1. 妄想ロンドン会議
  2. 第262回:どうしてこうなった!..
2020-02-07 1:13:09

第262回:どうしてこうなった!? 映画『Cats』レビュー

前略 トム・フーパー監督
次回作を、心から、期待しております…‼️(本当に!)

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"What's 妄想ロンドン会議?"

日本に居ながらロンドンカルチャーを遊び尽くそう!
オトナ女子ふたり(Miz&Sin)による、ロンドンニュース・英国Film/Stage/Drama/Book・英会話情報。神戸在住時々ロンドン。

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00:01
第262回妄想ロンドン会議を始めます。 水口です。清水です。よろしくお願いします。
今日はですね、2020年の第1回目の課題映画。 課題映画第1作について感想を
1月期の映画について話していきたい と思います。何ですか?1月の課題映画。
何ですか?ニャー。わかりました。あれですよ。 超話題作。キャッツ。
キャッツですね。ロンドン、ニューヨーク、 ブロードウェイ、そして日本で30年以上愛され続け、全世界累計動員数が
8100万人というファンを抱えるミュージカルの 傑作キャッツ。
桁が違う。これの完全実写映画化。 ということでね。
はいえっと まあまあまあ明るく行こう明るく。
何も言ってないのに。はいあの 監督トム・フーパー
監督制作脚本トム・フーパー。頑張ったね。 頑張りました。出演がジェームス・ゴーレンさん、ジュリー・デンチーさん、
ヤン・マッケランさんなど、 英国の名立たる俳優から、このキャッツで抜擢された
バレリーナさん、ダンサーさんなどなどですね。 というそんなざっくりとした紹介でございますけれども、キャッツです。
もう言わずと知れた ミュージカルの大傑作ですね。
そう、しんちゃん見たことあるんだよね。 小学校の頃にね、大阪に特設劇場があって、なぜか親が連れてってくれたね。
まあでもいいことだよね。そういうさ、舞台に。 多分なんか盲打たんやと思う。
あ、チケット? うん。 あーあるね。
で、見に行ったけど、記憶としては、にゃんこさんが飛び出てくる ゴミの山としかあんまり。でも
今日よくよく考えてみててんけど、なんかセットとか、よく覚えてたわ。 本当?
なんかイメージとして、あっち川にゴミの山があって、紙的川やったと思うねんなーとか。
その昔しんちゃんが見た、その舞台のキャッツっていうのを思い出したと。 映画を見ながらね。
見て、ちょっと今日改めてキャッツについて考えてた時に、 あーなんかその劇場の風景をとても覚えているというか。
なのでとてもまあ、あの幼な心に印象深くはあったんやと思う。 なるほどねー。
まあでもそんなことはすっかり忘れてて、思い出したのはあれなんですけどね。 教科書に載ってたメモリーやったんですけどね。
教科書に載ってたっけ? 私のところは載ってて、メモリー、あおぎみてつきよーっていうやつが載ってて、
03:08
あ、これキャッツの曲なんやって思ったのは覚えてる。 なるほどねー、そっかそっか。
あのちょっとさっきね、あまりにザクッとした紹介だったんで、今手元にパンフレットがあるので、もうちょっとちゃんとどういう作品なのかっていうのを紹介させていただいてもよろしいでしょうか。
お願いいたします。 さっきも言いましたけれども、
有名なミュージカル。 これがですね、元々はTSエリオットさんという詩人の方の詩集が元になってます。
なんとノーベル文学賞の受賞経験を持つイギリス代表する詩人の方だそうですね。 詩なんだね。 そうなんです、ポエムね。
それが元になっていて、アンドリューロイドウェバーさん、オペラ座の怪人などで有名ですね。 ジーザスクライスとスーパースターとかね。
傑作ミュージカルを数々生み出してこられた方ですけれども、作曲を手掛けまして、
そしてキャメロン・マッキン・トッシュさんね、レミゼラブルなどの制作で有名なんですけれども、彼がプロデュースを手掛けた
ミュージカル、本当に大人気の作品なんですけれども、これがもう遂に実写映画化されるということで、監督が
英国王のスピーチ、そして先ほどもキャメロン・マッキン・トッシュさんが制作したと言いましたけども、レミゼラブルの映画化。
でですね、もう本当にこれもね、実力派ですよ。
の、トム・フーパー監督。 ここまで聞いて期待値大。
めちゃくちゃ期待してますよ。 超大。 しかもね、
今回のこのキャッツ、振付、ミュージカルなんで踊ります。 しかも結構なダンスナンバーがあるんですけども、毎回ぐらい踊るんですけれども、その振付の担当者。
なんとあの、 最近では大ヒットミュージカルハミルトンね。
お話題になったよね。 近年稀に見るヒット作と言われた。
その作品の振付担当されてたアンディ・ブランケンビューラーさんが振付を担当されていると。
もう世界トップレベルの人たちがですね、集まってます。
それでこの役者さんね。 これもいろんなところからやってきてます。
なんかね、多岐に渡るというか、得意技をみなさん引っ下げて参戦って感じだったね。
今回ちょっと狂言回しというか、主演と言ったらいいのかな。
あの観客の目線を務めてくれた白い子猫ですね、のヴィクトリアさん。
彼女、抜擢されましたのが、英国ロイヤルバレー団でプリンシパルを務めていて、
06:02
かつ本作が映画初出演となったフランチェスカ・ヘイワードさん。
そしてドリームガールズで賞賛を見ました、ジェニファー・ハドソンさん。
これがね、さっきしんちゃんが言ったメモリーの歌ね。 これを歌うグリザベラ役。
抜擢されてまして、さっき名前挙げましたけれども、
ジェームス・コーデンさん。コメディアンですとか、司会者としても人気で、私たちも大好きな役者さんとしてね。
SKⅡのCMに出てたりするよね。
最近出てる。どういうこっちゃ。
なんで?
SKⅡの方が有名かもね、最近の日本では。
渡辺直美さんとね。
そうそう、あと彼女と、キッカースのさ、あの子。
ジェニファー…
違う違う違う違う、今名前忘れた、あの女の子と一緒に出てるの。
あ、えっと、クロエ・グレイス・ムレスちゃん。
その子です、その子です。
あと、音楽界からもね、テイラー・スウィフトさん。
はい。
でもね、ちょっとね、猫の様相をしてるから、なかなか気づきにくいというか。
ドライダーって思った、ちょっとね。
でしょ。
もう出てますね。あと、ジュリー・デンチさん。
そして、えっと、イアン・マッケランさん。
はい。
などなどなど。このね、ジュリー・デンチさんはね、もともと初演のキャッツにオファーされてたんだけれども、
なんか体、なんかちょっと悪くしてたとかで出れなかったかな。
えーとね、足の怪我かな、全体傷められたかなんかで、ちょっと、血上っては言わないな。
血上…事態?
