線画の定義と必要性
お疲れ様です。
薩摩訛りの耳毒ラジオ。
この配信は、人検索の時代、地方の名もなきイラストレーター、私、みやけんの人となりを知ってもらうべく、日々のお気づきやマインドを発信している雑談ポジショントークチャンネルです。
ゲームキャラ風パッチ漫画アートでおなじみのイラスト講師。
絵がうまくなりたければ絵を描くな、絵を作れ、の、みやけんです。
うまくしゃべれておりません。
連休最後の日ってことか、月曜日なんでね。一応、うーんと、なんかちゃんと撮りまーす。
耳毒ラジオよろしくお願いします。では、いくぜーい。
今日ね、ちょっと真面目な話しますよ。
アートについてみたいなやつね。
先日、イラスト教室講座をね、自分がやってるところで、受講生さんと話をしてる中で、
これちょっと一回まとめてみようかなと思った話なので、それをまとめてみたいと思います。
先画ってなんだ?っていう話が出たんですよ。
それを突き詰めていった話なんですけど、今のイラストって何なんだ?みたいなところですね。
どういったのを描けばいいかわからないとかね。
描きたいんだけど何が描けばいいかわからないっていう感じのお話の中でですね、
僕からすれば何が描きたいかわからないのにイラストを描きたいっていうところ、
意味がちょっとわからなかったんですけれども、
でもそこら辺をね、いろいろ話のやりとりしてる中で、
こういう理解が意外となかったりするんだなっていう話です。
先画っていうのは、いわゆる色塗りがされてない線だけで描かれた状態のイラストのことです。
これって端的にわかりやすいのは、いわゆる漫画ですね。
漫画っていうのは雑誌に乗る、雑誌みたいなのに乗る関係上、
白黒で描かれているわけですよ。
そういう文化でずっと今まで作られてきたわけですね。
時代は進んでデジタルも進化して、今だったらフルカラーの雑誌なんてのも
簡単に作れるようになったんですけども、とはいえやっぱりコストがかかるんでね。
いまだにジャンプとかの主流も再生紙のようなざら紙を使った白黒の漫画ってなってますよね。
だから漫画っていうのはある意味、ある意味ですよ。
線画のみで描かれているという感じです。
線画にベタ塗りっていう黒色だけを着色して、
それ以外はもう着色することがないっていうね。
いわゆるスクリーントーンっていうね、小さいドットが打たれているシートを貼ってね、
それを削ったりして、いわゆる色味をちょっと出したりとかいうのはもちろんありますけれども、
それ以外にはハッチングとかね、編み掛けとかね、
要は線でしかとにかく色も表現できないっていうね。
あの状態が線画ってやつですね。
色をちゃんと塗る前提であれば別にベタとかもしないし、
トーンも貼らないんですけれども、
まずそういうものですね。
言われたらイラスト、線画って必要なんですか?みたいな感じだったんですけど、
線画はね、必要かどうかっていうので言うと、
どっちが好きかって話ですよね。
ないのが好きだったらないのを描けばいいし、あるのが好きだったら描けばいいし、
で、そこまでに至るその前段階として、
下書きってね、下書きで線で言えばシルエットをとって、形をとって描くわけですよ。
それを最終的に消すのか残すのかという話になっちゃうんで、
どっちにしても線画的なものは描かないといけないんですけど、
その段階、そういう下書き段階で描くようなものが線画だと思ってました、みたいな感じだったんですよね。
だからその理解は確かに何も習わなければそうなってもおかしくないかなっていう気はするんですけど、
文化的な違い
線画は線画として、漫画であれば製書なんですよね。下書きではないんですよね。
そういう意味で今でもやっぱりあくまでラフ下書きは鉛筆を使うっていう。
で、線画ってなるとペンを入れるとかね。
で、そのまま絵の具とかで着彩に入って別に線画的なものは残さないとかね。
いろいろそれは技法としてあるんですけど、
そもそもこういう技法の別れって何かっていうと、
西洋絵画とアジア、アジアというか日本の版画というかね、
日本じゃないね、やっぱりアジアか。
アジアの墨、筆文化みたいなね、の違いからね、歴史からね。
要は歴史的な話なんですよね、これ。
紐解いていくということになって、そういう話をしたんですよ。
で、まず西洋の絵画っていうのは基本的には宗教が、
もうざっくり言うと一部の特権階級だけのものなんですよね。
民衆は、民衆でもそんなに西洋の歴史も詳しくないけども、
何かを描くときはいわゆるペンを使うわけですね。
万年筆、万年筆じゃないや、万年筆のその前ですよ。
インクをドバンとつけて描く、ペン先につけて描く。
ペンを使って、画材みたいのを使うのは画家であり、
画家が絵を描くのは浮遊僧とかの王様の肖像画を描くとか、
あるいは教会でフレスコか、宗教か、神様の絵を描くみたいなね。
それが色筆を使った画家っていう人で、
大衆はペンで字を書いたりするっていう、
ここ結構はっきり分かれてる感じがするんですよね。
