1. むらスペ
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2022-10-13 15:22

本が読めない教師の支援が必要

最近行なった二つのアンケートで、プロの日本語教師の間にも「第二言語習得について日本語教師が知っておくべきこと」のような基本的な本を読むことができない状況にある人が無視できない数で存在することが分かってきました。現時点では僕もそれに対してどのような支援をすればいいのかという明確なアイデアはまだないのですが、少なくともこうした現状は共有しておくべきことだと思いまして、今朝の音声配信でご紹介しました。

--- Send in a voice message: https://podcasters.spotify.com/pod/show/murasupe/message
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今日お話ししたいのは、本が読めない教師のサポートが必要ということなんですね。
これは本当に僕がつい最近そういうことに気がついた、
そういう必要性に気がついてきたということがまず第一にあります。
まずですね、一つは、さっき日本語教師チャットのところでもご紹介しましたけど、
今回、私は本が読めないというのが一つのトピックとして提案されていて、
しかもそれにですね、24%の人がそれに票を入れているんですね。
これが一つ、ちょっと僕は想定外だったです。正直な話。
今時期的にね、多分日本語教育能力検定試験のトピックが選ばれるんだろうなと思っていたんですけど、
それが実は10%しかなくて、その倍以上のね、
24%の人が私は本が読めないというのを選んでいるというのに、ちょっとこれは想定外でした。
あともう一つは、前ね、僕がTwitterで、
このTwitterでね、第二言語習得について日本語教師が知っておくべきことってね、
もうこれ本当にとても大事で基本的なことが書いてあるので、
まず教科書の比較とかで、教科書の良い悪いを議論するんだったら、
その前にこの本ぐらいは読んでほしいということをツイートしたことがあるんですよ。
正直な話、こういう知識、もう本当に基本的な知識がなくて、
この本が良い、この本が悪いって言っても、
これは全然建設的な議論にはならないんですね。
もうそれは事実だと思うんですよ。
それは事実だと思うので、
だからこういう基本的な本ぐらい、せめて読んでから発言してほしいということを書いたらですね、
そうしたらですね、そういうことを言ったら、
読んでない人は発言の資格がないということになっちゃうじゃないですか、
というコメントをいただいたんですね。
このコメントはね、僕はとてもありがたかったです。
そういうことは全然考えたことなかったんで。
だって、まず肌の色で言ってるわけじゃないですよね。
色が黒いやつは発言するなって言ったら、
それはすごい差別発言ですから、
僕はそういうこと言いませんけど、
でもこれだけで本一冊読めばいいんだから、
変われるわけですからね。
あと宗教とかだって変わるの大変ですけど、
本一冊読むってのは誰だってすぐできるんだから、
しかも海外にいてもね、
Kindleで読める本なんですよ、電子書籍化されているわけですから。
だから、別に本読んでから話せばいいわけなんだから、
だから読んでない人には発言の資格がないって言っても別に。
そのコメント自体が僕は、
ちょっとその時はね、
全然理解できない発言だったんですよ、これはね。
その後で、ちょっと僕がですね、
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もしかしたらね、
結局肌の色で言ってるのと、
もしかしたら同じなんじゃないかっていうことに気が付いたというか、
そういうことをふと思ったんですよ。
これを思った理由は、
もう1ヶ月前ですね、ちょうど1ヶ月前ぐらいに
このムラスペで話しましたけど、
生まれが9割の世界をどう生きるかっていうね、
こういう本を読んで思い出したんですけどね。
もう本当に、
行動遺伝学的な問題と、それから環境の問題でね、
それで本が読めないという状況の人がいるということで、
それはもう本人の責任ではないのかもしれないっていうことですね。
それを考えると、実はこの本を読めないっていう人は発言するなっていうのは、
実はその肌が黒いやつは発言するなって言ってるのと、
実はそれほど変わらないのかもしれないっていうことを
ちょっと思い至ったわけです。
そういう意味でね、
本当に読んでない人は発言の資格がないっていうことなのかってコメントくれた方には
ちょっと感謝しております。
それでね、その後でTwitterでアンケートしてみたんですよ。
ちょっとアンケートを読んでみますね。
以下、僕のアンケートの質問文です。
