00:08
おっすおっす、おはようございます。こんにちは、こんばんは。地球元気食堂開店でございます。
僕の名前は、もおちゃりと申します。僕の夢は、世界中に1回でも多く、美味しくて笑顔のあふれる食卓を、
そのために僕は薬善師をしたり、森林活動ガイドをしております。僕は薬善師ですので、一人一人の体調や心の具合に合ったお料理を提案させていただいたり、
森林活動ガイドとしてお客様を森にお連れして、自然や生態系のことについてお話をしております。
本日はですね、森に学ぶ平和と戦いの終わらせ方というね、お話をさせていただきたいと思っておりますので、よろしければ聞いてください。
本題に入る前にお知らせです。僕は今、目標を掲げております。
プラネタリーヘルス×薬善のレシピを開発してリリースしますということで、現在達成率18.4%となっております。
皆様のライブ配信中の1コメントが0.1%、0.1ポイントの加算になっておきまして、100%になったらですね、このプロジェクトに着手していこうかなと思っておりますので、
応援の意味も込めましてですね、何でも結構でございます。絵文字や挨拶など何でも結構ですので、お送りいただけたらと思います。
さあ、本日はですね、森に学ぶ平和と戦いの終わらせ方というね、お話をさせていただこうと思っております。
僕はですね、今手元に一冊の本を置いております。 山際純一先生という方と、それから関野義晴先生という方、お二人がですね、
対論、対談して書かれた、人類は何を失いつつあるか。ゴリラ社会と先住民社会から見えてきたものというね、本を手元に置かせていただいております。
僕はですね、この山際純一先生という方はこの間、僕のですね、知り合いから
紹介をしていただいた方なんですけれども、この方はですね、またすごい方でですね、京都大学での博士、
博士をね、家庭をね、やっていた方で、今は京都大学の総長をされているということですね。
関野義晴先生はですね、僕はもう本当にご縁を、なみなみならぬご縁を感じているんですけれども、知っている方はご存知なのではないでしょうか。
あのGreat Journeyということでですね、日本、日本じゃないですね、世界に人類が旅をしていったこの軌跡っていうものをですね、
03:03
歩いて、また自分の人力で、船で、そして犬ぞりで旅をしていったということで、世界中をですね、自分の足で駆け巡ったというGreat Journeyですね。
さらにこの関野義晴先生はですね、大学の先生もされておりまして、僕忘れもしないのがですね、自分自身が東北地方を自転車で旅をしていた時があったんですね。
僕今、高知県に住んでいるんですけども、当時は東京に住んでおりまして、そこからですね、日本中を自転車で縦断をしようなんていうプロジェクトを自分で立ててやってたんですね。
その時に、東北地方を旅した時にGreat Journeyという自転車に出会ったんですね。
Great Journeyという自転車って何なのかっていうと、これ関野義晴先生がやったテレビ番組Great Journeyであり、
それから人類がアフリカ地方からね、アフリカから始まってるんですよね、人類っていうのは。
もう人類のDNAをずっとずっと遡っていくと、アフリカの一人の女性に行き着くんだと。
そこから始まっていって、世界中にこの地球上全域に人がね、拡散されていったなんていう話があるんですけれども。
その名前をとって、Great Journey、あ、ワルツさん、こんにちは。初めまして。ありがとうございます。コメントいただきまして。
今日はね、森に学ぶ平和と戦いの終わらせ方っていうね、お話をしていきたいと思っておりまして、よろしければゆっくり聞いていってください。
僕自身が森林活動ガイドとか、自然環境のことについてね、やっておりますので、森に学ぶ平和学というね、ことを今日はね、話をしてみたいなと思っております。よろしくお願いいたします。
関野よしはる先生のお話をさせていただいておりましたが、僕は今一冊の本を手元においておりまして、Great Journeyで有名な関野よしはる先生ですね。
その関野よしはる先生がGreat Journeyということをされた。これは関野よしはる先生が、
