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2025-05-03 30:53

313. 行動=おしゃれの時代をサバイブしよう

海外行ってました。ものが多い時代、おしゃれはハードウェア・外見・ルッキズム的な…ではなくその人の選択そのもの、美意識や趣味嗜好になってきている話。

📍index📍
海外行ってすぐ地元茨城帰って日本語下手になってました/買ってくれた人のためにかっこいいお店であり続けるということ/外国人向けの商品をつくるとブランディングに傷がつくと考える日本人のワケ/ストリートにおける日本の外国風の歴史

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サマリー

ポッドキャストでは、最近のトレンドとしておしゃれの概念が変化していることを指摘しています。物が溢れる時代において、選択そのものが美意識を反映し、単なる外見やクオリティではなく、何を選ぶかが重要であると論じています。パスポートを使わず、日本から出た経験が少ない中での海外訪問の感想や、観光客としての視点が語られています。また、外国人向け商品のブランディングや、日本の観光の問題点について考察し、観光客に選ばれる店になるための方法がテーマとなっています。現代は、選択が個人のアイデンティティや価値観を表す重要な要素となっています。このエピソードでは、消費行動とブランドの関係性について深く考察し、自分の人生の一部を形成する体験を提供することの重要性について触れています。

ポッドキャストの概況と経験の共有
行動イコールおしゃれの時代をサバイブしよう。
お久しぶりでございます。このポッドキャスト、なかよしインターネッツは、インターネットユーザーのイトッポイドが、
何かをやったりやらなかったりする、ごくごく普通のポッドキャストでございますと。下が回ってませんよね。
これ何でかっていうと、更新してなかった理由にもつながるんですけれども、台湾に行ってまして、
台湾に行った後に、高校のオフィシャルの同窓会、みんなで集まろうぜとかじゃなくて、ちゃんと母校が、
中田一校って言って茨城県南の元男子校の、なんかはちゃめちゃになってる学校なんですけど、そこの公式の同窓会に行ってて、
すなわち何が起こるかというと、台湾に行って、日本語全く使わないわけなんですよ。英語と中国語で、
なんとかみぶりてぶりくんをね、交えてやってて、その後茨城に帰って、10何年ぶりに久しぶりに実家に帰って、ずっと喋るわけですよ。
茨城弁なんですよね。茨城弁喋ってって言われてすぐ喋れないんですけど、イントネーションがすごい雑になるんですよ。
口がわやわやになって、常に怒ってるみたいなイントネーションの言語なんですよね。
あいうえおで何かが変わってるってわけじゃないんですけど、ノリがそういう感じなんですよ。
いわゆる英語だとちょっと低い声でちゃんと喉使って話す、日本語だとちょっと高い声で、口のいわゆる外側の非常に前歯に近いところでチャカチャカ喋るみたいな、あるじゃないですか、言語ごとの特徴みたいなのが。
茨城弁ってもうめちゃくちゃなんですよ。だれだれだれだれみたいな感じで、腹から声出せみたいな、大丈夫みたいな感じなんですよ。
それを濃厚にやったので、もう口回らなくて、台湾から帰ってきた時も全然日本語が出なくて、結構黙ってたので、がっつり写真撮りに行ったり調べ物しに行ったり、
もう全然口回らない、こんな口が回らないというのが自分の人生で初めてだってぐらいで、その後茨城弁にしちゃったから、茨城弁でチューニングしてしまったんですよ。
やばいと思って時間を空けておりました。プラスですね、親知らずまた一本抜きまして、油汗かきながらブルブル震えながらでっかい一本を抜いたんですけれども、口腫れてるでしょう。
まあそういうことなんですね。なので、ポッドキャスト更新しない間に結構はちゃめちゃにたくさんのなんだろうな、ブランニューな経験をして、なるほどこういうことかと毎日を学び終えて、ただ一方で全く喋れてないと、優遇式自体でございますと、そういうような理由でポッドキャスト久しぶりになりました。
おしゃれの新たな定義
いろいろ結局出かけたわけですよ。いろんなところに行って、見慣れないもの、自分で普通に生きてる中ではお散歩しに行かないところ、選択しないようなところですよね。チョイスしないようなところに行ったわけですよ。
