1. 二番経営 〜組織を支えるNo.2の悲喜こもごも〜
  2. #57 ジャストインタイム開始と..
2025-04-09 32:18

#57 ジャストインタイム開始とトヨタ自動車工業の誕生。戦時下の組織近代化と二番経営人材。トヨタ自動車創業者・豊田喜一郎編⑥

▼今回のトーク内容: 

1936年、初の自動車生産工場完成/トヨタ自動車の生産方式JIT(=ジャストインタイム)誕生/国産車量産へ国が認可/生産態勢を国が常に監視/設備投資のため新会社設立/1937年、トヨタ自動車工業株式会社誕生/初めて社名をカタカナに/初代社長は豊田利三郎/喜一郎は副社長に/1938年、工場を新設/拳母町(今の豊田市)に設置/拳母工場は絶好調/どんどん設備投資で増強/時代は戦争へ/自動車需要へ攻めの姿勢/戦争突入/生産態勢を国が一気に管理/思うように生産できず業績は急降下/急遽、経営陣を増強/三井物産や京都高島屋から招聘/喜一郎ワンマン体制の終焉/キーマンは三井物産から来た赤井久義/副社長に就任/数日で社内の意思決定プロセスを改革/喜一郎は心が折れ酒浸りに/戦時下で国に従わなければならない状況に憤り/販売の神様・神谷正太郎/ライバルディーラーとひたすら交流/これが戦後に効いてくる/グループの紡織業も合併を繰り返し生き残り/自動車と紡織を合併/のちの大キーマン・大野耐一がジョイン/石田退三の登場/あの本田宗一郎との邂逅/酒浸りの中、喜一郎が社内に出した指示/戦争終結後に活きる

▼番組概要:

COOや副社長などの「組織のNo.2」。その仕事をテーマに、トップのビジョンの実現の仕方や、仕事の面白さ・大変さなど「No.2の悲喜こもごも」を語っていく番組。製造業に特化したコンサルティング企業、オーツー・パートナーズ取締役の勝見靖英と、幻冬舎「あたらしい経済」編集長の設楽悠介がMCを務める。毎週水曜日配信。

▼番組ハッシュタグ:#二番経営

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▼過去配信回をシリーズ別でプレイリスト化しております:

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▼MC:

勝見 靖英(株式会社オーツー・パートナーズ 取締役)

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://www.o2-inc.com/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

1971年生。慶應義塾大学文学部卒。ジャパンエナジー(現ENEOS株式会社)、PwC、デロイトトーマツコンサルティング、日本IBMなどを経て、2015年7月よりオーツー・パートナーズに参画、2018年4月より取締役。製造業を対象とした戦略策定、業務改革、ERP/PLM等大規模システム導入等のプロジェクトを多数経験。プロジェクトマネジメント、チェンジマネジメントを得意とし、現在は経営企画/会計/人事総務/組織開発/IT/マーケティング広報等を管掌。

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://www.o2-inc.com/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

設楽 悠介(幻冬舎「あたらしい経済」編集長)

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/ysksdr⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

1979年生。明治学院大学法学部卒。マイナビを経て幻冬舎に。同社でコンテンツビジネス局を立ち上げ。電子書籍、コンテンツマーケティングなど新規事業担当。2018年にブロックチェーン/暗号資産専門メディア「あたらしい経済」を創刊。幻冬舎コミックスの取締役を兼務。「Fukuoka Blockchain Alliance」ボードメンバー。ポッドキャスターとして、Amazon Audible original番組「みんなのメンタールーム」や、SpotifyやAppleにてWeb3専門番組「EXODUS」など配信。著書に『畳み人という選択』(プレジデント社)。

▼ディレクター:

関岡 憲彦

▼プロデューサー:

野村 高文 ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/nmrtkfm⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

▼制作:

Podcast Studio Chronicle ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://chronicle-inc.net/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

▼カバーデザイン:

