で、入って。
で、入ったのはまあ、よかったんですけど。
3年生の時やな。
そうですね。
あの、学校の学童の野球部やね。
いわゆる少年野球ってやつですね。
そうだね。
あの、地域の方が監督とかコーチとかをやってくださって、
まあ、お父さんとかもやって、
で、お母さんたちがまあ、それを支える、サポートする。
意外とその、保護者がやらないといけないというか、
サポートはいろいろあったよね。
ありましたね。
まさかこんな世界とは。
私も初めてのことだったんで。
そうやね。
思ってなくてですね。
まあ、気軽な気持ちで地域でやって、
地域の小学校の、自分のところの小学校のグランドとかで、
練習してますみたいな感じだったので、
まあ、あの、気楽な気持ちで最初行ったんですけど、
それがどっこいっていうね。
そうやな。みんなもうすんごい熱心やったからね、監督コーチもね。
そうですね。
だって練習も朝めっちゃ、何?8時ぐらいから。
8時半ぐらいですね。
8時半か。でも夕方夜まで1日やもんね。
そうですね。グランドが空いてたらですね、ずっともうほんまに6時半とか。
今じゃ考えられないよな。
そうですわ。
だってなんか午前中小学校で練習して、午後から中学校行ってるとかもあったよね。
そうですね。
確か。小中が近かったからな、そういうことできたのかもしれないけど。
そうですね。
移動して、今やったらだって小学校で午前中やったらもうたぶん練習終わりやん。
終わりですね。
うん。でも昼ご飯食べてさ。
はい。
で、午後からは中学校に移動して練習っていってな。
そうそうそうそう。そんな感じでしたね。
長いの。ほんまに。
ほんまに長かったよな。
そう。だからこんな長くやるんじゃなくて、もうちょっとこう、
短くしてこうビシッとやろうがいいんじゃないかなと思ったりもしたんですけど、
こんなにいたらちょっとね、監督コーチ批判になっちゃうかもしれないんですけど。
監督コーチもね、頑張ってくれてるわけやから。
そうですね。けどまぁ監督コーチはもう好きなんですよね。
好きやね。
やるのがね。
うん。
何て言うのかな。長くても別に自分も楽しいし、それでよかったのかもしれないですけど。
この支える親としてはですね、
うん。
特に私はですね、またこれ、前のあれに話にもつながるんですけど、
代表とかをやっちゃうわけですね、保護者のね。
そうなるともう、やっぱり掘ってこうね、帰れないというか、
やっぱり一緒になってグランドに居るっていう状況になってしまうので、
そうだね。
もう一日グランドみたいな。
終わった後のなんか抽選とかもさ、
そうですね。
試合の抽選、大会の。
それはもう監督がサボって言うだけで。
サボってって言ったらやばいんじゃない。
で、ちょっと今日は体調悪いから、
マヤさんに長男連れて行ってきてくれるかみたいな、いきなり言われる感じ。
長男、キャプテンしたからな。
そのキャプテンとキャプテンの親で抽選に行くと。
そうですね。
そんなよその監督の家とかが来てはると。
その中でなんか小さくなりながら抽選すると。
選手のお母さんが来てるわって。
そうですね。
珍しいですけどね。
そんなこともさせていただきましたけれども。
監督、コーチのパイプ役というか。
そうです。
やりながら親御さんのな、挑戦もして。
私だけがやってたわけじゃない。
もう皆さんが協力しながらやってたんですけれども。
こんなにしんどいとかっていうね。
細かかったよね。
行事が多かったですよね。
行事も多かったね。
1年間に何っていうそのお餅付きがあり、
夏になったらなんか、
どっかよその、それこそ北陸地方の小学校と懇親試合をするために。
交流してたからな。
向こうの方に行かしてもらったり。
向こうの方が来てくださったりとか。