そうするとやっぱり何だろうな、普段見ているものと違うものっていうのを見ると、2つディフがわかるじゃないですか。これ良しも悪しもあると思うんですけれど、何か1つのものを表現するときに比較をしてその違いでもって、ここはこれについてはこう違うからこういう特徴があるんだっていうような語り方っていうのがあると思うんですよね。
ディフを見るってよく糸っぽいら言うんですけど、そういうものをたくさん違うところを行ったので、寄ってもっていろんな気づきがありました。やっぱり普段行かないようなところに時間をかけてコストをかけて行った方がいいんだなって痛感したと思う。
今日話したいことは、オシャレって何なんだろうっていう話をちょっと突っ込んでしたくて。理由としてはオシャレという概念が多分変わってきちゃってるなっていうことなんですよね。今日はちょっとそれについて話したいと思います。最近の緊急報告シリーズとかで言うと、まず古物取扱いのちゃんとナンバーを取りました。東京都公安委員会許可、警察署に行くんですよね。
これこれこういうのやりたいですと。1万9000円だったかな。お金払って、1ヶ月半どんどん取りにくくなってるらしくて、イベントでお世話になった元スピンズなんですけど、元スピンズの兄貴に教えてもらって、マジで取りにくくなってるから本当に取った方がいいですよって教えてもらって、マジですかって言って急いで警察署に行って。
そしたらやっぱり結構やる人が増えてるっていうのと審査がちょっと厳しくなっているということもあって、メルカリとかの状況もあるんでしょうけれども、かなりやっぱ待つよとかかりの方に。でもゴールデンウィーク開けておれたんですけど結構早かったですね。ゴールデンウィーク始まるより前ぐらいにもいただいて、ナンバーと手帳型の古物取扱い証明書をいただいて、今度プレートを発注しなきゃいけないので、プレートが今朝届いたんですよね。
なので今目の前にいる以上って書いてあるんですけれども、これはなんか今すぐ何か始めるというより、何かをやり始めないといけない、何か扱わないといけないという時に、この証明書を取っている人が1人以上いないと何もできない、例えばリメイク品の販売であったりみたいなものをしたいっていう場合、どうしてもこれに引っかかるっていうのがあるんですよね。
なのでこれ持ってないとダメでしょっていうことから取っておいた方がいいよと。やるにしろやらないにしろっていうのが兄貴に教えてもらったことで、確かにそれはそうだなって色々調べて分かったので取ったっていう感じです。でもなんか満足感ありますね。別に何か勉強して一生懸命頑張って自分の力で手に入れたというわけではなく、単純にちょっと面倒くさい書類仕事をし、お金を払って自転車で警察署に行き、それを何回か行きってクリアしたっていう、ただそれだけなんですけど。
まあでもいいですね。食品衛生責任者よりも楽な気がしますね。ただ時間はかかるけどっていうのが一つ。あともう一つですね。デザイナーの2x兄貴に中吉インターネッツのロゴをねちょっとかっこよくしたいんですけどっていうご相談をね、実は今させていただいておりまして、非常に非常にもう自分だけじゃもういかんともしがたいなというフェーズに突入しているので、ちょっとお願いさせていただいてという。
はい、もう2機だったらね。2x2機はもう最近も日々毎日お世話になっておりますけれども、非常に楽しみでございますね。はい、もう楽しみでございます。
それを踏まえて、このポッドキャストっていう市場がどういう風になってますかとか、今の自分の状況ってこういう感じなんですよっていうのをドキュメントに起こしてみたんですよ。
ドキュメントに起こすとやっぱりなんだろうな、別にわかっていることではあるけれども、説明するときに1人以上の説明するときにドキュメントがあると楽なんだなっていうのはよくわかりました。
すなわち、複数の人と何か一緒にやるときにドキュメントというのは必要であって、お友達がいない場合はドキュメントに必要がないと。
いとっぽいではずっとドキュメントに必要がなかったのはお友達がいなかったから。
はーんとね、同窓会で15年前ですか、ことを振り返りつつなんかいろいろ考えて、ツアーっていう気持ちになったんですけど、でもまあありがたいことです。
この話また別途ね、恩師と呼べる方がいらっしゃって、その方に久しぶりに会いに行って、いろいろ近況報告して、ちょっと気づいたこともあるのでまた別の機会にお話したいと思います。
おしゃれの話ですね。
端的に結論から言うと、すごく物が多い時代、誰でも物を作れるし、物はたくさん作れる。
