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2025-09-19 20:26

言葉と言葉にならないことのあわいで揺れながら


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サマリー

このエピソードでは、もおちゃんが小学校での授業や教職員研修に向けた準備と心の揺れについて話しています。彼は教員としての経験や人間関係の複雑さを振り返りながら、伝えたいことや見せたいアニメーションについて考えています。また、自然の中での生活を通じて自己を取り戻す重要性や、食べることの意味について深く考察しています。さらに、言葉で表現しきれない感情とその表現に関する悩みについても触れています。

小学校への思い
おすおす、おはようございます。
こんにちは、こんばんは。
こだまこまちプロジェクトのもおちゃんでございます。
今日はいよいよやってきました9月19日金曜日の朝でございます。
あ、そらにゃん、おはようございます。
ゆっくりしていってくださいね。
今日これからもおちゃんはいよいよ小学校に行くということになっています。
今回小学校で何をするのかというと、
もおちゃんのですね、今まで勤めていた学校ですね、
ここに4年ぶりに帰らせていただいて、
そこでなんか話してくれって言われたんですよ。
なんか話してくれって一番困りません?
何話せばいいねんって。
自由だ、イエーイって言う人もいるかもしれないけどね。
お、佐藤さーん、お久しぶりです。
もおちゃんということで、佐藤さーん。
ゆっくりしていってくださいね。ありがとうございます。
嬉しいです。
今日ね、これから出発をするので手短にとは思っているんですけども、
すっこさんもおはようございます。ゆっくりしていってくださいね。
ありがとうございます。
昨晩はですね、ずっとこのことを考えてきた、
今日を控えている小学校での授業や教職員研修で、
僕、今日1日で2回登壇をする機会っていうのをいただいているんですね。
何を伝えたら良いのかっていうのが、
本当にね、ギリギリ直前までモヤモヤゴニョゴニョしていて、
しかも今もなお分かってないです。
昨日固まったような気もしたんだけれども、
また揺れ動くという、そんな感じです。
すっこさんも今日小学校へ行くんですか?
なりたい自分になる魔法の質問のワークをしに行きます。
そうなんですね。
すごい。
いいですね。一緒ですね。
お互い良い時間になりますようにやっていきましょう。
もう自分が楽しむしかないかなって思っているんですけれどもね。
ただこのフルスっていうのは、かなりの人間関係がカチッと作られたそんな場じゃないですか。
教職員研修の準備
なのでね、今までのしがらみめいたものをすごく感じるんだよね。
雪猫さんおはようございます。ゆっくりしていってくださいね。ありがとうございます。
だからこれから小学校に行くけど、
これを何を伝えて良いものなのか、何を伝えちゃいけないものなのか、
そしてそんなものはないかもしれないんだけど、
お前が言うか?みたいなことを思われたりとかね。
そういうのはよくあることだと思う。
でもそんな中で僕が4年間やってきたことは、
本当に自分自身の心に近い部分で生きていくっていうところで思っているので、
そのことをやっぱりこれだと思ったことを伝えていくしかないし、
あとはこの場をみんなで作り上げていくっていうことの方がいいのかなと思ったりもしてます。
というのは、小学校の先生たち、学校の先生たちって話すのは好きなんだけど、
話を聞くのを結構苦手な人たちも多くってねとか言ったら上から目線になっちゃうんだけども、
僕もそうだったと思うんだよね。
ということでね、僕も話をすることもたくさんあるけど、
それ以上に聞きたいことを聞いてもらったり、
またそれぞれがそれぞれで持ち帰ってもらえるような形にね、
多分その時になっていくんじゃないかなって思っています。
昨日ですね、僕はずっと夜やってたのは、
こだまこまちをアニメーション化するという技術を使った、
とある技術を使ってアニメーション化するっていうことをすごく頑張ってて、
なんとか1分ぐらいのアニメにすることができたので、
