山椒の収穫と影響
おっすおっす!おはようございます。こんにちは、こんばんは。こだまこまちプロジェクトのもおちゃんでございます。
今日は、1日、雨が降っていて、そんな中、
ひとつ、まあ僕は仕事をこなしておりました。 雨の中ねー
山椒という作物を収穫するとですね、何が起こるのか、そんな話から今日始めていきたいと思うんですね。
もおちゃんは今、その山椒というピリッと辛いスパイスに使われるね。スパイスのね、山椒という実のお仕事をさせていただいております。
この山椒は、なんと雨に濡れると、はい、湿るんですね。当たり前だっつーの話ですよね。それで湿ったら、それをしっかりと乾かす必要があるんですね。
一度収穫をしてしまった山椒が、雨に濡れると、
なんと、変色するんです。 青かった山椒が茶色くなっていくんですね。
これはね、もう本当に数時間でそのようになっていってしまいます。 すると、その茶色く変色してしまった山椒は売ることがもうできなくなるんですね。
商品として値段がつかなくなる。もしくは値段が半分以下に下がってしまう。
そんなことがあります。 今日僕はですね、その山椒が収穫された後、一粒一粒です。
一粒がですね、山椒の実っていうのはパチンコ玉よりももっと小さいです。 ものすごく小さいんですね。
その山椒を一つ一つ一つ一つで丁寧に見分けながら、色の変わってしまったものを取り除くっていうことをしました。
そうじゃないとこの山椒というものの値打ちが下がってしまうということ。 そして僕たちが出荷しているこのブランド名のついた山椒の価値が落ちてしまう。
評判が落ちてしまうということなんですよね。 ということでね、ものすごくこのですね、山椒一粒一粒を丁寧に点検をしておりました。
本当に夜遅くまでやっていたので今日はですね、なんとこれ収録しているのが夜中の1時30分を回ったところなんですよね。
だからもう今日ライブ配信はいいやと思ってね。 ちょっとね外の車の中でみんな寝てしまったので
Wi-Fiが伝わっていないのでライブ配信ではなく収録にてお届けをしているところでございます。
水の不思議
さてこのねまあ今日は雨ということなんですが雨って何で雨って言うんですか。 水って何で水って言うんでしょうかね。
海って何で海と言うんでしょうかね。 実は僕たちって日頃使っている言葉であったり日頃ですねもう何気なく目にしているものっていうものもなんかこう全然わかってないんじゃないかなっていうこと思うんですね。
特に僕たちの体の中には水分が70%を占めているなんていうことをよく言われます。 6、7割をね占めているなんていうことを言われますけれども水のことって僕たちは本当にわかっていないことが多いんじゃないかと。
せいぜいH2Oと酸素が合わさったら水になるみたいなくらいなのかもしれないなと思うんですよね。 水って何なんでしょうかねなんていう話を今日はねすごく気になったんですよ。
っていうのは僕が今読んでいる本の中にもですねこの水というものが何かやっぱり不思議な力を持っているんじゃないかっていうような一説が書かれておりまして僕はモモちゃんはすごく気になったんですね僕がやっているこだまこまちプロジェクトの中
こだまこまちと森人いうという物語の中にも一つ水というものがキーワードとして出てくるので僕は全国各地方々のですね 水の伝承
民話などなどを集めながら僕はですねこの こだまこまちプロジェクトの物語世界観というものを作っているところなんですよね
なので今日はね水のことをちょっと話したいと思っています で水っていうのはとにかく0キロカロリーですよね
0キロカロリー まあこのカロリーっていうね言葉があるのはやっぱりこう西洋の文明なんだろうなぁと思うんですよね
これ東洋文明とか東洋医学の中にこのカロリーという考え方があるのかと言われると まず見られないなというのがもうちゃんの見解です
まあこれはねよくよく見ればカロリーに近い言葉があったりもするんだとは思うんです けれどもこのですねカロリーというのは西洋の考え方なわけです
もうちゃんは東洋医学に根差したお料理 薬膳というものを志していたことがあるんですけど薬膳のことをやっていると
まあまずカロリーという考え方は出てこないですね まあ何が出てくるのかというと食べすぎないというですね
