1. 毎日お祝いしよう!声日記stand.fm
  2. #017 しょーまさんと雑談する..
2022-01-31 27:39

#017 しょーまさんと雑談するとこうなります。Part2

Mo
Mo
Host
目指すのは愛なんじゃないか?/ 複雑系システムを解明する一大プロジェクトに想いを馳せるしょーまさん/ #シュウ放 アウトプットって?/ 途中で配信すると決めてます笑/ 愛を語ってる人たちの例/ 生物学者福岡伸一×教育ジャーナリストおおたとしまさ
1、必要なことは「大人になる過程で忘れてしまった、子ども時代の感覚を思い出す」
キーワードは「ピュシス」と「ロゴス」
https://dot.asahi.com/dot/2021102600033.html 

2、あなたは素晴らしい『親ガチャ』を引いている
https://dot.asahi.com/dot/2021102600036.html

社会学者宮台真司
日本人が幸せを感じづらい原因は「家族」と「自尊心の低さ」でも、、、
https://newspicks.com/movie-series/11?movieId=1753

みんなの才能研究所 #018,019- (無償の)愛
1番自分を大切にしてくれる人を大切にしてる?

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00:01
おはようございます、Moです。 こんにちは、こんばんは。
みなさんお元気ですか? 私おかげさまで元気です。いつもありがとうございます。
今日ですね、今2月1日。いつもあんまり日付を言わないんですが
日本ではね、あんまりお祝いとかしない、旧正月、ルナーニューイヤー。 今、鶏聞こえました?
なんか朝から鶏が鳴いてるんですよね。 うちの敷地内の、近藤の敷地内に何羽がいて。
まあ今年は虎年なということで、虎がいろいろなところに飾られてますけど、 今日はそのチャイニーズニューイヤーの1日目です。
で、あとは明日もお休みで。 学校もお休みっていう感じになってます。
たまにはちょっと、
今日がいつかわかるのを入れてもいいかなと思って入れてます。 えっと、今日はまたしょうまさんと雑談をしたののパート2、これから入れたいと思います。
あとお断り部分も、今日これ初めて聞いてくださっている方は、 お断り部分は概要欄、この前の概要欄に載っけてますので、もしよかったら見てください。
じゃあどうぞ。
はい、こちら聞いていただく方へお断り、概要欄にも書いてありますが、 お互いにですね、絶対にジャッジすることはないと知っていて話しています。
それこそが心理的安全性が高い状態です。 そういった信頼があります。
だから、お互いが言ったことに対して思いついたことを相当勝手に話すので、 あれと思うでしょう。
自由さが大事です。 会話はこれで成り立っているのかどうか。
結構私、僕、ジャッジメントしちゃうなって方にはお勧めできません。 むかつく気持ちも出たりとかしてしまうかもしれません。
仏というか、心に働きかけないといけないことだから、 だから皆さん、いっぱい勉強されている方が使い始めた言葉が、
愛って言葉なんだよなぁと思い、 最近、もうね、ああこの方いい方言ってらっしゃるなぁって思って、
めちゃくちゃ難しいことをああだこーだ言うんだけど、 結局それって愛じゃないかみたいな。
抽象化するとそうなってくるんですよ。 最終的な、一番人間の最小単位は愛だと。
そこに従うような生き方をすればみんな大丈夫、 みたいな言い方をされています。
03:04
今の考え方の根本にはそれがあります。
その言葉は聞いたことが、今まで私が聞いた中では、 それで説明をしてたのを聞いたことがあまりないかもな。
集団の中の根本的なところには、それがあると思いますね。 集団は直感的にそういうのにかなり気づかれる人で、
そこの今の話にしても、自己組織化の話にしても、 道のりで話してた時のしゅうさんが、アウトプットが先っていう話が初めて出た時に、
すごい衝撃を受けたんですけど、そこの話で結果そういう風な考え方、 自己適応型複雑系システムみたいなことのイメージをしゅうさんもその時点で持たれてたんですよね。
言語化自身は、そこまでその時点でできておられなかったですけど、
多くはその話を聞いてそのイメージが湧いて、 そのイメージが湧いた状態でその単語を聞いたんで、
これは多分あの時のこのことだと思って調べたら、やっぱりそういう意味合いのもので。
何系のところの専門用語なんだろう?心理学とかなのかな?