これまであまりちゃんと考慮してこれなかったんですが、
第2言語習得について日本語教師が知っておくべきことのような、
本を読めない状況のプロの日本語教師が一定の量で存在するのでしょうか。
ABCの選択肢があります。
A 自分も読めない。
B そういう人を知っている。
C そんな人はいないのでは。
これでですね、
Aの自分も読めないっていう人が15.9%いたんですね。
回答者のうちの1割以上、
6人に1人くらいっていう感じですね。
Bのそういう人を知っているっていう人が47.7%いました。
Cのね、そんな人はいないのではっていうふうに答えた人は
36.4%しかいなかったんですね。
ということを考えるとやっぱりですね、
そういう人が僕が想定していたよりも
かなり多く存在しているということが
そうらしいということがちょっとこのアンケートで見えてきたわけですね。
その後に今やっている日本語教師チャットのアンケートで
私は本が読めないっていうのを選んでいるっていう人が4分の1いる。
そういうのもあって、
これは僕が全然気がついていなかった種類の問題だったんだな
ということがわかってきたというわけですね。
少なくともそこでわかったのは特定の本の名前を挙げてね。
仮にそれが初心者用の一般書であったとしても
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この本を読んでから発言しろっていうのは
ちょっと間違いだったのかもしれないなというふうに今は思っています。
ただ、だからどうすればいいのかというのは
そんな簡単にはそうなんですねと言って
済ませてしまうわけにはいかない部分もあるんですよね。
なぜかというと日本語教師の場合は学習者が存在するわけですよね。
もう第二言語習得的に効果がないってわかっていることをやるのは
その先生が自分で損失するっていうだけではなくて
学習者にそれが損害を与えてしまうことになるので
だからそれをこのまま放置しておくことはやっぱり社会的にできないと思います。
かつそれよりもっと大きい問題は
さらにYouTubeとかで効果がないってわかっていることを
発信しているような人もいるわけなんですね。
それを放置していると
日本語教育の業界の発展をすごく損なってしまうことになる。
実際に損害することになるというか
それが何十年も続いているわけですよね。
オーディオリンガルとコミュニカティブアプローチの論争というのは
1990年くらいにはそれで大きく世界が変わったわけですよね。
30年前なんですけど。
だけどそれがまだその世界に追いついていない人がかなりたくさんいるわけなんです。
例えばこの間僕もYouTubeで見たんです。
これは名前は出しません。
なぜかというとやっぱり恥をかかせることがここでは目的ではないからなんですね。
そのYouTubeでは
みんなの日本語でもちゃんと話せるようになりますよというのがあって
なぜかというと例えば練習Cのところで
言葉じゃなくてイラストとかでQを出して
自分で考えてその言葉を口にしているわけだから
それはちゃんと話す練習になっているんだというふうに主張している人がいました。
これはだけど第二言語習得のさっきの本にも出てきますけど
まずスピーキングですよね。
話すときのプロセスというのは3つの段階に分かれているというのがあります。
まず最初は概念化といって自分の言いたいこと
メッセージが生まれてくるところですね。
まず言いたいことを言うということです。
お腹が減ってきたらお腹が空いたって言いたいとか
眠くなってきたら眠たいなというふうに言うとかですね。
まず最初にメッセージの生成という言い方をしますね。
メッセージの生成。
言いたいことができる。
その後でそれを形式化するわけですね。
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つまりその言いたいことに対して
言葉、語彙とか文法とかを脳みそから引っ張り出してきて
それを言葉というか文章を頭の中で作る。
それをその後に調音化といって
実際に口を動かして発声するというわけですよね。
みんなの日本語の練習Cとかというのは
形式化のところから始まっているんですよ。
つまりあなたはこれを言ってくださいというふうに
イラストを見せられるわけですよね。
それは自分が言いたいことではなくて
あなたはこれを言ってくださいといって
指定されたイラストについて
それに該当する言葉とかを頭の中から
自分の脳みその中から引っ張り出してくるわけですね。
つまり最初の概念化の部分がなくて
形式化の部分から始まっているわけなんですよ。
なので
だから実際にはこの練習はいくらやっても
自分が言いたいことを言えるようにはならないわけです。
つまり与えられたことを言えるようになる練習にはなるけど
言いたいことを言う練習にはならないんですね。