松嶋 こよみ ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/

サマリー

このエピソードでは、トヨタ自動車の創業者である豊田喜一郎の二番経営に焦点を当てている。ジャストインタイムの概念やトヨタ自動車工業の誕生に関する革新の過程が描かれている。新しい生産方式の導入や国からの認可、さらには社名の由来についても言及されている。さらに、トヨタ自動車工業の戦時下における経営改革や豊田喜一郎の経営スタイルの変化についても語られている。特に、赤井久吉の参画により組織が発展し、ジャストインタイム生産方式の確立に至る過程が詳述されている。また、戦時中にトヨタ自動車がどのように組織的に行動し、大きなビジネスチャンスを見出したのかについても話されている。豊田喜一郎の指示により、自動食器の製造が戦後すぐにフル稼働を開始し、その過程でのビジネス環境や技術者の力にも触れられている。

二番経営の紹介
スピーカー 2
二番経営 No.2の悲喜こもごも。この番組では、なかなかおもてんでない組織の二番、No.2をテーマに、トップのビジョンの実現の仕方や、この仕事の面白さ、大変さなど、No.2の悲喜こもごもをリスナーの皆さんにお届けします。
スピーカー 1
こんにちは。株式会社オーツーパートナーズ、取締役の勝宮すいでです。
スピーカー 2
現当社新しい経済編集長の修田玲央介です。二番経営第57回。今回も前回に続きまして、トヨタ自動車創業者・豊田喜一郎編第6回となります。
はい、6回になっちゃいましたけれども、前回ようやく車作ったっていうところでしたね。トラックまで作って品質ボロボロだったんですけども、逆にこうしっかり直すことで誠意が伝わって喜一郎さんファンがこうできたという感じでした。
スピーカー 1
その車できたのが1935年だったんですけども、その自動車の製造をですね、さらに進めていくために1936年にカリアという場所、これあのトヨタ自動車機の工場があった場所なんですけども、そこにですね、自動車の組み立て工場っていうのが完成をしていってですね、量産の創業が始まるという段になってきます。
これで自動車をワンバカ作る工場ができあがって、生産が本格化していくというところになるんですけれども、自動車の製造っていうのはですね、いろんな当然部品で作られています。当時の自動車がどうだったかわからないですけど、一般的に内燃機関というかエンジンの自動車っていうのは部品が3万点あるって言われています。
それもですね、似たような部品ではなくて製造工程、作り方もいろいろ違う、そういう部品が3万点集まっているわけですね。そういった部品を作るための製造施設ですとか、あとは部品を集めて組み立てる、組み上げる工場も必要ですし、組み上がったものに色を塗る、塗装する工場ですね。そういったいろんなですね、専門領域が必要なものがですね、11個必要。これが自動車の工場なんですね。
非常にマネジメントが大変なんですけれども、それぞれの工場で間にですね、在庫ですとか、そういった部品も持っておくということも必要になってきます。すぐに作れるように。ところがですね、その工場ごとに部品を持っておくとですね、それが無駄な在庫になってしまったり、あるいは不良品も出てくると。
工場の部品を作るためにですね、置いておくっていうのは意外と見えなかったりするので、どんどん無駄が溜まっていってですね、その生産のコストが積み上がっていくということもよく起きることです。非常に工場が多く出来上がる中ですので、そのリスクも高くなるということで、豊田喜一郎さんはですね、より効率的に良いものづくりをしなきゃいけないということで、
多数の部品っていうのはずっと在庫でいっぱいストックしておくのではなくて、必要な時に必要な分だけあればいいというふうに考えます。これジャストインタイムといってですね、喜一郎さんが提唱したわけですけども、このジャストインタイムっていうのは今に続く豊田生産方式の合言葉のようなものですね。
自動車の量産を始めたその瞬間に、今でも続く豊田生産方式TPSっていうのがもう芽吹いていたということになります。そういった新しいものづくりの仕方の思想がですね、生まれつつですね、その裏側では1936年ですね、国が自動車の製造許可会社としてですね、この豊田自動食器製作所を認めます。