心理学とかで言うよりも、数学とか、物理学とか、あんまり学問的に、なんて言ったらいいのかわからないですけど、モデル化なので。
どっちかと言ったら、工学、制御工学とか、数学とかの方が割り返し近いと思うんですけど、
結局人間に適応してくるってなったら、感情とか知性とかそういうとこが混ざってくるんで、
農科学、心理学とかも本当にいろんなものが関連するのかなと思ってて、
先ほどおっしゃってたように人間に適応するってなったら、知性が高いし、知能が高いし、
僕らは感情があって、そこがかなり複雑性を増してると思うので、ポイントとして。
そこら辺が影響して、かなり複雑な複雑系システムがこのようでできてて、
逆に言ったら、複雑系システムをある程度モデル化をもうちょっと深めていったら、
今後どうしないといけないかっていう問題解決だったり、予測だったりとかができるんじゃなかろうかなっていうのは思ってて、
これはもうそもそもねぼすけさんがやりたいことだなっていうふうに思いますね。
え?なにそれ?なんでねぼすけさんなの?
ねぼすけさんの話を聞いてて、あ、ねぼすけさんのやりたいことはこういうことなんだなって僕が受け取ってる話としては、
06:02
多分自己適応型複雑系システム的な形で、感情のパラメーターとか、
脳科学だとか心理学だとかそういったところの中身と、あと歴史的な背景、だからそういうのは歴史的な背景とかも全部かかってくるじゃないですか。
心理的なところ。そういったところを総合して、この人間世界、人間の振る舞いっていうのがシステム的に表現できないだろうか、
そういうのを表現したいな、みたいなふうにねぼすけさんはおそらく考えてるというふうに理解してるんですね。
そうなんだー。
私すごい自分は感情的な人間だとすごく思っていて、共感力っていうか、感じるわけじゃないけど理解する、その理解しようとする能力。
相手の人とか他の人とかそのものとかに、その理解しようとする能力というのは、自分でもこういう歳になったからあると思っていて、
だからなるべくもっとその世界を広げようと思って、今、視点がやっぱり偏っちゃいけないなと思って、文化人類学とかを勉強したりとかして、
いろんな視点を学んで、いろんな人の感情とかも理解しようとかっていうことをしたいっていうのが、私のモチベーションであったりするんだけど、毎日のね。
で、感情がないないないないとか言ってる人、何も感じないとか言ってる人ほどね、私ね、ないはずないんだよなーって思ってるんだよね。
ないって言う人ほどですね。
本当にね、聞きたいんだけど、そういう人にはね。でもね、そこがね難しいんだけど、そういう人ほどね、いろいろ私みたいにこうやって突っ込んでいく人のこと嫌いだったりするのよ。
なぜかというと、掘れば掘るほど辛いことも出てきたわけよ、そこで。
だから嫌がられるってのが分かるのね。そういう話はちょっと思ってるのも感じるから、あんまりそこはね、あんまり私みたいには突っ込まれたくないんだなとか、
あとはすごい、私とか僕って人と距離を組んだよねとか初めから言われたりとかするからね、そういう感情がないとか言ってる人。
そこでそういうこと言わない。
あなたには本当にないんですか?そうじゃなくて、本当はあるけど隠したい何かがあるに違いないとしか思えなくてね、私はね。
だからそのねぼすけさんがやっている人間の振る舞いをシステム的に表現するとか、
09:04
本当にやってもらいたい。絶対ぜひやると思う。
いや面白い面白い。話聞いてて、ぼすけさんと最初話した時にそんな類いなことを言ってて、僕はちょっとどこまでちゃんと受け取れてるか分からないんですけど、
そういうふうなことを考えてるんだろうなって思ってて、僕もどっちかと言ったらそういうのが興味あるんですよ。
僕もそういうのを作りたいって思う方なので、だからすごい楽しみにしてますね。
なんかさ、感情があるとさ、これも資本主義に戻っちゃうんだけど、育てられ方が感情を出したりしないで、
冷静に何事も解決していった方が合理的で問題解決にはとっても役立つみたいな、そういうふうに育てられてるような気がしてるんだよね。
感情的である人が偉いなんて誰も言わないからね。
それもそういう社会を人が動くことで、人が規定制してますもんね。
感情がないっていうふうに言えるってことは、感情みたいなのを知ってるってことだから、論理破綻してますよね。
感情が何かっていうのを分かってるわけだから、感情がないはずないし、
そもそもそういうのを口に声に出して言うってことは、冗談か、冗談じゃなくて本当に言いたいんで。
ももさんおっしゃるように、よりそこに普通の人よりこだわってる。
本当に感情がない人がいるんであれば、自分に感情がないみたいなことは言わないし、感情ないから。
そうだよね。
この前読んだ感情の方に、自分は希望なんて持たないだったかな。
希望なんて持たないっていう人ほど、
こだわってる。
こだわってるとか、そんなんだったかな。ちょっと文脈がしっかり出てこないですけど。
あえて言葉にするってことは、それにやっぱりこだわってる証拠だったりもするからですね。
どうしてその人たちの感情がない?