で、画法で言うと西洋絵画はもともとは要は写実的な、
よりリアルなものをどうやって絵というものに
2次元に残すかっていうところを柄の進化がずっと来てて、
結局色に関しても光と影なんですよね。
だから世の中の物質っていうのは要は光と影、
光の反射で色っていうのがあってっていうね。
光と影で眼球に映るものは構成されてるんで、
それを忠実に捉えようということで描くのが西洋の絵画だったりするわけで、
そこには線というものは本来ないわけですよね。
境界線というものはあくまでなくて、
だから油絵とかでいろんなフレスコ画とかの画法で描かれるような、
西洋の昔の絵画であればはっきりと描かれた線みたいのはなくて、
境界線は色の違い、空気感の違いとかそういうので表すわけですよ。
一方、墨筆文化のアジアでは絵を描くのも字を描くのも筆を使うわけですよ。
だから字を書くっていうのを筆でやるのは非常に難しい。
難しいんだけどそれが当たり前で、
中国人も日本人も韓国人も知らないけど、
昔から筆で字を書いていたと。
筆で字を書く技術を要は練習してみんな身につけていたっていう感じですよね。
そのまま水墨画みたいな同じ筆を使って絵を描くんだけど、
もともとここには色彩の感覚はなくて、
この線で見たものを最初からディフォルメして描くっていうことなんですよね。
結局黒で描かないといけないわけだから、
あったとしても赤、朱色なわけなので、
基本黒で描くと。
黒の濃淡はあるものの、
どうしてもそこにははっきりとした境界線が出る。
なので最初から色んな多彩な色を使って、
写真のようにリアルを表現しようとしていないわけですね。
筆で表現しようとしたらどうしても線で表現。
線というのはそもそも本当は世の中に存在していないけど、
記号として人の形に見えるようにとかね、
その輪郭線を線で描くっていうのを、
もともと筆文化ではやっていたわけですよ。
その結果ですね、
例えば鳥獣ギガみたいなものがね、
大昔にもあったわけなんですけど、
あれなんかもカエルとかね、
ウサギとかを描いているんですが、
当然線画という形で描かれているわけですね、筆でね。
さらにこれがね、結局西洋では、
非常に絵というのは高尚なものだったので、
ふざけちゃいけない。
神様とか王様とか描くのにふざけてはいけない。
なのでそこには遊び心というものは入らずに、
ストイックにリアルさ、
あるいはリアルを超えた美しさというのをね、
求める姿勢があったのに対し、
東洋、一旦ここは日本ということにくくりましょうかね。
日本では鳥類ギガにそれこそ表されるように、
擬人化したキャラクターみたいなものをね、
遊び心を持って描き始めているわけですね。
カエルが相撲をとったりする絵とかね。
だから歴史的に見ても、
やっぱりそういう絵に対する考え方、
文化の違いというのも結構如実に出ているわけですよ。
それともう一つあるのは、
西洋は特急会見のもの、
日本は一般市民のものみたいなね。
あれ、今切れたかな。
西洋は特急会見のもの、
日本では一般市民のものっていう感じが結構ありました。
現に河原版とかでですね、
手配書とか、
お殿様がお風呂を出したという時に、
そういう絵を描いて、
それをみんなに配って、
石川五重門のこんなやつだとかね、
配ったりしてた。
それエンターテイメント娯楽の中に含まれてて、
河原版みたいなのって、
要は新聞みたいなものを作るために、
一枚一枚描けないので、
版画というもので描いていたわけですね。
だから版画となればますます、
この線画との相性がいいわけですよ。
もともと筆で線画を描いていた。
その線画を版画として、
はっきりした線が残ったものとして、
版画に変えるっていうのが、
スムーズに移行していって、
ということですね。
なので、
日本人はもう江戸の昔から、
そういう擬人化したキャラとか、
人の似顔絵みたいなのを、
線で描いた絵を見ていているわけですよね。
こういう違い。
そこから先の、
さらに今の現代、
もっと近代にくれば、
漫画文化がどんどん浸透していくのも、
やっぱり違和感がないというか、
神話性が高いというか、
見る人にとっても、
描く人にとってもね、
というものがあると思います。
アメコミとかだとやたら色をね、
原色をはっきり使っているようなイメージあるじゃないですか。
日本の場合は、
漫画であったら基本白黒。
白黒で着彩するとしても、
あんなはっきり塗らないよな、みたいなね。
そこら辺はそういう文化的な、
今まで醸成されたものがあるんじゃないかな、
と思ったりもしますが。
えっとですね、
パリ万博の影響
ちょっと話を変わりまして、
パリ万博という時にですね、
明治維新の前後の時代の話ですね。
パリ万博という、
じゃあ逆にいこうか。
明治維新とかで、
西洋の色んな文化や技術を取り入れた時に、
西洋の絵画というものもね、
やっぱり取り入れたわけですよ。
だから日本人からすれば、
西洋の絵画、
リアル!