うん、事態されたとかで、まあだから、曰く因縁、そこにもあるよねっていう。
そういうところではあるよね。
そうですね。
なので今回長老役。
そう、なんか、予報役みたいな感じでね。
満を持しての長老役。
で、あとは有名なところだと、イドリス・エルバさんね。
マッキャビティっていうちょっとなんか悪者役をされてましたけど。
美味しそうと思うのは、あれはマクビティね。
あ、えっと、そうだね。
チョコクッキーね。
マッキャビティです。
マッキャビティ。
ランさんが劇場猫ガス。
はい。
確かにいい役でしたね。
いい役なのよ、あれすごい良いのよ。
大好き。
っていうのがですね、
そしてこちら、一生に一度、一夜だけの奇跡が起こるというね、キャッチコピーの下、この素晴らしいパンフレット。
すごくない?これ。
豪華版やね、なんか。
880円でこんなにいっぱいね。
プロダクションノートまでね、たっぷり字もあってね。
めっちゃ読みどころ。
すごい読みどころがたっぷりありました。
そうなんですよね。
っていうね、キャッチを見てきたので。
はい。
そうだね。
一応、どうしよう。
何から話したらいいのかな。
もう正直にぶっちゃけ行こうよ。
そうですね。
09:01
いつもながらなんですけれども、
私たちはネタバレ。
ネタバレって言ってもストーリーないからにゃ。
いちいちニャーを挟んでくるのはやめていただけないでしょうかにゃ。
猫だからと言ってにゃ。
お気になさらずにゃ。
そうです。
はい。
私たちの視点でね。
いろんな評判っていうのが
見る前から
たくさんあって
できるだけ私はそれを見ずにね
まっさらな気持ちで見に行こうと思って
見たわけなんですけれども
そしてその
英国映画大好き
映画大好き。
舞台はロンドンなのでこの話のね。
むちゃむちゃロンドンやったな。
全然知らんかったけどそれは。
え、そうなん?
多分ね、式番って
だいぶ改編されているらしくって
ロンドンっていう
キーワードはなかったみたい。
地名とかは一切出てないっていう話を
聞いたことがある。
街角の
ゴミ捨て場みたいな感じだよね。
ゴミ捨て場っていう設定でやってたみたい。
今回は本当に
ピカデリーサーカスから
始まり
あそこでね
ホラハルガニスクエアで
終わるという
超絶ロンドンな
地名もいろいろ出てきてた
全部ちょっとキャッチアップできへんかったけども
出てきてましたね。
これは実際にあるところなのかな
とか思いながら
時代はちょっと古く見えたので
そう
だいぶ古く設定したって書いてた。
エジプシャンホールがある時代
だからね
多分その詩が書かれた時
とかかな
みたいなことを
プロダクションノートに書いてあった気はします。
なんですが
そういうキャッツをね
巷にね
いろんな評判も出てますので
わざわざ
私たちも
それと同じようなことを言いたいつもりは
それはそれ
これはこれ
聞いていただければ
私たちの視点なので
お気に召さない方も
たくさんいらっしゃるかと思います
ただ
バリゾーゴンを許しください
怖っ
はいというわけで
包み隠さず
私たちの感想をお話ししたいと思います
なので知りたくないよ
という方は
スイッチオフで
お願いしたいと思います
スイッチオフ
なんだよ
しんちゃんがスイッチオフしてるよ
よろしいでしょうか
ここからの皆さんは
ネタバレどんとこいの方たち
そして
バリゾーゴン
どんとこいの方たちが残ってらっしゃると思います
思いの丈をね
12:01
ぶつけさせていただきたいなと思います
ここまでの11分間ぐらいでね
どんだけ期待値が高いかっていうことを
さんざっぱらお話ししてきたわけじゃないですか
めっちゃ期待してた
もうこのままだったんですね私
トムフーパーがキャッツを撮る
キャッツトムトム偉い
っていう情報だけで
しばらくお預けくらってて
いつかな早く見たいなと思って
まず予告編が解禁されました
あっされた
映画館で私は初めて見て
キャッツ
はぁってなる
その見た目がね
見た目というか
こうくるのって
なんとなくトムフーパー監督
というところで想像していたもの
ではなかったところで
来たので
なんかあの
アニメまでとは言い切れないけれども
コンピューターグラフィックスを
多用された
なんかトムフーパー監督の
リアル思考
今までリアルな感じが多かったから
あっトムさんらしくないな
っていう
手触りの切り口の
作り方ではあったよね
ぶっちゃけキモかったんすよ
そうかそうか
リアル
すぎてという
表現ではないんやけど
奇妙だったよね
リアルによっていくとここまで
非リアルになる
ものかと
そうなんか私ね
最初
30分と言わず
40分くらいまで
なんかもう
全然世界観に全くなれなくて
でも
なんかねどんなに
最初の見た目が
受け入れられなくても
映画を見ていくうちに
物語を味わっているうちに
だんだんだんだん
例えばその
ぱっと見一般的には
ブサイクとか見にくいと言われるものが
映画を見ているうちにすごく愛おしく
感じてきたりとか
可愛く見えたりとかってあるじゃない
かっこよく見えたりってさ
あるんだけども
今回のやつも
どういう見方をしていいのかがわかんないっていう
自分の中の
これまでの経験が邪魔をしているのかもしれない
人生経験がね
果たして今この私の目の前で
動いているこの物体は何なのか
っていうのがしばらくわかんないまま
その質感
毛感っていうんですか
毛感
ご覧になった方は
もちろんわかるかと思うんですけど
キャッツね
ミュージカルのキャッツが
元になっているので
ミュージカルのキャッツっていうのはもちろん
人間が猫を演じていて
その猫を演じるために
猫メイクをしたり
猫の毛皮っぽいイメージの
衣装をまとったり
あとそのお耳をつけたりとかね
しっぽもたぶんついてましたな
結構その
15:00
割とあの
舞台ですって感じの
着ぐるみまではいかないけれど
着革で作った
レオタードみたいな感じ
全身タイツ
毛板って感じ
もちろん体の構造は
人間なんだけれども
その人間が
舞台という
リアルででも非日常な空間で
どこまで
猫の
様子に近づけるか
どこまで猫を表現できるか
作り方としては
決して猫を演じるからだと
言ってずっと四足歩行ではなく
二足歩行で
もちろんバレーも踊るし
タップも踏むしみたいな
人間としての動きを取り入れて
要所要所で
手で顔を洗ってみたり
猫仕草的なことね
猫っぽく座ってみたり
っていうのをポイント的に
使っていって
駆け離れたものではないけれど
なんかね
デフォルメされたって
もう
これはファンタジーなんだ
舞台の上で想像力で補ってみるものなんだ
っていう
作り方をされているように見えるんだけど
今回のものに関しては
どこまでもリアルを追求したがゆえに
毛とかもすごい
顔からナチュラルに猫毛が生えてるやん
生えてた
なんか
なんか不思議なんだよね
猫でもなければ
人間でもないっていうか
なんだろうみたいな
顔は人間やねんけど
鼻だけ形が違って
そこで毛がふわーって生えてくるから
猫メモリと人間メモリがあってさ
メモリね
メーターねメーター
フェーダーで操作できるとするじゃない
私が求めていたものよりも
フェーダーの位置が違った
ミックスの位置が違った
はいはいはい
なるほどね
そうだね
まあ