当時はですね、自動車っていうのは勝手に作ることはできなくてですね、国が認定しないと認められなかったんですね。それだけ非常に工業製品として難しい自動車を作るためにはですね、設備も必要ですし、会社の構えですね、人材も設備もそういったものもすべて必要、お金も必要になってきますので、それを認めないとオイソレとですね、簡単に自動車製造を始めて、そこで出来上がらない、失敗するとですね、いろんな経済的な混乱も起こしてしまう。
それぐらい裾野の広い自動車産業というのは当時からも認識されていたので、国が認定をしなくてはいけないと。その第一号として選ばれたのが豊田自動食器製作所、それからもう一社、ライバルになる日産ですね。
同時なんですね。この2社に許可が出たということになります。この許可が出るっていうことは、国として認められ続けるためには、国が今年は何台作りなさい、あるいは何台作るための設備を備えなさいっていう行政指導みたいなのが常に入り続けるわけですね。
だから生産量っていうのは国が決めるっていう感じになります。それに合わせた必要な量産体制っていうのをタイムリーに用意しなくてはいけないというそういう義務も生じるわけですね。迅速な設備投資っていうのが必要になってきます。設備投資をするには会社が増資を、お金を入れてですね、そのお金で工場の設備を買うということが必要になってくるんですけども、
これまでトヨタ自動車機製作所の自動車関連の設備っていうのは、トヨタグループの中でずっと手配をお金もしていたんですけども、それだけだと足りないということで、新たに会社を設立して、他のところからも資本産化を募ろうということになりました。
トヨタ自動車工業の設立
スピーカー 1
それで生まれたのが1937年8月にトヨタ自動車工業株式会社っていうのが生まれます。ここで本当の本当の今のトヨタ自動車が生まれることになります。
スピーカー 2
しかもカタカナでトヨタとしてるんですね。
スピーカー 1
お知らせるとおりです。これまではですね、トヨダ、ダは濁ったダでしたし、漢字でトヨダだったんですけども、このトヨタ自動車工業というのはですね、トヨタはカタカナになります。しかもタは濁らないタなんですね。
これなんでそうなったかというと、トラックが出た1935年それから1936年のタイミングでですね、新たな車のためのエンブレムというかですね、マークをデザインすることになったんですね。
その時にデザイナーがですね、カタカナがいいだろうって言ってカタカナで東洋だって書いたんですね。東洋だって書いてその最後のちょんちょんちょっと邪魔じゃねって言って外しちゃって、トヨタの方がかっこいいんでこれでいきましょうって言って、デザインとしてトヨタの方がかっこいいんで決まったというのが。
そうなんですね。
そうなんですよ。
知らなかったですね。
社名にも繋がったと。
スピーカー 2
そういうことなんだ。すごい。
スピーカー 1
これ本当は濁らないトヨタなんですみたいな感じじゃないんですね。
スピーカー 2
でもまあ確かにロゴとかにカタカナをちょっとすると確かに濁点ない方がバランスはいいですよね。
スピーカー 1
そうですよね。
スピーカー 2
ちょっとアンバランスになりますもんね、濁点ついてると。なんでしょうね、あのアップルのデザインとかに繋がるような話ですね。
スピーカー 1
ああそうですね。リンゴのね、かけたところってAのあれですもんね。
スピーカー 2
そうそうそうそう。えー面白い。
スピーカー 1
いやーそうなんですね。これはちょっとびっくりな社名の由来なんですけれども、そのトヨタ自動車工業が生まれてですね、初代社長はですね、実はリサブローさんが収まります。
キイチローさんじゃなかったんですね、この時に。
トヨタ自動車の初代の社長はトヨタリサブローさん、そしてトヨタキイチローさんは取締役副社長に。
言っても実質上トヨタ暴食、トヨタ自動食器もありますので、リサブローさんはグループ全部の総推ですから、このトヨタ自動車工業っていうのは、実情トヨタキイチローさんがトップであるっていうのはまあみんなが認識していたという感じですね。
なるほど。
その会社ができたのが1937年です。
翌1938年なんですけども、これですね、さらに量産をしていかなきゃいけないと。
国の指導もあって生産を何台作らなきゃいけないっていうところのキャバが大きくなってきましたので、工場が足りないということで工場を新設することになります。
その時に選ばれた場所っていうのがコロモっていう場所なんですね。
コロモっていうのはちょっととても読めないんですけども、拳に母親の母と書いてコロモと言うそうです。