どこか感情を出した時に悪い過去があったりとかしたのかなと想像したわけなのよ、私は。
やっぱり感情を出した時に悪い過去があったりとかしたのかなって思う。
どこか感情を出した時に悪い過去があったりとかしたのかなって想像したわけなのよ、私は。
やっぱりみんなこうありたいみたいな自分像があるじゃないですか、少なからず。
12:08
その中に感情のファクターも多分入ってて、
感情を素直に出すことは大人げないとか、
いろんな情報が飛び交ってますから、本とかでも子育てで起こるべきじゃないとか、
そういったところで形成されているものに対して、
自分の目指しているところとギャップがあるふうに思われたくないというところで、
そういう反応が出たりとかっていうのがあるのかなと思うんですけど、
何かしら出力というか感情をあらわにしたことで、
ネガティブなフィードバックがあったがゆえに、
そういう閉じこもっちゃったりあると思うんですよね。
多分普通に出して、特にそれにネガティブなフィードバックがなければ、
多分そうはならないでしょうし。
だから、いろんな人が感情をフラットにただ受け止めるみたいなのが、
難しい世界になってるなとは思うんですけどね。
本当だよね。それはでも実は私はいろんな国を知ってるわけではないけど、
日本人の歴史的な忍耐とか、
それって儒教とかしなければいけないとか。
儒教どうなんですかね。僕あんまり詳しくないですけど。
私もちょっとそれを前読んだときに儒教的なこととか。
美徳みたいなのがですね、我慢とか、
美徳とする何かしらのよりどころに影響を受けてますよね。
それがあるから、感情的にカーッて怒ったりする人ってやっぱりそんなにいないじゃない。
だけどそれを抑えているために、
いろんなところで逆にストレスを感じてしまったりとか、
怒るのはいけないことだというふうに思っちゃってるからね。
でもさ、怒りっていうのは、さっきそういえば私怒ってたけど、
でもそれがもう理不尽な怒りだったらやっぱり、
自分の中で勝手な思いでただのわがままで怒ってるんだなとか、
私の居所が悪かったから人にこうやって言ってたなとかってあると思うんだけど、
怒りっていうのはさっきも言ったように、間違ったことをしてる人が目の前にいるときに、
怒っていいじゃんって思うんだよね。
でもそれをどこにぶつかるかっていうか、
どうやって自分の中で処理していくかっていうのがそれぞれの人の仕方だけど、
15:03
そこで怒っている自分を責めたりするんだよね、日本人にとって。
自分は怒ってしまっているみたいな。
だからそういうのとかも、その辺ちゃんと自分の中に出てくる感情を認めてあげないと、
必ず理由があると思うし、その感情とかって。
松本さんが教えてくれたように、この自己組織化とか全体論としては、
自分の中でも自然に戻っていけば、自分が気持ちよくなるようにしか生きていかないはずなんだよね。
シュウさんの表現を借りるなら、
そこが自分の中からだけ情報を周りから入れ、アウトプットが先っていう表現ですね。
自分的的なところからとはちょっと乖離して、
もうちょっと本質的なところからいくと、周りの影響を受けない。
さっき言ったように、環境から影響を少なからず受けているので、
全く受けていないかといったらそうじゃないんですけど、
アウトプットが先っていうのは、意味合いとしてシュウさんが言いたいのは、
外界、いろんな環境、社会とかいろんな環境から影響を受けた状態で何かしら出すんじゃなくて、
自分の内発的なものを先に出せば間違わないでしょっていうところがあるんですよね。
これが難しいよね。
それが難しくて、そこを深もって、
多分OSにみんなエラーが起きてて、そこの純粋に自分が楽しい、楽みたいなところで、
動物レベルって言ってもただ生きていくだけっていうわけじゃなくて、
人間が人間らしく生きれる最小限の必要事量OSというか、