やった旅行のことを言ってるんじゃなくって、人類がアフリカで誕生をして、そこから一番最初、あの南アメリカのところまでですね、人類が旅をしていくんですね。もう何年も何千年もかかって、
何万年かだとかってかかって、旅をしていくわけですね。そこで人類がこうやって定住をしていって、それぞれに文化を発展をしていって、
僕たち日本人もそうなんですよね。日本列島に移り住んできたっていうのもそのGreat Journeyの一環ですよっていうことでした。
僕が東北を旅していた時にGreat Journeyというね、自転車に出会うんですよ。このGreat Journeyという自転車は僕は前もって知っていたんですけれども、
キャンプの会社のモンベルってご存知、ご存知じゃないすいません。なんでもありません。これは置いておいてください。
06:05
台湾の自転車メーカーのジャイアントという自転車メーカーご存知でしょうか。ジャイアントの自転車ってものすごく性能が良くって、台湾のメーカーなんですけれども、
値段がね、まず安くてすごく丈夫なんですよね。もちろんレースの自転車も売っていると作っているというものなんですけれども、
そのジャイアントはですね、旅用の自転車も開発をされているんですよね。あ、イーストさんこんにちは。ありがとうございます。台湾だったのですね。そうなんですよ。
台湾僕、旅を自転車で縦断をしたことがあるんですけども、その時って自転車大国なんですよね。
自転車大国だという風に言われているので、自転車がいっぱい走っているという形でした。自転車で旅をするっていうことがすごく流行っているのかなと思いましたね。
台湾は広いので、島国ですので、どこ行くのも車っていうのもあるんですけども、台湾は自転車大国と言われていて、ジャイアントというメーカーが有名だよっていうことでした。
イーストさんありがとうございます。フォローさせていただきますということで嬉しいです。僕もフォローさせていただきますね。ありがとうございます。
ジャイアントの自転車の中にグレートジャーニーっていう自転車があるんですよ。すごくないですか。すごい名前じゃないですか。
アバルツさんありがとうございます。イーストさんにご挨拶いただいてありがとうございます。ゆっくりしていってください。
そのグレートジャーニーっていう自転車はどんな自転車かっていうと、ハンドルがロードバイクみたいなドロップハンドルと言われているもので、すごく乗り心地が良いと。
でも、ドロップハンドルなんだけども、ロードバイクみたいにレースやってるわけじゃないから、姿勢がちょっとママチャリのように起きやすいと。
どっちかというとママチャリみたいなスポーツバイクみたいになっていて、乗り心地が良いと。タイヤが少し太めで安定をすると。
自転車の脇に大量の荷物を詰めるようになっているっていうね、そういう自転車なんですね。
グレートジャーニーかっこよって言って、東北地方で自転車で旅をしていたある一人の学生に出会うんですね。
この自転車グレートジャーニーですねなんていうことをその学生に僕は言ったらですね。
お、ご存知ですか?みたいなことを言って、実は僕の先生グレートジャーニーなんですよ、みたいなこと言うんですよね。
え、どういうことですか?もしかしてあなたの先生は関野先生ということですか?そうなんです。
このグレートジャーニーという自転車はその関野義晴先生にお借りしたものなんです。
うわぁ、すごーいとなりました。
はい、この世界をですね、旅した自転車、これを学生に譲ってですね、その学生がその自転車を持ってこの日本を旅しているというところに出会ったっていうようなことがありました。
09:12
嬉しかったなぁ、あの出会いは。
まあ、そんなことがありまして、その僕は関野義晴先生とですね、すごく縁を感じました。
僕はですね、海をフィールドにしてこれまでね、やっていたっていうことがありました。
今は森林がフィールドなんですけれども、ライフセービングをね、していた時があることがあったりとか、海のキャンプをしていたことがあって、
僕の海の師匠っていうのが、日本で初めてそのドーバー海峡を横断したって言われている方なんですよね。
ドーバー海峡ってわかりますかね、あのイギリスからヨーロッパのね、そこの海峡なんですけども、
昔そのウッチャナンチャンとかのね、あれでありましたよね、ドーバー海峡横断部みたいな、古い?古すぎる?ありましたよね。
