1. もおちゃんの「なぜなに?」樹木図鑑📗
  2. 肉球をたどる猫の冒険譚🐱異世..
2025-06-15 29:44

肉球をたどる猫の冒険譚🐱異世界の入り口にいつもいるキミ🐱

ファンタジーの世界には、いつも猫さんがいるよね📖なんで?

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ザックスレストランを営む主人公ユウは、
謎の少女の声を聞き、
森の中へと入っていった。

森には異変が起こっていた。
次々に倒れる樹。
襲ってくるかずら。

森の精霊、
エノキとイロハモミジに出会ったユウは、
自身が伝説の存在「杜人」の末裔であることを知り、森の奥へと歩みを進めた。

迫り来る怪異たちを振り払い、
見事、大精霊アカガシを救ったユウたち一行は、
旅の疲れを癒すため、「昴宿よこぐら」を目指すのであった・・・・・・。

これは、もしかしたらこれから人類が経験してしまうかもしれない
今からちょっと未来の話。

人は、自然から離れ、そして、自然もまた人から離れてしまった。
都市で起こっている異変、自然界で起こっている異変。
世界の秘密とは。

旅立ち。別れ。そして、森の精霊たちとの不思議な出会い。

自然界は人間を、人間は自然を取り戻すことができるのか。

近未来のオーガニックファンタジー冒険活劇。
森をめぐる冒険が今はじまる。

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サマリー

このエピソードでは、古代エジプト文明における猫と人間の関係が探求されています。猫は穀物を守る存在から、現代の愛されるペットへと変化していった過程が語られ、また猫が登場する物語の魅力も考察されています。さらに、猫が日本の歴史の中で神聖視される理由や、悪霊を取り払う存在としての役割が説明されています。猫は人と異世界の境目にいる生き物として描かれ、物語の中で持つ不思議な力についても触れられています。猫の存在は日常に影響を与え、その発信の形を変えていく様子が描かれています。カテゴリー選びに悩む中で、カルチャーの重要性に気づき、自身の活動を見つめ直すストーリーです。

