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2022-09-13 19:39

行動遺伝学から見る学校の問題 − 不登校児の保護者の皆さんへ

不登校児の親のみなさんには、学校に行くことが唯一の成功の道だと誤解しないでほしいと思っています。
カナダとアメリカとオーストラリアでは、同じ勉強をするのなら学校に行かない方が成績が高いという大規模な調査があります。
学校に行かないのは問題ではありません。
問題なのは、それを問題と認識している結果、親が子供のせいで泣いたり落ち込んだりすること。子供が親の期待を裏切っていると感じてしまうことです。親の認識が変わるだけで解決できます。

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今日、お話ししたいのは、行動遺伝学から見る学校の問題ということですね。
これを話そうと思ったのは、昨日ご紹介した
生まれが9割の世界をどう生きるかという本で、
結構、行動遺伝学の研究者の人が書いている本なんですけど、
ここにもかなり、学校の問題、学校制度というか教育制度の問題ですよね。
そういうことが指摘されていて、
それは全然そういう本だと思っていなかったので、
これはちょっとびっくりしたんですけど、
でも、実際、行動遺伝学から見ても、
今の教育制度というのはかなり大きな問題があるということが分かってきているようなので、
それについてちょっとお話ししてみようと思った次第です。
昨日はですね、自分の好きなことをやることが、
結果的にはそれが遺伝的素質ですよね。
素質に沿っているので、それが自分の成功につながるんだという、
それがメインのトピックです。
この本のメインのトピックはそういうことなんですけど、
だけど、それ以外のあくまでも副次的なトピックとして、
学校教育への批判があったので、
今日はそちらの方をご紹介しておきたいと思いますね。
今、リスナーの方もいらっしゃい始めたので、
ちょっとお伺いしてみたいんですけど、
例えばね、今まで通っていた学校とかですね、
あるいは勤めた会社とか、
あるいは働いた学校でもいいんですけど、
そういうところで、
雰囲気がですね、何となく自分に雰囲気が合わなくて、
居心地が悪いなというふうに、
居心地が良くないなというふうに感じたことはありますかね。
今日は涙のマークで、
もし居心地が良くないなと思ったことがあったら、
涙のマークで、
そういうことがあった、
そういう経験があるという方は涙のマーク。
いや、そんなことないですよ。
いつも私は居心地が良いところしか行ってないですよ、
という人はハートのマークでリアクションいただけますかね。
涙のマークが涙のマーク多い。
そうか、やっぱり多いですよね。
そういうことがあると、
ほとんどの皆さん涙のマークという感じですね。
はいはい。
そうですね。
もちろん僕も居心地の良いところに行ったこともあれば、
やっぱり居心地の悪いところに行ったことというのもありますので、
それがですね、
その居心地の良さ、居心地の悪さ、
言葉にできない居心地の良さとか居心地の悪さというのが、
遺伝として、脳の配線として、
そういうのがあるわけですね。
そういう雰囲気に合うか合わないかがあるということなんです。
で、それに要するに、
つまり行動、ごめんなさい、
遺伝的素質に合っているか合っていないかというのが、
その居心地の良さでわかるわけですね。
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この本ではそれが内的感覚というふうに呼ばれているんですけど、
その内的感覚を大切にすることが、
生まれが9割の世界を生き抜く上で、
とても大切だということなわけですね。
なんですが、
昨日の僕のムラスペ聞いていない人も多分多くいらっしゃると思うので、
ちょっとその本のご紹介からもう一度、
すみません、昨日と重なっちゃいますけど、
もう一回させていただきます。
この本のタイトルは、
生まれが9割の世界をどう生きるか、
それが大きいタイトルで、
サブタイトルとしてですね、
遺伝と環境による不平等な現実を生き抜く処方箋、
というふうに、
そういうサブタイトルがついています。
著者は安藤寿光さんという方ですね。
寿は寿命の寿。
寿光の寿は健康の康ですね。
家康の康。
慶応大学の先生で、
ご自身は行動遺伝学の研究者というふうに書いています。
この本の中ではそういうふうに書いていますね。
さっきも言いましたけど、
要するに内的感覚というのが