夜はなんかみんなでバーベキューして、
で、次の日はプールに行って、
で、バスで帰ってきてみたいな。
それのお返しじゃないんですけど、
それがまた3月ごろに、
今度は向こうの学校さんというか向こうのチームさんが大阪に来て、
で、こちらはもうホテルを用意して、
で、そのホテルで宴会して、
お餅の試合をして、で、宴会して、
で、次の日そのチームさんは大阪観光行って、で帰られるみたいなね。
うんうん、あったね。
それも準備せなあかんし、
で、まあ普通にバーベキュー大会だの。
で、何ですか、
その自分とこのチーム主催の大会とかもありましたし、
それもなんかね、うぐいす城とかせなあかんかったりとか。
あ、あったね、うぐい市長ね。
せなあかんかったりとか、
あとはまたその12月ぐらいの、
あ、12月に餅つき大会があったのか。
うん。
で、1月年明けたらまた鏡開きとかあって、
あったよな。
ドラム缶みたいなんでひいたいて、
豚汁作ったりとかしてましたね。
そうやね、運動会みたいなのもあったしな。
はい。
で、最後の最後にはなんかあっちゃこっちゃのチームとごちゃ混ぜになって、
オールスターとかいうのをやってですね。
あれ楽しそうだったけどね。
この村は楽しそうなんですけど、
もう親はですね、え、私どこにサポートに行けばいいのみたいな。
ほんとやね。
もう、なんかパニックみたいなね。
うんうん。
準備せなあかんもんもいっぱいあって、
そのお茶当番のお茶のセットとか、
じゃあどこに誰がこう持っていくのみたいなね。
うん。
とか救急セットとかもね、分けて。
はい、普段は一個なんですけど、
それを何個かに分けて、
なんかバラバラで親がそれぞれついていくみたいなね。
まあ、もうほんまに大変でしたね。
あとうち長男の場合はさ、
まあ、そういう日々のやつももちろんあるけど、
彼は野球主になっちゃったから、
そうですね。
しかもその4年生。
4年生で?
はい。
4年生でなったんやな。
3年生で入って、
4年で。
3年生であっという間になったんですよ。
変にこうピッチャーできるみたいなところがあったから、
4年生で、4年で5年の試合のピッチャーやったりとか?
そうそうそうそう。
チームちゃうのにね。
で、4年のも投げて5年のも投げて、
雨の中投げたり。
そうそうそう。
変な投げ方してるなと思ったら、やっぱり痛かったみたいで、
で、病院連れて行ったら、
肘、野球肘になってます。
ちょっと早すぎるな、野球肘になるのが。
そうですね。
まあ、監督コーチもびっくりって感じですよね。
言ったら、そんな早く野球肘にならしちゃうなって。
ちょっとな、あれがな。
だからもうその野球肘がさ、
結局感知しないまま投げたりとかやっちゃったから、
これ俺も悪いねんけど、やっちゃったから。
いやでも、そんなに簡単に野球肘になるって私らも思ってなかったし、
そうだね。
そういう知識もなかったですからね、長女の時は。
だから親も悪いっちゃ悪いというか。
まあね、ちゃんとそこを見てあげられたり良かったけど、
でもそれが最後まで大学、大学野球まで続けたけど、
そこが最後まで追い引いたというか、
まあ彼頑張ったからな、そこまで続いてんけど。
いろんな、もうそれこそ病院、はしごしたり。
病院何個行ったかっていうね。
なあ。
整形、整体、整骨院。
整骨院、神宮もあったよな。
神宮はいいのかな。
売ってもらってなかったっけ?
売ってもらったような気がするけどないか。
一回売ってもらったのかな。
うん、売ってもらったような気がするけど。
あとなんかゴッドハンドみたいなとこ行ってさ、
なんか大変なことになってしまったりとかさ。
そうそう、逆に押され、なんかこうね。
何?打撲やったっけ?
押されすぎて、
背中かなんかだっけ?