自然農法と植物の見方
おはようございます。こんにちは、こんばんは。
日曜日のお昼、いかがお過ごしでしょうか。
もおちゃん、今朝からですね、ちょっと汗をかきながら草刈りをしていました。
もおちゃんのですね、住んでいる地区150年農耕民家の目の前には団団畑がありましてですね、
この団団畑の草刈りをね、させていただきました。
もおちゃんはね、自然農法、自然栽培というのをやっているので、
もうね、雑草たちを除去しないんですけど、雑草たちにちょっと調節してもらうというようなことでね、
自分が植えた苗以外の草たちのですね、背丈を調整したり、
あと風の通り道を作るなんていうね、作業をさせていただいたんですけれども、
まあ、暑い。
なのでね、こういった作業はもう午前中に終わらせて、
それで午後からはですね、例えばこの配信を作ったりとか、
それからファンタジーのね、世界に入り浸ったりとか、
そして僕自身が今書いております物語の作品をね、作ったりとか、
そういうところでね、させていただけたらと思っているんですけれどもね。
はい、聞いてくださっている方がいらっしゃいますね。
ありがとうございます。
ゆっくりしていってくださいね。
そうそう、それでですよ。
今日ですね、その草刈りをしていった時に、
もーちゃんがですね、一つ気に留めておきながらね、やったことがあるんですよ。
それはね、なんで草刈りをするのかっていうことなんですけれどもね。
草ってさ、雑草に負けてしまう。
だから作物を守るために雑草を取るんだ、みたいな考え方があるじゃないですか。
この考え方って一つ正しいと思うんですよ。
一つ正解だと思うんですね。
確かに周りの草たちがうわーっと伸びていくと、その作物が弱ってしまう。
本当に育てたい、人間が育てたいと思ったその野菜が弱ってしまうとか、
育たなくなってしまうなんていうことがあって、
それを一面的に見るとですね、
あ、草たちって喧嘩してるんだなと、競争してるんだなと。
そして、他の作物とかを抑えてでも自分が育とうとするんだな、みたいな風に見えるんですけれども、
モーちゃんはちょっと違う見方をするんですね。
このね、もうね、庭、それから庭だけじゃなくって、
このね、町とかね、それから、この、何、県とかですね、
その地球、日本とかね、全体のところを見てみるとですね、
さまざまな植物たちが、あらゆる苦労とか、
まあ自分たちで引き受けているんだなと、
引き受け合っているんだなということもね、感じるんですね。
なんかちょっと苦しいこと、辛いことがあったときに、ちょっと引き受けると。
その引き受けちゃった作物とかが枯れていくんですよね。
譲ってね、譲って譲って譲り合って、
それで自分自身が枯れていくっていうこともあるんだけど、
それは全体を生かすためなんだ、みたいなことがあってさ。
なんていうのが、モーちゃんのこの植物感というか自然感なんですけれども、
地域猫との共存
こうやってね、人それぞれ、見方、物の見方とかさ、
自然の見方って違うじゃないですか。
それでですよ、モーちゃん今地区150年の古民家に住んでいて、
目の前に猫が3匹いるんですね。
この猫たちは自分たちは飼っているわけじゃないんですけれど、
地域猫って言ってね、外でね、みんながね、猫たちが好き飼って生きてるんですよ。
それで、餌をもらいに各家にですね、回って行ったりとかするということで、
なんかね、モーちゃんたちの家はですね、猫に好かれるらしいんですね、どうもね。
なんかね、セロ弾きのゴシュみたいな話が起こっていますけれども、
あれもね、もうね、バイオリンの、セロの音をね、チェロの音を聞きたいって言って、
たくさんの動物たちが集まってくるなんていう話だしたけれども、
もうこれ、こういうことが起こっていて、猫たちがですね、行っつくんですよね。
そして、そこで住んで、夜過ごすんですよね。
昼になるとまた出てくるんだけど、また夜に戻ってくるみたいな感じでですね、
いやいや、猫っていうのはかなり気まぐれだなぁなんて思いつつ、
モーちゃんのこの暮らしの中にですね、猫っていうのが今までいなかったんですね。
どちらかというと、うちはですね、犬、犬派だったんですね。
モーちゃんは犬派だったんですけれども、
まあ猫が転がり込んできてですよ。
そして、まあ見せてくれる、その表情とか雰囲気とか、なんかね、