そうね
なんか私の今回の
一番結果
結論
結論いこう
なんか
キャッツという舞台を通して
猫の世界を見るんだけど
それを表現する
人間ってすごいって思いたかった
あー
でもそれは舞台を見た時に
きっと
みんなが抱く
うわー猫だってなるんだろうな
って
この猫を演じている
人間がすごいみたいな
感想を持ちたかったんや
感想を持ちたかったんやろうな
と思って
なんとなく
ただそれが
あのトムフーパー的に
私が意外やってんけど
その
身体の
身体
装飾的表現
18:00
以外のところでもCGを対応されていて
例えばニャンコさんが
ジャンプをするっていうのも
全部CG処理をされてた
そうあのね
重力
狂ってた
ので
なんかねその
本来舞台で
生でジャンプをして
もらえたら
すごく感動すると思うの
飛距離がなくてもね
なくてもです
だけどどんなに高く
その映画の中でね
ニャンコさんがその体を使って
舞い上がったとしても
あーって
何のその感動も
私は抱かなくて
むしろなんかそれもやっぱり
気持ち悪かったので
トムフーパーどうしたんやろう
ってすごい
思った
ワイヤーで飛んでるみたいなのが
もう見えてしまう
覚えてですかみたいな
ワイヤー残そうだったらぐらい
ワイヤーを使って
飛び移ればいいやんってロープを使って
飛び移るっていう表現にしてくれれば
全然納得するのに
ちょっと遠い距離にある壁に
ニャンってしがみつこうとするっていうのも
ピャヒューンって飛んでって
直線で
そうなんだよね
英国ロイヤルバレエのね
プリンシパルの方をね
抜擢した
えそれどこに生かされてたんやろ
って
そういうダンスシーンの作り方
だから
全てのシーンを
毛の処理だったり
背景の処理だったり
肉体の動きも処理されているから
ダンスが全て嘘くさく
見えて
細抜きしてるみたいに見えちゃって
多分一番の問題はね
CG使ってるよね
とか
ワイヤーとか
使ってるよね
なんか
そういう
ことを
見てる私たちに感じさせてしまうのが
問題やと思うよね
使っててもいいと思うね
CG使ってても
ワイヤー使ってても
でもそんなことを感じさせずに
楽しませてくれる
映画ってたくさんある
これCGやったんみたいな
ナチュラルな使い方ももちろんあるし
アベンジャーズの世界観だったら
あれは全部CG
分かりきってる
あんなことできへんもん
割り切ってその世界観を楽しむことだって
もちろんできる
CGをすべて排除したいと思ってるわけではない
それが
あかんって言ってるわけでもなくて
今回の猫の造形も
筆舌に尽くしがたい
言葉では表しきれない
奇妙な猫の
造形を
されてるんですけれどもね
それにも別にその手法が間違ってた
って言ってるわけじゃなくて
21:01
その手法を使ってでも
それが物語的に
映画作品的に
私たち見てる観客にね
私たちって主語を大きくしたって申し訳ないな
この場合は私らね
私らしんちゃんと
私が見て
でもっていうか
それが素晴らしいなって
思わせてもらえるものやったら
全然かまわないというか
大歓迎というか素晴らしいなやっぱり
映画化してよかったなって
思えたと思うんだけど
今回はなんかおそらく
あの制作人の方たちがね
アトムフーパーさんヒット音してね
やられたこと
なんかこういちいち一個一個が
全部その
見てる私としんちゃんの頭の中にね
ハテナを
こう抱かせるものだったんじゃないかな
って思うの
生涯でしかなかったよね
そう
いや本当に私もね
感想が
言えなくて
というかこれ絶対
レビューするって決めてから見てるから
もちろんどんなにつまらなくても
途中で出ていくことないし
寝ちゃうこともないし
すごくしっかり
一個一個のシーンも
ここが良かったそこが悪かったみたいな
言えるようにと思って
一生懸命見るじゃない
お金払って見に行ってるし
もちろん楽しんで帰りたいって気持ちもあるじゃない
でもなんか見ながら
なんかその
このシーンは
これなんなんみたいな
なんかどんな映画でも
面白いんだったらなんで面白いんだろう
つまんないって感じるんやったら
なんでつまらんだやろって
考えながら見てさあこうこうここだからだな
ここは私は
こうしてもらった方がきっと楽しめたやろな
って思いながら見るやん
前回もなんか全然それが
なんかもう分からんくって
え私これどう
どう見たらいいんやろって
最高の最高まで分からんかった
なんか
想像力が入り込む
余地がなかったのよね
そう分かる
映画というものはさ
そもそもアハーシをするけどさ
映画と舞台の
大きな違いっていうのはさ
私はその
舞台は
観客の想像力
観客を
得てして
完成する芸術やと思ってて
得てして
観客を
得た状態で
観客が入った状態が
完成形
観客が入ってなかったら
舞台って
完成じゃないよね
分かる分かる
観客の拍手が必要とか
お客さんの
客席を物理的に埋めることが
必要って言ってるわけじゃなくて
そのお客さんの想像力
というエッセンスも
立派にちゃんと
演出の一部として
24:01
あるっていうのを大前提に
作られてるから
極端な話
パントマイムとかってそうじゃない
何かを持って
重たいよってパントマイムされてて
お客さんがパントマイムをやってる
分からない方としても
そこに鞄が見えれば
そのパフォーマンスは完成する
ただ何も考えずに
何してんのあの人腰でも痛いかな
って思ってしまったらその作品は
未完成のまま終わる
対して
映画というのは
映画は記録
舞台はその場で起こること
リアルに
映画は記録やから
極端な話お客さんが
誰もいなくても
映画というものは作品は
完成はしてるんだよね
だからその
もちろん映画を
見ている私たち
私しんちゃん
観客は
見ながらいろんなことを考えたりとか
これってこうなのかな
って思ったりするんだけれども
あの
見る人が変わることによって
映画そのものが変わるわけじゃない
それはもう撮られた
過去のものであって今起こっているもの
ではないから
逆にね
キャッツっていう舞台
舞台というか作品はもともと
詩をもとにして
作られたミュージカルで
もうお客さんの想像力
めいっぱい使って
フルに楽しむ舞台っていうのを
映画にするっていう時点で
映画を撮る人たち
こういう人たちっていうのは
お客さんの想像力の部分
っていうのをね
求めてはいけない
と私は思ってた
私はね
なかなか難しいなと思って
その想像力をもって
完成する映画作品
っていうものを作るのって
難しいだろうな
でもそこが
舞台キャッツの一番の
楽しみどころではあるから
じゃあ
映画版キャッツっていうのは
どういう見せ方をしてくれるんだろう
っていうワクワクが
見る前の
私の気持ちであって
でさっきの
しんちゃんが言ってくれた話に戻るけど
想像力ね
想像の余地なかった
いや
そうだったねって
私もすごい思った
それはそうだよね
だって映画だもんね
難しいよねとは思うの
でも
でも製作人たちは
その難しい
映画フォーマットの中に
さあみんなほらここだよ
ちょっとみんなの想像力を
今出すんだよみたいな
妙なねタイミングっていうの
いくつか出してくるやん
それを提示されるたびに
私は
27:01
それ無理無理無理無理
私ここでその想像力
使われへんって
そういう対話をね何回か
映画としたの
わかる?
