リスナー電機向けに2Xさんのご紹介をせいぜいながらイトッポイドからするとですね、まあすごい端的に言うと、イトッポイドが茨城県で東宝キッズだったときに、あとはあれだな、ハードコア楽しいとかをね、すごく動き動きしながら聞いていた頃に、
その当時からちょっとグラフィックデザインみたいなものとか、やっぱCDジャケット、いわゆる同人デザインみたいなもの、いわゆるね、即売買いに対するエモさみたいなのをポッドキャストで話したこともありますが、
まあそういうときに憧れていたお兄ちゃんたちのいろんな同人誌があるんですけど、そこの同人誌に普通にいた人です。
いや、恥ずかしい。
でもこれあれだもんね、後で気づいたんすもんね、これもね。
そうですね、なんかそういう絡みだとは全然知らずみたいな。
そうそうそうそう、つえくさんいろんなね、まあこうインターネットでネット上で活動されているんですけれども、イラストレーターの高峰なだれ先生、なだれさんですね。
煮干しのなだれさん。糸っぽいども枠どどがあるの、いわゆるメカっぽいどのキャラクターデザイン衣装デザインをしていただいた、もう非常にお世話になっているなだれ先生。
でそのなだれ先生のプロジェクトですね、バニースーツプランニングという、バニースーツプランニングって名前の通りなんですけれども、
バニースーツにもいろいろな意味が込められていますが、そのデザイン周りであったりとか、それこそそのプロジェクトからリリースされるソフィアFシャーリングちゃんですね、のかわいいフィギュアの箱とか、いわゆる同人誌と言いますか、
ムクボンと言いますか、の想定デザインであったりとか、中のデザインとか、あといろいろなグッズですね、プロダクト、それも自主制作されるものから企業さんからね、企業さん主題で大量に、もうすごく大量に、すごくいっぱい出る、それのデザインを一挙に担当されているということで、それが2Xさんでございますと。
はい。なので、いつもいろいろお世話になってますし、それこそ応募は終了になりますけれども、ハコトリVのロゴと、いわゆるゲームのUIデザインっていうのも実は2X先生にお願いしてお世話になっていると、それで普通にやり取りを始めて、しばらく経った後に、
あれ、その本に自分いますよ、みたいなことを2Xさんが言って、は?ってなって、写真を見せてもらったら、それ実家にあるっていう話になって、ああ、そうだったんですね、みたいな感じになるという、なんか君の名はみたいな感じになったっていう、そういうエピソードがある関係でございます。
そうですね。
でですね、実を言うと、前回からゲストさんのリレーでお話を聞いてるんですけども、2Xさん次回来ますということでね、言ったらですね、お便りが来ております。
2Xさんゲスト会にもし間に合えば、ということでね、リスナー電気デモ市和さんから頂きました。ありがとうございます。
2Xさん会待ってました。2Xさんといえばイラスト、音楽、デザインとマルチクリエイティブな印象ですが、それぞれ始めたきっかけは何ですか?影響を受けた人とか当時の時代感のわかる話が聞きたいです。
このお便りは、だいぶ2Xウォッチャーじゃないですか。
そうですね。たぶん今、2Xを知っている人って、たぶんここまで知らないっていうのは多いんじゃないかなと思ってまして、自分も質問を聞いた時にかなり手駄手な方のお互きだなって思いながら聞いていましたが、そうですよね。
デザインだけじゃなくて、音楽とかイラストのところも含めてって感じですよね。
これ、音楽はずっとそれこそコミケなり音楽系のM3なりっていうのを2Xさん出てらっしゃるじゃないですか。
これ知らない人もいるんで、あえてすっとぼけて聞くんですけど、音楽はCDのジャケットのデザインをしてるだけじゃないってことなんですか?
