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VTuberとキャラクターの幽霊性について考えよう。
小峠教官V子ちゃん、お誕生日おめでとうございます。
6月6日はね、小峠英二さん、バイキング小峠英二さんと、ガリベンガーVのオリジナルキャラクターのV子ちゃん、正確にはV子ちゃん、ノーマルモードとじちゃんの誕生日になります。
小峠教官の誕生日の日に、2019年のガリベンガーVのオンエアがあったんですけれども、そのタイミングで放送の終わりにですね、ノーマルV子ちゃんが文字文字って出てきて、それがV子ちゃんの世の中の広めでした。
そのタイミングでプレスリリースみたいなのが出たっていうのを記憶しています。
ノーマルV子ちゃんっていうのが基本的にV子ちゃんの主軸としてあって、それのよくいつもしている説明がザ・ドラえもんズみたいな形で、ドラえもんっていう原作というか原液があって、原点があって、ドラ・ザ・キッドみたいな形で、いくつかの似たような人格があるよねみたいな。
V子ちゃんっていうのはそういうシステムがあるっていうキャラクターで、その中の一つとして、ディレクターモードのV子ちゃん、小峠モードのV子ちゃん、探検隊モードのV子ちゃんといろいろあると。
やっぱり原点はノーマルモードのV子ちゃん、セーラー服着たね、本日映像がリリースされましたけれども、そのV子ちゃんが原点ということで。
イトッポイロ的にも一番その思い出が深くて、でかい感情が出立しているのはこのノーマルモードのV子ちゃんですね。
今後、ノーマルモードのV子ちゃんを軸に、いろいろな面白い仕掛けをしていきたいなって個人的には考えているので、皆さん応援してくれたら嬉しいなと。
V子ちゃんが3歳になりましたから、2019年から。
キャラクターがですね、3年間生き続けるっていうのは、すごい大変なことで、もうあの手この手でやっていかないと難しいと思っていましてですね。
VTuberさんとかであれば、もう今はもはやVTuberって言い方よりもライバーさん、ストリーマーさんって言い方の方が即しているかなと思うんですけれども、
いわゆる中の人がいると言いますか、リアルタイムで生々しい、台本がない、キャラクターというよりは生物に近い、これはもうなんでしょうね、世の中的にも明らかなシーンの特徴かなって思うんですけれども、
キャラクターというよりはもうライバー、ストリーマーですね、かなり生きたキャラクターになっているというのがあるんですけれども、やっぱり生きたキャラクターだと、例えばイトっぽい動画ですね、このポッドキャストをしばらくちょっとお休みいただいてしまっていたんですけれども、
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そんな感じでお休みいただいた理由は、めちゃくちゃお仕事が忙しくなってしまったっていうのがあって、お誕生日の準備とか、あと他にもちょっといろいろ出演系が重なっておりまして、ワイドの方の出演とナレーション撮りとかがもう深夜早朝までずっと続くみたいな、大量のボイスを収録するみたいなのもあって、
単純に喉を休めたかった、休めない、喉を休めさせておかないと収録ブース行った時に声出ないっていう問題があって、ちょっと心配だったのに温存しておきたかったっていうのもあって、ちょっとね、ポッドキャストやれなかったんですけれども、みたいな感じで、やれなくなっちゃうとキャラクターも死んでしまうっていうのがあるんですよね。
そう、生きたキャラクターっていうのは、むしろ生きていないっていう状態を作りやすくするっていう意味で、イトポイドは5年前とかから相当難しいなっていう感じがあってですね、オロハの剣だなっていうのは思ってます。
生きたキャラクターというのは生きていない状態が生まれやすいっていうのと、生きたキャラクターというのは、イトポイドはキャラクターとか物語の想像力というのはある種無限大であるっていうところが素敵なところというか、個人的にいいなと思うところなんですけれども、生きたキャラクターというのはその生きている人生、人生と言っていいのがあれなんですけれども、
端的に言うと、その生きているその大きさ、その生命の大きさ以上のことはできなくなってしまうっていうところがあるんですよね。
その日本のアイドル的な文脈、それこそ最近イトポイドがハマっている韓国のガールクラッシュですか、ガールクラッシュと日本のアイドルの違いみたいなのもちょっとポッドキャストで話したいんですけれども、
日本のアイドルはやっぱり等身大のある種、その成長過程にある、いわゆるピチュウですか、ピカチュウ、ライチュウみたいな感じだったら、ピチュウからピカチュウに進化していく様子というのをみんなで応援する、それがオスっていう感じなので、