居心地が良いと感じるか悪いと感じるかというのが、
それは人によるわけですよ。
だから別に、
この本でも安藤先生、安藤浩二さんは、
学校は全ての人が学校に行くべきではないなんてことは
一言も書いてないです。
だから学校制度は別に今すぐ壊す必要もないということも書いてありますね。
なんでかというと、やっぱり学校に向いている人もいるからですよ。
だけど向いていない人には別のやり方もあるということが、
この本でかなり強く示唆されています。
まず、
学校のそれが人の人生にどのくらい影響を与えるのかということが、
実は皆さんが世の中で思われているよりもそれほど多くないということが、
ここに最初に書いてあるので、
ちょっとそれをご紹介しておきますね。
教育関係者にとっては、
いささか不本意な話かもしれませんが、
あえて申し上げます。
実際のところ、
学校が生徒にしてあげられることなど多かが知れています。
極論を言えば、
偏差値が高い学校は、
教え方が優れているから生徒が優秀なのではなく、
優秀な生徒をスクリーニングして集めているから、
先生も教えやすく、
よりレベルの高いことまで教えることができるわけです。
これで引用終わりですね。
具体的にどのくらい影響しているのかという数値も、
この方は研究者の方なので、
はっきり挙げています。
具体的な数値は以下のとおりです。
以下、引用しますね。
学校の差が生徒の学力や知能に与える効果量が小さいことは、
行動遺伝学の研究でも証明されています。
それは、集団のばらつきのうちの、
せいぜい20%以下かそれ以下の違いしか生まず、
学力差の50%は遺伝、30%は家庭環境なのですから、
06:06
学校の影響が全くないとまでは言えませんが、
その影響は期待するほど大きなものではないということです。
これで引用終わりですね。
今日は、今ちょっと僕が念頭に置いているのは、
不登校の子どもの親のことです。
なぜかというと、不登校の親の方というのは、
こういうことを知らないですよね。
というか、この行動遺伝学自体も、本当につい最近ですよ。
この10年ぐらいですごく発展してきたということが書いてあります。
特に2016年ぐらいの研究で、
かなりすごく大きな進歩があったわけなんですね。
この本にもお受け入れなんです、すいません。
なんですけど、だから要するに、
僕たちはつい数年前までの世の中の常識で考えていると、
それが世界のほとんどの人ですよね。
そのもとで、学校に行かない不登校の自分の子どものことを、
そういう常識とか前提のもとに扱ってしまうと、
それが実はかなりひどい悪いことになってしまうということがあると思うので、
それを念頭に今日はお話をしています。
ここまで学校の影響というのは、
期待するほど大きいわけではないということが、
今ちょっとご紹介させていただきましたけど、
じゃあ学校以外に何もないじゃないかというふうに思う人がいるかもしれませんが、
そうでもないというのがこの本には書かれています。
以下引用です。
生徒にとっての環境とは、学校だけではありません。
人間が生きる社会、社会は、世界は、
学校を越えてとてつもなく広いのです。
学校という環境だけが、
遺伝的素質と相互作用するわけではありません。
幸いにして今の時代は、
学校以外にもインターネットやテレビなどのメディアを通じて、
様々な環境にアクセスできるようになっています。
YouTubeには、かつて目にすることのできなかった様々な動画が無料でアップされていて、
その気になれば、学校が与えてくれるより、
はるかに詳しく知識を得ることができます。
それだけではなく、
学校外で教育に関心を持つ企業や行政機関が様々な学習機会を作っており、
その中には無料でアクセスできるものもあります。
そのつもりで、自治体の広報や新聞広告を見てみてください。
ここまでで引用終わりですね。
なので、学校以外にも色々な素質を伸ばすための環境というのはあるんですよということですね。
つまり、教育で要するに知識をコピーさせるということよりも、
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遺伝的な素質というのは無視できない量であるということを、
行動遺伝学の研究からはわかっているわけなんですね。
なので、その遺伝的な素質を潰さないで伸ばすことが大事なんだということが、
この本ではとても大きな主張として書いてありますね。
この本ではその遺伝的な素質を、
まず最初に見つけなければいけないわけですよ、本人がね。
その時に遺伝的な素質を見つけるために必要なのが、
内的感覚というふうにこの本では呼ばれています。
