余裕と優雅さの関係
余裕をもって、優雅たろう、と変な日本語ですね。これはですね、遠坂家の家訓、常に余裕をもって優雅たれ、ですね。
そういった家訓を言った遠坂家当主は、思いっきりことみにきれいに後ろから刺されて死ぬんですけれども、常に余裕をもって優雅たれ、ワンインを持ちながらあのぐるぐるぐるぐる、ことみにきれいの周りを回るね、遠坂家当主。
全てフェイトゼロの話なんですけれども、まあちょっとね、余裕と、まあ優雅かどうかはちょっと別なんですけれども、余裕と人情の話をちょっとしたくて、最近イトッポイドもなんとなく、あ、人情ってもしかしてこういうことなのかなっていうのがわかってきたんですよ。
実を言うとですね、人情者みたいなものは、何ぬかしてるんだと、ふざけるなと、私らは戦っているんだぞと、なんだその人情、何ぬるいってこと、ってずっと思ってたんですけれども、すごいよね、すごいこと言ってるよね、もう終わってんの、終わってんの、イトッポイド終わってたの、まあまあ常に終わっている。
ただ、やっぱ各自人間さんもどうやら感情というものがあり、一生懸命生きておると、そう、軍隊としてのありではなく、一人一人がね、僕らはみんな生きている、はい、そういうことなんですよね、なんとなく最近わかってきたんですよ、イトッポイドも成長してるので。
で、そこから、あ、もしかして人情って余裕から生まれるよねっていうこと、まあもちろん余裕があるから、まあ優しくできるんだみたいなのはね、いろんな物語でも描かれたりしますけれども、まあただ、そこまでなんというかいい子ちゃんぶらなかったとしても、何かこれはキーワードになるんじゃないか、しかも今の時代にっていうのをなんとなく思っていて、今日はちょっとその話をできたらいいなと思います。
で、それの前にね、定期的なイトッポイドちゃん最近何してるんですか、ほうれん草タイムなんですけど、あのいただいたリンゴジュースが3種類あって、シナノスイート、フジ、広玉、あの3つのリンゴジュースをいただいたんですよ、長野からね、送ってきてくださるんですけど、シナノスイートがね、1位ですね、はい、まあフジ、広玉は、あの非常にこう、なんだろうな、青森旅行、フライングウィッチの聖地巡礼に行った時を思い出すような、美味しいリンゴジュースなんですけど、
シナノスイートかな、今の気分は、っていう風になりました、もう三者三様、もうなんかラーの翼神竜、オシリスの天空竜、オベリスクの巨神兵みたいな感じで、3種類揃ってたんですけど、シナノスイートかなと思いましたね、うん、え、それだけの話、それだけの話ですね、
あとですね、最近すごく真剣に頑張って、あの増量機を頑張っておりましてですね、ちょっとずつちょっとずつ心臓に負担をかけない程度のレベルで、あの石井コーチにちゃんとウォッチしてもらってですね、体重を増やして重量を上げています、人生で一番今、あの重いんじゃないかなと思いますね、減量機から計算すると15キロぐらい、そうですね、15キロ、うん、そんぐらい、はい増やしました、
うん、と思いますよ、さ、一番軽い時期から15キロぐらい増やしてる、まあプラスマイナスあるとはいえども、うん、まあ10キロ以上は確実に、はい増やしてると思います、アベレージで言うと10キロぐらいじゃないですか、なんで服が入らないんですよね、特に肩回りとかが、もともとその、なんだろうな、あのジャケットが似合うというか、そういう形の骨格なので、いや、もうあれなのよ、ワークマンの大好き、トップポジション大好き、ワークマンメリノウールの、
あのインナーがあるじゃないですか、あれ入んないんで、あれ着てると窒息死するみたいな感じになって、これ困ったなっていう感じになってます、なんでお家にあるTシャツがなんかシルエットが変わっちゃって、あまりにもなんというか元気すぎる感じになってしまって、
ゴルフでも行くんすかみたいな感じになっちゃうので、えーどうしようかなと思って最近見つけたのが、あのシャカウェアっていうブランドの新しいやつ、新しいラインでドロップショルダーのやつがあるんですよね、
それが身幅が超でかいんですよ、信じられないほどでかくて、まぁただ丈は短いんですよね、まぁなんで若い子が着るにはすごくいいのかなっていう感じなんですけれども、
ある程度大人がってなると合わせるパンツなりお靴なりっていうのをもうちょっと選んじゃうのかなって感じですが、今のヒトポイル的には一番着てて楽かなと、まぁ丈夫だしね、
