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今年こそ最高の夏にしよう!
はい、8月1日になりました。
この1ヶ月間は最高の夏月間としましてですね、
皆さんも等しく8月が訪れていることかと思います。
8月1日から8月31日、この31日間にすべてがかかっていると言っても過言ではありません。
受験を制するためには夏を制する必要があるという言葉もね、よくありますが、
最高の夏を制するためには夏を制する必要があるんですよ。
お前は一体何を言ってるんだと思った、そこのあなた。
大丈夫です。時期にわかるようになります。
毎年毎年ですね、夏というのは過ぎ去っていくのがあっという間な月なんですけれども、
いや本当に何度我々はこの夏を繰り返せばいいのかと。
人間諸君の皆様におかれましてはですね、
だいたいざっくり90年ぐらい人生があるのではないかと最近は言われておりますと、
90回夏を経験します。
そのうちのざっくり、そうですね、3歳4歳5歳までにしましょうか。
5年ぐらい、後後ろ5年、機械的にそうしましょうか。
5たす5でプラス10ね。
すのうち80回の夏を経験することが理論上可能なわけですよ。
で、じゃあそのうちの最高の夏とは一体何なのか。
そういう課題にぶつかるわけですよね。
で、我々最高の夏委員会としましてはですね、
どうしたら最高の夏というのを現実のものにできるのか。
そもそも最高の夏というのはこの世に存在するのか。
そういったことを追い求める秘密研究機関でございますと。
でですね、まあいくつか仮説があるんですよ。
最高の夏とはその最高っていう瞬間なのか。
いや、そうではなく最高の夏とは最高の夏だったなという終わった時に
後ろを振り返った時の概念なのか。
はたまたいわゆる英語で言うところのINGK
最高の夏を過ごしているな。
前3秒、後ろ3秒、まあ現在進行形で、これは最高の夏であるというパターン。
もしくは本当に何でしょうね、今までは時間の話をしてたんですけれども、
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まあ時と場所というのは非常に近い概念ですから、
場所、今ここは最高の夏だっていう考え方。
あともう一つは、俺が、俺自身が今この場で最高の夏だというその自分に対する概念。
そしてもう一つがもちろん相手に対する概念ですね。
君が最高の夏だ、君が僕にとっての最高の夏だったんだ。
だんだん雲行きがね、晴れていきましたよ。
君と僕、もう序盤からね、こんな序盤から歩けみ、その通りこんな序盤から君と僕です。
まあ様々な仮説が立てられるんですけれども、共通しているのはやはり夏というのはですね、
まあそのいわゆる書家と残書と言いますか、いわゆる7月から夏なのではないか判定、
9月も運動会あるから夏なのでは判定ありますけれども、
やはり夏休みの宿題は8月31日までであったりとか、
我々のまああれですね、旧約聖書こと鈴宮春日の優通、エンドレスエイト、
まあいろいろな、まあその他にも様々な文献がございますけれども、旧約聖書、新約聖書、旧約聖書といろいろパターンはあるんですけれども、
まあやはり一旦8月で、まあ僕の夏休みというゲームは8月31日を一応区切りにしてましたけれども、
一旦8月なんですよ。一旦置きましょう。
で、9月になった瞬間になんかよくわかんないけど、ちょっとね駆け足になる感じがあるじゃないですか。
いわゆる運動会に向かってちょっとなんかスッタカタみたいな感じになってしまうというか、
やはり8月なんですよね。ただ一方でですね、この捉え方にもちょっとやっぱ諸説あるなというのはやっぱ昨今の研究結果で明らかになってきておりまして、