これだけでいいよねっていうOSを持てば多分生きやすいんですけど、
今の社会の中で、そこの社会に適応するようにこのOSを組み替えていってるので、それぞれが。
そこで変に感情を表に出せないとかっていう話になってるんでしょうし、
そこのOSをアップデートをしていって、
一番人間が人間らしく生きるために純粋に必要な分のOSっていうのに向かってるのがSHUさんですよね。
おーすごいね。これやっぱり反省しよう。
ちゃんと解析するために。
SHUさんがどうしてそういうことをしてるのか、分かりたい人が多すぎるから、今。
これはもうあくまで僕が受け取ってる範疇で僕が考えた内容なので、
18:02
SHUさんのとも完全に一致するとは思わないんですけど。
それでいいのよ。この前みんなで話したじゃない。
SHUちゃんがこうしてもらいたいことっていうか多分分かってきたんだけど、
みんなが自分の一番生きやすいOSを持てばいいってことなのよ。
それをきっかけがもうすでにSHUちゃんがアウトフットしてくれたおかげで、
私たちが考え始めてるっていうことは、もうなんか私たちのOSがだんだん書き換えられていっているという状態だと思っていて、
実はね、SHUちゃんが今やってることが全ていいのか悪いのかよく分からないんだけど、
SHUちゃんの将来のためにそれでいいのかなとか心配はあるけど、
でも、いろんな疑問の始めのもとってね、
なんで私は朝起きた時にいつも機嫌がいいんだろうっていうことからなのよ。
いろんな心配とかもあるんだけど、
最近の一番の疑問は、誰も何も私に働きたけてるのか分からないのに、
ほんと小さい時から朝起きると大体機嫌よく起きてるんだのよ。
私の努力ではないのよ。
で、私はそれが自然な状態だったんだけど、
やっぱりいろんな生きていく中でそうじゃない人にも会ってくるし、
なんでそんなにみんな不機嫌なんだろうみたいな、
それが不機嫌な人を見ると私心配になったってね。
で、どうしてかなーっていって、
それでいろんな心配がいろいろいろいろ心配が起こった時に、
私もそのOSがおかしくなった時がやっぱりあって、
ぐちゃぐちゃになって、
で、やっぱりそれを書き換えて自然に戻っている状態みたいなんだよね。
自分だけ的には一番いきやすいOSに戻っているんだけど、
ぐちゃぐちゃになった時はあるわけね、環境のおかげでね。
いろんな環境が繰り返したおかげで。
だからそのさ、自然な状態でいれば、
みんな機嫌よくなるんじゃないかなって思っちゃってるのよね、私は。
私なんだけど、何にも憂鬱でも何でもないお家だったけど、
なんか本当に私が生まれてきてよかったって言われてたし、
なんかもう割にはチヤホヤじゃないけど、
なんかもうあんまりプレッシャーもかけられずにあらこだきやがれてたから、
朝パッと起きて困ることとかなかったのよね、一応。
頭もおかしいのかもしれないけど何も考えてなくて。
みんなそうなんじゃないかと思ってるのよ、実は。
自然にしてれば。
なんか敵みたいなものがいなければ。
守られた環境であれば。
21:03
その辺がやっぱり、子供の頃とかで純粋にそういう風にいて、
環境をですね、そういう風に何も心配がないっていう、
心理的な安全性が保たれる絶対的な承認状態みたいなのが、
そこが承認欲求っていう言葉が取りただされてるみたいに、
大人になってくると今の社会でそこが満たされずにっていう、
多分負の連鎖が起きてるんですよね。
だからそこはやっぱり子供が育つ環境で、
どうしても周り、特に両親とかからの影響を受けやすいからですね。
そこがやっぱり代々受け継がれてしまいがち。
だからそこをOSをかけ替えることができれば、
子供たちに多分それを伝えなくて、
そこで一回リセットできるでしょうし、
それか子供たちが生きていく中で自分で書き換えられるかもしれないし、
そこは本当に運というか。
でもそれって悲しいじゃない?
