水の記憶とエネルギー
おはようございます。こんにちは、こんばんは。こだまこまちプロジェクトのもおちゃんでございます。いかがお過ごしいでしょうか。
こんな時間、10時38分というね時間帯に、ライブ配信にてお届けをしております。いかがお過ごしいでしょうか。
はい、昨日はちょっと1日お休みをいただきましたね。ありがとうございました。いや、昨日ね、もうめちゃくちゃやることあったんですよ。
でね、田舎ってね、スローライフなんていうふうに思うじゃないですか。これね、全然スローライフじゃないからね。やることめちゃくちゃ多くって。
昨日なんてですね、梅のすりおろしを夜中の3時までやってました。
そしたら、もう寝なきゃとか言ってですね。それからやろうとしたんですよ。このスタンドFMやろうとしたんですけど、もう無理かなと思ってですね、やめてしまったんですよね。
で、昨日ね収録をしようと思ってちょっと話をしていたけど、やめたね。もうなんか眠いし、今話してることって本当にいいのかなって。だからさ、やっぱライブ配信と収録って収録だと自分の言いたいこと言えているように思えて、実はちょっとよく見せようみたいなところがあって。
もうちゃん的にはね、ライブ配信ってもう一発勝負だからさ、もうこれで言葉を発してOKにしようなんていうふうに言えるからさ、まあまあまあまあいいんじゃないかなって思っております。
これからですね、もうちゃんが住んでいるこの高知県地域はですね、大雨が降る予定なんですよね。たぶん明日あたりにはかなり強い雨が降るんじゃないかなというところで、さあさあもうちゃんはですね、じゃあ雨の前に皆様に聞いていただけたらいいかななんていう話をしようと思うんですね。
で、もうちゃん自身、おとといにしたあの水の記憶を手繰り寄せるならばみたいな、そんな放送がね、もうめちゃくちゃ楽しかったんですよ。もう自分自身で、ああこれかもしれない自分が話したいことってっていうのをね、なんかこう見つけた気がしたんです。
もうちゃんはファンタジー作家なんですよね。でね、よくこう僕なんかこうしっかり話さなきゃなーって思っちゃってさ、まあそういう話もいいのかもしれないけど、なんだかこう裏音ってさ、すごい調べてさ、でそれをわかりやすく伝えるみたいなことをよくやりがちなんだけども。
お、ソラーニャンこんばんは。これから運転なのでお耳だけ。はい、お気をつけてありがとうございます。いつも来てくださってありがとうございます。はい、なんかいいとこ見せようと思っちゃうんでしょうかね。それでさ、ちょっと固い放送になるんですよ。
でももうちゃん、やっぱりそうじゃなくって、なんかファンタジーの世界で生きたいからさ、ファンタジーを語ろうって思ったんですよね。これがさ、スピリチュアルだって言う人もいるかもしれないし、迷信だとか言う人もいるかもしれない。
人たちと話をしながらですね、そして自分の足で歩きながら土を触り、水をめぐり、風の言葉を聞きながら日々暮らしているわけでございます。そこからインスピレーションを受けたものをファンタジーの世界として表現をさせていただいておりますので、まああながちですね、科学的じゃないとも言い切れないということです。
さっき僕めぐりあった言葉の中に、経験科学っていうものがあるんですってね。これさ、なるほどなと思ったよね。科学って言うとさ、バチッと当てはまるようなもんだけど、自分自身の経験上これは確からしいなんていうことっていうのは経験科学なんていうふうに言われて、結構これ僕いいなと思いました。
人類学とかさ、アイヌの方もそうだけど、口伝えでずっとずっと伝えられているこの伝承、文字には残ってないんだけどね。でもこの人から人へ記憶の中を移動する伝説なんていうのは、まあ明らかにこれ経験科学の世界なんじゃないかなって思うとですね。
