1. なかよしインターネッツ
  2. 53. 自分のビジョンやミッショ..
2022-06-17 45:45

53. 自分のビジョンやミッションやパーパスを考えてみよう

「毎日のインターネットを楽しくする」をアップデート ウスラトンカチ地元時代の話

00:00
ビジョンやミッションやパーパスを考えてみよう!
皆さん、ビジョンとかミッションはわかると思うんですけど、パーパスって最近聞いたことあります?
ビジネス書とか、マーケティングのコンサルティングの方とか、そういう中で最近パーパスという言葉がたくさん出てるんですけれども、
ぶっちゃけその3つにね、違いというか、明確な違いっていうのはあんまり効果がないと思っていまして、
そんなことは当たり前ですけれども、それはビジョンじゃなくてミッションだ、それはミッションではなくパーパスだ、やれそれはビジョンではないとか、
その3つでね、何というか、this is not thatじゃないですけれども、そういうものをやっても仕方ないというのは、ある程度の現代文のテストの点数が取れる人であったらわかると思うんですけれども、
パーパスというのが最近出てきたのは、新しい言葉を作らないと、新しい言葉を作ることによって、そういった言葉の自分のエリア、領域っていうのを確保してですね、そこでビジネスをするために今そういう単語を使うと。
別にこれはカタカナ語とかそういう話ではなく、そういう話が今日はしたいのではなくてですね、単純に自分のビジョンというのをちょっと見直すタイミングなのかなっていうのをなんとなく感じていましてですね、どういうことかというと、
ビジョンって言っていいのかな、ライフワークにおける何かスローガンみたいなものは、毎日のインターネットを楽しくするっていうものだったんですよ。
元ネタと言いますか、もともとはクックパッドさんが毎日の料理を楽しくするって言ってたのかな、非常にいい言葉選びだなっていうふうなのを、本当にキッズの頃に思ってですね、自分は毎日のインターネットを楽しくするだなっていうふうに考えて、
今までいろいろなお仕事であったりライフワークであったりとかっていうのをやってきたわけですね。お仕事っていうのは会社員としての仕事と、あとフリーランスの仕事とすべてになります。
8Poyは基本的に趣味と仕事の区別がそんなについてないような人生を送ってきたので、仕事が趣味みたいなもんなので、基本的には毎日のインターネットを楽しくするっていうことだけを考えてやってきました。
なんですけれども、やっぱり最近、このポッドキャストを聞いている方だったらわかると思うんですけれども、自分の中でインターネットに対して手放しにポジティブな感情を抱くことが難しくなってきてしまったと。
こういうことを言うと、いわゆる世間の、今こそまさに円安でございますけれども、世間の外部的な要因があるから、経営のノリというか中期計画みたいなのを変えるみたいな話になっちゃうと、
03:15
そんなことを言うとる時点で、ビジョンとかそんなのとちゃうやんけっていう話になっちゃうかもしれないんですけれども、やっぱり思った以上にインターネットの様子というのが結構やっぱりがらへんしていて、今までのやり方だと毎日のインターネットを楽しくすることができないなっていう感情がずっとあったんですね。
感情というか、そういう結論に毎回なってしまって、ちょっとこのスローガンだとやりづらいところがあるなと、ちょっとフジビリがねえぞというのをなんとなく思ってまして、
それと同時に、最近虫の知らせみたいなのが結構感じていて、何か予感的に良くない感じがするなみたいな、何かがハマってない、何かが無理してる気がする、何かが、
何か個々一刻と積もり積もった何かみたいなものが限界を迎えつつあるなっていうのを結構、もちろん全然大丈夫な部分もあるんですけれども、結構いろんなクライアントさんで感じるんですよ。
お友達に共有しているものもあれば、全く共有していない、契約書の問題でね、全く取引していること自体は言えないっていうクライアントさんもいらっしゃいますので、何かヤバい気がするなっていう風になっていて、大きく時代が変わり切った、そして変化に対応するというのに、人間が疲れてきて限界を迎えつつある、ごまかしきれなくなってきているとかね、
そういうもの、いろんなものの積み重ねだと思うんですけれども、何かこの虫の知らせというのが、もう今のところ全問正解というか、あの、各変状態みたいな感じになっているんですよ。もちろん悪い各変ではあるんですけれども、その、何でしょうね、連チャン突入みたいな感じになっていて、
これは多分、あの、何でしょうね、予感とかエスパー的なやつじゃなくて、本当に経験則から来るあれだなっていう風に、もう何となく、これ本当のやつだなと思って、この自分の嗅覚が大事にした方がいいなっていうのを、やっぱ最近ここ2、3週間ですかね、本当に2、3週間です。結構感じていますと。
で、やっぱり自分の中でも、その試作であったり企画であったり、ものづくりであったり、それこそ経営企画であったりとかっていうやるときに、何かいまいちしっくりこないなと。これ本当にやる意味あるの?