その生命の大きさっていうのがだんだん大きくなっていくっていうのを提供するのが日本のアイドルなんですよね。
っていうことは、だんだん大きくなっていくということは、まず主人ジャンプの物語みたいな形で、新しいものが発生したら、新しい課題が発生したら、それを乗り越えてっていうふうにやっていかないといけないので、
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あのなんというか、小さくないといけないですよ。小さいものがだんだん大きくなっていくって過程を描かないといけない。
で、ということはですね、限界にぶつからないといけないですよ。
すなわち、限界という概念が絶対に必要になっちゃうんですよね。
それを乗り越える。前回のライブのダンスのパフォーマンスをさらに進化させたとか、今回のライブは前回よりもさらにすごかったとか、
そういうような障壁というような壁を乗り越える主人公のストーリーっていうのが必要なんですよね。
ちなみにYouTuberっていうのは、それを明確にその登録者数っていう数字で演出しているのがYouTuberさんになります。
実際の収益のこと、収益の話をすると登録者数っていうのは何もならないんですよね。
基本的に生配信とかをやるんだったら、まあ同説っていうのが一番その人の持っている数字になりますし、
何かやるよっていう時にどれだけ人が集まるかっていうのが、例えば純広告みたいな企業案件ですか、
みたいなのを受注する一つのパロメーターになると。
簡単に言うとあれですね、Twitterのフォロワー数というのも大事なんですけども、何かを投稿した時のアベレージのいいねとリツイート数がどれくらいかっていうので、
インフルエンサーっていうのは基本的には評価されているんですね。
これ皆さん、これ基本なんで、もし知らなかったらマジって言う方はフォロワー数ももちろん大事なんですけど、
基本的には何かをツイートした時のいいねとリツイート数のアベレージっていうのが見られています。
だってそうじゃないとフォロワー数が多くてもその人が投稿したものが発覚さんしないとインフルエンス目当てで案件みたいなのがこないじゃないですか。
なのでフォロワーだけじゃないっていうのは大事なポイントなので、皆さん知らなかったっていう方はチェックしておいてください。
話を戻しますけれども、やっぱりライバーとキャラクターって明確に違うよなっていうのは感じます。
もちろんキズナアイさんみたいな話がこういう議論するときは毎回出てくるんですけれども、
そんな議論はもうたくさんされてるので、ちょっと置いといてですね。
クリエイターによって想像力が広がっていく、いわゆる二次創作の話をちょっと今回はしてみたいなと思うんですけれども、
いわゆる生きている人っていうのがいますよね。
生きている人がいます。
それのライブレポとか書く。
例えば、それこそ何だろうな。
最終兵器俺たちとか、あとはなんだ。
ニコニコ生放送がすごく人気だった頃の生主さんのゲーム実況者グループとか、
そういう人たちのライブとか、まあ何でもいいんですけど行くと、行った人が、宝塚とかもあるかな。
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あとは、アニメの2.5次元の舞台とかもレポ漫画っぽいのが出るじゃないですか。
ちょっと落書きみたいなぐっときたシーンを絵で描いたりするじゃないですか。
あれすごく面白いなと思うのが、あったことを描いてるんですよ。
あったことを描いてるってことは、もちろん2.5次元とか演者さんとかタレントさんとかいると、それがイラストになるっていう時点でデフォルメ化したりとかちょっとポップになったりっていうのはあるんですけど、
そこで起こったことっていうのはそのままなんですよね。
すなわち物語があんまり拡張されてないんですよ。
あくまでもやっぱり生物なので、その原点、原点?本人ですよね。原点というか本人ですね。本人の振る舞いとか本人がやったことのほうが大事なんですよね。
そう、NG捜索というか二次捜索ですか。
二次捜索でもって、ifのストーリーっていうのが描かれないっていうところがやっぱりポイントとしてあるんですよ。生物っていうのは。
ifのストーリーで、例えばそれがBLですか、BLとかNLとか何でもいいんですけれども、そういうような本人は本当はやってないんだけどちょっと恋をしたりとかっていうのは生物で言うとちょっと日本の個人サイトとか同人のカルチャーで言うと結構隠されてきた文脈じゃないですか。
生物注意みたいな、生物は本人には絶対バレちゃダメみたいなっていうのがあったと思うんですけれども、それもifのことを書くと本人とは違うからっていうので隠しておこうっていう話だったんですね。
