1. もおちゃんの「なぜなに?」樹木図鑑📗
  2. 雨に唄わぬカエルがいるか-聖..
2025-05-24 44:05

雨に唄わぬカエルがいるか-聖地と避難所と大学と田舎-

 雨の日の語らいに耳をすませば
 都市が乾きを求めるのは
 ビルの上から路地裏を眺むる
 大学には、結界がはられていて
 信仰と科学と経済と
 逃げ込む場を失った都市から、逃げ出すこと


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〈これまでのおはなし〉
ザックスレストランを営む主人公ユウは、
謎の少女の声を聞き、
森の中へと入っていった。

森には異変が起こっていた。
次々に倒れる樹。
襲ってくるかずら。

森の精霊、
エノキとイロハモミジに出会ったユウは、
自身が伝説の存在「杜人」の末裔であることを知り、森の奥へと歩みを進めた。

迫り来る怪異たちを振り払い、
見事、大精霊アカガシを救ったユウたち一行は、
旅の疲れを癒すため、「昴宿よこぐら」を目指すのであった・・・・・・。

これは、もしかしたらこれから人類が経験してしまうかもしれない
今からちょっと未来の話。

人は、自然から離れ、そして、自然もまた人から離れてしまった。
都市で起こっている異変、自然界で起こっている異変。
世界の秘密とは。

旅立ち。別れ。そして、森の精霊たちとの不思議な出会い。

自然界は人間を、人間は自然を取り戻すことができるのか。

近未来のオーガニックファンタジー冒険活劇。
森をめぐる冒険が今はじまる。

_________________
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@teraoka.shokai
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サマリー

本エピソードでは、雨の影響や湿地帯の歴史について語られています。特に、乾いた場所と湿った場所の違いや、都市の発展における湿地帯の重要性が考察され、歌舞伎町を例にその背景が探られています。このエピソードでは、東京の大学が持つ独特の雰囲気やその歴史、宗教との関係について探求されています。特に、大学が持つ聖域としての側面や、避難所としての過去が考察され、学びの場所がどのように形成されたかが示されています。このエピソードでは、資本主義とキリスト教の関係が考察され、日本の自然観や文化的背景にも触れられています。また、都市生活から田舎への移住やリトリートの重要性についても議論されています。淡路島や奄美大島の自然、文化保護に関する問題が取り上げられ、リトリート文化や地域のプロジェクトについて議論されています。