下手したらそのAIとかで文章とか生成できてしまうっていう時代に、おしゃれみたいな物っていうのは外見とかクオリティではなく、クオリティももちろん大事ですよ。
生成で作れない物とかそういう話じゃなくて、単純にそのAさんとBさんとCさんとDさんが作った物が並んでますと。
どれが一番おしゃれですかとなった時に、今までだとクオリティが良い物とか、外見が素敵に見える物とか、これ持ってるとモテそうみたいな、いわゆるブッキズム的なというか、
おしゃれって結構そういう感じだったじゃないですか、モテるためというか。
それは異性モテ、同性モテ込み込みです。
自分のためのおしゃれ、自分モテもありますよね。
他人モテ、自分モテのいわゆる価値観の中に、ちょっと変わってきているポイントがあるんじゃないか。
それは何かというと、もはや選択そのものなのではないかと。
何を選択しましたという事実ですよね。
私はこれを選択してこれを持っています。これを使っています。これを着ています。これを聞いています。これを話しています。
何でもいいですね。もはや言語もそうなってしまっている可能性もあるんですけど。
そういう私はこれをチョイスしていますということ自体が、ある種美意識や趣味思考の発露になっており、
もはやおしゃれと言われていた言葉の概念の本質はそっちに移っているんじゃないかと。
すなわち選択して身につけて身につけた自分としての完成品ではなくて、
もっと抽象的なソフトウェア的なこの人はこれを選んでいるんだ。
これを選んだ人なんだというような人間性の部分ですよね。
そういったもの、いわゆる刑事上的なものにシフトしていってるなというのをすごく感じます。
もちろんそれってブランディングみたいな話にもつながってくるというか、
ブランディングってもうないよねっていう風に、
ブランディングという業界とかいわゆる効果、功能みたいなものがビジネス的に成立するかというと、
もうしなくねっていうのを意図っぽいでも言ってたし感じていたんですけれども、
付加価値と物の時代
いやちょっと待てよと。
ちなみに本格的なマテ茶を最近買って飲んでるんですけど、
あれめちゃめちゃガン決まりになってしまうので、
あんまり飲みすぎない方がいいなっていうのは思いましたね。
すごく苦いんですけど、それを置いといて。
そのブランディングがもう成立しないよって言われてたけど、
いや全然今あるんじゃないっていうポイントとしては、
あるお店がですね、その周年記念かなんかの時にブログで、
メインはインスタグラムになってるんですけど、
ブログでね、うちの商品を過去買ってくれてきた、買ってくれた人のために、
これからもかっこいいお店であり続けたいと思っていますっていうのを結構さらっと書いてた。
それ見た時にうわって思って。
そのお店もね、昔はその店長さん、店主さんが一人で店番してたんだけど、
だんだんこう、普通にいろいろな仕事をやるようになって忙しくなって、
週末だけ空いてますとか、最近はその若者をね、
アルバイトの若者を3人ぐらい男女混合で雇って、
基本的にお店番してるのは、限られた日、店長さんがお店番してるのは限られた日で、
大体はその、なんだろうな、ヤングな人たちがお店番してる。
なるとお店の体験って結構人なので、変わってるはずなんですよ。
でも、過去買ってくれた人のために、これからもかっこいいお店であり続けると。
すなわち、物の評価ではなくて、やっぱり付加価値って言葉が使われてたけれども、
自分はこれを選択してこれを着ているんだ、ここのお店のやつを着ているんだ、わざわざみたいな。
いいものは他にもたくさんあるし、質のいいものはたくさんあるし、安いものもたくさんあるし、
自分にフィットしているものもたくさんあるし、ある種社会的に大人だったらこういうの着かなきゃねっていうものもたくさんあるはず。
だけど自分はここを選んでいる。ここのものを選んでいる。
で、その理由としてはここのセンス、ここの美意識みたいなもの、ここのノリ、テンション、
そういったものに共感しているからいいと思っているから選んでいるんだ。
で、それが崩れてしまうとダメだよね。
だからかっこいいお店であり続けていきたいと思っています。非常に本質的だなと思う。
そしてすごく今っぽい、すなわちもうゆで戻しなんですよね。
いわゆる付加価値の時代からめっちゃものの時代になって、もう1回付加価値の時代になっている。
付加価値という言葉が多分ちょっとずれている。ちょっとピントが時代遅れになってきてしまっている。
いわゆるものに対して付加される価値ではないんですよね。
