シーソーの概念
こんにちは、ネーミングラジオ、名前をつけるラジオです。パーソナリティーのつねきちです。
パーソナリティーのけんしょうです。この番組は、けんしょうとつねきちがあるあるな事象に名前をつけて、緩く会話をしていくラジオです。
それではやっていきましょう。
つねきちさん、今日のテーマは何ですか?
今日のテーマは、シーソー指摘です。
シーソー指摘。
シーソー指摘。
あの、シーソーってあのね、公園にある。
そうそうそうそう。
あれってさ、何がおもろいんやれ。
何がおもろかったんやろな。
だってさ、体重が近しい人。やったらまあ分かるけど、もうちょっとでも差があって。
でも、同じ位置に座っちゃうとさ、距離がね、中心から。
もうなんか、もう何がおもろいんやれ。
何がおもろいだし、結構危ないと思うし、興味あんま見ない気がするね。
あーでも、確かに今パッと近くの公園イメージしても、あってブランコぐらいか、もはや今。
ブランコすなわば滑り台ぐらい。
あー滑り台そうか。ジャングルジムですらちょっと消えてるもんな、今。
シーソーって結構危ないよな。だってそんなことはどうでもいいんですけど。
シーソー。
細かい指摘の影響
シーソー指摘。
指摘。
はい。
どういう意味ですか?
どういう意味ですか?
あの、ちょっとなんかイメージして欲しくて、で、ちょっと検証に少し確認したいんですけど、
細かいことでグチグチ言うなよって言ったことあります?
そんなドラマみたいなセリフ?
そう、ドラマみたいなセリフ。
まあ言ったことはないけど、思ったことはあるかもな。
あー、いいっすね。
なんか、うつわの小さい人だなーとか、細かい人だなーみたいな感じは思ったことあります?
まあまあまあ、ゼロとは言わんけど、ぐらい。
日常、日頃からは思ってないけどね。
で、指摘の内容が細かったり小さかったりとかすると、なんかその人の発言力というか重みというか評価というか、なんかその指摘の内容とかリンクする感じしない?
うん。
そうだよね。
まあだから、細かいことを指摘してくれる人と、もうちょっと大枠で全体的な指摘をする人2人並べたら、前者の方がちょっと小物感が出ちゃうとか。
そう。
指摘の内容に比例して、発言者の評価が下がるというか、っていう感じなのかな?
うん。っていうのもない?
まあ、あるかもな。
あるよね。
プラス、僕結構細かいことを指摘した経験もあるんですけど、まあみんなさんあるかもしれないんですけど、でもその細かいことっていうか、自分としてはすごく大事なことなんだけど、
多分これ指摘された人によっては細かいことだと思われてるんだろうなって思うことは指摘したことあるんですよね。
で、それってなんか僕にとってはすごい重たいことだったりするんですよね。
だけど、指摘された人にとってはすごい軽いことだと思ってる気がしてて、
なんかそれすごいギャップを感じるなって思うんですよね。
かつ、それがさらに全然伝わらないから、
それをさらに強く指摘すればするほど、どんどん軽くなっていく感じがする。評価が軽くなっていくとか、評価が悪くなっていく感じがあって、
なお聞きづらいというか、なお受け入れられないみたいなところが起きるような気がしてて、
この関係ってすごいシーソーみたいな感じだなと思って、今日提案したいなと思ったんですよね。
シーソー。
シーソー。
シーソーってめっちゃ危ないよな、あれほんまに。
それさっき言った。
指摘の伝わり方
あ、言った。
そう、まあ天秤みたいなね。
そう。
揺らぐよね、こう。
まあそうね。僕、大学の時に近しい経験があったなって今思ったんけど。
どんな経験?