これは迷信だから信じないほうがいいよとか、なんかそうやって一周するのはかなりこう、まあね、あの浅はかかなあなんてことを思ったりとかして、慎重になりたいなあって思ったところでございます。ということでね、もうちゃんがこれから語ることも経験科学に裏打ちされた。
科学に裏打ちされてない。経験科学に裏打ちされた。そんなお話をさせていただきたいと思っております。おととい話した水の話、水の語源っていうのはよくわかってないんだけど、水の水っていうのはですね、神様っていう意味がここに込められているとかまた精霊とかさ、そういった不思議な力の持った存在のことが水っていうふうに言うんじゃないかっていう説を僕は推している。
大崎さんこんばんは。ゆっくりしていってください。嬉しいです。ありがとうございます。はい。で、水っていうのは、水の水っていうのは、すにてんてんで書くけど、昔はつにてんてんだったんじゃないかっていう説を押すと、つにてんてん、つっていうのは続くとかつなげるっていうことがここにこもっているということだったり、集まるっていう意味が込められているんですよね。
なので、聖なる力がずっと続いていくなんていう意味があるよねって。水っていう言葉を発するたんびに、ものすごく深遠なるですね、奥深い聖なる言葉を発しているような気になりましてですね。
毛ちゃんは水ってすげえなと思いました。万物を受け入れてくれるような包み込んでくれるようなその水っていうものの懐の深さですよ。水はゼロキロカロリーなんだけども、なんでゼロキロカロリーなのかっていうことですよね。
そしてその水っていうものは体積かな、密度がめちゃくちゃ濃いんですよね、空気中と比べると。空気中ってさ、密度がものすごく薄いんですよ。だから僕たちは動いている中で抵抗感を感じることがないよね。
ものすごく自転車一生懸命漕ぐとさ、向こうから風が吹いてくるような感じがあるんですよ。時速30キロくらい自転車を飛ばしてみると向こうから風圧が来るんですよね。その時にこんなに向かい風って苦しいのかなんて思うんですけど、
向かい風が吹いているっていうよりも、風を追い越そうとしているというか、空気の流れよりも早く僕たちが動こうとしているから、向こうから風圧が来ているように感じる。これが自転車乗りの宿命。僕自身も自転車を乗っていたので、時速30キロくらいからものすごい風が苦しくなってくるわけですよ。
普段は感じないよね。でもさ、水の中ってプールの中とかってすごく動きづらかったりするじゃないですか。水の中って。これ密度がですねものすごく高いんですね。なんと空気中の800倍くらい。800倍くらい密度が濃いんですよ。だから水の中で動いているだけでダイエットになるなんていう話ってよくあるじゃないですか。
これですよね。なのでもうちゃんは水の中にずっとずっと居続けていたっていう過去も持ち合わせておりますので、水というのはもうちゃんを包み込んでくれて、そしてこのゼロキロカロリーなんだが、この密度が濃いということはですね、その中にいろんなものを包み込んでくれるような感じがして。
そして昨日のおとといの話ですよ。記憶の媒体として水っていうものはあるんじゃないかっていう説をもうちゃんは推している。これファンタジーの世界だよ。でもかなり確からしいなっていうことはちょっと思ってるんですよね。水は万物を巡っていくものですよね。
ぐるぐるぐるぐる巡っていくもの、流れていくもののように見えるんですけど、実は染み込んでいくものであって、大地の記憶なんかをぐっと何十年も百年単位で水の中に記録していって、そしてまた水が湧き水のように出ていって流れていって、そしてまた空に登っていってっていうのを繰り返しているから。