過去のことを語るとか
っていうシーンもいくつかあるやん
例えば劇場猫ガスだったり
グリザベラ
とか
長老さん
バーソロミューみたいな
名前ね
よしここにあるぞ
グリンデルバルド
グリンデルバルドさんは違うよ
オールド
オールド
ジュトロノミーさん
ジュトロノミーさんが
伝説の猫なんだって
99回生まれ変わったんだって
そういう設定になってたからね
で言ってたりとか
劇場猫ガスが若い時に
こんなことやったんだ素晴らしい
体験をしたんだとか
でじゃあ映画にしかできないこと
って言ったらそれのフラッシュバックを入れるとか
そこよ
グリザベラが私はとても美しかった
みんながあんなに美しい猫だったんだ
って言ってるんだったらそれを
少し
それこそCGを使って
それを想起させるような
シーンを入れてくれる
であればいいな
と思ってんけど結局それはしない
セリフで語るまま
でも舞台
で歌うシーンにしても
この劇場の中で歌った
ダンソールかの中で歌ってる
シーン
違う場所を想起させる歌を歌ってるのに
その中で歌ってる
でも鉄道猫さん
はいはいはいはいはい
鉄道猫のスキンブルシャンクスさんかな
うん
彼が
歌う時だけはバーって線路に飛び出していく
でずっと
そうなんかそれ
結構よもうなんか
なんか世界のルールが
その世界のルールが
ぐっちゃぐちゃやった
じゃあその歌をなるべく
具現化して
ショーアップする市内に
関わってくる問題やから
微妙やと思う入れすぎたら
多分嫌悪感になるんだけど
でもそこまでもね
鉄道猫が
線路で踊れるのであれば
ほんとそうだよガスやってさ
昔のことをさ歌っててさ
なんかその時のね
劇場の様子とかって
こんなことやったんだとかって
見せてほしい
とかその長老が
村を今あんな風に
日向ぼっこしてて
伝説の猫って呼ばれてるの
教会で日向ぼっこしてて
年に一度だけやってくるんだって言ったら
その旅路読みしてくれるとか
その教会の窓辺で
さあ行こかってにゃってのびをして
出発する様子が見たいなって思って
そうだよね
このキャッツっていう作品は
私ほんとにね
30:00
ほんとに何も知らないままで
見に行ったから
そういう作品だったんかって初めて
知ったんだけど
ストーリーとしては
一年に一度お祭りがあって
生まれ変わるため
より良い人生を得るために
ジェリクルキャッツか
キャッツを選ぶっていう
一年に一度のお祭りに
猫たちが集まってきて
私を選んでくださいってご自慢大会をする
たったこれだけの話です
それぞれの候補猫たちが
私はこういう猫です
っていう歌を
みんな自己紹介ソングが
延々続くっていう
多種多様な
最後の歌でもあったけど
人間に通じるような
ほんとにみんな個性がある
人間的な猫たちなんだよっていうのを
太っちょの猫がいて
泥棒猫がいて
悪い猫ももちろんいて
っていうのをどんだけ魅力的に見せていくか
っていうダンスナンバー
歌が
延々
続いていく
めくるめく世界が変わっていく
猫の視点それぞれの
歌を楽しむ
ほんとに
娯楽作品としてよくできたものだな
と思うんだけど
それも舞台の話やん
私も見たけど
ほとんど覚えてないので
語る資格はないと思っているので
でも私こそ
全く見てないけど
そういう作品か
っていうのを知って
かつこれが全世界で
長いことロングランされてて
人気があるっていう
その客観的事実だけで
これはきっと
本当にケレン見あふれた
猫の世界の
物語はないけど
でもその世界観だったりとか
リアルな
ファンタジックでも
どこかリアル
何かこの歌が
お客さんにすごく刺さるとか
楽しいなぁ
それぞれの猫に
すごくファンがついていて
っていうのもすごくわかる話だし
映像作品としてね
スクリーニングのやつ
今アンマープラの中にあるのかな
そうなんだ見れるんや
私見よう
私もそのためにアンマープラ入ろうかなと思った
入ったらいいじゃん
私見たいなと思ってね
YouTubeで色々
ブロードウェイとかの
トニーショーとかの
受賞の時のパフォーマンス見たりとか
予告とか
劇団式の見たりっていうのはチラッとしたんだけど
あるんだね見てみよう
ただそういうさ
少しの映像を垣間見ただけでも
世界観っていうのがすごくわかるし
これ面白いやつ
舞台として面白いやつやなってのは全然わかってた
この人鉄道猫この人ドラゴン猫
ってすぐにわかるようになってるし
その個性を競い合う映画なんだ
って
そのシーンのカラーを
舞台ね
33:00
楽しむものなんだ
っていうのがわかんねんけど
今回そこもすごくシームレスで
私ねその
ストーリーっていうのを
一応ストーリーないとはいえ
設定か
設定を理解するまでに
40分くらいかかってんよ
わかんなくてこれ何してるんやろう
と思ってね
一番最初にね
ゴミ捨て場
ゴミ捨て場っていうか
路地裏ね
のところに
子猫が捨てられて
袋に入った
でそれが出てきて
じゃあ周りにいっぱい猫ちゃんたちがいて
わーってなんか
ジェリクキャッチャッチャッチャッチャッチャ
って警戒のナンバーが始まって
猫たちが歌を踊って
これオープニングやなと思って
で次
のシーンね
どうなるんかなと思ったら
また違う場所に移動して
また踊ってると思って
これストーリーどういう話なんやろう
と思いながら
家の中に入った
また違う猫が出てきて
また踊ってるけど
これ何と思って
ずーっとそれで
歌詞だったりが
わりとちょっと詩的な感じ
クエミックな感じで
描かれてるから
なんか
一年に一度の
舞踏会お祭りの日だった
ジェリクルって
何やろうって未だに私よく
理解してないんだけど
ジュエルとミラクル
を重ねた
造語
かなっていう解釈が一番多いかな
よく分かんないんだけど
光輝く猫みたいな
どうやらなんか
ちょっと宗教的な感じ
にね
長老様どうか
私を天に
登るにふさわしい猫に
指名してくださいみたいなことを
どうやらそのために
みんなは歌ってるのか
っていうのにやっと気づいたのが40分目ぐらい
それが
分かんなくて
分からなくてもね
面白い作品って
シュールでも面白い作品って
星の数ほどあって
だから分からないことが
だからちょっとこの作品
ダメだったんだよねとはもう全然
思わないのね
けど
何を頼りに見てるのか全然
分かんなかった
舞台本ももっとその辺はさ
感覚的に理解できるもの
本当にそうやねんけど
シーンがもっと
パッキリ
入れ替わるというか
次私の番みたいなのが
コーラスラインみたいに
私の歌を聴きなさいとか
次は私が
歌ったよみたいなのが
ちょっと感じられた気がすんねんけど
今回それが
36:00
カメラの移動のせいなのか何なのか
焦点が変わるだけで
全部同じナンバーと言っても
いいんじゃないかみたいな感じの
印象の違わなさを感じて
しまって
歌って踊ってる猫が