そういうのがね、非常に愛くるしくってですね、非常に好きになった。
そう、それでですよ。
モーちゃん、この猫っていうのに今まで人生の中でどんな時に巡ってきたのかなっていうと、
まあ実物のね、実際のその猫たちとの関わり合いってなかったんだけれども、
よくお話の世界ではあったなあっていうことを感じるんですね。
それで今モーちゃんも今物語を書いているんですけども、
物語の中にやっぱりどうしても出てきてしまうのが猫なんですよ。
猫が出てくる物語って多くないですか?
なぜか人はですね、物語書こうと思った時に猫を出してしまいたくなる。
何この衝動は、その底に隠れているのは何なのっていうのがですね、すごく気になったんですよね。
さあ、ともすればたくさんの猫がモチーフになっている作品があるのでね、
モーちゃんがその猫物語を出したところでですよ、猫物語じゃないんだけどね、
猫が出てくるような物語を出したしまったらですね、
猫が物語に登場する理由
これ何かを真似しちゃっているのかなとか盗作してしまっているんじゃないかなとかっていう気持ちにもちょっと駆られてしまうので、
なんか自分自身猫のことをしっかり取材しておこう、しっかり研究しておこうと思ったんですよ。
猫の生態だとか、猫がどういう性格を持っているのかとかですね、
そのようなことはちょっと脇に置いといてですね、
なぜ人はこういう物語とかを考えるときにですね、なんかこうファンタジーの世界には猫が付き物で、ありますよね。
魔法使いはさ、猫、黒猫を使い魔にするみたいなのがあるじゃないですか。
あの魔女の宅急便ってあるじゃん。
あの魔女の宅急便のさ、主人公のさ、女の子キキはさ、その自分の使い魔っていうんでしょうかね、
パートナーにさ、ジーっていう黒猫を置いてるじゃないですか。
なんであそこでやっぱり猫が出てくるんだろうとかね、そういうことをちょっと思ったんですよね。
それをね、探究していくとまあまあまあまあ面白いことがいろいろわかってきましたので、
今日はね、そのねファンタジー作家である猫ちゃんが今書こうとしている物語、それに登場してしまう、登場してしまうんですよ。
彼らは出てきてしまう。
でもその登場してしまうその猫たち、なぜこういった物語に出させていくっていうことがあるのか、そんな話をしたいと思ってます。
もうね、例によって今日の話を聞いても1円も稼ぐことはできませんからね、すぐには役立ちませんという。
まあでもね、そんな話をしてみたいなと思っておりますので、もしよろしければ最後まで緩いと楽しんで聞いていただけたらなと思っております。
ということで始めていきましょう。
この番組は色鉛筆画家の松梨香さんを応援しております。
松梨香さんは色鉛筆でファンタジーの絵本のような世界観を作り上げている方でですね、先日、松梨香の彩りというポストカードブックを発売されてばかりでございます。
6月20日の朝9時から松梨香さんのお申し入れにより、猫ちゃんのこのチャンネルにてライブ配信コラボ対談が決まりましたので、もしよろしければですね、聞いていただけたらなと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
はい、では本題をさせていただきたいと思いますね。
今日のタイトルは肉球をたどる猫の冒険談。異世界になぜいつも君がいるのかなんてね、お話をさせていただきたいと思っているんですけれども、よろしくお願いいたします。
いやー、気になりませんか?
人とですね、猫の関わり合いっていうのはものすごくね、歴史が深いんですよ。
これめちゃくちゃ深いんですよね。
文献を紐解いていくとですね、こんなことがわかる。
まず猫が一番最初に出てきたのはですね、古代エジプト文明なんだっていうことなんですね。
めちゃくちゃ昔じゃないですか。
この古代エジプト文明で、砂漠の中でですね、穀物とかを育てたりとか頑張っているんですよ。
その穀物1個ってすっごく貴重なんですよね。
まず砂漠の中で生えている育てた作物ってものすごく貴重なんだっていうことを抑えてください。
その作物はどうしても守りたい。
どうしても守りたいんだが、はい、そうです。
穀物があるところ、奴が現れる。
何が現れるのかというと、そう、ネズミが現れるんですよね。
日本でも昔から、ズイズイズッコロバシ、ゴマ味噌ズイっていう歌があるじゃないですか。