そうですね。CDのジャケットもしますし、中身も作るしみたいな、そういう感じで、かれこでもう20何年やらせていただいてるっていう感じですよね。
コミケの時の、コミケの一番初参加が2002年、でもCDは2001年からやってるみたいな、そういう風な温度感のやつでしたね。
2000、そっか、もう2024年だからもう22年、23年。
そうですね。なので、今CDはナンバリングでずっと出しているんですけど、年号と一緒なんで今年24枚目が出るみたいな。
その音楽のやつは、いわゆる音楽もいろいろジャンルあるじゃないですか。例えば、それこそミキシングエンジニアの方であったりとか、歌ってみたとかのジャンルで言うんだったら、それはミキサーの人であったりとか、
あとは作曲の人、歌の人、あとはヒップホップだったらトラック作る人、いわゆるプロデューサーって言われたりしますね、トラックメーカーだったり、
バンドをやったり、あとは東宝アレンジをやったりとか、いろいろあると思うんですけど、ジャンル的にはどこになるんですか。
ジャンルはDTMになるので、ほぼ自分でソフトウェアで一通りのことを全部やってしまうみたいな形にはなってて、
音楽ジャンル的にはもうテクノトランス系っていう風なところでずっとやっている。なので、ちょうどそれこそサイバートランスとかベルファレとかそのあたりがめちゃくちゃ流行ってたっていう時代ぐらいから、
今も何か愚直にトランス系とか、最近だったらEDMとか他のものもやりつつみたいな形で活動させていただいているっていうのが、我々のレーベルを2001年からこさえているんですけど、そこの活動ではあります。
レーベルって今言ったと思うんですけど、Cメディアレコーズってね、サークル名にもなってると思うんですけど、これがそのレーベル。
そうですね、2001年に岡山県で一統合した人たちによって作られたという風な感じで。
じゃあもうそこからずっとってことですよね。 そうですそうです。
え、でもさ、20何年も同じサークルで愚直にやり続ける。しかも毎年1個CDを出す、1個以上出すって結構エグくないですか。
そうですね、もう同じようなことをやっているサークルさんってやっぱりそんなには多くなくなってて、ただまあなんて言うんですかね、やっぱりサークルレーベルのポリシーとしても継続は力ないと。毎年絶対に出すぞという風な感じで、コードは何も負けずみたいな形で作っていくみたいな感じではありました。
そう、CメディアレコーズさんがリリースしたCDのジャケットとかがかっこよくて、それを紹介しているようなインタビューみたいな感じですよね。
そうですね。
それのインタビューが載っている本があって、それをキッズの糸っぽいのが普通にしまなこで読んでて、なるほどみたいな、CDを作るときはこういう風にやるのかみたいな。
今大人になってみてみれば、Cメディアレコーズさんは結構トッピなことやってるから、これを真似するってものじゃないと思うぞっていう冷静なコメントはできるんですが、そういう繋がりでございますと。
音楽、作曲をずっとやってるってことですもんね。
そうですね、もう一から曲を作ってみたいな感じですね。
今普通にお仕事としてというか、みんなの活動としてというか、商業的にもリリースされるものとしてはグラフィックデザインみたいなものがよくリリースされると思うんですけど、
自分のご自身の何ていうか、例えば同人用語で音屋とかあるじゃないですか。音屋、なんとか屋みたいな、あれ的に言うとどこなんですか。
ただ、最終的にはやっぱりデザイナーっていうところに帰結していくっていうふうなところは、自分の中では持っているって思っているんですよね。