はい、シャカウェアはなんやかんやでクオリティが高いのではないかとヒトポイルの中で再評価になりますね、ロスアパーもいいけど、うん、シャカウェアでいいんじゃないかなって感じがします、
プリントボディとかで選ばれたりしますけれども、シャカウェアの白の無地のやつとかを試しに1個買ってきてみてるんですけど、調子いいですね、はい、
これ首輪が、首がね、あのちょっとつまり目なのであんまりだらしなく見えないです、プロクラブの青みかかった白もいっちゃいいんですけど、なんかちょっと新しいの試さないとしょうがないなと思って、はい、いろんなものを着てみては、うん、違うってやってみたりしておりますね、はい、でね、
最近わかったんですけど、まあこれから本題の話に接続していくんですけど、まあちゃんと頑張ってトレーニングしてるので、もともと本当に細くてペラくてもう死にますみたいな感じだったんですよね、だから何もやらずにいったら多分本当に体をぶち壊しているであろうと、はい、
こうしてよく話しているんですけれども、体に厚みが出てくるとすごくコートとかジャケットとかが似合うようになってくるんですね、これ一般的にはだいたい年取ってくるとそういう大人の格好が似合うというふうに言われてたと思うんですけど、一方でこれ違うなと思う、いわゆる顔とかにシワとかが増えてきて情報量が増えてくるから、そういったなんだろうな、ある種そのシワ感なりドレープ感が出るものが似合ってくるのかって思ってたんですけど、これ違うなと、
だって普通にそんななんというか情報量がちゃんと綺麗に出るような上質な生地を使ったものを全員が着てるかって言うとそうじゃないじゃないですか、あれ違って単純に太って体に厚みが出てきてしまうからなんかかっこよくなると、
ってことは太らずに体に厚みを出せば別に普通に似合わせることはできると、これって結局日本人の体型みたいな話だと思って、日本人めっちゃ筋肉ないし細いですよね、まあこれは元々のその種族地みたいなものもあるんですけど、やっぱり同じアジア人でもやっぱそのなんだろうな温泉みたいなところへ行くとよくわかっちゃうなって正直ドッポイドは主観ですよ、主観なんですけど感じたんですよね、
もちろんその平気気分みたいなのがあって、1点みっちりあって、体幹なり、あとはなんだろうな、マッスルメモリーが残っている、正直そこが答えなんじゃないかなって思ってしまったんですけれど、やっぱりね、わかるんですよね、日本人本当に筋肉量が少ないと、そんなこと言いながらドッポイドも元々そういう感じだったわけで、
これ、なんか太っておじさんになってコートやジャケットが似合うのか、いい体になってビット体幹でちゃんと立てるようになってコートジャケット似合う体になるかってこれ選べるんだと思って、いやどっち選びますかみたいな、いやこうしたら一択だろみたいな、なんかそれを結構しみじみ感じていますね、
なんでこれを発見できてよかったな、このタイミングで発見できてよかったなって思います、なんかギリ別れ目みたいな感じだと思うので、あ、よかった、で、これからその体型がどうなってもコントロールできるその術というかスキルみたいなものを身につけると、まあその好みでやっぱ体型変えられる、ドッポイド今すごく頑張ってあのダークウェブのスープ飲まされてる人みたいな感じに白米をふーっと食べ続けておりますけれども、
人情の本質
まあ普通にじゃあ痩せろって言われたら絶対楽だなと思いますね、全然いけますっていう感じだと思います、まあなんでできるようになるってすごく選択肢が増えることってその通りなんだなっていうのをすごいフィジカルの話なんですけれどもしみじみと思いましたね、はい、今その大人になるとかおじさんになるっていう話をしたと思うんですけど、ちょっと人情の話をした、でまあ人の情けと書いて人情、もちろん辞書で調べたらいろいろな意味が出ると思うんですけれども、
なんというか人情みたいなもの、いわゆる優しさみたいなもの、なんか手をかけるとかなんか拾い上げるとか見つめるとか、もちろん他人に対するものもそうですけど自分に対するものもそうですよね、例えばそれがない状態をセルフネグレクトと言ったりしますよね、その人情っていうのは何かどこから来るものなのか、まあ優しい気持ちになるということはいいことだと思うんですよ、
