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雨は、地球をめぐって帰ってくる
2026-06-08 16:22

雨は、地球をめぐって帰ってくる

最近、雨が多いですね。

冬に雨が少なかったぶん、
どこかで水が戻ってくるような気がしていました。

地球にある水は、
海にあったり、氷になったり、水蒸気になったり、
雨になったりしながら、姿を変えてめぐっています。

雨は、空から突然生まれるものではなく、
地球を旅して、ぼくらの足元に帰ってくる水。

でも最近は、その帰ってき方が少し荒っぽい。
しとしとではなく、まとめてドサッと降るような感覚があります。

今日は、雨と水のめぐり、
そして里山が雨を「急がせない場所」なのかもしれない、
という話をしています。

雨の日の音が、少し違って聞こえるかもしれません。
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サマリー

このエピソードでは、雨が地球を巡って姿を変えながら私たちの元へ帰ってくる水の旅について語られています。冬の少雨から一転して雨が増えた最近の状況に触れつつ、水は海、氷、水蒸気、雨など様々な姿で循環しており、雨粒一つ一つにも長い旅の物語があることが語られます。しかし、近年その水の巡り方が極端になり、一度に大量に降る傾向にあることが指摘されています。里山は、雨を急がせず、水が休んで旅を続けるための場所かもしれないという視点から、雨との向き合い方や自然のリズムについて考察しています。