同じやから
周りの猫たちはね
同じやからそうなんかもしれへんねんけど
あんなに色とりどりの歌を歌ってるのに
なんでこんなに
メリハリがないんやろ
それもだから
トム・フーパー監督アップを多用されるから
監督として
認識してんねんけど
だからなのか
フォーカスの当たり方が甘い気がして
各シーン各キャラクターに対しての
だから
私のターンの私に当たってない
当たってんのグリザベラぐらいかなと思ってんけど
グリザベラもそこまで
なんか
グリザベラは当たってたよ
シーンとして物理的に当たってたんだけど
でもそこで
いきなりその撮り方その歌われ方
その表現の仕方を
されたとて
私たち何の前情報も
グリザベラに関してないから
ちょっとも共感できないんだけどって
私思いながら
周りの歌で
元々の設定は
娼婦やったのかな
高級娼婦やったものが今は落ちぶれている
女優っていう設定になってたけど
元々は娼婦だったのか
ある設定の問題か
よくわかんないんだけど
美しい猫だったんだ
でもあんなにほら
落ちぶれてたっていう歌で
解説してるんやと思うんだけど
あんまりその歌も入ってきてないから
かわいそうな猫なのは
わかるけど
ぐらいで
その設定は理解してて
今どういう風に
かわいそうなのかっていうのが
ただ一人で歌ってるだけで
周りの人から
人じゃない猫から
どういう扱いを受けてるとか
そういうのが
舞台でも別にそんな説明なかったよ
それまでやねんけど違うねん
映画ではそういうところって細かい
ほんのちょっとのカットでもいいから
そういうのが
積み重なって
私の心を感動させてくれるはずないの
でもなくて
センターにいるものと
その時々で
ずっとモブの猫ちゃんたちも
もちろんいるけど
センター張ってる猫も
モブで踊るとかっていうのがあって
舞台は
照明なりなんなりで
フォーカスを当てることもできるし
周りがザーって引けば勝手にその猫に
フォーカスが当たるしとかっていう
メリハリつけれると思うんだけど
映画でやってると
どのフレーミングにしても
リアクションがあるかって言ったら
そこまでないし
本来それをちゃんとカメラワークで
やらないといけなかったのに
なんかもう
すごい
意思があるようでない
カメラワークっていうか
記録映像ですかみたいな
39:00
スクリーニングって言われたら
納得するんかなとも思うんだけど
それにしてはさ
リアル感ないし
迫力ないし
いい曲ばっかりのはずやのに
なんか
映画館が悪いんかな
ノリノリの曲ばっかり
やねんけど
その役者さんの歌い方で
例えばその劇場が
猫ガスの歌も
もっと私の中では歌い上げる
印象やねんけど
イアンマキランさんは
お年寄りでしか歌えない
トストスと語るみたいな
歌い方をされて
もう声を張り上げて
声量とかじゃなくて
上巻のみで語る
っていう歌い方をされていて
それはそれで見せ方として
素晴らしいし
その楽曲だけ聞いたら
正直泣けるよ
めっちゃいいよって思うねんけど
あの物語の中だけで
あの物語の中で聞いてしまうと
なんか印象が一個
うすらぼんやりしてしまう
すっごい頑張って集中しないと
聞いてられんかったし
見てられんかったよね
こんなに疲れる映画
見たんほんと
20年ぶりじゃね?
っていうぐらいの
なんか
わかってるのに
わかんないんだよね
その名作キャッツっていうのが
邪魔してるかもしれへんけど
自分の想定のところ
映画というフィルターを挟んで
さあどう見せるか
胸も開いてるわけじゃない
何なら
あれですよ
さあ今から思いっきり笑いに行くぞ
って思いながら
吉本新喜劇に出かけていく
大阪っ子の
この心情ですよ
めちゃくちゃノリはいいよ
もうさあ来いキャッツと
トムフーパーさあ来たみたいな
気持ちで言ってんのに
なんでみたいな
なんで一回もボケてくれへんのみたいな
あのギャグなんでやってくれへんのみたいな
わかる?
ポコポコヘッドみたいやん
そう
そうなのよ
すごいその感じなんだよね
曲はいい
でもノリキラ
ダンスはいい
でもどこか目が滑っていく
滑る滑る
目が滑った
身も目も全部滑ってた
映像処理で
動きも全部
ヌルヌルして見えて
そうだね
片思いはなんか
不自然な
視点のチェンジ
特にどこのシーンやったかな
追加になった新しい歌を歌ってたとこなのかな
主役っていうか
彼女も主役じゃないんだけど
今回のね
舞台版を映画版に
変換するにあたって
視点役を一人中心に
どうってことでヴィクトリアちゃん
42:00
っていう猫ちゃんがいるんだけど
彼女もだから下手に
主役なんやと思って見ちゃったから
何も物語しなかったからね
だからこの子が
この子を中心として何かが起こるんだ
と思いながら見てたから
何も起こらんしっていうのに
気づけへんかったっていうのも
不満のポイントではあるんだけど
置いとくとして彼女がね
路地裏でさ
歌う新曲かな
あそこが
3方向ぐらいから
彼女の
彼女っていうか
ヴィクトリアという猫ちゃんを
カメラがパンって捉える
歌ってる
今度はこっちからパンって捉える
そして正面からパンって
撮るってなるんだけど
大きさも変だし
これ
なんなんみたいな
同じ位置でただ
それは演出だと思うけど
ただ棒立ちで歌うっていう
そこのシーンも
すごいなんか
カメラワークが気になるって
これよっぽど
邪魔っていうか本来気にならへんはず
気にさせたら負けやん
作るはず
よっぽど素晴らしいカメラワークだね
っていう時以外はね
だってその
絶賛されたね
ララランド
ですら
カメラワークで話題になりましたけれども
ですらちょっと
鼻につくっていう
これはでもちょっとお客さんに
はいここワンカットやでと思わせたら
負けやろみたいな
そういう表も
あったぐらいで
それだけやっぱりカメラ
視点の切り替えっていうのはデリケートなものやし
そんな頻繁にね
お客さんに気にさせたら
あかんやろって私は思うんだけど
思うんだけどね
けどもうすっごい気になって
懐かしのさイマジナリーライン
ありますね
あの
視点の境界線を超えてはいけないというか
左右が逆になってはいけない
とかね
だから
例えば私としんちゃんが
私が右で喋ってて
しんちゃんが左で喋ってる
ってなった時に
二人一緒に写っている時
その時にしんちゃん一人を撮る時に
しんちゃん一人パンって
寝た時にしんちゃんは本当は
映画の画面で言うと左の端にいるのが正解で
右の端に
いてはいけないっていうね
そういう決まり事
自然に見せるための
お約束事っていうのが
立ち位置どっちだっけって絶対思わせちゃいけない
そうそうそう
そこでちょっとそのイマジナリーラインっていうのを
超えちゃうと見てるお客さんが
あれって思っちゃうっていう
そういうのがあるんだけど
一瞬の違和感が命取りだからね
それを逆手にとって面白い演出にしている