打撲、痛いふり出してね。
アホなアホなというか。
それもまあ、親が悪いっちゃ悪いというか、
ここいいよってね、お友達のママさんに勧められて、
それいいんやろうと思って行ったらですね、
ちょっと力強すぎたんかなってやってくださる先生の。
悪いことじゃないですけどね。
今だって笑ってしまうけどさ、
どこがゴッドハンドなんやと思ってまうけど。
はい、いろいろありましたね。
そうだね、野球部辞めてから、
直したんやったら野球部辞めてから来いみたいなさ、
先生に言われたり。
野球部辞めたくないから言って、
その病院にいかんようになったりとかさ。
そうですね。
先生の言葉はもう100%言葉があってるんやろうけど、
なかなかそう簡単には、
それで野球部辞めるってわけにもいかないまま。
そうですね。
でもまあ結局、
途中だから、ずっと右投げやったんが、
途中なんか左投げに転向して、
頑張れるかみたいな話が出たりとかさ。
あと中学もあんまり最初のうちは、
結局部活入ってるけど、
中学は公立の中学校の野球部に入ったんやけど、
そこの野球部でも、
1年の間はあんまりしっかりはできてないような。
レギュラーでもない感じの、
入ったり入らんかったりみたいなね。
でもあのチームすごい。
そうですね。
大阪で一応2年生のときに1位になって、
優勝したもんね、大阪府大会な。
優勝して。
強いチームでしたね。
チームワークもすごい良かったしな。
そうですね。
すごかった。
小学校はだからそういうこともあって、
最後キャプテンとかさせてもらって、
中学はそういったキャプテン、
副キャプテンも違うか。
はやってないですね。
中学校はやってないよね。
中学校はこういうジャンルなんですけど、
引っ越してるんですよね、我が家が。
小学校が終わったときに、
親の事情でというか、
私の父の介護の関係で引っ越しして、
別の、同じ市内なんですけど、
ちょっと別の地域に行ったんですね。
長男は小学校6年生までは、
もともとの小学校だったんですけど、
中学校から違う地域の中学校に、
入ることになったんですよね。
それは長男にとって、
ちょっと申し訳なかったかなと。
今まで小学校でね、
積み上げてきたお友達関係とかが、
一旦そこで途切れちゃって。
だから、小学校の野球チームの子たちが、
持ち上がりで、その中学校、
もし引っ越しなかったらな、
その中学校で同じ中学野球部で、
やってる予定あったやろうから、
その子だとという感じだったけど、
違う中学に転校になって、
野球部入ったから、
同じ市やから、それこそ市長配みたいなところで、
前のな、そのチームの子たちと、
中学違うけど対戦した人とかは知ってたんじゃない?
そうですね。
そういうことやな。
またこんな細かいこと言ったらあれなんですけど、
うちの市は連盟が2つあって、
西部連盟っていうのと東部連盟。
細かい。
あったんですよ。
うん、あったね。
西部連盟の方に最初いて、
引っ越した後は東部連盟の方に来たと。
西部連盟の方は、
これまた細かい話なんですけど、
大体小学校1校に対して1チームの連盟だったんですよね。
そうだね。
東部連盟の方がですね、
どっちかというと左官というか、
同じ小学校やな。
小学校区切りじゃなかったよな、東部は。
なんとなく小学校区切りではあんねんけども、
でもその小学校の中にチームが4つあったりとか、
まさにうちの地域はそうなったんですけど、
すごいんですよ、4つもあるんですよ。
だから最初は1つやったんかもしれないですけど、
それがこう、分かれ分かれて4つ出来上がってるみたいなね。
で、みんながそれぞれ結構ね、
強いチームというかだったので。
そうだね。
西部も盛んかもしれんけど、
東部の方がちょっとこう、
なんていうのかな、
文言架空じゃないけど、
そういうイメージかな、私の中では。
1つの学校につき1つのチームというんじゃなくて、
2つの学校につき4つのチームとか、そんな感じじゃない?
そういう感じか。
だから1つに4つとかじゃなくて、
いろんな小学校からいろんなチームに行ける。
そうやな。
前の西部留名の方は、
この小学校やったら、
基本的にはこのチームだよっていうのがだいたい決まってるけど、
東部留名はこの小学校やったら、
ここここここここからだいたい入る、に入るっていう。
そうやな。
そんな感じじゃね。
そういう意味は多分4つどころやないな。
もっとあるよ。
5つもっとあるかもしれないね。
もっとある、もっとある、それぐらいあるんじゃない?
