから
応募してみようと思って、
しかもそのとき応募したのが
ウェブデザイナーなんですよ。
何にも考えないで、
デザインって頭使いそうだから、
それでいいかなと思って応募したら、
ごめんって言って、
デザイナーの枠埋まっちゃったんだよね、
とか、面接で言われて、
君印刷業界でしたでしょ、
この会社知ってるよ、
印刷の知識あるんだったら、
ウェブディレクターだったら
非常に舐めた面接をして、
そこからウェブの業界に入ったら、
でも全然褒められた理由じゃないですね。
へー、まさかDTP出身だったとは。
ウェブ業界への足掛かり
最初からウェブ業界に入られてたのかな、
って思ったんですけど、
ということはデザイナー志望だったってことですか?
いや、それも全然、
僕もご多分に漏れず、
僕がウェブ業界に入ったのは2004年とか5年なので、
今よりもっとウェブの職種は知られてない
世界の中で僕も知らなかったので、
むしろウェブデザイナーが全部作ってると思ってたので、
ウェブデザイナー未経験OKっていうのがあったから
応募しただけです。
へー。
だからウェブプログラマーって書いてあっても
多分応募したと思います。
業界入ってからもうずっと一応ウェブディレクターなんですよね、
転職と面接
そういう意味だと。
そっかそっか、なるほど。
私は徳里さんより全然年上なんですけど、
方向がデザイン化で、
最初に入ったのが舞台美術の会社で、
歌舞伎とかバレエとかオペラとか、
日本舞踊とか、
そういうセットを作るっていう会社だったんですよ。
なかなかあんまりない会社だったので、
どんな仕事かもよく分からず、
面白そうだなと思って入ったんですけど、
真っ黒の上下の格好をして、
タビセット履いて、腰に道具袋つけて、
コンコンカンカンしながら絵を描くのもしてたので、
そこで移動することになって、
愛知県芸術劇場ってあるじゃないですか、
芸術劇場なんですけど、
ホール運営みたいな仕事に変わって、
今度新しく劇場ができるってことで、
そっちに移動になって、
そこで毎日いろんな打ち合わせさせていただいたりとか、
いろいろやってたんですよ。
そこに実は働いてたホールの人、劇場の人がですね、
一緒にiMacにハマって、
で、ホームページって作れるらしいっていう話で、
一緒に毎晩お互いいろんな技術を見せ合いながら、
楽しく作ってたんですよ。
それがホームページ作るきっかけになって、
楽しいなって思ったんですよ。
仕事も楽しいけど、
舞台監督将来になりたいなとか、
いろいろ思ってたんですけど、
やっぱりMac面白いじゃんと思って、
仕事にできないかなって思ってた頃に、
ちょうど付き合ってた彼氏もWebで独立したりとか、
よし、転職するぞと思って、
5年勤めた後にユーダの雑誌ね、
パッと開いたところにたまたまあったんですよ。
求人があって、
Webデザイナー募集中って書いてあったんですよ。
私もそこに未経験OKって書いてあったんですよ。
これだと思って、
すぐ連絡して、
友達に何か集まってた時に、
私ね、明日面接行くんだって言ったら、
そこにいたあいちゃんっていう友達がですね、
当時あいちゃんはもう3Dとかやってたような子だったんで、
私の師匠だったんですけど、
私も明日面接だよって話になって、
どこ行くのって聞いたら、
同じ会社だったんですよ。
これはね、絶対にあいちゃんの方が受かるに決まってるやろってなって、
ちょっと気持ち落ち込みながら、
でもぶつかっていこうと思って、
当時、舞台の仕事だったんで、
道具庁って言ってセットの絵を101スケールで描くんですけど、
それとかしかなかったんで、
ポートフォリオは自分の趣味で作ってた、
自分のサイトしかなかったんですけど、
それ持ってて、
そうしたらですね、社長が実は芸術的なんですか、
舞台とか好きだったんで、話が盛り上がり、
なんか楽しく面接は終わったんですよ。
最後に、実はこの後午後、
私の友達が面接に来るんですって言ったら、
え、何それ面白いから採用って言われて、
もう採用ねって言って、
2人で採用するよって言われたんですよ。
結局2人で合格して、
最初、名古屋の本社で働けると思ったら、
いきなり某大手広告代理店に放り込まれ、
広告代理店での経験
そこは2年ぐらいかな、常駐して、
直で、本当にその部屋の中で直受けっていう、
パターンのお仕事を実はしてまして、
っていうのが最初だったんですよ。
製作会社のやり方っていうよりは、
もうその部屋のやり方って感じで、
代理店直案件の、
だけど私のやり方みたいな感じで、
企画から何からしてたんでも、
最初はもう、
アイちゃんがデザイン得意だったんで、
アイちゃんにデザインを任すって言ったら、
自然と私もディレクターをやらないかっていう話になって、
だからちょっとしたデザイナー人生っていうのは歩んでないので、
ウェブデザイナーちゃんとはしてないです。
今となっては、別に関係ないやっていう感じで、
その後、結婚して子供ができて、
当時はね、まだ復帰できないんで、
フリーになろうと思っても、
すぐに関係ないって感じで、
結婚して、
そこからお仕事も最初もらいつつ、
営業もかけて、
なんとか繋いでました。
代理店にいたってことは、
やっぱりプロモーションとか、
キャンペーンとかの案件が多かったんですか?
