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本日は、日本語教師が教科書を批判してはいけないのかということについて、
よく同じようなことを聞きますので、それについてお話をしてみたいと思います。
皆さんはいかがでしょうか。
日本語教師が教科書を批判するべきではないという声を聞いたことはありますかね。
そういうことがある人、ハートマーク。
特にそういうことはないという方は、涙のリアクションで反応いただけますでしょうか。
まず、ご反応ありがとうございます。涙の方が結構いらっしゃいますね。
聞いたことがないという人もいるのか、ハートマークの方もいらっしゃいますね。
多分、養成講座とかで、多様性の尊重とか、
それから多文化相対主義とか、文化相対主義とか、
そういうことについて学んできた人が、
もしかしたらそういうふうに考えるのかなというふうに、
今感じているところなんですね。
そういう意味から、この問題を見てみると、
どんなに素晴らしい教科書でも、
合う人と合わない人がいるというのは、本当にその通りだと思います。
唯一絶対の価値基準で、
一つの教科書の価値を決めてはいけないというのは、
本当にその通りだと思うんですね。
例えば、ITエンジニアのための教科書を、
主婦で学校とのやり取りとか、
そういうことに困っている日本在住の方に、
教科書として使っても、
それはあまり役に立たないと思います。
ちょっと待ってね。
誰かリクエストの方がいらっしゃいますけど、
これ多分あれかな。一応承認してみましょうか。
もしかしたら間違いかなと思いつつも、
でもね、僕ね、すいません、今ね、
耳に入れてないので、
まあいいや。
もししゃべりたい方がいらっしゃったらどうぞ。
一応承認しました。
まあいいや。
ITエンジニアのための教科書を、
主婦に使ってもあまり意味はないというのはありますよね。
ちょっとしゃべりたい方がいらっしゃるのかな。
もしかしたら、すいません、
発言があるかもしれませんが、
ちょっとその間続けてみたいと思います。
それは多文化を尊重するという意味で、
そういう唯一絶対の価値基準で他のものを批判しないというのは
全くその通りだと思うんですね。
それはとても大事だと思います。
自分の価値観で他の人の価値を評価しないということですよね。
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それから、たとえば、
日本人が豚肉が好きでも、
それでもイスラム教の人とかベジタリアンの人に
豚肉を食べさせたりしない。
そういうことは基本的にはすごく大切なことで、
日本語教室の資質として欠かせないことだと思います。
あるいは、異性愛で女性の配偶者の男性の人が
同性愛の人を、
男性同士の同性婚の人を間違っているとか、
そういうふうに批判すべきではない。
そういうのは全くその通りだと思います。
なので、そういうことを養成講座で学んできて、
そういう視点で教科書を、
日本語教師が、
つまり教科書について批判する人が
日本語教師の資質がないというふうに感じるというのは、
ある程度は理解できます。
それからもう一つ、
賛成はしないけど理解できない、
賛成はしないけど理解できることとして、
もう一つ、
養成講座で自分がすごくいい教科書だと思って、
そういうふうに紹介されて学んできたものを、
それを批判する人がいたら、
それについてきつく思ってしまう、
嬉しくない、悲しいという感情を抱くのも、
その感情は全く理解できますね。
なんですが、ここはプロフェッショナルとしては、
そこはちょっと乗り越えていかなければいけないことだと僕は思います。
やっぱりプロフェッショナルという言葉が出たので、
もう一つ言いますけど、
プロフェッショナル同士がお互いを批判するということは、
それは今まで話をしてきた、
価値観が違うから批判するということとは全く違う、
というか全く違うことが可能です。
特にお互いの成果物を批判するというのも、
それも好きか嫌いかというものとは別に、
そういう価値観の基準とは別に、
例えば第二言語習得的に、
それが有効なのかどうか、
そういう視点で批判するというのは、
これは必要なことだと思います。
やっていいではなくて、
むしろやらなければいけないことだと思います、
そのプロフェッショナル同士としてですね。
つまりはっきり言ってしまうと、
教科書には特定の状況に合うか合わないかという視点とは別に、