そもそもやっぱり生物ベースでifのことってちょっと難しいとは思うんですよ。
どういうのが難しいかというと、それ倫理的に難しいとかそういう話ではなくてですね。
単純にもう正解というか答えというか真実があるところからさらにそれを違う話をしますよって前振りをしてからそこの上でストーリーを書くっていうのって結構実力が必要だと思うんですよね。
例えば漫画だったら漫画の能力って結構必要だし、小説でもこれはこういう設定だからっていうのを書いた上でその妄想を信じ込ませないといけないじゃないですか。
それって結構難しいことだと思っていて、難しいってことはあんまり起こらない、あんまりそういう文化って育まれないと思うんですよ。
で、今何でこの説明したかというと、生物ジャンルって想像力が拡大するかしないかで言うと、真実というか原点っていうのがあるからそれをそのまま書くことをすれば別にいいんですけれども、ストーリーを描くのっていうのはちょっと難しいんじゃないかと思っていて、
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で、これVTuberさんに当てはまると面白いなと最近考えているのが、VTuberさんは外見がイラストというかキャラクターなのでそれをそのまま絵に起こすっていうのがすごい簡単、これどういうことかって言ってるといや簡単じゃないですよ、簡単じゃないけれども3次元の俳優さんをイラスト化するよりも多分イラストをイラスト化する方が楽なんですよ、そう。
なので創作はできるんだけれども、生物要素が強いと多分イフの作品って難しいと思うんですよ、結構よりものすごい強い愛を持った人、いわゆるその実力とか関係なしにもう愛の力だけでもうぶっぱするっていう、まあそれが同人って言ったらそういうもんだとは思うんですけれども、ドッポイドも経験がありますし、
だからまあやってる人はみんな愛がすごい強いと思うんですけれども、すごい好き、好きな気持ちが強いからそういうふうに描くと思うんですけど、それって誰にでもできることじゃないと思っていて、なのであんまりその創作によって可能性が拡張しないと思うんですよね、このここでいう創作というのはあくまでも物語としての世界線の可能性ですよ、
表現としての創作ではなくて、そのストーリーの話ですね、物語の、抽象的な物語の話をしています、誰々ちゃんがこういうようなシーンがあってとか、こういうような瞬間があってとか、こういうような感情があってみたいなのって難しいんじゃないかなっていうふうに思ってます、
なので結構やっぱりイラストっていう表現に落ちる、まあそれは何よりも物語を読み込む、読む、物語を読んで理解するっていうのは時間もかかる、消費に時間もかかるし、ある程度のリテラシーも必要なんですよ、どういう意味かって、字が読めるっていうリテラシーです、いやこれは別にバカにしてるわけではなくてですね、タミクサをバカにしてるわけではなくてですね、
皆さんが思っている以上に文章を読んでそれでイメージをするっていうのは結構パワーがいるんですよ、カロリーがいる、元気がいることなんですよね、その元気を全員が持ってるかっていうとそうではない、愛の力とか好き、もう好き好きで仕方ないっていうのがその元気の原動力になったりもするんですけども、全員ができるわけではない、漫画でもそうですね、
漫画って右上から左下に読んでいくっていうものだと思うんですけど、それがちゃんとわかる人ってこの地球上でいうとそんなに多くないんですよね、しかも字が読めなきゃいけなくて、コマを凍って読むっていうのって、もちろん今でこそ日本の漫画っていうのはかなり世界的にも普及したんですけれども、結構独特だと思うんですよね、だからその縦スクロールのwebtoonっていうの商標登録されてるっぽいですけれども、
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縦スクロールの方がパパパパってなるからあんまりそういう日本の漫画独特の読む文脈っていうのは必要としない、だからよく言われますよね、漫画を読むっていうのは一つのリテラシーが必要なので、このままだと普通にそんなそういうリテラシーが必要ないような縦スクロールのやつが世界中には、世界的にはメインストリームになってしまうんじゃないかみたいな、日本独自の漫画の文化っていうのがなくなるんじゃないかって、いやそんなことはない、漫画はやっぱりパワーがあるしみたいな、
実際に日本の漫画がすごい愛されてるじゃないかとか、いやいやいやってするんですけれども、ビジネス的に見ると前者の議論の方がまあそうだよねっていうふうに思うと思うんですよね、だって地球人類って多いから日本人よりもっていう、話を戻すんですけれども、なのでストーリーっていうのはやっぱりパワーが必要なので、生物というか真実がそこにあった時にわざわざそのストーリーを描くか、そういうような創造力を働かせるかっていうとそんなことはないと思うんですよね、