意味がある。もちろん今日も意味というものについての話もちょっとしてみたいんですけれども、何というかですね、これやってもまあこうなるよねっていう。それで何かここまでだよねっていうのが大体見えるようになってしまっていると。
06:09
あんまりワクワクするというか、ポテンシャルがないなみたいな、自分の考えるものすべてがあんまりポテンシャルがない気がするなっていうふうにちょっと思ってしまってですね。なんでだろうと思ったら、やっぱりちょっと今どうしていきたいのかどうなるといいと思うのかっていうのが、これ変わってきてるなと。
なので10年近く、11年かなぐらい毎日のインターネットを楽しくするということでやってきましたけれども、もうそろそろ次のフェーズなんじゃないかなと。外的意味もあるんですけど、やっぱり自分の中でもね、さすがにその、なんていうんですか、キャリアでいうところの激流いかだくだりですか。
若いうち下積みのうちは、今でも青2歳で下積みですけれども、キッズ時代はもうよくわからんじゃないですか。濁流に飲まれるままじゃないですか。それがだんだん一段落してきたところなんだろうなということでですね。
じゃあビジョンというものを考えてみようと。今でこそ、いくつか一緒にいろんなものを作ってくれてるお友達、仲間たち、非常に頼りになる皆さんに囲まれてありがたいことですけれども、やるわけですけれども、やっぱり通事はお仕事の責任みたいなものがあるわけですよ。
やっぱりせっかく大切な時間を使ってくださっているわけだから、成功になるべく近づけたいですし、きちんと大元のクライアントさんからお小遣いがもらえるようにっていう予算を確保したりだったりとかっていうのも、いとぽいの仕事の大きなうちの一つなわけですよね。
そうなった時にどういう方向を向いてやっていくかみたいなのを、自分の中でちょっと迷いが生じてると、それはちょっと良くねえなと。
お前が言うな、2022受賞の言葉を今から言いますけれども、ちょっと男らしくないなと。今ね、30ぐらいの意味でお前が言うなっていう感じなんですけども。
でもまあ、茨城県南のヤンキー地方育ちなので、やっぱり結構義理人情、仁義とか結構大事にするタイプなのでですね。それはちょっと筋が取ってないんじゃないかというのを感じてまして。
さて、じゃあ何なんだろう。自分の本当にテンション上がること、ビジョンとかを考えるときは、まず何にしろ一人がものすごく熱量を持つということが大事なので、自分が上がることって何だろうっていうのをちょっと考えたんですよ。
で、まあ確かに前回のね、ポッドキャストで急に山の進めの蔵上ひなたとね、葵の話をしてね、葵が、葵が働き始めてみたいなことを言い始めましたけど、そういう感じですよね。だから結局、葵、大きくなったなみたいな気持ちになるのが、結局そのビジョンの考えの取っ掛かりにいいんじゃないかと思ってます。
09:17
で、そういうの何だろうと思ったときに、なんで伊藤ポイドが毎日のインターネットを楽しくしたかったかっていうとですね、やっぱり地元にいたときに、本当に周りに何もなかったんですよ。何もないとかいうレベルではなくて、例えば豊かな自然があったかっていうと、それもないんですよ。
言ってしまえばベッドタウンの住宅地なんですよね。で、何か畑とか森があったかって言われると、それも微妙にないんですよ。そう、なんかクソ広い空き地みたいなのがぶわってあって、で、お家があってみたいな。で、国道があってみたいな。そう。で、お店もそんななくてみたいなね。でも何もなかったんですよ、本当に。
で、皆さん実際に行ったことあるかわかんないですけど、栗の木がいっぱい生えている栗林ですか。だいたいネットに囲まれてですね。栗の木ってあんまりそのうっそーと茂る感じじゃないんですよね。正直なところ、雑木林と、何ていうかね、何かそんな美しい葉っぱって感じではないんですよ。景観もそんな良くなくてですね、ネットがわーってかかってたりとかしててですね。
自然の美しさもなければ、山々の風景も、筑波とかに行けばあるんですけどね、山々の風景もなく、で、なんか水面があるわけではなく、で、お店があるわけでもなくみたいな。だからコンクリートと、なんか砂ぼこりみたいな場所だったんですよ。
で、霞ヶ浦市になったんですけど、その霞ヶ浦にあれば、まあ水は汚ね汚ねってずっと言われてますし今も汚いですけれども、ブルギリウがいっぱいいますけれども、あの、実は湖の近くでもないんですよね。やっぱり広いので。
本当に何もなくて、文化はつる土地って言ってるのは、あながち嘘ではないんですよ本当に。で、で、最近ちょっと判明したんですけれども、ちょっとその小中の、もちろん公立だったんですけれども、なんかちょっとそのピーキーな教育だな、これどうやらみたいな。
ちょっとその小中学校の学校環境について話す機会があったんですけれども、どう考えてもちょっとおかしい。何かがおかしい、やりすぎているなと。めちゃくちゃ左翼の先生がいたんじゃないのって言われたんですけれども、なんかちょっとピーキーだったんですよね。