いい教科書と悪い教科書というのはあります。
これは僕自身が教科書を出版している人間として断言しますけど、
いろんな教科書にもいいところもあれば欠点もあります。
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例えば当時は最先端で素晴らしい教科書だったものが、
その後に教授法の発展とか、
あるいは第二言語習得の理論が進化して、
実は言語習得上ではあまり効果がないということが分かってしまったとか、
そういうことがあります。
そのために本当にいろいろな人が議論をしてきたわけですね。
教科書を批判してはいけないということになってしまうと、
こうした議論が本当に全部無駄になってしまうので、
そういう意味でもちょっとお互いに教科書を批判し合うような
そういう文化はあるべきだと僕は思っています。
ちなみに今、日本語教育の中で中心的な位置を占めている教科書について、
これはオーディオリンガルの時代にできたものなんですけど、
オーディオリンガルの教授法というのはどういうものかというのを、
これは常治大学が作った本からちょっと引用してみたいと思います。
オーディオリンガルについて以下のように書いていますね。
20世紀中頃にミシガン大学のフリースにより考案された直接教授法の一つです。
明示的な文法説明は行わず、パターンプラクティスと呼ばれる反復練習を行うことで、
文構造を習得することを目指しました。
結果として、学習者はパターンを自動的反射的に使えるようになりますが、
学習者自身で新しい表現を生み出すことが期待できないため、
実際のコミュニケーションでは役に立たないとの結論に至りました。
これ最後のところ、もう一回大事なので繰り返しますけど、
実際のコミュニケーションでは役に立たないとの結論に至りました、
というふうにはっきり書いてあります。
この本は、コミュニカティブな英語教育を考える、
そういうタイトルの本で、出版社も上場している出版社ですよね。
アルクという出版社の、それの中のしかも千書シリーズに入っています。
著者は城地大学のCLTプロジェクトの皆さんですね。
こういうところで、オーディオリンガルは実際のコミュニケーションでは役に立たないとの結論に至りました、
というふうにはっきり書いてあるんですね。
なので、当然オーディオリンガルに基づいた教科書というのは、
それ相応の批判があって叱るべきではないかと思います。
こういう教授法については、ある程度議論も整理されたこともありますし、
最近はこの教授法よりも、第二言語習得の方の効果で比較されることが多いですね。
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この第二言語習得のところでも、例えば文系練習とか、
今、さっき上に出てきたパターンプラクティスというのは文系練習というものと同じですけど、
その文系練習の効果については、小柳先生の本が、
いつも僕もご紹介していますけど、とても分かりやすいです。
第二言語習得について日本語教師が知っておくべきこと。
こういう本がありますね。
この本でも文系練習をすると、達成感は実際あるんですよね。
しかも短期的には効果があるんですよ。
短期的には効果があるんだけど、1ヶ月後にはもう効果が残っていない。
そういう研究結果も紹介されていたりします。
この本はとてもおすすめなので、皆さんにもご紹介したいと思います。
これをあまりぼかして言うと、分からない人には分からないので、
ちょっとはっきり言ってしまいますけど、
僕が今言っていたのは、みんなの日本語という教科書ですね。
この教科書は、今ぼかしていったぐらいのレベルで話すと、
そういう人にはもうみんな分かっているんですよね。
みんなの日本語の欠点ということは。
だけど、はっきり言わないと通じないぐらいの人に、
やっぱり僕は知ってほしいので、ちょっと名前をちゃんと出しましたけど、
この教科書は、1980年代に最初に日本語の基礎という教科書が出たんですね。
これは技術者というか、例えばスパナとか、
工具の名前とかがたくさん出てくるんだけど、
でも当時のオーディオリンガルの考え方に基づいて、
非常に文型練習とかもあって、それで使いやすい。
しかも文型の積み上げ方で、最初にこの文型を出して、
その次にこの文型を出すという、そういう考え方も非常に精密にできていて、
それで、スパナとかそういう一般的な、要するに技術者が使うような、
