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こんにちは、midoriです。今日はですね、制約がある方が幸せを感じやすいんじゃないかという仮説について考えたことをシェアしたいと思います。
これは考えたきっかけとしてはですね、仕事と育児で最近全然時間がなくてですね、スキマ時間ができた時に、とりあえず読書しようとか、
あとはなんかこうやり残したことをやろうとか、あとは結構ダラダラとスマホを見てしまうことが多いんですけれども、SNSとかに見てしまうことが多いんですけれども、
そうなった時にですね、1日を振り返って、なんかあんまり今日イマイチだったな、充実してないなっていうふうに思うことが多かったので、
このスキマ時間の使い方をどうしようかなっていうふうに考えたんですよ。で、その時にですね、試しにですね、
本当に制約がなく何でもしていいよってなったら何をしたいかっていうのをジャーナリングで出してみようと思ったんですよ。
で、これはジャーナリングで何がしたいかを出すことによって、優先度の高そうなものをスキマ時間に入れることで、もしかしたら1日の充実度が上がるんじゃないかって思ってやってみたんですけれども、
実際ですね、ジャーナリングでどんなことが出てきたかと言いますと、制約がなくて書いたにも関わらずですね、意外にも旅行したいとか、
キャンプ行きたいとか、友達と時間気にせず遊びに行きたいとかっていうことではなくて、割かしですね、カフェに行きたいとか、ゆっくり本読みたいとか、
本当に1、2時間でいいからブラブラ買い物がしたいとか、結構身近なことばかり出てきたんですよね。
ジャーナリングって1分で紙に書き出すみたいな感じなので、その時思いついたことを書くんですけれども、
そうするとですね、結構身近なことに集約されていくなっていうことにその時気がついたんですよ。
確かに今の自分は本当にこれができれば幸せだなっていうふうに改めてそのジャーナリングの結果を見て感じたんですね。
ただですね、それを見た時に、これって子供がいない時に同じことをしたらこういう答えが出てきたかなとか、
あとこの子と出てきた行動をして満足度が高かったかっていうと、多分そんなことはなくて、
その時はですね、やろうと思えばいつでもできたし、実際できてたんですけれども、
でもその時に自分がすごい幸福を感じたかとか満足してたかっていうと、そうではなかったんですよね。
だから今はこんなことで幸せ感じられるんだ、今ってすごい幸せのハードル下がったんだっていうのがまず気づきとしてあったんですけれども、
じゃあなんでなんだろうなと、その子供ができる前と今とでどういうところに違いがあるのかっていうのを、
もう少し理論とかも踏まえて整理してみたいなと思ってチャットGPTに投げてみました。
結果としてチャットGPTから返ってきた答えとして、
まずですね、時間の希少性っていうところがあるからこそちょっとしたことでも幸せを感じられると。
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だから24時間全部フリーで自分のために使えますっていう状態よりも、
1日の中で2時間しか自分の時間がないっていう方が当然その2時間がすごい希少だし、
その2時間をどう使うか真剣にもなるので価値が上がってくると。
でもこれはすごく納得いく説明でした。
あとはですね、コントラストですね。
やっぱり毎日仕事と育児でほとんどの時間が埋まってしまって、
ちょっとその間はね、自分のやりたいこととか自分自身やりたいことなんて考えてる暇もないみたいな状態が多いので、
だからこそほっと一息つける時間との対比がね、
やっぱり充実感としてすごく大きくなったんじゃないかっていうことも言ってました。
これは今読んでる苦痛の心理学の中でもですね、
苦痛があるからこそ、それが終わった後の行動が何気ないことがすごく幸せに感じられるみたいなことが書かれていてですね。
例えばなんですけれども、
雪かきをしてものすごく寒くて手が冷たくて凍えるような思いをした後にサウナに入るとか温かいお風呂に入ったら、
それってすごく幸せに感じるよねって。
逆に温かい部屋にいてお風呂に入ってもそんなに幸せは感じないと思うんですよね。
こういう対比で人間は幸せを感じるみたいなことが書かれてて、
まさに育児もそういう部分が挙げられてたんですよね。
苦痛の心理学の中で育児も一つの要素として挙がっていたんですけれども、
育児している間、特に子どもが小さい間って、
親の幸福度が一時的に下がるっていうことが研究で出されているそうなんですけれども、
