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皆さんこんにちは、もんざえもんです。今回は前回に引き続き、杉本渓さんとの対話会、最終回となります。
今回は、怖いことであったり恐れに対して、どういうふうに私たちが向き合ってきたのか、そしてそれが作品展にどうつながっているのかというお話を最後に聞かせていただきました。
ぜひお楽しみください。どうぞ。
明らかに昔に比べて、受け入れられる土壌みたいなのが広がった、深くなったし広がったような気がする。
受け入れるじゃなくて、受け入れられる?
受け入れる。
受け入れられるようになった気がする。
わかりやすく言うと、あんま何言われてもあんまり動じなくはなったから。
そんな悲観的になることはめっちゃ少なくなったり、
ネガティブなことをシェアしてくれるだけで、結構嬉しいと思っちゃったりするからさ。
そんな悲しいことを私なんかに伝えてくれてありがとうみたいな気持ちになる。
昔じゃ絶対できなかったから。
ごめん、俺の話になっちゃった。すいません。
聞くとか言いながら。
いやー、一連の話を聞いてさ、
モグルとか、今回の人生の困難に行き合ったときにどう接していくかみたいな話ってさ、
こんな話するようになったんやね、私ら。
すっげえ変な感じするんやけど。
でもごめんね、勝手な解釈かもしれないけど、
確実にそれって今回の作品たちにもめっちゃ反映されてるよなとかと思った。
というと?
最後に私がお伝えした受け入れられる土壌とかお皿とか深さみたいな話って、
一見心がキュッとなるというか苦しくなるじゃないですか。
例えば僕に対してすごい感情的にぶつかったりとか、
辛すぎてすごい苦しい思いをぶつけられたときって、
昔だったら、この人めっちゃ悲しんでるとか、泣いてはる、どうしようっていうその不安、
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自分がそれを受け入れられなかったら自分もその感情に共感しちゃうというか、
そこに冷静に受け止められない自分がいたんだけど、
今はそういう感じじゃないのね。
けいちゃんとの会話とか、けいちゃんとの作品の話をしていくときに、
明らかにそういう苦しい話も多分これまでもたくさんしてきた中で、
冷静に話をできている気持ちになることが多いのね。
それってお互いの心の底の部分を100%お互い理解できているわけじゃないかもしれないけど、
本当はすごい体力、カロリー使うような話も結構素直に受け止められるように自分はなっていて、
たぶんけいちゃんもそれは受け止めてくれていて、
これは自分たちの感覚かもしれないけど、
明らかに過去よりもものすごく深い思いみたいなことをコミュニケーションしながらも、
作品に対しても重みをめっちゃ感じたって何度かお伝えしてたけど、
それを感じられるなっていうのを今回のコミュニケーションでめっちゃ感じたわ。
そんな気持ちになりました。
前に、というか、さっきもーさんが言うのさ、
ちょっと前のけいちゃんはすごく怯えてたじゃんみたいなのあったじゃん。
もうその自分はいるけどね、どこかにはいるんだけど、
ボリュームは小さくなったし、
代わりに、そういう弱気をさらす、弱さをさらすか、
ことが強さになるっていうのを知り始めていて、
助けてっていうこととかさ、
今回の展示のね、
設定とか搬入とかの話もそうですけど、
それ以外でも、助けてとか、
どうしようって、相談せざるを得ないような状況に自分がなったときに、
きちんとそれをまず出してみる?
お皿に並べてみる?