なんともこの感覚的なものであったり まあとバランスであったり循環であったりまあそんなことが出てきておりまして
まあね東洋医学まあ西洋医学の中では少なくとも見られないようなことがよく出てくる わけでございます
まあつまりこのカロリーがゼロゼロっていうのは何もないということなんですよ なんですがなんか僕たちの中にこう水というものがなくては生きていくことができない
よねっていうことがまず一つの事実としてありますよね
でさらにですねこの水というものなんですけれど まあ日本のですね
山とかを考えたいわけですね 山っていうのは実は昔海だったんじゃないかなとか
まあ海とこの陸地を 隔てるこの境目だったのではないかなというこの説を僕は結構をしているん
ですねっていうのは神社とかお寺とかなんでその場所にあるんでしょうかね 結構これ気になりませんかどこでも良かったわけじゃないと思うんですよね
なんでこの場所を選んだんだろうっていうことがまずあります で考えた時にですねお寺とか神社っていうのは
長くそこにあってもらわないと困るものじゃないですか すぐにこう崩れ去ってしまうような場所にあってもらっては困る
これが神社やお寺じゃないですかねっていうことはですよ 神社とかお寺っていうのはまあ昔からここは安全地帯だよっていうことなんです
ということはそこが水に沈むということはまあまずないし それからそこが地震などで崩れてしまうなんていうこともまあまずないんです
今モーちゃんたちこの令和の時代に生きておりますけれども この令和の時代の地形とそれからもっと日本古来の頃の地形っていうのは全然
違うんですよね 縄文時代まで時は遡ります縄文時代に何があったのかというと縄文
改新海が進むと書いて改新という時期がありました この頃まあ地球がですね暖かくなってきて
海がどんどんどんどん陸地の上を出ていくっていうようなことがあったんですね つまり海が進んでって飲み込まれてしまう陸地が現れたっていうことです
でもなお飲み込まれなかった陸地があった それが今の山なのではないかということなんですね
っていうのは何でわかるのかというとですね まずモーちゃんが住んでいるのが高知県の落ち町という場所なんですね
この場所は昔石堂の近くにあったと言われているんですね えっていうことですね石堂の近くにあったそのまあ僕たちのこの街の大地というものが
少しずつ少しずつ移動してきて今の高知県四国の場所に来たということなんですよね その時にはやっぱりこう
山が水の中に沈んでいる部分が非常に多かったということを言われています なるほどと
なのでねモーちゃんが住んでいるこのですね 土地また山の中には珊瑚の化石が見つかったりするんですよ
海の中ですよ珊瑚っていうのは珊瑚の化石が見つかったりするっていうことはやっぱり ここは昔海だったんだっていうことがわかるんですよね
そんな山はなんと 主源道の山として僕たちは崇め立て祀っているんですよ
つまりこれは山は信仰の対象だなんていうふうに言われますけれども 元々はですねこれは海の底っていうか
土地の歴史と神社の関係
海ともすごく密接な関係を持っていた場所だったんじゃないかということなんですね でこの前にも僕はこの放送でお伝えしたことがあるんですが
岬という言葉がありますよね岬というのはこの 海に
飛び出した部分ですね それを半島なんていうふうにも言ったりしますね半分島
まあどこかがくっついているので半分島なんていうふうに言いますけど 半島なんていうふうに言ったりします
でこれは実はこの岬の佐というのは境目という意味があります この境目っていうところにはやっぱりね
神様とそれから人間の住む場所のこの境ということなんですよ でこの水と陸地というものの境目があり
水の中っていうのは人は生きることができないからもう何を示しているかというと 人はその中に入っていくことができない場所なんだと
つまり聖なる場所なんだと人が立ち入ることはできない禁足地なんだということなんですね じゃあまずこの水っていうのはどういう語源があるんだろうと意味なんだろうと
なんで水は水と呼ぶんだろうということを紐解いてみるとわかんないんですよ 確証がないんですね
