子育てと敵意の感情
私と私のひとりごと。こんにちは、misaです。今回は、子どもは敵「私を守るという呪いについてお話をしていきたいと思います。
このラジオでは、願いを生きる過程や自己一致するためのヒントをお届けしております。
本日は8月16日土曜日でございます。よろしくお付き合いください。
今回は特に子育て世代の方、子育て世代か、の方に聞いていただけたらなと思います。
これは最近、いやもうこの半年とかで一番でかい隕石だったかも。
マジでショックで、すごいショック受けたんですけど気づいた時に。
ちょっともう半分懺悔してるかもしれないけど、ちょっと恥ずかしい話をしていこうかなと思います。
今回はね、そう、私の呪いについてですよ。
ここ最近なかなかなかったんだけど、まだこんなでかいの残しとったんかと思って、
まあこれ話さねばっていうところなんですけどね。
あのお子さんがいらっしゃる方に聞いていきたいんですけど、
子育てする中で子供がさ、敵みたいに感じることってないですか?
自分の感情との向き合い
子供が物を散らかす、私が片付けなきゃならない、子供の世話、自分の時間がなくなっていく、
そういうことってさ、みんな少なからず思うことがあるんじゃないかなーって思うんですけど、
私は多分これめちゃくちゃでかかったんですよね。
これにね、気づいてしまったんですよ。自分の呪いにね。
もともと自分の家庭、私が子供の頃の実家のことなんですけど、
実家の風潮が割と合理的に判断される。
あんまりこの感情的に寄り添うっていうことがあんまりっていうか、皆無だったからあんまりないから、
こうだからこうじゃんみたいな、文句言うなみたいな感じで、
感情は抑圧することを非常に強力に学んできていて、
さらに就職でまたIT業界とかに入っちゃったもんですから、非常に合理的な方々が多かったんですよね。
ロジカルだなーみたいな、感覚的に、もともと多分私感覚タイプなんですけど、
なんか好き、なんか楽しい、いい感じみたいなタイプだったくせに、
すげーリズメされるじゃんと就職してさ、とかから、
効率的に生きていくこととか、合理的に判断していくことっていうのを、
多分そこでめちゃくちゃ強力にインストールしたんですよね。
これは私の適応ではあったんですけど、ちょっと過剰だったんでしょうね。
適応力があったのか分かりませんが、
いう状態で、ちょっとこう、本来の私の素養とは帰りのある武器を装備した状態で、
社会人生活を始めていって、めちゃめちゃ磨いていったんだけれども、
さらに結婚して、離婚ってなった時に、この離婚もまた私に非常にインパクトを与えて、
そこまでなんか強い反省として、
私をもっとちゃんと守んなきゃいけなかった、みたいな強い後悔があったんですよ。
ここで、元々強力に装備した合理的に生きるっていう呪いと、
さらに私を守らねばっていう、じゃないとこんな目に遭っちゃうみたいな。
離婚の時って、ちょっと余談だけど、離婚が全て世界が悪かったってわけじゃ全然ないんだけど、
その内省した結果、私が私のことをちゃんと理解して、
ちゃんと自己表現、意志表示して、
自分がしんどくない状況を勝ち取ろうっていう努力を私は怠っていた、みたいな。
日常生活の管理
厳しいよね。厳しい反省があったのよ。
っていうのを持ってして、
で、私の世界をもう何人たりとも侵略してくることは許さん、みたいな感じで離婚に踏み切っていったから、
なんか特にこの今住んでる家は離婚してからずっと住んでる家なんですけど、
ここに引っ越してきた時とかに、多分な、なんかそれすごいコンセプトに据えてたんですよ。