だからといって子どもを持ったら不幸せになるかって言ったらそうではなくて、
やっぱり今みたいにコントラクトを感じることでちょっとしたことに幸せを生み出せるとか、
人生にそもそも意味を感じられるようになるっていうことで、
相対的には子どもがいる人生のほうが幸せに感じる人が多いとかっていうことが書かれてたんですけれども、
こういうところも踏まえてですね、確かにこの2つはすごく理由としてしっくりきました。
なんですけれども、これに加えてですね、今結構チャットGPTがプロンプトキレキレのカスタマイズを入れているので、
もう一つですね、思考として足りてないよっていうところを提示してくれたんですけれども、
それがですね、制約がある毎日のほうが幸せを感じられるっていうふうに一般化しようとしているけど、
それだとちょっと思考が足りないよっていうことを指摘してくれたんですよね。
それではなくて、もうちょっと深掘りしてみましょうという提案があったので、さらにカビ打ちをしてみました。
チャットGPTが言うにはですね、この制約がある毎日と何もないフリーの毎日でどっちが幸せかっていうことではなくて、
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古代ギリシャの哲学者であるアリストテレスの言葉を引用して、こういう対比ができますよということを言ってくれました。
それは何かというとですね、アリストテレスがニコマコス倫理学の中で語っている幸福の定義のところを引用してたんですけども、
これは私全然ですね、アリストテレスの言ってることとかね、読んだことないので、チャットGPTが教えてくれたことをそのまま言うんですけども、
まずアリストテレスはこのニコマコス倫理学の中で幸福をエウダイモニアと呼んでいたそうです。
これはですね、一般的にイメージする幸せって、今だと結構快楽と結びついていると思うんですけれども、
必ずしもこのアリストテレスが言っているエウダイモニアっていうのは快楽とはちょっと切り離されていて、
幸福というのは魂が徳に従って活動している状態だというふうに言っているそうです。
それをもう少し分解するとですね、幸福は感情そのものではなく、一時的な快楽でもない。
幸福っていうのはよく生きているという状態を指すと言っているんですね。
それがよく生きているって何かっていうと、得、自分が大切にしているもの、これが良いと思うものに従った活動であるっていうことを言ってるんですね。
あとプラスして、その人の機能、ファンクションを最高に発揮しているかどうかの基準になるそうです。
これなんかね、ワーパパさんもどこかで言ってたような気がするんですけれども、
自分の機能を最大限に発揮して、自分がこれが良いと思うものに全力投球するみたいなことが幸せだみたいなことなのかなというふうに理解しました。
なのでね、単に心地が良いとか気分が良いとか自分にとって都合良いとかそういう状態ではないっていうことなんですよね。
だからむしろですね、この得に従って活動する中では良いことばかりではなくて苦しい部分とか面倒な部分とか負荷がかかることも含まれてくるんですよね。
だけど全体として自分の人生を振り返った時に、私はよく生きてきた。
良くっていうのは善っていう言葉ですね。
良い生き方をしてきたっていうふうに言える状態。
これがアリストテレスの言う幸福だというふうにGPTを教えてくれました。
私が最初に提示した制約があってコントラストによって幸せを感じている状態と、こういうふうに自分が何かを良いものっていうのを定義して良い生き方に従って生きているという状態を比較して、
チャットGPTの言葉で言うと振幅的幸福と構造的幸福っていう言葉でまとめたんですけども、
私が最初に考えていた、ちっちゃなことでも幸せを感じられる、制約が多いからこそちっちゃいことでも幸せを感じられるっていうこの振幅的な幸せっていうのは、
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その制約がなくなるとすぐに壊れてしまうっていう危険性をはらんでるんですよね。
これ確かにすごくよくわかるなと思ってて、
自分の周りのママたちでも、私と同じ代というか、子どもがまだ2歳とか3歳とかだと手がかかりまくるので、まだそこまでじゃないんですけれども、
もうちょっと大きくなってきた時に、4歳5歳とかでもちょっとそれまでよりは手が離れてくるので、
自分って何が好きだったんだっけとか、自分何したらいいんだろうっていうふうに迷っちゃうという話を結構聞いたことがあるんですよね。