そのアドオンではないんですよ。装備品ではないんですよ。概念冷蔵ではないんですよ。
デーモンの斧、攻撃力プラス1000じゃないんですよ。
もはや価値そのもの、チョイスされるであろう価値そのものの方が本質であって、
物質的価値はそれにしては着心地いいなとか、それにしては使いやすいなとか、それにしてはいいなっていう、
多分そっちになってきてしまっていると。
だから物質的価値というのがないがしろになっているわけではないんだけれども、
ある種主従が逆転している。もちろん物質的価値が50で、いわゆる抽象的なイメージ価値みたいなものが50だったとしても、
モンスターカードと装備品カードっていうのは主従が変わらないわけじゃないですか。
でもそれが例転でこう変わっているみたいな感じ。グーって変わっている感じ。
だから50-50で割合は同じなんだけど主従が変わっている。
だから1手目に影響される呪文が変わっているんですよね。
これは結構あるなと思って。
海外訪問と観光客の視点
それの裏付けというかエピソードとして、非常に実は意図っぽいのはあまり海外に行ってないんですよ。
日本からあまり出てない。いわゆるパスポート使ってどっか出てない。
中学生の時にショートホームステイみたいなので1週間か1週間半ぐらいオーストラリアに行ったっきり。
そんなの記憶なくなっているので。
その海外に久しぶりに行ったと。
これからも勉強のために行こうと思ってるんですけど、行かないとやばいなと思って。
そうするとですね、観光客の目線というのがわかるわけですよ。
言語があまりわからないし、土地観もないし、何買っていいのかもわからないし、何が楽しいのか美味しいのかもわからないっていう、そういう経験ができる。
一方で今日本インバウンドと言われていて、すごくそういう観光客がいっぱい来る状況になっているじゃないですか。
日本がすごい観光が下手だっていう話はまた別の機会にしたいです。
これだけでも2時間ぐらいトピックがある。
それを置いておいて、ニトポルが感じたのが外国人向けの商品の是非についてなんですよね。
いわゆるスーベニアアイテムと言われるようなもの。
例えばいろんなお店とかに行ってると、これの商品ってここでしか買えないものだったりするみたいな、
そういった質問みたいなものを店員さんにしているお客様とかを結構見るんですよ。
それは海外でもそうですし日本でもそうです。
ああいやそうじゃないんですよって答えるのがほとんどですよね。
じゃあなんで、自分もそういうの欲しいんでせっかく行ったからには現地でしか買えないもの買いたいじゃんみたいな。
いつも通販で買えたり日本でも買えたりするもの買ってもしゃあないべって思っちゃうわけですよ。
でもそういったものってあんまないんじゃない。
ニトポルが言ったところはめっちゃあるところですけど。
でも日本にはあんまないんですよね。
なんでないんだろうなと思ったら、
外国人向けの商品作るとブランディングに傷がつくと日本人は考えてしまっているという仮説が立たれる。
なぜならば日本を押さないといけないからですよね。
日本って書いたりジャパンって書いてみたり富士山書いてみたり、
いわゆる空港の待合ロビーの手前にある免税店とかに置いてあるTシャツとか見るとわかると思うんですけど、
そういったものになっちゃうわけですよね。
日本ってこれ多分日本人は日本的なものがあまり好きではないっていうの仮説一つと、
あともう一つ日本的な価値観っていうのはそこまでスペシャルなものっていうのとあんまり相性が悪いのではないか。
スペシャルなものというのはクオリティみたいなものにいっちゃってる可能性が日本の場合は高いよね。
ジャパンクオリティみたいな。
この二つが立てられる。
日本の観光と購買行動
というか多分本当にそうだと思うんですよ。
そうじゃないとここまで商品ないことあるかって思っちゃうわけですよね。
後者に関してはわかりやすいですよね。
ジャパンクオリティって外国の方が日本に来てすごく独身貴族の方というか、
いいもの買って帰りたいと思っている方に何が人気かというと包丁なんですよね。
カッパ橋とか行くとすごいもう外国のお客様たくさんいらっしゃって、
とにかく日本のクオリティのめちゃくちゃ切れる包丁っていうのが欲しいと。
それわかるよね。
わかる。
だって自分の立場だったらめっちゃ欲しいもん。
で、それはわかる。
あと日本製品だからなんかいいんでしょみたいなそういうのもある。
実際日本人は貴重面、そうじゃない場合はたくさんありますけれども、