雨の影響と個人の感じ方
おすおす、おはようございます。
こんにちは、こんばんは。
こだまこまちプロジェクトのもおちゃんでございます。
今日は、大雨が降っておりますので、
仕事がお休みになりました。
僕はね、今、山椒農家さんのお手伝いをしておりますので、
雨が降るとね、農業がお休みになるんですね。
すると、仕事もなくなる、なんていうことで、
今日、一日ぽっかりと飽きましたので、
こうやってライブ配信をしたり、
あと、執筆作業をね、していきたいなと思っております。
さあ、今日はですね、
雨に唄わぬカエルがいるか?
というようなところから、
お話をスタートをしていきたいと思います。
こうやってね、タイトルにさ、
カエル、なんていうふうに打つと、
もうね、これね、視聴者数減るんです。
ははははは。
分かってます。もおちゃん、分かってんですけどね。
このタイトルでですね、
リアルタイムでポンと入ってきてくださる方は、
本当に首相なかったでございます。
ははははは。
そうなんですよ。
結構こういう自然をテーマにした話題とかって、
なかなかこうね、取っつきにくいというか、
これを手に取るというところにね、
すごくエネルギー、パワー、力、体力が
必要になってくるように感じてしまうんでしょうかね。
なんかこれが興味がないから、
受け取らないとか、手に取らないとかっていうこと以外のことが
何かそこにあるような気がしております。
はい、だけどもおちゃんはこれでいきたいので、
今日はやっていきたいと思います。
誰もしない放送を心がけていくということでね。
どんな放送にも似ていにつかないようなことを
このスタンドFMでお届けしていきたいと思っております。
ファンタジー作家のもおちゃんでございます。
さあ、今日なんですけど、
本題に行く前にですね、昨日ですね、
こだまこまちプロジェクトの初の公式情報誌となる
メールマガジンがスタートいたしました。
どんどんパフパフ、よいしょということで、
これね、本当にありがとうございます。
昨日ね、届いたよって、来たよっていうことをね、
お伝えしてくださった方がいらっしゃるんですよ。
これがね、本当に嬉しくてね、
皆さんに届いたんだっていうことがね、
本当に嬉しかったです。
で、あとさらにやっぱりメールマガジンって
すごいなと思ったのが、
一度送ったものを消すことができないんですよね。
SNSとかってさ、何度も出したら引っ込めたりとか
することができるじゃないですか。
でもそうじゃなくってさ、
送ったらもう送りっぱなしですよ。
でもそこから関係説紡げるみたいなところもあってさ、
お返事が来たよ、また僕がお返事させていただいたりとか
っていうのをしたんですけど、
それがね、もうめちゃくちゃ面白かったんですよね。
僕にとっては新鮮でした。
このアナログさがね。
ということで、もしね、よろしければ今後も
このこだまこまちメルマが受け取っていただけたらと思いますので、
今でもですね、いつでもこの公読は開始ができますので、
よろしくお願いいたします。
さて、本日は雨に歌わぬカエルがあるかというね、
いるかというね、お話なんですけれども、
今日さ、朝起きたら大雨だったんですよ。
で、もーちゃんは心の中ですごく心が弾んだっていうところがありました。
僕は雨の音とかが好きで、なんか癒しを感じたりするし、
なんかね、日常の生活から解き放たれるような感覚があって、
仕事がお休みになるみたいなね、ところがあってさ、
あとそれでなんか、自由だって思う、そんな瞬間があるんですけど、
どうですか?そんなことないですか?
で、かたやですね、うちの家族たちの中では、
もう雨やだなーって、雨ってすごく心が重くなるとかですね、
それから雨ってやっぱり体が重くなるっていうかね、
そういうことを言っている家族もおります。
あ、そらにゃんこんにちは。ありがとうございます。
昨日もメッセージいただいて本当に嬉しかったです。
ありがとうございます。
今日はね、雨とかそういうところに寄せてちょっと話をしてみたいと思っております。
はい、でですね、なんかその雨が降って、僕みたいに、
あーよかったーって心休まる人もいればですね、
ほっとするなーっていう人もいれば、雨が嫌だなーっていう人もいると。
湿地帯と都市の発展
で、まあこれね、僕、東洋医学みたいなところもちょっとかじっておりますので、
雨っていうものが体を重くするよねーなんていう話はあるんですけど、
今日はね、そんな話じゃないんですよね。
この雨っていうところってさ、なんか湿度があるってことじゃないですか。
湿気るってことじゃないですか。湿気がある場所、湿地帯、
湿っている場所っていうのは、街中とかでも見ててもですね、
ちょっとこのアンダーグラウンドな感じがする。
人はですね、できる限りこの湿地帯から離れようとしてきた、
そんな実は動きというか歴史というか性質を持っているんですよね。
だってさ、湿地帯でジミジミしたところってすごく生きにくいじゃないですか。
そこって言うとさ、なんか病気になってしまうような気もするじゃないですか。
体の調子が悪くなってしまうかもしれないじゃないですか。
で、そういうのってよく分かるところがありますね。
湿地帯っていうのはやっぱり風の流れとかっていうことがちょっと詰まってたりとかして、
そこにはなんか水が溜まっていく。
