人生は計画通りに進まないという現実
薩摩訛りの耳毒ラジオ、miyakenneです。
人生っていうのは、なかなか思った通りにいかないなっていうものだと思うんですけど、
理想というか、計画というか、こんな風にやって、今後こういう風に人生が進んでいく予定みたいなのって、
だいたい予定通りにいかないですよね、みたいな話ですね。
で、どうですかね。私は少なくともそう思っているんですよ。
だから予定とか計画立てるんだけど、それがそれ通りにいかないということがデフォルトで、
デフォルト基本設定で、たまたま思った通りにいくこともあるかな、みたいな。
だから思ったようにいくつもりでいると、とらぬ狸の川山よって言葉もありますけどね。
思ったようにいかない時どうしようかっていうのを常に構えておくみたいなのが、
計画を立てる以上に大事なことだと思っているので、
スケジュール立てるのが苦手って話も前もしましたけども、
スケジュールをきちっと立ててそれ通りにいかせることよりも、
スケジュールはぼやっと立てて、何となく流れがこう向かったらそれに合わせてこう調整してっていうね、
そういう方がいいんだろうなと思ってますね。
車の運転と人生の共通点
車の運転もそうなんですよね。
ハンドルを握っていかせたい方向にいかそうというふうにハンドルの操作をすると、
固くなってうまくいかないっていうことを最初のところでね、
だから力を抜いてね、なんて言うんですけど、
実際、車とか、そして特にバイクなんかはそうなんですけど、
前進する力、前に行く感性力とか働けば、
車の作りね、いろいろあるわけですよ。
キャンバー描くとか、イオーイング描くとか、いわゆる足回りのセッティングっていうのが取られてて、
それって自然に直進安定性が増す。
スピードが上がれば上がるほど直進、まっすぐ進むに対して安定感が増すような、
物理的な作りにセットされているんですよね。
だからバイクなんかもまさにそうでね。
だから変に人間の力で操作をするよりも、
手放しして自然に任せてある程度スピードとか勢いをつけた方が
車、バイクは安定するっていう風に作られていたりもするんですけれども、
それも踏まえて、ハンドル力入れるなよと、
自然な動きに任せてちょっとずれたのをクイクイと修正するのがハンドル操作だよっていう風に教えたりしてまして、
よく言ってたのは、交通事故のニュースとかで、
ハンドル操作を謝りっていうニュースを見るたびに、
ハンドル操作を謝ったんじゃなくて操作しようとしたからミスったんだよみたいなね。
ことをよく半分冗談で言ったりもしてましたけどね。
何の話だっけ、話逸れたなだいぶ。
要するに運転自体もそういうものだし、
人生そのものもそういうものだと僕は感じているわけですよね。
力を抜かずに自然に進む方向に任せる。
必要な調整を加える。
調整を加えていきたい方向に向きを変えていくんだみたいなね。
地面のギャップでね、ドンと跳ねたり地面がちょっと斜めになってたりすれば、
違う方向に行こうとするわけですよ。
地面が斜めだから、いつものハンドル角度のままじゃ曲がらないな。
じゃあもうちょっと深く霧を入れるかとかね。
そういうことを運転中している。
だから人生もそういう風にしていると。
そういう感じなんですよ。
10年前の計画と現在の現実
私はね。
まあまあどうですかね。
だから思った通りに行かないものだと思うんですけど。
なんですけれども、
じゃあ自分の計画した通りに思ったような人生に進まないな、進まなかったとして、
さてそれが間違いになっていますか?っていうこともあるんですよね。
10年前に思い描いていた10年後の人生設計ってどれくらい実現してますか?みたいなね。
問いを人にする、あるいは自分にすると、やっぱり全然違うと思うんですよね。
10年前こうなるつもりだったけど、結局こうなったなっていうのはほとんどだと思うんですけど。
じゃあ10年前こうなるつもりだったんだけど、今はそうならずにこうなった。
じゃあそのこうなったが不幸ですか?失敗の道になってますか?っていうこともあるわけですよ。
予定を立てるんだけど、予定通りに行くのが必ずしも正解かどうかっていうのはこれもまたわからないんですよね。
イラスト教室の計画と現実
実際僕自身がバスの運転を調べてフリーランスでやっていくぞーって思った時の想像では、
いや違うな、イラスト教室を本格的に立ち上げてやるぞーって思った時の想像では、
今すごく需要が高まっているので、そして実際に生徒がどんどん来るから、
もう断ってる状態なんだよなーっていう身近な先輩がいてね、僕が師匠と呼んでいた人ですけども、
いいよーやったらって、鹿児島は少ないからこういうキャラクター、イラストとか教える教室がないから全部僕のところに来るから、
三宅くんが開いてくれたら分配できるし、いいよーみたいな感じで言われて、やっぱりそうですか?みたいなね。
で始めたので、当初の予定ではすぐどんどん生徒が増えてね、
単価がこれくらいだから、半年で何人、一年で何人でなれば前の給料を超えてこんな感じになるよ、みたいなのを予定してイメージして、
当時の専門学校の方は縮小して、一週間に2、3コマしかいかないみたいな状態にして、
イラスト教室の方を本格的にやり始めたんですよね。
でも3年経って結局どうだったかというと、全然増えないと。
結局再就職するっていうことになったんですよね。
路線バス運転手の仕事への嫌悪感
で、もう一つバスの運転手辞めたとか、イラスト教室始めたっていうのの、
その前の前提ではバスの運転手を一生続けるのは嫌だっていうのがあったんですよね。
それはなぜかというと、そもそも運転自体が僕は得意じゃないという自負がずっとあって、
