言葉の解釈とエピソード
えっと、これ聞こえてるのかな?
さあ、じゃあちょっと喋っていきまーす。
えっとね、夕飯の支度をしながらなので。
うーん、できんのかなこれ?喋りながら。できるのか?マルチタスクが。
ということで、えっとね。なんだ?白菜、そぎ切り、そぎ切り甘いやん。
あのー、やっぱりね、改めていろいろ思った話ですね。
えっと、まあね、私、ミヤケンといえば、有名なロボエピソードとして、
あいつの当たり棒、当たってない当たり棒を洗って交換しに行こうとした。
死に行こうとしたというエピソードが有名でございますが、
これ何であったかっていうと、
小学校、高学年、中学生で当たったような気もするけど、
そのときにね、当たり付きのアイスを買って食べてたんですよ。
で、お袋と二人だったと思うんですけど、
そしたらね、袋にね、当たりって書いてあって、
このマークが付いていたらもう一本もらえるよって書いてあったんですよ。
だから、当たってんだと思って、
えっと、あいつの棒をね、なんかあいつの棒持って行ったら交換してくれるよねと思って、
で、洗ってたんですよ。
そしたらね、お袋が、あんた何やってるのって言って、
いや、このマークが付いてたらもう一本もらえるよって書いてあったから、
棒を持って行こうと思って洗ってるって言ったら、
いや、書いてないじゃんと。
棒にはね、書いてないんですよ、確かに、当たりって。
でもね、袋にね、当たりって書いてあるんですよ。
で、このマークが付いていたらもう一本もらえるよって書いてあるんですよ、袋に。
いや、考えてみればね、
そしたら誰だってその袋のやつ買ったらもう一本もらえるって話なんですけど、
言葉をね、言葉通りに受け取るというのの特性があるので、
このマークが付いてたらもう一本もらえるよって書いてあって、
そのマークがそこに書いてあるじゃないかということなんですよ。
やっぱね、いまだにね、僕は間違ってないなと思うんですよね。
ついで言えば、書き方が悪い。
どう考えてるのか。
このマークが棒に書いてあったらもう一本もらえるよ、だったらわかるんですよ。
棒には書いてないからね。
でも、そうなことは書いてない。
絵が書いてあったらいいかもしれないなと。
実際に写真とか、棒に当たりって書いてある絵とか、写真とか載って書いてあればわかる。
だけど、そんなのは一切書いてない。
このマークは袋に書いてあるから、当たりじゃないから。
やっぱりいまだにの方が、あれは書き方が悪いなと思うんですよね。
というふうにですね、言葉を言葉通りに受け取るっていうのが、昔からあるなと思って。
見た目の判断とその分析
考えてみたら、今でも、あいつの棒の話のように、やっぱり間違ってないなって思うことが多くて。
例えば、人を見た目で判断したらいけないってみんな思ってるじゃないですか。
だから、僕はそのまま受け取るわけですよ。
見た目で判断はしないように、ロジカル的には思ってるんですよ。
でも、やっぱり長年生きてきて、見た目と性格って関係あるよなっていうのは分析できてきてて。
だから、僕の答えとしては、人を見た目で判断するのは、ちょっと言葉多発だなと。
人の良し悪しを見た目で判断するな、だったら分かるっていうふうに今は思ってますね。
人を見た目で判断はやっぱりできるんですよね。
髪の毛バッサバサで、ロン毛とかで、色真っ黒で、Tシャツとかポロシャツとか着て、
Bさんとかで歩いたら、そいつはサーファーなんですよ。
どう考えてもそいつは山登りをする人じゃないし、絵を描く人じゃないし。
8割サーファー。
ワンチャンバンドマンなんですよ。みたいな。
耳に大量にピアスの穴が開いてるバッカーが通ってて、タトゥーとか腕にブワーって入ってたら、
その人はね、やっぱり幸運じゃないんですよ。
どう考えても。やんちゃしてるんですよ。ほぼほぼ。
っていうふうに、見た目で判断はやっぱりできる。
でも、イコールその人が良い人間なのか悪い人間なのかというのが見た目にはいかない。
っていうふうに今、分析しておりますね。
だけど、
というふうに自分なりにね、おかしいなって。
なんかおかしいな、人を見た目で判断するなって言うけど、
見た目で人の人結構わかるよね。おかしいな、なんでだろうなと思った結果、
僕は今のように分析したんですよね。
だから前提として人を見た目で判断してはいけないっていうのを、
まるまる言葉通りに受け入れてるんですよ。
言葉通りに一旦受け入れた上で、
あれ?でも違うなということで、
最終的に僕は言葉の方を変換するということで、