音楽も作るけど、でも最終的にはそれをプロダクトとして人に届けるみたいなところがあるので、
昨今の電子配信的な流れっていうのはもちろんあるんですけれども、特にCメディアレコーズの場合って、プロダクトとしてのCDの蓋を開けてからCDをセットするまでが音楽体験の一つだみたいなところみたいなのも、
愚直に大事にしてたっていうふうな感じではあったので、なのでパッケージ自体が凝ってたりとか、パッケージのデザインから出てくる音楽みたいなところがあると、
やっぱりそうやって単純にMP3のファイルを再生するっていうふうなところだけじゃないなっていうふうなところがあって、そうなってくるとやっぱり自分の立ち位置っていうのは最終的にはデザイナーのところに帰結していくんだろうなみたいなのは、ちょっとぼんやりとは思っていますね。
なるほどっすね。例えばその今のゴールが、ある種その体験を届けるんで、それがプロダクトというもの、作られたもの、デザインされたものであると。このお便りにはイラストっていうキーワードも書いてあるんですよね。
そうですね。 イラストって、ある種そのなんていうかな、グラフィックデザイン、例えば何か伝えるためのものというよりは、イラストってイラストが主体じゃないですか。
もうそれ単体でコンテンツがワンチャン解決してしまうし、まあ昨今のスピードがめちゃくちゃ速い環境だと、イラストってかなり特殊だと思うんですけど、絵も描かれている。絵も描く。これきっかけは何なんすか。何でも作るってことですかこれは。
基本的に元々幼少期って、僕は地方の出身だったので、単純に娯楽がないっていうようなところっていうのはすごくあって、私自身はテレビもほとんど映らないような土地にいたので。
そう、だいぶですよそれ。 そう、テレビ局のお名前で言うと、テレ朝とテレ東と富士が映らないんですよね。なので、ほとんどの人が経験しているであろうエンタメみたいなものに、幼少期触れる機会がなくて。
マジか。 で、やっぱりその時って、ギリインターネットが身近になりつつあるというか、インターネットっていうものがあるぞみたいな、テレ放題があるぞみたいな、そういうふうな時期だったっていうようなところもあって、やっぱりインターネットから得られる情報量の多さみたいなもの、ギャップがリアルな日常で得られる情報量とは比にならなかったんですよね。
やっぱり、なんかそういう幼少期を送っていると、やっぱりインターネット上でいろんなウェブサイトを見ながら、こんな活動をやられている人がいるみたいなところの刺激っていうのはめちゃくちゃ多くて、やっぱり自分でもやりたい、パソコンで作れるものを全部ちょっとやってみたいみたいなところが、やっぱり当時の思惑としてあって、それこそ、今、オワコムでだとそれこそインティオスとかシンティクみたいな、テンタブレットがありますけど、まだインティオスとか言ってない、アートパッドって言ってる時のテンタブレットがあって。
うわ、やばい、なんかいろんなことを思い出してきた。
タカトリヤ そう、まだね、バンブーとかの前みたいな。
バンブーの前ですよね、そうですよね。ああ、やばい。
タカトリヤ そう、っていうところで、絵が描けるパソコンだとみたいなところらへんから、やっぱり何でもやってみたいっていうふうなところはあって、イラストとかを描き始めたっていうのが、やっぱり一番幼少期の体験としてはあった。他にやることがなかったっていうふうなところがすごく多かったっていう印象はありましたね。
なるほどね。じゃあ、パソコンでできる遊びみたいなものは、結構何でもやっちゃうぜというか。
タカトリヤ そうでしたね。なんか今でこそですけど、当時一番初めに触ったソフトはやっぱり3DCGの動画っていうふうな。
3Dなんですか?