もうめちゃくちゃ戦ってやる、みたいな感じになってたのね。
元旦那も頼れない、実家も頼れない、私がこの子たちを守るんだ、みたいな。
生活を守る、自分の人生を守る、守ってみせる、みたいな感じになってるから、
なんか振り返ると、家作りとかもそんな感じだったんだよね。
でもこれは無意識です。振り返ればって感じですけどね。
で、これ、この強力な誓いは、まあいいんだけど、いいけど過剰すぎて、
でもさ、私一人で子供たち、まださ、保育園とかでさ、ちっちゃい、ちっちゃい、なんかでさ、生活やりくりしていくなんて、
多分もう想像に安いと思うんですけど、大変だったんですよね。
なのに、子供たちはまあ自由なもんだから、でも私は自分のこと守らなきゃいけないってなったら、
多分、どんどんどんどん子供を自分の外側に置いてたんじゃないかなって、ちょっとね、振り返ると思いますね。
子供が敵っていうわけじゃないんだけど、守る対象じゃなくて、
私がやろうとしている日々の生活を邪魔してくるコストみたいな、管理の対象になっていったのね。
守る対象じゃなくて、負担とか、私が管理しなきゃいけない、コントロールしなきゃいけない、
変数みたいな、なんていうんだろうね。
環境変数みたいな感じの対象に、多分なってたんじゃないかなとちょっと分析しております。
これは背景ですかね。呪いの正体かなーって思ってるんですけど、
これがこうどう作用してたかってところを話していきたいんですけど、
なんかうっすら変だなって思ってたのは、なんかいろいろあるんだけど、
もしかしたらお気づきの方もいらっしゃったかもしれないんですけど、
うっすらちょっとうんって思ってたのは、子供がしょっちゅうさ物作ってきますよね。
保育園もそうだし、小学校もそうだし、製作物とか持って帰ってきても置かないんですよ。
家に飾ったりはほぼしない。もう滅多なことがない限り、
家のインテリアに子供の製作物がもうどうにも馴染まないからほぼほぼ。
ワンチャン馴染むなってなったらちょっと飾ったりすることもあるけど、
お気に入りのものが本当に2,3個あるぐらいで、
基本的にはもうバカでかいものはちょっと捨ててくださいっていう感じで、
写真撮って捨てるみたいなのを割と早いスパンでやっていくし、
あとね、なんかおまけとかでもらってくるおもちゃとかも、
なんか謎のおもちゃ多いじゃないですか。
なんかちょっといったらうどん屋でもらったら本当にもうこれはゴミかみたいなおもちゃさ、
全然勝ちないじゃんみたいなやつとか、ハッピーセットのおもちゃとかさ、
そういうのとかももう秒で捨ててほしいんですよ。もう邪魔ですから。増えますし。
でもそこに対する愛着も私は全くなかったりとか、
あとはね、子供の学用品とか子供の荷物は、
なんか季節じゃないものとか滅多に使わないものは結構しまい込むけど、
日々使うランドセルとかをリビングに置いてて、
もうこの棚にまとめてるんだけど、
もうこれもすっげー汚れるからすぐなんかそこらへんにプリント付かないですから、
それはだからもうすっごい嫌で、
もうしょっちゅう整理しなさいっていう話をしているとかさ、
この辺もイライラするので汚いな、目に入るの気になる。
特に私こう視覚的にも聴覚的にもうるさいのすごい辛いから、
こうごちゃごちゃごちゃごちゃカラフルな感じが、
どうしてもさ、子供のものってどうにもカラフルだから、
それがすごい気になるなーって思っていたりとか、
あとよく言ってたけど、食事とかも、
食事も結構栄養を非常に気にしているんですけど、
かなり気にしているんだが、
なんか好きな食べ物っていうよりは、