今これとこれとこれとこれが怖いんだよねって、
これがメインリシューですって言えることができるようになったことがすごく大きい。
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それさ、今さらっと言ったけど、すごいこと言うよね。
たぶんほとんどの人、一般的にできへんことやと思う。
隠すんじゃない?やっぱ。
俺らの、たとえば昔とかも。
隠すだろうね。
言わない、言わないというか、見て見ぬふりしそう、なんとなく。
そういう意味では、俺らさらけ出しまくってるもんね。
それはめっちゃわかるわ。
すごい変化ではあるなぁとは思う。
そこに対する痛みや恐怖は、本当は痛くないんだって、ちょっとずつ経験で知ったからだよね。
そうだね、むしろそれ必ず必要なんだよね、痛みとか恐怖とか苦しさとかっていうのが。
自分が求めてるもんなような気がする。
ちょっと言い方は暴力的だけど、痛まないといけないというか、
結局求めてるんだと思うよ、そういう弱さとか痛みって。
それは多分おそらくやけど、本当はその光というか、
その先に進みたいから、そういう苦難というか苦労みたいなところが必ず来る。
逆にこの苦労みたいなのがなかったときに、
見つけた道って多分本当の道じゃないと思う、個人的には。
一番良くないパターンのような気がするな、その近道は。
ちゃんとけいちゃんも言ってくれたけど、お皿に並べて、
私悲しんでるんですって出すその行為ってめっちゃ尊いよね。
よくぞ並べたってなるよね。
わかるわかる。
コーチングの例えで言うと、多分相談してくれたり申し込んでくれた時点がそれなのよ。
テーマを出してくれたりとか。
よくぞ、本当にコーチングに来てくれただけでも結構だいぶクリアしてるのよね、その人って。
そういう感覚に結構近いような気がするな。
さらけ出すのももちろん勇気はいるんだけど、そんなことを今想像ついたわ。
お皿に並べるにもさ、こんなに私悲しんでるんだっていう転生。
こっからここは別に悲しんでないなみたいな、転生を見極めなきゃいけないじゃん。
フォークで切る、フォークとナイフで切るには。
だから、痛いんだよ。
こんなダメになっとったんや、みたいな。
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こんな硬かったんだとか。
わかるわ。
こんなに重かったんだとかさ、それを見ないとお皿に乗せられないわけよ。
たぶんその作業がないと、お皿に乗せて盛り付けて入って、人にはパンってできないのよ、おそらくね。
そうだね。
その作業を一人でというか、自分で向き合って、きちんとやったんだねってなるよね。
お皿に乗ってる時点でさ。
なんか、ごめん、一個いい?
それがもしかしたら、一つの深く潜る方法なのかなってちょっと思った。
あ、全然ピンときてないやん。
ピンときてたわ。
なんかその、痛みとか。
痛みや苦しみがってこと?
痛みや苦しみを並べますと。
並べて切ってさ、痛かったりとか、意外に柔らかいとか。
そういう自分の傷の断片、塩を塗るわけじゃないけど、向き合うときって、その傷というか深みみたいなのをそこに触れていくやんか、そうやって苦しいやん。
そのときに潜ってる感覚、一個あるなと思った、私は。
そんな振り返りをしてしまった、勝手に。
やっぱね、潜るきっかけにはなるよね。
間違いなくね。
なんでこんなに痛いんだろうって、そこからがスタートですよ。
深く潜る。
そこからですか?
そこからです。
ってことはまず、痛みとか苦しみがある前提ってことだね。
まあそうだね。
そう、悲しみ、痛み、闇を抱きしめて、喜びも、喜びとともに歩くみたいなことはさ、何が言いたかったかちょっと忘れちゃったけど、
きちんと悲しみや痛みを一度抱きしめた人にしか見えない景色があるよね。
わかるような気がしています、今の話は。
だから、傷とか悲しみってなくなることないやん。
必ずどっかにはいるやん。必ず同居してるというか、喜びも同居してると思ってて。
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人間がそんな上手にさ、今大丈夫、今ダメですみたいな、赤と青がくるくるくるくる回るわけじゃないやん。
めっちゃグラデーションかかってる状態っていうところから始まるよなとは思う。
それを認めるところからじゃないと、何も始まらんのちゃうかななんて、最近はよく感じるかな。
そんなことを思いました。
全然違う話になっちゃうんだけど、
私はとても恵まれているなと思って、周りの環境に。
それはなぜかというと、今日も朝話してたけどさ、