イトッポイドは大きな大いなる矛盾を抱えてるんですけれども、人の心ないみたいな感じなんですけど、優しいものの優先度というのは非常に高く、優しくないものを発見した瞬間によし殺すみたいな感じになって、それは優しくないのではっていう大いなる矛盾ね、それがまあイトッポイドの何でしょうね、紀元なんですけれども、紀元というのは紀元団の紀元ね、えみやきり継ぐは切って継ぐの紀元ですね、
で、その余裕が、その人情というか優しい人、せっかくさ、例えば何かいろんな人と関わったりとか、いろんな人と素敵な人と出会えるといいねみたいな話とかするじゃないですか、そういうのを考えてる時に、これちょっと言語化というか鶏たまごというかメビウスの輪みたいな感じになっちゃってるから、スムーズに一筆書きで説明するのが難しいんですけれども、
人情っていうのは余裕で、そもそもが余裕のことで、余裕があるものというものが人情を引き寄せるんですよね、余裕っていうものは自身の中にあるもの、すなわち相対的におけるものなので、会話が可能、もう一人の僕みたいな感じで会話が可能なんですよね、すなわち余裕になりたくない、自分が余裕を持ちたくないから余裕を持ってない状態になっているっていうことが、
多分容易にやってしまえることなんですよね、自分で余裕を持つという選択肢をしていない、余裕を持たない選択肢をしているっていう状況になる、ただそういう場合、余裕そのものが人情を引き寄せる、すなわち素敵な人と出会えるといいねのその人情を持つ、余裕を持っている人を引き寄せるべき余裕っていうのを自分から選択していないってなってしまうと、あんまり素敵な人と出会えないっていう感じになってくると思うんですよね、
これは別にスピリチュアルとか引き寄せの話とかじゃなくて、純粋に好みの話というか、何というかな、淡水と海水というか、余裕がある人が余裕がない人のところに行くことは多分ないっていう当たり前の話なんですよね、
単純にそのテンポ感というかビートというかコード進行というか、そういうのが違うところに行くってなかなかないんですよ、人の無意識というか習性として、基本的には居心地がいいところ、あんまり変化をしなくて済むところに行くはずなんですよ、
その余裕というものが、かつての時代は大人になるといろいろな経験とか知識とかがあるから、なんとなくもう慣れてきていて、その慣れというのがある種チャレンジをしなくなっていく、最短距離を知ってしまうからあまり冒険をしない、逆に言うとめちゃくちゃタイパーコスパ主義になってしまうのが大人であるみたいなことは最近よく言われてますけど、
もちろんそれもあるんですが、ですがそれはそうとして余裕がある人同士というのはやっぱりまあそうなるし、余裕がない人同士でやっぱりつるんだりっていうのも、まあなんか経験的に納得いくじゃないですか、でニトっぽいのは今まではそのかなりだから余裕がないみたいな感じだったと思うんですよ、それを選んでいたとも言えると思うんですよね、これはもちろんそれが良かったとも言えるし反省点とも言えるんですけど、
ただやっぱり戦っている状態って余裕がないじゃないですか、もう戦いって本当に命の奪い合いみたいな感じのテンションでもうバトルだとなるとそりゃ余裕なんてあるわけないじゃないですか、切った葉っぱの世界ですからね、だから戦いの状態にある方がある種アドレナリンが出てすごく自分がエキサイティングして机に向かえたりとか何か行動的になったりとかウッドワークが軽くなったりっていうのもあると思うんですよ、
これも本当性格というか好みの話だと思っていて、意図っぽいのはどっちかというと常に戦っていたいし大義のためにめちゃくちゃ戦いたいタイプではあるんですよね、やばいですよね、それだけ聞くと本当にやばいんですよ、本当に甘いんですけれども、もちろん一人で突っ走るっちゃいいっちゃいいんですけど、
なんかこう結局ある程度のものやことというのがワンクリック、ツークリックでアクセス可能になった世界って最終的なコンテンツというか、コンテンツって言ったらちょっと失礼かもしれないですけど、まあコンテンツなんですけど、もうこれ人しかないだろうなっていう感じになってきていて、
そうなってしまうと結局経済バトル、対人ではなくて対経済バトルとして余裕を持たないというテンション、そういうコード進行やビート、BPMっていうのを選択すると、人から離れていってしまう魅力的なそういったコンテンツにたどり着けない感じになっているのでは、まあこれ普通にね、アルゴリズムの話としても納得がいくと思うんですよ、同じようなテンションのコンテンツがいっぱい出るわけなのだからっていう話なんですよ、