タカトリヤ 3Dでしたね。やっぱり、当時のパソコンイコールCGみたいな、これといえばこれみたいなところでの明確なところがCGだったっていうのと、あとやっぱり動画ってちょっと面白かったのは、3Dのソフトって言うて仕掛けが作っていきましょうとか、まるで作っていきましょうみたいなところだったんですけど、
動画の場合ってレッスンっていうふうな形式で、レッスン1、レッスン2、レッスン3みたいな感じでソフトが分かれてて、基本的に最初から結構出来上がっているパーツみたいなものを組み合わせていくっていうソフトだったんですよね。
例えばコックピット部分だけがもうすでにあって、あと翼の部分とかがあってみたいな、そういうふうなものを組み合わせていくと、なんか知らないけどよく分かんない人でもそれなりのCGができるみたいな。
で、それをキーフレーム使ってアニメーション作って、ムービーとして書き出せるみたいなところまでができて、そういうその3D CGってすごく楽しいんですよみたいな入門的なソフトとしてあって、そこに結構のめり込んでたっていうふうなところが、やっぱり幼少期の体験としてはありまして。
で、ムービーがあるんだったらやっぱり音楽つけたいよねとか、どんどん波及していくみたいなところがやっぱり当時あった。
で、作曲もやっぱりめちゃくちゃハードルが高い。当時はやっぱりマシンスペックはそんなに高くないんで。でもありましたけど、でも無理じゃないぐらいの領域になりつつあるみたいなとこだったので、当時のソフトとかをあれこれやりながら自分でMIDIを打ったりとかしてっていうふうなところでやっていったっていうのはすごく多かった。
もう何でも作りたいなっていうふうな、やっぱり子供なんで時間はいくらでもあったんでみたいな。
うわーなるほどね。動画ってCGアニメコンテストの、いわゆる新海誠さんの歴史を振り返ると、そして後は辰木監督とかね、そのリアルタイムのパソコンの風景を経験してきたと。
確かに。あれっすよね、動画って宇宙船みたいな尖った飛行機みたいなのの中で物撃みたいな。ああなんか記憶にあるぞ。
うん、ああいうふうなとこで。で、まさにそれこそプロジェクトワイバーンとか、いろいろと当時のCGアニメコンテストの優秀作品を撮った方ってだいたい今すごく大物になられてる。新海さんも本当にそこの一番大きな方かなと思ってます。
当時、新海さんは自分で映像作るしアニメーション作るし、声優というか声もやっちゃうし、みたいな形なんで、やっぱりなんか自分で全部やるみたいな人っていうのがすごく自分の中でヒーロー全としていたっていう体験はあって、
ああこんなことが一人でできるんだ、すごいのパソコンってみたいなところから、やっぱり自分のそのものづくりが始まったみたいなのはあったのかなと思いますね。
これがたぶん99年時代っていう。その時にサブドメインで撮ったっていうのは一番初めで、その時の動画のウェブサイトってやっぱり他にもウェブサイトあるんですよね、個人の方がやられてて、その中に一人だけめちゃくちゃデザインうまいページあったんですよ。
ほうほうほう。
そう、ヒロページっていうヒロさんのページみたいな感じのウェブサイトだったんですけど、当時ってやっぱりHTMLがそんなに何でもできるような状態、CSSとかもなんか、そもそもCSSっていうもの自体が存在ほぼしてないぐらいの時代なんで、なので言うてテーブルタグとフォントタグを使いながら頑張ってレイアウトしていくみたいな感じだったんですけど、
なんかそのテーブルタグ、まあ要はExcelのなんかセルゲームみたいな感じでやるんですけど、そのテーブルタグになんかうまく三角形とかを組み合わせながら、なんかすごく幾何学的な模様をウェブサイト上で作っていくみたいなのをその方がやられてて、めちゃくちゃかっこいいよっていう、ウェブサイトってこんなことできんのみたいな感じのところが、まあやっぱり、え、じゃあ自分もやりたいみたいなところの目覚めではあったかなと思ってて。
で、その後ぐらいには、あの多分この、なんか同じぐらいの年齢の人とかがわかるかなと思う。だいたいBMS文化に触れて。