確かにそういうものが多くて、
例えばワールドカップの結果を見てから、
仕事が決まるとか。
結果によって、
関係ないのが変わるっていう。
変わるっていうことですね。
特に、
アイちゃんが、
そういうのがあったり、
新商品のプロモーションだったりとか、
あとは今ある、
新しく始めたサービスの、
反則で企画を考えてとか、
っていう感じで、
企画から、
代理店さんがだいたい企画を考えるときは、
ほとんどなんですけど、
大幅考えるから、
この金額で、
これが達成できる企画を考えて、
見つけたりとか、
そういうのがあったりとか、
これが達成できる企画を考えて、
みたいな、
ざっくり渡されるって、
ものを延々とやってたので、
だから今もそれは得意っていうか、
はいはい、
何とかしますっていう。
ウェブを携わるもの、
特にその時代からすると、
結構幸せな、
そうなんですよ。
代理店って、
そう簡単に今もですけど、
当時は、
ウェブの触手がそこまで広がってない時代に、
そういうのがあったので、
なかなか内部で、
この大手の代理店で、
ウェブ回りの企画とかできないですよね。
代理店さんのとこにわざわざ毎回行くぐらいだったら、
もういた方がいいだろうっていうことで、
部署も立ち上がったばっかりだったんですよね。
なんでそこに、
常駐で入れたらってことで、
何故かその話一言もなかったんですけどね、
面接。
それがびっくりで、
ここがあれか、
みたいな感じで初めて出社した時は、
あれでしたけど、
私の部署もあれば、
テレビの部署もあったりっていうか、
ワンフロアにいろんな部署があったりとかして、
いろんな情報が聞こえてきたりとか、
いろんな勉強ができたなっていうのは、
あったりしたんで、
社内にグラフィックのデザイナーさんも
いらっしゃったんですけど、
やっぱりウェブデザイナーって誰もいなくて、
なんで私たちだけだったかな、
よかったなっていうのはありますね。
そうですね。
常々してるんだけど、
ほとんどの人知らない会社っていっぱいあるじゃないですか。
世の中に。
そういう会社のコーポレートサイトとか、
そうじゃない、
就職企業のコーポレートサイトとかを
たくさんスタートはやってたので、
大手代理店でそういう大きなキャンペーンとかに
携わって、
しかもその言われたものを作るんじゃなくて、
企画から入れるっていうのは、
なかなか良いスタートですよね。
良い話ですね。
本当にそうでした。
特にその部署の、
あちらの代理店の竹内さんっていう方が、
本当に私の師匠で、
私の師匠なんですけど、
企画を一緒にすごく考えるのが、
お上手な方で、
いろいろ見せていただいたり、
もかちゃんこれどう?みたいな、
意見言いあったりとか、
仕事の振り方がすごく上手で、
いい感じに私にやらせてくださるっていうか、
いきなり大きいのをボンと渡すわけじゃなくて、
こういうのもやってみない?みたいな、
ことが結構多かったね。
すごい安心して、
本当に楽しく平和に、
精神的には安全に、
仕事ができてたんで、
本当に幸せな仕事だったなって、
今でもすごく思うんですよね。
たまたまですけど、
インスタグラムで竹内さん見つけましたね。
すごいフォロワー数多くて、
意見を持ってたんですよ。
もう引退されたんですけど、
あの時のって言って、
DMを送って、
その説はお世話になりましたっていうのを。
本当はね、
見つからないといけないんですけど、
本当に、
本当はね、
なんかこう見つからないで、
テレビ番組とかだと、
探してもらうのが一番感動的なのが、
インターネットですぐ見つかってくる可能性があるけど。
名前検索したら出てきてたので、
そうそうそうそう。
今日来てくれました、
みたいなのはないんですけどね。
インターネットの良くないところと良いところが、
いっぺんに見つけた気がしますが。
そうなんです。
やっぱり師匠がいるっていうのはありがたいことで、
あれですけれども、
そんな感じで、
まだまだグラフィックされてた会社さんが、
ウェブもやるって、
そうですね。
そういうことも多かったし、
情報されてるところも全然あったりとか、
っていう時代だったと思うんですけど、
ということは私、
特撮さんが業界に入ってきた2003年は、