大学祭実行委員会でサークルをやっててね。
で、3年目で副委員長みたいな。委員長と副委員長が3年目で一人ずつやってみたいな。
3年目から2人選ばれる副委員長の方になってて、委員長の人がすごいできる人やったのよ。
できる人あったね。
だから企画会議みたいなのがあった時とかにも、すごい大枠の膨大な知識量とか、いろんな経験から、これの企画そもそもこうじゃないとかっていうすごいかっこいい指摘をする人やったんだよね。
対して僕は、当時意識低かったわけでも適当にやってたわけでもないけど、その人と比べたらもう全然その人の指摘を聞いて、そういう観点もあるよねみたいな側やったから。
でも副委員長としているからにはさ、何かしらその会議でも発言しないとなとか、別にお飾りみたいな黙ってるだけやとなと思って、頑張ってその企画資料とか事前に見るけど、
やっぱり細かいとこばっかり目に入るのよ。なんかこの企画の動線がここは物理的に無理じゃないとか、細かいやんその一個一個の。
でも言わんよりはと思って言ってたのよ。それをね。ずっと恥ずかしかったよ。
だから逆の立ち、さっきと逆で、もう言ってる側、僕が自分自身でこれ細かい指摘やな、これ絶対小物に見られるなと思って。
でもまぁ、小物より下になるぐらいなら、何も地蔵みたいにね。
だったら小物でいいですみたいな。
そうそうそう、せめて。
なるほどね。
っていうのがあって、割ともうこっち側からそう思ってたな。
ああこれ、なんか委員長には届かんなって思いながらでも細かいとこ指摘してとかの、結構悲しい1年やったあれは。
要は楽しかったよ、軽減して。
ただ、終わった後とかに参加者というか、他にも別に委員長副委員長だけでやってるわけじゃないからさ。
他に参加してる人とかに、終わった後とかに、大体検証が指摘してくれるところ、周りでもうなずいてる人多くて。
しかもあんまり誰も言われて気づくものも多かったから、なんか別に無駄じゃなかったみたいな言ってくれた人がいて。
救われたね。
だから逆にこっちがちっちゃいと思ってても、逆のパターンだよ。向こうからしたら大きかったパターンでもあったのよね、裏を返すと。
でもそれはすごい素敵なエピソードだね。
なんかあれでちょっと救われた感あるけど。
なるほどね。何言ってんなお前というか、すごい銃箱の隅ついてくんじゃん、大したこと言ってねえなって思われてるんだろうなって思ったけど、実際はそうじゃなかったっていうのはいいね。
実はその銃箱は天皇に出すやつやって、すごい隅の誇りを取ってくれたのみたいな。
確かにそれやる人大事なんですね。
そう、誰か言わなあかんみたいなのはあったかもな。だから会社とかの、僕もあるんですよ、後輩とかにさ、いやこれほんま細かいんやけど、このスラックの本文に返さずにちゃんとスレッドで返してみたいな。
チャンネル内投稿とスレッド返信みたいな。
そうそうそう。とかって、小っちゃいなと思いながら言うけど、後々聞いてくるぞっていう気持ちもある。今はちっちゃく感じてるだろうが、1年後にわかるよ、これはみたいな。
いい話だな。
のもあるな。
なるほどね。
だから今のは言う側の立場やね。自分が指摘する側の今二つの例えというか。自分が逆に指摘受ける側の立場になった時に何を意識したらいいかみたいなのもあるよな、多分。
そうだね。
このテーマって。
なんかやっぱり見くびることはあるよね。実際よりも。
本質よりも見くびる。なんかね、学校の先生が嫌われる学校の先生とかってそういうことなんじゃないかなという気がしてて。
ああ、生徒からの評価が一見悪い先生。
うん。で、評価が悪いというよりかはよく指摘する先生っていう感じで、もっと言うとよく指摘するっていうこととその先生の評価って本当はなんか比例しちゃいけないというか、その先生自体の評価って比例しちゃいけないけど比例するんだろうなと思ってて。
うん。
うんうんうん。
で、なんかあの先生が言ってたの結構マジで大事やったなみたいなのを後から気付くみたいな。
うん、後から気付くのはあるよね。だから言う側も細かいって思いつつも、言い続けてあげることが、怒られてるうちが鼻みたいな言葉あるやん。あれも多分その関連で。
うん。
今このご時世、今の時代、今に限らんか。
そうだね。
あると思う。やっぱぐちぐち言う人ってさ、ちょっとね、距離、その伝え方が悪いとかもあると思うよ。
