大学のパソコン時代
はい、sasayukiです。 ながらcastを始めます。
この番組は自分大好き、60歳の私、sasayukiの声のブログ、声の日記です。
通勤途中に歩きながら収録してますので、息がハァハァ上がったり、周りの雑音、騒音、風切り音などが入ったりしますが、何卒ご容赦ください。
はい、本当にちょうど良い気候ですね。 暑くもなく涼しくもなく。
ただ花粉を感じるのでね、まあこの間も言いましたけど、ここのところマスク着用で外出しております。
今日はですね、昨日、
秋アニメの話をして、16bit sensationっていう作品の話をする中で、昔のパソコンのことをね、
なんとなく思い出して、お話ししたくなってしまったので、ふわっとそんな話をしようと思います。
じゃあ行ってみよう。 えーとですね、パソコン、
自分が大学の4年生の頃っていうと、80年代半ばなんですけど、
研究室に入った時に、パソコン1台だけあって、それがおそらく
NECのPC8801だったんじゃないかなって思ってます。
で、 あとは助教授、まあ
僕らの指導はほとんどその助教授の先生になってたんですけども、
論文を書くために、ワープロ専用記、
文豪だったと思うんだけど、それを使ってました。
多分当時としてはかなり早い導入だったと思います。
研究室の方の8801もあったんですけども、
陰性、マスターの陰性が使っているぐらいで、
4回生は使ってなかったと思うんだよね。
当時、何だろう、データ処理って、
多分関数電卓、カシオとかの、あれでやってた気がするんだよね。
で、データ、僕理系だったんで、データを取るのも含めてなんだけど、全部アナログな時代で、
本当にすげー時代だったなって思うんだけど、
僕は主に振動とかを測定するっていうことをやってたので、
歪みゲージとか、あるいは非接触の変異型っていうもので、
振幅を測るっていうものをね、加速度センサーとか、
まあそういう距離を測るっていうのをね、
例えば振動させるとすごい速いスピードで揺れるんで、それを測定するようなものを使って、
それを紙のグラフにバーッて描かせるわけね。
記録紙がこう、なんていうか、
巻き取り紙をバーッと動かしながら、横の方にダーッと紙が流れて、
プロッター的な部分が上下に揺れて、紙の横に行くスピードと、
そのプロッターが上下に動いて、
振幅、波形を記録するっていうようなものを測定して、
データ処理とプロッター
そこから例えば最大値を測る。
要は、
紙の長さですよね。一番山の上のところと、
真ん中の0点との距離を測って、
キャリブレーションしたところ、ここが3センチ。
ここまで来ると3センチ。これは4センチだから、4割る3で1.333だから、
みたいなことをやったりして、そういう計算をして、
データは全部アナログで取ってた時代ですね。
まあ、とにかく全てがアナログだったっていう話ですね。
回帰直線なんていうのもよく聞くんですけども、
それなんかもやっぱり関数電卓でやってた気がするんだよね。
なんかそういう、
xイコールyみたいな回帰直線を出して、それを手で線を書いて、
相関係数いくつなんていうのをやってた気がします。
大学時代はそのレベルで、その後僕は大学院に行かせてもらったんですよ。
そこではかなりパソコンを活用してましたね。
面白いんだけど、ワープル的な作業、論文を書くっていう作業は完全にコンピューター上でやってたんですが、
使ってたのが、大きいだった気がするんだよね。大きいのパソコン。
当時としてはまあまあちゃんとしたやつだったとは思うんですが、
とにかくフロッピーがでかかったっていう覚えがありますね。
いわゆる5インチで、このサイズを伝えるのは難しいんだけど、
割と普通に、メインにするのは3.5インチっていうしっかりしたケースに入っているやつなんですけども、
それの倍近い大きさ。3.5の場合は7だからそこまでは大きくないけど、
5インチっていう割とペナペナのフロッピーディスクを使ってましたね。
PC9801とデータ解析
データ測定の方にはQ8を使ってました。
型番まではちょっと覚えてないんだけど、カラーモニターとデータもフロッピーに落とせる感じにしておいて、
当時は、FFTアナライザーって、今でももちろん使ってるところもあると思うんですけど、
アドバンテストっていうメーカーのFFTアナライザーっていうのを使っていて、それをPC-Q8と繋げるっていうのを、これは俺がやったんだよね。