ここね、ちょっとすいません。
昨日と同じ場所なんですけども、もう一回引用しますね。
以下引用です。
遺伝的素質と呼ばれるものは、その中で漠然とした内的感覚として察知され、
経験の過程を経て能力として才能として社会の中に実装されるようになります。
はい、これが引用終わりですけど。
じゃあね、その遺伝的素質を見つける方法としてはどういうものかというのがあるかというと、
要するにですね、これも引用ですけど、
自分の中にあるこれが好き、これが得意かもという朧げな感覚、
この感覚が内的感覚というもので、
それを見つけるのがその遺伝的素質を見つける方法なわけですね。
ただしね、何をやってもいいですよというわけでもなくて、
やっぱり悪の道とかというのがあるわけですよね。
ヤクザとかね。
そういうのは注意しなければいけないというのがあります。
それについても、例えば犯罪とか薬物乱用とか詐欺とかね、
不健全な出会い系サイトとかね、
そういうのには入らないようにはちょっと注意しなければいけませんということが書いてありますね。
あと、最近はですね、この本にはあまり書かれていないけど、
陰謀論とかありますよね。
特にワクチンに関係している陰謀論とかすごくあるし、
あともう一つ僕が気にしなければいけないなと思っているのは、
いわゆるネトウヨみたいなやつですよね。
世の中の世界の問題は全てロシアと中国が悪いんだみたいなね。
空が青いのも雲が白いのも全部中国が悪いみたいな、
そういうことを言っている人が本当にいてですね。
しかも一旦そういうのをYouTubeとかのデザインとして、
一つのものをね、自分の興味があるものを見始めると、
次から次に関連するのが出てくるので、
少なくとも最初のうちは面白そうなものをね、
本当に知的にいいものを一緒に見るとか、
そういうことをしているといいんじゃないかなというふうに思いますね。
でね、特に今日これを僕が話しているのは最初にも言いましたけど、
不登校の子どもの保護者の皆さんにね、
言いたいからなんですよ。
僕も不登校の親の関係するグループとかに入っていたりして、
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すごく悩んでいるんだけど、悩みの方向がちょっと明らかに違うということがかなりあるんですね。
それについて僕が、この本からも言えるし、僕からも言いたいことはやっぱり、
もし学校の居心地が悪いんだったら、それはもう遺伝的素質で、
それはもう脳の中の配線というのが決まっちゃっていて、
それが学校に向いていないからだと思うんですよね。
それについてですね、この本の著者の安藤さん、
慶応大学の安藤教授はですね、以下のように書いています。
ちょっと以下は引用ですよ。
あまりにも自分と合わない環境だと感じたら、別の居場所を持つようにする。
それは空想の世界でも試作の世界でも構いません。
その先に何か豊かな世界が予感できるのであればいいのです。
当たり前のことなのですが、多くの人は学校が合わなくても、
なかなか逃げ出すことができません。
親や先生からは、学校は社会の宿図なんだから、
そんなことでは社会に出てもやっていけないぞ、
と追い討ちをかけられたりもします。
しかし、その社会は実は学校なんかよりはるかに広く、
学校の中に宿約なんかできるものではないのです。
はい、これで引用終わりです。
もうこの辺からもですね、
安藤先生のご主張というのはかなりはっきりしていると思いますね。
ちょっと似たようなことを最初の方にも言いましたけど、
じゃあ学校に行かなかったらどうすればいいのかというのが
またよく出てくる質問なので、もう一箇所引用しておきますね。
以下引用です。
現代の日本においては、家がものすごくお金持ちでなくても、
能力の発言につながるフックはあちこちに転がっています。
それこそラジオ、今ならYouTubeから流れてくるバイオリンの音色に心を惹かれて、
SNS上でバイオリンを持っている友達を見つけるというストーリーもあり得るでしょうね。
これで引用終わりですね。
こういうふうに書いてあって、
じゃあ学校の問題がどうしてそうなっているのかというと、
要するにですね、エッセンスの純度が高すぎるということなんですよね。
これもちょっと長くて少し抽象的になっちゃいますけど、
教科書に載っている知識がどうして役に立たないのかということを
かなり明確に書いていますね。
ちょっと以下のところに引用しますよ。
はい、以下引用です。
教科書に載っている知識は、
実際の自然や社会で起こっていること、起こってきたことについて、