余裕の主観性
で、まあ超非禁なつまんない例えで恐縮ですけど、例えば旅行情報とかめちゃくちゃ調べてると、旅行に楽しそうに行ってる人のコンテンツとかいっぱい出てくるし、で、なんか語学学習をちまちま頑張ろうみたいなコンテンツも出てきたりするわけですよね、で、そういうのってやっぱりちょっと時間の流れからある種解き放たれている感じがあるんですよ、
いわゆる語学学習ってほんと数年間基本的に通ししないといけないので、そんなすぐ何かなるっていうのは絶対ありえないし、旅行も旅行であるしその時間や思い出を作りに行くものであって、所有や消費ではない、そしたら所有や消費やなんかすぐ何かが手に入ったりとか、何か裏技的なもので何かがクリアできると、真逆なんですよね、
何というか実績解除が無限にできない概念と実績解除だけを求める概念とまた違っていて、これってタイパコスパの話とまた次元が違うんですよ、ちょっとその軸が違う話を今してるんですけど、そう、だからなんとなくいところではタイパコスパの話だけっていうのは非常に薄いなって最近思っているというか、
それって今の若者世代と言いますか、の世界観じゃない人たちだけで話してるやつだよねっていう感じがするんですよね、まだまだ失敗してきた人だよねみたいな失敗することができたっていう人たちの世界観だからこそタイパコスパっていうのでタイパコスパだけを求めるのは良くないよね、もちろんそれは正しいと思うんですけど、
いやそれだけではなくて今度所有と消費とかの話になってくるぞ、みたいな時間軸の話になってくる、まあアリとゾーの例えとかありますけれど、なんかなんとなく最近はそういうことをずっと考えていて、で、じゃあどうすればいいかの話なんですけれど、うーん、まあさっきそのまとめるとつって話してしまったんですけど、余裕っていうのは自分の中の相対性にある、すなわちどうなると余裕があるのかっていうのはかなり主観的なものだし、
自分の当社費でしかないじゃないですか、余裕って、完全に人それぞれで違うと思うんですよね、どれくらい何というか安心できるとそれは余裕があると言えるのか、どれくらいその暇、まあ時間がある、まあそれかなんだろうな健康でヘルシーで頭が回ってる状態になると余裕があるのか、どれくらい解き放たれてる余裕があるのかって、これ人それぞれじゃないですか、なんである種自分の考え方なんですよね、それでしかないってなるとですね、
それって一番会話が可能だと思うんですよ、自分の中で自分自身、わかんない、わかんないって言ったのは、糸っぽいではかなりそういう、なんだろうな症状があるので、症状があるので簡単じゃないですかみたいな風に言うかもしれないけれども、まああのなんだろうな、人間の皆さんはもしかしたらちょっとまた違う、違うのかもしれないんですけれども、
余裕は心の持ちようである、じゃあその心の持ちようというのをデザインしたりとか、心の持ちようというののフォームを覚えることっていうのは可能だとは思うんですよね、で、まあ今グダグダ言ってる話っていうのを一言で、じゃあどういう検索ワードで考えるかっていうと、実を言うとそれはメディテーション、瞑想であったりとかところで結構言われていること、
ただなんとなくジャンルというかその説明し方がややちょっとスピリチュアル余裕というか、ややちょっとそのマインドフルネスみたいな感じになってしまう、糸っぽいのみたいにそのなんというか、感情や気持ちや気分や人生や性格や自分の考え方や心の持ちようみたいなものをすべて摩擦係数と考え、
いやそれは別にコントロール可能であろうみたいなふうに非人間的な考えをするっていうアプローチからの説明というのは全くないんですけど、ただやってることは同じだと思うんですよ、うん、全く同じ、たどり着いた結論は全く、で、結局なんでなんか結構ある程度能力値の高いって言うと身も蓋もないんですけれども、能力値の高い人たちがそういうものに手を出すかというと、
たぶん、あ、これ余裕がないと一定以上のレベルの人たちとの会話についていけないな、一定以上のレベルの人たちのBPMやコード進行に合わせることができないなってたぶん気づくと思うんですよね、それでもって選択してるんだなっていうのを思って、で、最近すごく感じるのがすごく魅力的な人ってXにはいないっていう問題なんですよね、
まあそれはそうだよねってみんな言うと思うんですけど、思った以上に皆さんの知らないところでみんな楽しい時間を過ごしてるし、みんな素敵な人と出会ってるし、みんななんだろ、特別な思い出をキラキラした思い出を作っているということなんですよね、