そこのドーバー海峡を、今となっては日本人もいっぱいこう挑戦する人がいるんですけども、日本人で初めてそれをやった、それは女性だったんですよね。
その方が僕の師匠で、その方はですね、アマゾンとかを旅をする、冒険をするっていうこともやってきて、
関野義晴先生とすごいつながりがあったと。僕も関野先生に直接お会いする機会もあったりとかしてですね、すごくご縁を感じているところです。
話が長くなりました。そんな関野先生も書かれております、「人類は何を失いつつあるか?」という本を、僕はこう一冊ね、手元に置いて、今日お話をさせていただこうと思っております。
森に学ぶ平和と戦いの終わらせ方ということで今日話すんですが、
まず、人類はなぜ戦いを始めていくのかっていうことですね。なぜだと思いますか。人類はなぜ戦いを始めていくのでしょうか。
これ多くの学者さんたちが共通見解、99.9%共通見解を示しているのがあります。それは人は
土地をめぐって争いを始めるんだっていうことなんですね。土地をめぐって争いを始めるんだって。そうですよね。僕たちが学んできた日本の歴史とか世界の歴史を見てもそうだったと思います。
農耕社会が始まって、つまり今までは狩猟民族の狩猟採集社会だったんだけれども、でもそれが農耕社会に切り替わった途端に土地が必要になってきた。
稲を作っていく。畑を作っていく。そういった時に、その自分の土地が広ければ広いほど、たくさんの食料を作ることができる、なんていうことですよね。
だから、その土地、俺にくれよ。嫌だよ。だって俺の土地はさ、もうさ、全然作物育たねえんだよ。だからお前の土地くれよって言って争いが始まっていく。
これが戦争の始まりなんだ。つまり稲作とか農耕とか、今は農業はすごく盛んになっていて、僕たちのその食料を支えていますけれども、その食料の支え出ていく安定基盤のその裏には、実は戦いを生んだっていうような歴史があった。
12:17
弥生時代は、弥生時代に入ったらそういった農耕社会が始まっていくけれども、そこから争いも始めていったんだ、みたいなね。
そういう歴史があるということは、多くの人が、まあそうなんだってご存じかと思うんですけれども、本当にその人の争いっていうのは、土地を争うっていうことから始まったのかどうかということなんですよね。
いや、これがですね、実は99.9%の人は土地がそうだって言ってるんですけども、0.1%の人類学者は違うというふうに言うんですよね。
その0.1%の人類学者は何かっていうと、だって考えてみてくださいよと。
私たちが研究をしてきた、そのアマゾンとかそういった奥地に住んでいる先住民たち、その先住民たちっていうのは、決して自分の土地だっていうことの認識ってないじゃないですか。
その森に住んでいるけども、その森はみんなの森だ、みんなの土地だ、だからみんなで貸し合って生きていくんだ。
人間はいつの日からか、土地をここからここは俺の土地みたいなふうにして、柵を設けて立ち入り禁止だ、みたいなことをし始めるんだけども、でも私たちのその多くはそうではなかったはずですよねと。
森に住んでいる人たちは少なくともみんなでこの森を使っていく。
それはみんなっていうのは自分たちだけではなくて、その森の中に住んでいる動物とか植物たちもまた自分たちのその生活を豊かにしてくれるものだし、彼らの生活のことも大切に保証していかなくてはならないですよね。
だから土地を奪い合って戦争が始まるっていうのはおかしいんじゃないでしょうかっていうことを言ったんですね。
それにですね、なるほどと納得したっていう関の吉原先生でした。
じゃあ一体何がその戦いの争いの原因になっているのでしょうか。
それはですね、人が争い始めた一番最初、本当に本当に一番最初っていうのは何なのかっていうと、それはメンツなんですよ。
自分たちの尊厳とか、それから自分たちの権利だとか、そういうものを傷つけられた時に相手を攻撃するんだということなんですよね。
15:00
なるほどと僕もねうなずきました。
例えばここに具体例が書かれておりました。具体例、これね聞いて気を悪くする方がいたら嫌だと思うんですけれども、これ人類学の中で民族が実際にそういうエピソードを持っているっていうことなんですね。
どういう時に争いが起こるのかっていうと不倫ですね。