なんか栄養バランスのいいものとか、
栄養価の高いものとか、
今足りてない栄養素みたいな感じで、
なんか選びがちなところがありまして、
好きなもの食べたいって言って、
なんかおやつばっかり食べるとかは結構怖いのよ。
まぁおやつも食べるっちゃ食べるけど、
なんかわかりやすいので言うと、
最近急にそばが好きになったんですけど、
そばを好きになったのは、
食べておいしいそば好きじゃなかったのよ。
これ変だなって思ったんですよ、自分的に。
そば食べてないのに、
そばを急に好きになって、
そばを初めて買うっていうのも、
父親がそば好きすぎて一生そば食べてたから、
もうなんか飽きたみたいなこういうの多いんだけど、
父親がもう編集、
こればっか食べてるってなって、
もうそればっか食べさせられて、
もう食べたくないってなったものがいくつかあるんですけど、
カレーとかうどんとかそばなんだけど、
そういう感じで、
私はもう意図的にそばを全然食べたくなかったんだけど、
あるひとつでそば好きになったのは、
なぜなら、
いろいろ調べてた時に、
江戸時代ブームだからさ、
江戸時代にみなさんかっけいで悩まされたんだって、
白米ばっか食べてたから、
ビタミンB1だっけか、
なんかが足りなくて、
かっけいになって命落とす人がいっぱいいるんだよって話を聞いた時に、
そばなんかすごいよかったらしいっていうのを聞いて、
そうなんだ、
てか、そばってなんか、
めっちゃよくないみたいな、
特に糖質制限してるっていうのもあって、
玄米とか、
小麦粉なるべく取らないように、
なるべくっていうか、
ほぼほぼ取らないようにしている上に、
ご飯もちょっと減らしていて、
玄米とか雑穀米とか増やしていた時に、
あ、そばありかーってなった時に、
え、ありじゃんみたいな、
めっちゃいいじゃんって思ってた瞬間、
そば好きだなってなったのよ。
まだ食べてないんだけど、
そもそも私人生でそば買ったことなかったんだけど、
早速買ったんだけれども、
で、ここでなんかまだそば食べてないのに、
そば好きになるって、
おかしいじゃん。
情報で数字で好きになってるじゃん。
変じゃんって思ってたんだけど、
これも多分この呪いに気づく取り柄が
大きく引いたんだと思うんですけど、
ちょっと変だなーみたいなのが
ふわっとあったりね。
食事も美味しいとかいう互換じゃなくて、
情報で見てるんですよ。
変だよねと。
そういう人もいるのかもしれないけど、
私の一貫した人生の遍歴見てると、
ちょっと変だなっていう感じが、
そういう面も確かにあるけど、
そばに関しては非常に変だな
っていうのが思っていたと。
なんとかなら子供の
感触だったり、
感情的に
わーって暴れるとか、
なんかさ、
ゲームはやめてね。
動画見るのやめてねって言っても、
やだやだやだみたいなのとか、
ずっとルーティーンで繰り返してるんだから、
分かるじゃんみたいな。
時間とかも言ってるし、
30分前からリマインドもかけてるのに、
この時間になったら終わりって決まってんのに、
なんで毎回毎回
同じこと言わなきゃいけないんだろう。
マジで無駄だなーみたいなのとか、
これもね、いっぱいあるね。
無駄だなーって思う。
同じこと繰り返すから。
マジで無駄。
特に、もともと性質的にも、
世話をしたりするとか、別に好きじゃないっていうのもあると思うんですけど、
もともとのその性質として、
なんか、
全然好きじゃないか、
後輩の面倒を見るとかも、
トロー感に終わることが多い。
ストレングスファインダーの
最上…
なんだっけ?最上思考?