それはなんとタバコ休憩でXを見ているだけでは何も見ることができないし、何もそのなんだろうな一部や端っこを少し見せてもらうこともできないし、まあ最近よくその推しみたいなものやまあなんとかの虎とかなんかなんとかダウンとかそういうものはある種その喧嘩とかそのお金持ちにプレゼンしたりとか、
自分が何か努力して成長して何か数字が出たりとかなんか大きな舞台に行ったりみたいなものを、そういったものを代わりにやってもらっているコンテンツであると、そういったことが言われていますよね、それ非常になんとか納得がいくというか、まあそうでしょうって正直思ってしまうんですよね、
なぜかというと普通にこういいもの、いいやつを作ろうとしたらああならないからっていう、どんどんどんどんその共感できるものというか代わりにやってもらうものになって、そうなった時に、すなわち多分出てる人、これはその出演者側をやったことあるとすごくわかると思うけども、今からすごく身も蓋もない言葉選びをしますね、
これはその伝わりやすいためにあえてその過激な言葉を使いますけど、すごく頭の悪いふりをしないといけないっていうタイミングになってくる、例えば昔のクイズバラエティーとかに出ていた芸能人さんが、実はあの時すごく大変だった、すごくきつかったみたいな、すごくおバカタレントみたいなふうにやらなきゃいけなかったしみたいな、で聡明な方でね大人になられて、もちろんだいぶ世代は上ですけれども、みたいなのがもう最近今いろんなところで言われてるじゃないですか、
でもあれは結局その子供も大人も見るテレビだったから、老若男女に見せなきゃいけなかった、すなわちこれ何が言いたいかというと下に合わせなきゃいけないって問題なんですよね、その下っていうのがアルゴリズムでターゲティングされていたとしても、そのターゲティング全員、ある種その広くターゲティングできるようなコンテンツを作るってなるとどんどんどんどん下になっていく、どんどんどんどん下のふりをしなきゃいけない、
その下っていうのはじゃあめちゃめちゃ頭悪いからそういう話じゃなくて、非常に感情的なっていうことになるんですよね、ロジックとかじゃない、もう知識とか納得とかインタラスティングとかじゃない、非常に感情的なものっていう、でも刺激とかそういう話じゃないですよ、映像刺激とかそういうそのクリエイティブ話とかそんなとこまで行ってない、もう感情の話になってくる、そうなってくるとこれもまた本当に人間の感情じゃないですか、
人間じゃないものは全然響かないですよ、人間の感情にしか響かないってなると、もうなんかクリエイティブの世界とかじゃないんですよね、全然、だからものすごく非常に人間、人間人間したゼロ作人式みたいな話になってきますけど、あのそういう世界観になっているなと思っていて、
そっちに合わせるのか、じゃあそのこんなタイムライン抜け出して、二人でこんなタイムライン抜け出しちゃおうよという言葉がイトッポイロはよく好きがっていますけれども、そこに映っていない素敵な思い出ってたくさんあって、素敵な出会いとかもあって、それ結構みんなやってるけどどうするって話じゃないですか、ずるくない?いや普通にずるくない?
ねえ、だってさ、イトッポイロたちはさ、ツイッターに全てをかけてきたじゃないですか、ツイッターでレンツイしてオハツイしてフロテラ、フロ、フロ、他、他、みたいな、レックみたいなさ、してたじゃない、あれは、あれが、あれ、あれが、なに?あれはその、良くない思い出みたいな感じになるの?私らの思い出を?そんなあのエスペシャリーな素敵な思い出を、そんなひどいことに、ひどい思い出として生産してしまうってわけ?許せねえよな。
許せねえよ、マジ。戦いだよ。
た、戦いだよな。
でもね、なんかね、イトッポイロね、最近ちょっと気づいちゃったんだよね。気づいたって言うと何かすごいヤバい感じがしますよね。
ヤバいですね、いいですね、宇宙のすべてが分かった。
ああ、分かっちゃったね。
ねえ、ヤバいね。
それは確実に何かをやってますね。
そこまでは分かんないよ。
何も分かんないよ。
イトッポイロは何も分かんないですよ。
でもさ、あれだよね、何でも知ってるねみたいな。
ねえ、物知りですごいねって言っただけ。
あの、何でもは知らないわ、知ってることだけってさ、よく言うじゃん。
言わない?
