即興で話す練習
さて 今日も
即興で話す練習をします 概要欄に
貼った話題ガチャというのを回して それについて一人で
何か 数分喋ってみます
ではガチャ えい
えい 冗談でも言われたくないことは何それそんなテーマ
冗談でも言われたくないことは ええ
なんかすごいこうネガティブなテーマを拾ってきますねー あの
冗談でも言われたくないこと あんまりないんちゃうかなぁ
人の悪口 なんか自分以外の悪口とかはあんまり言われたくないですかね 冗談でも
なんかこう これを別にそのまんま答えるっていうよりはこれを元に何かテーマとして話していけたらなとも思うんですけど
冗談でも言われたくないことって結構こう 人はみんなあるもんだと思うけど言われるまで気づかないとか
かもしれないですよね自分も 言われてみないとわからないことっていうのが結構あるのかなぁ
なんかこう例えば見た目に関してとか 性格に関してとか
てもう子供の頃からねいろいろ言われ続けてきたりとか言われ慣れてきたりとかしている かもしれないけど
だから今更 動向っていうのはあんまりないんちゃうかなぁ
あんのかなぁ コンプレックスとかっていうやつがねある人は
そういうの なんていうんですか敏感だと思うんですけど
僕はなんかそういうのはもう さすがにこの年になるとなくなってるんじゃないかなぁ
あんまりこう言われなくもなったし 気にしなくもなったしっていう
ところだと思います だから
人の悪口と持ち上げられることについて
むしろ反対なのかなぁ
けなされるとかっていうことよりも 褒められるとか
何だろう持ち上げられるっていうのが冗談でも冗談でもっていうのもおかしいなぁ なんか苦手というか辞めてほしいとかっていうのは
大人になるとむしろあるんじゃないですかね
うーん 褒められ慣れてないというか
何だろう 人にあんまり
こう よく言われると
かんぐってしまうのはね 大人になればなるほど
自分がこう人をこういろいろ なんだろう
持ち上げたりとか あれが良い所というかお世辞というかそういうのって
こう何か別の意図がある時に言う人が多いじゃないですか 特に何かをこう仕事とかで関わったりとか
何か別の成果を引き出すための 材料じゃないけど手段として言うっていうのがあると思うんで
何かそういうのを分かってると全然聞きたくないというか 冗談じゃないんやけどそれは
あんまり 言われてもなぁっていうのがあるから
その対応がいちいちめんどくさいっていうのはあるんじゃないですかね こういちいち
褒められることに対してありがとうとか そんなことないよとか
うん 何ていうのかなぁ
もうええねんってなる そういうの別にええかなってなるんじゃないですかね
結構なってる人は多いと思います ただこう社交辞令というか挨拶としてそういうやりとりはするけど
なんかそういうのを自然にこう できるというか違和感なく
そのお世辞じゃない感じでこうやりとりができると 上手いんでしょうけどなかなかそういうのって
できないですよね なんかこういかにも
嘘っぽいというかね そういうのはもう
やめたらいいんじゃないですかね ただそれを真に受けて喜ぶ人がいるから世の中ではそういうのはなくならないんでしょうけど
いつまででも褒められて喜んでる人たちっていうのがいるから それはそれで別に手段として成立してるからいいんですけど
褒められて喜んでるっていうのは別に何もおかしなことじゃないんで ただその嘘を言われて喜んでたら
まあそれは騙されてるだけだよっていうのをね 別に言わなくてもいいんですよねそれも
本人が良ければいいんでお互いが良ければいいというかね もう5分過ぎてるんで終わります