だからゼロキロカロリーでも僕たちはその水っていうものを自分の中に取り入れることによってすごくエネルギーを元気になったみたいなことが起こったりするんですよね。ということで、水っていうのはすごいよねっていう話をしました。
水の性質
で、その時にちょっと話をしたことなんですけど、水は流れるものではないんです。流れるという性質ではなく、水は上から下にただ移動をしているだけっていうこの真理が実はありますよということです。
水はどうしてもそこで染み込んでいくことができなかった時に仕方なく流れるっていうこのですね、断りがあるんですよね。これはね、僕が今自然のお医者さんとして活動しているときにまあこれは確かだろうなっていうことなんですよ。
水は染み込もうとします。とにかく下へ下へ下へ下へと行こうとするものであって横に動こうとするっていう性質は一切ないんですよね。でもコンクリートとかさ、そういうものに阻まれたときに仕方なく流れるんですよね。低い方は低い方に流れていこうとします。
この土の中っていうものに染み込んでいくわけだけど、染み込んでいく過程で水の中にはありとあらゆる栄養素、栄養素って言ったらなんかすごく軽い感じがしますけれど、たくさんの記憶とか情報というものが込められていくように思うんです。
だからね、雨として天から降り注いだ瞬間の水と、それから山に染み込んでいって、そして山から湧き出る水の成分を調べると圧倒的にこの湧き水の中の成分というものは変わっているはずなんですよね。
ものすごく冷たくなっているし、それからこれをすごく喜んでくれるような魚とか虫たち、生き物たちっていうのがいる。そして水道水で育てる植物よりも山の水で育てる植物の方が圧倒的に元気になるっていうことがここには真理としてあるんだろう。
これ僕の経験科学だけど、でもきっとあるんだろうなっていうことを思っている次第なんです。
じゃあこの水には秘密があってこれを解き明かしてきましたが、土の方にも実は僕たちが気がついていないような力パワーというものが込められているんじゃないかっていうのが今日の話です。
土はですね、僕たちが踏んでいる土っていうもの。土踏んでますか最近?土踏んでます?いやーこれ結構ドキッとする質問だと思うんですけど、普段コンクリートの上、アスファルトの上はよく歩くよ。外にも出てるよ。
でも土というものを踏んでないっていう人はかなりいるんじゃないかなと思っています。
もーちゃん田舎にいるけど確かにこれね1日に一度も土を踏まない時っていうものもあるんだよね。畑の中に入っていかない限りはもーちゃんもねなかなか土を踏むっていう機会ないね。
本当ない。だからうっかりしてるとねもう土と離れ離れになってしまう距離を置いてしまうような生き方になりがちなんだが、この土がめちゃくちゃ意味深い意義深いものなんですよ。
なんですよ。だからこの言葉をね話を今日は聞いてほしい。そうそうそうそう。で本題に入る前にこだまこまちのメールマガジン今日から始まりますので、もし興味あるなと思ったらですね是非登録してください。よろしくお願い致します。
土の成り立ちとその本質
土はですね一言で言うならば何なのかというと、屍です。土はですね屍の積み重ねで出来上がっているものなんです。
それは何かっていうと、例えば落ち葉が舞ってきて、そして地面に落ちます。地面に落ちるとその落ち葉がだんだんだんだん虫たちに食べられて粉々になっていって、そしてしかもこれを菌たちが食べたりとかして分解をしていき、そしてやがて土になっていきます。
この土がですねどんどんどんどんどんどんどん積み重なって僕たちが普段ね踏んでいくこの地面になっていくんですよね。これが土の正体だっていうことなんです。これはねもう間違いない事実です。
しかもその中にはですね、葉っぱとか草とかの中には虫たちもいますよ。それから獣とかもいますよ。そういった生き物たちの死死累累って言うんでしょうかね。
