2026-01-15 14:12

なぜイランと中東はこんなに複雑なのか?〜100年の空白を読み解く〜

イントロ:なぜ僕たちは「中東」で迷子になるのか?

皆さんこんにちは、みのる防災のみのるです。最近、中東のニュースを見ていて「結局、誰が誰と戦っていて、何が目的なの?」と頭がパンクしそうになりませんか?

イランで抗議デモが起きたと思えば、シリアで空爆があり、紅海やレバノンでも火の手が上がる。実はこれ、バラバラの事件に見えて、根っこは全部つながっています。

今日の結論はこれです。

「今の中東は、誰も責任を取りたくない『空白地帯』での場所取り合戦である」

今日はこのテーマでお送りします。

僕の番組は、歴史・政治・経済・宗教、そして災害を、オールハザード=あらゆる脅威の視点でつなぎます。今回から本格的にポッドキャスト対応で、長尺でお送りします。

そして海外ポッドキャストでもそうですが、言葉つまりや言い直しなどあると思うのですが、そのままお届けします。理由はAIとあと編集過多による信頼度の高さの揺らぎということで、いろいろ失敗している方がコンテンツ価値が高くなるのが主流に変わろうとしているので、そのようにしていきたいとおもいます。

今日のテーマはこれです。もう一度

「今の中東は、誰も責任を取りたくない『空白地帯』での場所取り合戦である」

 

1916年から現代まで、一気に歴史の補助線を引いて解説します。これを見れば、明日からのニュースの解像度が劇的に変わります。

全体のタイムラインを

1916年 「サイクス・ピコ協定」

1953年 アジャックス作戦・クーデター

1979年 イスラム共和国 建国

1980年 イラン・イラク戦争

1988年 イラン・イラク戦争終結

1990年 湾岸戦争

1991年 湾岸戦争終結

2001.9.11 同時多発テロ

2003年 イラク戦争 フセイン逮捕

2003年 フセイン逮捕後のイランの情勢

このようなタイムラインで、お送りします。

サマリー

本エピソードでは、中東地域の複雑な対立の歴史を探ります。特に、イランの役割やサイクス・ピコ協定、イラン革命、イラン・イラク戦争の影響に焦点を当て、これらが現在の国際情勢にどのように関連しているのかを考察しています。

