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2025-10-12 20:19

ながらcast4/232 朝ドラ「あんぱん」ふわっと振り返り

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面白かった。けど色々気になることもあった。ちょっと重箱の隅をつつくような話です。

サマリー

ポッドキャストでは、朝ドラ「アンパン」の最終回について振り返り、特にアンパンマンの人気の背景や作品に対する批判が語られています。また、作品のテーマやメッセージについて考察され、子供たちにはその良さが伝わっていると述べられています。「アンパン」の最終回では、主人公のノブが困難を乗り越え、成長する過程が描かれています。また、彼女の原動力や支えとなる人々との関係性も深く掘り下げられています。

00:12
9月26日、金曜日です。
今日もよく晴れてますね。
今日は雲が少ない青空。
これは秋晴れって言うんですかね。
日差しはまあまあしっかりあるので、相変わらず日が差は欠かせないんですけども。
今週はね、ずっと七分袖のシャツで過ごしてます。
最高気温が30度なので、まだ暑いんですが、
まあちょっとね、涼しくなったら嫌だなという警戒心で、
ちょっと保険で七分袖とかにしております。
夏の疲れ出てきそうな、それは突然やってきますからね。
朝こうやって普通に調子よくてもさ、
お昼過ぎぐらいからなんかちょっとだるい感じになったり、くしゃみが出たり、
あとは何かな、鼻水が出たりとか、
そういう風になることがまあまあこれまでもあったんで、
まあちょっと警戒しながらやっていかなきゃなと思っております。
それではながらキャストスタートです。
この番組は自分大好きな61歳、私笹行きの声のブログ、
声の日記です。通勤途中に歩きながら収録してますので、
息がハァハァ上がったり、周りの雑音騒音、風切音などが入ったりしますが、
何卒ご容赦ください。
朝ドラ「あんぱん」の振り返り
今日、朝ドラのアンパン最終回でしたね。
ほぼ2人が演じる最終回でしたね。
非常にでもなんか上手に終わったなーって感じはしましたね。
気になった主題歌問題なんですが、最後の方にかかりましたが、
バラードチックなバージョンでしたね。
歌詞が普段オープニングで聞いている歌詞から、
2番とか3番に進んだ先の歌詞が出てきて、
それが物語、ドラマのシーンとリンクしていて、
なかなかそこは上手いなと思いました。
非常に余韻を残すエンディングでしたね。
さて、アンパンはとりあえず置いておこうかなとは思うんですが、
せっかくだから最終回も終わったし、
ちょっと感想を言っていこうかなと思います。
どこがどこっていうよりは、例によって俺って、
10箱の隅を綴くのは得意じゃないですか。
作品のテーマとメッセージ
なのでちょっとそんな話をしていこうと思うんですが、
まず一つは、最後の後半ですね。
アンパンマンの後半ですね。
アンパンマンがいよいよ人気が出ていく流れになっていきますよね。
最初は泣かず飛ばずであったんだけども、
信の頑張りなんかもあり、
特にミュージカルになって、
それからアニメになってみたいな感じで、
だんだん人気が広がっていくっていう、
最後、この1ヶ月の間の終わりの方ですよね。
後半かな。
その時に気になったのが一つは、
アンパンマンが国評されてるっていう話が、
セリフとして出てくるんだよね。
で、専門家っていうニュアンスで、
自動文学の評論家みたいな感じのところから、
あるいはPTAみたいなところから批判が出た。
これ多分事実だと思うんですけどもね。
顔を食べさせるなんてグロテスクみたいな批判があったらしいんですけどね。
そういったセリフが誰かから発せられてて、
またちょっとしばらくした後、
今度、これアニメ化の話のところで、
プロデューサーがぜひアニメ化させてくれっていうので、
最初断るんだけど、熱心にやってくるっていう中で、
彼が多分話した、プロデューサーが、
自分の子供の幼稚園とか保育園に行くと、
アンパンマンの絵本だけがめちゃくちゃ子供の手に取られて、
それだけすごく汚れてるぐらい、
みんな好きなんだみたいな話をするんですね。
あとそれとはまた別で、
これはたかしが誰かから聞いたのに対しての感想だったかな。
誰が喜んでるんですか?アンパンマンを。
そういう3歳以下の子供達って言ったのかな。
もしくはもうちょっと上の幼児かな。
そういうちょっと幼い子供達ですっていうニュアンスの話。
その返答を受けてたかしが、
やっぱり、純粋無垢な子供達にはわかるんだよな、みたいな。
3回ぐらいかな、俺の中で気がついた下りがあって。
これ、どっちかっていうと最後の方にもなってきて、
叩きかけてくるんだけど、
アンパンマンって、要はすごくいい作品なんだよっていうのを
めちゃくちゃ畳みかけられてきて、
この良さ、皆さんわからないわけないですよね、ぐらいの圧を感じたんですよね。
この作品ってめちゃくちゃいいメッセージが込められていて、
純粋な子供達にはちゃんと伝わる、目の曇った大人たちにはわからない、
なんか素晴らしさがあるんです、みたいな感じの圧を感じたんですね。
今回はアンパンマンの物語そのものをきちっと追ったわけではないんですよね。
だからその内容については全く触れてないんですが、
その周辺をずっとやっていて、
たかしが込めた思いだとか、どういう経緯でできたのかとかですね、
そういう部分、外掘りをバッチリ埋めたみたいな感じにはなっています。
ただそのことと、やっぱり作品として面白いのかどうかとかですね、
その辺は切り分けて考えなきゃいけないなと思いますね。