まあ確かにね。
言葉遣いとかが悪い、ちゃんとしたこと指摘してるけど言い方がちょっと棘があるとかはあると思うけど、そういうのを除けば、なんか自分自身に帰ってきちゃうよね。そういう指摘する人を全部跳ねのけちゃうと。
うん。
でもやっぱ僕、過去の回で何回か言ったけど、左利きのエレンで、言葉はゆっくり届くっていうセリフがあって、それはずっともう、頭の片隅にあんねんけど。
うん。
そうとしか書いてなかったから、完全に僕の解釈やけど、やっぱそう後から聞いてくる。言葉はゆっくり届くよって。今言ってることは多分お前にはすぐ伝えらんやろうけど、みたいな文明が出てくるから、そんな指摘もだからそうだな。
まあそうだね。でも早く届くんだったら早く届いた方がいいよね。間違いなく。
まあそうだな。でもよく言うやん。君もいずれ分かるよ。あれはそういうことだよね多分。で本当に、いずれ分かったことない?今まで。
あるあるあるある。
あの時のあれ。
そういうことがあったよね。
そういうことがやっぱ確かにですよねみたいな。
確かになーみたいな。確かに、高一の今勉強した方がよかったなーって。
マジでよかった。人生変わったよね。
あるよねー。それってでもなんか通じてないんだよねなんか。
通じてないな。
なんなったらその落ちてから、大学とか落ちたから初めてなんでもっと早く行ってくれなかったんですか?ぐらいの勢いじゃないですか。
逆裏にも肌裸しいなもん。
そうそうそうそう。言ってたけどねーみたいな。
そうだからゆっくり届くのよ。逆になんかすぐ届く指摘って多分なんかあんまり本質を得てない気がする。
うーん。
例えばその人を殴ってはいけませんとか。
どうなんだろうね。でもその発言力の重みのコントロールみたいなことはなんかできるような気もしてて。
うん。
なんだろう。なんか最初からすぐ細かいことを指摘しないとかは大事な気もするんだよね。
あーはいはいはい。
本当に重要なことだけを指摘するっていうことにしておいて、これができるようになったから今まで言ってなかったけどこれもお願いしますっていう風に言った方がいい気がするんだよね。
僕なんか資料レビュー、まだこの年次で部下もいないしさ、後輩はいるけど。レビューというかちょっと見てくださいみたいな。
事前にパワポの資料とかもらって情緒にレビューする前のプレイレビューみたいなの見させてもらうこととかあるけど。
大器学っぽいなー。
テニオ派とか気になるから、それは指摘すんなよ絶対。
あーそうなんだ。
指摘の重要性と信頼関係
だってそれを素通りする理由がまずないから。え、あなた見たんでしょって俺も言われちゃうし。
確かに。
自分のためにでもね。ただテニオ派だけだとやっぱり常々言ったように、自分の発言力を下げたくないからっていう理由ではないけど、ちゃんと見てる予感。
自分が上の人に資料レビューしてテニオ派だけ指摘返ってきたら、あれこれ中身見てくれてるって思っちゃう。
だから指摘するときにちゃんとテニオ派プラス本質的なというか、指摘は合わせてやるようにはしてたかも。今思い返すと。無意識にやけど。
なるほどね。
いいっすね。だからその、なんていう、いろんな理由は出てきたよね。その細かいことでも言った方がいいよっていう。
話し喋っててというか振り返って思うけど、一番最初は細かいこととか指摘せず大垢なことだけ一旦指摘するのがいいんじゃないかなという気はしてきた。で、大もみを出していくというか。
それってさ、自分を守ってるだけやん。自分の発言力を下げたくないというか。
いや、というか、殺言力が低い状態で言っても意味ないからという意味ということを言いたくて。
なんか守りな、相手のためにならずまず自分がファーストである順番な気がしちゃうなそれ。別にどう思われても細かいことしか指摘できないときもあるやん。
いや、なんだろうな。なんかちゃんと伝わるためにはお互いに信頼関係が重要というかっていうことなのかなと思ってて。
なんかそれがすごく大事というか正しいことであったとしても、信頼関係がない状態に言っても伝わるものは伝わらないよっていう、ただそれだけな気がしてて。
その信頼関係を作るためにすごく重要なことを指摘できる人であるという認知をまず取らないと結局ゆっくり届くになっちゃうと思うんだよね。っていう話なのかなと思ったんだけど。そんなことない?