あれにも、茶壺に追われてドッピンシャン抜けたらどんどこしょ、河原のネズミが米食ってチューって言うんですよ。
米食ってチューって言うんですよ。
ネズミは米を食うんですよ。
というような感じで、とにかく昔から、近づいたり離れたりしてるの?音量のぶれで聞いてて不安になるなと。
すみませんでした。してるかもしれませんね。
ちょっとじゃあ固定してやってみますね。
ありがとうございます。ご指摘いただきまして。
ありがとうございます。
はい、もう大丈夫ですかね。
また聞こえにくかったら言ってくださいね。
ありがとうございます。
今、ネズミズイズイズッコロバシのお話をさせていただきましたけれども、
これでやっぱりお米をネズミは食べていくっていうことなんですよね。
このネズミがお米を食べるっていうことは何を意味するかというと、穀物。
エジプトでもお米を育てたり、お米じゃない、麦とか様々なものがあるんですけど、
その穀物をとにかく食べてしまうっていうことがあって、
ネズミが天敵だったんですね。人にとってはね。
そのネズミたちを捕らえてもらうために、まず猫を活用していたということなんですね。
今はさ、もうこの動物、猫たちっていうのはペット、つまりかわいがっていきたいと、心の癒しだっていうことがありますよね。
でも昔は決してそうではなかったということですね。
とにかく実用的な意味合いがあって、猫たちとの付き合いが始まっていたんだよということなんですよね。
日本に猫が入ってくるのはですね、これ奈良時代ぐらいのことだったと言われています。
奈良時代、ちょっともっと昔なんですけど、飛鳥時代ぐらいに入ってくるのがですね、仏教ですよね。
この仏教を伝えるってことは何を意味するのかというと、経典ですよ。
お経の書かれた様々な書物が送られてくるというか、入ってくるんですね。
だけど、この紙がですね、やっぱりまたネズミたちに食べられてしまうんですよね。
猫の神聖さと悪霊払い
このネズミたちにやっぱりこの紙が食べられてしまうということで、その紙をですね、どうにか守りたいなんていうことがあって、
奈良時代ぐらいから猫が人たちの間で、日本人たちで貸し憑かれていくようになったというか、大事にされていくようになっていったんですよね。
こんなふうに、やっぱり猫っていうのはですね、何かを守ってくれるようなものがあって、
そして人間にとって不都合なものから守ってくれるなんていうところから、悪霊を取り払ってくれるそんな存在になっていくんですね。
猫は悪霊を取り払うという存在です。
だから、古代エジプトの方でも猫をですね、神様に捧げるなんていうような儀式、信仰があったりするぐらいなんですよね。
猫は神聖な生き物であって、そしてその悪霊たち、ネズミたちなんですけどね、でもそこから派生して、悪霊たちを取り払ってくれるなんていうことがありました。
それから猫たちっていうのは大航海時代ですよ。
コロンブスだとか、ああいった時代にですね、猫を船に乗せていくっていうそういう風習もあったんですね。
それは間違いなく、やっぱり船の中でも猫たちにネズミたちから食料を守ってもらうという意味がありますよね。
やっぱりこう、わかりますよね。もうね、船の中で作物、穀物、自分たちの食料が荒らされてしまったら、もうこれは大変だということで、
猫もですね、このシップキャットっていうですね、船の猫っていう言い方があって、このシップスキャットですね、猫の船、船の猫ですね、っていう風に言われるようになっていって、
そうやって猫が全世界に繁殖していくというか、広がっていく、そんなきっかけになったのがやっぱり大航海時代だったんじゃないかと言われているんですね。
だからやっぱり人にとってすごく実用的な意味合いがあって、最初猫たちとの暮らしというか関わりっていうものが始まっていったんだよということなんですよね。
さらに平安時代ぐらいになると日本ではですね、天皇だとか、それから平家物語じゃないや、源氏物語の中の話でも、猫たちが人によって飼われていくっていうことがあるんですね。
猫が実用的なものとして入ってきたんだけど、やっぱりあの愛くるしさ、見た目というものに日本人も含めて世界の人たちはメロメロに魅了されていくんですね。
そしてその猫をそばに置いていくようになった、つまりペットとして飼っていくことができるようになっていったんですよ。