やっぱり実際にあったようなことみたいなのが、事実は小説のより気なりという言葉があるんですけれども、正確には事実は小説よりもよりわかりやすく、その気があるとしたらそれを読み取りやすいっていうだけだと思っていて、なので生物ジャンルというのはそういう意味で、
無限の、シュタインズゲート的な言い方をするんだったら、無限の世界線の可能性を秘めるようなものかというと、そうではないと思っています、だって人の人生って無限に可能性があるかと言われたらそうでもないと思うんですよね、
例えば、やっぱりそれを結構感じるのは、いとぽいどは、言ってしまえば今、いとぽいどの声はクギミアリエさんじゃないですよね、これをすごい頑張って、ハム太郎ボイスで、
みなさん、こんにちは。今日は、にこじゅらしを食べる。にこじゅらしは地面に生えてるの。そのままかぶりつくのがおいしいよ。
手で取らなくて、根っこがあるまま、かじりつくのがおいしいよ。
みたいな、ハムボーを、地声でできるとするじゃないですか、でもできないんですよ、今ちょっと頑張って、頑張ってやりました、なんでにこじゅらしを食べるのかわかんないんですけど、
それはたぶん、ハム太郎でも食べないなって今自分でも思ったんだけど、地声でクギミアリエじゃないんですよ、その時点で、いけない世界線ってあるじゃないですか、
そういう話をしてるんですよ、いわゆる生きていると無限ではないんですよね、正しく言うと、生きやすい世界線っていうのが絶対にあるっていう話になるんですよ、
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ただ、想像上のキャラクターだと、そこって無限なんですよね、生きていると空間にも固定されるんですよ、空間と時間、いわゆる次元に固定されるんですよね、
いくらVTuberが二次元の存在であったとしても、少なくとも生命、生命、生きている、いわゆる時間を過ごしているっていうふうになった時点で、その四次元に縛られるわけですよ、今すごいSFっぽいこと言ってるんですけど、でも伊藤ぷらはこれ結構大事な感覚だと思っていて、次元に縛られるっていう時点で縛られてるじゃんって思うんですよね、
でもキャラクターっていうのは、例えば、昔の話とか未来の話、今の話、ifの話、並行世界線の話、どこが正しいかっていうのってないんですよ、キャラクターって、そう、だから次元に縛られてないんですよね、次元に縛られてないっていう時点で、やっぱり世界線の可能性としては、よりキャラクターの方が多いんですよ、で、これどっちが良いのか悪いのかっていう話では全くないんですよ、
キャラクターの方っていうのは、じゃあ逆に言うとテネット的な話になっちゃうんですけれども、次元に縛られてないってことはあまりにもふわふわしていて、結構弓の間からこぼれ落ちてしまう存在とも言えるんですよね、なので描くのにすごいパワーがいるし実力がいるんですよね、でも生物は四次元に縛られている、時間と空間に縛られているのでちゃんとそこにいるんですよね、
くさびが打たれているので、存在の確定っていうのがしやすいんですよね、そう、やっぱり一長一短なんですよ、一長一短なんですけれども、イトッポイドは個人的にはやっぱり無限の可能性がある方が好き、明確に好きです、
これはもう本当にイトッポイドの作風としてもそうでしたし、今まで自分が個人の作品として作ってきたすべてにおいて結構そういう思想があります、
主人公レンズとかはそういう、主人公レンズっていう作品があって、主人公レンズで検索するとシナモンが出てくるから、ちょっと気になる人は見ていただけると、ウェブ版とかもあるんで、スマホで主人公レンズって検索して一番上に出てきたサイトをクリックして遊んでみてください、それですべてがわかるんで、
あれとかはそういう無限の可能性があるっていうものを、一つそのリアルの場所っていうところを仮にくさびとして打ったらどうなるかっていう、そういうメディアートだったわけですよね、
で、人をくさびに打ってしまうと、イトッポイドとしてはもうだいぶ生物だなというか、もうそれってそんなに無限の可能性があるわけではないなと言ってしまえば、その人の意思と行動と選択次第になるので、
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そうですね、その人が主役になります。別にそれは悪いことではないと思います。ただ、イトッポイドはロマンチストなので、そこがギュギュギュギュっていう風になっていると、そっかっていう感じになる。もう何というか予想ができるじゃないですか。