辞めた年なので、
あの頃にスタイルシートが出ちゃったりして、
もう本当についていけないよって。
ああ、そうですね。
2005年の2月、
年度で言うと2004年っていう感じですかね。
あ、だからちょうど20年だ、僕。
おめでとうございます。
すごい長いですよね。
いや、もう嫌になるわ。
本当に。
いや、スタイルシートはちょっと驚愕でしたね。
何だそれと。
やめてくれって。
ウェブレイアウトで入ろうかって思ってました。
何だそんな新しいもので手を出すんじゃねえって。
大変気になったくせに思ってましたね。
携帯の会社も、
ほらいろいろコロコロ名前変わったりとか、
いろいろ来たりとかね。
先生からこうだ、こうだってことですね。
こうだ、こうだとかね。
Webディレクターとしての歩み
いろいろサイトの作り方っていうのもやっぱり
ツールも変わってきたりしてっていう、
もう今のね、フィグマがどうだこうだみたいな、
そんなことはなく、
情報もね、あんまりなかったりして、
すごい、
それはそれでいろいろこう探求心みたいなのも
くすぐる年でしたね。
そうですね。
すごい楽しかった。
ツールしかなかったもんね。
そうですね。
そういう話、
ちょっと脇道にそれるんですけど、
ちょうど今日、社内でも話した
Webのエメーキというか、
Webの仕事しながら
テレビ大好き一個なので
いっぱい録画してるんですけど、
すぐ録画が温まって、
2時間ドラマとかが
後回しになるんですよ。
今週の日曜ぐらいにちょっと風邪ひきながら、
約1年前にやっていた
思い越してが不当に入ってたけど、
見てみたんですよ。
えっと、
鳩金太郎さんっていう人の
生涯を描いたドラマで、
西島秀吉さん主演で、
時計作りというものに
人生をかけた男の一生みたいな、
それを見てて、
ふーんと思いながら、
いいドラマだなと思って、
それこそ昭和の前の大正とかの話なんですけど、
実は鳩金太郎さんって、
成功、あれの創業者なんですね。
ターゲットとなる視聴者なんですけど、
つまり見ながら知るっていう。
この人の若い頃を
稲上浩二くんが演じていて、
なんで時計なんか作りたいんだ、
みたいなことを、
エッチ暴行で言ってた、
お家の親さんかな、
言われて、
船越栄一さんに言われて、
その時に言ってたのが、
時計はすごいんですと。
時計があれば、
なんとなくで自分の時間で過ごしている。
約束をするにも大体このぐらいに会おうぜって言って、
大体どっちかが会わないみたいな、
時計のない時代なので、
自分の時間の中で
感覚で時間を読んで、
なんとなくで皆さん過ごしていたらしいんですね。
エッチ暴行に住んでいたところの娘さんが、
とある悪い奴に襲われそうになって、
実は待ち合わせをしていて、
その時間通りに行けば
そんなことにはならなかったんですけど、
彼が遅れてしまって、
結局彼が守って助けるんですけど、
その時に時計さえあれば、
僕はこんなことは起こらなかったと思うと、
時計っていうのはすごいんですって。
これから日本に、
この国に時計ができれば、
みんな自分の、
自分の時間じゃなくて、
みんなが同じ時間を過ごせる。
同じ時間を統一して仕事もできるし、
プライベート、
プライベートなんて言葉ないけど、
私生活でも同じ時を過ごせることができるんです。
時計っていうのはそれぐらい、
すごいものなんですって言われるのを見たときに、
びっくりしてしまって、
時計がない世界なんて生きたことないじゃないですか。
昔の人は時計なかったんやと思うと、
確かに時計ってすんげえ発明なんだなと。
時を刻めるものを、
僕は作りたいんですというところを
知っていって、
すげえなと思ったときに、
この話するとバレちゃうかもしれないですけど、
別の方でインターネットの話に戻るんですけど、
だいたい2000年前後に、
今も現存する大手のウェブ製作会社みたいなのは、
起業をされていて、
だいたいその90何年から、
2000年前後に始めた人たちが、
だいたいウェブ製作の源流というか、
僕は第一集団の方々と呼んでるんですけど、
多分僕は第二集団で、
そのうちのお一方が、
ウェブ製作をなんで始めたかっていうときに、
インターネットと出会ったときに、