しかしそのとこにはですね、もちろん猫っていうのは神聖な生き物だったりとか、悪霊を取り払ってくれるんだという、そういう何か異世界との繋がりみたいなものはここにあるんですよね。
猫と人間の関係
そしてです、日本人も気づき始めた猫たちを手元に置いて、近くに置いて、ずっとずっと観察をしていくとですね、どうもこの猫たちっていうのは自由気ままで奔放で、こんなにも…
ありがとうございます、そらにゃん。こんにちは、ミュートで潜ってます。ゆっくりしていってください。今日は猫のお話をさせていただいております。
ありがとうございます。そらにゃんの前で猫さんのお話をするなんてもう本当に恐縮なんですけれども、ちょっと違った角度でお話をしてみたいと思っております。
で、悪霊を取り払っていくっていうこと以外にも、やっぱりこの猫たちの自由気ままな性格ですね。
これにですね、何か心打たれるものがあったんですね。何だかこう人間っていうものと違う時間軸を生きてるなとか、周りのことをあんまり気にしないのかなとか、猫が取っている行動を人間が理解しきれないということがあって。
12時になりました。12時になるとこういう時報みたいなチャイムが鳴ってしまうんですね。気にせず続けさせていただきますね。
この猫たちを理解しきれない、もうこの理解の範疇を超えているということで、やっぱり人はこう思っていくんですね。
猫というのは人には超えた何かがあるみたいな感じになっていきます。明治時代に入った時に夏目漱石が、我輩は猫であるという小説を書きましたよね。
夏目漱石の諸著作と言われている、夏目漱石の我輩は猫であるですけども、あの我輩は猫である、あれって猫の立場から人間の世界を客観的に見ている、風刺しているっていう感じにもなっているんですけども。
こうやって猫は人をこんな風に眺めてるんだろうなっていう視点も出てくるわけですね。こうやって人はですね、だんだん猫たちに感情移入をしていくんですね。
もうちょっと前に遡ると江戸時代とかは超獣義がというですね、動物たちとか生き物たちの擬人化みたいなものがですね、こう出てきていたりとかして、猫たちもやっぱり化け猫だとかですね、猫も妖怪の方の世界観が出てきたりとかもするし、
また招き猫ということで、人を招く、幸福を招くっていうことも力としてあるんだよっていう感じで、どんどんこの猫たちのですね、持っている力というか、人間が猫たちに馳せる解釈っていうものが広がっていったんですよね。
こんなことが世界中で大なり小なり起こっていきます。そうすると猫たちっていうのは、いつでもやはりその人と異世界のその境目にいる生き物なんだというふうに言われるようになっていくんですよね。
そうちょっと余談なんですけど、猫って何で猫って言うかっていうこの語源、いろいろな説があるんですけど、モーちゃんはですね、この説が面白いなと思って推してるんですけど、眠る子っていう意味があるんだそうですね。眠る子と書いて猫ですね。人間が悪せく働いているのに彼らはずっと寝てるなんていうところがあってさ。
それも人間にとっては理解しがたいことだったんじゃないかななんて思いますね。そしてある時、やっぱり猫から学んだりとかしてですね、その猫があんだけ寝てても生きていけるんだから人間だってできるはずだみたいなふうにして、猫を先生とあがめるようなこともあったりとかもしていきます。
猫がですね、神通力っていうんでしょうかね、神様めいた力を持っているっていうようにこのように解釈されてきた背景にはですね、やはりこの猫たちは怨霊、悪霊を取り払うという力もあったりとか、それから猫たちは生活のリズム的に人間にはもう範疇を超えたようなことをやっていて、生きているっていうこともあったりとか。
あとこれもあるんですね。類稀なる繁殖力ですね。とにかく生まれる。いっぱい赤ちゃんを産むんですね。しかもこれすごい頻度で産みますよね。
物語における猫の役割
この間さ、猫ちゃんたちがさ、うちのナヤでさ、出産をしたんですけれども、もう1回生まれたらね、2匹3匹、ボンボンボンと生まれていきますよね。
で、あれですよね。1年もしないうちにまた繁殖する能力っていうのが、子供を産む能力というものが授かられるということで、もう瞬く間に猫が増えていくなんていうことがあって、そういうこともあって猫っていうのは繁栄の証とか、そんなようにも人々はですね、それを培っていくようになるんですね。猫たちの味方というものを。