少なくともクオリティコントロールが結構高めの水準にあるというのは事実としてあるんですよね。
昔よりも今の方がもう日本のクオリティにすべて追いついてしまっているというか、
どこへどこへのところはあるんですけど、
そういうイメージによって、
あとジャルによっては事実結構丁寧に作られているものもたくさんあるので、
そういったものを選んで買いたいと。
いいものが欲しいと。
いいものを買いに来ている。
仕入れに来ていると。
それはわかる。
それはいいんですよ。
前者の方ですよね。
日本人は日本好きじゃないから。
いやそんなことないべと。
事実そんなことはないだろうと。
伊藤ぽいらは日本的なもの大好きですし、
最近はずっと千利休からの和美錆からの美意識のところっていうのを
自分の研究テーマにしてずっと調査というかお勉強しているわけなんですけれども、
作品作りに生かしたいというのもあるんですけどね。
ただそれと商売とちょっと話が変わってきていて、
結局日本人ってものすごくアメリカ的なものというか外国的なものが好き。
売れるものってすごく外国っぽいものなんですよ。
例えばファッションの歴史から見ても、
誰がやっているのかわからない、
ワンチャンアメリカの人がやっているのかっていう
フリをしたアイテムっていうのがすごく人気になるんですよね。
いわゆる正体がわからないブランドで、
すごく外国っぽい雰囲気、佇まいをしている。
でもやっているのは日本のおじさんなんですよ。
考えるとしょぼって思うじゃないですか。
何それみたいな。そんなになんか悲しいことってあるみたいな。
だって嘘ついてるってことじゃん。思うでしょ。
でも歴史的にすごく人気だし今も人気なわけ。
で、大人にも人気だし若い人にも人気だし。
なんだったら大人の方が好きだよそういうの。
そういう歴史なわけよ。
いろいろなストリートカルチャーの誰々さんみたいないますよね。
そういった人とかもいとぷりも気になって履修したわけですよ。
いとぷりも90年代とか知らないからさぶっちゃけ。
記憶ないじゃん。だから勉強したんだけど、
なんかとにかく外国であればいいんだっていうような
ノリができてしまっていたというのも事実だし、
それの延長線上にあるって考えると、
ああってやっぱりなるのよ。
もちろんそのストーリーとその当時の熱狂っていうのは
すごい面白いし楽しいしかっこいいし、
だからそういうのは好きって。
いとぷりも普通にガッツリストリートカルチャー出身なので
すごくわかるんだけど、ただ今の時代の
非常に選択ができる、そして非常に海外の情報も
なんだったら日本の情報も外国の方とキャッチアップできる。
ものすごくインターネットでつながってしまっている時代に対して
その雰囲気って正直物理的に見ると
え、そんな、え?ってなるわけですよ。
これ多分リアルなんですよ。
もちろんY2K的な開港趣味的なものは別ですよ。
もはや多分そっちにシフトしてるなっていうのはあるし、
実際大人の人はそれでしかもはや物を消費できなくなっているっていう
非常に耳が痛いツッコミもできると思う。
それはそれなんだけどね。
それなんだけど話を戻すと、日本を押すとそのショップが
あー外国人向けね、みたいな謎の目線とか
あーなんかセルアウトしてるのね、売りたいと思ってるのね
なんかそっちに混ざってしまって。
でもおかしな話で非常に人気のあるお店、いわゆる
なんだろうな、選ばれるお店になるっていうのは非常に重要だし
なんやかんやで、いや今その購買行動する人っていうのは
しかもリアルのショップで購買行動する人っていうのは
日本人と日本人以外って考えた時、観光客の方が多いわけじゃないですか。
事実として。
そうなった時に選ばれてるお店、繁盛してるお店、
人に求められてるお店ってどっちかって考えたら
まあ候補者になるし、実際売り上げ取りたいじゃないですか。
でもなぜそれを選ばないのかというと
やはりそれは選択したくないっていうことになってるんですよね。
すなわちそこを選択してしまうと
ある種、かっこいいお店であり続けられないかもしれないという
判断をしているというわけなんですよ。
それってどういうことかというと
日本人が結構そういう感覚なんだろうなっていうのを
イトッポイロは自分の胸に手を当てて
うわってなっちゃったわけですよ。
まさしくイトッポイロなんて結構そんな感じするわけですよ。
だからもう今言ったように
誰がやってるのかわからないフリをした、外国っぽいフリをした
でも実際はファッション業界の