新しいメディアに出会ったと。
テレビだってラジオだって新聞だってメディアで、
できれば自分はその立ち上げの頃に、
体感していたかったと。
そこで新しいものを作って、
人々に何かを届けるということをしたかったけど、
できなかった。間に合わなかったと思ったら、
今目の前にインターネットというものが、
目の前にあると。
これは新しいメディアになる。絶対になる。
自分は今そのテレビとかラジオとか、
そういうメディアに次ぐ、
世の中に影響を与えられるメディアが、
目の前にあって、
それが仕事にできるんだと思って、
自分が何をするのかという話をされていて、
その人のことを思い出したんですよ。
時代としてはそれですよね。
もちろん時計が生まれるときには、
間に合っていないですし、
僕が仕事を始めたときは、
インターネットがあったので、
インターネットができた頃の、
新しいメディアが出来上がるときに、
それを仕事にする人には、
立ち会えていないんですが、
ただ、これを聞いている方々が、
どういう世代なのか。
これを聞いている、
怒って言いそうになっちゃったけど、
どういう世代なのかわからないですけど、
おそらく、
スマートフォンが生まれた後に
できている人のほとんどのはず。
僕らがもちろん、
スマートフォンが出る前から
ウェブの仕事をしていて、
特にB2Cだと中心になっていますけど、
これもおそらく時代の変わり目なんですよね。
人々の生活が変わって、
僕らが作っているものは、
スマートフォンというものに移る、
PCじゃなくなったというところに。
という意味では、
これも一つの重要な時代の
変化をして、
その間に立っている、
その期間に定着をしていた人は、
おそらく同じ体験をしているはずなんです。
時計を作った人、
およびインターネットが始まった頃に
仕事をしていた人と同じ場所にいるんだよ
というのは感じてもらえるとありがたいですよね。
時計と時代の変化
確かに。
大きい出来事ですよね、スマホって。
すごいなと思って。
VR、MR、ARとか、
これもどこまで普及するかわからないですけど、
ちゃんと普及したら、
これはこれで世界が変わりますよね。
VR、いろいろと仕事として
取り組んでいらっしゃるから、
これちょっとついていくの大変だなとか思いながら、
もう見るためのグラスが高いっていうのも
まだまだあるんで、
客さんもやっぱりこうやってスマホが普及したり、
ネットが当たり前になってくると、
私たちより先に情報を知っていることも
とても多くなるじゃないですか。
だからある程度は、
私たちも知っておかないと、
使いたいっていう話になった時に、
やっぱりディレクターなんて
知っておかなきゃいけないなっていうのも
すごくあるので、
私は距離があるので、
そろそろ興味持たなきゃな
っていう感じはありますけど、
徳田さんはどうですか、その辺は。
そうですね、VR、
僕も遠いですね。
まだ生成AIのほうが全然近いですね。
今の会社にいつまでいるかも
チームワークの重要性
決めてないですが、
物作って売ってる会社なので、
そういう意味ではVR、ARは
十分活用の可能性がある。
何なら全国の店舗で
そういう物作って売ってる会社が
導入したら、
一気に世界が変わる可能性があるので、
そういう意味では、
追ってなきゃいけない世界ではありますね。
視覚的な効果を持つ商品っていうか。
ハードの問題があるじゃないですか。
ハードを使う人の問題も出てくるので、
さっきと逆のことを言いますが、
一気にゲンなりしてくるんですよ。
どうしよう、こんなもの導入したら、
全国の数百の店舗から
問い合わせが来ちゃうみたいな。
でも、そういうことも含め、
楽しみではありますよね。
楽しみですね。
そういうのを頑張って、
75日のまでやりますね。
今日僕、Xで投稿したけど、
ウェブ担当者フォーラムという、
ウェブタンにSUOの辻さんと渡辺さんの
対談記事みたいなのが出てて、
辻さんはきっと100歳になっても
老人ホームでSUOをやってると思うので
って書いてあって、
そういう会話をしてそうな感じ。
やってるだろうな。
呼吸してる間はずっとSUOやってるだろうな
と思いますよね。
ディレクターだと、