すげー!
なんだこれ、
本物みたいじゃん、みたいなね。
そういう衝撃を受けて、
やっぱりこんな風に絵って描かないといけないんじゃん、
つって。
で、色んな絵筆とか色とか取り入れて、
ほらこんな色使ったらこんな出来るわけじゃん、
と言って、
そういうやつを衝撃的に受け止めながら
取り入れていったんですよね。
で、一方ですね、
そのパリ万博というところで、
日本の浮世絵が出展された時に、
実は西洋の人たちも
めちゃくちゃ衝撃を受けたわけですね。
パリだからフランスですよね。
まさに芸術の都フランスで、
パリでそこの画家たちに
ものすごい衝撃を与えた浮世絵という。
結局、なんだろう、
リアルじゃなくて
めちゃくちゃディフォルメされてると、絵がね。
なのにちゃんとその人のこの表情とか、
あの生き生きしたとした動きとかが
伝わってくる。
なんだこれと。
こんなリアルじゃないのに、
リアルさ皆無なのに、
なんでこの伝わるんだ。
この表現力はなんだということでね。
しかも色もですよ。
基本的にはリアルな色を
いかに上手く表現するかっていろいろ
混ぜ込んでしてたのに、
浮世絵なんかも半画だったりするんで、
赤バーン、緑バーンみたいな。
ベチャーっとしたベタ塗りの原色が
ベベベベって入ってるのを見て、
逆にやっぱりその色使いにびっくりしたわけです。
なんだこの大胆な色使い。
それでいてこの表現力なんだということでね。
非常にこの画家を驚かせて、
浮世絵と西洋絵画の影響
実際日本の浮世絵めちゃくちゃ売れて、
今もね、フランスとかコレクターが
すごく持ってたりするというね。
そのパリ万博の時代のやつとかね。
あったり。
案外日本では軽視されてる。
軽視されて叱るべきなんですよ。
だって新聞とかチラシと一緒ですから。
日本人にとっては。
でも向こうではなんだこの芸術表現ということでですね。
それに非常に影響を受けた当時の画家もいますよね。
実際。
それこそ写真というものも世に出てきた時代で、
リアルを追求した西洋画家たちは
写真というものの登場に
戦学学じゃなくてなんだ。
とにかく非常に驚いたというか
やばいというね。
危機感を持った時に新しい表現を見て、
その中に浮世絵というものの表現を見てということでね。
いろんな衝撃を与えたわけですよ。
ということで、
その頃から。
だから200年くらい前からですね。
この西洋と東洋がお互いにびっくりして
向こうのものを取り入れようといってね。
やり始めて。
それがそうなっていった結果が
今のこのインターネットで全世界が繋がった
この世界のイラストの環境になっているわけです。
だから線画というものを緻密に描く。
綺麗に描く。
かっこよく描くという
日本的な、東洋的な描き方と
色というものを
色とか光影というものをリアルに描くという
この西洋の絵画を培ったものが
今まさにこの19世紀、20世紀、21世紀にかけて
融合しているという
状態になっているわけです。
線画の必要性と好み
だから線画っていらないかと言われると
西洋絵画みたいなのを描くんだったらいらないですし
色ってそんなにリアルにする必要があるのかと
言われれば別に白黒の漫画、線画だけでも
あったわけだし
っていうことなんですよね。
今はそのいいとこを取っているんだけど
ここに要は答えがないわけですよ。
結局僕は前から言っているように
線にこだわる絵描きなので
線が好きなんですよ。
もっと言えば漫画の白黒ぐらいの勢いが好きなんですよね。
だから色彩の感覚があんまり乏しくて
だから僕はそういう線画寄りの絵を描きます。
でもこれは現代において別に間違いではないし
もっと甘い絵本みたいな絵がある
可愛いふわっとした絵に
惹かれる人も多かったりすれば
なんか線の表現というのは非常に曖昧だったり
あるいはもうなかったりするわけですよね。
それも成り立っている。
だからどれが好みかって
どれを描きたいかによって
線画によるのか色画によるのかっていうのが
どっちかによりながらも
でもどっちも入っているっていうのが
今のイラストの環境で
あとはもう好みで
どれも需要があるってことですね。
好み、線差、判別などね。
なので環境としてはそうなっているんだよと。
線が絶対必要じゃないし。
なんですが
線が必要としない絵を描く
西洋の絵柄ってもともとは
鉛筆とかでデッサンをし
デッサンをとり
当たりをとり
下書きをして
あとは線は残さずに
色で塗ってかし上げるとかしてて
線で絵を描くということ自体はやっていたので
ここにはデッサンの技術とか
そういうものはありますよということですよね。
そのまま線重視で仕上げるのか
あるいはちょうどいいバランスをとっていくのか
という話ですからね。
なので
今、受講生の方そういう質問がありましたけど
とりあえず覚えるとしては
鉛筆何々で
線で描くということは
覚えていかないといけないですよね
という話で
それを下書きという段階までできれば
あとはこの下書きを
最初にも言ったかな
ペンが線画にしてから
イラストにするのか
あるいはもう線は残さずに
色着色だけでイラストにするのか
それはご自由ですよという話
好みですよと
そういう意味で
自分が目指したい絵柄というのを
よくよく追求してみてくださいと
それによって線画というものを
どういう風に描くかという
また技法もいろいろありますからね
という話をしたところでした。
イラストとデザインの違い
なのでイラストってどういうもの?