という作品も
もちろんあります
あるんだけれども今回はね
イマジナリーだかなんだかわからないですけど
45:00
謎ラインがいっぱいあって
猫だから
これね
実際にロンドンの街並み
っていうのを
その中で撮影をするために
わざわざ
人間が猫サイズに
見えるための
ロンドンの街並みセットっていうのを
だから何倍かの大きさで
作ったらしいので撮影するために
すごいなって
思ったんだけど
でも実際私は
そのことを知ったのは
見終わってパンフレットを読んだ時だったんだけど
見てる時に
猫の大きさが
頭の中で
超混乱っていうか
めっちゃく見えたりとか
思ったより大きく見えたりとか
何なんだろうと思って
舞台版なかったことにするって言ったけど
虫返しますけど
全然
最初
舞台背面が見えてて周り舞台で
オープニングの瞬間に
ずっと回っていって
ゴミ置き場裏に
が少しスペースがあって
そこで繰り広げられる物語
みたいな感じになってて
ゴミ置き場やから
ゴミがいっぱいあるんだけど
ポップコーンの空き箱とか
いわゆるゴミが
等身大以上のものが作られていて
大きな
チョコレートの
空き箱があったりとか
猫視点で見た大きさって
こういうのなんやっていう
セットが後ろに置かれてて
その中で人間が
猫として
舞い踊るっていう
舞台やってんね
最初に見た瞬間にわかるやんか
猫サイズって思ったら
もうそれで
素晴らしい背景になってしまう
いい意味で
もう気にならない
気にならないね
今回
猫の宿舎とかって
すごい考えられてたんやと思うんやけど
多分ね
全部が違和感で
見るカメラワーク
見るシーンによっては
多分すごい計算されて
きっと制作チーム側も
今までの私たちの話に対して
反論したこといっぱいあると思うんですよ
それはわかってる
でも本当にごめん
今回
サイズも
間違うわけがないやん
リアルなサイズで作って
ただわってやってるんやからきっと
猫サイズを宿舎直して
物理的にはきっと
あってるんですよね
でもそこで
私たちが
しんちゃんと私が
見ました
そこに使われた想像力というのが
意図せず
制作者側が
意図せぬ想像力を私たち使ってしまい
なんかその猫の大きさが
48:00
全部変なように見えた
だってさ
大きなお椅子にさ
よじ登ってふわーってなってる猫ちゃんとかって
萌え対象でしかないはずやのにさ
萌えないのよね
しんちゃんは猫はお好きなんですか
私どっちかというと猫派なので
犬か猫派と
猫かというと猫派
猫派なので
にゃんこさんにゃんこさんと思って見に行ってんだけど
にゃんこには見えぬって思ってしまった
一層のこと
普通にスーツ着てたりとか
スネット着てる人間が
猫耳だけつけて
何のセットも
大きさ全然変えずに
椅子は椅子のまま
街灯は街灯のままでやってくれた方が
よっぽど私には想像ができるわ
って思った
そうだね
なんか
なんて作品を
なんて罪深い作品を
この人たちは
作ってしまったんだろう
っていうのが
見終わった後の私の
感想
だってねトムフーパーさん
この作品を
レミゼラブルを制作してる途中に
話が来たらしくてね
自身もファンだと
好きなんだって
しかも
アンドリューロイドウェバーも
ウェバーも
制作人に加わってね
新曲も書きますみたいな
なんなら本当に
原作舞台のメンバーも
あの
全面協力なわけじゃん
なんで
本当に私はこの
映画を作るまでの
ドキュメンタリーというものが
もし制作されるのであれば
もうめっちゃ見に行きたい
と思うぐらい
どこをどうすれば
キャッツの大ファンだった
トムフーパーさんが
この作品を仕上げてしまうまでに
至ったのかという
もうそれが知りたい
もうそれがエンターテイメント
なんかあれなんでしょ
予告編が発表されて
日本人もウェーってなってたけど
日本人よりもやっぱり海外の
方が嫌悪感を示されたみたいで
すっごい評判が悪くなって
慌てて
CG効果を軽くするか
なんかの処理に
ほとんどしてるのに
そこにまた入って
プレミアギリギリまで
作業してたとかって
もう公開されてたらしい
あれ
一回公開されて
プレミアなのか一般公開なのかはちょっと分からないんだけど
その段階で
作り直しをしたらしい
前代未聞
これはまだ軽減されてる方なんだね
何かがね
一番最初に
見た目のことなのかな
どれのことなのかな
見た目だとすごい嫌悪感があるって聞いて
海外の方がね
CG効果を付け加えたか
51:00
なんか違うものに
焼き直し版を私たちは今見てるってことだよね
最初に公開された
その予告とか見たら
多分もっと
違うのかなそれ見てないんだよね
私もちょっと見直そうと思いながら
見れなかったんだけど
もうあの衝撃はね忘れがたい
最初に見たときの
口訳っていうか
魂飛んでいくっていうか
はーってなった
それしんちゃんに
出されへんわけやから
そう
なので
何にも語ってないような
感じもするんですけど
結論
怖い
怖い
見た目も怖いし
これを
見てしまったことも怖いし
夢に出てきそうっていう
なんか私は
すごいね
考えたの
どんな作品でもね
少なくとも
お金かけて
これを作りたい
と思う人がいて
その人たちが作った作品やから
99%の人が
ダサくやって
ダサくやって言ったとしても
1%の人は
これは素晴らしかったって思う人って
きっといるんやろうなって思ってて
じゃあ今回の作品は一体
どういう人が
楽しめる作品だろうと思ったときに
思い当たる人っていうのがいて
もしかしたら
私の
1歳7ヶ月の
姪っ子は
これを楽しむかもしれないな
そのぐらい
なんか
なんていうのかな
色々な
映画だったり
舞台だったり
特に原作の舞台を
見てしまってる
そしてたくさんの面白い
ストーリーのある作品っていうのを
ストーリーがなくても
どんだけシュールでも楽しいってものがあるってことを
経験してしまっている
大人たちには
きっと到底これは楽しめない作品なんだろうな
って思って
そう思うことで
私の気持ちを浄化させました
もちろん楽しまれてる方も
もちろんたくさんいらっしゃるので
そういう方に
それも楽曲の素晴らしさとか
そうだね
あとは
もともとの
大元の原作
詩の方に
忠実だったっていう風に
おっしゃってる方も
いらっしゃったので
舞台の方が
それを歪めちゃってるみたいな
おっしゃってる方もいたので
ごめんなさい舞台は見てないから
なんとも言えないんですけど
この映画作品として
見た時に
この規模で
54:00
この規模で
これ
こけてるよね
評判も悪いし
評価受けが非常に悪い
観客メーターは50とかいったのかな
結局
途中で席を立ったとか
見るに耐えないとかって書かれてる
評価の方がたくさんいらっしゃった
私今回
レビューをしないのだったら
時計見たタイミングってのが
