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miozuma.fmは、イントレとパスタが好きなクラウドエンジニアが塩田と秀木好きについて話しているソロポッドキャストです。
はい、こんにちは。miozuma通りです。ということで、今回は何を話そうかなというと、
前向きな話で終わりたいんですよね。
推しっていう言葉に覚える違和感というしたがちが、僕の脳漿の中に残っているのでこれを話したいんですが、
いわゆる昨今推しみたいなものが結構一般的にも受け入れられているというか、推し文化というか推し活みたいなこともある中で、
ずっとなんか違和感があるというか、昔の推しというかアーティスト応援するとかっていうのと何がそれが違うのかみたいなのとか、
結構気になるシーンみたいな形でポツポツとした書きを書いてたんですが、
生活のエネルギーの保管とか充電みたいな意味合いも結構あるし、逆に推し活にすべてを捧げてる人とかもいるわけじゃないですか。
本当にすごい金額を投資してみたいなとか、それはぶっちゃけ言えば別にどうでもいいというか、
他人の人生に口を出す権利も義務も資格もないんで、それはもう自由にしてくださいというか、皆さんそうだと思うんですけど、
それをなんか僕は辞めてほしいといったところで別に辞める薬じゃないし、辞めてほしいとも思わないし、
それこそご自身が幸せなら幸せの形はたくさんあるので、全く口を出すものではないんですけども、
違和感はあるという表明ぐらいはしてもいいんじゃないかなと思っていて、いわゆる燃料としている推しみたいなのって、全然わかるんですよ。
日々の生活の燃料というか、ガソリンを入れてるみたいに近いなと思っていて、エネルギーを貯めるっていうイメージなんですけど、
推しのために人生を歩むみたいなものとかが、あんまりよくわかんないなっていう気がしていて、それが違和感というか違和感なんですけど、
推しって僕の代わりに僕の人生を生きてくれるわけじゃないんで、直論に言ったら他人っちゃ他人だし、みたいなところがあって、
あくまで補助線というか中心線ではないんですよ、推し自体が。僕の好きなアーティストっていうかラッパーにケンドリックラマンっていう人がいて、めちゃくちゃ好きなんですけど、
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ケンドリックのためにめちゃくちゃ三菱行きたいかとか、ライブに行きたいかとか言われるとちょっとはてなマークだし、
グッズをケンドリックで揃えたいみたいなのもあんまり思わないしって感じなんですよね。
推しに対するYouTubeのコメント欄とか見てて、良さげなものをピックアップした。
良さげなものというか、そうなのかみたいなものをピックアップしてて。
一つが引用すると、昔はオタクの散財って社会から笑われてたのに、今は推し活の名のもとにあらゆる方向から消費行動を迫られているので、
なんていうかガードレールがない感じと。確かにこれはあるなぁと思いますね。
そうなんですよ。昔ってオタクって言葉が市民権を得る前は、やっぱりネガティブなワードだったし、
若干差別要素があるというか感じだったんですけど、今は全くそんなことないじゃないですか。
推し活という名のもとにと言われるとおり。そうなんですよね。消費行動を迫られてる感じがするというか。
僕はだからニュースとかも全然見ないし、テレビもないんでわかんないですけど、
街中とか歩いててそんな感じがするな。そういう消費行動をあちら側から迫ってくる感じ?みたいなのはめちゃくちゃわかりますね。
僕はそんなことはわかんない方か。
で、次のコメントに行くと、アルバム100枚積みましたとか、推しの祭壇Vlogとか見ても、熱狼感抱いたり病んだりする人見ると推し活って宗教だなって思う。
ネットに価値観歪まされた人にとっては、熱狂信じらればあるほど良しで、真のファンになるもんな。
どれだけ推しに人生注いでるかがステータスになったりするし、コンテンツが終了するまで終わりがない。
そうなんですよね。このコンテンツが終了するまで終わりがないっていうところで、基本的にコンテンツが終了することがあんまり活躍だった場合のか。
ゲームとかだったら、保守派ゲーとかだったら多分終わるみたいなのあると思うんですけども、それ以上勝ちにできないしみたいな。
でもそれもなんか、人の心をずっと掴んだままでいていいのかみたいなのがあると思ってて。