はい。
で、すごいだからもう色があるから、
仲良くやりましょうっていうチームもあれば、
ひたすら勝利を目指す、
お父さんも目の色変わってるぐらいな感じのチームもあるし、
伝統的なとこもあるし。
伝統的なところもあるしさ。
だってプロ野球選手が出てるとことかもあるじゃん。
そうですね。
甲子園球児がね。
甲子園球児出るとか、
プロ野球選手が誰々さんと誰々さんが出ましたとかさ、
テレビによく、それこそな、ローカルニュースとかやけど、
ご監督が出たりとか、
するとこもあるから盛んやってるね。
そういうのもあって、中学野球強かったよな。
強かったですね。
野球知らない方からしたらあれやけど、
中学校の野球部に入る子もいれば、
その外野球って言って、
中学の野球部は何式やからな。
で、外野球って言われてるところは、
中学からも公式で頑張ってっていう子やけど、
うちの場合は中学の野球部やから何式だね。
そうですね。
小中何式やな。
長男もね、公式のチームから一応お誘いは受けたけど、
野球肥児だったんで、そこはもう無理やなって。
っていうのもあったし。
親がもうそこまでサポートを要請へんというか、
私はもうそこまで遠方までまた車乗っけて、
っていうことになるので。
個人的には勉強も頑張ってほしかったからな。
それ言うと外野球が勉強頑張ってへんってわけではないけども、
野球一遍倒じゃなくていろんなことやってほしかったから。
ちょっと要振り切らんかったですね。
良かったんじゃない?中学野球のほうが彼は向いてたと思うよ。
合ってたんじゃない?
かな?
で、高校も野球部。
高校の野球やな。
今思えばあれだけど、今実はその中学は国語の先生や。
でも高校は理系でいってんだよね。
そうそうそう。
なんで理系かわからんけど。
いや、中学校の時点では、
割とどっちかというと理系なんかなと私も思ってて。
そうやな。俺も思ってたよ。だから理系かなと思って。
むしろだから分転してるのがすごい不思議やねんけど。
それがやはり高校に行って、数三とかは向いてないってことかな。
自分でもわかったんじゃないでしょうかね。
分転してるねんな。
理系の、高校の理系がある高校に行って、
そこで野球部入って、
で、その時もあれやな、
あまりだから野球部の環境としては、
学校で試合ができひんとかさ、
グランド環境がな。
どっちかというとサッカー、ラグビーが強い高校だったんですよね。
野球よりも。
試合、例えば練習試合とか組むってなると、
基本的には先鋒さん、相手さんの高校で試合させてもらう。
あっちゃこっちゃ行ってましたね。
行ったよな。四国の方も行ったりとかさ。
しかもですね、先生が結構厳しい先生で、
親が送っていくようなことはしてはならんと。
なので、全部自分たちで電車で行ってた。
長男の時はそうやね。
そうですね。
で、私たち保護者もですね、
学校に車乗り込んではいけんと、
行けんと、いう感じだったんで、
車一切サポートするときも、
物乗したいときも行けなかったですね。
ただ先生がその分乗っけて、
もう走り回ってくださってたのもあるんですけど、
私もまた、長男の高校野球のときも副会長をやっておりまして、
練習試合になると、練習試合先の高校さんに、
アクエリ六本入りのやつを持って行って、
よろしくお願いしますってやるのが、
式たりみたいなところがあって、
それやるのが当たり前というか、伝統的にやってたので。
今はわかんないけど、当時はそうやもんな。
そうですね。
試合があったら、大体行ってたと。
もう一人の副会長の方とですね、一緒に行って、
で、挨拶して、
差し入れしたりとかして、みたいなね、やってました。
その先生、案外厳しかったので、電話連絡はさせていただけないと。
だから私たちは、試合行ったときとかに、
先生に直接お話をして、