聞いたことないですよね。
スピーカー 2
聞いたこと初めて。
スピーカー 1
なんでこの天下のトヨタ自動車の工場がある地名を知らないのかと聞いたこともないのか。
なぜならば今コロモはないんです。
今どうなってるか。
愛知県豊田市豊田町になったからです。
スピーカー 2
そういうことですよね。後に変わるんですね。なるほどなるほど。
スピーカー 1
当時はその自社の名前を市町村につけるっていうことはなかったのでコロモ町という町だったんですけどもそこに本社工場っていうのを作ります。
今でも存在してますけども58万坪のですね非常に広大な土地を持って安くて品質の良い自動車を作るというところで工場が生まれました。
実はその1938年の前1937年にですねもともと量産を始めたカリアという場所にですね工場を拡張するということもしていたんですけどもそこを捨てるかのようにこのコロモという町にですね新たな工場を作り始めます。
要は今までも生産設備あったのになんでわざわざ新しいところを作るのと。
量産の生産台数を増やすんであればカリアを増築していった方がいいんじゃないのって考え方もあるんですけども。
ここにですね先ほどお話したトヨタ生産方式ジャストインタイムっていうのを徹底するためには同じエリアにですね広大な敷地に生産設備を最適な配置で置き続けるということが必要になってくるんですね。
カリア工場っていうのはトヨタ自動食器製作所の横に作ってですね増築増築ですので最適な場所に最適なものがないんですね。
なんかあっちゃこっち行きながらですね自動車組み上げるっていう工程になっているのでそこがスッと行くというのが必要なので広大な面積が必要でしたしそこに生産をするための最適な製造システムっていうのを構築しなきゃいけない。
これが必要だったんですね。
なのでこの衣工場っていうのを作っていくことになります。
じゃあこの工場で指揮を取るのは誰かというと当然キイチロウさんなんですけどもこの新工場の立ち上げのですね一部の重要な工場が10個ぐらいあるわけですけどもその中の第二機械工場って結構メインの工場の責任者を任されたのがトヨタ英二さんですねキイチロウさんのいとこの若いトヨタファミリーの人材東大でですね技術者としてトヨタ自動食器に最初入社した時には東京の研究所勤務で
その研究所で何でもいいからやってろって言われたんでなんか遊んでましたっていうのが後でトヨタ英二さんの電気みたいなのが出てくるんですけどもここでは工場の責任者としてやれと工場を作りましたと工場を作ったらこの工場っていうのはジャストインタイムを実現するための工場だとこういう風にやるんだって言ってですねキイチロウさんから指導を受けるわけですね
必要な時に必要な分だけあればいいっていう考えでそれは具体的にどうやればいいのかっていうのがキイチロウさんが指示をしたしてですね厚さ10センチぐらいのパンフレットマニュアルっていうのをキイチロウさん自分で作ってですねそれを英二に渡してですね講義をしながらこれがこうトヨタのものの作り方だっていうトヨタ生産方式っていうのをどんどんどんどんですね中に広めていくっていう活動をしてそれ一緒にやったのがこのトヨタ英二さんです
スピーカー 2
10センチってすごい量ですよね
スピーカー 1
すごい量ですよね
スピーカー 2
辞書みたいな感じですよね
スピーカー 1
もうまさにそれをパソコンもアプロもない時代に書くっていう手で書くわけですよキイチロウさんめちゃくちゃ希少面ですからね綺麗なノートしか残さない
はいもう多分それ自体が超重要なマニュアルですけどもそれによってローコストで品質の高い自動車を作ることができるそういう礎を築いています
この衣工場っていうのは最初創業当時はですね非常に好調で1938年に出来上がった工場なんですけど1938年39年1940年も絶好調でどんどんどんどん設備増強を進めていきましたよりたくさんの自動車を作れるようにというふうに設備投資を続けていったわけですね
この時は当然ですねキイチロウさんは日本が戦争に向かっているっていうマクロ情報を抑えた分析をしていましたので戦時化に入ると間違いなく自動車の需要増えるだろうっていうふうに思ってました
これはですね第一次世界大戦の時に戦争に入ると非常に好調になったんですね日本はそれをイメージしてその好調にこれから来るですね大きい需要に備えてバンバが作らなきゃいけないというような感じで攻めの姿勢だったんですけどもここまでですね完璧にこうマクロ状況分析してきたキイチロウさんの見立てっていうのは外れていきます