そういう言葉がたくさん出ていて、
一般的な日本語ではないのにもかかわらず、非常に人気があって、
それで一般的な、つまり技術者専用ではない教室でも使われていたんです。
実言うと、僕も日本語の基礎の後に出た新日本語の基礎を、
それで教えたのが日本語教室の最初の経験です。
その後に、やっぱり工具の名前とかを減らして、
一般的な名刺に変えて、それでタイトルもみんなの日本語になったんですけど、
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でも基本的な構造はそのままですね。
ただ、対象者がそういう技術者から一般的な学習者に変わったということと、
タイトルも変わったということなんですけど、
やっぱりオーディオリンガルの時代に作られて、
文系シラバスでできている教科書という、
そういう構造は本当にそのまま残っています。
これはさっきも申し上げましたけど、
やっぱり1980年代というのは、
日本語に限らず、
外国語教授法の世界ではオーディオリンガルの時代だったんです。
でも本当にそれはオーディオリンガルがとても最先端の教授法だったわけですから、
それに基づいて作られたわけで、
当時としては本当に素晴らしい教科書だったわけですね。
ただその後、やっぱり教授法もオーディオリンガルから
コミュニカティブアプローチの方に変わってきて、
しかもその後、第二言語習得の知見もだいぶ普及して
共有されるようになってきました。
みんなの日本語というのはやっぱり、
第二言語習得に必要なインプットですよね。
インプットが圧倒的に足りないわけですね。
しかもさっき城地大学のところでも申し上げましたけど、
文系練習が中心で、
コミュニカティブな口頭練習というのも入っていないわけですね。
なので、そういう意味で今となっては、
悪い意味での典型的なオーディオリンガルの教科書
という位置づけになっていると思います。
こういうことを、
養成講座でこれしか学ばなかった人にとっては、
こういうことがショッキングだというのは非常によくわかります。
僕自身もね。
僕自身もいろんなパラダイムシフトを通ってきていますから、
そういうのがショッキングだというのは非常にわかりますけど、
でもそこから、
日本語教師は教科書を批判してはいけないという方に行くのではなくて、
日本語教育の世界というのは本当に非常に広いです。
非常に広いので、ぜひ視野を広げて、
いろいろもっと勉強していってほしいなというふうに思っています。
そのためにまず、
一番最初に読んでほしい本としては、
さっきも申し上げましたけど、
第二言語習得について日本語教師が知っておくべきことということですね。
小柳香織先生の本。
それからヨーロッパ在住の各国の日本語教師会の会長さんとか、
そういう方々が作られた日本語教師のためのセフアールですね。
セフアールというのは、
Common European Framework of Referenceですよね。
これにも行動中心アプローチのことが書いてあります。
そういったもっと広い面では、
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要するに教室の中だけではなくて、
教室外でもどんどん今の環境では言語習得ができるんだという意味では、
僕の冒険家メソッドの本とかも、
ぜひ読んでほしいとは思います。
でもこれはかなりまだ遠いと思います。
冒険家メソッドの本は、
教室で日本語を教えている人にとっては、
まだもうちょっと距離があるので、
やっぱり最初に読んでほしいのは、
さっきも申し上げましたけど、
第二言語習得について日本語教師が知っておくべきこと。
これと、ちょっと古くなってはいるんですけど、
日本語教師のためのセフアールですね。
この本はぜひ読んでほしいと思います。
この本二つとも、
名指ししてどの教科書が悪いということは書いてないです。
でもここで挙げられている条件を見れば、
今、日本の国内の日本語教育の世界で主流になっている教科書についての評価が
自分でもできるようになってくるのではないかと思います。
それでは、本日も時間になりましたので、
音声配信の村辻平はここまでとさせていただきたいと思います。
今日の僕の音声配信について、
感想とか質問とかコメントとかありましたら、
ぜひ村辻平のハッシュタグ付きでご共有いただければと思います。
それでは本日も良い一日をお過ごしください。
そして冒険は続きます。