それをね子供たちに持っていこうということになっています。
ただ子供たちの授業15分間あるんだけど、
15分ってこんなに長かったっけって思うくらいなのね、
なんか一人で朝から練習をしてみたんだけど、
どうも15分持たねえぞみたいな形になっていて、
今生きながらね、いろんな何だろうね、ことを考えながら行こうと思ってますけど、
でもちょっと余裕があるくらいの方がきっと良くって、
僕がやることはプレゼンテーションではなくワークショップということなのでね、
参加型でやっていけたらいいのかなと思ってね、
余白を存分に持ったような状態で今日を迎えています。
皆さんお互いにご挨拶していただいてありがとうございます。
ゆきねこさん、そらにゃん、さとさん、すっこさんありがとうございます。
それでですね、あと今考え込んでいるのがやっぱり教員研修なんですよね。
教職員研修で、あ、かんまりさんおはようございます。
ゆっくりしていってくださいね。
僕は教職員研修で、その学校教育がどうだとかっていう話はもう完全にできないんですよ。
するつもりもないんですね。
なので僕がやってきた暮らしとか、
僕がやってきたお仕事についてお話をするしかないんだろうなと思うんだけれども、
結局最後に僕が立ち返ってくるのっていうのは、
その今日の僕話をするときにはやっぱり自分自身が大切にしたいものっていうのを外側に任せてきたんだっていう話をすると思うんだよね。
そう、例えばさ、僕肩書きの話はしようと思っているんだけれども、
多分ね、多分しようと思ってるんだけど、
僕が学校の教員を辞めたときに一番、一番ね、こう違和感に苛まれ、もう気持ち悪くて仕方がなかったのが、
さんづけで呼ばれるっていうことだったの。
さんっていうのはさ、僕は普通にさ、
そらさん、ゆきねこさん、かんまにさん、さとさんって話すよ、話すけどね、
けど、逆に僕がもうさんって言われるのがすんごくなんか気持ち悪かったのねっていうのは、
僕は知らず知らずのうちに学校の教員になって、
11年間という間、ずっと先生と呼ばれ続けてきたんだよ。
先生、先生って、僕は先生なんて呼ばれたくないとかさ、
そういうのを表では言うよ、口では言うんだよ、口では言うんだけど、
で、僕もね、先生なんて呼ばなくてもいいよなんていうことを子供たちにも言うんだけど、
だけど、やっぱり学校の決まりで先生って呼ばれ続けたのね。
そんな11年間は僕を先生という人にしちゃったんだよね。
僕の人生は教師人生だった。
それと全くぴったりイコール重なってたっていうくらい本当にそうだったと思うんだよ。
だから、僕はね、この先生って呼ばれなくなったことがすごく違和感で仕方がなかったのね。
どれくらいだったかっていうと、僕はね、ずっとだよ、ずっと学校のこと、子供たちのこと、授業のことを考え続けてきたんだ。
それはもう言ってしまえば、当時お付き合いをしていた女性とお会いしている時もね、
心ここにあらずでさ、歩いていてもさ、授業のネタ探しをするみたいなところもあったし、
女性だけではなく家族と会っている時もさ、ずっと仕事のことばっか考えているしさっていうような感じで、
自分自身は教員だったんだよね。
じゃあ僕は教職をすごく楽しんでいたかというと、めちゃくちゃ楽しんでいたんだけど、
僕のモチベーションの多くっていうのはね、これはほとんどが人だったんだよね。
人に求められてそれに応えていくことでの、なんかその自己効力感っていうのかな、
自分はこれだけの力があるぞっていうことの安心感だったり、
あとは人から嫌われたくない、むしろ好かれたいっていう思いがね、
ほんと正直なところめちゃくちゃあるもんちゃんなので、
断らずにね、何でもかんでもやっていて、人の話もすごく聞いてきたんだ。
教員としての葛藤
そして僕はね、すごく尊敬をする先生がいて、上司がいて、
その上司の話もすごく聞いてきた。
その上司の悩み相談もめちゃくちゃしてきたの。
めちゃくちゃしてきたら、僕はね、すごい特別な存在なんだって思えたの。
この上司に、僕の尊敬する上司にすごく大切にされているというか、
あ、佐藤さんまたね、出かけるのでということで、
お気を付けて、いい一日を過ごしてくださいね。ありがとうございます。
そんな人にね、僕が話をしてもらえる、悩み相談を打ち明けてくれるっていうのは、