政治経済情勢の変化を読み続けてきたキイチロウさんここで初めて読み間違えます第一次世界大戦っていうのは日本も参戦はしてるんですけども日本では戦争してないこの1939年に始まったのは最初日中戦争から始まっていますけどもその時は戦争の当事者まあ第一次世界大戦ほんとちょっと破平したぐらいでしたけども日中戦争は本当にメインの当事者として参戦するということになります
アメリカそれがイギリスから経済封鎖も受けるというところで経済活動をしたくてもできないという状況になるというのが初体験だったわけですね
1940年になってくるとですね国は統制経済まあ政治家の経済なんですねすべてその国の支持に基づいてものを作んなきゃいけないと資材不足もあるという状況になります創業時間も短くしなきゃいけませんっていうことがあるんですけども
トヨタ自動車の経営改革
スピーカー 1
要はですねこの前の年3年間でひたすらこの衣工場増設設備増強し続けてきましたのででっかい設備があるけどほとんど使えないっていうことでですねどんどんどんどんお金なくなるわけですね工場なんかもう存在するだけでお金かかってきますから人も雇っていますしね原価消費額も高くになってくるということで会社の業績っていうのが急降下していきます
1941年にこのままではまずいということで臨時株主総会を開催して経営陣を増強しようということになりました
その時に増強された経営者してまず三井物産から取締役の赤井さんという方がこのトヨタ自動車工業に入りますそれから京都の高島屋で支配人をやっていて
京都トヨタ自動車販売で取締役をやっていた飯田晋三郎さんこれ京都の高島屋が急に出てきた感あると思いますけれども
木一郎さんの奥さんの実家高島屋創業家ですのでそこの創業家がなんかあの無言が車作ってるって言うんで自動車販売の方の事業もやられていたという感じだったんですけどもそっから飯田さん入られます
それから社内ですね購買部長をやっていた岡崎さんという方が取締役に昇格されるということでそれ以外に監査役も増強されるというふうになります
これは何を意味するかというと木一郎のワンマン体制が終わったんですね
トップの卓越した分析見立てによってですね組織を思いっきり動いたところでそれの限界を感じてですね経営チームでやっていかなきゃいけないというふうになったということになります
でこの経営陣の増強でポイントだったのが三井物産から来たこの赤井さんという方ですね赤井久吉さんという方この赤井久吉さんに関する記録ってほとんど残っていなくてですね
別途ですねジェラーさんに見ていただいたトヨタ創業50年史っていうのがあったと思うんですけどもその中でもですね
かちみつが入手した写真非売品のレア物件があったんですがその中にちょっと写真は出てくるんですけどもほとんどですね普通の本には出てこないんですけれどもこの方がですねすごいんですね
この戦時経済統制官に対してこの経営実務っていうのはこの赤井さんが引っ張ることになります
この株主総会で社長だったリサブローさんは会長に知り続けますキイチローさんが社長になるんですけどもこの新たに参画された三井物産の赤井さんが副社長に就任します
副社長に就任すると同時にですねこれまで意思決定はどんどんキイチローさんが一人でやっていたんですけども意思決定はそれぞれの部門の長とトヨタグルー
ありますね自動車以外の会社そこからですね石田大蔵さんというのはトヨタ自動車機の方の社長をやっていたんですけどもその他のグループの人たちも集めてその委員会形式で意思決定をしていくというシステムを作ってですねそれの導入っていうのを副社長就任からほと数日で一気にそれをやったんですねでまぁその委員会方式でありますっていう風にただのろし上げただけじゃなくてあなたに入っていただきます
こういうふうにやってくださいキイチローさんいいですねってみんな説得して回ってですねそれを数日の間に作り上げたというのはこの赤井さん本当にありえないぐらいの手腕だったんですけれども実際にですねこの会社の業績は非常にゴンと下がっちゃったところから
戦時化に入っていってこのトヨタ自動車の経営っていうのはこの赤井さんが手綱を持ってですねこう引いていきますそこでも経営旗になるわけでもなくてですね非常にこう戦時化ではあるんですけどもその中でしっかりとした経営をし続けたというのはこの赤井さんですねほと2番経営人材として情報量少ないんですけども間違いなく卓越した経営者がこの赤井さんという
