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2025-10-29 14:54

#13 雑草という草が無いように【名もなき家事との闘い】

🎙️内容
デイリートークテーマ
『名もなき家事との闘い』

雑草という草がないように、雑用という仕事もなければ、名前のない家事もない?名もなき家事に名をつけよう!!
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サマリー

エピソードでは、名もなき家事の重要性と、それらを正しく認識することのリスクについて考察されています。雑草に名前がないように、雑用も見過ごされやすいことが指摘され、それぞれの仕事に対して適切な認識を持つことが改善の第一歩であると語られています。名もなき家事や雑用を自覚し、それに名前をつけることで心の整理や精神的な安定を得るプロセスについても述べられています。瞑想と同様に、自分のやるべきことに意識を向ける重要性が強調されています。

名もなき家事の重要性
どうも、しぶちょーです。
ものづくりの視点は、産業機関の現役エンジニアである私、しぶちょーが、
ものづくりに関するトピックを、独自の視点で解説する番組です。
急に寒くなってきたよね。今日もね、めちゃくちゃ寒いなぁと思いながら、さっき外出てたんだけど、
あの、なんでこういう話をするかというとですね、もうちょっと肌越えになっております。
両肌がね、完全に詰まっておりまして、この急激な温度変化に全然耐えてなくて、
あの、普通に体調崩しましたという話ですね。
なのでちょっと今日ね、あの、滑舌が悪くて、お聞き苦しい点があるかもしれないんですけど、ご了承ください。
ということで、今日もやっていきましょう。
今日は、ボイシーのデイリートークテーマに沿った回です。
あー、もう全然、ちょっと待って、全然こう、ファッて、もう肌がね、通らないね。
デイリートークテーマに沿った回です。今日のテーマはこちら。
【名もなき家事との闘い】
見落としがちな家事を減らす工夫。家族を巻き込むための声かけ術。
家事の負担を減らす便利グッズなどを語ってください。というテーマです。
世の中にはいろいろな仕事があります。大きい仕事だけじゃなくて、小さい小さい仕事が積み重なって、結果的に大きい仕事になったりもしますよね。
そういう見えないけど積み重なっている家事を、名もなき家事なんて言ったりするみたいなんですけども、
名前がないということは、これね、非常に危険なんですよ。
今日は、ものづくりの視点で、この名前がないということの危険について語りたいと思います。それでは早速行きましょう。
あなたは雑草という草はないという言葉を知っていますか。
これは植物学者の牧野富太郎氏の言葉と言われているんですけど、牧野氏がインタビューの中で
雑草という草はない。どんな草になってちゃんと名前がついているという発言したことで広まったらしいです。
この言葉は、雑草という名称で一区区にされている植物も、一つ一つよく見てみれば固有の名前を持って存在意義があるんだよと、
そういう考え方を示したもので、植物学者としての牧野氏の植物へのリスペクトとか、
そういう多様性への敬意を表した、そういう言葉なんですね。この言葉を引用する形で使われている言葉が、
雑草という草がないように雑用という仕事もない、という言い回しですね。
一度は耳にしたことがあると思います。この言葉の出典をたどると、これはどうやら渡辺和子さんという方の言葉のようです。
修道院で働く彼女がお皿を並べる単純作業をしていた時、その作業を知的な仕事のない、少ない仕事だなぁと、
つまらないなぁと捉えていて、まあつまらそうにね、そういうお皿を並べる仕事をしていたらしいです。
その時に先輩シスターからですね、時間の使い方は命の使い方、用を雑にした時に雑用が生まれると、こういう教えを受けたようです。
それ以降、このように雑用という仕事はない、用を雑にした時に雑用が生まれるという言葉を伝えるようになったようです。
この言葉には先ほどの雑草の話と同じように、単純な仕事、雑に扱われがちな仕事であっても、それを雑用という形で一括りにせず、
一つ一つの仕事の意味をちゃんと考えて、心を込めて向き合う、これが大事だよというメッセージが込められているんですね。
今日言いたいのはここです。ここがポイント。名もなき家事という言い方、これを果たして捉え方として本当に適切なんでしょうかと。
これ言ってしまえば、雑草とか雑用と同じ括りの捉え方よね。名もなき家事、その仕事を完全に作業として見てしまっていて、
他の家事との繋がりも丁寧に捉えられていないと、ざっくり全部まとめちゃってる。大げさかもしれないんですけど、名前が付けられないっていうことは、
仕事と雑用の認識
そういうことなんですよ。正しく認識できていないということです。重要だと認識できていないか、その仕事そのもの、その仕事の存在そのものの輪郭を捉えられていないということなんです。