すごくありがたいことだなって思ってたんだけど、
僕は当時その上司からね、なんと手のひらがひっくり返ったかのように、
パワハラを受けることになるんだね。
パワハラっていう言葉はなんか強そうだけども、
僕の心で大事にしたいと思っているところというか、
僕の人格だね、これをすごく否定をしてくるような言葉が、
毎日のように浴びさせられるようになって、
僕はね、それだけじゃないんだけども、それが一つの原因となって、
僕は学校を去ることになるんだけど、
それっていうのは裏を返せば、
それくらいその人に依存をして、
僕は小学校教員をしていたんだっていうことなんだよね。
この人の力になりたいと思って、
僕はずっと小学校教員をやっていた。
この人が上司である限りは、
この人が目指したいと思っている学校像、ビジョン、そして理想、
これを叶えていくための片腕でありたいって、
僕は心から思ってやっていたにもかかわらず、
それで僕は、僕の仕事ぶりを否定されるだけではなく、
僕の人格の方を攻撃してきたっていうことがあって、
僕はそれで教員へのモチベーションが一気になくなったっていうのがあるのね。
まあね、教員を退くっていうものはその理由一つだけじゃないんだよね。
本当に人生って面白いものでさ、
こういうことが起こったときに、
素敵な出会いがあったりとか、
素敵なきっかけとかがあったりとかしてさ、
なんか導かれるようにして、
押し出されるようにして、
ここじゃないよ、あなたの生きていく場所は、
っていうふうに思っていかれるんだけれども、
なんかそんなことがあった。
この上司の話はしてよいのかなっていうのはすごくある。
だって、皆さんにとっても上司だったわけだからさ、
っていうのはあるんだけれども、
そういうこともちょっと考えつつですね、
今どうしようかなっていうことを思っています。
僕がやっぱり自分自身でやりたいと思っていた暮らしとかっていうのがあったんだよね。
僕は大学時代からずっと自然の中で生きていく、
暮らしていくっていうことに憧れていたんだっていうことを思い出したんだけど、
自然との関わり
東京にいた時には全くもって自然の中でっていうことはなかった。
自分で育てたもので食べていくっていうことも実現することはまずなかったからね。
なので僕は今それを実現しに高知県に行ったんだっていうこと。
僕にとって食べるっていうことはすごく大切なことだったし、
食べるものを作るっていうこともすごく大切なことなんだ。
にもかかわらずそれを外側に任せていた。
これ任せたいっていう人がいると思うよ。
任せたいと思う人がいると思うからそれは別にいいんだけど、
僕は作りたいって思った。
なぜならばそうだね、生きている実感が欲しかったんだと思うんだよね。
僕はやっぱり何をしていても東京にいる時に思ったのは、
何なんだろうこのふわふわした感覚はっていう感じ。
地に足ついた感覚っていうのが僕は得られなかったのね。
そりゃそうだよね。
だって自分のモチベーションとかを外側に任せているんだからさ、
外側に任せているくらいだったらさ、
そりゃ地に足つけて生きているわけじゃないと思うんだよ。
思うんですけどね。
僕にとってそれっていうのが外にいる時だったんだよね。
外っていうのは山の中にいる時だったり海の中にいる時だったり、
こういう自然に包まれた時に僕はすごく生きている実感があって、
こういった時間をもっともっとこれからも過ごしていきたいなっていうことを思うようになった。
それで僕はね、その自分が外側に任せていたものを取り戻しに行った。
自分の人生の中に取り戻しに行った。
そんな4年間だったんだっていう、こういうことを話そうと思っている。
それについてね、やっぱり気づかせてくれた人がいたし、
それは家族だったりするし、
それからもう本当に自分で作り出すしかないっていう状況ね。
本当にそうなんだよ。
だって物がないからさ、
お金もそんなにも裕福な土地じゃないからさ、
僕がっていうよりも土地がそうだからさ、
だからもうね、わざわざ山を降りて買い物にしに行くなんていうよりも、
もうなければ作るみたいなところがあってさ、
例えば畑の資材とかってさ、
ホームセンターに行けば色々売ってるけども、