これは実はビームスの人がやってるんだよとか
これは実はドコドコの奥さんがやってるんだよとか
本当に小さいコミュニティの中で回ってるわけですよ。
もう本当に誰々の奥さんとか旦那さん
奥さん旦那さんっていう言い方は
かなり古い言い方ですけれども
世代に合わせた言葉選びをするのはまさにこれなんですよ。
本当にパートナーがやってるんだよとか
この会社の人がやってるんだよとか
なんかこのブランドすごくいろんな所々すごいなって
大手セレクトショップのバイヤーがやってるから
そりゃあその人に歌手を作るためにいろいろコラボしやがるだろう
なんでそれ
このぐちゃぐちゃの喋り方が茨城県なんですけど
結構そんなのばっかなんですよ。ほとんどがそう。
そうなった時に
それってミステリアスでないといけないんですよね。
ミステリアスなものと言語やノリアっていうのがわからない
茨城観光客そぞろ歩きをしに来る
フォーリナーってそれFGOのフォーリナーサーバントになっちゃいますけど
なんて言えばいいのかな
観光という哲学的な概念の話になっちゃうんですけど
観光しに来るっていう人とミステリアスであることって
かなり真逆なんですよ。かなり矛盾している。
そして日本人は何かすごくミステリアスなことというのに
良しと考えてしまう文化がある。
それが結局その日本人観光下手だよねまた別の機会に話しますって言ったところの
本質の一つではあるんですけど
それになってしまっている。
かつ、ある種かっこいいお店であり続ける選択をするっていうことと合体して
結構凝り固まってしまっているというか
かなりこう結び目がぐちゃぐちゃになっているなっていうのを
あーっと思って
ただ一方でですね
それどこまで通用するのかっていう話で
例えばなんだろうな
他のアジア圏とかだとあんまりそういうことないんですよ
歴史がそんなにめっちゃあるってわけではないっていうジャンルもありますよ
なんやかんや言って日本のそのサブカルチャーであったりストリートカルチャーみたいな
ちょっとしたこうプロダクトみたいなものの歴史って結構あるので
それと比較してっていうのはあるかもしれないんですけど
でも今を生きる人たちが結局何かを作るし何かを消費するし
何かを生み出すわけじゃないですか
その人たちに向けて選ばれないと
そもそも厳しいっていうのも一つあるっすよね
すなわちその余計なものを買ったり余計なところに行ったりっていうのを
年を取るごとにどんどんやらなくなるというのが
人類、ホモサピエンスとしての特徴としてあって
そのどんどん選ばなくなるというものに選ばれていくっていうのも
確かにそれは非常に価値があるしオシャレなものなんだけど
単純に難易度が高いゲームだよねっていう発想もあって
我々は今までそれをやるべく頑張ってきたんだけれども
それはそれでできるようになりつつ
もう片方としてそうじゃない今を生きる人たち向け
今を動く人たち向けっていうところに対するコミュニケーションっていうのも
できるようになっていかないとまずいよねっていう話なんですよ
すなわちめちゃくちゃ吟味してこれを選ぶ
これを選んだってことが外にバレてもいい
なぜならこれを選んだという自信があるから
ただその自信っていうのもめっちゃいいもの選んだっていうのも
めっちゃ楽しんで選んだとかめっちゃ必要に駆られて選んだとか
いろいろあるわけですよ
いろいろある
そのいろいろというのは価値観ごとに全部違うわけ
状況や価値観や全部違う
ただでもそれによって選ばれたというのがある種その人の
オシャレというかスタイルスタイリングになるわけですよね
そのスタイリングのものじゃなくて
そのものを足すんじゃない装備されるものではなくて
消費行動の重要性
一通りの購買行動や消費行動を含めた体験というものを
スタイルとして提供するというのが
ある種我々作り手の仕事になっていくんだなっていうのは思ったわけですよ
だからブランディングって言って足すものとか
ごまかすものとか煙をかけて匂いをつける
パフュームではなくてですね
それこそ本当にその人の人生の一部を作るんだっていう感覚で
作るんだなっていうのを
伊藤ポイドはこの1ヶ月ずっと考えていて
それをできるようになっていかないといけないなと思ったんですよね
ただこれも気づいたらいやもうできるだろうと思うんですよ
普通にできる全然できる
もう楽勝楽勝だよそれ得意だもん
そのなんかやればいい敵が
汝は竜罪あり気が分かれば
基本的にはクリアできるので伊藤ポイドはそういう能力があるので
他が何もできないんですけどそれだけに特化してるので