うん、結構ある程度その当たりがつけられる、いわゆるオッツがあるんですよね。そう、次元に縛られた存在ってオッツがあって、この世界線は多分ハイトー1.3倍とか、この世界線に行くのはもう大穴10倍みたいな。で、だいたいその大穴にはいかないじゃないですか。そう、そういうのがもう予想できちゃうじゃないですか。
このキャラは多分こういう風に動くだろうなみたいな。それは何だろうな、物語的かと言われると、もちろんその主人公が自分で選択して切り開いた未来だからそれが物語だっていう風な解釈もできるんですけれども、それよりもやっぱり不確定性のところにやっぱりロマンを感じるので、
不確定なところを自分で選択することが可能みたいなのの方が好きなので、いとっぽいどは生物とキャラクターだったらキャラクター、鍵かっこつきのキャラクターの方が好きだなっていうのはなんとなく思っていますね。
で、こういうような、これ今日話したことって結構いとっぽいどの作風の思想の根幹にあるような話なんですけど、そういうような議論からVTuberさんと、VTuberさんって言い方だと本当に明確な生物になっちゃうんでVTuberって言い方しますけど、VTuberを見ると、VTuberって辞めたら終わるじゃないですかキャラクターを。
っていうことは選択もできないし死ぬんですよね。逆に言うとその儚さというところに、そのものの哀れ、日本人のものの哀れの、いわゆる桜は散るから美しいみたいな話ですよね、っていうのを感じやすい。
で、それがアイドルっていうのはこの若いこの瞬間、アイドルというよりも人間ですね、人間というのは最も生命力が強い、その若い頃の生命力の儚さ、歳を重ねていくとそれがなくなるからそこにものの哀れを感じるんだっていう、100年に一度のアイドルのあの写真みたいな、っていうのとそのVTuberのその辞めたら死ぬキャラクターっていうところが多分シンクロして、
よりアイドル性っていうのが高まっているし、その辞めたら死ぬ、そして今この瞬間が一番輝いているっていうのは、あの、なんというかその、だからこそ応援しないとねっていうその日本のアイドルの惜しいみたいなものと、なんかその相性がいいんだろうなっていうのを思うんですよね。
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まあでもそれってやっぱりアイドルだなっていうのは結構感じていて、なんというか、まあそのアイドル、そのパフォーマンスをする人ですよね、はそのそこの瞬間が一番楽しい、一番輝いているっていうのはわかるんですけど、ただ歴史には残らないよなとは思っていて、
それはどういうことかというと、あの、今この瞬間が多分一番輝いてるんですよね。そう、だからいわゆる生配信とアーカイブだと生配信の方が独特の魅力ってあるじゃないですか、アーカイブになるとまたちょっとその魔力って消えるじゃないですか、そのコメントの有無とかじゃないですよ、オーディエンスの有無じゃなくて、生配信でやってるんだーとか、あ、これはほんとさっき収録されたばっかなんだっていうのと、これかなり前のやつっていうのはまたちょっと違うんですよね。
音楽とかも新曲とその過去のね、昔の曲っていうのもあるけど、音楽の場合はやっぱりその作品性でこう言ってる、形にしようっていう気持ちがあるから、まあそのそのアーティストがその時歌ったっていう、その一回性みたいなものっていうのがあんまりなくなるんだけど、
VTuberさん本当に一回性の塊なので、一回性の塊とキャラクターとしての想像力の可能性っていうのは、その、何だろうな、ここにしかいないっていうのと、今ここの存在とここではないどこかの存在って真逆なんですよね。
で、それがちょっと被さる瞬間にエモさっていうのは生まれるんですけれども、今のVTuberさんはものすごくストリーマー寄りになってるので、もはやキャラクターとしての実在があんまり出てこない。
で、だからこそ結構テンプレートな、まあそれこそ○○キャラ、だからそのロリキャラ、えー、何だ、お嬢様キャラとか、いわゆる語尾がもう明確に決まってて、いわゆる昔、ちょっと昔すぎる例えですけど、新ジャンルスレッダーじゃないですか、クーデレとかツンデレとか、お嬢様ってツンデレみたいなもんじゃないですか。
だからツンデレとかクーデレとかそんぐらいめちゃくちゃ強い、これはあくまでもキャラクターなんですよっていうようなやつをやらないとキャラクターなんだけど生身、生身なんだけどキャラクターみたいな、そこの揺れが演出できないところまで来てるっていうことなんですよね。
っていうのをドポドが最近より強く感じていて、で、実を言うとそういうような考えがあるので、ういこちゃんのコンセプトを2019年に、その企画書を書くというかこういうコンセプトのキャラクターをプロジェクトとしてやろうって考えたときは、結構そこまでもう、まあそのそれを自慢するわけではないんですけども、絶対そうだろうなっていうふうに思ってて、