BMSね。はいはいはい。まあ、いわゆるあれですよね。あの、ビートマニアのパソコンでみんなが勝手に作って再現してしまったやつというか。
そうですね。
ダンオニかBMSかみたいなね。ありますよね。
そうですそうですそうです。で、まあそこのBGA、アニメーションですね。はい、っていうふうなあたりとかが、やっぱりその当時のデザインカルチャーが結構集まっていた部分というか。
なので、そのあたりに触れて、まあアニメーション、あれもあれで音とアニメーションとみたいな、なんかいろんな要素をひっくるめてBMSっていうのが1個の作品。まあ一昔前のメガデモ的な感じのやつかなとは思ってて、文化的には。
なので、まあそういうあたりの減った上で、なんか今に至るみたいなとこなんだ。主に多分デザインあたり、そこなんですよ。
えー。
いや、結構ちゃんと生え抜きにインターネットカルチャーどっぷりというか、歴史の流れとともにみたいな。
うん、インターネット同人会には入れますみたいな感じの。
入れますね。あ、そうなんだ。
はい。
フラッシュの道にはいかなかった?すなわちエンジニアというかフロントエンドというか。
フラッシュに関しては、何度も何度も挑戦して、何度も何度も挫折してっていうふうなところがあって。
で、フラッシュサイトも、自分のサイトをフラッシュで作ったっていうふうなことも実際あるんですけど、でも完全にちゃんと覚えたというか、ちゃんと仕事に通用するようになったのは就職してからですね。
あ、へー、そうなんだ。
あの、やらざるを得なくてやるみたいな感じで。
はいはいはいはいはい。
覚えていくみたいな形で、やっぱそれも教本っていっぱいあったと思うんですけど、やっぱりネット上で一つすごくすごく参考になったページがあって、そこを見ながら身を見真似てやっていってっていうふうなところから、僕のアクションスクリプトキャリアが始まったみたいな感じではありましたね。
アクションスクリプトキャリア。その当時見てたサイトってどういうやつだったんですか?
まあもちろん、もう皆さんおっしゃるという、中村優吾さんの優吾.comモノクラフトから始め、みたいな、っていうふうなところから始め、まあ海外だったらやっぱりi4uとか。
あー聞いたことある。
そうそうそう。っていうふうなあたりからいくんですけど、国内だと、まあそれこそ、ブラックホワイトっていう白と黒だけのサイトをひたすら追求してるフラッシュのアニメーションサイトとかがあったりとか、あとはペールライトさんっていう、ともかく、今度はこっちはこっちはちょっと青い。青系のフラッシュサイトみたいな感じで、なんかイージングをめちゃくちゃこだわってるようなアニメーションがめちゃくちゃメインっていうふうな感じの。
まあフラッシュって、まあ今で言うとあれですけど、もうスクリプトでなんぼみたいな、そういうふうな時代ってあったと思うんですけれども、それよりもっと前の、そのフラッシュにスクリプトが入る前ぐらいの、なんかアニメーションツールなんですよみたいなところのウェブサイトっていうのをめちゃくちゃ見ていた、そういう印象でしたね。
うわー、ちょっと待ってちょっと待って、でも今の話を聞いて、例えば大人になっていく、いろいろな活動していく、特にインターネット、インターネットカルチャーに触れてきたりとか、インターネットとともに成長してきた人の特徴として、まあやっぱ趣味でやってたことが仕事になったりとかって、まあキャリアプランというかキャリアステージとして、結構ぬるっといく、周りの同じ世代とかにも多いっちゃ多いと思うんですよ。
いわゆる当時BMS会話だった人が今、実はあそこにあれやってますとか、当時DTMやってた人が今あそこのゲーム会社でいますとかって結構あるあるだと思うんですけど、それってやっぱりやってるのが一つで、かつたとえばそこにコミケみたいなものとか、定期的に開かれるイベントなり、いわゆる何かを出すステージですよね。
そういうのがあると、だいたいこうそれにこう出し続けてなってたのねっていうのがわかるじゃないですか。まあ例えば映像作家さんとかでも映像作家のお祭りとかあるじゃないですか、1年1回。運営委員会の人がいつまで続けられるのかみたいな、あるとは思うんですけれども。