なんで水は水たんでしょうかね他の言葉じゃダメだったんでしょうかね なんていうことなんですけどこの水の実という字はですね僕はこの説を押すんですけど
神様っていう意味があります神様の実なんですよね それからこれは例えば見たまの実だったりとかもするんですよね見たまっていう
魂っていう意味ですけれどもこれを丁寧に言う時に見たまなんていうふうに言ったりしますよね あとはこれ
実という言葉は結構聖なる場所につきますさっきの 実先っていうのも実はこの境目なんですけど何の境目かっていうと神様の
との境目だったということなんですよねそれから 海っていう字にもこの海という言葉にも実がついているということなんですね
つまりこの水の実というのは神様っていう意味があるんじゃないかと僕は思っています 他にもですねこの実が連想させる言葉ってあるんですね
あの木になる実ですねあの実あれは実るっていう意味があるんですね 結実するっていうことですねだから実を結ぶということがあって
あとは自分自身の体のことも実というふうに言いますよね まあこれらもなんか神様っていうこととすごく近しいニュアンスを感じるのは僕だけでしょうか
木になる実もこれはですね人がどうのこうしてつけるような実じゃないよねって いうことだったりとかあと自分の体この体すらもですね
自分の思い通りにならない思い通りになると思っていても思い通りにならないのが自分の 体であったりもします
というところにやっぱりこの実という意味がついているんじゃないかなということを思うのです じゃあ水の図はどういう意味なのかというとこれは巣にてんてんじゃないですか
でもさ昔って実はこれ巣にてんてんではなく 巣にてんてんだったんじゃないか説
これを僕は推してますだってねあの古文とかを読んでると あの音水からみたいな時とかってこう全部
巣にてんてんなんですよね 巣にてんてんをして読むっていうことってなかなかないなあっていうのが
古文とかを紐解いていて思いますので実はこの水の図は巣にてんてんだったんじゃないかっていうことです
巣っていうのはどういう意味なのかというとこれはですねまあいろんな意味があると思いますけど
まあ一つは続くっていうことを連想させる 意味なんですよね言葉なんですよね文字なんですよね
続くですだから神様とかまあこの 体だとかあと木の実だとか
水の流れとその性質
実るというものがずっと続いていくというような意味があるということです この水っていうものがいっぱい集まると大きな水
大海になるんですねこれが大海大海大海大海 海になったという説があります結構これ僕をしてって海というのは大きな水
大水と書いて実はこれ海と読むようになった説なんですね
つまりこの海の中には水という言葉も実はそこに入っているし つまりということは神様っていう意味も入っているということです
ということでこの水というものの中にはですね 神様とか命とか自分の体とかそういう意味があります
じゃあちょっとこれ置いといてですね自然の話に入っていくんですが もうちゃんは
自然のお医者さんとして活動させていただいております その時に水の流れっていうのをものすごく考えるんですよね
水っていうのはですねまあ僕たち人間が何とかこの水と付き合おうとしていくとですね どう流すのかっていうことをめっちゃ考えるんですね
川が氾濫しないようにどっかに水路をですね 通していくとかですね
まああとは
洪水とかが起こらないように排水設備を作ってですね 寒水水たまりが大きくわーっと広がらないようにっていうことでそこからですね
水を流していくっていう人がですね なんかこう水と付き合っていこうとした時にできることっていうのはせいぜい流すって
いうことなんですよ でもでもです自然の中で水っていうのはどういうムーブをするか
動きをするかっていうことが非常に興味深い 実は水は流れるものではないんじゃないかっていうのが
モーちゃんの自然の見方なんですね 水はどうしても行き場を失った時には流れるがなぜ流れるのか
水の気持ちになって考えようということです 水は動く方向が決まってますそれは上から下に流れ必ず上から下に流れ続け
ます 時にコンクリートなんかは水を通すのがまあ0%なんですって浸透率0%なのが