あったんですけど
25分上映後25分
そのタイミングで
もう帰ろうかなって
帰っていいんやったら
帰ってたかもしんないです
作品作りという上で
少し悲しくなるものであったかな
もっと面白いキャッチできるよね
全然密室で
全員Tシャツと
Gパンでやった方が
絶対おもろいなって思った
だったら舞台でいいや
なんて話するんだけど
舞台とは違う
想像力を
使うような
見せ方ができるのであれば
映像化の意味って絶対あると思う
舞台ままのやつで
違う見せ方をするという意思があれば
それでよかったのに
なぜここまで改変したんだろう
そうだね
例えば
ウォーホース
ウォーホースは
舞台もあって映画もあって
舞台が先だよね
原作があって
自動車
馬の視点から描かれた
戦争っていう原作があって
舞台になって
どっちが先だかわからないんだけど
舞台は
実際本物の馬が
出てくるわけじゃないけど
馬が主役でね
まるで本物の馬が
そこにいるかのように
人形浄瑠璃のような手法を
使ってたんだけれども
馬が目の前に
リアルに立ち上がって
それこそ
想像力の勝利だよね
木と布で
作られた馬が
本物に見えてしょうがなくて
死んでいく馬たちから
実際は流してないんだけど
ボロボロになった布が
血に見えてしょうがなくて
馬のあげる
ヒヒーンという鳴き声とか
鳴ってたのか鳴ってないのか
全然わからないんだけど
すごいリアルに
自分たちの体に響いて
っていうのがあって
一方映画はスティーブン・スピルバーグさんが
制作監督もされてたのかな
の作品だったんだけれども
それは映画ならでは
本物の馬が出てきて
その馬が
リアルな
57:01
戦場を駆け巡るっていうのを
絵的に私たちに見せてくれた
だから
舞台で想像していた
距離
こんな遠かったんだとか
山口線が描かれてるけど
こんな広い山口の中で
境界線ってこんな感じやったんや
っていうところで
その広さを感じながら
馬の目のドアップで
少し涙が浮かんでいる
っていうその距離感
あくまで馬視点
っていう
この馬の
馬性なんだっていう
そうね
見事に描ききってくれても
もちろん
作品的に
ここはちょっとイマイチだったっていう
意見っていうのもあるのももちろんわかってるんだけど
原作
そして舞台作品
それとは違う映画ならではの
ウォーホースの
見せ方っていうのを
ちゃんとっていうか
正しく素直に何もひねらずに
見せてもらえたなって
思ってて
結局
舞台と映画で対比するとかって
名前忘れた
あの人
全然出てこないや
裏切れのサーカスのクリエイターチームに入ってる人
クイーン
という映画で
エリザベス1世の
ダイアナ日が亡くなった時の
エリザベス2世の日々を
綴られた映画を作った方
同じ方が舞台で
ジオウエディエンス
エリザベス2世が
歴代
越見をした首相との日々
何十年にも
渡った日々
視点は違うけれど同じ人物を描いていて
型や映画
型や舞台
今ドラマもやられていてザ・クラウンかな
クリエイトされてますけれども
そうやって見せ方
そのシチュエーション
そのテーマ
舞台
映画テレビならではの
描き方っていうのを
されている
とても幸運なことだと思うのね
だから比較してやっぱり見たくなるし
それぞれの面白さを感じたい
だから結局ミュージカルを
舞台で見るのと
映画で見るのとって
だからなんというか
同じ
緊急ブーツとか
ビリーリュートだってそうだよね
映画を舞台化ってなるけれど
だからこそ
舞台でこう見せたいんだよ
っていう演出家の意図が
感じられると
とても面白いものになる
そうだね
今回トムフーパーは
このキャッツという作品の
何を面白く見せたかったんだろうって
言われると分からないなって
そうだね
なんかちょっと彼の
インタビューとかっていうのを
今からになるんだけれどもね
探して見てみたいな
1:00:01
って思っている
次第でございます
いまだにちょっと感想が
感想がじゃないな
分かんないっていう
何を見せられたんだっていう
できればね
雑談会でもいいから
舞台版の方も見て
それはちょっと
Amazonプライムにあるという
今おそらくあったはずです
なくても普通に
円盤化はしているので
ちょっと手に入れてみて
そこからちょっと
また考え方が
変われたらいいなとは
思う
聞いてみたい気もする
うーん
なんか
劇場猫ガスのさ
歌あるじゃん
私あれむちゃくちゃ好きやねん
私聞いたら泣いてまうねんやんか
自動的に
なんか涙出てくるんや
誰かがカラオケで歌ったら
それだけで自動的に泣くねん
好きすぎて
めっちゃいい歌やんか
ごめん一回しか聞いてないから
わからないんだけどきっといい歌なんだろうね
いい歌やねんやんか
サントラもちょっと入手して聞きたいな
と思ってるんやけど
今回のバージョンのやつ
どっちでもいいやけど
ただ今回の劇場猫ガスの歌に関しては
多分映画の中で普通に聞いてたら
流してんねん
イアンマッキランが歌ってるからこそ
私は見たけど感動したけど
私はさらっと割と流れちゃった
イアンマッキランをして
でも流れた
なんだろうなと思うし
ジェリックルキャッツの
最初のオープニングナンバー
めっちゃ明るい楽しい
いろんな猫がいますよ
みたいな弾けたナンバーなんだけど
今回私全然耳に残ってなくて
なんなら
どっかのミュージカルスクールの
人たちが楽しそうに歌ってるやつの方が
心に残ってるな
と思って
ジェリックルキャッツの歌は
途中で何回かリフレインされたから
覚えてるね
でも一回しか歌われない歌は
やっぱりさらっと流れて
いっちゃったね
やっぱりミュージカルにおいて
さらっと流されちゃうのは
あかんよね
少なくとも楽曲は
耳に残ってほしいなと思うね
そうだよね
私自慢できることじゃないんだけど
有名ミュージカルを
初めて見るのが
映画っていうのが
大きいもので数えて
最低3回以上は
やってて
オペラ座の怪人でしょ
レミゼラブルでしょ
キャッツでしょ
ジーザスクラストスーパースターは見てないんだけど
あれも映画化してるよね
あんま評判は良くない
その笑顔
ミュージカルというものに対して
ちょっと詐欺的な
時代って言った
1:03:01
若っかりし頃の私が
オペラ座の怪人を見た時に
え、もうすごいやん
って思って
ミュージカルってこんなすごいんやって
途中からちょっと飽きてきたんやけど
でも
主人公たちの
気持ち
魂の高ぶりを
セリフだろうが
メロディーに乗ってようが
別に関係ないっていうか
むしろメロディーついてるから
めっちゃビシバシ伝わってくる
っていうのを
初めてオペラ座の怪人の
映画見た時に感じて
しかも
初めて見たのがね
映画やったから
言われてみればそうかと思ったんだけど
舞台では決して描けることがなかった
冒頭のシーンね
昔の古い劇場