ただスイクスさんの場合、結構ジャンルが結構多岐に渡っている。いろんな技術だったり、いろんな演出だったり、いろんなものの組み合わせによって一つのプロダクトになる。まあそれルーツが多分ウェブサイトというか、パソコンの中のある種ソフトウェアによって作られる、わーっていう体験。まあ複合芸術、メディアートに近いものだと思っていて、それの場合ってどこが区切りになるんですか。いわゆる発表会ってどこにあるんですか。
でも僕の中だったらやっぱりコミケが一番大きかったのと、あとこれもちょっとインターネット同人会になっちゃうんですけど、やっぱりウェブサイト自体が1個の作品になっていたっていうふうな時期っていうのがあって、それこそ2000年くらいからMay 1st Rebootっていうふうな企画が世界的にあって。
このMay 1st Rebootっていうのは、まあMay 1st、5月1日ですね。5月1日に世界中で参加している人が一斉にサイトをリニューアルするっていう企画があるんですよ。
めっちゃいい企画。最高だ。 これがね、めちゃくちゃ面白くて、やっぱり5月1日までみんなこうサイトをリニューアルするっていうことだけは明言するんですけど、ひた隠しにしつつ、5月1日にこう一斉にドンっていろんな人がウェブサイトを公開していくみたいなところがあったんですよね。これはなんか国内のカデチャーじゃなくて世界的なものとしてあって、mayfirstreboot.comみたいなとこがあって。
まあそれこそ僕とかタツさん、有間智之さんとかが、やるぞっつって。 へえ。 すげえ、新しいタツデザインこうなるんだへえみたいな。やるみたいなやつが年一であったんですよ、これが。 あ、そうなんだ。
なので、そういうウェブサイト自体っていうのがまだコンテンツとしてめちゃくちゃ成り立ってるっていうふうな時があったので、まあそうなってくるとやっぱりフラッシュが入るだろう、音楽がなるだろう、まあ要はいかにして他の人と違う自分のなんか世界観みたいなのを出すかみたいなところで、やっぱりコンテンツ化していたっていうようなところがやっぱりあって、
そういうコミケはコミケでリアル的なプロダクトっていうのがありつつ、このMay 1st Rebootっていうネット上の企画みたいなところで自分たちのコンテンツを出していくっていうのが、まあやっぱり幼少期、地方のほうにいた自分にとっては一大イベントではあったかなと思うんだよね。
へー、なるほどねー。やばいなー。
そう、だから結構そのデザイン的な部分と音楽的な部分に関してはこの2つ。で、あーでもあとこれもあった、イラスト的な部分は、当時メタロットをめっちゃ追っかけていて、メタロットのウェブサイトもいっぱい見てたんですよね。
で、あのメタロットのウェブサイトでやっぱり夏休み、当時やっぱり学生とかがめっちゃ多いんで、夏休みにあの、なんかみんなで追いかけ掲示板を夏休み中ずーっと使いまくってるっていう風なお祭りみたいなやつがあって。
そう、追いかけ掲示板で夏休み、8月1日から始まって8月31日までの31日までにみんながみんな自分なりのお話を書いていくっていう。
何それ、何それ、え? 8月31日に完結させていくっていう。 やばすぎる、最高じゃん、マジかよ、何それ、え、メタロットの二次創作ってこと? そうですそうです。
やばすぎる。 それこそメタオトというとオリジナルメタオト、オディメタオトって言うんですけど。 うわーやばい、何それ、やばい。
で、あの辺りで身どんな人の話をやりつつ、でも掲示板だから他の人の話も同時進行で分かるし。 なんで、まあそうなってくるとやっぱ絡みが発生していったりとか。
そう、毎日毎日一個ずつ話が進んでいくんですけど、リアルタイムに話がこんがらがっていくんですよね。でも31日にはちゃんと着地させないといけないみたいな。
そうなんだ。追いかけ掲示板で何?漫画みたいな感じになるってことですか?それとも差し上がってテキストがあるってこと?
