自信につながらない原因:自分で選んでいないこと
どうもこんにちは、Moです。おはようございます。こんにちは、みなさんお元気ですか。
えーと、ご無沙汰しております。 あの毎日ね、これを配信するっていうのはね、やめてから、それでもなんか、まあね
いろいろありまして、時々ね、あのマイクに向かっては見ているものの、なんか
やっぱりね、毎日続ける人やっぱすごいですよね、とか思います。はい、ということで今日はちょっとあの
ちょっと今時間があって、他のことやらなきゃいけないんだけど、なんかこれだけちょっと残しておきたいなと思ったので
あの話してみたいと思いますが、あーだから自信につながらないのかということで、えーとどちらかというと私は見えない何か、あの見えないというか
あの根拠のない自信があって、で、そういうふうに周りからもよく言われることがあるんですけど
やっぱりなんか自信がなさそうとか、なんかそういうことで悩んでいらっしゃる方とかの話を、まあいつも
いつもというかよく聞くことがあるんですけれども、なんかその自信がない人たちの判断っていうのはですね、自分のことをこうなんか
信じられないっていうことだと思うんだけど、あのそういう人たちがそれぞれにしている判断とかのことをよくちょっと深読みしてみると
あの結局、自分で選んでない、自分で選んでないけど、あの
自分で選んでないから何かがサクセスフルに自分がなんかいい感じに終わったりとかなった時も
なんかその、その時その時で自分がやった感じができない、あの感じを持てない
意見交換と成果:日本での経験との比較
っていうことなのかなぁとか思って、なんでそれを気づいたかというと、あのやっぱりこうね、いろいろお話ししていたりとかする人の中では
あの私も、それは、なんかその人が言ってることが、なんか私とは違う意見だった時に、それ違うんじゃないとかっていうわけなんですけど
まあその近しい人とか、あとはまあ必要だったりする間柄であればですけどね、あとまあ仕事のこととか
なんかこう何かをやり遂げなければいっしょにね、やり遂げなければいけない場合は、そういう話を自分の意見交換
意見をね、交換したいので、より良いね、あの
なんていうの、成果が出るように話をするわけじゃないですか だけどそのスタンスが、なんかやっぱり違う人がいるわけですよね
だから言いたいことを言い合って、その中から、あの まあそれブレインストーミングとかで本当に会社のプロジェクトとかやる時って当たり前なんだけど
何でも言える場所を作って、そこからベストな案をみんなで構築していくみたいな、そういうのっていうのは
私にとっては当たり前だと思うんだけど、まあそれがね、なんかやっぱりそれがちょっとね、私も日本にいた時とかだったら
やっぱり言いたいことを言っちゃうと、その言った人が声が大きいみたいなことを言われて、その意見が通っちゃうとか
あとは煙たがられるとか、そういうことがあるんですよね
でもみんなが違う意見があって、その中でベストのことをこう
あの、すり合わせていって、それでみんなが一応、まあ全部納得しなくても、そちらの方に向かっていくっていう気持ちが一つになった時に
何かやっぱり良い成果というか、みんながハッピーな成果になると思うんですけど、そういう部分を通り越して
他者の意見に流されることの弊害
通り越して、自分のなんかこう、なんかもやもやのところも言わないで、その場所があったとしてもね、話し合う場所があったとしても言わないでとか
あんまりそれが、その時はピンとこないで、過ごしてしまったからと言って、その後で出てきた成果を
ああ、俺はとか、僕は、私は、あの時に別に何も言わなかったし、そういうふうに
そういうふうにしてほしいとも思ってなかったみたいな後で、そういうことをやっぱりこう思っちゃう人とか言う人がいるわけなんですよね
そうすると、まあ私とかはその時に、例えばそういう勝負なので、みんなが集まって意見を出し合わなきゃいけない時には
その時にあまり自分が分かってなかったとしても、その時の自分が一番いいと思うことはこうじゃないですかって言ったりする
そういうことをずっと若い時から多分してきたんですけど、だからどちらかというと
いろんな人によくよく聞いてみれば、あの時は声の大きかった毛さんが言ったから、それをそっちがいいのかと思って