そしてそこに身を置くっていうのはなんだか湿っぽい気分になっていくなんていうことですよね。
だから都市とかを見ているとですね、
この湿地帯っていうものからどんどん逃れようとしているようにも見えるんですね。
あの東京という場所はさ、平和なわけですよ。
それでもうね、地球の人工衛星とかから見下ろしてみると、
日本ってもう真緑なんですけど、あの地点だけは、
あの地点だけはですよ、あの関東地方のあのところだけはなんかぽっかりと平和というか真っ平らな場所が広がっている。
ちょっと色が違うなあっていうのを感じますよね。
で、そういった場所をなぜ江戸として選んだのか、都市として選んだのかっていうのは
なんかわかってくるような気がします。
なぜならばそこは乾いた場所になるからなのではないかと思うんですね。
そしてその乾いた場所の中でもですね、窪地、へっこんだ場所っていうものはやっぱり水が溜まっていくんですね。
そういうところをどんどん埋め立てていって、乾いた土地に成形をしていくっていうことが、
僕たち、都市を作っていく、町を作っていく、そしてまた日本という国を作っていくっていう中で行われてきたことなんです。
歌舞伎町の歴史
だから僕たちっていうものはまず大前提として、乾いた場所、乾いた場所、乾いた場所っていうところに移動をしてきたよというところがあるんですよね。
何の話してるんだって感じですよね。
だけどですね、この乾いた場所で営まれていくこの暮らしっていうものにどことなく窮屈さを感じてしまうことってないでしょうか。
それはオフィスの一室、あれって1階にオフィスがあることもあるかもしれませんけども、都会のオフィスとかっていうのはもう高層ビルの何階だってみたいなところでさ、
しかもその上空の方にあってさ、地面からかなり切り離された場所にあるじゃないですか。
地面から切り離されるっていうのはどういうことかっていうと、乾いた場所っていう意味がありますよね。そうなんですよ。
地面、昨日の話もそうですけれども、今、家とかってさ、コンクリートをまずベターと基礎で固めてから建てますよね。
そうやって地面と切り離して家を建てることによって、家が湿気から守られるみたいなことがあります。
それが上空に行けば行くほどですね、やはり空気が乾いていくというか、そういうことが起こってきます。
そうなってくるとですね、なんか自分の中で囚われたような感覚が僕たちの中で起こってくるんですよね。
この都会にいたらなんか窮屈だなとかって言って、この都会の綺麗な、綺麗って言っていいのかな、整った街並みとかに心躍ったりとか、
このシンプルさっていう、シンプルな中に複雑さがあるんだけどさ、家とかを見てても突起がない。
田舎の家なんか見たら河原屋根でボコボコしてるわけですよ。窓がボンと出てる、出窓っていうスタイルがあったりとかさ、
もう縁側があったりとか、全然真っ直ぐじゃないんだよね。本当にボコボコしているんだけど、都会の家とか、今新しく新地区で建てると、
まあまず壁はスッと平らでさ、そこにさ、もう同じようなところに窓が埋め込まれていて、
もう真っ平、ぺったーんとしているシンプルなデザインっていうものがね、そこに垣間見えると思うんですね。
もう垣間見えるところじゃないよね。もうそればっかりだよね。ビルダウンってもうそうだもんね、というようなところなんです。
そういったのを見てみると、なんとこう自分の中で、ああ、窮屈だなと思うところもある。
そして都会の中でも、やっぱり解き放たれたいと思うのが路地裏だとかですね、
ちょっとこう地面としたような空間に人は身を寄せがちっていうことは何かわかっていただけるかなと思うんですね。
例えばですね、新宿の歌舞伎町なんて言ったらピンとくる人もいるかなと思うんですけれども、
お酒の飲み屋街がうわーっとあったりとかしてさ、夜にあそこを歩くともうキャッチがいっぱいいるわけですよね。
今取り締まりがあって、もうそんなことやっちゃダメだよって、違法だよなんて言うんですけど、
お兄ちゃん、お兄ちゃん、飲んでかない?とか、お姉ちゃんと遊んでいかない?みたいな、そういうこと、もう何度も言われてました。
僕はもうそこの隣の駅にある、新宿の隣の駅の学校にずっと勤めていたので、新宿で飲むというか、会食をするっていうことがすごくあったんですけども、
まあそういうにぎわいがありましたよ、本当に。あそこはどうしてか、都会のど真ん中でありながら地面とした感じがする。
この地面とした感じはなぜなのかというと、かつてあそこは窪地であり、また溜池というか池が近くにあったりとかしたんだということですね。
そういうところを埋め立てたりとか、地面を平らにしたりして、ああいうふうな繁華街に成長をしていったということなんですね。
かつてこの歌舞伎というもので、あの街を盛り上げたいということだったんですけど、それがうまくいかなかった。
うまくいかなくなって、でも名前だけが残った。あれが歌舞伎町ということらしいんですね、どうもね。
というようなことです。やっぱり歌舞伎というのは、かつて歌舞伎者っていう言葉が歴史の教科書でも出てきたと思うんですけれど、
やっぱり社会的に肩着というような感じではなく、なんだか肩破りな、そして何しだかすかわからないみたいな、
そしてファッションとかもちょっとスーツでビシッというような感じではない。