もう屍たちのこのですね積み重ねが実はその地面、大地っていうものを作っているんだっていうことはこれはもう紛れもない事実だとももちゃんは思うんだけどみんなどうかな。
そしてその地面、屍たちの山積みになったところを水が流れるんですよ。そうするとその水たちはありとあらゆる生き物たちとか植物たちのこのですね亡骸を通ってくるので、
もうそりゃさそこの水の中にはさ様々な記憶や情報がこうスッとなんか詰まっていくような感じがしません。僕はめっちゃ済んですよね。でこの土っていうのはどういう意味なのかですよ。
土っていう地をですねこうよく見るとまあ漢字でね一文字で三角で書くんですけどこれはねまあ象形文字なんですよね。土の上にですねまあ草が生えている様子と言ったりとか。
あとこの地大地にですね神様に何かこう備えていくっていうようなそういうものを表していますなんていうことはもう簡単に出てくる情報なんですけどもっとですね深くこのですね漢字というものは中国から入ってきたものなので日本では古来からこの土というものをどう捉えてきたのかっていうところなんですよ。
で僕ね小学校の教員をしていた時に和語と漢語っていうことを教科書の上で教えたことがあります。でこの和語と漢語っていう言葉ってあんまり聞きなじみなかったりすると思うんですね。漢語というのは漢字の言葉と書いて漢字の日本語の語、語学の語と書いて漢語と言うんですがこれはね中国からやってきた言葉なんですね。
で一方で和語っていうのは昔から日本で使われてきた言葉なんです。だからもうちゃんたちね結構普段使っている言葉の中に漢語が多くなりがちなんですっていうのは熟語で喋っていくからですね。熟語っていう言葉もこれは熟っていうのがまず音読みですよね。
で語学の語っていうのも音読みですよね。両方ともこれ中国読みしてるっていうことはこの熟語っていう言葉は漢語なんですよ。でも和語っていうのはねこれ何かっていうと例えば熟語をもっと簡単に日本語チックに訳していくとお隣の中国という国から入ってきた言葉とかですね。
昔からいろいろこう言われてきて使われるようになった言葉みたいな感じが2つ以上積みつらなって作られた言葉みたいなことになっていくんですね。でこの和語っていうもので表しきれないものもあるよ。漢語の中でね。でもさ。
土っていう言葉はありがとうございます。佐紀さん。なるほどです。ありがとうございます。ご共感いただいてめっちゃ嬉しいです。励みになりますね。で和語っていう言葉はですね。これ大事なことで日本人が忘れていかないでほしいものなんですよね。だから熟語に逃げない。
もーちゃんもこうよく何この放送をさ配信をさせていただいているときにできる限り熟語ではない言葉で話をしていきたいと思っているんですよね。だからすごくスピードが遅い時がある。和語を見つけながら探しながら話を進めていくからさ。
でよでよ。で土っていう言葉はもうもともと日本語の中であったんですよね。古事記っていうところ712年に変算されたというか出てきたこの日本最古の歴史書。伝説が書かれているところにはもうすでに神様の名前の中に土っていう言葉が入ってきています。
神様の名前話しちゃうともうわけわかんなくなっちゃうから言わないけど神様の名前に何とか土の神っていうのが出てきています。
でじゃあ土っていうのはもっとじゃあ昔からこの日本の中では使われていた言葉だったじゃんっていうことがわかってくるわけですね。
ってことはですね。
知ってどういう意味なんだろうってことになるわけですね。で実はその土のつっていう言葉ですね。
日本語のひらがなには一文字一文字に意味があります。
つですよ。
つって何?
そうなんですね。
でこのさ日本にもつっていう場所があるじゃないですか。
津市、三重県には津っていう場所があるじゃないですか。
あれ津ってどういう場所なの?
