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おはようございます、ももです。このチャンネルでは、インド派だった私が未経験からリアルな営業を27年間続けてきたヒントをお伝えしています。
今日は、ある経営者さんのストーリーを、長くなるので2回に分けて前半だけお話ししたいと思います。
経営者の趣向を知りたい方は、ぜひ最後までお聞きください。
はい、今日ご紹介するのは、世界的な電子部品メーカーを1台で築き上げた村田明さんです。
村田さんは、自分が使っていたセラミックスを不思議な石ころと呼んで、そこに可能性を見出しました。
病弱な少年時代を乗り越えながら、お父様から受けた教えをずっと胸に持ち続けて、独自の製品にこだわった方です。
19歳の時、村田さんは、家業の陶器の仕事を手伝いながら、もっと手を広げて拡大しようとお父様に提案します。
ところが、お父様はこれに激しく反対します。
注文を多く取ろうとすれば、同業者の得意先へ行くことになる。
同業者より安くしないと注文はもらえない。
それでは同業者も困るし、自分のところも儲からない。
そんなことはやるべきではない。
堅実で周りとの関係を大事にするお父様は、人の得意先を取りに行くようなやり方を良しとしなかったんですね。
それを聞いた村田さんは、それなら同業者のやっていないものを作ろうと方向性を切り替えます。
ここから、後の会社の経営理念にもつながる独自の製品の供給という考え方が形になってきました。
村田さんは、特殊な用業製品、釜っていう字ですね、用業製品の本を読み込んで、科学用の陶磁器に目をつけます。
京都大学の研究室を訪ねて、実験で使うルツボを支えるための耐熱性の部品を考案しました。
この独自の工夫で、実用新案特許も取得して、大手企業との取引も始まっていきます。
その後、お父様が亡くなられて、当時、20歳の村田さんが13歳の妹さんと、9歳と8歳の弟さん、3人の兄弟を抱えながら家族を支えていくことになります。
この時、支えになったのは、お父様が残してくれた信用でした。
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支払期日を守ること、約束を必ず果たすこと、戦時中という厳しい状況の中でも、その信用があったからこそ、大きな仕事を任せてもらえたそうです。
やがて、同業者と競合しない独自製品という教えを思い出しながら、自分の会社を作る決断をしていきます。
染物工場の空き家を借りて、畳の上に裁縫机を並べただけの工場からのスタート。
太平洋戦争の末期、明かりを落とした状態で、数名の仲間と、手作業での製品作りが始まったそうです。
これが村田製作所さんの始まりでした。
というわけで、今日は村田製作所創業者、村田明さんのストーリーの前半をお話ししました。
次回は、ここから今の私たちの働き方や、私のお家営業代行レッスンに通じる2つのポイントをお話ししたいと思います。
次回もお楽しみに。
あなたの商品がお客様に感謝されますように。
MOMOでした。