コンクリートなんですってこれがアスファルトなんていう風になると水を通すようになる 水を浸透させるのが50%なんていうふうに言われたりするんですが
コンクリートなんていうのはですね 水を一切通さないよなんていうことをまず言われるんですね
っていうことになるとどういうことなのかというと水はコンクリートの上を滑るように 流れていってそして探すんです
何を探すのかというと染み込める場所を探していくんですね そうなんです水っていうのは上から下に流れていきます落ちていきます
そして地面に当たった後はまたですね地面の下にどんどんどんどん潜り込んでいくっていう こういうムーブをするんですねこれがですね実は水の本質なんです
水は染み込んでいくものなんですよね これめっちゃ面白くないですか
なので実は人が考えなくてはいけない水の扱い方というのは いかに流すかではないということなんです
水本来の動きを尊重するならばいかに水を染み込ませるのかっていうことを考えていかなくてはならないというのは実は自然に寄り添った
人間の動き方なんですよね そうなんですよ染み込ませるっていうことなんですね
でもねこの染み込ませるっていうのはさこれ人の目にはもう届かない 地面の下の中の世界なんですよね
だからさどうしても人は見ないと安心しない だから流そうとするんじゃないかなって思うんですよね
地面の中に染み込んでいくその水はその後どうなっていくのかっていうことをまず考えていき ましょうよ
今ですねものすっごく僕は 雨の打ちつける車の中でですねこの収録をしております
山に当たった水はそのまんま山の斜面の中にゆっくりゆっくりと染み込んでいくんですね 染み込んでいった水は
長ければですね30年とか50年とかして染み出してくるんですよ まあ言い方を変えれば山から水が湧いてくるなんていう言葉があるじゃないですか
これはですねまさに何十年も昔に山に降り注いだその雨が染み込んでいって そしてその山のですね土とかそういったものでですね
水がどんどんどんどんろかされて綺麗になっていくんですよね さらに山の中のこの含まれているミネラルとかそういうものが水の中にどんどんどんどん溶け
ていってそして染み出してくる その染み出してきた山の水っていうのは
野菜とかさそういうものにはもうものすごくごちそうなわけですね だから山の水で育てた水道水ではない水で育てたお水で畑の野菜っていうのはものすごく
甘みがあって美味しいんだよっていうことをまずですね 抑えておきたいところなんですよね
そうそして 水たちっていうのは下へ下へ下へ下へ潜り込んでいって
そして川から湧き出ていくこともあるんですね これは湧く水と書いて湯水なんていうふうに言うんですが川の底にですね
モゾモゾする部分があってそこっていうのは実は山からずーっとずーっと流れ続けて きたものがですね
そこから湧き出して川の方にですね出ていくっていうそういう動き方をします 川に流れて出ていくことができた水たちはさらにさらにこのですね
沢山の他の水たちと一緒になって下へ下へと下っていって最後は海にたどり着くんですね 海にたどり着かないものももちろんあると思いますもっともっと地面の下にね
吸い込まれていってしまうものもあるだろうなぁと思いつつですね とにかく下へ下へと進んでいくのがこの水のムーブなんですね
つまり水というものはすべてのものの中でですね 一番下へ下へと潜っていこうとする性質があるということです
てことでこの水というものが聖なるもの 神様が宿っているなんていうことを言われたりもしますけれどもそれは実は水というものがですね
長い年月をかけて 海のところにもう行くんですけどもその過程の中でねこの水の中に浴びせない土の中で何をしてきたかっていうことなんですよ
水と生命の記憶
これねー もうちゃんはこう思う
あらゆるもののそう命の記憶っていうものを吸い込んできた これが水なんじゃないかなっていう説をしてますっていうか
これがもうちゃんの説ですね
あの風っていうものも僕よく考えますが 風ってね世界中の記憶を
持っているんですよ 風っていうのは吹いたなぁ吹き抜けたなぁって思ったらですね
その風はなくならないんですね 自分が風が吹いてるって感じた時にだけ自分たちは風を感じてね