一緒にやりましたと、それをやった後が私としては、例えばみんながなんとなくオッケーかなと思って言ったことが、もし失敗しちゃった時に
それはなんか声の大きかった私のせいになるんですよ、なるんですよっていうか、そういう傾向もありますねっていうことで
だけど残念ながら、そういった人たちにはないものっていうのが、私は自分でやってるというか、みんなも一緒に巻き込んでやってるっていう自分に対しての信頼があるので
失敗したとしても、それは失敗だったけれども、私のその大きい声がいけなかったのかとかって、自分ごととして反省もできるし、人のせいにはしないんですよね
だからそういうことで、そういうのを積み重ねてきたので、これは昔からあったことではなくて、根拠のない自信があるというふうに私はちょっと思っていて
自分で決断することの重要性
それはなんかまた目新しいこととか、自分ができていないこととかをやろうとした時には、また大丈夫かなとかって心配にはなるんですけど、心配になるし
あとはちょっと恐怖みたいなドキドキするとか、そういうのはもちろんあるんだけど、でも自分がいろいろ考えてきたことで、自分で決定したんだったら、それがどういうふうになろうと
その時に私が全て出し切ってたかどうかも分からないけど、そこで思ったことだったから、ああってちょっと失敗したら残念に思うし、成功したらその代わりにめちゃくちゃ嬉しいわけですよ
でもその時に一人でやってる感がないので、その周りにいてくれた人たちの一つ一つのいろんな言葉が思い浮かばって、あの時にああいうふうに言ってくれたから、そこでまた新しいアイデアができて、それで積み重なってできた成功だと思うので
周りの人たちにもめちゃくちゃいつも感謝するんですよね、一人でやれることではないので、その代わりそういう人に頼った時のやり方とかが間違ってたこともあるし、その代わり信頼を置いているので、そういった人たちが言ってくれたことをまずはどうしてそういうことを言ってくれるのかとか言うのかとかっていうのをじっくり考えて次の行動に移すようにすれば、
それは全部、もうなんかそれを自分が考えたということで残るので、自身につながっているんじゃないかって思うんですね。すごくだからショックだったのが、もういい大人になってね、やっぱり私もついきたいというかね、しちゃってるからいけないんですけど、あのもうじっくり考えるような方だと思うから、あのお話をしたことがあるんですよ。お話をしたというか、あの自分の意見をね、あの伝えたことがあるんですよね。
そしたら、こう2年ぐらい経ってからですね、あのなんかうるさく言われたから、祖父にしただけですとか言われて、えーっと思って、そういう関係性だったんだなぁとか思って、でうるさく言っちゃうほど、こっちもね、やっぱりこう近い関係だったから、いろいろ心配も、心配というか力になれればいいななんておこがましいんですけど、でもこうなんじゃない、ああなんじゃないみたいなことを、
こう思うよ、みたいなことを言ってきちゃうわけなんですけど、いやーそれ結構ね、この大人になってね、びっくりしましたね。それはね、あのうるさく言われたから、なんかそういう行動をしただけだって言われて、でその行動したことが私は見た目的に、
まあ外から目指してもらえば、その判断でよかったんじゃないかと、ああよかった、うるさいって言ったからって、そっちの方に行ってよかったなとかって、まあちょっと今はね、経過だからわかんないよ、その後どうなるかわかんないけど、まあいいんじゃないかなって、端から見れば思うんですけど、実際そのアクションを起こしているご本人自体が、うるさく言われたからやったっていう印象しかなかったとしたらですよ。
その判断は、うるさく言われたお前の判断なんですよ。
そのうるさく言われたからやったというのは、あなたの判断ですよ、お前というかね。
だけどその中身が、どうしてじゃあ私がそんなことをうるさく言ってたのかっていうことを、なんかあんまり考えてないわけじゃないですか。
そうしたら結局それがうまくいこうが、例えばその判断がよかったとしても、自分の自信にはつながらないじゃないですか。
だから自信がいつもないんですよ、そういう人は。
「うるさく言われたから」という判断の危険性
だから言われたから、人に言われたからやっちゃうなんていう判断は、本当に絶対しない方が良くて、信頼度にも関わるしね。