言うてお盆休みなんとちゃうんっていう、あのそういう一派ですよね。
今年のお盆休みは大体8月の8日、そこらへんから8、9、10、11、12、13、14、15ぐらいまでがお盆休みと言われておりますけれども。
まあいろいろな記念日もありますけれどもね。 ただですね、お盆休みって、
まあもちろん、世間的にもお休みだし、なんかいろんな楽しいね、催し物であったりとかもあるから、
より最後の朝が権限しやすいのではないかというね、仮説もあるんですけれども、一方で8月の真ん中なんですよ。
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何だったら序盤とも言えますよね。 なので、
あの後半が残ってるんですよ。 で、一説によるとですね、そのやはり
花火というものはですね、 パッと咲いて散る瞬間こそ最も美しい。
そう考えると、8月1日から8月31日の、 だんだんだんだんと時間が経っていくにあたって、
夏エネルギーが蓄積されていくっていう仮説もあるんですよね。 8月の前半だとまだ
46%ぐらいしかエネルギーが溜まってない。 その状態で果たして本当に、
ああ、なんか今年のお休み終わったよねって言っていいのか。 いいな、良くないのである。
そういう話なんですよ。 なのでですね、
結論を言いますと、いろいろな仮説がありますが、 この8月の31日間というものをどう過ごすかというので、
まあ、その後の何でしょうね、 夏に対する自分の在り方みたいなもの、
それをまあ全身全霊で表現していく、 その夏の魔物というものがいるのであれば、
その魔物に向かって、 我、ここにあり。
夏、 各あれかしと。
無垢の怪物と成り果てたこの身、 それを夏に対してぶつけていくというのが、
この31日間の役割なんじゃないかなと。 まあまとめて言うとざっくりそういう感じですよと。
果たしてですね、
いろいろな文献の中で、 どういった状態が夏なのか、どういった瞬間が夏なのか、
どういった時、場所、感情、構図、空間、 それが夏なのかというのは、
まあ様々研究結果が発表されておりますけれども、 まあ一人で実現可能なのか否かっていうところが、
まずやっぱりね、 資生の民は気になるところだと思うんですよ。
まあいわゆるところの、 まあいくつかパターンはあるんですけれども、
まあスタンドバイミー方式だったりとか、 まあ世界規方式だったりとか、いろいろあるんですけれども、
仮にここはキャッチーに、 そのいわゆる君と僕としましょうか、
世界形形式をちょっと今日はね、 真ん中に置いてみたいんですけれども、
まあいわゆる君という存在がいないと、 夏は権限しないのではないかという考え方ですよね。
これはですね、非常に残酷ですよね。
いわゆるところの、 恋中もしくは恋中未満ですか、
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といった相手がいないと、 夏にならないのではないか。
いわゆる夏というのはですね、 非常に過ごしにくい季節であって、
それだけで課題、いわゆるハードル、 困難というものが目の前に出てくるわけですよ。
物語というのはですね、 いかに困難を乗り越えるかでしかない、
というふうにデフォルメしていくこともできる。
すなわち夏というのは暑くてだるい、 日差しも強い、
日が早くて、日が長くて、夜は短い。
ちょっと異例な状態なんですよね。
そういう状態だからこそ、いろいろな困難が生まれ、 だからこそ物語が生まれる。
例えば、暑い、汗かいちゃった、パタパタみたいな。
ふぅーってなるでしょ。
今ね、これを聞いたあなたも、 暑いぐらいのところで、
おや? これはもしかして?