そんなことがあって、いつも物語の世界には異世界への入り口、案内役、それから異世界の住人として猫が描かれるようになったんだ。
そして人のですね、魔法を使ったりするときにも、1つその不思議な力の媒介としてですね、媒介っていうんでしょうかね、不思議な力を宿っていく、宿していくその器として描かれるようになっていきました。
だから魔女の宅急便では猫が使い魔として描かれるなんていうこともあるし、あと何ですかね、不思議な国のアリスですかね、この世界でもさ、チェシャ猫あってますか?言えてますか?いますよね。
猫が異世界にいたりだとか、やっぱりあと猫に誘われて世界に迷い込んでいくみたいなですね、そんなような話が日本だけじゃなくて世界各地にあるっていうのは、やっぱりこの猫がですね、持っているそんなこれまで人との関係性の中で紡ぎ出されてきたものというものなんですね。
だから猫が、結論なんですけど猫が物語に出てきてしまうのはもうしょうがないんだなっていうことをね、モーちゃんは今思っているわけですよ。もうしょうがない。
猫を物語に登場させたからといって、何かの真似しているとか参考にしているかもしれないけども、なんか当作だとかそんな話にはならないんだなっていうことをちょっと安堵したというか、ほっとしたところがあります。
そして人はどうしてもこの猫っていうのに不思議な力とかっていうものを持たせたくなっちゃう。それから人もまた猫たちが登場する物語を読みたくなっちゃうっていうことはあるのかななんていうことを思うとですね、ちょっと自分の中ですっと落ちたことがあります。
物語っていうのはさ、かつて動物たち、人以外のものっていうものが登場するっていうのがですね、この物語の大原則だったんですね。
今、ヒューマンドラマみたいな、もう動物たちとか自然の描写がほとんどない人の気持ちの動きだけでですね、紡ぎ出される様々な物語があるんですけど、元々の物語っていうのは何かこの動物の不思議な力とかですね、何かこう自然界の不思議な力っていうものが加わって織りなされるストーリー、これをですね、物語っていうふうに呼んでいたんだそうですね。
だからまあ、こうは言わないんですよね。よくお笑い芸人さんがやっている、僕も大好きなんですけど、コントとかでさ、書き合いでさ、ストーリーが紡ぎ出されていくじゃないですか。
あのコントの中にですよ、人が狸にバカされたとか狐にバカされたとか、そういう話じゃない。ただ人のやり取りだけで進んでいく、あれを物語って呼ばないじゃないですか。ストーリーはあるけどさ。これが実はその日本人がずっと古来から持ち続けてきた物語に対する大切な見方なんですよね。
最近の物語は本当にこう自然が登場しなくなったりとか、動物たちが登場しなくなってきますね。やっぱりこの宮沢賢治さんのね、注文の多い料理店をはじめとするですね、様々な作品には動物たちがうんとわんさか出てくるわけですね。
注文の多い料理店では山猫がですね、出てくるわけですよね。山猫レストランでしたっけ、山猫食堂でしたっけね。そういうのが出てきてさ、もう異世界というかもう大変な怖い世界にその狩人たちをね、人たちをですね、こう誘っていくっていう、そういう媒体として登場人物として描かれていくのがあの山猫たちだったわけですけども、化け猫とも言うことができるのかなっていうことだったんですけどもね。
今のこの日本でもだんだんそういう物語って見なくなってきたよねって思っています。ので、もーちゃんはですね、ファンタジーな物語を描いていますけれども、その中でやはり動物たちとかですね、また動物だけじゃないかもしれないけども、この生き物として普段ね、僕たちが見なしていないかもしれないけれど、そういう物たちの気持ちとか、何でしょうかね、手触り感というものを大切にしながら描いていきたいなと。
思っているところでございます。はい、いかがだったでしょうか。最後まで聞いてくださったあなたぜひ、いいねやフォローで足跡を残していってくださいね。いやー今日はね、憎きをたどる猫の冒険談。異世界の入り口、なぜ君がいつもいるのかなっていうお話をさせていただきました。いかがだったでしょうか。
猫と日常の影響
はい、いやーねー、がてんがいったよ。いつも猫のことがなんか出てきてさ、もーちゃんの日常の中にも猫が出てきてさ、そうするとさ、おどずとこのもーちゃんが描こうとしている物語の中にも猫が登場しちゃうんだよ。もうね、出てきちゃうんだよ彼らが。なんで出てきちゃうのかなっていうことをね、やっぱりこう紐解いていくと今日みたいな結論に至ったわけですよ。