ジャストインタイムの確立
スピーカー 1
この赤井さんが実質会社のトップ経営者としてですねこう脱案を振るっていたそのおかげでじゃあ本当の社長のキイチローさん何やってたかというところなんですけれども
それはですね当時できた日本の自動車産業というのが生まれたわけですけれども日本自動車製造工業組合っていうのが生まれてですねキイチローさんはそこの代表理事長をされます
それからまあ戦時化ですので自動車も思うように作っちゃいけない軍が何台作れと言われたところで作っていくあるいは何台だったら販売していいっていう統制が効いている状況ですのでそのための委員があるんですね自動車統制会っていう国の組織があってそこの表議員にも就任されます
つまりこの赤井副社長はトヨタの経営を取り仕切っていてキイチローさんの方はどっちかというとその自動車産業と国との橋渡しのような仕事になっていたという感じです
産業全体の役割を担うということでそれそれでこう責任重大ではあるんですけどもこの時のキイチローさんなんですけどももうほんとやる気なくなっちゃってですね
人が変わったように叫びたりの生活を送っていたっていう色があるんですけど急にちょっと落差激しすぎるすごいですね真面目でねみたいなそもそもの印象が静かで真面目でみたいな燃え上がるものあったにしてもそういうキャラクターとにそうなんですよまあいくらね副社長が敏腕だと言っても社長は社長なんですけども
なんでそんなやる気なくなっちゃったかっていうとやっぱり戦時下ではですね自分が思った通りの自動車作りは全然やらせてくれないと右向けたらもう右向いてるしかない状態ということでもう情熱が急にこうしぼんじゃってなくなっちゃってでも叫びたりという感じになるほど
叫びたりの状態なんですけどもこのトヨタ自動車工業っていうのは経営がずっと進んでいくんですね戦時下で非常に厳しい状況だったんですけども以前ですね日本の gm からスカウトした神谷翔太郎っていう後に販売の神様って言われる人がいたんですけども彼もですねその国の日本自動車配給会社っていうのがあるらしくて自動車の割当てを決めるなんかそういう組織もあったみたいなんですけどそこにですねキイチローさんはまあ産業の
代表として入るんですけどもそこに乗務としてこの神谷翔太郎さんも入ってですねその時に豊田系のこう仕事をこれまでしていたわけですけども国の配給会社ですので日本中のその日本中ってほどなかったかもしれないですけども
日本の他の自動車会社からもう人が入ってくるわけですねそこで神谷翔太郎さんはその時に日産系の自動車販売でありてまぁディーラーの方たちとめちゃくちゃ知り合うんですね
でも人脈を思いひたすら広げ続けます日産系のディーラーとだけのディーラーではない自分の見方のところで敵のディーラーさんとめっちゃ仲良くなるんですね
これがですね後に戦争終わった後一気にその日産系のディーラーっていうのを引き抜いてトヨタの販売ディーラーに全部変えていくっていうのをこの神谷翔太郎がやってくる
まあなんか汚いという言い方もあるかもしれないですけどもでもここでそういう活動ですねずーっとやっていくんですね寝回しをされていたと
スピーカー 2
トップが叫びたり全然やる気ないところでそこでトップが採用した優秀な部下たちがどんどんどんどん躍動していく感じなんですね
スピーカー 1
この時ねまあ戦中軍需中心ですのでこう民需が下がっているということになります
軍需民需ということか民需の代表なものに衣類衣服がですねそれの衣服を作るための布を作っていたのがトヨタ暴食という会社です
暴食業っていうのは日本の国の中でニーズが全然なくなっちゃってですね結構経営難になっていたんですね
なのでその時に企業が生き残るために合併をしながらですね生き残り策をかけるという風にされていました
トヨタ暴食という会社このトヨタグループの一番の母体になるような会社だったんですけども
他の中央暴食っていうトヨタグループの中の会社と合併したりですとかあとは商社系のですね暴食会社と合併したりとかして
中央暴食っていう会社になっていたんですけどもその時にですねグループの総水リサブローさんだったんですけども
暴食の会社暴食の会社一緒になるのはいいんだけれども結局よその会社と一緒になるとトヨタグループじゃなくなっちゃうということで
リサブローさんはですねこの時にそんななんかよその連中に取られるぐらいだったら自分たちの中でやりたいということで
その暴食の会社とトヨタ自動車をくっつけちゃいます
