2026-01-07 09:15

中国思想と宗教観、日本文化の“積層”を危機管理で読む―オールハザード

この回は、特定の国や思想を「批判」も「擁護」もしません。
歴史・宗教・思想がつくる“社会の前提(OS)”の違いを、**危機管理(BCP)**の視点で整理します。

なぜ、日本人は中国人に強い違和感やイライラを抱きやすいのか。
それはマナーや性格の問題ではなく、**秩序や道徳の「積み上げ方」**が根本から違う可能性があるからです。

  • 中国:諸子百家の時代から国家統治と思想が結びつき、近現代では国家による再編・管理が強く働いた歴史

  • 日本:神道的な共同体観を土台に、仏教・武家の規律・江戸の朱子学(儒教)が“重ね塗り”で残り続けた歴史

この差を知らずに「理想論」だけで距離を詰めると、
災害時の避難所や有事・緊張局面で、摩擦が増幅するリスクがあります。

だからこそ必要なのは、好き嫌いではなく、
無知ではなく洞察/感情ではなく構造/そして適切な距離感(ガードレール)
現場で衝突しないための“現実的な知恵”として、冷静に解説します。

サマリー

中国の思想や宗教観の歴史を通じて、日本文化との違いが危機管理の観点から論じられています。特に、中国共産党による宗教や文化の破壊が、日本との根本的な文化・道徳観の違いに影響を与え、社会における摩擦を生む要因として強調されています。

中国思想と歴史の相違
それでは始めていきたいと思います。みのる防災のみのるです。
今日は、中国思想と宗教観、日本の文化の積層を危機管理で読むという、そうした題でお送りしたいと思います。
この番組は、歴史、政治、礼財、民族、思想、そして自然災害という複数の視点から不確実な影響を考察するポッドキャストです。
特定の国や思想を批判も擁護もしません。
今日のテーマは、中国の宗教と思想の歴史、そして日本との対比です。
結論を先に言いますと、摩擦は起きて当たり前です。
ただし、それは誰かの性格であったりとか、善悪といったものではなくて、社会の作られ方、道徳や規律の文化があまりにも違いすぎるからです。
私の結論は、距離を取ることです。これが互いへの最大の理解です。
リベラルな方は、また仲良くしよう、差別はいけないという理想論に着実すると思うんですけれども、
これについて私は、今回の研究であまりにも違うということがはっきりしたので、それに警鐘を鳴らしたいと思います。
違いすぎるからこそ、あえて距離を置くことが最大の危機管理ではないかということをお伝えしたいと思います。
問題提起です。なぜ、相互理解だけでは片付かないのかということです。
リベラル的な価値観では、よく分かり合おう、歩み寄ろうと言います。
もちろんそれは、それ自体は美しい理想ですし、確かにいろいろな美徳なんですけれども、
でも、危機管理の現場で理想だけで突っ込むと、これは非常に危険です。
なぜなら、災害時や有事は平時の余裕が消えて、前提の違いが露出する場所だからです。そうした場面でもあります。
ですから、今日は好き嫌いの話ではなく、前提が違う社会背景を持つものが緊張局面でどうずれるかを、
意識しから、宗教から逆算して整理したいと思います。
多くの方は中国の方にイライラするかと思うんですけれども、私もイライラはします。
そしてそれを単純に資本主義だからとか、共産主義だということで単純で決めてしまいそうになるんですけれども、
これはちょっと違うかもしれないです。
中国人と日本人は同じような教育要素を持ちながらも、全く違う状態になっています。
ではどういう歴史的な、宗教的な背景があるのか、ちょっと見てみたいと思うんですけれども、
中国の出発点は諸子百家という、当時のための思想コンペみたいなものが起きていたんですよね、古代において。
中国の思想の原点として外せないのが、この春秋戦国期の諸子百家といいます。
儒家、道家、法家、北家、兵家、国家の運営に役立つ思想が競い合ったような、そうした時代ですね。
ここで大事なのは、中国の思想は唯一の神への信仰よりも、当地と秩序の設計思想に発展したということです。
日本では神道がありましたから、信仰というものがやはりありました。
この時点で日本には崇拝行為があるんですけれども、中国にはないということです。
つまり、思想を信じるだけでなく、使われるだけのもの。国家が必要とされれば採用され、不要なら退けられる。
この性格は後の時代にも繰り返していきます。前回説明させていただいた天命思想がそのあらわれですよね。
仏教はどのように入り込んだのか。漢の時代になります。漢の時代にシルクロードを通って中国に仏教が入ったと整理されています。
そして仏教は既存の思想や社会の秩序の中で、中国の社会に適応する形で展開されていきました。
ここまでで中国の特徴が見えてきます。思想や宗教は社会や国家の設計と非常に強く結びつくということです。
しかし、近代国家でこの結びつきが一気に崩れます。
中国共産党は決定的な転換となりました。中国は宗教や文化が大きく揺さぶられた象徴として文化大革命期、
日本文化の対比と危機管理
四旧、旧思想、旧文化、旧風俗、旧宗観の破壊がされました。宗教施設や文化財が攻撃対象になったということですね。
よく映像で見ることもあったかと思います。仏像を壊したりするの。また中国共産党員は、
マルクス主義が完全に推し進められて、無神論という形を推し進めていきました。こうした背景があります。
一方、日本はどうか。日本は土着の新規進行があって、山東県時代には神道が本格的に形成されました。
そして西暦552年頃に仏教が入って、神仏集合でさらに発展して江戸時代に儒教、朱子学が社会の規範の言語として
強く使われて、競争的に積み重なっていって、そうした社会となりました。この日本の宗教観から醸成された道徳観、倫理観。
本当に昔の序文飛鳥時代から江戸時代の五人組みにあたりまでずっと脈々と流れ継いだ、そうした行動規範というものが、
世界でも異例と言われる災害時に整列して食事の分配を並んで待っているという、そうした行動にもつながっていきます。
本当に仏教と儒教という同じものがその土地に提供されたんですけれども、全く違う状態になったんですね。
日本では醸成されて形成されました。しかし中国では完全に中国共産党によって全てが破壊されていったという背景があります。
ここに中国人と日本人の間で、本当に私たちが日本人として中国人を見るときにイライラしたりするというのは、
単なるマナーの差というよりも、ほぼ文化と思想と行動規範の違い、これが本当に全く別物であるということにイライラしてしまうということなんです。
前提がここまで違うと同じ文化で、同じルールで、同じ場所で生活するということが本当に非常に極めて難しいというのはすごく当然だと思います。
だからこそ私はこう考えます。無理に同化させようとか、全くこの無地のまま距離を詰めていくとか、
互いの限界を認めて摩擦が起きない程度に起きる前提で線を引いて距離を設計するという、そうしたお付き合いが一番良いんじゃないかなと私は思います。
これは本当に排除するという、そうしたものじゃなくて、危機管理の面でして考えると、国家間の緊張や経済危機、そして自然災害といった余裕がなくなる場面では、この前提すべてが壊れますから、
その時に行ってみれば、この構造が完全に漏停されるんですよね。どうやってうまくできるでしょうか。ちょっと自信ないですね。これが今日の危機管理の場面で助けになればと思います。
次回は中国の経済について考察していきたいと思います。今日は以上です。
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