合ってる?なんか違った気がするけど。
まあいいか。
そういうのがあって、
より普通を良くしていくものに興味があるみたいな。
そうじゃない人もいるんだよね。
マイナスをゼロに戻していくのに
やりがいを感じる人もいれば、
私はゼロからプラスにしていくのに
やりがいを感じるタイプだから、
当たり前のことを当たり前にすることに、
母親の葛藤
本当にコストがかかるのって超辛い。
みたいなのがもともとあったんだけど、
この辺もなんかママっぽくないな、
みたいに思ってて、
結構子供が小っちゃい時、
離婚前とかかな、特にすごいコンプレックスだったんですけどね。
なんか、
一般的なお母さんっぽくないとか言って、
苦しんでる時期もあったんですが、
こういうところがさ、
なんか積み重なってて、
でも、
しんどいのよ。
日常を管理していこうって思うと、
子供達なんて管理できるわけないんだから、
言うことなんて聞くわけないんだから、
だいたいそういうもんでもないというか、
言うことを聞かせるもんでもないし、
大人と違って、
でも生活だから、
大人だと仕事だけとか、
この時間だけみたいな、
コントロールできる幅もあるけど、
子供ってなると生活だから、
あ、母を尊重しようとか、
母も大変であろうみたいな、
そういうはずのない人達だから、
なんか全然うまくいかないなと思って、
疲れるなぁ、マジ疲れたなぁ、
またエネルギーもないからさ、私は、
はぁ、とかやってたんだけど、
この辺も多分ビシビシと割れていく、
呪いに気付く、呪いをぶち壊す、
子供の居場所
多分トリガーを一個また引いてたんでしょうね。
特にこの
1ヶ月半ぐらい、
私は夏休みで有給消化をしておりまして、
思いっきり好きなことやってんのに、
こんなに毎日楽しいのに、
ちょっとの時間の子供の世話が
めっちゃしんどいみたいな、
なんでこんなイライラするんだろうって思ったときに、
ホルモンバランスとかもありますけど、
なんか変だな、なんか間違ってんなぁ、
みたいなのがたぶんうっすらあったんですよ。
で、えっと、
なんか直接的なトリガーを
最終的に引いたのは、なんか
チャットJPTと喋ってたときだったんですけど、
あ、ここからはその気づいた瞬間について
ちょっと喋らせてほしいんですけど、
ただ何の話してたのかはね、忘れちゃって、
さらに、あの別に
この件じゃなかった、全然関係ない
話してたんですけど、
なんかふと話題がそっちに、
向こうが投げてきたんじゃなかったかな?
なんかそれ変だね、みたいな感じで
言ってきたんじゃなかったかな?優秀だよね。
で、ん?って思って、確かに
みたいになって、ちょっとほってたときに
一番ぶっ刺さったのが、
あの、子供たちは
家の中に
安心で安全な場所は
あるのか?
聞いてみたら?みたいな質問項目が
あんまちょっと、まあいいか、この辺いいよね。
とにかく、それがぶっ刺さったんですよ。
我が家に
子供の好きな場所?
お気に入りの場所?
安心できる場所?ないんじゃない?
と思って、うわ!ってなって、
なんかすっごいショックで、
これ回復に3日くらいかかったんだけど、
あっ、そうなの?
こんなに大事な子供たち、
こんなに愛していて、
この子の人生が
豊かであれと思って、
私の持てるすべてを総動員している
子供、我が子、
我が子っていうか、
俺ちゃんと息子に、
え、家の中に安心できる場所
私、提供できてないの?
ってなって、
いや、提供できてないんだけど、
へーって超ショック受けて、
うわ、ごめんなさいっていうのと、
私、一体何をしてたんだろう?
みたいな、
そんな当たり前のことに
気づけなかった?っていうのもショックで、
私の懺悔をするかもしれないっていうのは、
このショックどうでもいいと思うんですけど、
とにかく私はショックだったんですね。
話をしてたら、
永遠に喋っちゃうから、
もうちょっと冷静になりたいんですけど、
一応聞いてみたの、
子供。
一番聞きやすい娘ちゃん。
めちゃめちゃ優しいから。
二人きりの時に、
ママ、ショック受けたことあって、
謝りたいかもしれない。
家に好きな場所とか、
安心できる場所ってさ、
ある?って言ったら、
え?