例えばね、そのお付き合いをして結婚したそのカップルがいます。
でも隣の町からその女性に一目惚れをしちゃって寝取られてしまったと。
その女性が寝取られてしまったと。
それを知ったその本来の旦那さんが怒る。
怒って相手のその男の人と男性と決闘をするんだっていうことです。
でもここですぐに村をあげての全面戦争にはならないんですよね。
全面戦争になったらすべてがめちゃくちゃになって秩序もなくなってしまって両者お互いが無事で済むってわけでもなくなってしまうからなんですよね。
だからその2人でまずやることは話し合いなんだそうです。
話し合いなんですよ。
まず話し合いをする。
そしてそれで決着がつかなかったら、これ面白いですよ。
めっちゃ面白いんですよ。
決闘をするんです。
その2人だけの間で決闘をするんですね。
見届け人は周りにいるんですけども決闘をします。
で、原骨ってあるじゃないですか。
グーですね。
グーの中で小指だけちょっと立てるんですって。
この小指を立てたその拳で小指を引っ掛けながらですね、殴っていくんですって。
で、お互いに一発ずつ殴っていくんですって。
例えば先行がですね、胸を殴ったとしたら、やり返す方がですね、今度後攻側も同じ場所、胸を殴っていくんですって。
そうやってお互いに一発ずつ殴り合っていって、そしてよろけたりとかもうダメだとか、おじけづいたらそこで勝敗が決まると。
めちゃくちゃ興味深いですよね。面白いですよね。
でもそれでも決着がつかない時があるんですよね。
それでも決着がつかなかった時は今度ちょっとエスカレートしていきます。
お互いが長い棒を持ってですね、棒を持って頭を殴り合うんですね。
で、それでやっぱりよろめいたりとか、おじけづいたりだとか、降参をした方が負けになると。
で、その戦いによって傷がついた頭っていうのは男の勲章みたいなことを言われるんですね。
これ本当にある話ですよ。
18:01
アマゾンの奥地に住んでいるヤノマミというそういう原住民、先住民たちがそういうことをしていたということなんですよね。
めっちゃ面白い興味深いですよね。
で、それでも決着がつかなかったら初めて弓矢を持ち出す。
弓矢っていうのは一発で相手を殺傷してしまうような力があるんですよね。
そこでバツッと相手をやっていくんです。
でもこの戦いの段取り、ステップっていうのがやっぱりあるんですよね。
先住民、原住民、そういった人たちって僕たちってすごく野蛮な民族だとか、言葉が通じないんでしょうとか、そういうことを思ってしまいがちなんですけど、実はそうではなくて、森に生きている人たちっていうのは森はみんなのものだし、だからそういったところでは争わない。
僕たちが争うのは自分自身が傷つけられた時だ。
だから一つ一つステップを設けてって戦いを行っていくんだっていうフェーズがあるんだっていうことなんですよね。
どうでしょうかここまで。なるほどと思っていただけましたでしょうか。森の戦いっていうものはそうなっているということなんですね。
で、もちろんこっちに例えば一人でも死者が出たら向こうの人の命を一人は奪いに行かなきゃとかっていう、そういったプライドをかけた、免痛をかけた戦いっていうものをしていたってことなんです。
じゃあなぜそういう森での戦いっていうのは一つ一つ平和的に解決するというか、
戦いは行うんだけどもお互いが平和的にやっていくのかっていう話なんですね。
それは森の生き方っていうのはまさにそうだからなんですね。
砂漠と森って全然違ってですね、この森っていうのはいろんなところに隠れる場所があるんですよ。
森は隠れる場所があります。
例えば鳥は樹冠って言って、木の一番てっぺんのところにも棲むことができますよね。
それから木の幹に穴を開けて、キツツキがバーッと穴をトトトトトって音が聞こえるんですけどね、森を歩いてたら。
穴を開けてその中に鳥は棲むことができたりとかですね。
またそのキツツキが開けた穴っていうのは他の動物がね、ムササビとかそういうものがですね、活用する穴にもなったりするんですよね。
またどんどんどんどん下に下がっていくとこの地面、地面とかっていうところにもですね、やっぱり木のウロとかできるわけですね。
木に穴が開いているっていうか木のトンネルができている、そういうところにも何か獣とか動物は隠れることができるし。
21:08