というのは案外分かってないんだな
というのをちょっと発見して
今回ちょっと
イラストの話しかしなかったんですけど
ここにデザインというものがまた
加わってくるんですね
デザインというのは
どうしようかな
ロゴみたいのが一番分かりやすいですけど
ロゴとかの縁の線を
線画というのかも微妙ですけどね
ということでデザインというのは
またちょっと別軸になってきて
デザイン的なアイコン
ロゴの文字
あるいはロゴのマーク
ロゴマークで描かれた鳥というのと
鳥の絵を描いてある鳥というのは
また違うわけですね
これまた線画とか
リアルを求めた着彩とか
また別軸のお話になってくるんで
だからこれまたデザインというものは
イラストとはまた別軸に存在する
ということも一旦
改めて押さえてもらいたいです
というのはイラストもデザインも
同じだと思っている人が結構多いし
実際これ両方する人も結構多いので
でも本来イラストとデザインは別だ
ということをちょっと詳しく今日はしないですけど
そういうものだということを改めてね
毎回よく言いますけど
だからチラシを作ったりとか
看板のロゴとか
もっと言えば車のカラーデザインとかね
そういうデザインというものと
僕が描いているようなキャラクターの
表情とか動きとか
そういうイラストみたいな
風景でもいいんですけど
というような一旦これ別軸だと
別技術だよということも改めて
押さえておいてもらいたいなと思いました
ということで
今日はねイラスト絵というものについて
ちょっと歴史を拾うときつつ
西洋と日本東洋文化の違いからの
派生が今まさに世界で融合している
ということを話しさせていただきました
なので
一旦とは融合してきたとはいえ
完璧に混ざり合ってない
ディズニーのキャラクターと
ジブリのキャラクター違うよねっていう
この辺の違い
最近でいうと
同じCG作品であっても
任天堂が作る
マリオのゲームのCGの
描くキャラクターと
ディズニーピクサーが描くキャラクターと
何か違うよねっていうのは
やはりこういう文化の違いをね
未だに残しているところがあるんですよね
これ面白いなと思って
今いわゆるSNSとかで
バズってるみたいな
神絵師みたいに言われているイラスト業界で
サブカルの業界で言われているような
絵柄がですね
日本人が描く絵柄って
なかなか西洋人までできないんですよね
西洋人がいくら日本の
萌えキャラっぽいの描いても
若干どうしても西洋テイストが残るっていうのは
これね僕らも見れば分かるんですよね
ところがですね
韓国人がですね
日本の萌えキャラを描くとね
描けるんですよね
ほんと遜色なくて
今韓国人のイラストレーターもすごい勢いで
来ててですね
コロソとかね
色々有名なイラストを教えるサービスあるんです
そこの先生とかが
やっぱり韓国人とかも多くなってますね
韓国人はだから日本のイラストを
簡コピできるんですよね
教えられるぐらいにね
でもね西洋人はどうしても
どっかが違うんですよね
目とかね
あの辺がいまだに面白いなと思っております
という話をしました
はい
興味がない人にはまた興味がないかなと思ったんですけど
イラストレーター
イラスト講師らしい話をしてみたくなったので
してみました
ということで今日も
誰おっと声ずる聞いてくれっせ
ここでありがとうございました
ほいならまたね
みやけんでした