って感じましたよね。 まあそういうことなんですよ。
いろいろな困難が発生するので、 それだけで物語が進んでしまう。
シーンが生まれてしまうと。
ではそのシーンそのものが、 最高の夏なのかと考えるとですね。
これもまた難しい考え方で、 いわゆる一度見たことがあるシーンというのは、
物語にならないのではないかというね、 そういう仮説も立てられるんですよ。
すなわち夏というのは、 一生に一回しか来ないのではないかと考えることもできるんですよね。
ただこれはやはり、我々研究者にとっては、 非常につらい現実であって、
現実かはわからないんですけど、 まだ仮説段階ですからね。
一度その機会を逃してしまうと、 一生夏に出会えない。
まあいわゆる例えば、そうですね。 暑いみたいなところでドキッとするじゃないですか。
そのドキッとするシーンというのが、 例えば年齢、
暑いって言ってる人、あとはそれを見てる人、 いわゆる実際にそれを体現してる人と観測者ですよね。
年齢によってやっぱりシチュエーションって 変わるじゃないですか。
ってなると、今そのタイミングで、その場所で、 そのことでそうなったから、
夏というのが表出してくるという考え方も できるわけで。
となるとですね、 ここでやはり一つ頭に浮かぶのが、
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毎年毎年ユニークな夏の形というのが 存在するという考え方なんですよ。
すなわちですね、 まあ今年の夏は一度きり、
という言葉がありますけれども、 それは本当にそうと言えましてですね、
もう少しブレイクダウンすると、 今年の夏が生まれるであろう条件というのは、
1分1秒更新され続け、 そしてどんどん消えていっている、
っていうような考え方もできるわけですね。
いや、こう考えると皆さんは、
あっ、もうこの瞬間から夏の可能性というものが どんどんどんどん通り過ぎていく。
振り返ってももう思い出せない、 夏の欠片がどんどん指の間からこぼれ落ちていく、
ということに気づいたかと思います。
ただ一方でですね、それを今こうして観測できた瞬間に、
またもう一つ新しい夏という概念が生まれましてですね、
こぼれ落ちてしまった夏を振り返って観測している、 その状態こそが夏なのではないかというね、
そういうことも言えるわけなんですよ。
さあ大変になってきましたよ。
禅門に虎、孔門に竜。
虎と竜はここで言う夏ですね。
となるとですね、全力で今を生きた方がいいのか、
それともむしろ全力を出さない、出せない方がいいのか。
それもやっぱり変わってくるわけですよ。
プラスですね、もう一軸考え方を追加するとすると、
いわゆるあるものを享受するのか、ないものを慈しむのかというね、
そういう問題にもなってくるんですよ。
あるもの、いわゆるこれが夏か、うわぁ楽しいなぁ、
やっぱり夏って一番好きな季節です。
いやまぁわかる。
ただ一方でですね、遠い日の花火という概念もあるんですよ。
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ないからこそ夏だなと。
そう、否定心学的な夏というのもあるんですよ。
これは夏じゃない、これも夏じゃない、これもあれもそれもどれもどれも、
夏じゃない。
だったら、すべて夏ではないのであれば、
その夏ではないという概念によって、その中心に夏があるはずだと。
否定心学的な夏の捉え方なんですけれど。
そういう考え方もできるわけなんですね。
なのでですね、春日が、SOS団が、
虫取りに行く、プールに行く、花火大会に行く、いっぱい夏をやりました。
いっぱいいっぱいやりました。
だけれどもですね、
あー、ちょっと、うーん、なんか満足いかない。
じゃあ、また新学期、集合ね。
そうして、また8月をやり直す。
この時に、いわゆるあるものを享受し、スタンプラリーをするか、
スタンプラリーをしたからこそ、
みんなで宿題をやるということに行き着けたのかっていうのは全然違うわけですよ。
いわゆるスタンプラリーの答えとして、
終わってない宿題をみんなで部屋でひっしこいてやるという、
スタンプラリーの大切な1ピースをチェックしてなかったよねと考えるのか、
全部やったからこそ、そうじゃないものっていうのが浮き出てきたのか、
さらに、その全部をチェックしないと最後のピースが出てこなかったのかっていう。
そう。
この時点で3パターンあるんですよね。
もう大変ですよ。
どうしたら本当に夏というのが、
ああ、夏だった。
ああ、もう今年の夏は満足だ。
最高の夏だったなと言えるのか。
そう、最高の夏だったでいいのか、最高の夏だななのか、
最高の夏かもしれないななのか。
もうこの時点でまた3つあるんですよね。
そう、でもお気づきの通りですね、やはり夏ということと時間というものは非常に密接に絡み合っておりましてですね、
時の概念なくして夏は語れないんですよ。
一方で、我々が今観測できるこの、