中東における対立の背景
どうも、みなさんこんにちは。みのる防災のみのるです。
最近、中東のニュースを見ていて、結局誰と誰が戦っていて、何が目的なのかと、そのように頭がパンクしそうにならないでしょうか。
イランで抗議デモが起きたと思えば、シリアで空爆があって、高海やレバネンでも火の手が上がると。
実は、これはバラバラの事件に見えて、根っこは全て繋がっているようなんですよね。
今日のテーマはこれです。
今の中東は誰も責任を取りたくない、空白地帯での場所取り合戦である。
今日はこのテーマでお送りします。
私のこの番組は、歴史、政治、経済、宗教、そして災害を、オールハザード、あらゆる共有の視点でつなぎます。
今回から本格的にポッドキャスト対応で長尺でお送りします。
海外ポッドキャストもそうですが、言葉詰まりや言い直しなどあると思うんですけれども、そのままお届けします。
理由は、AIと編集方による信頼度の高さの揺らぎということで、いろいろ失敗している方がコンテンツ価値が高くなるというのがおそらく主流になると思いますので、そのようにしていきたいと思います。
ではもう一度、今の中東は誰も責任を取りたくない空白地帯での場所取り合戦であるということで、
1916年から現在まで一気に歴史の補助線を引いて解説します。
これを見れば、明日からのニュースの解像度が劇的に上がると思います。
では全体のタイムラインをいきます。
1916年 サイクスピコ協定
1953年 アジャックス作戦クーデター
1979年 イスラム共和国が建国
1980年 イランイラク戦争
1988年 イランイラク戦争終結
1990年 ワンガン戦争
1991年 ワンガン戦争終結
2001年 9月11日 同時多発テロ
2003年 イラク戦争不戦員逮捕
2003年から現在まで不戦員逮捕後のイランの情勢
このようなタイムラインでお送りします。
イランの革命と影響
では1910年代 全ての悲劇のうつろがここで作られました。
ということで1916年 サイクスピコ協定
これが第一次世界大戦の時に
イギリスとフランスが勝手に定義で引いたような
そうした境界線が採用されました。
何がこの中東地帯において問題だったのでしょうか。
それはそこに住む人たちの民族や宗教を無視して
言ってみればイギリスとフランスが勝手に引いたんですよね国境
これによって一つの国の中に仲のある人たちが閉じ込められたり
同じ民族がバラバラの国に分けられたりしていきました。
これは紛争の原因というよりも
いつ爆発してもおかしくないような
そんな欠陥住宅のような大国を国をですね
外部の大国が作ってしまったということなんですよね。
そして1953年ですね
イランに刻まれたトラウマです。
ここでクーデターが起きるんですけれども
ここでは資源と主導権を奪われた記憶となっています。
当時のイランの首相はモサデック
イギリスに逃げられていた石油の利権を取り戻そうと
石油国有化を宣言したんですねイランの首相が
しかしこれに激怒しました英米は
英米は格索を取りました。
イギリスと一緒にアメリカは冷戦下で
イランの共産化を恐れていました。
そこでアメリカのCIAが裏で手を組んで
アジャックス作戦というそうしたクーデターを結構しました。
結果民主的に選ばれた後の政権が倒されて
欧米にとって都合の良い新米の王様
シャハという王様が独裁体制として強化されていきました。
この後遺症がイランの人々にとって
これは自分たちの未来を土足で踏みじられたという
強烈なトラウマとなったんですね。
これが1979年の革命とつながる
強大なエネルギー源となったんですね。
そこで1979年イラン革命が起きました。
1979年についに国民の怒りが爆発しました。
新米王政が崩壊します。
そして新しく誕生したイスラム共和国です。
アメリカはこれを大悪魔と呼んだんですね。
二度と外部の怪人を許さない
そうした政権維持をイスラム共和国は最優先に掲げたんですね。
アメリカは恐怖となりました。
中東最大の拠点を失ったアメリカはパニックになりました。
そこで激悪の投入ですね。
アメリカが目をつけたのは隣国のイラクの若きリーダー
サダムフセインです。
ここでアメリカは革命直後の混乱したイランを叩くために
イラクを万犬として利用したんですね。
これが後の悲劇をさらに大きくしたんですね。
1980年から88年、イランイラクの戦争が大果ての誕生となりました。
アメリカなどの支援を受けたフセインがイランに攻め込みました。
8年に及ぶ地獄のようなどろのままの戦争ですね。
これが起きました。
イランの生存の学習。
この戦争でイランは誰も助けてくれない、国が滅びるかもしれないという
そうした極限状態を経験しました。
そして防波堤、大理戦争のこの正体は
ここでイランが導き出した答えが
敵が国境を越えてくる前に外側で戦わせる勢力を作るという構造ですね。
国の中に入れないというそうしたことを戦略として選びました。
レバノンのヒズホラ、パレステナのハマス、
イエメンのフーシャー、