で、あんまりその、何でしょうね、豊かさとかワクワクみたいなところと結構かけ離れていて、中学校の時はちょっと自転車でいっぱい乗って、友達と一緒にゲームセンター行って、ギルティーギアめっちゃやって、
イトポイドはあの、あれ何て言ったんだっけ、オレンジのさ、海賊の怒りアンカーを持ってさ、メイちゃんであってる?あのキャラをずっと使ってたんですけど、なんかあれだね、好みがあんま変わってないね、今のね。
12:03
あの、メイちゃんと多分イトポイドのね、キャラクターの外見っていうか、ジャンル同じだよね。うん。まあそれ置いといてですね。で、やっぱりその地元にいて、インターネットでね、個人サイトとかでね、まあ例えばポップミュージックの二次創作とかめちゃくちゃ見てたわけですよ。
あとナルトの二次創作ね、あのよく話に出しますけれども、あの、サスケ君とあのカカシ先生がよくわかんないけどめちゃくちゃ頬を膨張させて、なんかぶつかり稽古をスパパパパパパパパってやってるみたいな。え、な、な、な、な、なに?みたいな。こんなバトルシーンあったっけ?みたいな。あの、小学生だったからさ。え、なになになに?みたいな。なんかすごく、すごくなんか息が上がってるけど、なにこれ?みたいな。え、そんなライキリあったっけ?みたいな。そんなライキリ知らないんだけどみたいな。
え?みたいな。腕からやるじゃないの?みたいな。な、な、なに?なになになに?電車ごっこ?あ、すいませんね。これ収録してんの、あの、ちょう早朝なんですけど、早朝にあれだね、あの、カカサスの話をするものではないね、今思いましたけど。
カカサスだけではなくイルカ先生っていうのもやっぱりいましてですね。あとナルト君もいましたね。はい。で、あの、サスケ君はだいたいこう、あの、息を荒げながら、あの、顔を好調させながらウスラトンカチって言うんですよね。ウスラトンカチって単語マジサスケ君しか言わねえよって今だったら思うんですけども、まあとにかくウスラトンカチだったわけなんですよ。もう、はい、イトッポイロのキッズ時代はもうウスラトンカチ、ウスラトンカチまみれだったんですよね。ほんと。トンカチの森だった。そう。
でですね、トンカチの森って何だ?何言ってんだ?まあちょっとそれ置いときますけど、それも含めて、ウスラトンカチと多分サスケ君なら言うでしょうね。まあそれは置いときますけれども。で、まあそういういろいろなものを見て、で、なんかミクシーとかもね、当時あったでしょう。あの、まだ招待制だった頃ですよね。
そのお友達にちょっと確かカラオケか何かだかな、なんかミクシーやってんだって言われて、えーなんか招待制のやつじゃん、いいなーって言って、見る?って言って見せてもらって。で、なんかいろんな人が個人サイトとかやってる人がなんかミクシーとかでめちゃくちゃに聞かれてて、おいおいおいおい、こんなところに書いとったんかい、お前更新しろやいみたいな気持ちに聞きつながらなったんですけれども。
まあ、それでやっぱ結構ワクワクしたんですよね。なんかこの世にはいっぱい楽しいものがあって、いっぱいなんかみんな、なんだろうな、趣味というか楽しいことやっててみたいな、なんかその独自の時間が流れているというか、はい、世の中の時間、自分のそのなんというか朝起きて、すっごいもう学外の端っこだったのに、なんか自転車通勤、通勤じゃねえや、自転車通学みたいなのが禁止されてたから、まじすげえあるかされるんですよね。
なんか一人だけまじで、本当に微妙な環境だったなって今だったら思うんですけど、それでその通学途中に脅迫性障害が発生し、全ての電柱を触らないと悪いことが起きるっていうルールを6年間やり続けるっていう地獄なんですけど、あまりにも普通すぎてて、それがやばいことに気づかなかったんですけどね。
15:14
で、その、なんでしょうね、今でこそそんな症状はないですけれども、あの、そういうそのなんか灰色のキッズだったので、そのインターネットのなんかの父親が結構なんというかジャンクのパーツを拾ってきて、なんか組み立ててその自作PCとして完成させるみたいなことをやってるタイプの人間でですね、今思えばめちゃくちゃすげえなって思うんですけど、
私は、まあなんか、なんだろう、汚いパソコンだなみたいな風に思ってただけなんですけどね、そう、なんかハンダ付けとかいろいろやってたけど意味わかんないしみたいな、なんかごちゃごちゃしてるしみたいな、部屋は汚いしみたいな感じだったんですけど、今思えばすごいなかなかのスキルだなって思うんですけれども、
まあ、それであの大量に作っては捨てたパソコンがいっぱいあって、で、それをまあ与えられていたんですよ。だからパソコンって買うものじゃなくて、なんか、いやこれもしかしたら良くないやつかもしれないですけど、なんか拾ってきて組み合わさってできるものっていう、あの、そういう認識だったんですよ、パソコンについては。