虫たちも土の中にも住んでるし、そうやってそれぞれが森の中に入っても全然わからないんですよね。
僕たちも森の中に入ったり山の中に入ったりすると、たまにこう生物に巡り合いますけど、本当はめちゃくちゃめちゃくちゃたくさんの生物たちが森の中に住んでいるのに、あんまり見なくないですか。
すごく目を凝らさないと、虫発見とか、うさぎがいたとか、イノシシがいたとか、シカがいたとかならないですよね。
それね、うまくそれぞれの動物たちが隠れて、お互いにお互いの生き方を尊重しているんですよね。
だからその森っていうのは非常に弱肉強食の世界でもありますけども、平和的にお互い様だよねっていうようなことで生きているということなんですよね。
これがですね、とても大事な抑えるべきポイントです。
だから森に住んでいるその先住民たちっていうのは、そういうあくまで平和的な戦いである考え方であってもともと。
ということなんですね。お互い相手を侵略しようとか、そういうことにはならないというのが、実はその森の人たちの考え方でございます。
じゃあそっとですね、もうちょっと話を進めていくと、砂漠の人たちってどういう人たちなのかっていうことですね。
砂漠です。砂漠って宗教でいうとどういうものがあるかというと、
例えばですね、砂漠のところだと宗教がですね、一神教だったりします。
例えばキリスト教だとか、あとイスラム教だとか、そういったところはですね、一神教っていうことになりますね。
つまり砂漠っていうのは、そういったものを砂漠の宗教っていうふうに言われてるんですね。
っていうのは何かっていうと、そういったものを信じていらっしゃる方々が住んでいる場所っていうのは、自分たちで開拓をしていかなくてはならなかったんですよね。
その土地が本当に肥沃ではない、植物も育つことがやっぱり難しいという、そういう場所になっていますよね。
ですからなかなかですね、なかなか難しかったんですよね。
そのお互いが共存をするということが。
だって砂漠で何か獲物が出てきたら丸見えじゃないですか。
だから自分が王にならないといけないし、自分以外のものがそこにいてしまうと、たちまち自分が餌食になってしまったりもするから、他の人の存在っていうものを排除しなきゃいけない。
24:07
それが実は宗教というところにも、宗教の成り立ちにもすごく関係をしてきております。
僕は宗教が良いとか悪いとかそういうことでは全くなくてという立場でお話をしておりますので、誤解をしないでいただけたらと思うんですけども。
そういった一神教っていうのは、それ以外のものはダメですよっていうことを伝えていますよね。
ですから、今、戦争が起こったりしているということでございます。
だから、戦いの歴史っていうのは本当にですね、戦争の侵略とかもしっかりですね、本当にあるんですよね。
土地をやっぱり必要だっていう考え方の人もいれば、そうじゃないでしょって、森に住んでいる人たちはそんなことをしてこなかったよっていうこともあるよということでございました。
じゃあ、その矢のまみ、昔というか先住民の人たちって、いったいどんなふうに平和的な解決をしてきたのかっていうと、
さっきみたいにですね、一対一の決闘をするとかそういうこともあるんですけども、往々にしてあったのは、お互いのメンツを立てて戦いが終わっていくというパターンなんだそうです。
お互いのメンツを立てて戦いが終わっていく。
あなたも勝ちです。あなたも勝ちです。両方とも勝ちです。みたいな感じなんですよね。
よくプロ野球の選手たちが、こう、抗議をしてやったりとかしますよね。デッドボール当てられた、ふざけんな、みたいなことをして。
でも、その時に審判が仲裁に入って、いや、こういうこともあるよね、と。
あなたの方にも点数を入れます。点数というかね、真類、霊に出ていいですと。
投手の方はですね、気をつけてくださいね、みたいな。わざとじゃないですよね、みたいな。そういったふうに両方のメンツを立てて解決をしていくということがあるんだそうです。
戦いの終わらせ方ってそういうことなんだよなって思います。
ちょっとここからディープなお話に入っていきます。僕はですね、もともと小学校の教員をしていたっていうバックグラウンドがあります。
その中でも歴史、社会科っていうのを専門的にやらせていただいてきました。