まあ風がなくなってしまった消えてしまったなんて思うけど 実はその風っていうのはずっとずっと続いていって
世界中を駆け巡っているんだよっていうことを僕は持っています だからこの人つながりの風っていうのは実は
この地球上のあらゆる記憶っていうものや香りっていうものを味わってきた そういうものなんだと思うんですよね
だからさ風に乗ってなんか香りとか雨の香りだとかさ ちょっとこう食べ物の香りだとかそういうものが漂ってくるとさ
僕たちはあの時の記憶をふとフラッシュバックするなんていうことがあるじゃないですか 実はこれって風が記憶を運んできてくれてるんじゃないかなと
僕たちが思い出しているかのように思えて実は思い出させられている風によって っていうのがモーちゃんの説ね
でこう風っていうものが生きとし生けるものの記憶というものを持っているとしたら 水は何の記憶を持っているかというと
これまでの命の記憶つまり亡くなった者たち 屍たちの記憶というものが詰まっているんじゃないかと思うんですね
この屍たちの記憶っていうのは何を意味するのかというとですね 無機物だと思います
何言ってんだろうって感じですけど今日ね その有機物と無機物ってあるじゃないですか
有機物っていうのはさ炭素が含まれていれば有機だとか言って言うんですけど 人とかそういうものですよね
無機物っていうのはさこのミネラルとかそういうものになるわけですけれども まさにその水の中っていうものにはミネラルが含まれているじゃないですか
この無機物だよね 無機物っていうのはさこれは命がないものなんですよね
この地球上の中で言えばまず命がないものっていうのがこの無機物だと捉えても いいんじゃないかと僕は思っています
なので何もないように思えてゼロキロカロリーのように思えて 実はありとあらゆる昔命だったものの記憶とかエネルギーというものが
この水というものの中にうんと含まれているんじゃないかと思うんですね だから僕たちはゼロキロカロリーでも水が必要なんです
そして水は僕たちの体の中を通って僕たちの記憶というものをですね またどんどんどんどんここに記録させてそして水は出ていくんですね
水は命の水なんていうふうに言うけどさ 出ていってからもまたどんどんどんどんその水の旅っていうのは続いていくんですよね
流れに流されてさなんていうことを思っております まさにこの水っていうものは僕たちにエネルギーを与えてくれますゼロキロカロリーなのにそれは何かっていうとありとあらゆるものの記憶というものを持っているから
だから僕たちは自分の体の中の水分水というものをご機嫌な状態にしておく 綺麗な状態で保っておくと僕たちの細胞っていうのは水の中に浸されておりますから
日本の水の崇拝
細胞はいつまでも元気にいられるということなんですよね さてさてさらにですよ
水というものはですねどう日本で捉えられてきたのかどういう話をちょっとさせていただけたらと思います
水そのものをなんかこう 崇拝の大正としてあがめたてまつるということがかつてあったのかどうかという話ですね
水はありがたいものですありがたやーって手を合わせたりするような気もするんですけれども それっていうのはですね
自然振興とか自然崇拝という考え方なんですね 例えばですよ山っていうものをありがたやーって言ってですね
山そのものに敬意を持つというのは自然崇拝という考え方なんですよ で
山には精霊がいるよねとかそれから水にも精霊が宿ってるよね 神様が宿ってるよねなんていう話になるとこれは
精霊振興っていう言葉になるんですね 精霊振興というのはアニミズムなんていう言葉にも置き換えることができますけれど
水そのものを崇めたて祀っているわけではない山そのものを崇めたて祀っているわけではない 日本人は古来からですねその山の中に住んでいる
神様や精霊を拝んできた 水の中にいる生き物だとかあとは精霊だとか神様を今まで拝んできた
拝めたて祀ってきたなんていう歴史が振興がありますよということです これはですね海外の西洋の文化とは大きく違うところなんですよね
海外の中で水っていうものがお清め 清いものというふうに言われることがありますのでなんか
