00:06
はいどうもー、育謙、みやけん、NFTクリエイターのみやけんです。
いや、違う、違うだろうこれは。
あのねー、育謙って、謎の九州弁みたいにくくってますでしょ?
言わないから、鹿児島では言わないから。
これなんだろう、なんとかだけんみたいなのって、どこだ?
どこだろう、長崎?いや違うな、佐賀?
うーん、知らないっす、僕は。
っていうね、これあの昨日のキャッチフレーズの話で、力さんがコメントいただいたやつでね、これ言えってことかなーと思って言ってみました。
はい、あのー、じゃあもうこの流れで昨日のスポンサーコールでいきましょう。
昨日のスタイルコメントいただいた方々は、トマトのごとのえんさん、おののさん、そして力さん、あと北ちゃん、あと北ちゃん、あとつけちゃった。
でーす、コメントありがとうございます。
えー、そうそう、それでね、ちょっとね、コメントを読みながらね、また改めて、いやちょっと、言いたいことまた別にもあるなーと思ったので、
えー、今日はちょっとね、昨日の教育話というか、新人研修話みたいなのをちょっと喋ってみようかなと思いました。
えー、それでは、さつまなまにの耳どくラジオ、よろしくお願いします。
あのー、昨日話した話で、まあ看護師のね、プリセプタ、プリセプティ制度っていうのがあって、まあ先輩が後輩を教えるっていうね、システムがあるんですけど、
これがね、ちょっと鹿児島のね、昔のね、あのー、五重教育っていうやつに似てるなーっていうのがあって、
あのー、さつまの武士は、あのー、先輩が後輩を教えるっていうね、そういうシステムで教育がされてたのが大きいんですよ。
あのー、なんとか館とかね、なんとか学校みたいなのは、要はさつま、お金がないかったんで、反農、反、反農、反侍、なんだっけ、反農、反武士みたいな人数が多かったのでね、
だからちゃんとしたその、武士の心を教える学校っていうのがなくて、で、まあもうほぼそうやってね、地元、地域単位で、えーと、子供たち同士で教え合うっていうのが、あのー、そういう文化になってたんですよね。
03:08
五重とか言って五重教育とか言うんですけど、五っていうのは、まあ西郷とか東郷とか、あのー、なんだろう、鹿児島独自のね、この地区の呼び方で、まあ郷とか、あと宝切とかね、あと村区とかね、鹿児島独自の地方のね、なんだろう、村とかね、町、村とかこうあるじゃないですか、で、郷とかね、中で、
まあだから地域の教育方法みたいなことですよね。で、これがやっぱりいいのは、まあ、えーとね、例えば10歳の子供に15歳ぐらいが教えるとかね、なんですよ。
で、だからちょっと先輩なんですよね。ちょっと先輩としても、自分が身につけたことをちょうどね、要するにそれこそアウトプットですよ。下に教えようとするときにより新しい発見があったり、もう自分の中により取り込めるっていうね、そういう効果もありますしね。
で、それがめんめん脈々とこう上の世代というか、年齢に上がっていくにつれて繰り返していくっていうね、そんな感じになってるっていうね。で、これをね、あ、これすごいなーって言って、外国人で取り入れたのが、あの、なんだっけ、パウエル卿っていうね人がね、薩摩のその、あれを見て、これいいね、この教え方っていうんで取り入れたって、
作ったのがボーイスカウトっていうね、ものだっていう、まあまあそういうお話もあったりします。まあ看護師のプリセプター制度がそこを真似てるかどうかまだちょっとわかんないんですけどね。うん。やっぱこのアウトプットを伴う教育、そしてこの15歳といえども10歳を指導することによってその責任を、責任感が伴ってくるっていうね。
うん。そういう責任感もお互いにこう持っていく。かつこの繋がりも強くなっていくというのがありましてね。明治維新の頃は薩摩の武士が活躍して明治維新後、まあ何だろう、役職に就いた時にもどんどん事務する時期に、薩摩の地元の後輩とかもどんどん役職に就けてね。で薩長でほとんど明治政府を仕切ってたっていうそういう状態になっていくんですけれども。
うん。まあまあそういうね。でも教育方針としてはなかなかいいなっていうところもあってですね。うん。で、それとですね。あとまあこれ実際に今でも全然通じる話なんですけれども。
山本イソロクがね言っていた有名な言葉で、やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、褒めてやらねば人は動かじっていうね言葉があるんですけど。もうね、教育はね、教育というかね物を覚えさせるのはねもうこれです。これです。完全にこれです。うん。
06:22
で、昨日のコメントの中で北ちゃんがね、美容師の業界ではやっぱりこの昔ながらのやって、見て覚えろと。見て覚えろで体育会系のノリでしたっていうのがあって、まあ想像はつきますよね。やっぱね、美容師ってやっぱ僕なんかから見てもやっぱこの弟子、師匠弟子の世界だなってね。やっぱ今でもそうだなって思うんでね。
まあただそのコメントで僕も返したんですけど、体育会系のノリで、まあなんだろうな、暴力とか結構きつめのね、指導方法ってのはどうかなとは思うんですけど。
ちなみに暴力で指導するっていうのは戦後というか帝国主義になってからですからね、日本が。江戸時代の頃なんかはドイツみたいに子どもといえどもちゃんと人権とかを認めて、もうその不要意に手を挙げないっていう教育だったらしいですからね、日本は。