本当にあるかどうかも見えてないってことね。どれだけあるかもわからないけど、なんかざっくりと名もなき家事あるなっていうふうに捉えてませんかと。
仕事はやっぱり名前を与えてあげなければ処理できないと、タスクに消化させることができないんですね。
だから名もなき家事っていう視点を持っているということ自体が結構ね、危険なことだと思うんですよ。
別に今日私はですね、家事を厚く語りたいわけではなくて、結局これって仕事でも同じなんですよ。
なんか忙しいな。なんかやることいっぱいある気がする。仕事がうまく回っていかないみたいな。一生懸命やってるけど全然なんかうまく進んでいかないなって思う時、
そういう目の前の仕事で手一杯の状態の時って、だいたい自分がやらなければならないタスクって整理できてないんですよね。
名前がつけれずに、漠然と放置してしまっている仕事がいっぱいあると、いわば雑用がたくさんあるというふうに認識している状態です。
そういう状態に、一つ一つで名前をつけて仕事にタスク化してやって、成仏させていく。
名前をつけると、タスク化していくんですよね。成仏していく。
そういうイメージで、一個一個の仕事に名前をつける必要があるんですよね。こうやって仕事って進んでいくんですよ。
でもこのやり方って結構危険は潜んでいます。
というのは、名前をつけれない仕事って永遠に成仏させることができないんですよね。
逆に名前がつきやすい、表現しやすい仕事から優先的に処理されていくっていうのが実は無意識的に行われていると。
これ製造業の現場を見れば、火を見るより明らかなんですよ。
仕事として分かりやすいもの。例えば、製造業の現場で言ったら加工時間の短縮とか、組み立て時間の短縮、コストダウンとか。
こういうもう定量的にバシッと分かりやすくて表現できて測りやすい。こういうものはやっぱりすぐに課題として表出しされるし、対策であったりとか、目標にされたりするんですね。
一方で表現しづらいもの。名前がつけづらいもの。例えば工程間の繋ぎの微妙な部分であったりとか、ちょっとした作業者の待ち時間とか停止時間。
あとは作業者の負担。体に大きい負担がかかるわけではないんだけど、なんとなくこの作業を微妙にやりづらいよね、みたいなものを蓄積。
そういう問題の部分って、仕事としてなかなか表現しづらい。名前がつけづらいんで、優先度がタスクとして下がっていくんですよね。
それどころか、言語化してあげない限り、それが問題として認識されることすらほぼないと。
これ名もなき家事とか、名もなき仕事の状態だと一生改善されないんですね。なんかこう流れていってしまうと。
名前はないけど、やらなきゃいけないことあるよね、みたいな感じで、ふわっとこなされて、だけどそこが実はボトルネックだったりもすると。
でもそれに気づかずに、名前もなく処理されていくという状態が割とあるんですよ。
これ本当に製造業の現場でよくよく起こることです。分かりやすい指標で、ずっと改善するんだけど、
組み立て時間をとにかく退職するんだとか、この限界を下げるんだみたいなことをずっとやっていくんだけど、
明らかにそこはずっとやってるから良くなっていくんだけど、全然生産効率全体が上がっていかないんですね。
本当のボトルネックは組み立ても加工でもなくて、その工程の間の繋がりとか、部品の待ち時間であるとか、
そういうものだったりするんですけど、そこを問題として捉える言葉がないから、永遠に課題として上がってこないみたいなことがよくあるんですよ。
今はかなり極端な例で例えましたよ。実際、この工場の中でね、作業間の繋ぎの部分とかって重要視されてますから、そこが無視されることはないんだけど、
もっと細かい部分とか、やりづらさとか、ちょっとした手間の多さみたいなもの、そういう言語化しにくい問題って、
たくさん世の中にあるわけですよ。 だからね、仕事でやっぱ大事なのは、仕事に名前をつけてあげることだとね、私は思います。
名前をつけることの意義
というか、もうこう、名前をつける必要のある仕事に気がつけるかどうかという視点だよね。
あ、ここにこういう仕事がある。これはこう名付けようみたいな感じで、ちゃんとそれに気づいて名前をつけれるかという視点が結構重要なんじゃないかなぁと思ってるんですよ。
だからね、雑草という草はない理論で、全ての仕事にちゃんと名前をつけてみるっていうのが一つ、やった方がいい対策かなと思いますね。
これ家事も一緒ですね。もう名もなき家事って言わずに、その名もなき家事を分解して、これはこういう作業、これはこういう仕事、これはこういう家事っていう、ちゃんと言語化してあげるっていうのが、
まずその名もなき家事に対する、まあ一番こう、最初にやった方がいい対策かなと思いますね。
で、必ずこう、名もなき家事とか名もなき仕事を見ていく上で、名前がつかない理由があるはずなんですよ。
それは、今まで名前を気づいてなかったのか、名前をつけようとしても、どう表現していいかわからないとか。
