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2025-04-30 19:51

ながらcast4/136 漫画家さんに「先生」付けますか?

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すごい細かい話、かつ個人的な好みの問題だとは思いますが。

サマリー

このエピソードでは、漫画家を「先生」と呼ぶことへの疑問について議論されています。特に、安藤忠夫さんのプロジェクトを例に、教育的な立場と「先生」の呼称の関連が探求されています。漫画家を「先生」と呼ぶ習慣の背後にある文化的な意味や、その呼び方に伴う力関係についても考察されています。作品を通じて教えを受ける存在としての漫画家に対するリスペクトの視点も示されています。

安藤忠夫さんのプロジェクト
今日は良い天気です。 雲が薄く描かれています。
青空が見えています。 風が軽く吹いています。
爽やかですね。 深緑がすごい。
緑が綺麗な感じがします。 多少、空気が霞んでいる。
煙っている感じはしますけどね。 ゴールデンウィークの
始まった 2日目、日曜日の朝ですね。
もう、世間は静かです。
いやー、 こんな日に仕事に行きますけどね。
いつものように、ながらcastスタートです。 この番組は、自分大好きな61歳、私、
笹雪の声のブログ、声の日記です。 通勤途中に歩きながら収録してますので、
息がはぁはぁ上がったり、周りの雑音・騒音、 風切音などが入ったりしますが、何卒ご容赦下さい。
そんなところで、 今日も始めていきたいとおもいます。
ちょっとオープニングで話すべきだったんですけど、 週一っていう、日曜朝の番組で、安藤忠穂さんが出てて、
面白いことを言ってて、
なんかね、 子供の図書館を
作ってるらしいんですよ。そういうプロジェクトなのかなぁ。 なんと、
費用は、 安藤忠穂持ちっていう、大阪の市長と、
県知事から頼まれて、それを受けた、みたいな話をしてて、
要は、 お金は墓場に持っていけないからね、みたいなことを言っていて、
もうね、5カ所ぐらいやってるっていうことらしいんですけども、
すごいなって 思いましたね。
先生と呼ぶ理由の探求
なんか世の中のお金持ちが、そういう公共というか、
子供たちや、そういう、ちょっとね、
苦しい状況にいる人たちの手助けになるような、
ところに 寄付をして、
くれたらなぁ、世の中、 非常にね、
もう少し、 ハッピーになるんじゃないかなって思ったのは、
イギリスとかの方って、
イングリッシュガーデンって言われるように、ガーデニングとか、
そういう公園が、 充実してるっていう話なんですけど、
それのね、 基盤になっている一つが、
そういう、 愛好家が、
やっぱりそういったお金を、
寄付してくれるらしいんですね。
だから、
寄付の文化みたいなものに支えられて、
ガーデンが、 継続できているっていうのを聞いて、
それも素晴らしいなぁと、 思いましたね。
今、花の動画を撮ってるんで、
そういう、
植物園、ガーデンの、
やっぱり維持管理ってすごく大変だなぁと、
手間もかかるし、費用もかかるんで、
それがね、維持できずに、 閉鎖していくガーデンもやっぱり残念ながらあるようなんですよね。
そういったところにね、 何らかの方法でお金が回っていくと、
いいのになぁって思います。 以前話しましたけど、静岡県の長泉町に、
クレマチスの丘っていう本当に素敵な、
クレマチスのガーデンと、
美術館を兼ねた場所があったんですけどね、
そこが、経営不振で、
辞めちゃったんですけどもね、 本当にもったいないなぁと思ったりして、
今日はね、
安藤忠夫さんのことを、
秀ちゃん、中山秀ちゃんが、 インタビューしてたんですけど、
安藤さんのこと、なんて呼んでたのかなぁ。 安藤先生と呼んでなかったと思うんだけど、
どうもね、ちょっと前から引っかかっているのが、
以前話したポッドキャスト番組、 心の砂地っていう番組で、