専門性みたいなのが意外とないじゃないですか。
ディレクターって。
そういう話を聞くと羨ましいなって
思ったりもするんですよね。
そうですね。
得察さんってそういう意味で言ったら
ディレクターのこんなとこ魅力あるよね
とかあったりします?
僕自身は特定の専門的な才能がない
と思っている。
一人では何もできないっていうのが
一番わかりやすいんですけど、
デザインやってたこともあるし、
HTMLコーディングをやってたこともあるし、
CMSインストールして組み込みも
やってたことあるんですけど、
それぞれの専門職のエキスパートには
かなわないと思っていて、
そういう意味では器用貧乏と言えば
器用貧乏だし、
結局僕一人では大したものはできない
と思っているんですけど、
言葉を選ばずに言います。
デザイナーさんは違うけど、
コミュニケーションが下手くそな人が
多いじゃないですか。
デザイナーもエンジニアも。
その人たち一人一人では
そこまで大きなことはできなくても、
その人たちがチームを組んで
デザイナー、エンジニア、
コミュニケーションが上手いんですけど、
ポジションのスターがチームを組めば
とんでもないことができるという時に、
その時に僕が間に入ることによって
みんなの輝くポジションができて
チームとしていいことができると
僕はとてもやりがいを。
これでも僕も元々サッカーやってたので、
高校時代とかサッカーやってて、
フォワードっていうポジション、
テン取る人がいたり、
サイドバックっていうサイドを
悪く走る人がいたり、
テンは取れないけど守りが強い体の
ディフェンダーがいたりとかっていう、
僕は中盤の選手だったので、
間に入ることによって
それぞれが輝ける仕事場ができる。
これは実際に言われたことがあるんですけど、
右サイドのバックの人が上行って上がる時に、
僕が必ずその上がったポジションを
埋めたりとかですね。
そうするとディフェンスが崩れない。
例えば、センターバック、ディフェンダーが
ウェブディレクターのやりがい
ボールをカットして、
そのままボールを持ち上がればいいんだけど
っていう時に、僕が一言、
そのまま上がれって言うと、
彼は自信を持って、
ボールをカバーしてくれると思って
上がってくれるわけですね。
たった一言、ボールをかけるだけで。
徳里、お前がいると、
俺はサッカーがやりやすいよって言われたりするのが、
僕自身には大した才能はないんですけど、
その周囲の才能を僕が生えることによって、
みんなが輝いて、
みんながお前がやるとやりやすいよって言われる
っていうのがやりがいですね。
なので、ブログのタイトルの笑顔は
実はユーザーだけじゃないんです。
それがすべて、笑顔を作りたいって言ってるのは
エンドユーザーだけじゃなくて、
チームメンバーも含めて、
デザイナーはデザインの能力を発揮できて、
エンジニアはエンジニアの能力を発揮できて、
それが僕が間に入るおかげで、
それがより輝けるのであれば、
それができるに対して、
別にエンジニアにしてもいいものは作れねえ。
僕が間に入ってポジションを得られるということが
ウェブディレクターの僕としてのやりがいですかね。
私も、みんなが笑顔で楽しくできればいいんですよ。
一緒に考えて、
一緒に頑張って、
物ができれば、
それでいいんじゃないかなって思ってるので、
困っている子はとても多いので、
そういう時に助け舟としてできるのが、
やりがいだなっていうのは。
これがさっき言ったやりがいにも
ちょっと近いものはあるんですけど、
ウェブディレクターの人って、
もう本当に2つに分かれて、
しかも、
その2つも比率で言うと
4,6か3,7ぐらいに
2つなんですけど、分かれて、
だいたいその6か7の人って、
助けてって言われると助けるんだけど、
じゃあ、あなたは、
何したいの?って言われると、
僕は多分ないんですよね。
多分そういう人多い。
助ける家業が好きで、
もはや。
あなたはどうしたいの?みたいな。
別に僕は何でも楽しいですよみたいな、
いう感じの人。
自分が輝きたいっていうよりは、
誰かが困っているのを助けるとか、
いう人も多い気は、
特に活躍している方は、
多い気がしますね。
はい。
僕も、プライベートで何したいの?