でもこれ知ってるの多分もういないよね。
もう、もうダメだ、終わりだ。
で、何の話してたんだっけ?
リンゴジュースの話だっけ?
あ、それは最初か。
ああ、あれね、人間の感情コンテンツの話ね。
余裕の重要性
うーん、まあもうこれ以上の例え話、あの具体と抽象を繰り返して皆さんに分かってもらう作業っていうのはもうここら辺で終了にしたいと思うんですけど。
うん。
まあ、あの分かんない人は分かんないと思うので、分かってる人だけにあの素敵な話をしていきたいので、なかよしインターネッツは。
えー、まあどうするかという話ですよね。
自身の中の相対性にそのまま余裕というのもあるので、それをちゃんと会話をして、ちゃんと自分を見て、余裕という状態はどういう状態なのか。
だから別に暇を作れとかなんか忙しくするなとかそういう話ではない、そんなのは本当に下手くそだよね。
それは下手。
別にその忙しくしないからって余裕が生まれるかっていうとそんなことは全然ないはずだし、何かむしろ充実しているということから頭が回ってそれを余裕と感じられるかもしれない。
余裕余裕余裕しゃくしゃく、そういう話じゃないんだよね。
言葉にあるイメージに引っ張られてすごいチープな方に流れる癖をやめた方がいいっていとっぽで思って。
なんかそのさ、よくほら夏を表現するときにさ、うだるような暑さの、うだるような夏って、特に意味もないけどなんかこう書いちゃう定型感みたいなのあるじゃないですか。
それにすごい近い気がしてって頭が回ってないと思って、これはまずいと。
だからその会話をした方がいいって。
余裕はまだ第一フェーズで、その次にやっぱ人情が生まれてきて。
人情がある人って同士ってのはやっぱり引かれ合うよ。
スタンド使いは引かれ合うじゃないですけど。
逆に言うとそれがない人同士も引かれ合う。
で、その逆はない。本当にない。マジで。
で、どっちも使い分けられるといいよねっていう話ですよね。
対話形式の価値
スイッチオンオフができるといいよねっていう。
それが多分昔ながらの言葉で言うと切り替えが上手とか言ったりする。
その切り替えをじゃあどう作るかってなった時にオンオフをみたいな話になると、
またそのなんというか、自分と別に対話せずに、なんかこういう感じでやるといいみたいな感じになる。
それもね、まずいんじゃないかなって思うよね。
もちろんなんかいろいろなインプットをしてね、こういうことがあるんだ、
自分と同世代の人はこういうふうに考えてるんだ、自分も何か真似できるかもなみたいな。
まあ、ポッドキャストとか聞いてる人はそれが多いんだと思うんですよ。
とにかく自分と同世代の人を複数人が喋っており、
一人で喋るんじゃなくて複数人が喋らないと相対的に会話形式というかその人の考えというのがわからない。
まあ、わからないって言うと身も蓋もないというかめちゃくちゃひどいこと言ったんですけど、
対話形式になるとわかりやすいんですよね。
AIで対話形式になんかドキュメントしてくれるやつあるじゃないですか。あれすごいですよね。
あれやばいなと思った。
ああ、なるほど。人間さんたちはこういうふうにやると理解できるんだみたいな。まあそれはそうかみたいなね。
いとっぽれが途中で寸劇挟むとかそうですよね。
あんな寸劇っていうかまあまあ寸劇か、寸劇みたいな挟むとかまさにそうですし、まあそうだよねってなる。
ただあれがAIで生まれてしまうと、うーん、まあ何だろう、まあ別にいいのか。
大したことないレベルだったら大したことないからいいのか。
今すごいひどいこと言ったな。
いや別にそれはAIのクオリティとかじゃなくて人間のクオリティの話をしたんですよ。
だから今ひどいこと言ったなって思ったんですけど。