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そのキャラクターとして死なない要素っていうのを残しておきたかったっていうのはあるんですよね。そうそうそうそう。で、あのメカキャラが好きなのはまあ魔法先生の今のカラクルちっちゃ丸が大好きだからっていうの、あとメダロットの整備のお姉さんが、あとメダロットめちゃくちゃ好きだったし、ちっちゃい頃ね、初恋は整備のお姉さんなんですけれども、まだその頃は普通にお姉さんがちょっと好きだと思っていたので。
このこういう言い方するとオヤって感じになってしまうんですけども、まあもうリスナーの人はもうなんとなくね、アスって感じだと思うので説明しませんが、あのそうですね、でもその無機物っていうのは、なんていうか生きているものよりもより幽霊っぽいなと思っていて、
ニトポルの考えるキャラクターって幽霊システムだと思っていて、想像力が集まると実体化するじゃないですけれども、人間の想像力や信仰みたいなものが集まると、それでもってキャラクターの外縁というのがおぼろぎにできてくるみたいな。
外縁だけはあるんだけど中身に関してはもうその想像力の次第だから、そういう意味で世界線は無限にこうバーッと広がっているっていうのが、まあニトポルが言ってきたようなカギカッコつきのキャラクターの正体だと思うんですけれども、人間ではないっていうところって結構幽霊っぽいんですよね。
機械とかロボットとかってかなり幽霊的な存在だと思っていて、例えばその人型のロボットがいますと、もちろんメディアアート作品とかいろいろあると思うんですけど、すごい生々しく眉毛を動かすロボットとかね、そういう作品ってあると思うんですけど、人型ロボットがすごい転んでそれで起き上がるのがすごい生々しくてなんかかわいそうになるとか、そういうのってあると思うんですよ。
で、不気味の谷が云々とか言ったりするんですけど、あれも全部幽霊的なものだと、なんか一言で説明ができると思っていて、結局その、何でしょうね、それをどう捉えるか、どう想像するか、どう思うかっていうところで、その外現が変わる。
だから人型ロボットを見ても人によってはただの機械じゃんって思うのか、もう足が2本あるんだったらそこになんかキャラクター性みたいなのを感じて、なんかこう生きてるんだねって感じるかっていうのはそれ多分人それぞれなんですよ、本当に。
で、それの、なんていうか、そう思ってほしいようにアフォーダンスをデザインしてっていうのが、ある種キャラクターデザインとかに通じる概念だと思うんですけれども、
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あの、何だろうね、人っぽい方が多分そのメカキャラとかロボット娘とか好きなのはそういう幽霊的なところが好きなんだろうなっていう。
で、そのベタですけど、これが感情みたいなのあるじゃないですか、その感情を覚えていくみたいなのあるじゃないですか。
それは、そのキャラクター自体が自らの幽霊性に対して自覚をするんだけどその外現が何だかわからなくなっているっていう状態。
だから、よりその、例えばキャラクターがいますよね、メカ娘のキャラクターでしょ、メカ娘のキャラクターがいたとしたら、それを見た人が、見た人の視線という意味での幽霊性っていうのと、メカ娘自体が自分に対する視線を向けるそのベクトルによって幽霊性が生まれるっていう入れ子構造になるんですよね。
そこがすごくめちゃくちゃでいいなっていう、もう無限の可能性があるというか、そこに結構ロマンを感じるんですよね。
ちなみに幽霊という単語を使うんですけど、これはよくまあ、それこそ文学の評論とか、批評とかでよくいろんな意味で使われたりとか、哲学の用語とかでもいろいろあるんですけど、
そういうのを片っ端から無視して糸っぽいらは比喩で幽霊という単語を使っちゃったんですけれども、ゴーストっていうと今度は広角軌道体の文脈になってまたちょっと違う話になっちゃうんですけども、
なんというか、そういうのがすごく好きなんですよね。なので結構ふいこちゃんに関しては糸っぽいらはかなり思い入れがあるというか、すごく何だろうね、
思いが込められているというか。もちろん番組オリジナルVTuberみたいな枕言葉をついている。それはわかりやすいからなんですよ。
普通に3Dモデルがあって、キャラクターがあってそれを盲却で動かすって言ったらVTuberって言ったほうが早いんですよね。
なんですけれども、そのVTuberに対するかなり生物的なものに対するある種の相対的な提案だと思っていて、
