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みやけん🌋パッチマンガアートのサトリの学講、土曜日企画としまして、普段はイラスト講師、NFTクリエーターとして活動している私、みやけん🌋が週1で趣味で勉強をしていたスピっぽい話をするという自己満足企画でございます。
ということで、紹介となります今日なんですが、タイトルにもなっている【悟り】というね。この悟りって何なんだっていう話をね、してみようと思います。
前にもね、ちょっとね、僕のスタイルの中で話したことはあるんですが、それと重複するかなという部分もありますがね。まず一般的な解釈からいきましょうか。皆さんが悟りと聞くとどういう風に印象を持たれているでしょうか。
あのね、なんか、俗世間から離れ、山寺にこもり、厳しい修行をして、滝行とかね、失踪な御飯、楼下を掃陣、遁地合戦みたいなね、そういうことをしながら、煩悩を捨て去りみたいなね。
結婚もしない、性欲も捨てる、金銭欲も捨てる、仏欲も捨てる、そういうね、煩悩をどんどん捨てていくことができれば、悟りの境地に至ります、みたいなね、そういうイメージがあるかもしれないんですが。
僕が学んできた結果ですね、実際、有名なゴーダマ・シッタールタことお釈迦様がですね、悟りを得た、悟りを開いた話をね、いろいろ調べて勉強した結果、そうじゃなかったということがわかったので。
じゃあどうだったのかっていうと、前の話でもしたんですが、これはもうアプローチが完全に逆だったと。
悟りを開くと煩悩がなくなる、ということです。
これを聞いた人が逆に捉えちゃったんですね。悟りを開くためには煩悩をなくせばいいんだと。
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ということで、その勘違いから始まったのが、厳しい修行はまたちょっと別として、自分の心、気持ちの中での煩悩を捨てる。
煩悩を捨てるためにどうすればいいんだろうって言ったときに、あ、そういえば厳しい修行をしてるんだよね、お坊さんは、みたいなね。
だから滝に打たれながらお経を唱えたりすれば煩悩を捨てられる。
なんか、きつい目にあってそれになれて、それを感じなくなるということは煩悩をなくすということになるんじゃない。
やってみよう、みたいなね、そういうことらしいです。
実際はそうじゃなくて、悟りっていうのはハプニングであるということみたいなんですね。
要は、今皆さんが持っている感覚が実は全て勘違いだったということに、ふと気づく。
という状態、ふと気づいたことを悟りを開くということらしくてですね。
だから修行とかして何かを獲得するとかね、そういうことじゃないんですよね。
だからこそ悟りっていうのは開くという言い方をするのは、だから扉がパッと開くように勘違いの世界から抜け出せた、みたいなね。
ことを指して悟りというものは、得るとか言う言葉よりは開くとか至るという言葉を使うわけですね。
とりあえず悟りというものはそういうものですよ、ということで。
これはね、僕が学んだ結果で知ったことですからね。
誤解なきようにしていただきたいんですが、はっきり言うと厳しい修行はあまり意味がないということなんですよね。
でですね、今ですね、現在ですね、結局こういうハプニング的にその勘違いに気づいた人っていうのがですね、
まあ昔は、一昔前であれば返賃扱いされて隔離されていたんですが、今はですね、インターネットというものがありまして、
そういう人がね、結構いるぞというのはですね、そしてそういう人がですね、なんか自分なりに勉強して発信してるっていうね、ことが結構ありましてですね。
ただちょっとここにはね、詐欺まがいの怪しいのも非常に多いんですが、中にはね、この人は本物だろうなっていうのがね、
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まあいろいろ見てるとわかるようになってくるんですけど、まあそういう人がいましてね。
で、そういう人たちがもう本当に世界中いろんなところに行ってバラバラなんですが、もう口を揃えて同じことをやっぱり言うんですよね。
だから自我はないとか時間はないとかね、あと別に修行とか関係ないとかね。
ただね、結構こういう人たちって現代でいる悟りを開いた人たちって、いわゆるこのもうひどい目にあってどん底まで追い詰められて、
まあ自殺願望、自殺願望じゃない、自殺するぐらいまで追い詰められたり、あるいはもうそういう経験をしたりとかね。
あとはその精神的な病気に追い込まれて、つらい目にあった結果、なんか裏返ってパッとその勘違いだったということに至ると、
まあ悟りを開くという状況になったという人がね、実に多いですね。
だから何だろうな、これだからそういう人の話を色々聞きたい人っていうのはね、じゃあ僕も薄になりたいですとかね、おかしなこと言い出すんですけど。
で本人たちもいやいやそれ違う違うっていうんですがね。
僕らはそういうもう本当につらい目にあって、でハプニング的にこういう体験っていうのをね、たまたまやられたんですけども、全然この方法はお勧めしませんって。
で言いますね。で私も私たちもこういうことに気づいてからわかったんですが、他にやり方あったなっていうことを口々におっしゃいますね。
できればあんな目にあってこういう境地に至りたくはなかったなということはおっしゃいますけどね。
まあそういう人たちはやっぱり瞑想とかが一番近いんじゃないかな、それでもね瞑想したからって悟りに至らないですよともはっきり言いますね。
でも何かしたいんであれば強いて言えばそれが一番近いかなみたいな言い方をしますね。
なのでね、まあ悟りっていうのはあくまでハプニングであると。
当然僕もそのようなハプニングには出会えてませんので、全然その煩悩から離れた状態っていうのはわかりもしませんしね。
でその悟りの境地に至った現代の人たちもですね、その時はそうなんだけど、やっぱりこう戻ってくるとというかね。
完全にガラッと自分の中で変わった部分もあるんだけども、やっぱりその別に煩悩が消えたということもないと。
ただ何だろうな、客観視はできるようになったみたいな感じは言いますね。
まあそういうものらしいです。
というところで、初回なのであんま長くしたくないんで終わりましょうかね。
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はい、ということで最後までお付き合いいただいた方はありがとうございます。
今ここを見つめよう。では!