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どうも、ミュラーでございます。
初めまして。
この番組は、私ミュラーが毒にも薬にもなりうる話を、いろいろお話していくチャンネルでございます。
ポッドキャストを始めましたといっても、こういう音声配信自体は経験がありまして、
以前はスタンドFMで、ミュラーのゆるりと仕事術というチャンネルをやっておりましたが、
しかし半年くらいやってなかったんですね。
もうチャンネルも閉鎖をしましたと。
何でかと言いますと、そのタイトル通りですね、
仕事術のお話しかできないということに、結構不自由さを感じ始めたところが主な理由です。
もっと幅広いお話をしていきたいなということで、
タイトルも一新しまして、これからSpotifyで配信をしていこうというところでございます。
安心の本質
さて、そんな記念すべき第一回目の配信のテーマは、安心でございます。
人間は安心を買っている。
こういうネタでございますね。
安心を買うという、そもそも貨幣を使うのは人間だけですけれども、
動物は本能のままに生きたり食べたりとか、獲物を捕まえたりとか、いろいろやっているわけですけれども、
人間だけがお金を使って投下交換というかね、
お金という価値を物に変えたりとかしている経済的な生き物です。
この買い物という本質を考えたときに、結局行き着くとここは安心なんだなというふうに最近よく思うんですよね。
例えば、食べ物を買う。これもお腹が空くからなんですけど、お腹が減って生命の危機に晒される。これは危ないぞと。
結局生命を維持するという安心を得たいから買うわけですよ。
それだけでは事足らず、ストックをするわけですよね。
家に米が十分あるのにもっとストックしときたい。
米の価値がどんどん上がっているから今のうちに買っておこうとかね。
安売りしているのを見たら、あるのに買い溜めしちゃうとかね。よくあるじゃないですか。
あともっと言うと、いわゆるローリングストックで災害に備えて宅配をしとくという、これは非常に素晴らしいことではあるんですけれども、
結局ね、明日食べるものもどうなるか分からないみたいな根拠をしている人にとっては贅沢ということなんですよ。
ということは、やっぱり人間、食べ物一つとっても飽きたらない生き物なんですよね。
結局、より多くの安心を得たい。
今日の食べ物を得て安心をしたら、今度は明日の食べ物、1週間先の食べ物を蓄えておいて安心したい。
こういうことになります。
生活の安心
他にもね、いろいろ言えると思うんですよ。
家だってそうですよね。家もね、安い賃貸でも十分雨風しのげますよと。
それも、やっぱり家賃がいつ上がるか分からないとか、
親さんにいつ追い出されるか分からないとかね。
最近だと急にオーナーが中国人になって家賃が倍になっちゃうとかね。
ニュースで見ますけどもね、自分の資産として家を持つことによって、
反永久的にそこに住めるという安心を得たい。
こういうモチベーションがある方というのも少なくないでしょう。
あとは、車とかもそうですかね。
別にね、極論言えば徒歩でね、健康であればいつでもどこでも行けちゃうわけですけど、
公共の交通機関使ってね。
それもね、なんか不便だなとかね。
子供が習い事を言っているときに雨が降っちゃったりとかしたら、
車で迎えに行ってあげようとかね。
それは良いことではあるんですけども、
いろんな意味でより安心な交通手段を確保しておきたい。
こういう意識が根底にあるんじゃないかなというふうに思います。
あとはね、試行品なんかもそうですよね。
お酒とかタバコとかもそうですけど、
結局ないと不安になっちゃうみたいな心理って、
やっぱりどっかね、そういう試行品を摂取する人は絶対あるんですよね。
僕もね、お酒は切らしたくないっていうのは正直あるんで、
やっぱり買い溜めておきたくなっちゃうんですよね。
ちょっと少なくなってくるとソワソワしちゃうっていうところはあるので、
こういうところにも安心を買うという心理が働いているんじゃないかなという気がします。
とにもかくにも人間ってやっぱり無駄が好きですよね。
結局その無駄が安心みたいなところも、すごく乱暴な言い方をするともあって、
結局、極論言えばね、無くたって生きていけるみたいなものばっかりなんですよね、見渡すと。
だから、なんだろう、モバイルバッテリーとかもそうかもしれないですよね。
出先でスマホの電池が切れちゃったらどうしようとかね、
いうことが不安だからこそ、僕も持ってますけどね、バッテリー買いますよね。
もっと計画的にね、生きればね、それこそ出かける前に満充電しといて、
なるべく出先で節約して、節電して使っていれば、
家に帰ってくるまで充電持つわけですよね、よっぽど古いスマホじゃなければ。
というところもあって、やっぱりそこも電気という安心を得るというための購買行動ですよね。
あとは洋服とかもそうかな、着回しできる服が多ければ多いほどね、
なんかうっかりというかね、めんどくさくて洗濯サボっちゃったりしたときも安心じゃないですか。
だから洗濯紙として何着も服を持っておくとか、
持っておくとね、自己顕著欲とかもあるかもしれないんですけど、
結局のところは洗濯紙を多く持っておくことが、
根底には安心につながっていくという、そういうところもあるのかなと思います。
そうして言えるのは、安心とは本当に究極の人間の追い求めのところですよ。
人間の選択とリスク
ジョジョの奇妙な冒険、知ってる人はいるかな、分かんないですけど、
ディオという悪役が、人間は安心を得るために生きているんだということをどこかで言ってましたが、
結局あれってすごく的を置いてるなって常々思うんですよね。
やはり詰まるところを人間は安心を得るためであれば、
独裁者にも跪くわけですよ。
だからディオの話ですよ、ディオの背下に悪に染まっていく人っていうのは、
やっぱり支配者の下につくということによる安心を求めて、
そこに行き着いてるんじゃないかなと思うわけです。
自分の意思で自分の足立って自分の人生を生きるっていうのは結構勇気もいるし、
時に保障もなかったり孤独だったりもするし、
ある意味リスクなことじゃないですか。
やっぱりそういうリスクを回避してより安心を得るためには、
やはり強い力のもとに身を置くと。
これは一つ合理的な選択かもしれないですよね。
私それが自分の人生として納得できるのかっていうのはまた別の話です。
そういう選択を取る人もいるからこそ、
今まで歴史の中ですごく独裁者とか、今もいますけどね、世界見渡せは。
そういうところに気絶する人っていうのはまだまだやっぱりいるわけですよね。
だからそういう意味では、たぶん人間がこの後2000年地球に存在したとしても、
この構図はやっぱり変わらないのかなって気がしますね。
あなたはどっちですか。誰かに礼俗して安心を得たいですか。
それとも自分の足で先の見えない不安を抱えながらも覚悟を持って
暗闇の荒野を突き進みますか。
最後の後者の選択肢はまたジョルノ・ジョバンナの有名なセリフから引用しましたけれども、
どっちにするかはあなた次第ということで、
今日の配信はこの辺にしたいと思います。
いろいろこういう人生観みたいなところもそうですけれども、
皆さんもいろんなことを、いろんな可視観に従って日々選び取ってきていると思いますが、
こういったところもたまに考えてみると面白いんじゃないかなと思いますので、
ぜひこういった機会に考えてみてください。
ということで、初回の毒にも薬にもなる話はこの辺で終了いたします。
また次回配信をお聴きいただけると嬉しいです。
それでは三浦でございました。