っていうとあそこは港があるのかな。海に面しているところですよね。
そうそうそらにゃんそうなんすよ。ありますよね。
津っていうのは港っていう意味があります。
それから都っていう意味もあります。
いやーこれ面白くないですか。
都っていう意味もあるんですよ。
都っていう字って東京都の都って一文字で何て読むかっていうと津って読みますよね。
そうなんですよ。津なんですよ。
しかもこれ都とか港って言った時に両方ともやっぱり身がつくっていうのは面白いところじゃないですかこれ。
さっきの水って言ってたのとすごく似たようなことがあってこの身っていうのは丁寧に言っている言葉であり神様っていうことでもあるのでね。
ありがとうございます。やっぱりそうだよね。
津っていうのは海まですぐですっていうことをそらにゃんお話ししてくれました。
ありがとうございます。さすがです。運転終わりました。
お帰りなさいませ。
そうだよねそうだよね。
でこの都とか港っていう風な意味が津にはあるんですがそんな浅はかな意味じゃないんですね。
意味としては込められているんだけどもっと奥深い意味が込められています津には。
それは何かっていうと集うって意味です。
集うは集まるっていう意味ですね。
集まるです。
様々なものが集まる。
そして集まるから続いていけるっていうことなんです。
これがさっきの水っていうのの津に点々の水っていうのにもつながってくるわけですけど。
いろんなものが集まってくるっていうところを津って言うんですよ。
集いの津ですね。
でこの様々なものが集まってくる様々な人が集まってくる港もそう都もそう。
そういう場所のことを津と言いましてそういった場所は聖なる力を持っている場所っていう風に言われるんです。
聖なる力を持っている場所のことを都とか港津って言うんですよ。
そうなんですよ。
でこの聖なる場所っていうのは日本はねこれをねみんなで使ってたんですよね。
例えばさ今も言うけど山とかさそういうものって誰のものでもなかったみんなのものだったはず。
だからここは聖なる場所としてみんなで大事に使っていこうねっていう風に言っていました。
今みたいに私有地だとかここからここは俺の場所だみたいなことを言っているわけじゃないんですよね。
実はもともとはみんなで使う場所のことを聖なる場所としてくくっていたこれが津なんですよね。
なんですが今東京都なんていうのを見てみるとですよ。
あの都とか都会の方を見てみるとそんなことはもう本当に影がないよね。
ここは俺の土地だここは私の土地をみたいなことで線を引いてさそして私有地にしちゃってるじゃないですか。
これによって何が起こっているかっていうと聖なる土地感がなくなってきてるんですね。
聖なる力みたいなものがちょっとなくなってきてしまっていて。
でもそんな中でも東京の中でもね都会の中でもみんなで使おうよっていう場所がある。
これはね公園とかじゃないんですよ。公園とかみたいにここはみんなで使おうよって言って法律で決まっているような場所ではなくですね。
例えばそうだな家の裏側路地裏みたいな場所一目に誰にもつかないけどさでもなんかそこは誰が通ってもいいよねみたいな通りにくいけどさ。
そんな場所っていうものが結構実は聖なる場所として残り続けているのかなって思ったりももちゃまするんだよね。
まあいいや空き地とかさちょっとなんかもう今整備されてないから近寄りがたいよねなんていうふうに言われているようなところこそ実はそこは聖なる力を持っている場所なんじゃないかなっていうのがもうちゃんの分析ね。
はいだからねまあ都会の中ではこれから街づくりの中でこの共有地っていうんでしょうかねみんなで使っていて誰のものでもないよっていうこうあの街が管理してるとか国が管理してるとかそういうものでもないんだよっていうようなみんなで管理してるっていう言い方の方がいいかなそういう場所を増やしていくっていうことが実はその一つ街づくりのヒントになっていくんじゃないかなって思ったりはしてます。
聖なる場所の意義
はい余談でした。でも結構面白い余談でしょでこのツーの話をしてたよねだから聖なる場所って意味ですよねで土の地ですよじゃあ地って何なのかっていうと地っていうのはねあのこういった語源と同じなんですよねあの血液の地であったりあとお日様の日であったりとかあとファイヤーの日であったりとかそういうものと語源が一緒なんですよね。