選んでないのに、
私の問題点は選んでないのにそうできちゃってたから、
朝とか親に怒られるぐらいだったんだから、機嫌良すぎて。
朝っ端から機嫌が良いから。
だって私に罪はないでしょ?朝っ端から機嫌が良いのは。
だけど不思議じゃない?そんなそうじゃない人もいるんだなとかって思ったら。
それで結構悩んだよね。
だって大体機嫌が良いから、
むすっとしてる人とかにも同じテンションで話しかけちゃうと嫌がられるじゃない?
高校生ぐらいの時に一番大変だったけどね。
やっぱり不機嫌な人には不機嫌っぽくしなきゃいけないのかなとか、
すごい大変だった気がする。
人生でこの辺の自分が生きる上で、
自分の大切なものを直感的に認識してて、
自分の機嫌取りが上手いというか、
そういうのが天性でできる人と、
やっぱりそうでない人もいるんかなっていう風な感じはしますけど。
でもその天性とかっていうのってさ、私のせいじゃないよね。
本当に責めるわ、自分。
どうやって説明したらいいかなと思うじゃない?
それは別に誰にも責任がある話ではないので、
だからこそ天性っていう言い方。
24:01
だからそれはうんうんだし、
逆にネガティブな言い方としては十字架でもあるのかも。
そうかそうか。
だからシューちゃんの、
例えば私本当にいろんな人がそれぞれ全員が違っていいし、
違うのが当たり前だと思ってるんだけど、
例えばシューちゃんが今すごい極端なことをしてるということで、
やっぱりみんな不安を感じるんだよね。
不安というか心配もあるし。
そうするとさ、そこでどうやってみんなが、
それぞれが理解していけばいいかなって思うのは、
やっぱりその天性かもしれないじゃない?
彼にとってはそこまでいけちゃうみたいな天性というか、
その感覚、感じること?
感じることとかの深さとか、
そういうのっていうのは天性なんじゃないかなって思ったし、
きょうまさんの言葉を借りると、
そうなんじゃないかなと思って。
それでそれぞれに天性があるわけじゃない。
だから本当にね、
それぞれの天性を理解し合えるように工夫していけばね、
いいよなって思ってるのよ。
それでやっぱりリベラルアーツの大切さというのに戻っていくわけですね。
できる限りそういういろんな社会を見ることで相対化できるから、
自分にとっての価値観が広がって、
本当に大事なものが何かっていう分析の解像度が上がっていくんで、
OS自身が洗練されやすいってことだと思うんですよね。
そう思う。
それで洗練されて、
結局最近やっぱり思うのは、
向かっていくものは愛だと。
わかりにくい人がいるから、
深沢先生の統合デザインで先生がおっしゃっていた、
美しい考え方。
いいね。美しい考え方の先には絶対愛があると。
もう分かっちゃったから。
いや。
だってみんな言ってるんだもん、こうやって。
みんな。だからヒューマン・カイトとかフォーンとかでも。
やっぱり志を持って動き始めてる方たちが先に先に言ってることは、
結局はふざけたこと言ってる人もいっぱいいるけど、
言いながらもずっと聞いてると、
結局愛で動いてるんだなって。
ここまで聞いていただいてありがとうございます。
雑談の中でちゃんと名前を出すことができなかった学者さんとか、
いろんな人が愛って語り始めたよっていう、
いろんな部分が私も覚えていられないから、
後になってちょっとリンクを下に貼ってみました。
今すぐに思い浮かぶのだけなんですけど。
あとはまだ他にもいろいろ毎日いろんな人の本とかに
27:04
触ってみたりとかきちんと読めてるわけじゃないんだけど、
本当にいろんな方が愛を持って行動するっていう感じでね、
されてるのがなんとなく感じるので、
それが伝わればいいなと思ってます。
次回は愛とか幸せってなんだろうねっていう話の残りをするので、
もしよかったら次回も聞いてください。
最後までご視聴ありがとうございます。またね!
27:39

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