自分で納得してるわけですよね。
というような感じで、言葉通りに受け取る。
人間であると。
そういうのが結構多くて、
逆に雰囲気で捉える人。
この辺りどう言えばいいんだろうな。
僕は性格上、脳みその特性上、
やっぱり切り分けて物事を考えて、
箱を新たに自分で作って、
これはここで当てはめて、
新しい言葉の定義に変えてやる。
理解できないことが多くて。
っていうのを思いますね。
それをいわゆる切り分けて考える。
感情と出来事と感情を切り分ける。
よく言われるじゃないですか。
出来事と感情を切り分けろって言われたら、
なるほど、確かにと思ってる。
僕はするんですよ。
それが、そうした方がいいよって言ってるんだから、
みんなもそうしてるだろうと思うわけですよ。
ところがなんか、実際に人生を生きてると、
なんか違う。
え、俺が間違ってるのか?みたいな。
やっぱ間違ってないですよね。
だって切り分けろって言うんだから。
切り分けた方が良さそうだから。
で、そこを切り分けた方が良さそうだから。
分かりやすいところで言うと、この話は
コミュニケーションの乖離
一番感じたところで言うと、
昔、僕も会社員してた時に、
嫌われ者みたいな人がいるわけですよ。
嫌なことばかり言うとか。
嫌われてる人がいるんだけど、
嫌われてる人がいるってことは、
嫌われてる人がいない。
その人は嫌われてる。
嫌われてる人とは喋りたくないっていう人が多いんですよ。
でもその人が嫌われてるということと、喋るか喋らないかっていうのは、僕は別問題だと思ってしまうんですよね。
仕事のことがあって喋るとか、雑談とかで喋るのと、その人が嫌われてるっていうのは別だと思ってるんですよ。
確かにみんなが言うように、この人こういう言い方するのは確かに嫌われるだろうな、嫌だな、僕自身も嫌だなと思ったとしても、
普通に雑談してるだけで常に嫌なことを言うわけじゃないから、そこは気にならないんですよね。
具体的なことで言うと、前の会社でみんなが嫌われてる人がいたんですよ、すごく。
でもその人は下ネタが好きで、下ネタがめちゃくちゃ面白かったんですよ。
僕はその人と下ネタを喋るのは好きだったんですよね。楽しかったんですよ。
でも、他のスロットーとかで変な行動をするとか、自分勝手なことをするっていうところのフィルターで、その人を嫌いだって思ってる人は、
いや、めちゃくちゃ下ネタは面白いのに、それすらも嫌いだって言うんですよ。
僕は別じゃんって。
仕事で自分勝手なことをしたり、自分だけが得しようとする行動と、その人自体が下ネタが面白いっていうのは、話が違うじゃんと思っていたわけですよ。
だから、雑談とかでそういう話でもやったりできるんだけど、他の人は一緒の部屋にいるのも嫌みたいな。
仕事のときに自分勝手なことをしたりして迷惑かけたりしてもヘッチャラだったりとか謝らなくなったりするけど、
今この休憩中にここで喋ってる人には楽しいじゃん、それとこれは別じゃんっていうふうに僕は思って接してたんですけど、他の人はそうじゃない。
いやいや、切り分けましょうよ。
罪を憎んで人を憎まずって言うじゃないですか。
それも僕は言葉通り受け取っているわけです。
その人が罪なのは、仕事上で自分勝手なことをするとか、ずるいことして自分だけ楽しようとしたりするっていう部分が罪なだけであって、
その人間そのものは、他のところでは雑談社楽しかったり、証券勉強してる部分もあって、その情報を交換したりとか。そういうのは普通にできるわけだから。
っていうのを僕はしてたんですけど、「よく喋れるよね」とか言われてましたね。
よく喋れるよねって言われても、今は嫌なこと言われたわけじゃないですね。
あと他にもね、挨拶全然しなくて嫌われてる先輩っていうのがいたんだけど、その人も僕にとっては挨拶しないだけなんですよ。
あ、この人は挨拶しない人なんだ。でも別に普通に喋れるよねって。
でも他の人はこっちから挨拶しても全然挨拶も返さない。メモもない。それだけで喋らない。
で、バスの運転手をしてたんですけど、バスってすれ違うときに手を挙げて、お疲れ様っていう意味なんですけど、
そうやって嫌われてる人は手も挙げてもらえない。挙げない。あいつはすれ違っても手も挙げない。だから喋らない。
すれ違うときに手を挙げるっていうのと、喋る喋らないって別じゃんっていう、全然僕理解ができなくて。
なんで手挙げないから喋らないのにロジックが繋がるのか全くわかんない。
だって、罪を憎んで人を憎まずがいいじゃん。