次の予定とかを聞かせていただいたり、
例えば、総会とかなんとか保護者会とかなんかあるとしたら、
そういうときに先生を捕まえて、
お話をしていかないといけなかったので、
なるべく行かなかった。
そうやな。
そこで先生を捕まえるしかなかった。
どっちが同校というわけじゃないけど、
後から話すけど、三男もずっと野球、小中高って野球やってきた中で、
三男が行った高校の監督さんは、めちゃくちゃあれやもんね、
LINEとかで。
そういう時代もあったんやろうね。
そうやな。
今度はLINEは俺がすることになんねんけども、
後でその話になるかもしらんけど。
長男のときの先生とちょっと環境は違うね。
そうですね。
だいぶね。
それが嫌やったわけじゃないんですよ。
そういうもんやと思ってましたし。
時代があるんやな。
それでいいと思ってましたし。
そうそう。
こんなんちょっと話が戻るけど、
長男の小学校の野球部のときはですね、
それこそLINEなんかまだなかったので、
で、またメールとかでも監督コーチとはやりとりはできなかったんで、
毎週毎週、予定がどこのグランドでやります?予定が決まります。
来るんですね、私に連絡が。
体育振興会のおじさんから。
来たら、
おじさん。
コーチな。
コーチ。
来たらそれを全監督コーチ陣にファックスで。
そうやったね。
ファックスで毎週毎週。
ファックス入れなあかんかったもんな。
入れないといけなかったんですよ。
それも急いでですね。
それ来るのがだいたいね、火曜日か水曜日なんですよ。
土日の話をしてるんですよ、その時点で。
川水にも絶対来るから、そこでも急いで打たないといけないですけど、
それを毎週打てるためにファックスが潰れるという。
うちのファックスは潰れましたから。
いろいろ潰れてるよな。
野球部関係ないけどファックス潰れたりさ、プリンター潰れたりさ。
野球部関係あるか。
なんかアルバムとか作って、プリンターも潰れたし。
そんな時代でしたよね。
そうだね。
大変でした。またファックスだよと思いながら。
野球はな、その後大学でも大学野球部で体育会の野球部入って。
そこはもう全然手離れてるからね。
それは手離れてるけどさ。
もう応援もいけないぐらいでしたね。ちょっと大学が離れたところだったので。
それは残念でしたけどね。
そうだね。
でも野球部で思うのは、小学校がキャプテンやらせてもらって、
中学はそういった事情もあって、審査も抜いたらあれだけど入ってきたところだったから、
キャプテンとかはやってないけど、高校もキャプテンやったじゃん。
はい。
大学の野球部も副キャプテンやったじゃん。
そうですね。
だからそういうところで、リーダーシップみたいなんとか、
それこそ教員免許の試験のときにさ、面接のときに、そのあたりすごい突っ込まれてる話。
野球部のことばっかりで。
野球部のことばっかりで。
キャプテンとして、ネガティブなことあったときどうやってキャプテンとして振る舞ったかみたいな質問されたとか言ってたじゃん。
だから、野球部生活でのリーダーシップとかキャプテンシーっていうところが、今の彼の人となりを作って、
今の教授生活に役立ってるのかなと思ったりとか。
そうですね。役立てたらいいですけどね。
あと、小学校3年生のときに、またそこまで本人は野球やりたいと思ってない中で、
マヤが体験に連れてって、野球をやらせようかって思ったその瞬間というか、その決断的なところが良かったのかなと。
まあ、お友達もいっぱいいましたからね。そこはたぶん楽しかったんじゃないかなと。
どっかのタイミングで野球やってるんかもしれないけどな。
でも、それこそこの間だって本人が野球できて良かったみたいな話をしてたんやろ、マヤに。
そうそうそうそう。結婚の婚姻届をですね、それの保証人かな?