そういった立場からですね、ちょっとお話をすると、日本の戦争、今となってはですね、
もうその60年も70年も前のね、お話になりますかね、ありますけれども、今もなおですね、毎年8月になると、その戦いのことについてですね、
その終戦の、戦争のことについて思い出される日がありますよね。で、その時の話をね、ちょっとお話をしたいと思うんですけれども。
27:03
僕はですね、ずっと気になってたことがあったんです。それは、
日本って、その敗戦っていう言葉を使わないよなって思いました。
あの終戦っていう言葉を使うんですよね。
で、日本は戦争に負けた、負けたっていうふうに言って、
まあ認識としてはそうなんだけれども、でも歴史用語の中にはそういう言葉はないんですよね。
とにかく終戦という言葉をこだわって使っていきます。で、これ一体なぜなのかなっていうことなんですね。
今ね、終戦記念日っていうのがあったりしますよね。まあ、終戦記念日というか、終戦の日ですね。あったりしますよね。
なぜ今もなお、そういう日をですね、
こう、僕たちは大事にしているのかっていう話も、実はこの話に関わってきます。
終戦の日、戦いを終わらせたっていう日なんですね。
時のですね、内閣総理大臣であった鈴木寛太郎という方がいらっしゃいました。
その方がですね、こういった記述を残しているんですね。
鈴木寛太郎、その当時ね、日本の総理大臣って、わーっとめっちゃ変わっているんですよ。
だから、戦争を始めた時の総理大臣と、それから戦争が終わった時の総理大臣って違うんですよね。
で、そうなってですね、やっぱり客観的に見ていると、日本は勝ち目がないということもわかっていた、そんな鈴木寛太郎です。
その鈴木寛太郎はこんな言葉を残してて、勝ち目のない戦いがある。
だから、私がその総理大臣になったら、いつかこの戦争を終わらせるっていうことを、自分で書き留めていた書類が出てきています。
どういうことなのかっていうと、このまんま日本がもう本当に全部が粉砕する、1億総粉砕っていうところまで来ている。
それくらいするところまで、戦争ってやめないでいくこともできるんですよね。
できるんです。いつまでもずっと続けることができるっていうことなんですよね。
でも、ここでやめるっていう選択もとても大切ですよね。
で、その時に自分たちは、日本っていうものが未来がこれからも続くっていうことを願って終戦というものを選ぶんですよね。
もちろん国際的に言えば、戦争が負けたっていうことなんだけども、日本としては終戦です。
つまり、ここで戦いを終わらせますっていうふうに言います。
30:01
すみませんね、この話をすると、やっぱり戦争で被害に遭った方とかが、それはちょっと違うでしょと、負けたんですよっていうことをおっしゃる方もいらっしゃるんですけども。
その時の日本の状況っていうのは、とにかくそうだったということですね。
そのトップの考え方はそうだったっていうことなんです。
で、この戦争を終わらせたということなんですね。
そうすることによって、自分たちは自らその一歩を踏み出したっていうことになっていって、これからの日本が一つ一つまた復興して発展していくようにっていうことをやっていったんだそうです。
つまり、日本人の尊厳を守った。
世界的に見たら、原爆が落ちて、本当にたくさんの犠牲者が出て、それで負けっていうことになった。
でも、日本はそれでも戦争を続けるということはできたんですよね。
でも、そこでやめますっていうことを伝えることができたよねということでした。
だから、原爆が落とされる前から、実は終戦に持ってこうとする運びっていうものは、実はもう整ってたというか、進めてたっていうことなんですよね。
でも、タイミングとして原爆が落ちてしまって、そこから終戦ということになった。
だから、僕たちはあたかも原爆というものが戦争終わったっていうように思ってるけども、
実はもっと前からやめるっていうことを決断をしようとしてたよっていうこともあったんだそうです。
だから、ここでも大事になってくるのは、先ほどの話でもあるように、自分たちの尊厳っていうことなんですよね。
自分たちの尊厳を守るっていうことなんですよね。
はい、ということがあったんです。
でですね、僕たち森に住んでいるその民族だわけです。
日本っていうのは森に住んでる民族なんですよね。