でつまりその源って意味があります源です本当にこのすべての源は僕たちは多分太陽のことを言うと思いますね。
太陽日の光これを源っていうふうに言いますよねだからやっぱりねこの土の地にも聖なる力が込められているような感じはしますで特に地というこの平仮名一文字に込められているものっていうのはあの地味猛竜っていうじゃないですかあの地味猛竜の地っていう字って一文字でですね。
すだまって読むのかなあのねもののけっていう意味なんですよねしかもこのもののけはどういうところから生まれてくるかっていうと山とか林とかそういう中から生まれてくる今もーちゃん今ね山とか林って言いましたよこれ山林って言っちゃうとこれ漢語なわけですよ山とか林って言うとこれは山とか森とか林って言うとこれはあれなんですよ
あの和語なんですよねで山っていう言葉はさって言ってまた山っていう言葉一文字にも実はこの日本人が大事にしていた意味とか祈りっていうものが込められているので猛ちゃんは山ってちゃんと言います
ういさんこんばんはゆっくりしていってください今めちゃくちゃ不思議な話をしているのでもしよろしければ聞いていってくださいね
はいファンタジー作家のタバコトでございますはいでその地味猛竜の地ですよ土の地は地味猛竜の地でもののけとか精霊とかそういうことを言っていてさらにもっと言えば山とか森とか林の中で生まれたそういったもののけたちのことをこの地っていう言葉の中に込められているんですね
はいってことは土っていうのは一体何なのかっていう話がだんだん見えてきませんか土の津はいろんなものが集まってくるところで聖なる力がある場所っていう意味ですそして地というのはこの獣とかもののけとかっていうものであり先ほど猛ちゃんが言ってきたこともちょっと繋がるような気がするんですけど
これめっちゃ僕面白い面白い分析だなぁと思っているんですけれどこれはねでも猛ちゃんねある半分ぐらいまではちゃんと調べてますあと半分はファンタジー作家の猛ちゃんの想像でもあります
こういうの楽しい嬉しいですそらにゃんありがとうございますめっちゃ面白いです嬉しいです
これ答えがないことなのでねとにかくこうやって妄想を膨らませてやっていきましょうよということなんですがさらにここから猛ちゃんのオリジナルですね
土の地っていうのはクチミモールの地であることは間違いないそして獣もののけっていうことは間違いないんだがこの地というものにはもう一つ意味が込められているそれはですねどんな意味かというと無性の愛という意味なんですね
地というのは無性の愛なんですよここをですねしっかりどう抑えていくかっていうことでですねこの土というものたちのなんかあの驚おどろしさっていうのが消えていくような気がします
今猛ちゃんがさ話をしてたよって結構ドキドキするようなちょっと怖いなぁミステリーだなぁみたいな話しません話に聞こえませんでしたか妖怪の話だとかさ
屍がどうだとかさそういうような話に聞こえたかもしれませんけれどここからがですね大事なところだと思います
大地とのつながり
これ地はね無性の愛って意味がありますなんでこれ無性の愛っていう意味なのかなーっていうことを分析を猛ちゃんなりにしました無性の愛という言葉はこれは調べれば出てくるんですね地がねでもねなんでそれが無性の愛になったのかなーっていうことがわからないんですねでもそれは猛ちゃん的にはこれだと思った
女性の方がいっぱい聞いている前で聞いてくださってまでですね少しちょっと気恥ずかしさもあるんですが地のみごの地ですねあの地地なんですよねこれは母なる大地っていう言葉があるように僕たちって土の上で生まれましたねね皆さんそうですよね海の中で生まれたっていうのは多分なかなかないね
海中出産とかっていうのはなくはないらしいんですけども土の上で生まれてますよねそして地からできたものを僕たちは食べて生きているんですねそしてまたなくなるときには土に帰っていくっていうことですねということを考えた時にですねやっぱりこの土というものが僕たちに与えてくれるその恵みの深さ恩恵の大きさっていうものってすごいなっていうことがありまして