ああもうできるなと思いました
なのでそういうことを作っていけばいいんだなと
今までの伊藤ポイドは結構その
自分で自虐的に虚業って言ってみたりとか
もうほんと煙みたいなの作って
その本質は何もないんだけれども
煙だけがあって何かそれを吸ってるみたいな
その煙を作るようなことが得意って言ってたんだけど
本格的にそういう時代が来たし
煙を吸ってというか煙とともに酸素を吸って吐くっていう
ある種その有機生命体に必要な呼吸という概念
その情報みたいなものを
インターネットに人類がインターネットでかなり接続した時代に
呼吸ができるようになってしまった
そしたらその呼吸を酸素吸って吐くっていう時に
まあこの吸うんだったらこの酸素吸って吐きたいよねみたいな
だからそれはハイキングに行ってきれいな森の中で
空気が美味しいって言ったりするようなもの
わざわざ空気が美味しいところに行くわけですよ
いや美味しいってなんだよって話ですけど
でも事実としてそういうのあるわけで
本質的にそれは酸素の質じゃない可能性も全然あるわけですよね
土の香り空気の香り湿気あとは空気気温
いろんなものが複合的に合わさって視覚もそうです聴覚もそうです
合わさって空気が美味しいっていう風に
でもまあそういうことだよね
まあだから山を作るってこと
いや川でもいいけどさ公園でもいいけど
なんかその人の人生の一部になるようなものを作るんだなっていうのをすごく思いました
でもこれってね何というか我々世代にもすごくわかりやすい話で言うとですね
その是非はともかくとして中学生中学1,2年生の時とかにさ
ガラ系時代だったと思うんですけど皆さん
ガラ系の待ち受けにする画像ってさすごくスペシャリーなものだよね
すごくすごく自分の大切なものとか自分の好きなキャラ
まあ伊藤ぽいではそのアイドルとかあまりその通ってきてないというか
何というかあまりわかんないんですけど
まあ好きなアイドルさんとかね待ち受けにしてたじゃないですか
好きな漫画の表紙とかさコマとか
あとは涼宮春日の憂鬱の涼宮春日は永田雪が黒濡れにされており
iPod nanoのCMみたいな感じで耳から白いイヤホンが出てる
誰かが作った壁紙ってあるじゃないですか
あの当時みんなそれ多分1回は右クリ保存してると思うんですけど
まあああいうのをやったりとかするわけじゃないですか
それってさ結構ちゃかちゃか買える場合もあったけどさ
まあスライドショーみたいなので
でも峠校の時にもうそれしか見るものがないわけで
それをこうやって見ながら音楽聴いて
で別にその待ち受けっていうのは
例えばそれは家族であったり友達であったりとか
あんまり見せないものだったりするわけですよね
でも自分の大切な人生の一部になってるわけで
まあそれって結構音楽的なものもあると思うんですよね音楽
まあ音楽は空間芸術だっていう風に言うっていうのもあると思うんですけど
今日言ったような話っていうのは結構音楽に近い
音波があってそのデジタルデータがあってっていうのは確かにものなんですけど
だからそういう意味ではちょっと矛盾するんですけれども例えとしてね
ただその人生の一部になるようなもの
人生の一部になるような体験をっていう風になる
そう考えた時にながら劇ながら消費ながらみができるようなものしか
今まではそれになり得なかったすなわち音楽
あと待ち受けなんてもながらそのものですよね
あとは服とかもながらですよね
ただそのながら以外のものも結構人生の一部になることができる時代になってきた
それは非常にものがたくさんにある選択肢があるから
これを選んだというもの自体がその人に対するその人を表現するその人を表現してしまう
何も言わずともコミュニケーションとしてのメッセージを発してしまう選択したというもの
っていうものになり得る状態になってきた
だからこそ選択というものがオシャレになっている
選択というものがある種表現や価値のアティチュードの発露になってくるという話でございましたと
選択と個人の表現
あーもうね久しぶりに話すから口が回らないんですよ
ただあのすごくたくさんのこととすごくたくさんの発見があるので
話す内容はかなり密度が高くなんかこなしで喋っている感覚はないですね
中身のある話をね皆さんに提供できるというのがこのなかしインターネッツのポイントでございますので
まあこれからも精進していきたいなと思っておりますではまた次回
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