言葉の定義のすれ違いでした。例えば資料をレビューしたときっていう具体例のときに、大枠を指摘してから細かいところを指摘するっていう発言なのかなと思ったけど、そもそも大枠の指摘を絶対しないといけないことはないやんと思っちゃったよね。
たぶん常吉はその資料のレビューの話ではなくて、そもそもの信頼関係の話をしたってことだよね。だから別に。大枠から指摘するって言ってたから、大枠の指摘ってなんだと思ったけど、そもそもの人間関係のところだったことだよね。
そうだね、そうだね。
指摘によってしか得られない信頼関係なんてないからね、別に。
継続と発言力の構築
ない。ってか飲み会とか、雑談とかそういうのが大事なんじゃないかという気がする。指摘よりも。
であれば、わかるわかる。だから、編集者のミノワさんがこれから人的資本の時代が来るみたいなのをおっしゃってた気がして、
ミノワさんがそういう例えで言ってたわけじゃないけど、僕の理解としては、例えば僕が今からYouTubeを始めても、たぶんチャンネル登録者数なんて片手で数えるほどだと思うよね、すぐ。
ただ芸能人が始めますって言って、動画もなしにアカウント作るだけで、たぶん一気に何万のフォロワーが入ると思うよね。
で、僕とその芸能人が全く同じ動画を毎日上げ続けても、たぶん芸能人の方が解析が回るやん。この差っていうのはたぶんその人の人的資本というか、知名度であり信頼度でありみたいな。
これもだから、この二人が今YouTubeの例えで言ったけど、誰か部下に指導しますっていう時も、やっぱこの誰が言ったかっていうところも結局関わってきちゃうよね。
確かにね。
資料の手による指摘するのと、その芸能人が資料の手による指摘すると、え、芸能人なのにこんな細かいところも見てくれるんやと思う。
もう全部逆転するよね。
そう、これはだからその世の儚さでありというか、そういうものってわかってるけど、今は芸能人だからすごいトップやけど、いわゆる社会人において考えると仕事ができる人とか。
そうだね、でもなんだろうね。さっきの話でいくとさ、芸能人じゃないけどYouTube始めて有名になってる人もいるわけじゃないですか。ある意味芸能人みたいな感じになってる人もいるわけじゃないですか。インフルエンサーみたいな。
で、それってどうやってなるんだろうね。 継続ですよ。 継続しかないんですよね。継続をして、やっぱり自分の重みをつけていくというか、っていうのが大事なんだろうね。
さっき芸能人の自分のために言ったけど、芸能人にも僕の時代があるから。僕だけ素人の時代があるわけやからさ。その切り口が違うだけで。だから、発言力持たせたいって言うとちょっとそれこそ自分ファーストやけど、
まあツニキツキで言ってるように、誰が言うかっていうのがあるからどうしても。やっぱその前段の信頼関係みたいなところは最低限必要よね。なんかポッと出ないやつに細かいことグチグチ言われたら、そりゃ。それは耳にも入らんよ。 入らないよね。 でも誰々さんが言うならっていうのは絶対あると思うから。
なんか良い世の中なのか悲しい世の中なのか。 そうそうそう。だから儚いよねそれが。 難しいよね。 良さと悪さがあるから。
なるほどね。非常に勉強になりました。発言力をつけていくためにひたすら継続していきましょうっていう話ですかね。
社会人で言うと目の前の仕事をちゃんと真摯にいくのと、周りとの信頼関係を築いていく。これによってどんな指摘、どんな細かさ、どんな荒さの指摘をしても相手にも届きやすいし。
言ってることは変わってないんだけど、自分が変わっただけみたいなことですよね。 そうそうそう。誰が言ったかというところなんで。どっちの目線でも広がったかな。聞く側としても話す側としても。
非常に学びのある回でした。 名前をつけるラジオネーミングラジオでは皆さんの感想・質問・疑問のお便り、細かい指摘だなと思ったエピソードなんかも大募集しております。概要欄のURLからお便り送ってもらえたらとっても嬉しいです。
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それじゃあ、バイバーイ。