今の劇場から
昔に戻っていってたんだけど
どっちだったかな
昔の劇場から今じゃないかな
ちょっとすいません忘れてしまったんですけど
とにかく
舞台ではリアルでは
絶対表現できないようなことを
舞台映画の冒頭で
オープニングナンバーと
共に
視覚的に見せてもらえてね
かっこいいと思って見て
むしろ
舞台ではこれ見られへんのやったら
どうやって
お客さんたちを舞台の世界に
誘ってたの
これなくても楽しめるのって
不思議に思ったぐらい
やっぱり
舞台で
できないけど映画でやったら
すごく効果的な表現っていうのを
これでもかって突き込んでやったの
舞台はもちろん別の見せ方を
されてるんだと思いますけど
そうだよね
その違いを楽しむのが
映像か成り舞台かの
醍醐味
レミゼラブルもね
しんちゃんもね見たことなかったんだよね
舞台のレミゼラブルはさ
でも映画で見て
すごく私は
レミゼラブルの映画化の良かったところ
っていうのは
本当にそれぞれのキャラクターに
めちゃくちゃ
感情移入をできたっていう
舞台は舞台のもちろん
楽しみ方っていうのがあって
でもその
話題にもなったけど
アップを多用して
かつ
後からの録音じゃなくて
その演技している
その場で
耳にイヤホンつけて
生楽隊が
同時に違う場所で
演奏して
演技している役者さんに
合わせて
楽隊が
タイミング合わせて曲を弾いて
それで気持ちを乗せて
歌うっていうその手法が
1:06:01
レミゼラブルにはすごく
あってたね
それだからこそ
歌がいまいちやったって
おっしゃるもちろん
プロの方っていうか
プロの感激
経験ゴリゴリの
ファンの方がいらっしゃったんだけど
私はそこはちゃんと響いて
と思えばだって
キンキーブーツだってさ
あんな地味な映画で
町工場でミシン踏んで
靴塗ってるだけのシーンを
あそこまでショーアップした
楽しいシーンにした
でも
根底に流れるその
躍動感というか
靴に
の爆発的な喜びだったり
共通していて
ただ見せ方が違う
どちらも素晴らしい
っていうのを両方味わえて
あーどっちも好き
っていうのが多分一番の喜び
観客側として
だと思うんだけれど
今回はそれは
ちょっと味わえなかったな
なんかみそぎと言っては
なんなんですけど
生でちゃんとキャッツを
見て私の
キャッツっていうのは終わるのかな
って思ったりします
昔に比べたらやっぱりちょっと減られてるので
限られてる
なんか今って日本でしかやってない
そうそうそう
何年ぶりかにニューヨークに帰ってきた
ニュースが何年か前に出されたとか
そういうのは見たけど
私たちがうまく捕まえるかどうかは分からないんだけど
ちょっと見たいこれは
やり直したい
この私の気持ちを返してって思う
うん
ほんまトムさんね
制作人の皆様ね
ちょっともう
これは結構責任重いっすよ
それは
彼らの次の作品で
また返していただければそれでいいんやけど
今回に関してはね
ごめんやけどあかんかったわ
そうやね
新年一発目の課題映画が
こんな感じで
しかも本当やったら
ロンドンの町角がさんみたいな
ロンドン的な話結構したかった
うんうん分かるよ
マウスストラップとかね
役者さんに関してとかもっと話したかった
でもごめんそこまで今回は無理です
あの看板面白かったよ
面白かったね
こんな時からやってた
マウスストラップって
原作の舞台で
今世界最長記録なのかな
連続上演記録
何千回どころじゃない話
そういう舞台があるんです
それが
キャッツで描かれてた時代にも
あるはネズミ捕りだわ
そうそう
そういう細かいところ
遊んでるところは
いっぱい再現されたんやけど
ピカデリーサーカスの様子がね
この頃ってこんなんだったんだ
みたいな
電飾なかったんだねとか
鉄道の感じで
1:09:01
ビッグベンが遠くに見えて
そうなんだよ
テムズ川の渡るねとかね
すごいそんな話したい
でもごめん無理
罪は大きいよ
キャッツの
というキャッツ感想でございました
ミュージカルと映画化
なんかちょっと色々
企画中進んでるやつがいっぱいあるんだよね
そうなんや
今何がある?
今どうなったんだろう
ダルドリの
ウィキッドかな
ウィキッドも映画化すんの?
じゃなかったっけ
ごめん知らんね
ビリエリオット
ミュージカルの映画化っていうのもあるでしょ
うん
スピルワーク監督の
コーラスラインじゃなくて
あれね
ウェストサイドストーリー
それそれ
ムーランも公開になるしね
色々
ウェストストーリーも
進んでるんだっけ
聞いたことある
アンドリューロイド
企画が動き出したよ
っていう話も
ほら
ちょっと
できるだけ
舞台と
比較できるところはしていきたいな
これは追っかけ続けないと
トムフーパーの次回作
トムフーパー
わかんない
横やりが入ってしまうと
そうやねんよ
一人で
なんていうの
やりたいことやったわけではない
気配も少し感じるので
それは感じる
じゃあもうやりたいもん
撮りたいもん撮ってって
次回は本当に
低バッジェットでも全然構わないので
彼のやりたい
彼の作品っていうのを
最初から期待してますし
もし
これがやりたかったキャッツなんだったとしたら
次回作
それで確認させていただくつもりですけど
お別れかもしれない
トムフーパーさんと
好きな監督さんということには
変わりがないので期待はし続けます
というわけで
なかなかに衝撃的な
新年一発目の鑑賞体験で
ございましたもちろん
真札にエントリー
もちろんでございます
皆様のご意見お待ちしておりますよ
お待ちしております
というわけで
妄想論の会議ではお便り
募集しております
ハッシュタグ
直接私たちまでリプライください
メールでのお便りも
大歓迎です
お便りください
今回の私たち
賛同しろとは決して申し上げません
ふざけんなというご意見
大募集中でございます
そうなったら私たち
1:12:00
土下座して謝ります
次の課題作品
決まってます
内部図アウト
2月は違ったよ
内部図アウトは課題作じゃないの?
1月1個じゃないの?
それもやるのかなと思ってた
別にいいよ
2月は決まってるのは
1917
内部図アウトは追加になったのかな
と思ってないけど
しんちゃん見に行かんかったら
別の会で
近日中見に行けたら
行くつもりにはしてる
ダニエルクレイクさんが出てるだけで
あんまり英国関係ない
朝クリスティに捧げられてるからいいんじゃない?
いいかな
じゃあ次は1917
しんちゃんもし見に行けたら
内部図アウト
ぜひこの気持ちを浄化させるためにも
見に行っていただきたい
超おすすめ映画です
というわけでまた次回
お会いしましょう
ありがとうございました
01:13:09

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