ないっす。
何でもおいしく食べるんで、
酒飲めればいいっすみたいな。
仕事で、例えば成果を出すために、
どうすべきかって言われたら、
それはお前が何を言ってるんだ?
Dというゴール、
聞くためには、
A、B、C、Dだろみたいな話はできるんですけど、
それが、
プライベートになりに行くと、
え、特撮さんは何食べたい?って言われると、
え、食べたいものは別にない。
何でも、
いいですみたいな。
そのことを言われれば困るみたいになっちゃうんです。
お題を与えられると考えられるんだけど、
お前は何したいの?って言われると、
別にないですみたいなのは、
結構ウェブディレクターの職業病の人には
多い気がしますね。
キャリアの広がり
あー、確かに。
確かにね。
デザイナーさんってそうじゃない。
デザイナーさんは、
もう私の好きなのはこれっていうのがあるので、
そういうのが強い人が多いんですけど、
ウェブディレクターで、
そうじゃない人もいるんですけどね、
自分が輝きたいタイプの人、
強く、
いますけど、
6割7割はなんか僕は体感、
そっちの人の方が多い気がしますね。
そうですね。
みんなを、
笑顔にするためには、
スキルが必要じゃないですか。
というよりは、
笑顔にするスキルってなんだ、
ちょっと怪しいコンサルみたいなことを言いましたね。
そうじゃなくて、
仕事でちゃんとスキルを持ってないと、
デザイナーもエンジニアも
僕は事業会社の依頼者ですけど、
スキルが増えれば増えるほど、
笑顔にできる人数や規模が増えるじゃないですか。
僕は基本的には、
それを広げることが、
自分のキャリアパスになると思ってますね。
なので、
無理だったらいくると、
それの特性だなと思うんですけど、
でもこれやったら、
また幅が広がるかな、
みたいな感じで、
仕事をやると、
自分のスキルが増えると、
また幅が広がるかな、
みたいな感じで仕事をして、
新しいことが、
大体良くも悪くも悪くもなんですけど、
何かが起きるので、
なので今の会社に長くいられてるっていうのはありますね。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
いろいろ話してまいりましたが、
一応この番組は、
10回を目指して、
まずは10回数までを目指して、
ウェブディレクションをやってます、
ラジオの、
名村さんに乗っかりまして、
金曜日の夜に更新できればと、
もちろんでおります。
ぜひ受けていきたいなと思いつつ、
今日もお話できて、
とても楽しかったので、
第2回も楽しみにしたいなって。
願わけば、
皆さんがウェブディレクションやってます、
ラジオを思い出したついでに、
そういうのがあった。
じゃあ今日もやってらずっていう、
その、
ね、玉乗りというか、
玉乗りじゃない、
乗りたいですね。
そのためには皆さん、
フォローをお願いします。
質問、ご感想、
頂戴のフォームをご用意しておりますので、
こちらもまたご案内、
概要欄でさせていただきたいなと思います。
はい、ということで、
話し足りないですけど、
今回第1回目、
難ディレイ、終わりたいと思います。
次回もよろしくお願いします。
こちらこそ、皆さんもよろしくお願いします。
はい、ということで、
また来週。
このポッドキャストのBGMは、
Kaimu Musicのサウンドを利用しています。
35:10

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