そんなものたちが集まるような、それが歌舞伎じゃないですか、歌舞伎者じゃないですか、そしてその歌舞伎町じゃないですか、なんていうようなことが起こってきているんだということ。
そういう歴史上にはなかなか表舞台には現れないような、そういった物語、ストーリーというものを紡いでいくと、
この日本のまた別の角度の話が見えてくる、姿が見えてくるんじゃないかなって思って、
今日もですね、このブリクラのサラダ仕立て、もーちゃんが足で、歌声で歩いてきて分かったこととか、本を読んだり、人から聞いたことということをですね、
こうやって詰め込んでお話をしているっていうのが、今日のブリクラのサラダ仕立てでございます。
大学の独特な雰囲気
もーちゃんはですね、東京の大学に行っておりました。東京大学じゃないです。東京の大学に行っていました。
この東京の大学っていうのはさ、なんか不思議な気持ちがありましてですね、あの場所に入ると空間として、
すごいなって思ったりします。大学に行ったことがあるよって言ってたよっていう方々は、やはりその母校という場所に門をくぐったりとか、
その街に歩いてみると、なんかそこだけ空気感が違うなって思って感じることってあるんじゃないかなと思うんですね。
大学っていう場所は、なんだか守られている感じもあります。
もーちゃんが行ってた大学はですね、一応正門という、何だろうね、建構っていうものがない場所だったんですね。
一応入り口はあるんですけど、誰でもそこに入ることができて、出入りが自由なんていうキャンパスだったので、
キャンパスだったので、キャンパスは絵を描くやつですね、キャンパスだったので、
そこは出入り自由だったんですが、やっぱりその大学の駅、最寄り駅、降りたあたりからですね、
大学を包み込むように発展しているその街々っていうのがさ、すごく雰囲気がいいなって思うんですね。
アカデミズムっていうものを感じるし、学生たちがそこで学びっていうものを通して自分の身を立てていこうとしているようなところもあるのと、
それから守られているなっていう感覚があるのは、そこがですね、研究とか自分の興味関心というものを突き進められる、
そんなエリアなんだなっていうのを感じているんです。
このですね、もーちゃんのなんとなくの感じている感覚っていうのは、実は調べていくとですね、
確かに確からしい裏打ちされたものがあると、これも経験科学から基づいて調べてみると、確からしいどうもっていうものがわかってきたんですね。
今日はそんな話なんです。
宗教と学問の関係
実はその大学っていう場所って、もともとは人が立ち入ることっていうものを、
阻んできた、はばかれてきた、そんな場所っていうものを切り開いて作られているっていうことがあります。
っていうのはどういうことなのかというと、例えばですね、神社とかお寺とかがその大学のそばにないですかっていうことなんですね。
実はね、もーちゃんが勤めていた学校、小学校だったんですけど、その学校っていうのはですね、学園だったんですね。
学園って一体どういうものなのかというと、幼稚園とか小学校とか、それから中学校や高校や大学というものが一緒になっている。
複数の大学が一緒になっているから、学園って言うんですよ。
一つの学び屋だけだったら、小学校だけだったら、それは小学校です。
でもいくつかのものが一緒になると、学園っていうふうに名前がつくんですね。
それから、キリスト教みたいなですね、宗教とかが入ってきて、信仰が入ってきて、そこがやっている学校とか学園っていうのは、学院って言うんですね。
学院の院っていうのは教会っていう意味なんですよね。
こういうものがあると。
そして、やっぱりこの学校というものは、そういった信仰とか対象から外れるということはなかなか難しいものでですね、
政教、文理、宗教と政治と、それから教育というものは、こうやって切り離して考えましょうなんていうことがいろいろ言われているさなかではありますけれども、
やはりその信仰とか宗教とかそういうものの力っていうものがあって、この学問学び屋というものが生まれてきているんだということです。
もうちゃんが勤めていた学校に関して言うとですね、これ昔の地図を見てみるとすごく驚くんですね。
僕が勤めていた学校はお寺の学校だったんですよ。
宗教法人が学校法人もやっているみたいなことがあって、結構有名なお寺の学校だったんですけど、昔の地図を見るとですね、そのお寺の敷地っていうものがものすごい広いんですよ。
本当に僕がいた場所は新宿の隣の中野という場所だったんですけど、その中野の最寄駅の周辺一帯が坂の向こうまで、山道の向こうまで全部がお寺の敷地だったっていうことがわかるんですね。
だけど時代とともにですね、その何なのね、相続なんかいろんなことがあったんでしょうかね。どんどんどんどんその土地っていうものが狭く狭く狭く狭くなってきていって、そして今そのお寺の境内というものがすごく小さくなっているようにも思うんです。
それでもまだ立派だなとは思うんですけどね。
そのお寺の敷地の一角に学校があるんですね。
学園があるんですね。
これが何を意味しているのかというとですね、実はその学校というものが立ち入ることっていうものをなかなかできないような場所になっていたんじゃないかと。
ちょっと今説明が下手ですね。もう一回話させてください。
同じような例がですね、東京の僕が勤めていた学校にもあるんですね。
大学でもあるんですね。