その、表現していいかわからない理由っていうのは、他の仕事の中に包括されてたりとか、繋がりがあったりとかね、あとは別にそれやらなくていいことだったよ、とかそういうことがあるかもしれません。
だからこう、仕事に名前をつけて認識していくというプロセスの中で、仕事自体が処理できるってこともあるわけですね。これ非常に大事です。その全体感を捉える上で。
実はこれね、すごく抽象化していくとね、この作業を抽象化していくと、これ瞑想と一緒なんですよ。
急に話ぶっ飛ぶ感じがするんだけど、私結構瞑想好きで、よく瞑想をするんですけどね。瞑想やればわかる。これ一緒なんですね。
瞑想で処理するのは何かと言ったら雑念なのね。これをまた雑ってついてるんですけど、同じ理論で言うと雑念という念はないんだろうね。
一つ一つ見ていくとちゃんと理由がある念の塊なんですよ。ちょっとなんかスピリチュアルだけどね、念って言うと。
とにかく雑念って一つに括っているんだけど、一個一個自分の中で抱えている思いみたいなものがあるんです。
瞑想って、こうじっと座って呼吸を意識しながら何も考えないようにするんだけど、無心でね、こう無心を保とう保とうって脳を動かさないように無心でいようってするんだけど、
それは邪魔するように頭の奥の方から雑念っていうのがね、上がってくるんですよ。で、瞑想の過程ってさ、その上がってきた雑念一つ一つを見て認識していくっていう作業なんですね。
ああこういうこれ今不安だなと思ってるな自分とか、まあ一旦これ置いとこうみたいな。ああこれそういえばやってなかったな。
まあいいやこれ一旦置いとこうみたいなのをずっと繰り返していくとやっとこう無心になれるみたいな。
まあそれにすごく時間がかかるんですけど、なんかこう瞑想のプロセスってそういう感じなんですよね。
で、これを繰り返していくとこう心が整うみたいなことなんですけど、これってもうあくまでもそこでその問題を解決するわけじゃなくてそのまま放置する。
あくまでも自覚するだけなんですよ。これが瞑想のプロセスなんですね。
まあちょっとねあのビパッサナー瞑想とかサマタ瞑想とかその瞑想の流派っていろいろあるから、細かい話は置いておくんですけど、ざっくりとそんな感じです。
名もなき家事へのアプローチ
それをやった結果、いろいろと精神が安定したりとか自分をコントロールしたり、あとメタ認知できるようになったりするわけですね。
まあこういう瞑想のプロセスとさっき言ったこの名もなき舵とか雑用の話って、まあほぼほぼにやはりイコールかなと思います。
結局名もなき舵とか雑用って自分が思ってるものっていうのは、やっぱ名前が与えられてないから自分の意識の外側にある仕事なんですよね。
それを放置しておくとこうどんどんこう、ああなんかやらなきゃいけないこといっぱいあったなっていう、なんかいっぱいあったなっていうふうに自分のエネルギーが奪われていくみたいな。
理由がないままこう疲れていく感じがしますよね。
タスクとか家事を見える化するという行為そのものが単に効率化じゃなくて、もう自分の心を軽くする、そういう意識化の大事なプロセスなんですよ。
これ瞑想と一緒です全く。だから自分がやっていることに名前をつけると、これが大事です。自分がやろうとしていることに名前をつけてあげると。
そうやってこれは自分が名前をつけて、こういう仕事をして自分がやっているっていうふうに自覚する。これが大事だと思います。
さっきは大事大事言ってますけど、この瞬間にやっぱねやらされ感というか無力感がスッと薄まるんですね。ちょっと精神的な話ですけど。
仕事でも家事でも名をつけるっていう行為は、ある種自分の人生の主導権をそこに取り戻すみたいな行為だと思います。
何か散然とある名もなき家事に追われるみたいなことじゃなくて、もう能動的にそれを処理に行くみたいなね。
あくまでも俺が選んでお前をやってるんだぜっていう、この人生のハンドルみたいなものを握る行為。これがやっぱねその名もなき家事とか雑用に名前をつけるっていうことだと思うんですよ。
だからもう仕事を買い慣らしましょう。雑用雑務、名もなき家事。こういう言葉を聞いた時は、まずお前らに名前をつけてやるぜという意識から始めると私はいいんじゃないかなと思ってます。
具体的な行動の前にね、その作業の前にまず名前をつけるということから始めましょう。なぜなら雑草という草はないからです。
というわけで今回はここまでとさせていただきます。私は技術ブログ、渋町技術研究所を運営してますのでそちらの方も是非チェックしてください。
Xの毎日ものづくりに関する投稿をしておりますのでよろしくお願いします。
ポッドキャストものづくりのラジオの方も毎週土曜日週一で配信中です。
ポッドキャスト落ち着きAIラジオ毎週火曜日金曜日週二で配信中です。こちらも是非聞いてください。
というわけで今回はここまで以上渋町でした。
ではでは
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