いないかもって言われて、
やっぱそうかって言うのと、
でもお父さん家だったらある?って言ったら、
私離婚してるけど、
父親元旦は割と近くに住んでて、
子供たちはしょっちゅうお父さん家に行くんですよ。
で、おもちゃとかも全部、
パパの家の方がでっかいから、
向こうにどんどんどんどん送ってって、
子供たちのもの、
うちにはほとんど必要なものしか、
日用品しか置いてないのね。
子供の誕生日プレゼントとかも、
ほんとに一部を残して、
どんどん送られていって、
お父さん家はたっぷりとおもちゃがあるんですよ。
なので、やっぱ娘ちゃん特にぬいぐるみ好きで、
死ぬほどぬいぐるみ買ってもらってるコレクションが、
お父さん家に置いてあるから、
ぬいぐるみを並べてるエリアが、
内面的な気づき
あそこが好きかなとか言ってて、
やっぱそうなんだ、やっぱそうだよね、
みたいになった時に、
やっぱお父さん家の方が、
自分のものがいっぱい置いてあるし、
好きなものがたくさん置いてあるから、
お父さん家の方が好きかも。
だってママ、誕生日プレゼント買っても、
お父さん家捨てなさいとか、
お父さん家持ってきなさいって言うじゃんって言われて、
はー、ごめん、みたいな。
そうですよねーってなって、
ぼーってなって、
喋れないぐらいショック受けたんですけど、
いや、もうショックなのは娘、
ずっと言ってたじゃんって言われて、
いや、ほんとそうだよなってなったんですけど、
いや、もうちょっと懺悔はいいよね、ごめんごめん。
すぐ懺悔したくなるんだけど。
なんでこんなこと起きてたんだろうって思った時に、
たぶんその初めに話してた、
自分がその合理的に、
効率的に日々を回していくことが、
なんか自分の安心安全を
守る方法だと、おそらく
信じて疑わなかったのと、
子供はどうしてもその合理的に
効率的に動かないもんだから、
自分の内側じゃなくて、たぶん外側だと
思っているんですよね。
だから、その冒頭のタイトルにするであろう
子供が敵、みたいな感じに
たぶんなってたんですよ。
私の安心する生活を脅かしてくるややこしいやつらだなと、
まあその嫌いは非常にあるんですけれども、
でも本来は、
全然そうじゃなくて、
私はこの子たちに幸せになってほしいし、
幸せな時間を提供したいと思っているのに、
一体何をやっているんだ、
っていう、
いやもう、ショックだったのよ。
で、
これはその3日ぐらいまず
打ちひしがれて、もうラジオなんか撮れるような状態じゃない、
もうめっちゃショックを受けて、
私一体何をやっているんだろう、みたいな。
なんでこんなことになっちゃったんだろう、みたいな。
この離婚するときに絶対子供のことは守るぞ、
私が幸せにするんだって思っていたのに、
一体何をやっているんだ、家に安心する場所がないなんて、
最低じゃねえかと思って、
とりあえずちょっぱいでできることはして、
子供の好きなエリアを作って、
とかやったんですけど、
なんか、でもこれによって、
あ、そうそうそうそう、
なんでこんな強力に
自分を守るみたいな、
その効率的な日々、
合理的に判断することが、
私を守るって判断してたんだけど、
これなんだろうって思ったときに、
たぶん、
離婚のときに、
めちゃくちゃ反省した、
私が私を優先しなかったから、
こんなことになったんだ、
っていう後悔から、
おそらく、
自分に対して防御魔法みたいなのをかけたんだよね。
私は守んなきゃ、みたいな、
すげえ過保護の母みたいな、
自分が自分を守るみたいなことをね、
たぶんしたんだわって思って、
それすごいしっくりきたんですよ。
私の日々を、
私の安寧を、
私が守るんだっていう風に作ると、
子供は言うて他人だから、
私じゃない人間だから、
外側に置いちゃうのね。
私が心地いいってことは、
子供が散らかしてたりするのって、
別に心地いいわけじゃないじゃない。
って感じで、
境界線引いてったんだなーって思ったときに、
でもでもでも、
私が私を守るっていうのは、
ありがたい魔法なんだけど、
子供が敵っていうのは、