たくさんの優れた学者や文化人たちが知恵の限りを尽くして作り出してくれた知識のエッセンスです。
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しかしそのエッセンスの純度があまりにも高すぎるために、
それをあなたの生の経験の中でどのように調理して使っていいのか、
その道筋が全然見えないことが多いのです。
これで引用終わりです。
僕も個人の経験でもいろいろそういうことがあるのですが、
特に数学とかの教科では、
こういうことが非常に問題が際立っているように僕には思います。
英語の世界、学校教育でも英語の方は行動中心アプローチがだいぶ入ってきて、
どういうふうにそれが直接役に立つのかというのはかなり見えてきていますよね。
少なくともシラバスの上では、
先生がそれをどういうふうに授業でやっているのかはまだ問題がかなりあると思うのですが、
哲学とかも、この間ご紹介した武器としての哲学というのがありましたよね。
あれも行動中心アプローチ的な構成になっていて、
実際にどう役に立つのか、
実際の毎日の生活でどういうふうに役に立つのかというのが
かなり明確に示されているのですが、
数学をはじめとする学校教育というのはそうなっていないことが非常に多くて、
この間もうちの子供と話していたのですが、
分数の勉強をしているときに、分母の方がさらに分数になっている。
こういうのが、
じゃあこれが実際の日常生活でどう役に立つのかと聞かれて、
僕もそのときは即答できなかったんですよ。
ちょっと申し訳ないですけど。
本当から考えてみると、
例えばスピードが分かっているというか、
特定の距離を特定の時間で進めるスピードの人が、
また別の特定の距離を進むのにどのくらい時間がかかるかというときに、
そういう公式は実際に使えるなということが後で思いついたのですが、
そのときは聞かれたときにはそれが思いつかなくて、
かつ、そんなのネットに載っているんじゃないと検索してみたらと言ってみたんですけど、
それが全然載っていないらしいんですよね。
僕もちょっといろいろ検索してみたんだけど、
やっぱりそういうことが教えられていないように思いました。
なので、
だからこそこれがエッセンスの純度があまりにも高いということですよね。
だからそれが生の経験の中でどういうふうに使えばいいのかわからない。
そういうふうになっているので、
勉強する意味がわからないということは本当に実際あるんじゃないかと思います。
まだまだこの話でもたくさん話したいことがあって、
この本の中にもまだまだ引用したいことはたくさんあるんですけど、
ちょっとすみません、
今日も時間になっているのでこの辺にしておきたいと思います。
最初のことを繰り返しますけど、
不登校時の親の皆さんにですね、
学校に行くことが唯一の成功の道だというのは全くの間違いですよ。
18:04
それは行動遺伝学から見ても間違いだということがこの本にも書いてあります。
こういうことはカナダとかアメリカとかオーストラリアとか、
そういうところの研究でもかなり昔から明らかになっています。
同じ勉強をするんだったら、
学校に行かない方が成績が高くなるというかなり大規模な調査があるんですね。
なので、学校に行かないこと自体は全く問題じゃないんです。
問題なのは、それを間違って問題と認識してしまって、
学校に行かないことをね。
親が子供のせいで泣いちゃったり落ち込んじゃったりすることですよね。
そういうのを見ると子供というのは、
自分が親の期待を裏切っているということが感じてしまうわけですよ。
なので、それで自己肯定感とかがどんどん下がっていって、
鬱病になったり、自殺してしまったりとかですね。
最悪の場合は、子供が不登校だというだけで
親が悲観して無理心中しちゃうとか、
そういう事件も起きています。
こういうのは、もう親の認識が変わるだけで解決することができるわけなんですよね。
なので、それを本当に僕が今日は、
この音声配信村スペではお伝えしたいと思いました。
すみません、それではもう時間になりましたので、
本日も村スペはここまでにさせていただきたいと思います。
今日もご参加くださいまして、ありがとうございました。
今日の行動遺伝学から見る学校の問題という話につきまして、
質問とかコメントとか感想とかありましたら、
ぜひ、村スペのハッシュタグ付きでご共有いただければと思います。
それでは本日も良い一日をお過ごしください。
そして、冒険は続きます。
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