はい。で、まあそれでなんかインターネットを見せてもらってですね、最初こそなんか、あの、電話料金かかるからねって言って、なんか遊戯王カードの一覧ページみたいなところだけ、なんか30分だけ毎週土曜ぐらいに見せてもらえるってだけだったんですけど、それからそのヤフービビだったかな、その、なんか何個でも見ていいよみたいなのが入ったのかな。
で、それでなんか父親の部屋でずっと、父親がね、その会社行ってる間に、その、さすけ君とかかし先生とイルカ先生とたまに何もよくわかんなくてラーメンだけ食いに来るナルトがスパパパパパパってやってる。
なんだこれはでも、でもこれは自分が読んだことないナルトの漫画だから全部読もうって言って、サーファーズパラダイスのそういう漫画全部読むっていう、何してたんだろうって感じですよね、今からしたら。でもそこがね、やっぱ現体系にあってですね、まあスパパってるのは置いといてですね、何かその独自の、コミケとかも知らないんですよ、だから独自の時間が流れていてワクワクしていてみたいな。
で、東宝ニコニコがあり、なんかめちゃめちゃ楽しいじゃんみたいな、でYouTubeに動画が大量にアップロードされるみたいな、春日とかも多分みんなそういうので見たんじゃないかな、当時ね、あまり良くないですけどね、いっぱいマット動画とかあったじゃん、で、まあそれでなんかうわ、なんかよくわかんないけどとにかくインターネット楽しいんだろうなって、楽しいものがいっぱいあるなと。
で、まあいろいろすっ飛ばしますけれども、YouStreamみたいなのが出てきて、なんかこう、みんなでワイワイしてるわけですよ、なんかダダ漏れとか言ってたじゃないですか、で、やってたのを見て、ああもうこれは絶対本当に東京に行かないと、その画面の向こう側に行かないと、これは面白くねえぞって思ったんですね。
18:20
で、それでまあ東京に出てくるんですけども、でもね、ここまでがざっくりしたあらすじなんですけど、ただですね、東京に出てくるまでの間、時間すごいかかってるわけですよ、まあそれはそうだよな、学生っていうかまあ小中高という感じでしたから、でもその間にはねパソコンの中で楽しいものがいっぱいあったから、この世には楽しいものがいっぱいあるなっていうそういう気持ちでね、ずっと生きてこれたわけですよ。
現実世界はマジ灰色のトンカチ、薄らトンカチでしたけれども、トンカチ畑でしたけれども、でその、そのキッズだった頃に、なんかちょっともしかしたら自分もそういう楽しいのやっちゃったらいいみたいな、東方バンドボーカルアレンジで歌っちゃったらいいみたいな、
そういうなんかこう威風の妄想をしてね、その時間を過ごすというのがやっぱりすごく幸せな時間だったと思うんですよ、はい、あのずっとその帰り道の高校時とかですかね、自転車でこうってこぎながら鉄腕トカゲ探知機の曲をあの大声で歌って帰るっていうね、
あと、なんかよくわかんないけど、そのカラオケとかもその遠かったから、もうとにかくあの自転車を走りながら大声で歌い続けるってマジ最悪ですよね、これ田舎だから許されるんですよ、田舎だから許されるんだけど、
一時期そのなんか歌ってみた動画がなんかなんかよくわかんないけど、あのアホールニューワールドの曲あるじゃないですか、あれをその男性キーと女性キーでその一人で歌うみたいなのさ、なんかニコニコ動画で流行った時期があって、それに感化されて、それ練習しようと思ってそれ歌ってたんですよね、
で、もうクソ大声ですよ、なんというか通る声しちゃってるので、で、ガーって6ギアとかで走りながら歌ってたら遠くからそのおばちゃんかながね、あ、アラジンって言われてめっちゃ恥ずかしくなって、もうこの道通らないでおこう歌わないでおこうって今でも覚えてるんですけど、
いやその歌ないでおこうじゃねえよって、お前が何回も何回もやってる時絶対みんな聞いてたよみたいな、お前が、お前が鉄砲鋭くなって歌っていた時にみんな多分聞いてたよって感じなんですけれども、はい、当時はわかんなかったですからね、わかんなかったっつって、当時高校生だからわかるよって話ですけどね、まあバカだったんでね、うん。
で、まあそういうワクワクするものがあるのっていうのはいいことだろうなと、で、まあ自分が大きくなったらそのなるべくそのキッズたち、キッズの皆さんにというか、まあ当時は若い人たちにって言い方をしてましたけど、若い人たちにってお宮も若いかなって感じなんですけども、
21:13
まあ若い人たちがそういうそのワクワクを感じれるようにしたいっていうのがあって、毎日のインターネットを楽しくするっていう、そう、だから毎日の現実が灰色でも毎日のインターネットが楽しければいいでしょうっていう、まあそういう気持ちでもって結構まあ自分の中でもやっぱりそのかなりそれは本当にやらなくちゃダメだよねっていうあの気持ちがあってですね、
そのためにまあいろいろや、まあライフワークとしてやってきたっていうところが多いんですよね。