シャーク君っていう話し手の一人が、
漫画家、漫画がすごい好きな人で、
いろいろ教えてくれて、 評論的に話してくれるので勉強になるんですが、
その方はね、 漫画家のことを先生って呼ぶんですよね。
大島由美子先生とかって言うんだけど、 どうしても違和感があって、
この違和感ってなんだろう? 先生って呼ぶのってなんだろう?
っていうのを、ちょっと自分なりに 考えてみたいと思います。
まず先生って、 呼ばれるものの筆頭が学校の先生ですよね。
幼稚園から始まって、小学校、中学校、高校、 大学教授なんかもね、先生って呼びますね。
ただ、僕の経験では、女教授、女主、 女教授までは先生だった間違いなく、
同じ研究室の女主の人は、 先生って呼ばなかった気がするなぁ。
あと、技官っていう方も当時いて、 その人も産付でしたね。
だから、もしかすると、 やっぱり教える人かどうかっていうところが、
大きいのかもしれないです。 同じ大学の職員であっても、
教える立場にいる人、授業を持って、 そういう人に対しては、自然に先生って。
これ僕の場合ね、とりあえず俺の場合の話を 今日はしていこうと思います。
他に先生って言う人は、 教えるっていうところを水平展開すると、
僕はズンバっていうダンス系のフィットネスを クラスに通ってるんですけども、
そこでも教えてくれる人を、 やっぱり先生って呼んじゃうんですよね。
つい僕よりも遥かに年下なんですけども、 つい先生って呼んでしまう。
だからやっぱり教える、教えられる、教わる、 そういう立場の違いで先生っていう
感覚が、 自然に出てくる感じはします。
異なる呼称の考察
今の同じジムが、 昔は
僕ヨガも習ってたんですけども、 やっぱりヨガの先生も先生って呼んでしまうので、
ここで一つまとめるとすると、
自分に教えてくれる人、 イコール先生っていう感じはしますね。
これ一番シンプルな僕の感覚、定義 だと思うんですけども、
もうちょっと広げて、 先生、
教えてもらってるんだけど、 先生って言わないパターンもあるかもしれないなぁと、
思って。例えば、
オンラインの、
ユーデミなんかで、 プレミアの
講座を買ったりとか、
するわけですよ。そうすると、一人の 講師の方がずっと、
十何本、十何本もっと多いな。
二、三十本コースを構成して、
順番に、 丁寧に教えてくれるんだよね。
そういう人に対して、 先生というかというと、これは結構微妙で、
なんとなくね、 その人をさんづけで呼びそうな気はします。
これは俺の中でなぜかまだわかんないんだけど、 まあ、直接面と向かって、
教わっていたら、 先生って呼ぶかもしれないけども、どちらかというと、
講師の方に対して、
なんかシンプルに、 あれかなぁ、なんとかさんっていう可能性がちょっと高まってますね。
さらに言うと、私が時々受けている、
在職者訓練、いわゆる仕事をしている人が、 スキルアップのために学ぶ研修みたいなのがあるんですが、
そこで教えてくれる人は直接顔を見ているわけですね。 ただスポット的に1日とか2日しか会わない人なんだけど、
その人、先生って言うかなぁ。 ちょっとこれはグレーゾーンですね。さっきと同じで。
この辺り、なんだろう。 その人に対するリスペクトの場合みたいなんで決まるのかもしれません。
ちょっと個人的な話をずっとしてきたんですが、 他にもね、お医者さんなんかも先生って呼んじゃいますよね。
ちなみにですね、 wikipedia で見るとこんなものが書いてあります。
教育機関な塾、学問を教えるもの、 学校併設の図書館、保健室、給食室に勤務している師匠、
保健師、栄養師、 私業、特に弁護士、司法書士、
こういうのはありそうだね。公認会計士など。 弁護士なんか先生って呼ばれてる気がしますね。
漫画家を呼ぶことの文化
俺は縁がないから、そうやって呼ぶことはないけど。 あとはさっき言った医師、
歯科医師、 そうはね、歯医者さんにも使いますよね。
薬剤師もそうなんだ。これは意外ですね。 薬剤師を呼ぶこともないね。管理栄養士、あと獣医師、