ああ、あのときか。
サイン。サインをうちにもらいに来たんですね、2人で。
そのときにご飯も食べて、そのときに長男がですね、言ってましたね。
野球やらせてもらって、それはすごい感謝してるって言って、
で、まあ私もそれ、うんうんみたいな感じで、別にあんまり答えてなかったら、
もう一回聞こえてなかったかと思ったのか知らないですけど、
2回野球やらせてもらったことは感謝してるって言ってくれてたんで。
なんか子供にもだって野球やらせたいなみたいな話をしてたと思うよ、確か。
だからまあ結果的には、その野球をやらせた、結果的に最初な、
親の意向というか、その、なんていうの?その位置づけというか、
もう一回はしてあげた?なんて言ったらいいの?
まあ本人がやりたいやりたいって言って、私らを引っ張ったわけではなかったんですけど、
まあでも結果としてはすごい楽しんで、
まあもう野球が多分ね、彼の人生の中で一番大きいんじゃないかな?今のところ。
だってさっき言ったその野球肥治になってさ、病院の先生に、
あのー、野球部辞めるまで来るなって言われて、
で、その病院の帰りにさ、辞めたくないって言ったの覚えてるからさ。
それはね、長いこと積み上げてきましたからね。
そこで辞めるっていうのはないですわね。
辞めずに、まあすごい苦労してるんやろうけど、最終的に大学まで頑張って。
そうですね。
まああの降参になる前の、高2の冬ぐらいにですね、また痛いって言い出したんですね。
そのしばらくは痛いって言ってなかったんですけど、
で、ずっと行ってたスポーツ系のお医者さんに、病院に行って、
ずっと見てもらってた先生に見てもらって、
これはもう手術した方がいいんちゃうと。
ネズミみたいな。
その時はセンターか。
その時は一応センターですね。
で、もう本人も結構覚悟して、私ももう最後の夏は出てほしかったんで、
それに間に合わせるためには、もうその年内に。
そうそう、年内にだから手術せなあかんみたいな感じだったんですけど、
でもそれを覚悟して、年内かな。
なぜ、春はもう諦めようみたいな、春帯はですね、諦めてもしょうがないけど夏には出たいよね。
最後やもんな。
で、手術かなと思ってて、その時にまあとりあえず痛み止めの注射を打ってもらったんですよね。
で、まあでもなんかそれで落ち着いたのか、そっからあんまりもう痛いっていう余裕はなくなって、
結局手術はしなくて済んだんですけど、で、まあ夏も迎えられたんですけど、
まあそんな感じでしたね。
そうだね。
で、あの最後の最後に、最後っていうか大学野球があるからあれやけど、高校野球のな、最後の夏に、
嬉しいお話が。
はい、もうあれは本当にびっくりというか。
彼がだってキャプテンやからな、キャプテンで抽選に行って。
抽選会行って、で、引いたのがね、開幕戦だったんですよね。
開幕戦、大阪大会の開幕戦。
開会式の後のな、開幕戦。
場所は京セラドーム。
京セラドームで試合ができるっていうね。
そうそうそうそう。
もう一勝分の運を使い果たしたと、自分で言ってますね。
あれはな、すごい、親としてもすごい思い出に。
そうですね、古門の先生に、なんか抽選会行くときに、
京セラドームでやる理性者とのくじを引いてこいと、言われてたらしいんですね、本人が。
まあ理性者とは当たらなかったけど、京セラドームは引いたと。
はい、もうみんなオエーって感じで、京セラドームでやれるのか。
っていうね、盛り上がりましたね。
盛り上がったよね。
で、しかもちょうどあの、聖保守の子が怪我をしちゃって。
そう、直前にね。
直前、かわいそうやったけど。
怪我をね。
怪我をしちゃって。
で、あれなんだよね、長男が代わりに急遽。
そうそうそう。
キャッチャーなんか何、小学校以来やんな。
そうそう。
小学校やったことある?ないよね。
ないんじゃないですかね。
小学校、小学校時ちょろっとキャッチャーやったぐらいで、それ以来急遽センターからキャッチャーをして。