ただですね、ちょっとその考え方が、今そのじゃあインターネットと共に生きることと言いますか、なんていうかインターネットはそんなに楽しいことだけではないじゃないですか。
そう、あのやっぱりその楽しい空間というのはある程度その参加している人の自精神というか、まあ自知と言いますかなんて言えばいいのかな、まあ自立自正の心ですよね、そういうのがあった上で、まあ楽しもうというね、あの気持ちがあってそれで成立するもんじゃないですか。
遊びのゲームの空間というのはゲームルールを理解してそのゲームのロール、ルールとロールっていうものがあって、まあそれをきちんとやらないとゲームというのは成立しない、遊びというのは成立しないんだっていうのが、まあよくその社会学の遊びの概念とかゲーム理論ですか、みたいなゲームデザインのレベルデザインの話とかで結構出たりしますけれども、
まあそれと同じなんですよね、そのやっぱりちょっと前は半年ロムネじゃないですけれども、インターネットは少なくともそういうその楽しもうとしてやっている人たちっていうのがやっぱり多かったんですよね、だからこそ毎日のインターネットを楽しくするということが成立したんですよ。
ただ今その全員がそのインターネットを楽しもうとしてやってるかっていうと、楽しもうとしてやってるというよりはもう現実の一部と言いますか、まあそんなことはわかりきってましたし、
イトポイル自体もですね、何でしょうね、それこそ10年前ぐらいかな、からずっとバラ色のインターネットやネットワークに対してバラ色のユートピアを抱くっていうのは危険だ、みたいなことをやっぱり自分の意見としては持ってたんですよ。
それで卒論書いたぐらいですからね、本当に。タイムラインインターフェースの利益と弊害みたいな形でメディア論みたいなアプローチで、UIデザイン、まあ当時の流行り言葉で言うとUIデザインか、みたいなものをきちんと論じるみたいな、ちょっとなかなかレアなジャンルをやってたんですよ。
それこそ社会的現実構成みたいな単語を使ってね、人間がどういうように自分の時間や現実なりっていうのを認識するか、それがタイムラインインターフェースでどうシャッフルされたかみたいな、当時疑似動機性みたいな言葉も流行ってましたし、今だと疑似動機性って単語、今こそ疑似動機性みたいなところをね、再評価すべきなんじゃないかなと思いますけどね。
24:15
感は究大です。それについてはまた別の機会で話しましょうか。
インターネットはそんなにバラ色ではないから、何でもできるっていう風に言うのは良くないぞ、それだとちょっとミスることもあるぞっていうのをプレイヤーとしてずっと言ってきたわけですけども、それは今考えてみれば結構安全だからこそ言えたことだなっていう。
やっぱり平和だからこそ平和に甘んじてはいると足元救われるぞみたいな言説というか、言葉がやっぱり成立するわけですね。
そうじゃないと、自分が言ってたことが結構思ったよりも早くに現実になってしまったっていうのが多分今の状況だと思うんですよ。
なので自分の中で今までの考え方だとなんかちょっとハマらないっていうのはそういうとこだと思っていて、もちろんそれを外部的な理由のせいにすることもできるんですけど、
多分イトポイド自体がある程度大きくなってね、大きい子になってなんかいろんなものをやってきてなんとなく見えてきたからこそ、ちょっと着てる制服がツンツルテンになったかなみたいなそういうタイミングなのかなと思いつつ。
ただやっぱり今お話ししたようなイトポイド自身の大事にしたいことみたいなことというか、大事にしたいというよりもなんかいいなと思うこと、あがることですよねっていうのはあんま変わんないなと。
で、ずっとその昨日の夜から、昨日の夜っていうとあれですね、あのアニメ声優がつくならっていう話をしてからですね、ずっといろんな本読んだりとか数冊乱読したりとかいろいろちょっとあらこうだ考えてぼーっとして考えてたんですけど、なかなか眠れなくて。
で、ちょっとうまい言葉にするまでがビジョンだと思うんですけど、そこまではちょっとまだ自信がないんですけれども、今何をじゃあスローガンに掲げたいかってなったら、結構冗談でなく仲良しインターネットって単語を割れながらそのなんか適当に、適当?適当でもないな。
ブログの名前だったんですけど最初はね、好きだろうな、好きな感じだなとは思ったんですよ。なんか複数人のつ、いわゆるtsのつですね、つっていうのもついてるし、なんか仲良しみたいな単語も可愛いしみたいな。
で、またそれをブレイクダウンするっていう話なんですけれども、何だろうなと思ったら、何だろうな、毎日のインターネットに希望を持って楽しく生きれるようにしたいみたいなところが今だなと。
27:07
新しく希望を持つっていうちょっと概念が必要なんじゃないかなっていうのを思っていて、正直言っておくと今ちょっとやや絶望にあるというか、これ多分つまんねえぞみたいな感じにあって、このフィールドはもう本当につまんないかもしれないみたいな、フィールドっていうのはもうそれこそインターネット全体がですね。