叩いて教えるっていうのはやっぱあの軍国化していった時にね、軍隊様式が入ってきてかららしいですね。
まあまあちょっと話取れたんですけれども、まああのこのね、でね、やって見せって聞かせてさせてみて褒めてやれば人は動かしと。
見て盗めっていうのはやって見せの部分なんですよね。
で、だから本当は見て覚え、見て盗ませるだけじゃなくて、今やったのはこうこうしてこうこういう意味があってだからこうやったんだよと。
だからこれやるときはこうやってこうやってこうやってやるんだよというのを伴ったやって見せが大事だと。
で、その上でじゃあやってみろと。で、やらせてあげて指導者としてはここ理解してないなとか、これは理解してるなっていうところを見極めつつ、必要なところをまたアドバイスしてやると。
で、さらに褒めてやれば人は動かし。やっぱりね、できたことを褒めてあげないとモチベーション上げるというのが大事。
まあね、よくね褒めて伸びるタイプと厳しくして伸びるタイプがあるって言われてますけどね。
僕はね厳しくして伸びるタイプっているのかなってはなはな疑問に思っております。
これはだから昔のね体育会系のまあ言えば軍隊主義のね厳しいやり方を弁護するための方便のような気がしてるんですよね。
09:05
厳しくした方が伸びるっていうのはね絶対に人は褒めた方が伸びると思うんですよね。山本イソロクもだから褒めてやらねば人は動かしって言ってるんで。
時には厳しくしなさいとは言ってないですよね。
やっぱこれがね全てかなと思っております。
それで昨日の話だからもう一回振り返った時に思ったのは今のそのちょっと教え方下手だなって思う一番のポイントは
あのその妻の事例もそうなんですけど意外にこの屋って店がないんですよね。
あのね僕も感じ僕もバイトをいくつかした中で新しいことを教わるところで感じたんですけどむしろですね。
見てね爪どころかですね見せてくれないんですよね。
どうですかねそういう感じることないですか。
いや一回ちょっとやってみせてほしいなって思うんだけどもほぼ言葉だけで説明されてこれはこうしてこうしてこうするんだよみたいな。
で次これはねみたいな感じでちょっと今やってみせてよって思うことめちゃくちゃ多くて僕もやっぱりやってみせが一番最初だと思ってたんでね。
ていうのはですねあのよく女性の家事家事育児家事の家事の中であの名もなき家事っていう言葉最近出てくるじゃないですか。
だからもうこれは名前がついてないんだけどもこざこざしたこれやっとかないと次へ進めないみたいな。
でどのことだって言われるとちょっと思い出せないんだけどもなんやかんやで時間がこんだけかかるんだよみたいな名もなき家事みたいなね。
だから物事をねこうこうマリアルに沿って何かするとかね作業をするにしてもですねこのこんな逆こんな同じようにですね名もなき作業っていうのがねあるんですよ。
だからねその言葉だけで教える人はね僕から言わせればねそのね名もなき細かい作業まで全部マリアル化して教えないとできないぞって思うんですよね。
で一回流れを見せてくれればイメージもつかめるしあの言葉の中では出てこなかったけどもあれってこうしてんだとかね。
右手でこれをやりながら右手でこれできるようになるとあそこで左手使うんだとかね。
そのいちいちねそれ右手ですかそれ左手ですかとか聞けないじゃないですか。
でもそういうのもこうやってると目で見てあそこで左手使えばあれできるんだとかね。
そういうのをねやっぱ無意識に学べる部分って大きくて。
でねもう一つはねやっぱ見るだけでねできる子っているんですよね。
観がいい子って。
で見てもねできない子ももちろんいるんですよ。
いやもう見てたんかさっきみたいなね。
のもいるんですけれどもこれがねやっぱテキストとか言葉だけで教えて済ましちゃうと見ればできるのにっていう子もできないんですよ結局。
12:10
見てもできない子ももちろんできないですよ。
だからそれだけでもねだいぶやっぱこうなんだろうな合理的じゃないというかね。
とりあえず見せれば見るだけでもできる人はいるんだっていうね。
だからねこのやって見せ行って聞かせてさせてみて褒めてやれば人は動かす。
これ一番理想なんですがせめて見せて。
そしたら盗める子はほんと見て盗めるからと。
もう一番ね言葉だけじゃね伝わらない。
そして昨日も言ったし言ったさらに言ったことで言うと言葉っていうのはやっぱ人によって受け取り方がもう全然違うんで。
目で見たものってのはほぼ際がなくなるんで。
やっぱこの辺がですね教育にとってねなんでできないんだろうっていう部分とこれすればできるのにっていう部分とねあるところだなと。
改めて思った次第でございます。
なのでやっぱ極意ですね。
人にものを教える極意はもうこれに尽きるなと改めて思いました。
もう一度言いましょう。
やって見せ行って聞かせてさせてみて褒めてやれば人は動かしです。
僕も常にこのステップで指導イラスト講座とか何でも。
もちろん小学校の時もそうでした。
やっておりますよと何か教える時は子供に教える時でもそうですがこの辺りを肝に銘じて心に留めてやってみてはいかがでしょうか。
というところで終わりましょう。
それではまたねバイバイ。
今日妻が休みで家にいたんでまたまたスタイフ撮れませんでした。
こんな時間になりました。
これが意外とストレスなんだなぁ。
土産を。