もーちゃんが行っていた東京の大学っていうのは、ある神社の近くにありました。
その土地もまさにその神社が持っていた土地であったり、その神社とかお寺とかが持っているお墓っていうものがいっぱいあるわけですね。
そのお墓の墓地の一角を切り開いて作られたなんていうことが言われています。
実はそういうケースって結構あってですね、東京の有名な大学、某有名な大学ですね。
W大学とかですね、K大学とかですね、そういういろんな大学たちも実はそういう敷地を作って切り開いて作られたものなんだということなんです。
昔からそういうお寺、神社、またそのお寺や神社が管理をしているであろうその墓地、お墓っていうものは、人が立ち入るのが何らかをはばかれた場所なんですよね。
そこは守られている場所なんですよ。
はばかれる場所、人目につかない場所っていうものは何を意味するのかっていうとですね、避難場所だったんですよ。逃げ場所だったんですよ。
そこは誰からも追われることがない場所だったんです。
だからさ、駆け込み寺っていう言葉ってあるじゃないですか。
何だか人から追われてるとかですね。
例えば今の世界で言うと、社会で言うと、何か家庭の中でさ暴力を振るわれてしまうDVってやつですね。
ドメスティックバイオレンス、家庭内暴力なんかがあって、それでどうにかしてそこから抜け出したいとか言っていって、どこかに駆け込みますよね。
その今お寺の中に駆け込む駆け込み寺っていうものの文化ってものはだいぶ少なくなったけど、その機能を持っていた持っているのかな一つを持っているのかな。
なんかこうで警察とかさ交番とかさそういうところが一応駆け込む機能になっているような気がするんですけども。
そういうところがまだまだ発展していない時っていうのはお寺とかですね。
お墓とかそういうところにこう逃げ込んで隠れていたっていうことがあるんですね。
これ結構むずの専門的な言葉で言うとアジールっていう言葉なんですね。
アジールっていうのは避難所っていう意味があってここは守られた場所ですよっていう意味があって避難所っていうところから派生して聖域聖なる場所っていう意味もあるんですね。
つまりお墓とか神社とかお寺という敷地を使って作られた学問を研究する場所大学学園とかっていうことっていうのはですね。
穴がち駆け離れたものではなく、それから宗教と切り離すものでもなく、実は日本古来からそういう場所を守られた場所。
そして静かな場所、人が立ち寄らない場所、外界から切り離された場所なんていうことでですね。
実は守られてきたものなのではないかということなんですよね。
避難所としての大学
今ですね、アメリカの方で遠く海の向こうの大学誰もが知っているような有名な大学のところでは留学生を受け入れを禁止しましょうなんていうね。
そういう政治的な動きもあって、だけどそれを裁判所がそれはダメだよ差し止めだよなんていうことが昨日あたりのニュースでありましたけれども。
やはりこの学問という場所は聖域なんだよなんていうこと大学というのは聖域なんだよっていうのは実はですね。
そういった宗教とか信仰というものが結びついていたんだろうねっていうことなんですね。
そしてですこれがキリスト教みたいなこの教会の話先の学院みたいな話になってきてもやっぱりそうでですね。
そうやっぱり生き物、人間とか人と生きとし生けるものの生と死というものを扱うようなそういう場所に守られている。
そのキリスト教系の大学っていうのがやはりありますよねっていうことです。
おういさんこんにちはゆっくりしていってください。
今日も今日とて訳のわからない話をさせていただいております。
ゆっくりしていってください。
あと昨日ありがとうございました。
ご登録いただきまして。
ういさんこんにちはってソラニャンが言ってくださってます。
ありがとうございます。
お昼休みですね。
おかげさまです。
お仕事ありがとうございます。
もうちゃんは今日お仕事がお休みになって雨だから休みになったよっていうところからお話を始めております。
ここまでいかがだったでしょうかね。
ここまで前半なんですよ。
大学そして湿地帯繁華街で人がなかなか立ち入られないというところは実は正義になりがちだっていうことなんですよね。
失礼しました。
そんな話をちょっとさせていただいてきました。
ソラニャンからいただいております。
宗教系列の学校が存在するのはそういうのも関係があるのでしょうか。
ありがとうございます。
僕が今話をしているのは日本の学校の作り方というか土地の地域柄の作り方なので一概に言うことはできないんですけれども。
宗教系列の学校っていうのはやっぱり自分の信仰とかそれを伝えたいっていうことがあったはずなんですね。
神学って書いて神学って言ったりとか仏教学とか書いて仏教の大学があったりとかしますよね。
まずその信仰というものを伝えたいっていうことが一つなんです。
ただですねこのキリスト教の考え方っていうのはですねこれモーちゃんの研究した結果なんですけれども。
ありとあらゆる科学っていうのは西洋の科学っていうのはですねこの研究してた場所っていうのは経済的なところから生まれたこともあるんだけど。
どちらかというと教会の中で生まれてきたものもあるんじゃないかなと思います。
その中の一つとしてはメンデルの法則って聞いたことありますでしょうか。