はい、なので、そうじゃないのもあるはずなんですよ、絶対に。例えば、うわ、なんか本当になんかめいっちゃうばっかだねって言ってると、それは多分ツイッターの見すぎなんですよ。そんなことは自分でもわかってるんですよね。
ただやっぱりどうしても仕事柄見なきゃいけないっていうのもあったりとかして見ちゃったりもするんですよね。で、そうするとやっぱりその希望が持てなくなってくるんですよ。で、正しい処方箋としてはツイッター見ないでちゃんと本読めよみたいなのが多分正しい処方箋なんですよ。
ただどうしてもインターネットみたいなものが嫌いにはなれない。嫌い。なんかやっぱりそのついついたくさん面白いものがあるという期待がやっぱり今までの人生の中でもあるので思ってしまって。
でもそれに対するその希望みたいなもの、やはりその、もちろん昔よりも、なんていうか、清濁合わせ飲む形になるとは思うんですけれども、とはいえインターネットに対して希望を持てるようにする。
きっとこの世は素敵なことや楽しいことというのがいっぱいあるんだろうなという希望を抱けるようにするっていうのは自分のそのライフワークとしてのミッションとして結構適してるんじゃないかなっていうのを思って。
一晩かけて、一晩つってもここずっと悩んでたんですけど、希望を持つみたいなのが結構キーワードになるなっていうのはちょっと最近思ってますね。
前々回だったかな、好きという単語に対してちょっと怪異的だっていうふうな話をしましたけど、好きで繋がるとか、好きで何とかをするとか、好きがいっぱいとか、遊びで何かを作るとか、そういうのはちょっと違くねっていう。
違くねっていうのは言語化の筋としてあまり良くないんじゃねっていう意味なんですけれども、別にそれが指してることを否定してるわけでは全くないですね。単純にズバリミートした言葉かっていうとそうではないって言うんですけどね。
でも、好きとかじゃないんだよね。好きとかまで言っちゃうと結構余裕がない感じがちょっとあって、恋愛とかの好きとかね、好きってある種、自分が自分でなくなっちゃう状態みたいなのがあるじゃないですか。
30:10
結構自己破壊に近い概念だなと思っていて、好きまで言っちゃうと何と言えばいいのかわからないんですけれども、思想と思想がぶつかる可能性が高くなってくる、インターネットだと。好きという概念をすごくやると。
好きでやってるんだからいいじゃんとか、好きでやってるんだから何も言うなとか、好きなやってるんだから好きにさせろよみたいな、好きにさせろよ、好きにするっていう。好きにするっていうのって多分人間無理なんですよね。一定以上やっぱり社会的な生き物なので100%好きにするっていうのは難しくて、でも好きという単語を使うとちょっとそのニュアンスが顔ひょっこり出す可能性がゼロではないなっていうのをなんとなく感じていて。
悪いことではないんですよ。悪いことではないんですけど、自分で掲げるスローガンとしてその単語を持っておくと、ちょっとブレって多分希望じゃなくて普通に絶望の方に行くんじゃないかっていう予感があってですね。好きではないなと。
で、文化祭とかね、お祭りみたいな単語かっていうと、毎日が文化祭みたいな単語結構ね、伊藤ポイルよく言われますし、本当にポイルさんの前では毎日文化祭みたいだよねみたいな。
で、自分も文化祭大好きでし、魔法先生の今の大マホラ祭みたいなクソ巨大な学校を作って、それでうわーってチャオリン星が巨大になってみたいなのを実現したいなっていうのは今でも普通にやっぱり思うんですけれども、まだ思うのってすごいなって言われながら思うんですけど、まだ言うんだお前っていう。
でもまあいいことだと思うんですけども、どっちかっていうと文化祭本番というよりも準備してる時とか考えてる時とかのワクワク、未来に対するワクワクじゃなくて、今この瞬間に対する可能性がたくさん開けていることっていうものに対する希望ですよね。
の方がイトッポイドはなんとなく大事な概念だなと思っていて、そちらの方がよりイトッポイドが尊いと思うということなんですけども、と思っていて。なのでそういうお祭りとかじゃないんですよね。それぞれ一発になっちゃうんですか。そうじゃなくて、ずっとやっぱり希望を持ちながらやっぱり生きることができたら、それってやっぱりいいことなんじゃないかなと。
基本この世は灰色薄らとんかちというね。地元のやっぱり感覚があるので。何かちょっとここではないどこかに接続できるかもしれないみたいな。
全てにおいて現状否定じゃんお前って、ここではないどこかってもうめちゃくちゃ自分の地に足つけてないじゃんって言われたら、本当にその通りだし、なんというかフワフワしてて夢見がちでロマンチストだって言われたら何も否定できないんですけれども。
33:09