そういうふうにね、こうした方がいいよねって世間で言われてることを僕は素直にほとんど実践して、そのロジックで考えるんだけど、
やっぱりそうじゃない人が多いなと思っているんですよ。
これをね、エリブラ先生の配信を聞いても思ったところなんですけど、
どっちがおかしいんだって話。
僕は世の中でこうした方がいいよねって言われてることを素直に受け取って大体やるんだけど、現実となかなか合わないことが多くて。
自分なりに理屈で箱を詰め直してやってるんだけど、
そうするとなんかおかしいと言われたりとかするのが下線だなとずっと思っておりまして、今でも思っておりましてね。
なので、自閉症傾向の人が多ければこっちが正解で、少なければ今は自閉症傾向の人がマイノリティだから生きづらいようになってるけど、
今は人間ってそういうものだけど。
これそのものにどっちが間違いとか正解とか本当はなくてね。
左利きが人が少ないから世の中は民主主義のものが溢れて左利きの人が生きにくい。
じゃあその人は左利きなのか悪いのかじゃないっていうのと一緒?みたいな話もありましたけどね。
なんだよなーっていうふうに思ったっていう話でした。
いろいろね、また喋りたいことはあるんだけども、とりあえずやっぱり喋りながら料理の手が進まないということがわかったので、
喋りは終わりたいと思いまーす。
またアーカイブで聞いてくれる人はいたら嬉しい。
あ、なんかそれ言おうと思ったんだよね。
そうそう。この話もしようかな。
スタンドFMについての認識もやっぱり人と違うなってことに気づいたんですけど。
スタンドFMじゃない?人とのコミュニケーション?
いや違うな。スタンドFMを中心とした、僕の中ではね、中心としたSNSの扱い方で、
やっぱり人と違うなって思ったのは、結構言ってるんだけどな。
自分の発信とか、あるいは誰かにコメントをつけるっていうのは、
自分の考えだけを言えばいいと思っているんですよ。
で、やっぱりやっちゃいけないなって改めて思うのは、
誰かの発言とか誰かの行動に対して、こうしなさいっていうのはやっちゃいけないなと改めて思いましたが、
他人の行動を変えられない
これはね、こうしたほうがいいよも含まれます。
これも一般的に言われてる。人の行動は変えられないって言われてるのは、
これがやっぱり正解だと思うし、それも言葉通りに受け取って、
人の行動は変えられないんで、自分を変えるしかないよっていうのも、
僕もこれも言葉通りに受け取っているわけですよ。
だから人の行動をこうした方がいいよって言っても、意味はないなと。
ということで、基本的に僕は言わない。
でも何度か言ったこともある。これ正直に実際に。
言ってみた結果、やっぱり言わないほうが良かったなとか。
自分の経験もあります。
そういう時にでも、もし言ってたようなことがあって、今聞いて思った人がいたら本当にごめんなさい。
言ってたことももちろんあります。人のことをこうしたほうがいいよとか。
むしろ言ってたかもしれない。
でも基本的には、人は変えられないっていうのはあるので、
自分の意見として、こうしてみたらどうかなっていうのを採用する採用しないに対して、
僕は何とも思わないんです。
嫌な思いをさせたっていうことに関しては申し訳ないなと思ってて、
これは失敗したなって正直思ってます。
なので今後は改めていかなきゃいけないというか、改めて人にどうこう言うべきじゃないかと思いますね。
だから発信とかコメントっていうのは、自分はこう思いますよっていうことしか僕は言ってるつもりはないんだけど、
自分はこう思いますを言うと、こうしなさいって言ってる風に受け取られることがあるということが分かりました。
僕自身はこうした方がいいよとか、こうしなさいっていう直接的に言われない限り、
言葉を言葉通りに受け取るから、そう言われたらそうした方がいいんだとか、
そうしなきゃいけないのかとかは受け取るんだけど、
そういう直接的な呼びかけのない限りは察して気をつけるとかはできない。
言葉通りに受け取るんで。
だから全般的に、この人はそういう意見なんだな。面白いな。
でもちょっと疑問があるからちょっと聞いてみよう。
でもそれってこうじゃないですかっていうのは、そこは議論という話になっていくのかなと思っています。
議論になるとまた新しい発見があったりとかするのはすごくいいことだなと思ってて。
だから、僕はこうした方がいいと思ってこういうことをしています。
それに対してどう思いますかって言った時に、
みんな私はこうした方がいいと思ってますという体で、