豆をですね調べていってシワクチャの豆とそれからシワがないつるっとしたお豆とあと緑色の豆と茶色の豆っていうものがどういうバランスで生まれてくるのかなんていうことが研究結果としてあって今でも教科書に載っておりますよね。
あれをできたっていうのはあれを調べたのは教会の人なんですよね。
その教会のメンデルさんが調べていったっていうことは神様が作っていったであろうそのことわりっていうものをひも解いて解明していこうとしたっていうことがあって。
その教会の中でやっぱり科学っていうものもその中でも特に生命科学っていうんでしょうかね。
生き物っていうところにはすごくフォーカスが当たっていったように思います。
なぜそんなことがキリスト教の中で起こっていったかっていうと今僕たちの経済資本主義とかお金の回りとか経済のことっていうのはですね。
実はこのキリスト教の影響を色濃く受けているからなんですね。
そらにはへーって驚いてくださってます。
ういさんメンデル懐かしい。
ここの話でメンデルが出てくるなんてね。
なんでかっていうとこのキリスト教の特にカトリックというね。
この元々の宗派原理を組むものっていうのは聖書にこう書いてあるんですね。
6日目に一番最後ですね。
6日間で神様はこの世界を作って一番最後に自分の分身である人間を作ったということなんですね。
この人間はなんで作ったのかっていうと。
あれですよ。
この世界を管理するために作ったんですよね。
資本主義とキリスト教の関係
そしてこの世界というものは人間が管理するものであり。
そして生きとし生けるものっていうものは人間のために作られたっていう。
そういう思想が聖書の中には織り込まれていると。
これをどう解釈したのか人々はっていうと。
生き物たちとか自然というものは人のためにあるんだということです。
そして人のためにあるものだからどんどん開発をして自分の役に立てていいんだっていうことが。
この元々の源流として思想としてここに込められているということなんですね。
あんまり進行の話とかしていくとちょっともう違いますとか私は違いますとかって出るもんです。
収書がつかなくなってしまうのであれなんですけど。
でも自然観っていうのはそこから生まれてきてるんですよね。
人の自然観っていうのは。
だからどんどん開拓していこう。
これがやっぱりアメリカ大陸をどんどん東から西に向けてどんどん大陸を開拓していったっていう歴史にもなっていくし。
だからこそその目の前の豆一粒にとってみてもですね。
どうやって遺伝というものがあるのか。
神様はそこにプログラムを仕込んだのかっていうことを紐解いていったっていうことは想像に固くないですよね。
なんていうことです。
面白いね。
ういさんありがとうございます。
なんですよ。
なので今日本人は資本主義から逃げられないとか、お金は否定するものではないとかいろんなことを言われておりまして、
まさに今資本主義社会の中で動いているけど、
日本ってもともとそういうもので動いてなかったよっていうことは伝えたいところなんです。
なぜならばキリスト教というものから始まっているのがこの資本主義という世界だからなんですね。
日本は全然違う信仰があったでしょうっていうことなんですよね。
むしろ自然というものから学んだり、自然からの恵みを受けて自然を管理する、コントロールする対象ではなく、
自分自身は自然の中の一部としているからっていうことなんですよね。
だからこのキリスト教の中でもですね、日本人でキリストを信仰してますっていうご家庭があって、
日本の自然観と文化
そのご家庭の中に生まれた環境活動家の方がいらっしゃいます。
その環境活動家の方がですね、小さい頃にすごく違和感を感じたことがあったんだって言うんですね。
これ宗教学を否定しているわけでも決してなくってですね、その方がおっしゃったにはこんなことを言っておりました。
それはね、いただきますっていう言葉を家でもやるわけですね。
その時に日本の家庭だったのでやるんだけど、誰に手を合わせるのかっていうことなんです。
日本のいただきますっていうのは、やっぱり生きとし生けるものに、命を捧げてくれたものにもありがとうございますって言うんですね。
でも、このキリストのカトリックの時のこの考え方っていうのは何に手を合わせていたと思います?
これね、ほら、アーメンって言うじゃないですか。
僕ホームアローンとか見ててもさ、思うんですけど、ホームアローンって映画ありますよね。
マコーレ・カルキンがさ、ケビンがさ、一人でクリスマスの時にこの食事をね、食べられることに感謝しますって言って
祈りを捧げて、アーメンって言って食事をするっていう場面がありますけど、
あの時に言っている言葉っていうのが、あれなんですよね。
神様への感謝なんですよね。
僕たちにこれを恵んでくれた神様、あなたに、主に感謝しますっていうことを言って食事をいただくっていうことなんです。
だから、命に感謝とかじゃないということが、そこに盛り込まれていたんだよねっていうことです。
だから、子供ながらにして、家の敷き足り、神様への感謝、命には感謝ではない、そこにすごく違和感を感じたっていう方もいらっしゃいましたね。
葛藤がありそう、そうですね。本当、ういさんありがとうございます。
感じていただきまして。
そういうのがあって、人の思想っていうものは、なかなか難しいところがあります。