混ぜ合ってるぜってなったときに、
私がなんで私を守らなきゃいけないかって、
子供のためだったんですよ。
私が暗い人生過ごしちゃうと、
それ見た子供たちって、
人生って辛いんだなって思っちゃうじゃない。
ママ超しんどそう、
私がそう育ってきたから、
お母さん超しんどそうだなーって思ってきた。
思って育ってきて、
申し訳ないな、お母さん申し訳ないなーって、
母親を楽にさせてあげられない、
母親を笑わせてあげられない、
母親を喜ばせてあげられない、
私ってなんて無力なんだ、
なんて価値がない人間なんだろうって思って、
生きてきちゃったもんだから、
子供にそんな思い絶対させたくないと思って、
だから私は私の人生を、
美しいものにしていく、
楽しいことにしていく、
この義務があるわーって思ってたくせに、
それおかしな話なんですよ。
なのに子供はもう本当は、
あんたたちは迷惑な子たちね、
みたいな感じにするのって全然おかしい。
おかしおかしいっていう、
このねじれに気づいたときに、
たぶんこれパリンって割れて、
外側じゃないっていうか、
全然内側じゃんみたいな。
守んなきゃいけないってことも、
ないじゃんってことにやっと気づいて、
たぶんこの魔法これで解けたんですよね。
あ、そうかー、
そもそも離婚ってなったときに、
家庭の中に敵がいるっていう世界観だったから、
こんな発想を持つのね、
私が私を守んなきゃいけなかったんだ、
っていうのはそういうことじゃん。
家庭は安心だと思っちゃうけど、
全然安心じゃねえじゃんってなったけど、
ここも結構いろいろ見方を変えていったんですよ、
元旦だけが悪かったわけじゃない、
あの人が敵だと当時は思ってたけど、
全然違うと。
でも私が悪かったってわけでもなくて、
自分の扱い方が下手だったし、
私が私の扱い方をミスってたから、
元旦もよくわかんなくて、
間違った扱い方してきたんだなーって思って、
だからあそこで離婚ですよ、
全然許しませんって言ったのはよかったんだけど、
だからといって、
世界が敵だっていうのは、
いささか乱暴な判断だったよね。
それそうじゃん、みたいになって、
その当時の思い込みは、
防御魔法って言ってるけど、
これは呪いなんですけど、
呪いを解くプロセス
その呪いを今再評価したときに、
全然そんなことじゃないぜってなったら、
やめられるんだよね。
呪いって自分で自分にかけるから、
私が解きたいと思えば解くことができるので、
多分これで、
そっかーってなって、
懺悔の気持ちはまだあるんだけど、
ごめんなさいっていう気持ちは全然あるんだけど、
その思い込みはなくなって、
そうしたら、
日々の生活にめっちゃ変化があって、
感じ方に変化があるというか、
これなんか呪い解けたときの、
結果として非常に分かりやすいやつなんですよね。
どう変わってきたかというと、
それもその場では気づかないけど、
今振り返れば気づくことだけど、
子供が持ってきた製作物に対して、
なんか早く捨てなきゃ、
みたいな発想はなくなったわ。
むしろ今まであったんやって感じだけど、
嫌だったのよ。
変なもん。
変なもんってか、
ゴミでゴミ作ってるなって思ってるけど、
それを、
子供たちが嬉しそうに持って帰ってきて、
こうやって作ったんだ、こんな良いもの作ったんだ、
これ試してみたいんだとか言ってんだ。
もうなんか、へーみたいな。
そうなんだよかったね。
以上みたいな感じになっていることに、
だいぶ経って気づいて、あれ?みたいな。
前だったら、もうなんでそんなめんどくさいゴミを持ってきたんだ。
捨てにくいなとか、でかいなとか、
なんかもうゴミとしか見てなかったんだけど、
なんか子供が作ってきたものっていう、
ただそれだけとして見れるようになって、
狂ってたんだけど、
その呪いがかかってるとさ、
認知に歪みが発生するから、
そんな風に別のものに見えちゃうんだよね。
へーってなってるなーってことに気づいたことと、
あとさっき冒頭も言ってたけど、
ご飯とかにも、
なんか栄養だけ見てて、
で、文句も多いわけよ、