というのを前提としてこうした方がいいんじゃないですかっていう言い方をしているものだと思い込んでおりました。
だからそれを聞く聞かないはこっちの話であって、
人は変えられないのがデフォルトなんだから、聞かないからといって、言った通りにしないからといって、
別に怒るようなことでもないし、がっかりするようなことでもないと思ってますね。
ただ、それで参考になります、ありがとうございますって言われれば嬉しいし、豊かだったなと思うし。
聞かなかったりやらなかったりしたからといって、
なんでやられるんだよとか、それじゃ面白くないじゃんとかは思わないですね。
変えられないんだからと。
たま、時々誘って変わる時があって、やっぱりそれは楽しいというか、
それはコミュニケーションとしていいなって思うし、
なんならそうやって議論とかになるのもいいなと思いますけど。
そんなようなことはね、思って。
だから、全員ポジショントークで自分の意見提出っていうのを前提として発言する、コメントする。
なるほどそういう意見もあるので、参考になりそうだなとか、
それは当てはまらないかなとか、思うことはあって。
それの理由をちょっと言ってみたいなと思うときは、なぜならこうだからですとか、
いうことはあっても、それも受け入れられるか受け入れられないかは、
それは人のことだから。わからないし、受け入れられなかったからといって、
別に期限を変えするようなことではない。そんなものだからね。
これはいい議論に進まなかったなーって言ったわけなんです。
それが当たり前の中で、時々いい議論になったり、いい議論につながると、
やっぱり楽しいな、コミュニケーション楽しいなって思うっていう感じですね。
いろいろやり取りしてきて思ったんだけど、
自身の意見とコミュニケーション
人の振り見て我が振りに直せとか、
とにかく世の中でよく言われる言葉は、環境は変えられない。
変えられるのは自分の考えとか精神だけみたいなことを言われるので、
それも言葉通りに受け取って、何か言われたり、何か違うかなって思うことがあった。
だいたい僕の場合は、自分の考えをアップデートすればいいのかなというのを基本に考えます。
だけど、性質的にこれ無理だなって思うこともあるな、そしてあっていいんだなとか思ったりします。
こんにちは。作業中につき耳だけ参加しております。
ありがとうございます。僕も作業中なので一方的にしゃべるライブなのでコメント欄は見ておりませんが、
後でスクショしてニヤニヤしたいと思いますが、スクショするほどコメントが入っていないので、
作業を続けて長にしゃべりたいと思います。
言葉通りに受け取って、僕はいい言葉を言葉通りに受け取るんだけど、
現実と合わないことも結構あって、
でもやっぱり納得したらできるだけ実践しようとするので、
それをすると意外と圧力というか、人にぶつかることが多い。謎の現象というのを感じてきました。
SNSのコメントについての話です。
基本的に自分の話をしてるだけなので、
それに対して、嫌なこと言われたら嫌だけど、
嫌なこと言われたら嫌じゃない。こうしなさい、ああしなさいって言われると嫌ですよね。
そんなつもりでしゃべってない。
嫌なことは人にしないように気をつけないといけないなと今は反省しておりますが、
そんなに自分の言葉とか投げかけで気にしないだろうと思ってるんですよね。
自分が気にしないから。
治せるところは直していこうかな、いかないとなとは思ってるんで。
大半の人が左じゃなくて右だよって言うのは、
あ、右なのか、僕は左だと思ったんだけど、じゃあなんで右なんだろうっていうのを考えて、
自分の中の意識を直したりして。
でもそうするとね、この前右って言ってたのに、あれ?なんかよく見たら右じゃなくない?っていうね。
みんなの言動を見たら右じゃなくない?その動きってことも多いんだよな。
まあそんな感じ。
これ何言ってるかわかんないかもしれないですけど、それはニュアンスで察してください。
ということでいいのかな。
さあ、じゃあちょっとお三方に来てくれてありがとうございました。
やっぱ採用しながらできるように喋れないということで終わりたいと思います。
30分喋ったしね。ライブとしては十分トレ高ありでしょう。
何のトレ高だろうか。
というところで終わります。
ちょっと集中して仕上げないと時間がやばい。
またねーということでありがとうございます。
終わりまーす。
では、今後ともビビドグラジオよろしくお願いします。
じゃあまたね。バイバイ。