分かる、その感覚。分かっていただけますか。嬉しいです。
こういうのは、いろんな本を読んでいくと、もともとそうだったよね、みたいなことが分かっていきます。
人っていうのは、そういう窮屈だなとか、おかしいなとか、変だなって思うところから逃げ出したいという思いがあるんですね。
乾いた土地、乾いた場所にいる都市のとか、オフィスワークをしている人たちも、なんだかそこから離れたいなと思って、夜な夜な湿った場所に出かけていくわけですよ。
じめっと、じとっとしたところに出かけていくわけですよ。
そして、そこは飲み屋街だったりするんですよ。
そして、水商売のお店だったりとか、そういうのがあるんですよ。
根本的にそもそも違うんですね。
根本的にそもそも違うから、そこで日本人が、
ちょっと島の生き方とか考え方とかっていうもの、暮らし方にちょっと何か違和感を感じるんだよねって言って、
叱るべきというか、当然なことだと思います。
僕たちにやっぱりDNAがあるからね。
遺伝子というものがやっぱり自分たちの中にはあるからさ、日本人としての。
やっぱりそれは仕方ないことだと思うよ。
だけど、僕が思うのは、その感覚を大事にしていきたいよねっていうことなんですよ。
経験科学ですね。
で、その湿った場所に行くでしょ。
そして、よなよなサラリーマンたちが歩き回って行ってさ、やるわけですけど。
この、なんか解き放たれたい、だから湿った場所に行くっていうこの感覚っていうものが、今どんどん広がっているように思うんです。
湿った場所っていうのは、とにかく何かっていうと、別の側面から見るとですね、
命が生まれる場所なんですね。
水がない場所からは命は生まれないわけでございまして、
湿った場所からありとあらゆるものが生まれてくる。
田舎と都会、どちらが湿った場所かと言われたら、これ二項対立で考えるものではないんですけど、
でも、ただどちらかというならば田舎の方が湿った土地なのではないかと思うんですね。
だから都会の方々がゴールデンウィークとか長期休みになってくると、
少しずつ大量に湿った田舎の方に押し寄せてきて、
そして自分たちが癒されるわけですね。
でも癒されるっていうか、なんか都会の場所で逃げたかったんでしょうかね。
逃げたいなって思って、こっちは避難してくるような感じがあります。
この避難っていうのが現代で言うリトリートっていう言葉になっていきますね。
リトリートっていうのも、逃げる場所、逃げ場所とか、逃げること、避難っていう意味なんですよね。
リトリートっていうのは。
だから、癒しの旅なんていうことで僕は話をしますけれど、
もっともっとこう奥深くには、実はこの避難をするっていう言葉が、意味があってね。
それっていうのは、昔の人たちがお墓とか神社とかお寺に行っていたっていうことと、
すごく間近しいことがあると思います。
あ、エマさん、モーチャーありがとうございます。挨拶いただきました。
ゆっくりしていってください。
はい、そうそうリトリートの話ですね。
そうなんですよ。どうですか。
今まで結構閉鎖された場所に逃げ込むっていう風習があったんだよねって思うんですね。
神社の中、お寺の中、それから飲み上がるとかですね、お墓の中とかですね、
そういうところに逃げ込むっていうことがあったと思うんですよね。
そういったところから集まってきた人たちがですね、
新しい文化を生み出していって、
反社会っていうことはちょっとあれなのかもしれませんけども、
言い過ぎかもしれませんけども、ある側面、社会に馴染めない人たちとか、
田舎への移住とリトリート
会社ふざけんなよとかっていうような愚痴が飛び交ったりとかして、
露線から外れようとする人たちが出てきたりとか、
あとファッションとかも生まれてくるんですよね。
ファッションがこうやって生まれてきて、
派手な服装とかが生まれてくるっていうのもそうなんですよ。
だから渋谷がファッションの先端の場所じゃないですか。
古い?この考え方ちょっと。どうなんだろう。今でもそうかなと思うんですけど。
渋谷がファッションの最先端の場所だったりとか、原宿がそうだとかさ、
そういうものっていうのは、実はあの辺っていうのは渋谷谷って書くぐらいでですね、
地面とした場所なんですよね。あそこは実は。
昔はあそこに池があったりしていて、ため池というかですね、
そういった湿地帯であって、その湿地帯を埋め立ててしまって、
今みたいな渋谷みたいな形になってますけど、
道元坂とかっていう坂道の麓のところは、もう地面とした一帯だったんですよね。
だからさ、この渋谷っていう言葉って結構さ、
名前がさ、なんかあれじゃないですか。ダウナーな感じしません?渋くない?
渋谷なだけに渋いですよね。
なんだけど、そういう場所が流行の先端の場所になるっていうのはそういうことなんです。
そしてそこで見たこともないようなファッションとか文化っていうものが生まれてって、
全世界に発信していくっていうのは、そういう力とエネルギーが集まる場所だったんですよね。
そういうひとたび、ちょっと言うと、今閉鎖された場所に行って、
ここは自分の守られている場所だなんていうことを言ったりします。
これちょっとこじつけだし変な話をしますけど、
もうちょっとね、学校に勤めてた時ですね、
学校という現場は結構乾いた場所なんですよね。
地面から切り離された学び屋の中にいて、