スピーカー 2
なるほど
スピーカー 1
なので暴食布を作るそういう人材がですねトヨタ自動車に合併されることによって流入することになります
これあの布の製造と自動車製造全然違うんで意味ないじゃないかっていうに思われる私も現実は思うんですけども
実はですねこの時に中央防石っていう布を作る会社ですねそこにいた人材がトヨタ自動車工業に入ってくるということになるんですけどもその時に入社した方がですね大野大地さんという方です
大野大地さんっていうのはこのシリーズの一番最初の頃に一回だけ言ったことがあるんですけども
このトヨタ大地さんっていうのはアメリカで自動車業界の伝道入りをした方でですね
先ほど来ずっと話している木一郎さんが生み出したトヨタ生産方式ジャストインタイムというやり方ですねこれを体系立てて本当のトヨタ生産方式を確立した人
これはこの大野大地さんという方ですで副社長にまでなった方なんですけどもこの才能がですねこの戦中の時にいろんな会社がくっついていたその土作作の中でトヨタ自動車にジョインしてくれたと
これ本当偶然だと思うんですけどもすごい人材を得たということになります
これが技術者としての大野大地さんが入ったところなんですけども
合わせてですねこのトヨタ暴食っていうのはどんどんどんどん小さくなっていた時がありましたのでその時にトヨタ暴食からですね
トヨタ自動食器製作所に移動した人がいます
布売れないんで自動食器を売りなさいと営業しなさいというふうにリサブローさんに言われて移動した人
それが石田大蔵さんという方です
石田大蔵さんハットリー商会という元商社の人でトヨタ作家さんともですね信仰のあった商社マン
リサブローさんとは東映の親戚になるんですけども元商社マンでビンワンの営業がトヨタ暴食に入っていたんですけども
そこから自動食器に移っていきます
この自動食器ではですねそのトヨタ自動車の関連の部品も作ろうと
自動食器だけ布を織る機械っていうのは民衆がなくなってきたのでそういうのはないと
でも群衆ってことでトラックは作ってると
で隣のトヨタ自動車工業であるトラックを作っているから
そのための部品をトヨタ自動食器製作所でも作れないかっていうふうに考えてですね
この石田大蔵さんトヨタ自動車工業の方に行って
なんかうちの会社で作れそうなもんないかっていう
こうずっと部品を選んでですね生産を始めるってことをこの石田大蔵さんが始めます
その時に作った部品がですねエンジンの中にピストンが動くんですね
スピーカー 2
エンジンっていうのが出たら開いてバーって爆発が起きて
スピーカー 1
そうですそうです
でその時に作るピストンが通るところに穴が開いてるんですけども
そこの蓋というかリングがついてるんですけども
それピストンリングっていう部品らしいんですね
あんま一般的ではないんですけども
あるいはそのピストンピンっていうそういう部品を作って
トヨタ自動車工業に収めてっていうことを始めます
その時にですね仕事がですねもうやたらいっぱいくれるようになっちゃったんで
トヨタ自動車機で作れなくなっちゃいました
キャパオーバーです
せっかく仕事くれるのにキャパオーバーになっちゃうと困ったなと
じゃあこのピストンリング作ってくれる会社ないかなって
石田大蔵さんが探した会社あったんですね
静岡県浜松にホンダさんっていう人がいてですね
その人がピストンリングめちゃくちゃいいの作ってくれたんですよ
スピーカー 2
まさかの
スピーカー 1
ホンダ総一郎さんです
スピーカー 2
すごいなぁ
なるほど
スピーカー 1
この時浜松のホンダ総一郎さんは自動車なんか一切作ってないです
オートバイも作っていないです
自動車の部品の一部をですね
下請けとして作る会社としてですね
浜松に存在していたんですね
でまぁ後にですねホンダ総一郎さんこのピストンリングを作る会社
ここはここで結構商売繁盛だったんですけども
これじゃねえって言って
その会社ごとトヨタグループに売っ払ってですね
その後以前やったホンダ会でもちょっとだけ創業をやりましたけれども
スピーカー 2
ホンダ技研を創業して
スピーカー 1
翌年藤沢武夫さん入ってくるっていう感じの
あのストーリーにつながるんですね
これが戦中に起きたいろんなエピソードでした
この時に叫び足りなんですね
相変わらず金一郎さんは
叫び足りなんですけども
やっぱりトヨタグループのトップの一人であることには変わりありませんから
その時にですね金一郎さんもずっともう考える癖でしょうね