本当にこの男の僕がですねどこまで何だろうね実感を持って語れるのかっていうのは定かではないんですけれどもすごく大地に触れていると安心感があるそして今日もさっきですね猛ちゃん畑仕事をしててちょっと穴を掘ったりとかしたんですけどもたくさんの虫たちや生き物たちがそこからワンワン出てくるわけですねまさに今生まれたんじゃないかっていうくらいですね
ワンワン出てくるんですね本当はその中にはたくさんもうね虫たちの住処があって僕がその住処を暴いただけなんですけどねでもねもうすごいわけですよ土っていうのは包容力がよいろんなものを育てているっていう感じなわけですねっていうことが地という文字には込められているんじゃないかっていうのが猛ちゃんの味方ですよ
だから無性の愛が込められているのが実は土の地という文字なんですよねそう考えるとですね僕たちって母なる大地から生まれた土の上で生まれたって言っても過言ではないんですが大地に育てられたと言ってもいいしそれから大地そのものが自分たちと言ってもいいんじゃないかっていうことです
なぜならば僕たちは食べたもので生きているなんていうことはよく言われますけどそれをもっと深く考えるとですよ全部土なんですよね土が様々な形に変わったものが野菜ですよ作物ですよお芋ですよ根菜ですよそしてそれらを食べて生きている動物さんたちがいるわけですよ
その動物さんたちを僕たちは食べているということはもともとは土が僕たちと本当に一体化してるんじゃないかっていう感じもありますしどこまでが自分でどこからが土なのかっていうこの境目すらもわからなくなってきました猛ちゃんは本当にわかんない本当にわかんないんだよ土を触ってるとさ土自体が自分自身なんじゃないかっていうことすらもなんかこう感じてきます
ねえなんかそう思ってくるとさ土を大事にしようって思うよねうーんあそうさきさんそうすよ土に帰るって言いますよね土に帰るの帰るはさあの還元の感じゃないですかねあの帰宅するの帰るじゃなくてまた巡り巡って回って帰るっていう
あれ循環の感かなあの信仰のやつですよねねじゃないですかここにさやっぱりロマンがあるよねって思います猛ちゃん的にはねうーんなのでなので別に結論はないんですけど猛ちゃん的にファンタジー作家である猛ちゃん的にはですね土っていうものにもすごく大きな意味合いが込められているということ
そしてまあこのですね町づくりというものを見たときに土というものにどれだけ高リスペクトしているのかっていうこととかもすごく大事なことになっているなーって思っているんですねで今ですね猛ちゃん地区150年の小民家に住んでいるんですね
で僕この小民家すごく気に入っててそれでここにずっと住み続けていきたいなーって思っている場所なんですが一つだけ一つだけあーやっちゃったなって思ったことがありますそれをね最後にちょっとお話しさせてくださいね
地区150年の小民家っていうのはですねもうねコンクリートとかっていうものが生まれる前からそこにあるんですよっていうことは何が意味するのかっていうと基礎がないんですよね基礎というのはですね石ですね組織と言われている石杖となるものすごく大きな石を地面の中にバーンと埋めてその上にですね柱を立てておしまいなんですよね
だからコンクリートでその柱を固めて動かないようにしてるなんていうことはまあないんですよないんですよでそうなるとどうなるかっていうと床をパコって開けるとですね下がもう土なんですよね地面が見えるんですよもう考えられないでしょそれ
今ってさあ工事現場とか見てみるとマンションとか建物ができる前って必ず一番下をコンクリートでベターと固めるじゃないですか固めた上に建物を建てていくじゃないですかこの方法ねでも昔それがないんですよだからバコッと床を開けるとまあ全部土なんですよねでも僕はそれが良かったと思うんですね良かったと思うんですが確かに土だと何が起こるかっていうと湿気が上に上がってくるんですよ
そうするとその床が腐るのねとかあと生き物たちが住み始めちゃったりとかしてシロアリなんかが住み始めちゃったりするとどんどんその柱を食べられたりとかして家が崩れるなんていうふうに言うんですねでもうちゃんここの家をリフォームする時にコンクリートで下を埋めたんですよこういう工事をね提案されてお願いしますって言ったんですよ
そうすると長くこの場所を進めますよっていうことだったんですね