もちろんテキストもあるんですけど、漫画形式の方もいらっしゃって、追いかけ掲示板ってアニメーション機能がついてるんで、アニメーションを再生させると実は2ページ目があるみたいな。
静止画だと思ったら実はその奥に2ページ目があるみたいな感じも。 マジかよ、何でもできるのはすごいな。
そう、当時の追いかけ掲示板のできないことを柵にとった機能みたいなやつをフル活用しながら、漫画を描いていって。
だから追いかけ掲示板って何時間くらい描きましたよみたいな。作業時間が記録できるんですけど、それが13時間とか16時間とか。
もう学生の夏休み全部ぶっぱするみたいなやつをやってて。だからイラスト周りっていうのは夏に大体そういう感じでめちゃくちゃ盛り上がってみたいなのを経験してた感じですね。もう幼少期のお話ですね。
うわーやばいな。でもそういうの、いやなんかね、いや実を言うとちょっとこれから次に聞きたいことっていうのが、ある種大人になっていっても、そういった自分の例えば創作活動であったりとか、何かを作ること。もちろんお仕事でもやるとは思うんですけれども、人によってお仕事ではそういうことをやらなくなる、あえてやらないという人も全然いらっしゃいますよね。
お仕事かプライベートか個人政策かそれはどっちにしろ、いわゆる何かを作り続けることとか、あとはそれは新しい技術を触ってみようと思うこととか、あとはやってこなかったジャンル、例えば新しく書き始めますとかもよくあると思うんですけれども、そういうものをやり始めたりやり続けたりできてるその秘訣って何なんだろうなっていうのを、これたぶんみんな聞きたいと思うんですよ。
そうですよね、そういったモチベーション的な。
モチベーション的にもそうですし、結局このポッドキャストもよく言われてる、みんながやっていかなくなる問題であったりとか、最近の世の中でこれの是非とはあると思うんですけど、本が読めなくなるみたいなキーワードがよく言われてたりしますね世の中で。
絵を描き始めるっていう時に、RTAみたいな感じになってる文化もある。ある種フォロワーを稼いでみたいな、フォロワーさんに喜んでもらうような絵を描くんだ、そのためには人気の作品を描いてみたいな。
よくYouTubeでプレゼンテーションされてるようなRTA作戦があったりとかしますと、特にインターネットと親和性が高い創作系のものというものが、ある種ライフワークとしづらくなったなと感じてしまえる場面って多いと思うんですよね。
大人になっていけばなっていくほど、それこそ障害学習センターで水彩を始めるおばあちゃん、伊藤ポイドのおばあちゃんも水彩画を始めたりしましたけれども、大人になると自分の下手さとかうまくできなさみたいなところにふーんって感じになったりするっていうのもあると思うんですよね。
子供の頃は勢いでできるんですけど、そうじゃないっていうふうになるタイミングがある。ただお話聞く限りだと津谷区さんはいろんなことをずっとやってる。ちゃんとずっと。例えば1個に絞る。いろいろやってみたけど最終的なアウトプットの思想としてはデザインにはなるっていうのは最初に教えてもらったんですけど、いろんなことをやってるじゃないですか。それなんでやれるんですか。
なんでやれるか。もうね、楽しいから。それだけです。
そのさ、じゃあ楽しいからなんですけど、楽しさをどこに見出してます?これ例えば1それぞれあると思うんですよ。作ってる。何を作ろうかなって考えてる時。作ってる時。試行錯誤してる時。偶然性に身を任せる時。あとは完成した時。それを発表した時。発表したリアクションをもらった時。それによって自分が何かになった時。これ今時系列中にかなりざっくりですけど。どこが一番楽しいんですか。
一番って言われると手触りっていうとこかなと思って。
例えば、ウェブサイトとかで僕よくやってるのは、マウスホバーとかしてボタンがふわっと浮いたりとか。
メニューがニュって出てきたりする時に、めっちゃくちゃ気持ちいいとずっとやっちゃうんですよ。