でもそういう話になってきちゃうよね。
うーん、なんとかそのジェネレティブなAIとかじゃない、もっと言語処理のところというか、
人間の考え、哲学的なレベルで非常に足切りが生まれると思うんだけどな。
うん、いいことだと思うよ。
やっぱり相談するということは非常に重要だし、なんていうか自分の生理になる。
その対話形式というのを何とやるか、ぬいぐるみと喋るのか、チャットGPTと話すのか、AIと喋るのか、
まああえて対話形式に起こしてみて客観的におかめはちもくするのかっていうのはまあそれは人それぞれ好みがあると思う。
なんでもいいと思う。
まあでもなんだろうな、でも一番楽なのが人と話すことなんですよね、実を言うと。
あの情報量がすごく多いんですよ、コワイロ、ヨクヨ、まあ可能であればその実写とかだともっとメッセージ性がある。
まあミブリ、テブリもそうですね、コワイロ、ヨクヨ、ミブリ、テブリ、その次にこう表情みたいなのもしますよね。
それは非常にやっぱりこう生物としてキャッチアップする、なんていうか本能的にそういう生き物なので、
なるべくね、そっちの方がね楽なんですよ、イージーですね。
もしくは、あのイージーというのはそのできない人でもできるという話じゃなくて、体力を使わずにできるという話です。
はい、消費MPが少ない割にリターンがでかい。だからそれこそコストパフォーマンスの話になる。
で、意外と人間同士の方がコストパフォーマンスが高い、その面で言うとっていう考え方も言えるんですよ、絶対に。
で、ただそういう会話ができるような相手というのを見つけるというのはすごく難易度が高い。
で、ある程度その知的レベルが高いというとちょっとあれかもしれませんけど、まあ優しい世界の余裕がある人同士の会話、
可能性の想像
きちんと会話ができるとか前提があるとか、そういう人と話したいっていう場合にそういう自分である必要もあるじゃないですか。
だって向こうも、その向こうは生きてるんだからさ、AIとかじゃん。
ってなった時にね、そういう話になってくる。
で、なると非常にその超人間力が求められる時代になってくるなっていうのを感じている。
で、その人間力というのが性格とか、またそのなんていうの古い言葉というか古い考え、卓一的な、そうじゃないと思うんですよね。
なんか性格2.0みたいな。2.0って言い方がもう古いけどさ。
なんかね、もうちょっと複合的なというか多層的な地味深いものになってくるんじゃないかなと思っていて、
なんとなくね、味わいみたいなものをね、感じますよね。
基本的に人間は複雑な味のことを美味しいって言ったりするんで、その複雑な、何だろうな、いろいろできる気がするんですよね。
あの今、何だろう、イトポリオがあれだよね、イトポリオが何だろうなって言ってる時は全然答えが出てるんだけど、あまりにもひどい言葉なので言わないっていうやつですね。
ちょっと言葉が今のところは見当たらないので一旦保留っていう。
まあでもね、なんかね、イトポリオ結構そう考えてますよ。
でもね、今そのビートとかBPMみたいな例えを使いましたけど、
殺伐としたところにいると殺伐としたBPMになっちゃうので、なるべくそういうところから距離を置くというのも大事だとは思いますね。
分かった上で行く、なんか息止めながら持って入るんだったらまあいいと思うんですけど、思いっきりそこで普通に呼吸してしまうとそこに適応してしまうので、
過剰適応はやっぱりいいことないと思うんですね。それはね、みなさん自分を大事にしてあげてくださいと普通に思いますね。
お、なんか急に優しいこと言った?
お、どうしたどうしたどうした?どうした?
な、な、な、どうしたどうしたどうした?
急にバランスを取り始めたってこと?