でもなんかそのロマンチストでいられる。しかもそれが何かを誰かを否定することとかではなく、素敵なものを素敵なことを素敵な素敵な1秒先の未来に対してロマンチックに思いを馳せることができるっていうのは、やっぱそれって希望以外の何物でもないなと。
っていうのを持っていて、それをやっぱり作るということを、何というか自分のビジョンと言いますか、ミッションですかパーパルスですかわかんないですけど、ちょっとね、それにしたいなっていうのをちょっと思いました。
政治家のポスターは6文字で言えないとダメなんですよね。所得倍増とか消費税撤廃とか。なぜかというと6文字で書けると顔もドドドンってなっていいからなんですけど。
人っぽいのは基本的に文字数が多くなっちゃうんで、だってこんだけ1人で喋ってるんだからそれは長くなるわって感じですけれども、文字数減らすの苦手なんですけどね。でも何というかその1秒先の未来に希望を持った状態で毎日を生きることができる。
その生きることを実現するのにインターネットがあるといいなっていうのを思います。すみませんちょっとグダグダになっちゃってるんですけども、まだちょっとスパッと綺麗なコピーライティングにまとめてないんですけども。
希望ってなんだろうと思ったら、そのビジョンになった瞬間に結構今までの考えとやっぱりガラッと変わるんですよ。なぜかというと希望が持てるということは現実的にそれがうまくいく、いかないとか関係ないんですよね。希望さえ持てればいいっていうふうになると結構未来思考になっていくというか。
例えば最先端の技術であったりとか新しい考え方とか新しいジャンルとか何でもいいんですけど、そういうものに対してそういうものがあるんだよとか生まれるんだよとかやってもいいんだよっていうふうになると、それ見るだけでちょっと1秒先の選択肢が広がるじゃないですか。
自分もやろうかなとか、自分だったらこういうのやろうかなとか。ってことはこれからこういうたくさん楽しいものが見れるってこととかね。そう。ってなるとね、すごいいろんなものが考えやすくなったんですよ。自分の中でその企画の立て付けとか、それこそメッセージ。
まあその近々でそのお仕事でいくつかその月末かなあと来月の月曜ですか。会社の名義と言いますかお仕事のものがリリース予定なんですけれども、いろいろいろんなところから。
36:08
まあ普通に月末と月曜つったらそれリリースするはつから毎月月末と月曜なんかやってるから何のヒントにもなってないんですけども。それでもちょっと結構やっぱ悩んじゃってて。本当に。ただ今言ったこれだったらすごい作れるなっていうのと。
あとその正直なところ、伊藤ポイレはありがたいことに結構わがままと言いますか、そうですねちょっとなかなかそのわがままを聞いてもらってる立場だと思うんですけれども。結構好きにやらせてもらっているところがあってですね。
やっぱり自分が、もちろん組織的には良くないことだし、まあでもこういうのが一人いた方が組織もいいってことも理解できるのでまあその役割なんだろうなと思いつつ、組織のビジョンとかその全体の他のメンバーがどう言ってやろうが、まあ多分自分の方が正しいと思うので、特に自信のあるジャンルにおいては
誰よりもずっと考えてる自信がありますし、誰よりも命がけでやってるところはあるので、まあ自分の判断が正しくて他の人は多分間違ってるよねっていう。まあ自社プロダクトをドッグフーディングしない奴が何言うねんって話なんですよ。
本当に言ってしまえばね。でもこの考え方って本当多分ウェブ業界にいたら当たり前だと思うんですけどね。今言ったこのノリって今の時代で言うとなんかすごい結構マッチョというか厳しい感じに聞こえるじゃないですか。
で、自分で言っても本当にそうだと思うんですよ。そこまで四六時中プロダクトのことを考えられるかっていうと無理じゃんって思うんですよね。実際にいとぽいでも結構無理が来ているというか、まあ無理だなと思うんですよ。
で、なんだけれども、でも少なくともインターネットっていうところにおいて何かユーザーに価値を届ける、しかもそのユーザーの行動をデザインするみたいな話になると、それぐらいやっぱり真剣にやらないと少なくとも立ち打ちできないものなんだろうなっていうのは思いますね。
で、それがより一層難易度が上がってしまって、上がりすぎてしまったのでまともに戦うこと自体が多分筋が悪くなってるんですよ。費用対効果が悪い。それはやっぱり日々感じていて、いとぽいでもちょっといろんなところで、
何というかね、妥協というよりも、何でしょうね、その勝ち負けというよりも、より一人の多くの人の映画を作れるようにっていうところだけやっぱり本質的に考えてね。短焦点にならないようにっていうのをやっぱ最近よく考えるんですけれども。
39:04
でも、なんか悩んでたのも、自分のそのビジョンみたいなものがなんとなく首元がきつくなってツンツルテンになってきたからなんだろうなっていうのは思いました。