ずっと先を読み続けて読み続けてというところで
この戦争は間違いなく日本が負けて終わるだろうっていうところまで思っていたそうです
ですので戦中なんですけども
戦後のことを考えてお酒飲みながら考えてですね
その時にふと思うんですね
トヨタ自動食器製作所食器を作っていたところ
今はですね自動車部品を作るようになっているんですけども
戦時中のトヨタ自動車の戦略
スピーカー 1
これ戦後平和になったら
暴食業っていうのは必ず忙しくなると
輸出も増えるし内需も絶対に増えてくる
平和な時に必ず儲かるビジネスだから
今自動車の部品を作るということももちろんやっていいんだけども
その自動食器を作るための工具とか必要なものっていうのは
今戦中の状況なので
兵隊さんというか軍が来るとですね余計なもの作るなと
そういうのも全部大砲の玉にするからもう金属をよこせとか
いろいろ言われちゃうので
そこで大事なその食器を作るための工具っていうのは
全部監督官とか来ないところに全部隠しときなさいと
すごいいつでも生産がリスタートできるように準備しなさいと
でただ置くと錆びちゃうから防錆剤塗って綺麗にちゃんと保管しておきなさい
という現場の技術者に指示をバンバンバンバン飛ばしてたんですね
金型も捨てちゃダメだよ
ちゃんと取っておかなきゃダメだよっていう指示を出してたんですね
この指示がですね本当にもう爆当たりしてですね
戦争終わった瞬間にトヨタ自動食器がもうフル創業になっていくんですけども
信じられない立ち上がりをしていくんですけども
スピーカー 2
それを指示していたのは実はキイチロウさんだったっていうのが後々聞いて
ただお酒飲んでただけじゃないと素晴らしい
スピーカー 1
考えると
スピーカー 2
いやでも本当に先を見る力がすごいな
スピーカー 1
すごいんですよ
多分なんでそうかっていうことはきっと誰にも言ってないんですよ
スピーカー 2
これしまっときなさいって言われただけだと思います現場の技術者
でも全部つながってるっていう
スピーカー 1
あの戦争の最中っていうのはパナソニック編でもやりましたけれども
電気の会社が飛行機作れとか船作れとかみたいなことを言われ続けたと思うんですけども
当時の松下電気産業っていうのは民主製品を作っていますと
一方でトヨタ自動車っていうのはトラックっていうのは軍需品にもなるので
そういう意味で産業としては違うんですけども
戦争の時っていうのは通常と違う国の指示によってですね
やらなきゃいけないってことがたくさんある
でもその中でも当時の人たちっていうのはできる自分の能力をですね
最大限に発揮してやってきたっていうのが
なんかちょっといろいろうかがい知れるエピソードっていうのがいくつかあったので
今日は紹介させていただきました
ビジネス環境と次回予告
スピーカー 2
すごいですね
今これを聞いている多くのビジネスパーソンの方が戦争を知らないというか
その仕事をする上で戦争みたいな大きなもちろん災害とかそういうことはあるかもしれないですけれども
そういう世の中がすごい動いている状況の中で大きな力があるってことを
ある意味制約だったりでもそこにチャンスがあるみたいなところですよね
なんかそういう状況の時代だったのに
すごくそこを先を見てるなという感じはしますし
どうしても昔の方がなんかいろいろまだね
要はライバルも少ないし情報も少ないから
なんか勝ちやすかったのかなと勝手になんか想像してましたけど
全然そうじゃないですよ
スピーカー 1
今よりなんかビジネスが静かに大変ですよね
全然理屈じゃないですもんね
スピーカー 2
だからその状況の中でできてきたっていうのがすごいなっていうところで
なんかそういうこともなんかちょっと今回感じましたね
スピーカー 1
ですね
スピーカー 2
はいということでですねいよいよカツミさん次回最終回というところでございます
今回はここまでというところで
ぜひ次回最終回もお楽しみしていただければと思います
2番Kナンバー2の引きこもごもここまでお聞きいただきましてありがとうございました
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ここまでのお相手はしだれゆうすけと
スピーカー 1
かずみやすいででした
ありがとうございました
32:18

コメント

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