聖水なんていう言葉がありますよね聖なる水と書いて聖水ですけど その聖水っていうのは水そのものに価値がすごくあって水そのものを拝め
拝みたて祀るということがあります だけどそれ日本ではなかなかないんですよね
日本の水の特性
水は綺麗なもの手を清めるものということではあるんだけど 海外ほど水が貴重なものでは決してないと日本っていうのは水が
潤沢にある国でね海外の中ではやっぱり水が今日の分がないからってことですごく ありがたくありがたくね
拝みながら過ごすっていうこともあるんでしょうけど日本の場合は今のところですね 水の量はどんどん少なくなってはいるとはいえ
水はそこそこ潤沢にあるということなんですよね だから水そのものを
ありがたいものだって言って拝むのではなく水の中にあるそのなんか 精霊みたいな目に見えないものを
大事にしていくっていうことがあるように僕には感じて感じられます で魚とかさ
僕こう鹿児島県を自転車で旅をしていた時にですよ 海沿いに魚を供養するそういう神社があったんですほこらがあったんですよね
これってその海の中の命たちに手を合わせているなんていう感じじゃないですか つまりこの海とか水の中っていうものはやはり僕たち僕が思うにはですね
こうありとあらゆる命のエネルギーというものがそこには 入っているんだろうなぁっていうことを思うんですよね
はいいかがだったでしょうか 最後まで聞いてくださった方は是非いいねやフォローで足跡を残していってくださいね
うわ今日何の話したんだろうね 何言ってるのか自分でもよくわかんなくなってきますけれど
今がこれが毛ちゃんの頭の中です で今日話したことっていうのは別に何かの一つの宗教の話をしているわけでも決してなくて
この水というものを毛ちゃんはファンタジー作家だと自分のことを思っているのでね ファンタジーな世界観で描いてみましたけれど
ファンタジーというのはフィクションかもしれませんが そうである一方で毛ちゃん自身ですね
民族学とか人類学とか伝承だとかそういうものにすごく興味関心を持っています だからやっぱり火のないところに煙が立たないわけでですね
ありがたいなぁとかここはですね 神聖な場所なんだよっていうふうに言われていることには何か理由があります
でやっぱり今見るですね神社とか仏閣というものは昔はここは海だったんだ 海でギリギリ陸地だったんだよっていうことだったりとか
まあ様々なケースがあると思いますけれどもまあそうやってですね まあ信仰心というものが強まっていったのではないかと
どこでも良かったわけじゃないってことなんだよね ということで毛ちゃんからのお話はこれで終わりたいと思います
これぞプリコラのお皿味立てだよね 何の役に立つかわかんないけどとりあえず聞いちゃったみたいだね
ということでですね最後にお知らせをさせてください 今度の金曜日からこだまこまちメールマガジンがいよいよ
第1話目スタートいたしますこれ何か押し売りするとかそういうためではなく こだまこまちプロジェクトのことを知っていただきたいなぁと思ってお話をさせていただく
お送りさせていただくそんなメールマガジンとなっておりますので もしよろしければ番組の概要欄にリンクありますのでそちらから
ポチッとねフォーム入力していただいて ご登録いただけたら嬉しいなと思っております
ということでお時間いただきましてありがとうございました お相手はこだまこまちプロジェクトの毛ちゃんでございました
またお会いできることを楽しみしております今日も素敵な1日をお過ごしくださいませ あなたとあなたの大切な人に森の精霊の子が子が訪れますように
そして最後にちょっと補足なんですがまあ僕たちって7割が水だとするならばですよ 水なんじゃないかなと思ったりもしますね
水に操られているというかそもそも僕たちは水から生まれた それは間違いないことですよね
ありとあらゆるもののご先祖様の最初の一つ目の細胞というものは水の中から始まっているものだし それからもうちゃんたち全員そうですけども人間というのはそうですね
水に包まれたところから生まれてくると水から始まってそして水に帰っていくというのが実は僕たち 人間なんじゃないかなと思っている次第でございますそれではおやすみなさい