そう、みなさんね、やっぱりみなさん自身を大事にして大切にして無理をせず。
アハハハハハハハハハハハ
ああ、終わりだよ。
ハハハハハハハ
はい、最近はそういうことを考えておりますね。
で、いとぽいはまあ、なんだろうな、やっぱり勉強不足だなっていうのをやっぱりすごくすごくすごく感じていますし、
最近なんかそういうことを考えて、次自分がどうなりたいかっていうのをね、すごくイメージつくようになってきたんですよ。
で、こうなりたいからじゃあこれに対してちょっと頑張りをしよう、努力の投資をしようみたいな、もう本当に一人でできる努力という感じですね。
で、それをもうある種それこそデザイン志向的にというか設計的に努力しようかなっていうふうに思っていて、
それをやるにはまあそうですね、最低でも2年ぐらいは多分、まあ無駄にするって言い方ちょっとあれかもしれないですけど、
投資をしないといけないなっていうふうに思っています。
まあでもなんだろうな、ちょうどいいタイミングなのかなっていう気がしていますね。
すごくなんというか、あ、これ面白そうというかもっと面白いことできるかもって思うし、
まああとはその最近、まあじゃあちょっと何かいいこと言っとくか。
いいこと言っとくか、いいこと言っとくかなんですけど、
何か多分こう楽しいところに連れて行くというのが多分イトっぽい動画皆さんに対してできることなんだろうなっていうふうに思っていて、
その連れて行くというのは別に手を引っ張って連れて行くというよりは、ここも実はいけますみたいな、
こここういうのいけますとか楽しいですとか美味しいですとかじゃないんだけど、
何だろうな、選択肢、可能性の選択肢というものを何だろう、
想像できるような状態にするっていうことが多分イトっぽい動画できることだと思うんですよね。
作れるもの、作れる価値だと思って、その可能性の想像力、可能性を想像してもらえるようにする、
可能性を想像できるところまで連れて行く、まあ想像の世界で可能性を連れてくる、連れて行くという感じだと思うんです。
多分これがイトっぽい動画の唯一、皆さんに対してギブできることなんじゃないかなっていうのを、
ふと、ふと、ふとって感じじゃないね、かなり複雑な思考のもと、多分そうだろうって思ったんですね。
そうなった時にじゃあ他の可能性、結局ここではないどこかっていうところがすごくキーワードになってくる。
これはイトっぽい動画の作品作りもずっとキーワードになってましたけど、
そのここではないどこかってことはここじゃないってことなんですよね。
当たり前なんですけれども、まあそれこそウダルのような夏現象ということでここではないどこかっていうので、
固定の言葉として考えてしまっていて、全然因数分解をしていなかった。
ここではないってことなんだっていうことなんですね、大事なことは。
じゃあそれやんないとダメだなっていうのを思っていて、うん、それはすごく考えています。
なんか少しでも、少しでもなんというかな、みんなが楽しい気持ちになるというか、
なんというか、優しい気持ちになるというか、幸せな気持ちになるようなことというのができるといい。
半径1クリック以内最低限ね、っていうのをすごく考えているので、ここに最適化してもしょうがないなっていうのはすごく思っています。
努力と勉強不足の認識
で、それを実現するために頑張らなきゃいけないことというのは、まあそれは頑張るしかないでしょみたいな選択肢それ以外ないだろうっていう話だと思うので、
そこをきちんとやっていきたいなと思いますし、なんかそれは自分の楽しさというのはもう2の次3の次だなっていう感じがしますね。
うん、そういうことを結構シリアスに考えていて、まあそのためにはまだ全然その、なんだろうな、ここじゃないところみたいなことであったりとかっていうのをちょっとやっぱ数年間、
まあもちろんコロナとかもあったからって話だと思うんですけど、特にね、ちょっとやっぱり全然勉強不足だなっていうことを思っていて、
あとそういう目線でやっぱりいろんな世の中を見てなかったっていうところもあった。
これはちょっとなるべく元気なうちに早いうちにしっかりとフィールドワークをしないといけないなっていうのをすごく感じています。
なんでもうめちゃくちゃ勉強不足だなというのを感じているので、課題感でいっぱいですね。
うん、だから逆に言うとまあもうすでにあるものとかやってきたものっていうのは別にもう、なんていうかそれは多分もうやり切ったんじゃなくて、
その当時なかったものなんだよね。その当時なかったものをある状態にして、可能性を想像できる状態にしたし、なんか想像以上に普通に実現して皆さんのお手元でコントローラブルな状態にもしたので、
まあそしたらもう、それのおいしいご飯終わったと思うんだよね。みんながもう自分で作れるようになったからね。そしたらまあ次だよねっていう話で。
これはね、やっていきたいと思っていますね。なので絶対に5月病にならないでござるという気持ちですね。そんな、そんな暇はないよというか。
暇はあるけど暇である状態にしているので勉強したいからね。そんな遠回りなことはないよって感じですね。
はい、まあということを最近は考えております。まだまだね、実を言うと考えたトピックというのがいっぱいあって、キーワードでトレロにバーって書いてるんですけどめちゃくちゃありますね。
なのでまあ、ちゃかちゃか更新していきたいと思います。ではまた次回。