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まあ現在刻一刻と過ぎ去っていくこの時間ですよね。
そこでどう動けばいいのか。
まあある種原生理学的というかその、
じゃあどうすればいいの。
じゃあどうすれば一番夏できるの。
夏なれるの。
夏、通り過げるのと。
どうすればいいんだと。
まあこの答えに関しては、
まあまだ答えは見つかってないんですけれど、
延々の課題ではあるんですが、
ただ一方で一つ、一つですね、
まあ私としても専門的にね、
この分野を研究しておりますので、
プロフェッショナルとしてやはり、
まあ現時点での仮説というのはありましてですね、
夏というものを意識すること。
これなんじゃないかと。
すなわち夏というものを観測しようとする、
その行為が一番より夏という概念に触れられる、
まさしくそれを振り合う、
夏とそれを振り合うことができる、
もっともなんでしょうね、
ある種合理的と言いますか、
もちろん意識してしまうことで、
ああ夏だったんだな、
というそこだけちょっと落としてしまうんですけれども、
ただ一方でやはり夏だな、
この時間、あの時間、これからの時間、
今ここ、さっきいたところ、
これから向かうところは夏なんだと考えることで、
少なくとも自分が今いる地点からの手の届く範囲、
時間という概念が流れているので、
4次元的に、そのベクトルが触れ合うところだったら、
夏と接触することができると考えると、
時間が流れているのであれば、
まあ意識していた方が点数は高いよね、
トータルの点数は高くなる、
そう、なので、
まあ結論から申し上げますと、
8月1日から31日の間、
ああ夏だなと考える、
とにかく夏であるということを忘れてはいけない、
そうすることによって、
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まあ新しい、その、なんでしょうね、
今までの夏ポイントというのが、
どんどん溜まっていくんじゃないかなと、
もちろん、人間諸君に関しましては、
年齢を、歳を重ねていくごとに、
認識能力が高まっていく場合もあれば、
低まっていくこともありますよね、
それはもう、だんだんだんだんと、
体が衰えていくからというのもあるんですけれども、
まあそれによって、
もう衰えるからこそ見える世界というのもありますし、
認識が、認識力が強くなるからこそ、
見えなくなってしまったものというのも存在するわけで、
やはり、毎年毎年違うわけなんですよ、
条件が、環境が積もり積もっていくわけではないんですよね、
ただ、だからこそ、
よりたくさんの可能性というのを試行することができるという考え方もあり、
やはり、さあ、この夏どうするか、
それが一番大事になっていくことであって、
何も、いっぱい動け、いっぱい行動しろ、
夏をとにかく楽しまなきゃいけないんで、
そういうわけではないと思うんですよね、
何もしないということも、また夏の形、
また、そうですね、
青少納言がいたのであれば、
まあ、夏、夏は○○と言いますけれども、
この○○に何が入るのかというのは、もう本当にやはり無限にありますので、
春、秋、そして冬、
まあ、他の季節と何が違うのかという疑問を持つ方もいらっしゃると思いますけれども、
まあ、春、芽吹く季節、冬、死に行く季節、
まあ、生物的にはそうですよね、
で、秋はまあ、過ごしやすいですよね、
まあ、冬にだんだん向かっていきますよね、
まあ、夏、夏から秋から冬からというふうになりますよね、
えっとですね、ベクトルがはっきりしてるんですよ、
はい、夏に関しては、
その、まあ、ある種、日の、日の長さですよね、
っていうところで考えると、夏と冬が、まあ、いわゆる最上地点と最下地点なんですよね、
で、ただですね、冬というのは静止させるのでですね、
物語が生まれるかというと、そこまで生まれない、
その、大体が静止の方に行くので、はい、
一方で夏というのは、
静止のベクトルがあまり働かないんだけれども、課題感はやはりあるというので、
そういう意味でも、四季の中で夏というのは、やはりちょっと特殊なんですよね、
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なので、夏をあまりなめないほうがいい、
あの、今日は皆さんにこれだけを知って帰っていただきたい、
まあ、今日から31日間、まあ、
あなたの目の前にも、そして後ろにも、
夏というのがやってきます。
あなたがどんな夏を見つけることができるのか、
私にも見つけることのできない夏を、もしかしたらですね、
あなたが見つけてくれるのかもしれないと、はい、
この惨劇を止めてほしいと、
思うわけでございます。
ぜひね、まだ見ぬ夏を見つけたら、
シャープ、なかよしインターネットで、
ツイートして教えてください。
それだけが、私の、
願いです。
では、また次回の夏でお会いしましょう。