この下書きに書いてある言葉を読みようすると、さっき読んだのがコメントなんですけど。
またかとは思われるんですが、広告状態って言われるんですけどね。
ちょっと社会派的な言葉とかも入ったりとかしてて、主人公に草薙素子さんっていう女性がいるんですけど。
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なんか娯楽についての問答をしていて、映画をその主人公の草薙素子が見ていった言葉が読みをすると、
確かにいい映画と言えなくもないわね。でもどんな娯楽も基本的には一家制のものだし、またそうあるべきだと。
始まりも終わりもなく、ただ観客を魅了したまま手放そうとしない映画なんて、それがどんなに素晴らしく思えたとしても愛にしかならないと。
で、映画館のマスター、マスターというか映画館を運営してるおじいちゃんみたいな人がいて、
ここには現実が辛くて来てる人もいるんだよ、映画を観に来てる人もいるんだよ、みたいな。
もとこに対して返すんですけど、もとこは結構強い女性なので、
でも夢は現実の中で戦ってこそ意味があると。他人の夢に自分を投影してるだけでは死んだも同然だと。
言って、そのおじいさんにイアリスタだなと言われるんですけど、
現実逃避をロマンチスタと呼ぶならね、という言葉で締めてるんですが、なかなかいい言葉だなと思うんですよね。
やっぱりどんな娯楽も基本的には一家制のものの方がいいし、またそうあるべきだっていう。
そうなんですよね。さっきの薄いみたいな概念で言うと、手放そうとしないみたいなのが商業活動だと思うんで、
やっぱりあると思っていて、いかに仮処分時間を奪い合ってというか、
その中で自分が惜しめる、惜しがしめる割合をどんどん増やそうと。
事情側というか、惜し側もしてくるじゃないですか、当然。
ただのやってるわけじゃないんだよ。
そうなんですよね。それが宗教っぽく見えたりもするの。
基本的に昔の宗教もそうだし、会社に入るとかも宗教の意思だし。難しいですね。
答えが出ないから、ポッドキャストでやってるっていうのもあるんですけど。
やっぱりビジネス的な要素が良くないなって今考えていて、やっぱり全員が薄く押してたらやっぱり成立しないですよね、きっと。
データがちょっと見えてないんでわかんないですけど、
仮に90対9対1みたいな割合とか法則が成り立つんだとしたら、8対2とかパレットの法則とか、
成り立つんだとしたらやっぱり全体の2割ぐらいが売上とか大部分を占めていて、
残りの8割は薄いファンみたいな。
ライブ行くかもしれないし、毎回行かないかもしれないしとか、
アルバムは買わないけどサブスクでは聴くしとか、コメントは残さないけどロムセンで見てるしみたいなのが全体の8割ぐらいだとすると、
やっぱり教信者というか熱狂的な押し活動をしてる人がいないと、
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それが成立しないというモデルだと思うんですよね。
だから、それの構造を自分、押し側も作ってるし、これを押してる側もそれの構造を若干作ってしまっている部分があるなと思うんですよね。
だから両者に責任というか、が担ってしまっているという側面があるのかなと思いますね。
そうなの…という感じで、答えは出ないんですが、やっぱり現実に向き合わないっていうのも立派な解決策の一つですし、
当然、100人いれば100通りの幸せがあるので、そこに何か口を出す気は全くないんですが、
このままそういう文化みたいな押し活が強烈に進んでいくみたいなのを見ると、あんま良くないなぁと思うんですよね。
全員夢の中にふけてるみたいな感じになっちゃわないのかなっていう気がしてて。
少数なんでしょうけど、少数なのかどうかわかんないけど、やっぱり市民権を得てるっていうことはある程度広がってるし、
思うということで、今回は押しに対するという言葉に覚える違和感と、よく取り話しました。
そうですね。自分にそこまで押しがいるかと言われると、押しってどこから押しなんでしょうね。
押しって言う言葉が気持ち悪いのかもしれない。昔押しって言葉なかったじゃないですか。
普通にファンとかでよかったのに。押しって言うといいもののように捉えられるというか、押さない奴が悪だみたいな。
これも妄想っぽいな。ということでまとまりがなってきたんですけど、
僕は押しみたいな概念があんまりわかんないよという話でした。ではまた次回お会いしましょう。