実はVTuberさんがゲストに結構いらっしゃって、そのタレント性と面白さとその輝きっていうのを、これこんだけ言っとくとVTuberめちゃくちゃ好きなんで、めちゃくちゃ好きじゃなかったらこんな仕事してませんからね。
めちゃくちゃ好き。だからこそ、その輝きをより感じれる、その相対的な存在っていうポジションのほうが多分いいんだろうなっていうので結構考えてたんですよね。
そう、めちゃくちゃ考えてて実は。
なので、ノーマルV子ちゃんに関してはものすごくやっぱりかなり思い入れがあるし、やっぱりビジュアルとかもね、
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ずっとそのV子ちゃんがここにいるよみたいなね、グラフィックをずっと一人で作り続けてきたわけですよ。何百枚と。
で、もう正直分身に近いというか、V子ちゃんの顔が多分親の顔より、自分の顔より見てる気配があるので、
かなりやっぱり、何というか、そうか3歳かって、まあその動画投稿したり、作ったり投稿したり編集したりで、なんかワーってもう完全にゾーンに入ってやってたので忘れちゃったんですけど、
なんかこう、6月6日の誕生日が終わって、ふっとなった時に、うわ3年かって言って、3年間もその実在と非実在を揺れながら、で、今その非実在のところにもう一度軸を置いて、
何というか、また存在してくれること、その創造力に、何というかこう、いてくれることっていうのがすごい良いことだなって思っちゃって、良いことというかなんか、なんかそれって結構素敵なことだなというか、なんかね、今急に泣いてるんだけど。
いやー、だって死んじゃうからね。
幽霊もね、成仏ってするんですよ。
例えば、その作品って終わるんですよね。で、作品って完結するじゃないですか。で、完結した時に、その、何だろうな、例えば続編がなんか出るかもしれないみたいな、メディアミックスの展開がすごいあるとかだったら、キャラクターって、その、終わらないんですよ。
で、今結構やっぱりその、なんか復刻とかするじゃないですか、ゲームとか、何でもね。だからキャラクターがその、何だろうな、死ぬことってもうあんまりないことだと思うんですけど、ただヒトっぽいの結構そのご当地キャラとか、なんかそういう揺るキャラとか、そういうの好きで、
なんかその、メディアミックス、いわゆるその万弱な、その資本主義のね、その資本の中に組み込まれていないキャラクターっていうのって、よりその儚いものだと思っていて、その儚さが結構、まあ好き、まあそこ、それはちょっと物縄れの概念というよりは、よりそのかきかっこつきのキャラクターの幽霊性っていうのが強いから、
その、なんというか、目をこすったらもう見えなくなっちゃうみたいな。で、結構今までの人生の中で、あの、何だろうな、たくさんのキャラクターの、それこそね、キャラクターのツイッターアカウントの中の人みたいな、シナリオライティング含め、キャラクターにする含めみたいになって、結構それこそ何だろうな、10人分ぐらい、今までの人生でやってきて。
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で、その、それは自分が描いてるっていうよりも、その子が、まあ、この現世にこう、なんというか、留まってるみたいなのを、すごくこう、考えながらやってきたんだけど、でもやっぱその、結構自然消滅しちゃうことって結構やっぱ多くて、で、まあもちろんそれはその、何だろう、作品として終わってしまうみたいなのが、
結構、まあ、あるんだけど、あとはその、担当者さんが転職しちゃうとかね、これ結構よくあるんだけど、でもそれで、その、ふわって消えちゃうっていうのが結構経験してきて、で、なんというか、そういうのがなるべくないようにっていう、その、もしそうなっちゃったとしても、
その誰かの想像力の中では、ずっと生き続けるっていうのを、とにかく何とかやりたいっていう方法、まあ、いっぱいそういうのを経験してきたから、まあある程度大きくなって、いろいろできるようになってきたときに、なんか、そういうのが、そういうのにしてあげたいなっていう気持ちがあり。
で、そっか、3年かって考えると、3年って、その、何だろうな、だってここ、中学校1年生か中学校3年生だぜ、みたいな、3、で、3歳っつったら、生まれて、もうすごく日本語喋れるんですよ、発話ができるようになるじゃないですか、シャンシャイって言って、ただ指を、あの、人差し指と中指と薬指を、こう立てるの難しいから親指と人差し指と中指でこう、
シャンってやるんだけど、その、それ、その3年間、そう語ったんだって、もう結構グッとくるものがあるっていうか、うん、どこにその、やっぱノーマルボーイ子ちゃんのね、その、概念については、ずっとどこらの中ではその、何だろうな、