それまで先輩は別のやり方をしてたんですけど、一応データの取り込みはできてたんだけど、
一連の操作。 信号を入力してあるところで、信号を切った時にどう減衰するかっていうところを、
波形を記録するみたいなことをやってたんで、そのあたりをパソコンから連動させて、
指令を送るHPIB。 HPIBっていうのもわかる人にしかわかんない。ヒューレット・パッカードが作った企画で、後にGPIBっていう名前で標準化されたんですけど、
そういうHPIBの命令をQ8から送り込んで、
当時は多分N88ベーシックを使って、そういう本があったので、それを一生懸命読みながらやってた記憶がありますね。
そんな感じで、測定機器の制御とかデータの処理なんかをそれでやってました。
結局取り込んだデータの値を数値化して、おはようございます、パソコンの方に取り込んだりしてとかね、そんなことをやって、その時はQ8を活用してましたね。
終始論文はさっき言ったように、沖のコンピューターで、専用ワープロ。
沖用のワープロなんだったかな?もう名前思い出せないけど、非常に素朴なやつを使って書いた、そんな記憶がありますね。
データの出力はプロッター使ってた気がしますね。
あの頃はローランドのプロッターをかなり使ってた気もします。周辺機器の話になっちゃったけどね。
就職したのが80年代の終わり、90年がもう近い時期だったんですが、そこからはPC9801、全盛時代でしたね。
ところが、一応それで、MS-DOSの時代ですよね。
当時はワープロは1だろう。表計算は、Lotus 1,2,3を使ってたね。
もちろんExcelもあったんですけどね。 MS-DOS上で動かしてたかな?Lotusがメインだった気がしますね。
あの頃の標準はその2つだった気がしますね。 ただ、データ処理っていうレベルではなかった気がしますね。
データ処理は結局、さっき言ったように、プログラムをそれ用に作って、
プリンターで出してた。 プロッターも使ってたかな?
さすがに、会社に入ったので、レーザープリンターを使ってた気がしますね。
一方、仕事のメインの業務は、音響解析みたいなことをやってたもんですから、
あの時はね、でっかいコンピューターを使ってたんだよな。 データ処理用に。
それこそ、
B&Kのマイクを使って、
そのデータを取り込んで、 周波数解析してみたいなのを、
陰性の時はFFT使ってたんですけど、 それを
スパコンじゃないんだけど、 あれなんだろうね?ちょっと今パッと思い出せないんだけど、
結構でっかい。つまり、 自分の背丈ぐらいあるような
コンピューターに入れて、 それこそバックアップも
あれだった気がする。 テープ、磁気テープに
バックアップとかも撮ってたっていう時代があって、 それがね、割とデータ解析用に
動かしてましたね。だから、 端末はさ、あれですよ。
パソコンよりももっと渋い端末で
やってた気がしますね。 もう本当に
テキストを表示するための 端末を使って
そのプログラムを 動かして
みたいな感じだったなぁ。 ただそれはね、一回、俺もいる時に
UNIXのマシンにリプレイスしたんだよね。 確かHPのUNIXにしてHPUXっていうOSが動いてたと思うんですけど、
それまでやってた処理を
させるために、 プログラムの移植を
その時行った
PC-98の話
関係者、スタッフで Cの勉強をしてやった気がするんだよなぁ。
俺もその時はCを無理やり覚えさせられてやったんだけど、難しかったなぁ。 結局苦手なまま終わったんだけど、
とにかくそのポインターってやつの扱いが 最後までわかんなくて、一人リーダーがいて、その人がプログラムを組める人なんで、
その人に恩分に抱っこって感じでやりましたけどね。
でもそのHPのUNIXマシンになった時は、 もうグラフィカルなモニター、インターフェースになって
データもカラフルに表示したりとか、 そんなことができるようになって驚いた。
もう時代は変わったなという気はしましたけどね。
レポートを書いたりするのは、さっき言ったように MS-DOS上の
3.1だろうとかを使ってましたね。 その頃だなぁ、Windowsの3.1とかが出てきたのはね。
ただまぁ、 それを業務で使うことはなかったですね。
別の部署に行った時はね、 IBMを取り扱う販売店でもあったので、その会社が。
IBMがガン、もうめちゃくちゃいっぱいありましたね。 ただまぁ自分たちの開発業務に関してはやっぱり