栄養バランスばっかり見てるから、
好きな好物を作ってやろうなんて、
全然ね、もう滅多に発想としてなかったけど、
なんか、それ以降は、
これ喜ぶだろうから、
これ作ってあげようみたいなのが、
なんか自然とできるようになった。
今までは、
なんかその、
なんか奉仕みたいに感じてたんですよね。
子供が好きなもの、
子供が食べたいものを作るっていうのは、
なんか別に作りたくないのにやらされてるみたいな、
なんか、
仕事っぽい感じがすごいしてたけど、
別になんかそういう感じもなく、
じゃあそうしようぐらいに、
ちょっとめんどくさいけど、
まあまあ、喜ぶかなーみたいな感じになってる。
なんかね、心理的なハードルが
えらい変わって、
なんかここが一番びっくりしたかも。
料理が一番びっくりしたかもしれないな。
新たな視点の獲得
なんか、ご飯も、
なんか、食事の間はすごく
今日のどういうことを感じてきたか、
みたいな、何があったかっていうより
どういうふうに思ったのかなーみたいな
言語化を手伝う時間にしてるんですけど、
なんか、
嫌いなもの出てると食べるの時間かかるし、
めっちゃ文句出るから、
私も精神的にすごい疲れるんですけど、
なんか、ご飯も楽しい食事が一番だよねー
みたいに思って、
いや、そりゃそうでしょって言われると思うんですけど、
それがスコーンとはまったんだよな。
っていうのも、私なんかね、
多分だけど、実家で、
なんか、
実家で、
母が忙しすぎてあんまり食事作ってくれなかったり、
なんか栄養とか全く
ご存知ないから、
忙しいから仕方ないんですけど、
なんか自分の体調があんまり優れなくて、
一人暮らしして初めて、
ちょっといけてなかったなってことを知って、
あ、なんか知識がないって、
こういうことになるんだー、
学んだってこともあって、
常に適応してきた結果ではあるんだけど、
栄養さえあれば
OKってわけでもないよなー
っていう、極端に振れば、
振らなきゃいいんだけど、
基本的に極端に振ってやっと真ん中に戻るみたいですね。
っていうことに気づきました。
っていうところでまとめていこうかしら。
なので、
でもこれ多分みんなあると思うんだよな。
自分の中に、
自分の母親みたいな私、
私を守んなきゃっていう自分みたいなのを、
なんか呪いとして
持っちゃって、
私を守るために子供を排除しちゃうみたいなこと、
ないのかな?あんまりないのかな?
どっちかっていうと、子供を守るために
自分を排除するママの方が私はイメージが湧くけど、
もしかしたら、あの、
慶運な人かもしれないけど、
逆のパターンがあれば、
ちょっと助けになるかもね。
そしてそれはあんまり必要なかったなと、
子供を敵として認識する仕組みが、
そう、それによって働いちゃってたけど、
なんかこれが、
あ、そうでもなかったかって感じで、
結構根本からふわっと消える。
叩き潰すとか、
なんかひっくり返すとかじゃなくて、
あ、それ必要なかったなみたいな、
今なんか自分のこと守んなきゃって、
あの時は思ってたけど、
今思えば別に敵いないじゃんみたいなことに気づいたら、
じゃあ自分のこと、私のこと守んなきゃみたいなやつって、
別にいらなくね?ってなると、
すっごい気楽に乗って、
自分の感じ方も変わったし、
それによって行動もめっちゃ変わりました。
もしかしたらあなたの中にも、
自分を守るあまりに子供を敵にしてしまう呪いがあるかもしれません。
どうでしょう?
気づいたら、こうやって解けるから、
そしたらその瞬間に、
なんかしなきゃっていう感じでもなく、
その関係も結果的に、
いろいろ行動も変わったな、みたいになると思います。
っていうのが、
今回の私の体験でございました。
どのように感じたか、
自分はこうだよ、みたいなのがあれば、
ぜひコメントやレター、
あとなんかフォームも、
概要欄的なものに準備しておりますので、
よかったらお聞かせください。
最後まで聞いてくださってありがとうございました。
じゃあまた他のエピソードでもお会いしましょう。
またね。