かわいい。
なるほどね。
ずっと、すげー気持ちいい子がいるみたいな感じの。それこそプチプチを潰す時みたいな。
あーはいはいはい。
ミシンずっとやってしまう。で、音楽の時も、例えばいいフレーズ。すごく気持ちのいい部分みたいなところが出来上がると、延々とそれ聞いちゃうっていう時とかがあったり。
作っているもの、イラストとかもそうなんですけど、ここめっちゃ綺麗に塗れたなーとか、ここ気持ちよくなってんなーみたいな感じの部分っていう風なところが、結構自分の中で延々とリフレインできるというところがあって。
だから、例えばロゴが出来ましたっていう時、ロゴのこの辺りすごくかっこよく出来たなーとか、なんか曲の時も、この部分だけ延々と聞いてられるみたいな。そういう風なところっていうのが、ものすごく根幹的な部分で言うんだったら芯になってる。これがやめられないっていう。
ミシン あーなるほどねー。
強い。もちろんあれですよ、やっぱり承認欲求がゼロではないから、ちゃんと自分の方向いてくれる人がいらっしゃると、すごく嬉しいなって思う時もありますし、何だろうな、作ったものを大変だけど発表するまでのプロセス自体を楽しむとか、
あと、偶然性から生まれる。これって実はすごかったんじゃない?みたいなこととかっていうのも、もちろんやりがいっていう部分であると思うんですけど、やっぱり根幹的な部分っていうのはどっちかというとやめられない。
ミシン えー、なるほどねー。
やめられないから続けてるっていうのが、やっぱり強いかなと思いますね。
やめられないから、楽しいからやっぱりやりたいよなってなったので、どのタイミングでその自覚に至りました?
そうですね。もともとやめづらい。新しいゲームとかも始めると、例えばログボだけでもずっと取っちゃうみたいな感じなので、すっと次のゲームを始めることってすごくできない性格なんですよ。
ただ、根本的な部分はやめれないっていう性格があるんだとは思うんですけど、もちろんもったいないとか、いろいろ音楽を作る上でも学んだことも多かったと思うし、自分の中のもったいない精神みたいなものっていうのが、たぶん延々とあるみたいな感じだと思うんですよ。
もう全然捨てるのが難しい。箱とかもどうしても取っちゃうみたいなタイプだったりするんで、根本的な部分で言うと、やめづらい、捨てづらい。自分の得てきたものを置いていきづらいみたいなところがあって、それがぐっちょくに今もずっと曲とかも作っちゃうっていうようなところに続いてるんだろうなと思うので、やっぱりそういったのはめちゃくちゃ幼少期からなのかなと思ってます。
なるほどね。実は何を隠そう意図っぽいともそうなんですけれども、いわゆる言ってしまえば外部環境からの要請であったりとか、時代の流れみたいなものに対して対応、反射で対応したりとかっていう時代、自分の人生の中での時代っていうのがあって、そこがコロナでぐちゃぐちゃになったりもしたんですけれども、ここ数年で言うと。
たぶんこのなかよしインターネットを聞いてるリスナーとかの人たちって、じゃあ次どうしようかっていうようなタイミングにいる世代の方が多いと思うんですよ。何となく自分のできることもわかってきた。何となく世の中に求められてることもわかってきた。ただ何がやりたいかって言われるとちょっとまだよくわからない。
この3つがピッタリと当てはまるところが何か良いみたいな、よく言うじゃないですか。自分探しの旅でも何でもないし、自己分析でも何でもないと思うんですけれども、結局自分が好きなのってこういうとこなんだなとか、自分って結構こういう感じの方がいいなって、そんなに若いうちにたどり着けないと思うんですよ。お話聞く限り結構ツエフさんは早そうだなっていう。なんか早くないって思うんですよ。それなんかコツとかってあるんですか。
たぶん当時のヒーローがデザイナーだったっていう感じだった。
なるほどね。当時のヒーローね。そっか。