それでやっぱり友達関係で、あまり他では知られたくないようなことをいろいろ話したときも、もう次から勇気なくなりますよね。
私とかそういうの、例えば言われちゃったら、そんな大事な判断を私がうるさく言ったから、判断そっちにしちゃうっていう人に、もう怖くて言えないですよね。
その後はびっくりするんだけど、だから本当にね、いろいろ悩みとかもいっぱいあると思うんですよ。
みんな、私も自分も悩みというか、考えれば解決するとは思ってるんですけど、自分のことだったりとか周りのことだったりすればね。
解決と言わなくてもいい感じにはなるっていうのは、これも経験上かもしれないですけど、
時間が経てばとか、全く決裂する場合もあるけど、すっきりするじゃないですか。
幻会議とか聞いてらっしゃる方が、もしこれ聞いてたらね。
深井さんがよく、お互いあまりモヤモヤしてたときにきちんと面と向かって話して、
結局、それがうまく話し合いが同じ共感を持てなかったとしても、それはそれですっきりするっておっしゃってたの。
すごいわかるんですけど、一応それはね、決裂したとしても、そういう考え方なんだな。
こっちはこういう考え方だから、やっぱり共感できないなみたいなことがわかるだけでも、次の一歩かなみたいな。
そこで共感できない人間であるってことをお互いに分かった上での人間関係であったら、
すごいそれはそれでもうヘルシーなんじゃないかなとか思ったりするんですよね。
他者に言われたからやる行為の無意味さ
だけど一番、もうもったいないなと思った。
私は結構自分で解決というか、回すのが周りの方のおかげでできているので、
本当これも人事なんですけど、これちょっと気づいたのでね、ちょっと言いたくなったんですね。
誰かに言われたからやったっていうことはやめた方がいいと思うってことね。
なぜかというと、それが誰かに言われてやったことが成功した時も失敗した時も人のせいになるので、
自分には何も残りませんってことですね。
でもそれが時間をかけて、あの時にああいうふうに言ってくれたから、今の自分があるんだなとか、
そういうふうに思える日がくれば、私もね、
うるさく言ってたって思われてしまっているような私が行動してたっていうこともね、報われるかなと思うし、
報われるんですけど、報われるためにやっているわけでもないんですけど、
だけどその瞬間はね、今の瞬間は、私のこういう狭い世界の中で生きている自分の感覚としては、
うわ、大人になっても人に言われたからそっちに決めちゃうとかってあるんだ。
それは私の被害者妄想なんですけど、そんなことよりも大事なことは、
人に言われたからやったってことって、そのご本人のためには一個もならないよってことなんですよ。
自信につながる考え方
だから成功した時にまた僕、良い判断したな、よく考えて良い判断したなって思えるのって、
やっぱりその時にいろいろ周りが言ってきました。
例えばね、その人たちにも感謝っていうか、あの時違う意見を言ってくれたから自分がそういう判断ができた。
それをきちんと自分を信じてやれた、そういう自分がすごい良かったなって偉かったなって思えるっていう、
そういうところに繋がるはずなので、
ちょっとね、自信がないとか言ってる人は、その辺ちょっと人に言われたからとか、
人が言ってるからとかじゃなくて、自分に自信が持てるような考え方をね、
したらいいんじゃないかなっていうふうに思ったりしています。
はい、ということで、ただ本当にね、あのおばさんの大きなお世話話なんですけど、
ちょっと私的にはね、はぁ?とか思ったので、何言っちゃってんのこの人って思って、
もう二度とそういう人にはね、なんか言わないですね。
そういう自分の自己判断ができないような人には話しでしない、しない。
もう怖いもんね、人のせいにされ、こっちのせいにされたらね。
はい、というのはあります。
エピソードのきっかけと結び
えっと、ツイッター、ツイッターね、あのXの方で、
なんかそれの、それこれをね、言うきっかけになった投稿とかもなんかあって、
それを見て、あ、そうそうそうと思って、それを繋げて考えたら、
ちょっと今話すようなことになりました。
ということで、ではまた今日もいい感じの1日は、週末ですね。
いい週末をお過ごしくださいませ。またね。バイバイ。