だから一生続ける仕事じゃないっていうのをバス運転手時代にすごく感じてて、
こんな仕事は年取ったら目も見えなくなっていく、感覚も鈍くなっていく、
現にだいぶ30代の頃に比べて鈍くなってきている自分を感じると。
これは降りて、車は降りて別の仕事をしないとなと思ってたんですよね。
で、イラストのことをやり始めたりして、今結局また運転手に戻っているんですよ。
だけど、辞めたかったとき、なぜ辞めたかったかっていうのは、
やっぱり路線バスっていう形態だったんだよなって今思えば思うんですよね。
結局定順行、決まった時間に決まった場所を走る。
遅れたら遅れを取り戻したりもしないといけないというプレッシャーもある。
で、時間も朝早くだったり、夜遅くだったり、朝出てまた夕方出てみたいな、
1日2度出勤とか変な勤務があったりとか、いろいろ体がきついとかね。
子供の面倒を見れないとか、子供まだ生まれる前とか長男が生まれたばっかりの頃でしたから、
こんな生活じゃ全然子供の面倒を見れないよと。
僕の理想は子供に常に寄り添ってあげることだったので、全然そういかないぞとか。
あるいは、夜目が見えない。特に夜がやっぱり怖かったですね。
雨が降った夜の運行って、本当感覚的に6割しか見えてないって思いながら走ってたんですよね。
4割噛んで走ってるみたいなのが自分の感覚の中にあって、
これ同僚と話しててもみんなそう言ってましたけどね。
もう4割噛んだよねみたいなね。こんな危険な仕事ないぞ。
いつか事故起こしたら、事故起こしたら全部終わりだぞみたいなね。
そういうのもあって、もう運転手怖いわ、もうしたくない、運転したくないわってずっと思っていたんです。
お客さんのプレッシャーで急がされたりとかですよ。
超満車で40人50人乗って何十人も立った状態で急ぐと。
急ブレーキかけてお客さん転んだら事故ですよ。怪我させたら事故ですよ。
そういうプレッシャーの中でこんな仕事は続けられないっていうんで運転しやめたいって思っていたんですよ。
だから再就職しても運転手はなーって思ってたんですけど、結局今運転してますが、ここの運転業務は全然違うんですよね。
現在の運転業務との比較
僕が一番辛かったこれ続けられないなって思ってた部分ってのがあんまりないんですよ。
要は夜のまず運行ってのはないし、時間に追われて走るってことはほとんどないですし、
乗せても立ち客が出るようなことはないし、何人乗りって分かった上で何人乗るのでよろしくお願いしますって予約で入ってくるから、立ちとかそういうことはありえないし。
しかも当時路線の時は苦情とかも嫌だったんですけど、今の職場は苦情は一度もないですね。
単純にめちゃくちゃ感謝されますね。
ご苦労様です。送っていただいてありがとうございますっていう感じなんですよ。
路線バスの時よりぶっちゃけかなり楽してるんですけど私運転手としては今の感覚はね。
だけど路線バスの時よりめちゃくちゃ感謝される。なんだこれっていうぐらいね。
でもそうなんですよね。本当だったら自分で運転しないといけなかったりする場所とかに我々が代わりに運転して送るわけだから、その中で仕事を処理したりもできたりもするわけだから。
感謝されるべくしてされてるんですけれども、路線バスからすれば全然なんだこれっていうぐらい違う。
ちょっと遅れちゃって申し訳ないなとか思うことも実際あるんですよ。予想以上に道が混んじゃって到着遅れちゃったりとかね。
そんな時でも怒鳴られたり。路線バスだったらね。怒鳴られたりとかよくありましたけど。
まずそんなことはない。まずそんなことはない。すいませんねみたいな。いやいやこちらがすいませんなんですけどっていうね。
感じで運転手もダメだ無理だ嫌だって思ってたのが、今また運転手やってるんだけど全然違うんですよね。
見方次第で人生は変わる
だから運転手やりたくないぞと思ってフリーランスになったりイラスト講師とか始めて、結局ダメだ。
やっぱりもう運転手就職再就職するしかないって言って探したところどうしてもスキル的に運転手っていうのがたくさん出てくるし現実的だったりした時に
運転手やっぱ嫌だなって思ってたけども実際なってみると、思っていた、要は計画していた計画とはちょっと違うか。
考えていたイメージしていたこんな感じとはやっぱり中身が違ったわけですよね。
という風に思った通りになかなか人生はならない。
だけど思った通りにならなかったからって必ずしも間違いとか失敗とか不幸ではないっていうことね。
だけど多分これって見方もすごく大事で、結局あんなに嫌だった運転手をまたやっちゃってるなぁ不幸だなぁって思えば多分思えると思うんですよ。
でももうちょっと改造をどうすかって思って運転手が嫌だったんじゃなくて、あの業務が嫌だったんだなって気づいたことによって
気づいたって言うほどもなくだったんですけどもこの場合は、すげえいいじゃんっていう風に思えてるわけですよね。
だから理想通りの未来を描いて、理想通りの未来じゃなかった時にその状況でどれだけ辛いのか辛くないのか幸せなのか不幸せなのかっていうのを改めて客観的に評価しつつ
かすせっかく人生を楽しむんだったらむしろ無理やりでもプラスの方に物の見方を持っていった方が、物の見方次第なんでねやっぱり。
気持ち次第なんで。だからいいというかね、生き方としてそういう風な方がいいよなって思うんですよね私はね。
だけどやっぱりそう思えない人がいて、そういう人とのぶつかりがあると結構きついなあと思ったりもしてますというところですね。
なかなかそういう風に思えると、結婚失敗したとか思わないようにすると思うんだけどなあみたいな感じで終わりたいと思います。ありがとうございました。
さつまのまにの耳の倶楽場みやけんでした。またね。バイバイ。チェスト。