で今もうちゃん的にはですねここを湿気に湿気そのコンクリートね防湿コンクリートって言うんですけど湿気が地面から上に上がってこないようにコンクリートで蓋をするっていうイメージなんですね
なんだけどこれをねもうちゃんねちょっとねあーっちゃったかなーと思いましたそこを蓋したってことは別のとこで湿気が出てくるっていうことだったりするしむしろそこを湿気ないようにするための方法って今のもうちゃだったらいくらでもあの自然的な方法でねオーガニックな方法で思いつくなーなんていうことを思いました
そのコンクリートでベターとしたことによってこの家は地面と大地と切り離されちゃった場所があるんだなーっていうことをねちょっと思ったんですよねっていうのはねちょっとだけ心残りいいなんていうことがありました
小民家のリフォームと教訓
でもまあまあまあまあそれはそれで良かったかまあ今ね進めてるからいいかなーなんていうことは思ってますけどね本当に現代の全部ねをね否定するわけにはいかないわけですございますからそれで良かったこともありあると思っているのでまあ良かったと思いますはいということでですね
まあ水には水の土には土のなんか言われっていうものがあるよなんていうテーマでお話しさせていただきましたけれどもいかがだったでしょうか最後まで聞いてくださったあなたぜひいいねやフォローで足跡を残していってくださいねお知らせなんですけど今コメント欄に小玉小町メルマガっていうのをですねペタッと貼り付けさせていただいております実はね今日がですねこの小玉小町メルマガの第1話をこれから夜にかけて配信しようと思っているところなんですねこれを聞いてくださっている方々の中にお話しさせていただきたいと思います
これを聞いてくださっている方々の中にすでに登録いただいている方もいらっしゃると思いますがぜひですねまだの方はですねこれ登録していただけたら嬉しいなと思っております小玉小町プロジェクトという木の精霊の話を僕たちは書いておりましてその話の中ではですね今したような話だったりとかあと里山とか森の文化この言われとかいい伝えとか伝承とかそういうものをキャラクターに乗せて伝えていきたい
こういうプログラムをしておりますのでプロジェクトをやっておりますでこれの舞台裏っていうんでしょうかねどういう思い出というかどういう流れで計画でこれを動かしていくのかなんていう話をこのメルマガに乗せてお渡ししていきたいと思っておりますのでもしよろしければこのですね時間にポチッとしていただいてあなたのニックネームだけで結構ですニックネームとメールマガジンだけで結構ですのでぜひぜひあのやっていただけたら嬉しいなぁって思います
あそらにゃんありがとうございます昔の家ってそうでしたよねそうなんですよね昔の家地区150年にもなる家はね本当に大きな石にパンと柱を立てるだけってその石をまずどこから持ってきたやんっていうツッコミをね入れたくなりますけれども多分河原の石とかを持っていったりとか
あと多分ね河原の石だったとしても結構上流の方の大きな石を持って行ったりしているんじゃないかなって思いますね偉いよね本当昔の人があって言ったら本当おこがましいんですけれども頭が下がります車も何にもなかった時代にねどうやってその石を担いでもってってこの場所に家を建てたんだろうと思う次第でございます
はいということでこの後はこだまこまちメルマガでお会いいたしましょうお相手はこだまこまちプロジェクトのもうちゃそうですコメントの url から飛べますかはいういさん飛べることができますぜひぜひお願いいたします見ていただけるだけでも嬉しいですあのやっぱりやーめたでもいい結構ですしそれからいつでも配信停止もできますのであの気軽にまずね受け取っていただけたら嬉しいなと思いますね1週間に1回くらいを目安に頑張ってあのこだまこまちの
進捗情報っていうのをね伝えていけたらなーって思っておりますのでよろしくお願い致します はいありがとうございますということでお時間いただきありがとうございましたお相手はこだまこまちプロジェクトのもうちゃんでございました
またお会いできることを楽しみにしております今日も素敵な1日をお過ごしくださいませ 今日コメントをいただいたのはういさん空にゃん
さっきさんでございました最後まで来てくださってありがとうございました