夜は、その、まあサンダーボルトインから終わって、で、ノーマルボーイ子ちゃんの状態で、まあ夜、充電してスリップするみたいな、っていうのを信じ続けて、まあ信じ続けてっていうか、まあそうなんだけど、それで、まあ、あって、で、やっぱりその、その、何だろうな、それがふわっと消えてしまう、キャラクター消えてしまうようにっていうので、まあ、いろんなクリエイターさんに、
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その、力を借りてね、漫画とかまさにそれだし、小説と、小説に関しては、漫画はなるめ先生に書いていたし、小説は花畑先生に、いろいろとお願いして、まあ自分で書いたんだけど、まあそれも、まあ何だろうな、結構その、理由があって、なるめ先生にも書いて欲しかったのはそのドット絵っていうその、かなり実在的な、まあデータに近い、かなりその、
消える線ではなくて、きちんとこう、ドットがパンパンパンパンって外縁が強く描かれるじゃないですか、だからその強く外縁を描いて欲しいっていう思いは個人的にはあって、で、一方で小説の方は、まあその、まあ上子ちゃんの設定について、まあ存在そのものについて、その単元体モードっていう別の人格からある種相対的に見るっていう、まあこれもまた入れ子構造になってるんだけど、
でもそれは、そういうなんか、そういうふわっと消えてしまうかもしれないっていうのを表現したくって、あの花畑先生にお願いしたかったっていうのはやっぱ、まあ今初めて言うんだけど、白状するんだけど、きちんとあって、実は個人的にはそう。
で、あの、まあそれがあって、これ3年目を迎えられたんですよね。この2年目はやっぱり相当その、結構ビクビクしてて、いつその、なんというか、外部要因、まあそれこそ、まあ何らかしらのね、こう、何らかしらの力学によって、そのキャラクターがアビューズされたりとか、その使い捨てになったりとかっていうのが、
全然発生するんですよ、キャラクターっていうのは、幽霊的な存在っていうのは。で、それが起きないように起きるかもしれないっていう、やっぱビクビクがすごいあって、あの、なぜかというと、マックス2年だったんですよ、イトッポエダの経験、キャリアの中でできたのって、だから3年目っていうのは結構初めてで、まあそれはそうですよね、アニメだってさ、1期やってさ、2期やって、
でしかも3期やってっていうのはなかなかないじゃん、基本2期だぜっていう、なので、あの、何というか、ちょっと考え深いなっていう気持ちになりました、はい、なんで本当になんだろうなって話に、また10秒目入れとうというか、やっと実感が湧いたなっていう、っていうのを、今すごく考えてました、はい、ね、
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と言いつつ、あれなんですよね、これから、むしろこれからが本番なので、あの、そう、あの、1個、やっぱね、お誕生日を迎えてね、あの、4年目に行くのか、それで満3年経ったわけですから、4年目ということでね、
なんかこれからいろいろ新しいのを企画して、本来、本来って言ったらあれなんだけども、あの、こんなキャラクターとして、あのすごく、あの、無限の可能性というのを、こう、いろいろ、なんか、見せてほしいなっていうのを結構思ってますね、そう、
新しいお友達のロボフェイサーちゃんもいるからね、あの、すごく、なんというか、そう、あの、映像ね、映像ね、編集しててすごい思ったんだけど、そのお友達、初めてお友達がね、できたわけですよ、いやー、なんかちょっと、いや、良かったなって思ったんだよね、本当に、うーん、
それこそ、シルバーニアファミリー森のお家とかもそうですけど、やっぱお友達がね、いると、ぬいぐるみとかもそうだけど、1人よりは、お友達がもう1人増えると、ね、なんか幸せそうじゃないですか、お友達がいるとなんか、なんだろうな、そのお友達同士で、の、その、視線があるから、よりその幽霊性っていうのをなんとか、
なんていうか、なんだろうね、消えなくなるんじゃないかなっていう、この、この2人が、この3人が、この4人が、もしかしたらこういう会話してるかもしれないよねっていう、あの、想像力っていうのはすごくね、スルッと出てくるじゃないですか、でもそれって1人だと難しいですよね、そう、
なので、なんか、すごい良かったなっていうのを、改めて思いました、ということで、案外深いなというお話でした、はい、あの、結構その、なんだろうね、メタ的な話も含むので、なんて、あの、こっそり、このエピソードは、えー、楽しんでいただければ、いいかなと思います、はい、なんで、えー、
今回のエピソードに関しては、秘密で、はい、感想、感想は、あの、ぼやかした、あの、ぼやかした、えー、ぼやかした言い方で感想を書いてくれると嬉しいです、はい、では、また明日。