里山暮らしとラジオ配信の再開
おすおす、おはようございます。 こんにちは、こんばんは。
里山暮らしの案内人のもおちゃんでございます。 ご無沙汰しております。いかがお過ごしでしょうか。
まあ少しずつですね、樹木のことだけではなくて、
里山の暮らしの話などもね、交えながら、このラジオ配信を再開していけたらいいなーって思っています。
で、いつもだいたいライブ配信もしていくんですけれど、
今日はね、収録で、録音でやってみたいと思っております。
よろしければ、最後までゆっくり聞いていってくださいね。
雨の多さと水の循環
今日のテーマはですね、雨は地球をめぐって帰ってくる、というお話です。
最近、雨が多いですよね。
僕が住んでいる高地でもね、雨の日が続いているんですよ。
で、今ですね、僕田んぼのお仕事をしてるんですけど、
まあ田んぼの水は増えるしね、それから山の緑もグッと濃くなるしね、泡落としちゃってるし、
空気の中にもね、湿った香りがね、満ちていきます。
雨ってちょっと不思議だなーって思うんですよ。
降らなければ困るし、でも降りすぎても困りますよね。
田んぼやってたり畑やってたりすると、水っていうのは命なんだなーって感じるんですけど、
でもね、雨がドサッと降ると土を削ったり、川を荒らすことだってあるんですよね。
水は恵みでもあり、怖さでもある。
まあそんな雨を見ながらですね、僕は最近こんなことを思っていたんです。
ああ、やっぱり降ってきたかと。
というのもね、今年の冬、僕の体感では雨がとっても少なかったんですよ。
覚えてますか?
結構いろんなとこでさ、ダムが干上がったみたいな。
冬なのによ、冬なのに干上がったみたいなこととかがあってさ。
まあ雨が少なかったなーって思ってたんですよね。
畑や田んぼを見ていても土が乾いている感じがあったし、山を歩いていてもなんとなく水気が足りないような気がしました。
石とかさ、苔とかがもうカラッカラに乾いちゃってるのね。
だからどこかその分ね、雨が戻ってくるんじゃないかなと思っていました。
自然の揺り戻しみたいなものが起こるんじゃないかなってね。
もちろんこれは僕の体感なんですけど、冬に少なかった雨が必ず春や梅雨にまとめて帰ってくるって単純に言い切れるものではないと思います。
でも自然の中で暮らしているとね、なんとなくちょうじりがあっていくように見える瞬間があるんですよ。
少なかったものが後から多くなる。静かだったものが急に動き出す。
乾いていた場所に急に水が満ちてくる。
そういう大きなリズムを感じることがあります。
今日はそんな雨の話をしてみたいと思うんですね。
雨は地球を旅する水
地球にある水の量ってものすごく長い目で見ると、大きく増えたり減ったりしているわけではないんですね。
水は姿を変えていきます。
海にある時もあれば川にある時もあります。
田んぼにある時もありますし、土の中に染み込んでいる時もあります。
氷になって山や北極とか南極とかに眠っている時もありますし、水蒸気になって空に昇っている時もあります。
つまり雨っていうのは空から突然生まれた水ではなくて、もともと地球のどこかにあった水が姿を変えてまた帰ってきたものなんですね。
僕はこれを地球みんなで使っている大きな水筒みたいなものだなって思っています。
水筒の中身は大きく見れば同じです。
でもある時は冷凍庫の中で氷になっている。
ある時は夜間の湯気みたいに空に昇っている。
ある時はコップに注がれるみたいに雨になって落ちてくる。
水がなくなったり突然増えたりしているというより、どこにどんな姿でいるかが変わっている。
そう考えると雨の見え方が少し変わるような気がします。
雨の日ってついまた降ってるとかね、外に出られないなとかね、洗濯物が乾かないなって思ってしまいます。
でも見方を変えると雨は地球をめぐってきた水がまた足元に帰ってきている。
そんな時間なんですね。
海から空へ、空から雲へ、雲から雨へ、雨から川へ、川から田んぼへ、田んぼから土へ、そしてまたどこかへ。
水はずっと旅をしているんです。
僕らが今日見ている雨も、もしかしたら少し前までは海だったかもしれない。
遠い山の雪だったかもしれない。
誰かの町の川だったかもしれない。
そう思うと雨粒一つにも長い旅の物語があるように感じます。
水の巡り方の変化と空のスポンジ
ただ最近気になるのは、その水のめぐり方が少し極端になっているように感じるんですね。
昔の雨がいつも穏やかだったと言いたいわけではありません。
昔から大雨もあったし、洪水もあったし、日出りもありました。
でも最近の雨はシトシト降るというより、まとめてドサッと返ってくる。
そんな感じがすることがあります。
空がたっぷり水を抱え込んで、ある瞬間にギュッと絞られる。
僕はこれを空のスポンジみたいだなと思っています。
スポンジって水を吸いますよね。
少しだけ水を含んだスポンジなら、押してもポタポタ落ちるくらいです。
でもたっぷり水を吸ったスポンジをギュッと握ると、一気に水が流れ出てきます。
空も暖かくなるほど、たくさんの水蒸気を抱えられるようになります。
だから雨が降るときに一度にたくさん降りやすくなる。
これは地球の水道の水が増えたというより、水の居場所や落ちてくるタイミングが偏ってきているということなのかもしれません。
冬に雨が少なかった、そして最近雨が多い。
その流れを見ていると、僕には自然がちょうじりを合わせているように見えます。
でももしかしたらこれは、優しいちょうじり合わせというより、水の巡り方が少し荒っぽくなっているサインなのかもしれません。
自然はいつもちょうどよく整っているわけではないんですね。
時には足りなくなるし、時には多すぎるしね。
時には待たされるし、時にはまとめて帰ってくるし。
その揺らぎの中で、田んぼも山も川も、そして僕らの暮らしも何とかバランスをとっているのだと思います。
雨の恵みと怖さ、そして足元の観察
田んぼを見ていると、水の有難さが本当に本当によくわかります。
水がないと苗は育たないしね。土は硬くなるし、小さな生き物たちの動きも鈍くなります。
でも水が多すぎても、今度は根っこが苦しくなるんです。
土が流されるし、汗が崩れるし、川が濁ります。
雨はただ多ければいいわけでも、少なければいいわけでもありません。
大事なのは巡り方なんですよね。
必要な時に必要な場所へ必要なだけ届く。
それが本当は理想なんだけれど、自然はそんなに人間の都合よくは動いてくれません。
だからこそ僕らは空を見たり、土を触ったり、田んぼの水を見に行ったりする。
天気予報を見ることも大事だけれど、自分の足元の水を見ることも同じくらい大事なんじゃないかなと思います。
雨の日にただ空を見るだけではなく、地面も見てみましょう。
水たまりを見る、速攻を流れる水を見る、田んぼに入っていく水を見る、葉っぱの上に乗った水滴を見る、山からにじみ出てくる水を見る。
そうすると雨はただの天気ではなくて、地球の巡りそのものに見えてきます。
里山は雨を急がせない場所
僕らは雨を止めることはできません。
でも雨をどう受け止めるかは少しずつ考えることができます。
土に染み込ませることもできるし、草に受けてもらうこともできるし、田んぼにためることもできるし、森にゆっくりと抱えてもらうことだってできるんです。
そういう場所があるかどうかで雨の意味は変わってきます。
アスファルトの上に落ちた雨は一気に流れていきます。
でも森や田んぼや草地に落ちた雨は少し止まります。
土に染み込み、根っこに触れ、生き物たちの間を通ってゆっくりまた旅を始めます。
もしかしたら里山というのは雨を急がせない場所なのかもしれません。
水に少し休んで行ってもらう場所。
空から帰ってきた水をいきなり川や海に押し流すのではなく、田んぼや森や土の中でまあちょっとゆっくりしていきなよと受け止める場所。
そんなふうに考えると雨の日の里山は地球の水を迎える大きな玄関みたいにも見えてきます。
雨の巡りを見つめ直すきっかけ
最近の雨の多さを見て、僕は最初やっぱり揺り戻しが来たなと思いました。
冬に少なかった分、雨が戻ってきたように感じたんです。
でもそこから少し考えてみると、これは単なる長尻合わせではなくて、水の巡り方そのものを見つめ直すきっかけなのかもしれません。
雨は空から落ちてくるだけのものではありません。
地球を巡って姿を変えて場所を変えて時間をかけて僕らの足元に帰ってくるものです。
そしてその帰ってき方が最近少し荒っぽくなっているだけなんですね。
だからこそ雨の日にただ嫌だなと思うだけではなくて、この水はどこから来たんだろう、どこへ行くんだろう、この場所はこの雨を受け止められているんだろうか。
そんなふうに考えてみるのも面白いんじゃないかなと思います。
今日の雨粒は昨日の海かもしれない、遠くの山の雪かもしれない、誰かの街を流れていた川かもしれない。
そして今足元に落ちたその水はこれから田んぼを潤し草を育て土の中を通ってまたどこかへ旅立っていく。
雨の日は地球の水の旅が見える日、そんなふうに思うと雨の音も少し違って聞こえるのかもしれません。
まとめと感謝
今日は雨と水の巡りについて話をしました。
雨は地球を巡って帰ってくる、いかがだったでしょうか。
いつも見ている雨もまた見方を考えると、もっと想像力を膨らませると見方が豊かになって捉え方が変わってきますね。
今日も最後まで聞いてくださってありがとうございました。
あなたとあなたの大切な人に森の精霊のご加護が訪れますように。
それではありがとうございました。
お相手は里山暮らしの案内人、もーちゃんでございました。
またお会いできることを楽しみにしております。
今日も素敵な一日をお過ごしくださいませ。
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