もうそれを買いに行ってたらキリがないから、
その辺の竹を切り出してきて、
自分で竹を切って割って資材を作ってね、
それで農業をしていくみたいなこととかもありました。
そんな感じでね、本当に色んな経験をさせていただいてきたんだけれども、
本当にこれね、語っても語っても語り尽くせないことがありそうな気がしていて、
僕も本当に自分の中の言葉にする力っていうのが、
そんなに多分強い方ではないんだろうなと思うんだけども、
でもどんなにも言葉を紡いでも紡いでも、
表現しきれないものってやっぱりあってさ、
なので今日のタイトルは、
言葉と言葉にならないことの淡いの中でね、
淡いで揺れながらっていう、
そういうお話なんですよ、このタイトルは。
言葉にならない感情
でも何を話したら良いのかが本当に分からない。
本当に分からなくて、
ただ一応色んな写真とかは用意はしていくんだけれど、
多分その時の空気感とかできっと出せる話、
それから出さないでおこうかなっていう話、
また二次会で、お酒の席で話せる話とかね、
そういうのも出てくるんだろうなと思って、
だから結構そういう風に慣れたもーちゃんっていうのは、
珍しいというか、すごいことなんですよ。
今までカッチリと準備をしていて、
15分なら15分間がっつり、
だからそれはライブ形式だよね、
本当にライブ形式です。
本当にそんな感じにしようかと思う。
おかげさまでこのスタンドFMでね、
ライブで話すっていうことは、
なんか鍛えていただいたようなところがあってね、
なのでそういった自分自身を試しにいこうかなって思っていて、
しか、だけどよ、だけどよ、だけどよ、
後ろ髪引かれる思いもあるのは何なのかっていうと、
後ろ髪っていうのかな、
この教職員研修をすることで、
僕はお金いただくんですよ。
このお金をいただけるっていうことだから、
なんかね、僕自身の中でパッケージング化して、
これを渡さなきゃいけないっていう思いが、
まだどこかにあるんだよね。
けど、よくよく考えたいのは、
僕のこの話を聞きたいっていうよりも、
僕から話を聞きたいっていうことで呼んでくれているはず。
これが教員を辞めて今思うことっていうね、
そういうタイトルに委ねてくれたんだろうと思うんだよね。
織り込んでくれたんだと思うんだよね。
そんな話さ、
あわすぎてさ、
何を話せばいいのかわからないよ。
ほんとわからないけれど、
こういう時どう思ったんですか的な質問をいっぱい受けたら、
自分の言葉で語っていくっていうことをね、
していくんだろうなぁと思います。
なので一応写真とか、
自分の暮らしぶりとかは持っていくけど、
教員を辞めてみたいな話はね、
みんなで作り上げていこうかなと思ってます。
こういう時にファシリテーター必要だね。
誰かに頼もう、
今日質問がありますかみたいなことを話してくれる、
そんな先生たち頼っていこうと思う。
それができるようになったのが、
最近のもうちゃんかなと思ったので、
人に任せるではなく、
頼って一緒に作っていくみたいなことでしょうか。
ということでね、
そろそろ僕は電車に乗る時間が迫ってきているので、
最終調整をしてこの辺で終わりたいと思っております。
出発したいと思っております。
聞いてくださってありがとうございました。
今日コメントをいただいた方のお名前をお呼びいたします。
そらにゃん、さとうさん、かんまにさん、
そしてゆきねこさん、すっこさんでございました。
そして潜って聞いてくださっているあなたも、
本当にありがとうございました。
アーカイブの方もありがとうございました。
ではもうちゃん、
今日お昼の1時20分から、
そういった時間が始まっていくみたいなので、
ぜひ1時20分頃ですね、
12時半に集合なんですけど、
1時20分エールを送って飛ばしていただけたら嬉しいです。
ありがとうございました。
ということで、
すっこさんも今日いい1日にしてくださいね。
ありがとうございます。
ということでありがとうございました。
気をつけて行ってきます。
あなたとあなたの大切な人に、
森の青蓮のご家康が訪れますように、
一緒に楽しみましょう。
20:26

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