98を使わせててもらったような気がしますね。 もうそれは90年代に入ってましたけどね。
でもその頃からかなぁ、 インターネットが見れるような時代が徐々にやってきて、
それこそネットスケープとかモザイクとかね、そういうのを使っていましたね。
あれはだから IBMの端末では決して 豪華なかったんで、当時やっぱり98マシンを使ってた気がしますね。
だからもうあの時期はインターネットが出てきたとはいえ、
もう PC-98っていうのの、まあ本当に 河川ですよね。日本の
このパソコンの マーケットはね。
これがずっと続くと思ってたし、 これが崩れるなんて思っても見なかったんだけど、
俺個人は、 自分自身は MACが好きで、その DTP みたいなことをやりたいなぁと思ってたので、
90年代のどこかで、 結局買いましたね。
SE30っていうね、あの 今見れば本当にしょぼいスペックの
モニターもめちゃくちゃ小さい。タブレットぐらいのサイズのモニターで、 白黒、モノクロ2値しかないっていうね。
そんなパソコンに100メガのハードディスクを積んで、 もう
めちゃくちゃ威張ってました。 はい、
そんなわけでね、今日は PC-98の話をしようと思ってたんですが、
かなり話が散らかっちゃいましたね。
で、今の職場に来てから、しばらくは 98の時代が続いてたんですね。
たださっき言ったように、 自分が MAC を買った後かなぁ、
まあとにかく、 iMac が出たりして、
で、 その一方で、
iMac 出る前の話かな。クラシックが出たり、カラークラシック。 これ MAC の話になるからやめよう。
で、今の職場に来て、最初の頃は 98 使ってたんですが、
Windows 95 が出たあたりなのかな。 だんだんと、
DOS 雰囲気っていうのかな。 Windows が動く。
特に海外製のパソコンがすごい安く思えてきて、 98 高いなって感じになってきちゃったんだよね。
だからね、 何買ったかなぁ。ちょっとパッと出てこないけど。
DELL は割と買ったし、マウスコンピューター。 今みたいなゲーミングマシンになる前ですね。
マウスコンピューターとか、
あと、牛のマーク。 牛がロゴだったところ、覚えてる人いないかなぁ。
牛さんの。
なんとかウェイ。 ダメだ、出てこない。
そんな、ゲートウェイか。 その辺のメーカーはゲートウェイも、
マウスコンピューターも一回消えた感があるんだよな、俺の中では。 そうやって Windows が走るマシンで、
割と安いっていう感じでやってきた人たちは、
一回消えちゃった感があったんですけど、結局 DELL とか、あとコンパックあたりが割と気を履いてて、
その辺をね、今の職場は当初使ってた気がしますね。
だからいつの間にか98の画像が崩されていた感があるんだけど、
俺の中でも、なんでいつまでもこの 98 使わなきゃいけないのかなっていうのは、
なんとなく昔から納得は言ってなかったし、 めちゃくちゃ使いにくかったんだよな、98って。
98の画像が崩された感
Mac に行った理由はそこがあって、
MS-DOS の時代の市太郎が顕著なんだけど、フォントのサイズが変えられないっていうさ、
倍角みたいな。要は、Mac だったら、10ポイントとか11ポイントとかでフォントのサイズを
ポイントで変えられたんだけども、
市太郎は倍角って、いきなり倍になっちゃうね、サイズがね。
なんかそんな感じで非常に使いづらくて、もちろん民調とゴシックを選べなかったと思うんだよね、当時は。
でももちろんMac の方はフォントの指定もできたりとかね、そういうところで、
いやー、この98の世界は使いづらいなぁなんて思ってはいたんだけどね。
いつの間にかフォント。 もちろんね、富士通もいたし、
シャープがあったりとかね、国産のメーカーもいくつかあったんだけど、
特にその日本語の問題もあって、国産メーカーがね、
有利だった時代っていうのは間違いなくあって、そこでNECが強かったっていうことだったと思うんだけどね。
徐々にそういった日本語の処理が
海外製でも普通にできるようになってきて、っていう感じでね、画像が崩れ去ったんじゃないかなーってね、
振り返ってみると思いますね。 はい、こんな感じでちょっと適当な曖昧な話になっちゃいましたけども、今日はここまでです。
Mac の話はまた改めてしようかなと思っております。 じゃあ今日はここまでです。最後までありがとうございました。
またね。ちゅーす。