さてさて、先にもうちゃん一つね、悩みがあってですね、最後に悩みの共有をしてですね、お話しさせていただきますね。なになに?大した悩みじゃないんですよ。このスタンドFMって大したことじゃないんです。本当に大したことじゃないんですけど、スタンドFMってカテゴリーをこの配信につけることができるんですよね。
例えばですね、クリエイティブテック、何かクリエイティブなことをしていたらそうなりますよね。あとビジネスな発信をしていたらビジネスっていうカテゴリーがあったり、あと雑談っていうカテゴリーがあったり、トークね、雑談トークとか恋愛だとかですね、様々なものがある中で、もうちゃんのこの発信は最近何よりなんだろうっていうのをですね、もうカテゴリーがわからなくなってきておりまして、今までもうちゃんはですね、ビジネスっていうのを
ずっとやってきたことがあったんですよ。このビジネスのですね、発信っていうものをやってるとすごかったんですね。当時ね、毎日のようにフォロワーさんが増えていって、なんか自分も麻痺するかのようにビジネスの発信をしていたことがあったんですね。実はね、このチャンネルを作る前の話なんですけど。
前に持ってたチャンネルでね、一回消しちゃったけど、でもね、そのビジネスのチャンネルやってたのがどうも自分の声じゃないなと、自分の発信したいことじゃないんだなっていうことにだんだんわかってきまして、もう嫌になってそれを消しました。一回。
それで始めていって、今ですね、そのライフスタイルとか生活っていうカテゴリーで発信をね、続けていっていたんですけど、どうもこのライフスタイルっていうことを発信しているのかなとか、別に内容なんかどうでもいいのかもしれないんだけど、
なんか自分自身がここにカテゴライズされるのがちょっとまた違うかなって思ってきたんですよね。で、そう思った時に雑談ってすごくいいななんて思ったりもしたんですけど、でもちょっと違うかなって思った時に、最近ね、カルチャーっていうところで発信をするようになりました。
カテゴリーをカルチャーにして、それでお届けするっていうことにしてきました。カルチャーってちっちゃく書いてあるのは漫画とか音楽とかゲームとかそういうこと書いてあるから、サブカルチャーの話してるのかなと思うんですけど、カルチャーって文化って意味ですよね。
毛ちゃんが話してるのはそういうことなのかなって。カルチャーってまた言葉の話になるけど、耕すって意味なんですよね。カルチャーの本当の語源って耕すっていうところなんですよ。
自然界の中に人が手を入れるっていうことが耕すっていう行為で、その耕したもの、自然を人が作り変えるというか、それがカルチャー、文化っていうことになっていくんだということなんですよね。
そう思うと、毛ちゃんが今やっているこの自然界と、それから人をおつなぎするという活動というか作品作りっていうのはカルチャーでいいのかななんて思ったりもするんですけど、こんなにも深い意味を持ってですね、カルチャーを選んでる人っていないかなってちょっと思ったりもしてます。
お笑いとかね、そういった話だからカルチャーにしようとかってなってるのかななんて思ったりとかするわけですけども、どうすかね、カルチャーでいいかななんていうことをちょっと思っております。もしね、毛ちゃんもっとこっちで発信した方がいいんじゃないの、面白いんじゃないのっていうのがあったら教えていただけたら嬉しいなと思っております。
カルチャーへの気づき
ということでお時間をいただきありがとうございました。今日は30分以内で終わりましたね。お相手はこだまこまちプロジェクトの毛ちゃんでございました。またお会いできることを楽しみにしております。今日も素敵な1日をお過ごしくださいませ。一部ちょっと聞き取りにくいところがあったかもしれませんけれども、申し訳ございませんでした。
本日コメントいただいたのはワニゾーさんとソラさんでございました。そして最後まで聞いてくださっているあなた、本当に本当にありがとうございました。またお会いいたしましょう。あなたとあなたの大切な人に森の精霊のご加護が訪れますように。
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