特にテーマ性みたいなものが出てきちゃうことは、
果たして絵本っていうものに対してプラスなのかマイナスなのかっていうのは検討する必要があるので、
だからああいう人が作った、ああいう思いを込めた作品だから素晴らしいってわけではないっていうのは、
よくよく注意しておく必要があるなと思ってはいますね。
それがちょっと言いたかった。なんかすごい圧を感じちゃったんでね。
あと、特に前半は高橋の育ての親であるお医者さんね、
生きる、何のために生まれてきて何のために生きるのかっていうことを考えろみたいなことを、
そのトーンが結構ずっとありましたよね。
逆に後半、野部が秘書を首というかになって、紹介された会社で秘書をやって、そこも辞める形になってっていうところで、
野部は高橋のサポートに回るわけなんだけど、そこで若干悩むじゃんね。
私は何者にもなっていないみたいなことを言っていて、
実はこのドラマって、どんなドラマもそういう側面はあるのかもしれないんだけど、
特にこのドラマは何かを成し遂げろとか、何者かに、何者かっていうのかな、
そういう人門みたいなニュアンスも感じるんだけど、何かを成し遂げるみたいなことを価値のあるものとして語ってるんだよね。
そういうのを見ると、俺は若干というかかなり鼻白も重いというか、ぶっちゃけしらける部分があって、
何者でもない人、僕は自分もそう思ってるんですよ。
何のために生まれてきたかなんていうのも、俺は分からずに日々を生きてるんですよね。
ノブの成長
だからそういう価値観が出てきたときに、それが全てじゃないよなぁとは思うんですよね。
それって、ビジネス本とか、あるいは自分を成長させていくような文脈の物語、あるいは自己啓発みたいな世界観に近いような気がしていて、
それが正解というか正しいわけじゃないんだよなぁとは思うんですよね。
だから逆に後半になって、信が何者でもないって言って悩むっていうのは、ちょっと展開としては面白かったんだよね。
ただそれに対してたかしが、なんて言ったのかなぁ、信ちゃんは今まで頑張ってきたみたいなことを言ったのかなぁ。
決してそこで何者かにならなくてもいいとは言わなかったんだよなぁ。
だからそういう意味では辻褄はあってんだけどね。
俺なんかはどっちかというと何者かにならなくてもいいって言って欲しい気持ちも、これは俺自身のためでもあるんだけどね。
そうであればよかったんだけど、割とそこのところは何者か、何を成すべきかみたいなところが価値が高いっていう風にはなってましたね。
はい、そんなわけで今日はアサドラ・アンパン最終回ということで、銃箱の隅を続く話をしてきました。
もともとノブは父親から志を持てみたいなことを言われていたので、ある意味それが彼女の原動力というか駆動する前に向かせるエネルギーになっていたのかなと思いますね。
そして後半は結婚した最初の夫の二郎さんが、絶望に追いつかれない速さで走れみたいなことを言われて、それは結構最後の方でもまた出てきてましたよね。
で、どうなんだろう、彼女がちょっと見失った感があったけど、その後ね、アンパンのおじいちゃん、ヒーローらしくないヒーローというものを応援するということに成功しましたね。
精力を傾けていくというところが割とドラマでは丁寧に描かれていましたよね。
だからもしかするとノブの力なしではここまでいかなかったのかもしれないというふうに見ている方は思わされたので、
ノブがアンパンマンを自分の子供としてもしかしたら一生懸命育てているようにも見ることができますよね。
そういったあたりが今回気になったというか、ちょっと僕の中では面白いなとも言えるけど、最終的には超売れっ子になって、最後インタビューなんかも受けてたわけでね、
それなりの人門の人にはなったのかもしれないですね。
だからもしかしたらこの物語は戦争を経て、一度はいろいろな夢を諦めた人たち、若者たちが羽ばたいていくというか、そういう姿を負った軍造劇とも言えるのかもしれないですね。
あと個人的には一番細かい銃箱で言うと、当時としては当たり前なんで、そんなことを言う必要もないぐらいなんだけど、
人々との関係性
まあ、第三者の人に対しては、僕は一対一だったらね、高橋さんと呼んでるんだけど、最初は高橋だったけどね、あの子供の頃というか途中までは。
高橋さんと呼んでるけど、基本的には主人、主人って呼んでたんだよね。
で、その辺りは当時としては当たり前ではあるんだけど、その呼び方には僕は今でも抵抗があるんだけどさ、
それをそのままドラマ棟の中でやってしまうということは若干違和感が、これはずっと持ってましたね。
こんなことを言ってるのは俺だけかなとは思うんでね、あんまり人には言えないことなので、ここで喋ってますけどね。
女子師範学校に行った時にも思ったんだけども、結構そういう軍国主義的なものとか権力、権威、過不調性も含めてかもしれないんだけど、
そういうものから結構自由なスタンスでいるようにも思えたんですよね、信が。
ってなった時に、逆にたかしに対しては自分が上ぐらいの感覚だったわけじゃんね。
どこかで自分が犠牲になってでも支えるっていう感じになっていき、仕事を、首を切られちゃった後は本当に支えるというところにシフトしていく中での、
最初からそうやって言ってた気はするけどね、自分が仕事をしている段階でもね。
だからこれは本当に何癖つけてるだけに聞こえますね。自分でもちょっとそういう気はします。
はい、じゃあ今日はここまでです。最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。ではまたね。チュース。
20:19

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