これらはイランにとって地獄にヒノコが飛ばないようにするための
もう盾、防波堤とするという
そうした作戦を取っていたんですね。
しかしここで大問題ですね。
フセインが暴走し始めるんですね。
イランを防ぐためにアメリカが支援したフセインは
戦争で膨れ上がった軍事力と野心を抑え切れなくなって
ついにはクエスト進行を始めたんですね。
自分で育てた番犬がですね、
どんどんどんどんいろんなところに勢力を拡大していくという
そうした地獄絵図のようなシナリオが生まれていきました。
現代の中東の状況
こうした時にアメリカは
イランという王権を抑えるためにですね
イラクというもっと凶暴な番犬を飼い慣らそうとしたんですけれども
その番犬が腐れを切ってですね、どんどん暴れ出して始めたという
これが中東の秩序がもうぐちゃぐちゃになった原因なんですよね。
そして1980年から90年、激悪の暴走ですね。
ワンガン戦争という転換期を迎えます。
イランイラク戦争が1988年に終わりました。
これでも両国ともポロポロの状況ですよね。
しかし伏線が暴走し始めたために1990年から91年ですね、
ここでワンガン戦争が始まりました。
アメリカのジレンマがここでも起きたんですね。
伏線を完全に倒すべきか。
もし倒してしまったらイラクがバラバラになって
ライバルのイランが喜ぶだけじゃないのかと。
非常に難しい問題ですね。
結局アメリカは伏線を生かしておくという中断歯な選択を選んだんですね。
ここからの10年間、アメリカはイランとイラクの両方同時に封じ込めるという
めちゃくちゃコストのかかる無理ゲーですね。
これを続けていくことになったんですね。
これが後の2003年のイラク戦争への伏線になっていきます。
2003年、イラク戦争ですね。
歴史を決定付ける地爆が起きます。
アメリカによるイラク戦争ですが、アメリカは伏線政権を破壊しましたけれども、
最大のこれが間違いにもなったとも言われていますね。
天敵はなくなったんですね、イランにとっての伏線は。
自分たちにとっての、イランの人たちにとっての強大な壁だったんですけれども、
これをアメリカ自身が取り壊してくれたということで、
イランの目の前の道が全開になったんですね。
さらに影響力は回路によるようにどんどん堪忍をしていきました。
イランはこのチャンスを逃さずですね、混乱するイラクに、
自分たち意気のかかった勢力をどんどん送り込みました。
この結果何が起きたか。
テヘランから地中海までが一方の道でつながってしまったんですね。
どのような状況かといいますと、イラン、イラク、シリア、レバノン、地中海、
これはすべて不遷位という壁によって阻まれていたんですけれども、
これらがすべてスルスルとイランの影響力が及ぶような状況になったということです。
ここでさらにイランは自分たちの代わりに戦ってくれる代理勢力を配置したんですね。
自分たちの手を汚さずに武器と金を渡して戦ってくれる人たち。
なんとなく想像できますね。
責任回避ができるんですね。
このような戦争とか問題を起こしたのは自分たちではないという、
そのような言い訳ができるんですね。
つまり国同士で戦争をしたらイランは負けるんですよね。
しかし他の国の人たちの中にテロ組織や武装組織という盾を並べて、
アメリカが直接自分たちを殴れない仕組みを作り上げた。
これがイランが完成させた防波堤の正体なんですよね。
結論なんですけど、中東の混乱は責任者不在の場所取り合戦です。
ここまでお話ししててね、最初にお伝えした結論に戻りますね。
今の中東は誰も責任を取りたくない空白地帯の場所取り合戦であると。
最後にお伝えしたいのはISOのリスクの定義なんですけれども、
目的に対する不確かさの影響なんですけれども、
今イラン国内ではデモが起きて政権が生き残り必死です。
政権維持という目的のために彼らが広大な防波堤をいっぱい作って、
それにより過激な行動に出るかもしれない。
それによって外側の大国は今がチャンスだと言って
介入すれば予測不可能な状態に陥りますね。
中国もそうです。そうかもしれないですね。
このように中東が分かりにくいというのはもう本当に
100年前の古いルールから壊れた。
アメリカのという警察官も去ってしまった中で
誰も責任を取らないという、
そうした状況の中で生み出された不確かさと言えるかもしれないですね。
ということで1916年から現代までずっとざっくりと見てきたんですけれども、
気がつけばイランがテヘランから地中海まで知らない間に
勢力を伸ばしていったという、そうした構図が見えてくると思います。
ここでいろんな問題を起こしても、
誰もこれを止めることができない状況にまだ落ちていると言えるかもしれないですね。
とりあえず今日はここまでにしたいと思います。
また面白かったら、ぜひチャンネル登録とお願いします。
実野る防災総合事務所の三浦でした。どうもありがとうございます。
14:12

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