それはこの第二言語習得の世界では本当に基本だと思いますけど
最初の概念化の部分から始まってないからなわけですね。
こういうことはさっきも何回も紹介している
第二言語習得について日本語教師が知っておくべきこと
その本にも出ています。
なのでそういう本をちゃんと読んでもらえれば
そういうことを発信しないで済むわけです。
本人もそういうことを言わないで済むし
他の人から批判されたりするリスクも取らないで済むわけなんですよね。
こういう時にその人の名前とかを出してしまっても
論破してしまえばいいのかということなんですよ。
それは実際すごく簡単なことですよね。
だっていろんな本に書いてあって
ここにも書いてある、ここにも書いてあるって
いっぱい資料を見せればそれはすぐできるんですけど
でもそういうことをしていても
ただその人がこの業界からいられなくなってしまうだけなんですよね。
いなくなってしまって
また別にこの業界に
また別に何もよく知らない人が
十分な知識もなく入ってきて同じことを始めてしまうという
でもそれがこの30年間ずっと繰り返されてきているように思うわけなんですよ。
ツイッターとかが始まってからの10年間は
例えば昔の議論があります。
文系シラバスは古いのかという
もうこのタイトルから見てもちょっと信じられないようなタイトルなんですけど
文系シラバスは古いのかという
トゥゲッターというツイッターのまとめがあるんですけど
そこを見ても伝統的な教え方を支援している人というのは
もうほとんどツイッターに残ってないんですよね。
なので
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やっぱり恥を欠かせないで
学んでもらう必要というのがあるわけなんですよね。
そうじゃないと本当に
ただ論破するだけだというのはすごく簡単なんだけど
そうするとその人たちがもうただいなくなってしまって
また新しい人がまた来て
同じことを繰り返すということになってしまうわけですね。
でも実はその方法が僕は今よくわからないので
それが今一番
考えなければいけないところだと思います。
つまり本が読めないような人たちがある程度いるということですね。
それがわかったことだけでも僕にとってはすごく大きな進歩だったんですけど
かつてその人たちを
リベートみたいに
論破する形ではなくて
恥を欠かせないで
それで学んでもらう方法という
そういう必要性があるということなんですよね。
一つはこういう本に書いてあることを
もっと紙砕いて分かりやすく
しかも本じゃなくてYouTubeとか
こういうTwitterのスペースとか
そういうところで分かりやすく説明するのも
一つの方法じゃないかなと思いますね。
ポッドキャストとかでは
ゆる言語学ラジオというのがありますよね。
あれも僕も毎回聞いているわけじゃないんですけど
時々聞く分にはとても面白いし
ちゃんと分かっている人が話しているっぽいので
とてもいいと思います。
あるいは
本が読めない人というのはかなりいるのが分かったんですけど
それが能力ではなくて
お金の問題なのかもしれないという気もちょっとしていて
そういう場合には
例えばクラウドファンディングとかして
お金を集めて
その本で第二言語習得について
日本語教師が知っておくべきこととか
そういうのをたくさん買って
そういう人に一冊ずつプレゼントしたりするのも
いいかもしれないと思っています。
だけど正直な話
ちょっとこれに関しては
まだ考え始めたばかりなので
具体的にどうすればいいかという
アイデアはまだまだないので
皆さんからもいろいろ
アイデアをいただければと思います。
現時点で少なくともはっきりしているのは
本が読めない
だけどプロの日本語教師の方が
かなりの量いるということ
そしてそういう人に対しては
サポートが必要で
それをしない限り
日本語教育の現状というのは
質が上がるとかそういうことも
含めて
改善
発展するのは難しいんじゃないか
というふうに思います。
それでは本日の
ムラスペはここまでにさせていただきたいと思います。
本日も
ムラスペにご参加くださいまして
ありがとうございました。
今日の本が読めない教師のサポートが
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ぜひムラスペのハッシュタグ付きで
ご共有いただければと思います。
それでは本日も良い一日をお過ごしください。
それから明日から
僕はしばらく
15:00
家にいないので
ムラスペはちょっと
お休みします。
11月7日ぐらいにはできると思いますが
それまではできない可能性が
非常に高いので
皆さんにはお会いできませんが
またしばらくしてからお会いしましょう。
そして冒険は続きます。
15:22

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