これも医者の仲間ですよね。 政治家、なるほどね。
これありそうですね。社会通念的に。 そして漫画家や小説家に対して、
アシスタントや編集者が使用する継承、 転じて読者が使用することもある。
まさにこれだな、シャークさんが使ってるのは。 作詞家や作曲家に対して、
歌手や音楽関係者が使用する継承、 スポーツクラブやカルチャーセンターのインストラクター、
これさっき言ったやつですね。 あと競馬において旧社を運営し競争場を管理する長教師に対する継承、
これもあるんだ。 あとは自営業、企業経営者、あるいは私的に結ばれた指定関係の中で、
師匠に当たる人物を継承することもある。 なるほど。
そうしたらですね、本当に教えるとか、 あるいは医者のようにその人を見る、
立場的に上、指導的な立場っていうことかな。 そういう上下関係のある言葉っていうニュアンスはありますね。
政治家なんかも先生と呼んで持ち上げる、 もしくは自分がへり下るっていう図式がありますね。
力関係の考察
あとは漫画家や小説家に対して アシスタントや編集者が使うっていうのも、
これはやっぱり持ち上げ系ですよね。
編集者は書いてもらう側だし、 アシスタントは指定関係が結ばれているから先生というふうに呼ぶっていうことですね。
作詞家、作曲家もやっぱり立場が上なのかな。 書いてもらう。
でもこれはですね、本当、 なんか力関係によるのかなっていう気はしますね。
そういう大作曲家、大作詞家に対して先生って呼ぶっていうのはあるので、
やっぱりこれ、力関係、上下関係を表すことに使われているっていう気はしますね。
よく言われる言葉、今は言わないかもしれないけど、
先生と呼ばれるほどの馬鹿でなしっていうね、 潜流がありますけどもね。
先生って呼ばれて、
浮かれてるようじゃダメだよっていう、 自戒の念を込めて言ってるんじゃないかなと、
僕は理解してるんですけどね。
逆に言うと先生って呼んでる側も、そうやってお立てて、 持ち上げときゃ機嫌よく仕事してくれるだろうみたいな、
なんかね、
すげーサラリーマン的な光景が見えますけど、どうでしょうね。
そんなわけで今日は、漫画家を先生と呼ぶことについての違和感みたいなところから話を広げて、
先生って呼ぶ触手、どんなものがあるかなーみたいな感じで振り返ってみましたが、
もともとね、漫画家を先生と呼ぶっていうのは、編集者とかね、アシスタントが使っていた言葉が読者にも広がったっていうことなので、
ある意味、尊敬する人である、リスペクトの対象として、
先生って呼んでるのかもしれないなというのは、なんとなく理解はできますね。
ただまぁね、直接何かを教わったりしてるわけではないんだけども、
作品を通して何かを教えてくれる、そういう見方もできる気もしますね。
そうやって考えると、大げさに言えば人生に訓導を受けたというか、
そういう大事なことを教えてくれた人っていう意味での先生っていう言い方はありかなっていう気もしてきました、だんだんね。
さっき言った力関係、上下関係みたいなものが見え隠れするっていうのも考察しなければいけないような気もしますよね。
それをさっき言ったように、ビジネス的に書いてもらう側の立場が相手に対して使うっていうようなところで、
上下関係を見せて相手を持ち上げるみたいな仕組みでもありますよね。
敬語なんかもそうですけどもね。
自分を下げて相手を上げる、もしくは相手をそのまま上げるっていうのもありますけどね。
そんな感じで、先生っていう呼び方そのものも結構なんか日本語の使われ方、
あるいは日本の文化のありようみたいなところで、なんか面白みがあるような気がしますね。
なんかゆる言語学ラジオとかでやってもらったら面白いような気もします。
はい、じゃあ今日はここまでです。
最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。
ではまたね。
ちゅーす。
19:51

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