子供たちとかね、ずっとこういろいろな人たちと話をしてですね、
ちょっと疲れた、一人になりたいと思った時に、
用もないのにトイレの個室にこもると。
あそこには水があるよね。ちょっと湿ってジトッとしてるよね。
でもなぜ落ち着くんでしょうね、人は。
トイレの個室っていうのが決して衛生的な場所ではないのにさ、
だけどそこが何かちょっと落ち着くなって思ったりとかしません?
ああ、さなえさんこんばんは。
こんにちは、ゆっくりしていってください。
っていうことがあると。
人はそういうとこに逃げ込もうとするんだけど、
今逃げ込むんじゃなくて、逃げ出そうとしているのが、
この令和の時代なんじゃないかと思うのです。
都会というものの世界っていうものを見た時に、
もう茶の感覚ですが、都会というものは広いと思っている人は、
多分いないと思うんですね。
実は都会っていうのはすごく限られた範囲、エリアの中の話だということで、
実はこの都会から一歩離れたところ、抜け出したところには、
まだ見ぬ世界がいっぱい広がっている、
まだ開拓されていないような田舎ですよね、行ってしまえば。
そういう世界がわーっと広がっているんじゃないかということを、
なんとなく思うわけでございます。
その場所に逃げ出したいですね。
逃げ込みたいじゃなくて、逃げ出したい。
この都会から逃げ出すっていうことが今行われていて、
田舎への移住だとか、それから休みの時ぐらいは、
ちょっと都会から離れてみたいな人たちが出てきているんじゃないかっていうのが、
僕が読み解く、令和の時代のリトリートでございます。
エマさん、今度31日に音楽イベントを歌うんですね。
すごーいいですね。
ありがとうございます。
さなえさんは都会から離島に移住した人です。
そうなんですよね、さなえさんそうなんですよね。
さなえさん的には、聞いてると話が長くなっちゃうからまた別の機会にしようかな。
島の文化と自然
都会にいて、なんだろう、なんでしょうかね。
やっぱり島って限られた場所じゃないですか。
多分東京のほうが広かったりすると思うんですけど、
だけど島のほうが解き放たれるという感覚とかってありません?
僕なんかはあるんですけど。
ありがとうございます。
来てみてわかったけど田舎はいいよねってあるある。
エマさん、淡路島が日本の始まり、そうですよね。
そういう神話がありますよね。
というようなことがあってさ、
やっぱり島であろうとなんであろうとですね、
世界は広くてそちら側に逃げ出そうとするリトリートという文化っていうものが
今発展しているんじゃないだろうか。
というようなことがあって。
僕はそういう世界があるよということをもっともっと伝えていきたくて、
実はそのこだまこまちプロジェクトっていう、
木を精霊に人化してっていうことをしているのかな、
なんていうことも思っているんですね。
そういうようなのを、もうちゃんの世界観としてお話しさせていただきました。
いかがだったでしょうか。最後まで聞いてくださってありがとうございました。
奄美大島のホテル問題
お、さなえさん、日本の源と言われてます。
そうなんですね。日本の源。
その天海のさ、やっぱ自然っていうのって、
ほんとにこのさなえさん、この間のどうだったんだろう。
ホテルの立つのやつどうなったのか。
なんかさ、そう思うとさ、
リゾート開発とかっていうのがすごく、もうちょっと考えようよってなりますよね。
エマさん、淡路が最初だよ。
淡路が最初でさ、この間僕の友人も淡路島の一番最初の場所っていうものを見てきたよっていうようなことを言われました。
ということで、また淡路島の話をまたやりましょう。
なるほど、ホテルの件はまだまだ途中段階です。
そうですか、奄美大島のある一角の場所でホテルが建設されるということで、
そのホテルの建設が住民への理解っていうものがなかなかちゃんと得られず、コンセンサス得られず、強行で進められてしまったということで、
しかもそのホテルが立つ隣には民家があって、
今まで暮らしを守ってきた、文化を守ってきたっていうのが、これがないがしろにされてしまうじゃないかということで、
たくさんの人たちが名前を挙げて声を上げて、僕も署名をさせていただきましたけれども、っていうのが今まだ続いているっていうことですね。
軍艦島にしないように、ありがとうございます。
ということで、ちょっと今日は42分も話してしまいました。
これいつも学校の授業ぐらい長くなるんだよな。
ということで、最後まで聞いてくださってありがとうございました。
お相手は、こだまこまちプロジェクトのもおちゃんでございました。
さなえさん、まだまだ署名募集中ですということなので、もしですね、天見大島の自然を守りたい、また自分自身も天見大島で何かこう、
力になりたいと思う方は、さなえさんのところからぜひ飛んでいただいて、署名活動参加していただけたらなと思っております。
本日コメントをいただきましたのは、そらにゃん、ういさん、そしてえまさん、そしてさなえさんでございました。
ありがとうございました。
そして最後まで聞いてくださった皆様にも本当にありがとうございます。
またお会いできることを楽しみにしております。
あなたとあなたの大切な人に森の精霊のご家族が訪れますように。
44:05

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