森に住んでる民族って、本当にこの土地っていうものも本当にもうみんなのものだから、自然から与えられたものだからと。
神道では神様から与えられたものだとか、もうよくわからないけども、そういうふうにみんなのものだからっていうふうに言われています。
だから、その土地っていうものの上で何かこう戦いが起こったりとか、例えば自分が生きている中で、例えば魚をめっちゃ取ったりするわけですよね。
魚をめっちゃ取って食べたりとかしている。これって魚と人間の戦いのように見えるんですけども、
そんな時にも人はしっかりとその日本人はね、特に犠牲者とか、そこでその敗者と言われている人たちね、とか、そこで浮かばれなかった人たちのこともたたりを恐れて、しっかりと祀るっていうことをしています。
33:04
僕はですね、その日本を旅をしていた時に、こんなものがあるんだっていうことを思ってびっくりしたのがですね、
日本の九州、本土最南端、最南端、佐田岬っていうところがですね、九州の本土の最南端ね。九州って厳密に言うとたくさんの島もですね、九州なので、そこも含めるともっと南ってあるんですけども、九州の本土の最南端は佐田岬というところなんですね。
そこを旅をしていた時にですね、やっぱりもうそこ漁港町なんですよね。
ちっちゃな船も含めてですね、たくさんの船が出て、大量に魚を取ってくる、それが成り場になっていて、民宿とかそういったところでも振る舞われるというような場所なんですよ。
でね、その道路のですね、脇のところに結構大きく石碑があって、魚たち、永滞供養の碑っていうのがあったんですね。
魚をたくさん取るから、やっぱりそこの感謝の思いと、それから魚たちへの魂だとか、命への敬意を表して、しっかりとそこで称えているんですね。
供養をしているんですよね。
そういった石碑があって、お墓というか石碑に近かった、そういうものもあります。
やっぱり僕たちってそうですよね、相手のことも考えたりとか、本当にしていく民族でして、みんなのものだから、本当に自分がたまたま生き残ったけども、
それによって犠牲になった人たちのことも考えたりとか、犠牲になっていった動物たちのことも考えたりとかして、
そういうことをところにも思いを馳せて、手を合わせることができるっていう、そういう民族でもあるんですよね。
というような話がありました。
さあ、いかがだったでしょうか。
そうやって、相手のメンツも亡くなってからも立て続けるっていうことが、実は森に学ぶ平和学ということなんですね。
僕たち日本人も森の民です。
都会に住んでいる人たちも、もともとはやっぱり森の民なんですね。
僕たちは森の民のDNAっていうものを受け継いでおりまして、そういう場所で風土を作ってきたわけでございます。
だから、森に学ぶ平和学、戦いの終わらせ方、相手のメンツを立てるよみたいなね、お話を今日はさせていただきました。
いかがだったでしょうか。
最後まで聞いてくださったあなた、ぜひ、いいねやフォローで足跡を残していただけると嬉しいです。
さあ、いかがだったでしょうかね。
今日は35分、40分近くお話をさせていただいてまいりましたけれども、今日は、
ワルツさんありがとうございました。
本当にコメントもいただいて、ご挨拶もいただきまして嬉しかったです。
36:03
ありがとうございます。
本当に嬉しかったですね。
聞いてくださって。
今日の話は、僕が最近学んだことの中で一番大きかったことだったんですね。
やっぱり人類学が好きで、いろんな民族の考え方だとか、そういうのもひも解いてみておりまして。
いろんな自然のことを学んでいると、本当にそれを実感を持って感じることができる。
そこからですね、新しい考え方というか、もっと深い考え方、哲学に行き着いて、自分も豊かに生きることができるし、自分が気づいたことっていうのは、こうやって残していきたいなと思っている次第でございます。
ということで、お時間が来てしまいましたので、今日はこの辺にしたいと思います。
お相手は、薬禅師であり、そして森林活動ガイドであるモーチャリがお送りいたしました。
またお会いできることを楽しみにしております。
ワルツさん、そしてイーストさん、今日は本当にありがとうございました。
またお会いできることを楽しみにしております。
今日も素敵な1日をお過ごしくださいませ。