だからそれが振幅的幸福の落とし穴っていうことなのかなと思ってまして、
やっぱり子どもが育った後に空の数小功文だったかな、
子育てが終わってしまって自分の役割がわからなくなってしまうみたいなのも結構聞くので、
そういうところにつながってしまうのかなと思います。
なので人生を長期的に見た時に、この振幅的な幸福だけに依存していると自分の幸せがわからなくなってしまうので、
構造的な幸福も追求した方がいいですよっていうのがチャットGPTの意見でした。
これはとてもすごくわかりやすい提案だなと思っておりまして、
ただこの構造的な幸せっていうのが、自分がいいと思う生き方っていうのが何かっていうのって、
なかなか考える機会ってないと思うんですよね。
自分の何を積み上げていくかっていうことに対して、
例えば仕事を頑張ることで何かを積み上げているっていうふうにおっしゃる方もいると思うんですけれども、
それはそれで本当にそう思えてるならいいんですけども、
小山さんが前にノートで書いてた話で、
自分の今の仕事が1年後の自分を支えるものになるかみたいなことを言ってたんですけども、
この考えすごく共感するところがあって、
もちろん自分の今の仕事についてはポジティブな気持ちで働いてますし、
仕事に対してもすごく楽しいと思っている部分はあるんですけれども、
それが何か自分にとって何か積み上がっているかというとちょっと違うなと思っていて、
だから仕事を一生懸命やったことが人生振り返ったときに、
自分が何かを積み上げたということにつながらないなっていう意識はあるんですよね。
だからケンスーさんが最近おっしゃっているような命を燃やすこと、
ケンスーさんはインターネットを良くしたいっていうのを命を燃やすことのテーマとして置いてますけれども、
多分そういうことが何か一つあった方が今後の人生に充実するのかなというふうに考えました。
ただですね、その命を燃やすことっていうのはなかなか難しくて、
前に私ノートでですね、命を燃やすことを探したいみたいなことを書いて、
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その時に悩みのない世界を実現したいみたいなことを書いたんですけれども、
それは今でも変わってないんですが、
それを実際どうやってやっていくかというのがすごく難しいなと思っておりまして、
そもそも自分はカウンセリングだったりとか、
そういう人の悩みに当たるような仕事をしているわけでもないですし、
そういう専門知識があるわけではないので、
実際にどうやってやっていくのかというのが今見えてないんですよ。
ただですね、やっぱり自分にとっては目の前の人であったりとか、
直接関わる人でなくても、
何か自分が悩んでいる人の助けになれることができたらいいなっていうのは
ずっと強く思っているところなので、
それが実際の行動に結びついて、
仕事の中でもメンタル的に悩んでいることとか、
普段の生活で悩んでいることじゃなくても、
仕事の上で悩んでいることがシステムで解決できるみたいにつながると、
また仕事に対するモチベーションも変わってきたりとか、
仕事への望み方も変わってくるのかなというふうに感じました。
なのでですね、
自分が今後何を積み上げていくか、
その積み上げたいものに対して、
その積み上げたいと思う軸に沿って、
自分が毎日行動できているかということを
今後追求していくことが、
自分の幸せにつながっていくんだなというのが今回の気づきでした。
なのでですね、
もともとは制約がある方が幸福度のハードルが下がって、
幸せに感じやすいんじゃないかみたいな仮説を持って、
ChatGPTとやりとりしてみたんですけれども、
結果としてはですね、
自分がこれから何に命を燃やしたいかという
壮大なテーマにつながったので、
その考えを残しておきたいと思って今回話してみました。
なのでですね、私にとっての構造的な幸福、
ChatGPTが言う言葉を引用すると構造的な幸福は、
人が悩んでいる状態から自分の足で歩き出せるプロセスに
関わりたいみたいなところが、
おそらく持っている得みたいなところにつながりそうなので、
それをどうやって積み上げていくか、
それは普段の生活の中でもそうですし、仕事の中でも、
それをどうやって実践していくかというのが
今後のテーマになりそうだなという気づきがありました。
ここまでたどり着けたのがちょっと面白かったというのもありますし、
自分のためにもなりそうなので今回残してみました。
聞いてくださった方はありがとうございました。