他者からの目線や評価のものさしみたいなものに触れずに、絵を描くことができてたんだよね。
上手い下手みたいな基準で、絵を見てくるとか、私の人生をジャッジするみたいな人がいない環境で、
絵を描き続けることに成功してきたんだよね。
あー、なるほど。
だからさ、そういった上手い下手で見られるから、展示出すの怖いみたいな、あれが一切なかったの。
視点がね。
でも今朝、そう問われたときに、そういう意図ちょっと読み取れなかったけど、ちゃんと。
そういった他者からの目線を気にして、
何だろう、育まれたものじゃないから、俺が俺がって言えるんだなって思った。
確かに、今朝も昨日もそういうことは何回か言ってくれてて、私はそういう美術大学とか出ているわけじゃないし、
何か、何て言うんですか、そういう技法とか、美術評価みたいな話ではなくて、
そういうの出てないけど、真摯に向き合った作品たちなんです、みたいな紹介を個人的にもしてたし、
トークショーでもなんかしてくれてたような気がしてて、それはでもそういうことが出来きったから言えてるっていうことなんやね、それは。
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うん。
確かにな。
私も今描くことに関しては、そういう気持ちなのかもしれない、それは。
他人がどうこうとかマジで、ちょっと一旦置いてるって感じ。
まずは自分みたいな気持ちなのかな。
というか、自分、そんな偉そうなこと言われへんけど、まだまだ掘りがいがあるって感じ、自分は。
もっと掘らなきゃ、みたいな気持ちが強いかな。
命削ってる感じはまだない、だからそういう意味では。
もっと命削りたい、なんかどっかに、心のどっかにある感じがする。
じゃあ最後に、まとまりない放送には多分なってると思うんですけど、
けいちゃんの方から何かリスナーさんにメッセージであったり、
ページのことは最後にまた僕の方から紹介させていただくので、何かメッセージとかあればお願いします。
はい、モンさんのラジオのファンの方々、お邪魔いたしました。
なんじゃそれ。
本当にこういう会話しかしてないんですけど、2人でいるときは。
それが心地いいし、そういう対話をすればするほど、より深くつながれるなとも思うし、
だから私にとってモンさんは本当に、親愛なるってよく使うんだけど、
親愛なるモンさんへとかよく使うんだけど、
リスペクトもあり、モンさんの愛情深さに甘えてるところもあり、
ときにモンさんが私に対して、いやほんまにリスペクトやでって言ってくれるときもあるし、
言い方あってるかわかんない、関西弁。
急な関西弁。
エセ関西弁すいません。
いいよ、いいよ。
これもね、今日お客さんが言ってた言葉なんだけど、
人っていう字をかける人だなって思ったって言ってたの、その人は。
支え合える人。
あー、うんうんうん。
人というところにとどまらないと思うけど、モンさんと私の存在は。
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そうだねって思ったの、っていう言葉をかける人だなって思ってる、モンさんに対して。
ありがとうございます。
モンさんへのメッセージになっちゃいましたね、すいません。
全然、まあいいや、それでいいよ、俺が気持ちいいから。
全然、リスナーへの言葉じゃないですけど。
いや、でも、なんとなくですけど、僕らの話は、ちょっと僕の話は置いていったとしても、
多分ね、ごめんね、けいちゃん、この表現が正しいかわからないけど、
けいちゃんの独特な考えって、多分一般的じゃないと思うんだよね。
私たちって、もちろんサラリーマンやってたりとか、ネイルやってる時は普通に働いてる人たちです。
そことは違う、自分たちが本当にやりたいこととか、やるべきことというか、自分たちの道みたいなことを結構考えていてて、
考えてることを今日けいちゃんが結構シェアしてくれてると思うんですね。
そんな中、けいちゃんの作品を是非見てほしいなと思うので、
最後に繰り返しにはなるんですけど、けいちゃんの個展について紹介させていただいて終わろうと思います。
杉本けいさんの個展は、個展名、傘ですね。
7月19日から8月4日、昨日からスタートしております。
10時から17時入場無料で、チャトラコーヒー沼津駅から徒歩3分に至ります。
そちらのコーヒー店の2階にあるチャトラプレイスにて公開しております。
入場無料でいつでも来れるので、気軽に来てもらえると嬉しいなと思っております。
けいちゃん今日はわざわざこんな時間にまで付き合ってくれてありがとうございました。
こちらこそありがとうございます。
では今日はこの辺で、また明日。ありがとうございました。
ありがとうございました。