真逆の位置で。
で、ちょうどさ、あの、開幕試合やから始球式があるわけよ、小学校の頃の。
そうでしたね。
で、小学校も。で、なぁ、あの、うちのチームはまたちょうど高校やったから、彼がキャッチャーで。
そうですね。
試球式の球を受けると。
受けてね。
はい。
持ってるね。
持ってますね。
楽しませてもらいましたね。
楽しませてもらったよね。
こちらはですね。
あの年の大阪大会で一番最初に負けるチームだったよね。
一番最初の。
最短の夏です。
最短の夏ね。
最短の夏。
大阪で最短の夏。
はい、まあ負けちゃいましたけどね。
でもまあその、ね、なんか、今までこうチームメイトやった子たちがですね。
そうそう。
そう、なんか、名前を読んでね、その京セラドームの中でね。
そうそう。
みんなに?みたいな感じでちょっと読んでくれた。
そう、だから、ちょうどだから、あの、開会式でみんな来てるから、開会式でみんな来てて。
ちょっと見て帰ってくれたよね。
そうそうね、直後の開幕試合だから、その日残って応援してくれたり、
あとまあその日に後で練習するっていうチームは途中で帰るんだけど、
その時もだからさ、俺に向かって途中で、あれなんよ、
途中でちょっと最後まで見られなくて申し訳ございませんって言って俺に来て。
中学時のチームメイトがさ、挨拶に来て、これからちょっと練習があるので失礼しますって。
なんて律儀な子たちなんやろうと思ったり。
礼儀正しいと言った。
律儀じゃない、礼儀正しい子なんやろうと思ったり。
あとなんかその、何?3類側とか1類側からとかさ、
いろんなところからその長男の応援出し聞いたったらさ、応援してくれたりとかさ。
そうですね。
あれはもうすごい最後。
で、高校あげてね、別の高校の子たちが一緒の、私たち高校と一緒に応援してくれた。
そうだね。その長男の高校が部員がそこまで人数がいないから、
その応援団の声がちっちゃいんだよね。
ちっちゃいからって言って、応援します言ってな、残ってくれてたその。
残ってくれてね。そっちの方がよっぽど声が高かったっていうね。
そう、何十人って言ったじゃん。で、その子たちがな、その全然関係のない子たちが、
同じチームの元チームメイトやからっていうことでな、応援応援をしてくれて。
あれはちょっと。
このチームの子がまた来年、その翌年、大阪党員とめっちゃいい決勝。
そんな細かいところ言っちゃう。そうだね。
幸せんでいい試合してね。
いい試合やったよね。テレビで見たよ。
勝つかっていうところまで行きましたけど。
有名人じゃん。
有名人ですね。そんなこともあり。
いい思い出だね。高校のハイライトやわ。あれはもうすごいなんかチームメイトのさ。
そうですね。
歴正しい感じで、すごい友情を感じた。
はい。私たちもね、負けたチームの親としてですね、新聞社の人に。
あったあった。
インタビュー受けたりとかですね。
朝日新聞にな。
そうそうそうそう。何も言えなかったですけどね。何も乗らなかったですよね。
でも長男はな。だからその開幕試合の負けチームのキャプテンっていうことでさ。
大きく乗りましたね。
大きくインタビューも乗り、写真もデカデカと乗り。
そうですね。
だってあの日はだから、あの試合、1試合しかないからさ。
そうですね。
ネタがないわけよ。大阪府大会のネタが。
あの、え、じゃあ1試合かな。
あ、2試合。
2試合あるんちゃう?
2試合あるんか。
うんうん。
そりゃ2試合だ。
デカデカとさ、めちゃくちゃ大きく、1面、1面というか全面で乗ってたじゃん。意外とな。
あれ次の日さ、意外とヒーローであれ。
そうですね。ほんまにほんまに。
写真なんか、新聞貼り出されてみたいに言ってなかった?
言ってたね。
うちの母もわざわざ新聞切ってですね。それを額に入れてですね。
プレゼントしてくれました。
プレゼント?
そうそうそう。
そうか。そうやったよね。
それぐらい盛り上がりました。
盛り上がったよね。
負けたけど。