だからこれからはね、いとぽいどが作るものとしては、やっぱりその希望を持てる、そんなね、希望を描きたいですね、本当に。その希望をどれだけ伝えられるかっていうのが多分腕の見せ所という感じなんですけれども、でもそんなものはテクニックなわけですよ。
伝わるか伝わらないかは、運っていうところもありますし、相性っていうところ、あとタイミングというのもあります。受け手のタイミングというのが絶対にあるので、すべてをコントロールすることは不可能だと思うんですね。
ただやっぱりその希望を描くことはできる、伝えることはちょっと時の運ですけれども、描くことはできるので、なるべくそのみんなが笑顔になれる。しかも全員が手をつないでっていう感覚じゃないんだよな。
おのおのが一人暗い部屋でパソコンを見ててちょっとワクワクっとするみたいな、そういう意味でのしょんぶりクラブからちょっと思わずワクワクっとしてしまうみたいな、
そういう空気、そういう世界を作りたいっていうふうに言ってしまうとちょっと応用、ちょっと背負い切れない感じがありますけど、ビジョンはギリ背負い切れるぐらいのボリューム感がいいとされているので、言っていいのかな。
少なくとも糸っぽいのは日本に今いるので、今までは半径2クリックみたいなこと言ってたけど、半径10クリックぐらいに対して希望を描きたいな。10クリックって言ったら相当だと思うんだけどね。
希望を描けるように毎日の希望を描くっていう、毎日の楽しみの希望を描くなのかな。インターネットを通じて毎日の希望を描くかもしれないね。
希望、なんか楽しみとかなんだよな。感覚的には趣味とかに近いんですよね。それがなくても生きていけるけど、それがあることでちょっと、お?っていうふうになるっていうのって趣味だと思っていて、好きっていう単語ではないと思うんですよね。好きはちょっと違うんですよ。
っていう方向性で一丁どうすか。一丁どうすか。やっぱりいろんな人の時間であったりとか、物を一緒にやっていく時には自分の中でそういう美女が見えてないと申し訳ないだろうなという気持ちもあり、
42:12
ちょっと最近こんなことを考えているよというお話で、ご静野でした。皆さんもね、何でしょう、このビジョンというか、結構会社のビジョン、ミッションみたいなのは、それこそIT企業とかベンチャーとかに勤めてたらよく出るとは思うんですけれども、それとは別に自分のミッション、ビジョンみたいなものも考えると、
ちょっと今のタイミングはまさにおすすめなんじゃないかな、特にその伊藤ぽいろみたいに、本当なんかもううんざりだよ、疲れちゃうよ、もうなんか他人というか世の中、この地球に対して絡むっていうのはリスクだけというか疲れることしかないんじゃないか、何か悪いことしてるような感じになるんじゃないかみたいな、うーっと思っちゃってるタイミングではやっぱり
この自分のビジョンというのをちょっと考えてみるっていうのは、いいのかもしれないと思います。ただ考えすぎると本当にしょんぼりクラブになるんで、あんま深く考えすぎず、というか、このビジョンを考えるっていうのは、それこそその専門のコンサルティングの人に、その社長さんとかが頼むレベルの難易度がすごい高いものですし、
一丁一石でできるものではないし、一丁一石でそのどういう概念というかどういう感覚なのかっていう、つかむのもちょっと難しいジャンルだとは思います。
自分のことが分からず、仕事のことだとすごい分かるでおなじみの意図っぽいとなんですけれども、こういう系のお仕事が結構多いので、なんとなく、公式テニスやったことあるから、難式テニスも一応前に飛ばせるみたいな感覚ですか。
で、自分のビジョンについてちょっと考えてみたっていう感じなので、あんまり考えすぎるとちょっとめいっちゃうところも、自分にはなんか全然何もないかもしれない、何もないわけはないんだけどね、絶対ないんだけど、何かしらの思考性があるからないはずなんですけどね。
ただね、もし何かをティンとくるものがあったらね、一緒に考えてみると楽しいんじゃないかなと思います。ということでね、希望をつくっていきましょう。
東京に行ったら、なんか屋台のラーメン屋さんでみんなが集まってとかあるのかな、いいな、楽しそうって思ってたけど、やってたことは、夜外でぶつかり稽古なんだよな、さすけくんとかかし先生がな、当時は知らなかった、なんかラーメン屋さんでみんなでオフ会みたいな感じで楽しっぺなーみたいな思ってたけど、
45:02
ね、これは希望が絶望にかかる瞬間だったんだろうかと、いつ、いつ、あ、これはぶつかり稽古じゃないって気づいたの、そのタイミングいつだったかわかんなかったけど、でもだいぶ早かった気がするな、なんかだいぶ早かった気がする、うん、でもこれもなんか別に、なんか絵が描いて漫画だし、ナルトだしいいやって思ってた、うん、だから、全然絶望じゃなかったかもしれない、うん。
すぱぱぱぱぱぱぱぱ、雷切り!薄ラトン勝ち!これも一つの希望と、希望の形ということで、はい、ではまた次回。
45:45

コメント

スクロール